<今月読んだ本>
1)エネルギー400年史(リチャード・ローズ);草思社
2)鉄に聴け-鍛冶屋列伝-(遠藤ケイ);筑摩書房(文庫)
3)韓国 行き過ぎた資本主義(金敬哲);講談社(新書)
<愚評昧説>
1)エネルギー400年史
-統治体制や戦争を離れたもう一つの歴史の節目、エネルギーを利用面から見る-
昭和35年(1960年)大学3年生の夏休み、既に自動制御を専攻することを決めていたので、最新の石油化学工場での実習を希望し、東海道線・山陽線直通の夜行列車で東京駅から岩国に向かった。大阪までは向かい合わせの席にそれぞれ一人でゆっくり休めたが、大阪駅でものすごい数の団体客が乗車し、通路を行き来するのも困難な状態になった。当時激しい労働争議が起こっていた三井三池炭鉱への応援団である。戦後復興の担い手であった石炭は既にその座を石油に奪われつつあり、三池炭鉱では大量解雇に対する長期ストが真っ盛りを迎えていたのだ。話しかけられたが「石油」を口に出すことはなかった。爾来60年これからのエネルギーとして期待され十数社あった石油企業も環境問題と需要減で大手は3グループに絞られ、私の勤務してきた東燃も今やJXTGと姿を変えた。
燃料と食糧は人類誕生以来不可欠のものだ。その観点からすると400年はいかにも短い。その理由は、やがて枯渇(特に欧州)することになったとは言え薪(木炭を含む)や風水力、動物力をエネルギー源とする文明が産業革命少し前まで長く続いたことによる。つまり薪を中心とした既存エネルギーの供給に問題が生じ始めたのがおよそ400年前と言うことである。本書は前史とも言える薪や動物、風水力(風水車や運河を含む)から発し、石炭・石油・天然ガス(化石燃料)、原子力、最新の再生可能エネルギー、そしていずれかを原料とする電力(電池を含む)の歴史を辿る近世・近代文明とエネルギーの関連史である。エネルギーの用途は“動力(暖房を含む)”と“照明”。本書は3部からなるが2部はこの二つ。最終部が“新しき火”として、原子力や再生可能エネルギーに当てられている。直面する地球温暖化問題からすれば最終部に焦点が当てられるべきかもしれないが、読んで面白いのは圧倒的に前の2部である。要するに“新しい火”は期待するところ大だが問題だらけと言うのが読後感である。
前2部のどこが面白いか?通常この種のエネルギー史はエネルギー源そのもの(例えば、石炭や石油の生産・輸送方法や確定埋蔵量の推計、需給バランス)を主題にするものが多いのだが、本書では用途や社会生活への影響、熱効率改善やインフラ整備などに重点を置いているので、同じエネルギーが持つ力をより幅広くかつ深く理解でき、中学・高校で習った通り一遍の理科や社会科の知識(大学ではそこまで初歩的歴史や理論に戻らない)を正す局面に何度も遭遇した。
例えば、蒸気機関の発明者は誰か?一般的にはジェームス・ワットが最も良く知られているが、トーマス・ニューコメンも同様に扱われる。試験ならば両者とも正解だが。工学的には大きな違いがある。先に蒸気動力を産業規模で利用可能したのはニューコメンだが、産業機械としての発展力ではワットの貢献が比較にならぬほど大きい。違いは何か?ニューコメンの蒸気力利用は大気圧と真空(蒸気を冷水で急冷して作る)の圧力差(高々1気圧)に過ぎないが、ワットの蒸気機関は大気圧と加圧蒸気の差なので、数十気圧(当時の技術では数気圧までだが)を利用できるのである。利用可能圧力差は性能やサイズに影響、機関車も船も自動車さえもこれなら車載して動かすことが出来るが、ニューコメン機関では巨大化して無理、同じ石炭を焚く蒸気機関でも用途と効率はまるで違うのだ。
