13.海外提携会社動向
横河への営業権譲渡デューディリジェンス(企業評価)スタディにおいて、海外企業との提携は高い評価を得ていた。詰めの段階で「すべて東燃時代と同じ条件であること」と求められていた。総代理店契約を交わしていたのは、古い順に、Tom BakerのChesapeake Decision Sciences (CDS;商品はMIMI)、Pat KennedyのOil System Inc.(のちのOSIsoftware;商品はPI)、Atlantaに本社を置くERPパッケージ;ルネサンスを提供するRoss 社、それに英国石油コンサルタントのKBC(一製品であるΣfine)、これも単なる付加価値提供者に過ぎなかったが、フランスの国営研究機関がスピンオフした数理ソフト会社ILOG社があった。いずれも私自身が深く関わったから(特にCDS、OSI、KBC)、横河譲渡に関する相手方との交渉はすべて自身でやった。その内CDSだけは横河との契約が固まる前に、先方がAspen Technology社(以後Aspenと略す)に買収されることになった(この経緯は本シリーズ-20参照)。従って話はAspenから始めたい。
Aspen社は1981年MITの化学工学科とUSエネルギー庁の協力で出来た化学シミュレーションソフトの会社である。設立時のリーダーは同大学ラリー・エヴァンス教授。日本法人は1990年に出来、私の記憶では東大を出て日揮に就職、そこからMITに留学したSZKさんが初代代表だった。二人とも学究肌で、当時は世界でそして日本で尊敬される企業だった。しかし、米国で往々見かけるように、会社組織として株式公開するとMBA屋が乗り込んでM&Aやら何やらで急成長させようとする。CDS社もそんな状況下で買収された。一方横河はプロセス工業向け計測制御システムのリーダーの一つであったことから、プロセス制御市場開拓のためにこの会社と業務提携していた。しかし、このビジネスは同床異夢で上手くいっていなかった(と言うよりAspenペースで利用されていたのが実態)。SPIN買収交渉が既にアナウンスされている中で、私は横河の要請で、事業部担当のHRS取締役とシアトル郊外で開かれた“横河-Aspenミーティング”に臨んだ。日本からはSZK社長も参加していたが、これが私の知るAspenJapan社長としての最後だった。本社CEOであるMSNも出席したこの会議で彼はHRSさんに「SPINが提携しているOSIとの契約を解除しろ(違約金は払うから)」と迫ったがHRSさんはNo!と応えてくれた。そんないきさつもありこの会社には悪い先入観を持っていた(横河も契約打ち切りに傾いていた)。
その後もMSNをはじめとするAspenトップ(ほとんどMBA屋)はSPINに対して「MIMI事業担当者をこちらに譲れ」とか年末押し迫った頃に自宅に電話してきて「来年度のライセンス料を割り引くから、今すぐ今年の売り上げを前倒ししてくれ」だの無茶難題をぶつけてきた。一方でAspen株のインサイダー取引(これは公開されていた)をチェックしているとMSNが盛んに手持ち株を売っている(ほかのトップも同様)。買っているのは創業者と言っていいラリー・エヴァンス教授(既にMITは引退していたが)だけだった。「こんな会社はダメだ!」と思ったが、日本法人の技術者は優れた人が多かったから、何とか付き合っていったし、CDSオリジナルメンバーが残っている間は、彼らとだけは良い関係を保ち、MIMIのメンテナンス会社を立ち上げるときには協力を約し,新規顧客開拓では稀にみる面白い結果を挙げた。スーパーの食品売り場でそれを包む透明プラスチック容器の先進メーカであるFピコ社への最適生産システム(線形計画法を大々的に採用)の売り込みである。
その後横河はAspenとの契約を打ち切るが、AspenのM&A戦略はとどまるところを知らず、ついに2004年独禁法で訴えられる。いまでもこの会社はNASDAQ市場に存在し株価も決して悪くないから、訴えをかわしたのであろう。現社長は私が一時籍を置いた東燃化学の後輩従業員である。
(次回; 海外提携会社動向;つづく)
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