2017年4月24日月曜日

決断科学ノート;情報サービス会社(SPIN)経営(第3部;社長としての9年)-9


6.英石油コンサルタントKBC社-2
KBC社のスタッフとの関係が再開したのは1994年の9月。既に前年から提携関係にあったOil System Inc.(現OSIsoftware)の契約社員でかつてExxon Research & EngineeringERE)に勤務したこともある台湾系米国人、Ricky Hsu(数理専門家)を介してである。その内容はKBCの本業である石油精製コンサルティング業務ではなく。データリコンシリエーション(データ調和法)と呼ばれる、化学プロセス工業では欠かせない運転実績データの修正技法である。
化学プロセス工業が他の産業と決定的に違うのは、原料から製品に至るものの動き(物質収支)や熱のバランス(熱収支)を各装置から全工場規模まで追跡する必要があることである。しかし、途中の工程には化学反応や相の変化(例えば、液体→気体)があり、それを正確に把握することは大変難しい。これが出来ないと、プラント運転状況の把握ばかりでなく、原価の算出も出来ず、税額も決まらないのだ。無論必要な計器類は装備されているのだが、十分とは言えず、長いこと経験に基づいて人間が調整(修正)するやり方が、社内外に通用する唯一の方法だった(法的にも)。これを計測器の精度・信頼度に重み付けを行い、数理的にバランスの取れた数字に修正する手法がデータリコンシリエーションである。
ERP(基幹経営情報システム)が普及の兆しを見始めた時期、この技術にも出番が巡ってきていた。KBCが売り込んできたのはSigmafineと名付けられたその種の商品だった。OSIPI(パイ;リアルタイムデータ処理システム)とこれを組み合わせ、さらに調和されたデータをRoss社のERPRenaissance)につなげば、プロセス工業の統合経営情報システムが構築できる。9月当社に派遣されてきたスタッフによるデモを見て、そう確信した私は、翌月テキサス州サンアントニオで開催されたNPRANational Petroleum Refining Association;米国石油精製協会)のComputer Conferenceに出席した際、OSI創設者のPat.Kennedyにそのアイディアを相談したところ賛意を得、帰途ヒューストンに在ったKBCのオフィスに寄って日本での独占的な販売権に関する契約を交わすことになった。
ここからKBCとの関係強化が始まり、Sigmafineを東レや太陽石油などに採用してもらうとともに、KBCの持つ全世界の原油データベース(もともとはBPの資産;KBCは代理店)や製油所効率改善サービス(PIPPerformance Improvement Program)の市場開拓・取次窓口を務めるようになっていった。Sigmafineを除けばSPINのビジネスに直接貢献するものではなかったが、このような活動が両社の結びつけを強め、世界の石油精製・石油化学に関するソフトウェア情報が入手しやすくなっていった。中でもKBCが高い評価をしてくれたのは、当時東燃が進めていた“チェンジ”なる全社規模の経営改革プロジェクトへの足掛かりを得たことだった。
この間KBC社名由来の一つであり、当時CEOであったPeter.J.Closeと懇意になり、トップ同士のつながりを深めることが出来たばかりではなく、1996KBCの日本法人が出来ると我が国における最大の石油会社でPIの先駆的ユーザーである日本石油に対するPIP売り込に助言役を果たすようになっていく。
既にExxonとの係争には一段落ついており、その後この日本での実績を大きな宣伝材料の一つとしてKBCのビジネスは急速に拡大、ついにロンドン第2市場(NADAQに相当)で株式公開を果たす。Kとは全く関わることはなかったが、BCともに大富豪になり、Peterは南仏にワイナリーを所有するほどである。
2003年私はSPIN社長を退任、横河電機海外営業本部顧問に就任した。海外市場開拓とともに何度か経営陣に問われたことは、「石油精製・石油化学のソリューションビジネスを如何に展開すべきか」ということがあった。何度かKBCとの提携を勧めたが、2007年横河を去るまでそれは実現しなかった。
昨年2月日経新聞紙上に“横河電機がKBCを子会社化”の記事が出た。今KBCのホームページを開くと“a Yokogawa Company”の文字がマークロゴの下に記されている。
SPIN唯一の取扱商品であったSigmafineはソフト開発にそれほど強くなかったKBCの手を離れOSIsoftwareに担当者ごと売却された。そして昨年晩秋そのOSIsoftwareに三井物産が5%出資したとの記事が日経紙上小さく載った。四半世紀近く前の出来事が今日につながる。SPINも私も何がしか日米のプロセス向けソフトウェア産業に貢献したのかもしれない。


(次回;東燃の経営環境変化)

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