照明の歴史変遷も興味深い。現在は電気だがここに至るまでには、植物油脂や動物油脂が主体、中でも鯨油が好まれる。それには鯨脳(最高級品)・鯨脂の2種があり、それぞれの特質や価格、利用方法・利用階級が語られ、話は捕鯨史にまでおよぶ。これがガス灯、灯油と主役が置き換わり、それぞれの栄枯盛衰を垣間見せてくれる。これは入社時の教育で教えられたが、石油製品で最も価値があったのは灯油、自動車が普及するまでガソリンはほとんど価値が無い厄介者だった。ガソリンではオクタン価向上を目指す試行錯誤が面白い。
それぞれのエネルギーがもたらす負の面も確り書かれている。馬車による糞害、18世紀のロンドンのスモッグ、炭鉱の過酷な労働から、捕鯨による大西洋鯨資源激減、ガソリンの鉛害(添加剤四エチル鉛の発明者も侵される)、ロサンゼルスの光化学スモッグ、トリは福島原発事故まで、いずれのエネルギーも問題山積み、新再生可能エネルギーも明るい未来ばかりではなさそうだ。
著者は科学をテーマにした作品の多い米国人ジャーナリスト。1986年「原子爆弾の誕生」でピュリッツァー賞を受賞している。チョッと不満な点は、事例がいずれも英米で、自動車開発におけるダイムラーやベンツ、電気鉄道におけるシーメンス(いずれもドイツ人)の貢献に一切触れていない点である。
2)鉄に聴け-鍛冶屋列伝-
-現代に生きる鍛冶屋、金属加工工学を歴史と現場から学ぶ-
昭和22年6月、母の実家が在った西荻窪から松戸に転居した。満洲から揚げてきてやっと一家だけで住める環境になり嬉しかったが、大変な田舎に来たとの感は拭えなかった(既に人口五万人の市であったが)。その一つが通学路の旧水戸街道(今の国道6号線は市内をバイパスしている)沿いに在った鍛冶屋である。小学唱歌の「村の鍛冶屋」は幼児から歌っていたものの、それまで鍛冶屋を見たことはなかったからある種の感動さえ覚え、下校時級友たちとしばし、鋤や鍬を作る作業に眺めいったものである。市とは言え、市街地は駅周辺と街道沿いのみで、辺り一面田圃であったから、充分需要があったのだろう。それ以来鍛冶屋(鍛造を行う町工場でアルバイトをしたことはあるが製品は自転車のフレームだった)を見ることはなかったから、刀鍛冶のような伝統芸術領域はいざ知らず、こんな職業が現存とは思ってもいなかった。平積みになった本書を見た時「エッ!」となるとともに、あの鍛冶屋が蘇った。
著者は1944年生れ、実家は刃物・食器の町燕三条で大工作業に使われる曲尺(まがりじゃく)を製造する町工場である。本人はあとを継ぐことはなく民俗学を学びそれを仕事にしていたようであるが,40代後半から鍛冶に惹かれるようになり、房総半島の山中に住み家と鍛冶小屋を構えるほどだ。ビジネスとしてはともかく、1990年代後半それを目指して著名な鍛冶職人を訪ね歩いて取材し、ある時は作業に加わり教えを乞う。本書はその取材活動を“ナイフマガジン”と言う雑誌(出版社;ワールドフォトプレス社、現在は休刊)に連載していたものを文庫本としてまとめたものである。連載期間が1997年~2003年と言うこともあり、大方の職人は既に亡くなったか引退していると推察される。その意味で本書は伝統金属加工業の貴重な資料とも言える。
登場するのは野鍛冶(何でも屋)から人間国宝級の刀匠、薬師寺再建用の和釘を全数一人で作った松山の職人など多士済々。驚くのは東京のど真ん中(六本木)に鍛冶場を持つ人(刀匠)まで出てくる。著者はこの人を師と仰ぎ、自分の鍛冶場が完成するとそこへ出張指導を乞うたりする。製品も多彩だ。各種大工道具(寺社建設用を含む)・包丁(対象によって各種ある。特に魚は多い)・鋏・農機具(鋤、鍬、鎌)・狩猟/水産用具(ブッシュナイフ、毛皮剥ぎ・解体・磯作業)・林業用具(主に鉈・斧)・文房具(肥後守)そして日本刀などなど。
それぞれの人物や作品紹介も興味深いが、何と言っても読んでいて惹きつけられるのは鍛冶作業そのものの描写である。鍛冶の世界には「炭割り3年」と言う言い伝えがあるようだが、これだけでも奥が深い。丸太の松炭を割りいく種類かの大きさのものをそろえる。これを鍛造工程に使い分けるのだ。それぞれの工程によって火力や浸炭(鉄の中に炭素を混入させ硬さを調整する)の度合いを変える必要があるためである。
次は火床(ほど)作り。床の湿気や温度の影響を避ける工夫が入念になされる。耐火煉瓦と藁灰で整えるのだ。火加減のコントロールは鞴(ふいご)で行うのだが、この操作が加工工程によって違うし、風を送る配管の品質(水道管など使うと内部コーティングの鉛が混入し品質劣化をもたらす)、長さや口径さえ微妙に製品に影響する。
主要構成材は2種。地金と呼ばれる強度を持たせる部分それに刃となる鋼の部分だ。地鉄は、日本刀のような特殊なものを除き、廃材(例えば自動車の板バネや廃釘など)を利用することが多いようだが、素材の品質や大きさによって、この段階でも作業は多種多様、鍛冶の流儀があるのだ。道具の機能を担う部分(刃)にはいく種類かの鋼が使われるが用途によって混入物が違い、通常の鋼は黄紙、やや硬いものにはクロームを多く含む青紙などと呼ばれる製品が使われる。例えば包丁を作る場合、地鉄で本体部分を形作りそれに鋼を接合し、最後に研ぎあげることになる。この接合が最も難しい。地鉄の部分に接合材(鉄粉とホウ酸)を載せ、それと鋼を加熱し両者が適温になった時接合材を挟んで重ね一気に叩くのである。大きなものでは加熱と鍛造を何度でも繰り返す。少しででも温度が不適だと接合できない。温度の確認は“赤め”と呼ばれる灼熱した金属の色だけが頼り。だから鍛冶場はいつも暗くしてある(昔は夜だけしか仕事をしない職人もいたようだ。また鍛冶職の職業病に眼の病が多かった)。刃物は片刃と両刃がある。両刃の加工はさらに大変だ(2枚の地鉄の間に鋼をサンドウィッチする方法とやや厚い地鉄を鏨(のみ)で割いてここに鋼を押し込む方法がある)。このあと焼き入れ・焼きなましをするがここでは温度のみならず水質・水温も影響してくる。最後に研磨して仕上げ、あのきれいな紋様が現れるのである。そして鍛冶場の主が占める場所は“横座”、胡坐をかいて座るのが一般的なようだが、腰の深さまで床を掘りこんで、そこに立って一連の作業を行う人もいる。
残念ながら一般用の刃物は、現在では地鉄と鋼とが一体化した素材(これが各種用意できる)を型抜きし、グラインダーで荒仕上げをした後、刃の部分を研磨して最終製品としている。鍛冶屋の手作り作品を購入するのは主に料理人の世界か美術品に限られているようである。日本刀を作る鍛冶職人には古式たたら製法(神事を含む)で作りだされた玉鋼(たまはがね)が年一回(5百本程度)供給されており、この製鉄法の詳細も本書の中で紹介される。
機械科で学んだ者にとって金属材料学や金属加工学は極めて重要、選択を含め5,6教科あったが、これほど興味深くかつ奥の深いものとは知らずに今日まで来てしまった(制御工学と言う機械工学の亜流を専攻したこともあるが)。浅学を恥じるとともに、人生も終わりに近い今、真っ当な学問とは別の角度で金属を学べたことに何か得をしたような気分になっている。
3)韓国 行き過ぎた資本主義
-ゆりかごから墓場まで熾烈な競争が続く韓国社会の今-
ビジネスと個人旅行で訪れた国の数は約30カ国。頻度と累計滞在日数が最も多いのは米国だが、渡航回数では韓国がNo.2、おそらく20回近いだろう。最初に訪問したのは1988年ソウルオリンピックの少し前、最終は2006年である。この間の韓国近代化は目を見張るものがあった。訪問先は首都ソウルと現代重工や現代自動車などが在る大工業都市蔚山(ウルサン)が主体である。目的は、やがてExxonのバトンルージュ製油所と世界一を競うことになる油公(ユゴン;現SKエナジー)の石油精製・石油化学コンプレックス建設・運営の支援を行うことにあった。2007年ビジネスマン人生を終える時日本人の名刺は学会関係を除きすべて処分したが、外国人のもの約800枚はすべて保存してある。そのうちの半数強は米国人だが、韓国人のものが150枚程度あり、これも一つの国としてはNo.2 である。
私が訪れていた時期にも日韓関係にややこしい事態が生じたことはあったが(主として竹島問題)、韓国も経済成長期にあり皆前向きで、彼らとの交流で不快な思いをしたことは一度もなく「政治家の発言とジャーナリズムが問題」と言うのが共通認識であった。そんな個人ベースの日韓関係も昨今の彼の国のあまりの身勝手さに辟易とし、嫌韓感情が高まるばかりだが、一方で親しくしていた人たちの顔が浮かび「彼等(ほとんどが1997年のアジア通貨危機によるIMF改革の影響を受けリストラに遭っている)も文大統領とその支持者と同じなのだろうか?そんなはずなない!」との思いにもなる。メディアを通すと反日が無ければ国家の存在さえおぼつかないように映る今日の韓国社会の実態を知りたいと思い本書を手にした。
本書は、韓国人によって日本人向けに書かれた本だが、従軍慰安婦・元徴用工は、文政権が進める“積弊精算”問題の一つとして用語として各々1回だけ出てくるだけである。狙いが「あまりにも韓国社会や日常生活に疎い日本人にその実情を伝えたい」ことにあるからだ。“実情”のポイントはいずれの国あるいは地域でも問題になっている“格差拡大”である。この不安・不満の受け皿となって誕生したのが文政権だが、あれこれの大衆迎合政策はいずれも浅慮で事態を一層悪化させていることを、ゆりかごから墓場まで具体例を示しながら辿ってみせる。
先ず子供の教育問題。どこの国にも学歴・学校格差は程度の差こそあれ存在すが、韓国人の受験に対する言動は外から見ると狂気の沙汰に近い(共通一次の英語ヒアリングテスト時韓国上空全域の飛行が禁止される!)。私が韓国通いをしていた時にも蔚山事業所管理職の大方は単身赴任で家族はソウル住まいであった。子供の教育のためである。ソウル市内ならどこでもいいというわけではない。良い中学校・高校に進みやすい文教地域を誰もが希望するが、その不動産価格は庶民には手が届かないほどだ。小学生から複数の教科毎の学習塾に通う費用もバカにならない。塾での学習時間は条例で許される夜の10時頃までつづき、さらにもぐりでそれ以降も行われることもある。学住接近は必須だが、多額の住居費、学習塾の費用、よほど余裕がないとそれを賄うことはできない。加えて進学・就職に英語力を問われる傾向が強まり、最近は幼時からの短長期留学が一般化してきている。のこの国の個人債務が異常に高いのはこの教育関連費にある。
学歴への過度の偏重は入試の公正・公平と表裏をなす。朴槿恵前大統領の解任は同級生の子女入学に不正があることに発したローソクデモにあるし、それで当選した文在寅大統領の腹心の前法相曺國(チョ・グク)も似たような嫌疑で辞任に追い込まれている。これらは極端な例だが、仮想不正在住などは多くの政府高官も犯しており、現外相の康京和(カン・ギョファン)もこれで謝罪させられている。
次は就職事情。難関大学を卒業しても、次の就職戦線も激烈な競争を勝ち抜かなければならない。在学中から就職指導塾(特に公務員や資格取得)やコンサルティングあるいは語学学習などに学費以外の投資を要するし、就職浪人のため学籍を残すにも正規の授業料を払う必要がある。格差は経済状態ばかりでなく、当然コネも効いてくる。また、本来学歴の低い人に用意された職種・職位(特に公務員)に高学歴者が殺到し、結果として弱者にしわ寄せがきている。
幸運に大企業に就職できても安閑としてはいられない(その点で公務員は例外;ゆえに子供が希望する職業のトップは公務員だし、学歴資格を落としてでも公務員を目指す人が多くなる)。経営状況に依りリストラは40歳代から始まるので、転職や自営業へ備えて資格取得などへの投資が欠かせない。しかし、それで成功する人は現実にはごく限られ、今までの経験がほとんど生かされない自営業(例えば、韓国人が好む鳥のから揚げ店)で何とか糊口をしのぐしかないのだ。丁度子供の教育に最もカネがかかる時期にこんなことになり家庭崩壊に至った例が本書の中でいくつも語られる。
そして最後は失業・医療・年金などの社会福祉政策だ。我が国の場合、年々増える社会福祉関連費用は国家財政面からは危機的状態だが制度として整い、長期にわたり運用されてきた歴史がある。一方韓国の場合、経済成長がより急速でかつ通貨危機(IMF改革)があったため、整備が遅れたまま今日に至っている。そこへ日本以上に急速な少子高齢社会が到来したため、その対象者達へのセイフティネットは全く脆弱、平均引退年齢は73歳とOECD(平均;男65歳、女63歳)の中では最長、一般的な会社退職は50歳代前半だから20年別の仕事(例えば、高齢者はソウル市内の地下鉄が無料なので“地下鉄宅配便”)を探すことになる。これに加えて、かつては敬老社会であった韓国だが今では嫌老社会に転じていることも高齢者には住みにくい時代になってきているのだ。ここには経済格差ばかりでなく世代格差も露わになってきている。
これらの問題に対して文政権は最低賃金アップや公務員採用枠の拡大など社会主義的弥縫政策を打ち出しているが効果はほとんどなく、むしろ悪化させる方向にある。著者なその根源はIMF改革以降歴代政権(金大中に始まる左翼政権を含む)によって進められてきた“新自由主義的”経済政策にあると見て個別問題をこれと関連付けてクローズアップし、早く進み過ぎた韓国社会(欧米が300年かかった変革を日本は100年で達成、韓国はそれを30年(1965年の日韓請求権協定~IMF改革)に縮めたと)の今が将来の日本にも到来する可能性があると警告する(日本語で書かれた第二の狙い)。どうであろうか?
韓国社会現状紹介と言う点ではよくまとまった本だが、読んでいてどの課題追及にも隔靴掻痒の感を持ったのは、韓国(と言うよりも朝鮮)と言う国や民族の歴史に立ち返りその根を探ろうとする視点が全くないことである。新自由主義だけが悪いのか?過度な儒教信奉、両班(リャンパン))階級制度や事大主義に影響されている部分(序列や勝ち負けへのこだわり、科挙など)は皆無なのか?と言うことである。個人的にはむしろその方が大きいと常日頃思っているのだが・・・。
著者は韓国の大学卒業後上智大学文学部新聞学科修士課程修了、東京新聞ソウル支局に記者として勤務、現在はフリージャーナリストの女性。
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