2022年8月31日水曜日

今月の本棚-169(2022年8月分)

 

<今月読んだ本>

1)満洲国グランドホテル(平山周吉);芸術新聞社

2)国際報道を問いなおす(杉田弘毅); 筑摩書房(新書)

3)雨天炎天(村上春樹);新潮社(文庫)

4)指揮官たちの第二次世界大戦(大木毅);新潮社

5Fateful ChoicesIan Kershaw);Penguin Books

6)小隊(砂川文次);文藝春秋社(文庫)

 

<愚評昧説>

1)満洲国グランドホテル

-昭和の著名人、小林秀雄、笠智衆、石橋湛山等36人は満洲で何を見、何を語ったか-

 


 1945年(昭和20年)86日広島原爆投下、89日長崎原爆投下、同日未明ソ連満州へ侵攻、815日終戦。8月は日本人にとって永遠に続く特別な月であろう。中でも原爆と15日はメディアも特に力を入れて今次の戦争ばかりでなく、広く深く戦争を論じ、多くの人々にとってもそれが身近になる一時ではなかろうか。しかし、私にとってソ連侵攻以外ははるかに遠い世界である。7歳、国民学校1年生、初めての夏休みに突然やってきた戦争、この日一日の出来事は朝目覚めた時から夜寝入るまで、今でも鮮明に辿ることができる。関東軍が実質統治する満洲、その司令部がある首都新京(現長春)、兵士は多く見かけたものの、子供に戦争の気配など感じられず、それまで平和な日々を送っていた。そんな環境がこの朝から一変する。あの日から引揚までの短い体験が、その後の私の人生に大きく影響したことは間違いない。満洲の存在は個人的な体験に留まらず、満州事変(1931年)は支那事変(日中戦争、1937年)さらに大東亜戦争(太平洋戦争、1941年)へと拡大、その結果が現在の日本の国際的位置付けを定めたと言っていい。それ故に日本史に対する私の関心は満洲を中心とした昭和史に極端に偏っている。

書棚には満洲関連の一画があるし文庫・新書・写真集は別に保管しているから全部で50巻近い満洲物がそろっている。しかし、ほとんどは満洲国成立までかソ連侵攻後で、比較的安定した満州(1932年~1945年)を取り上げたものが欠落している。歴史はどうしても“節目”に焦点が当たるからだ。本書は独特の形式(後述)で平時の満洲を垣間見せるもので、私の記憶に残る“良き満洲”を大人の眼で再確認することになった。

著者は1957年生れ、出版社勤務を経て文筆家(著者紹介では雑文家)に転じ、主に昭和史ノンフィクション作品を書いている。2019年には「江藤淳は甦る」で第19回小林秀雄賞を受賞、知名度は今一つだが、本書を読んで登場人物の分析に深さと鋭さを感じさせる優れたライターだ。

グランドホテルなる題名は映画でよく使われる、大ホテルに去来する人々の人生模様を描くのと同趣旨。本書は36話から構成されいずれにも異なる主人公(居住者、旅行者)が配され、彼等を中心に当時の出来事や世相を語っていく。ただ満洲国建国のプロデューサーとも言える石原莞爾(関東軍参謀)や戦後首相を務める岸信介(産業部次長)は頻繁に登場するものの、主役として取り上げられることはない。平穏な時代に相応しいのは作家、ジャーナリスト、映画人などの文化人。第1章の小林秀雄(評論家)から始まり終章は島木健作(作家)で終わる。この間に、笠智衆・原節子・李香蘭(山口淑子)・木暮実千代などの映画人、経済ジャーナリストの石橋湛山(東洋経済新報社社長、のち首相;満洲不要論を唱えた)、朝日を始めとする新聞人、小澤開作(征爾の父)のような民間政治活動家が、それぞれの満洲観を織り交ぜながら語られる。理想先行型、権力迎合型、能天気な人、一旗組、はぐれ者(特に思想)、さまざまな人物がロビーを行き交う。

焦点を当てるのは満洲国建国の理念であった“五族(日・満・漢・鮮・蒙)協和・王道楽土”に関して主人公や関係者がどんな言動を残しているかにある。見るべきものを見ているか、発言や書き残した物に一貫性はあるか、時代や立場(戦後を含む)によってどんな変化がみられるか、を厳しく追及していく。例えば、国策の先兵として募集・派遣されソ連侵攻で多くの犠牲者を出した満蒙開拓少年義勇隊の実態がある。平和な時期でもここの訓練所は過酷な環境下(楽土とは真逆)にあったことを訪問者は誰も伝えていない。

個人的な疑問「私に満洲国籍はあったのだろうか?)」で知りえたことは、独立国を主張しながら国籍法が無かったことである。日本人(朝鮮人を含む)は日本国籍のまま、満洲国籍者は存在しなかったのだ!“五族協和”など空論に過ぎない何よりの証拠だろう。

著者はかなり以前からこのテーマを温めていたようで、コロナ禍で資料アクセス(特に国会図書館)に制約を受けながら、綿密な調査をしていることが文中から察することができる。巻末の人名索引が充実しており、事典的な価値もある本だ。

 

2)国際報道を問いなおす

-翻訳記事・紹介記事に終始する我が国国際報道、何故そうなるのか?ベテラン記者がそれを質す-

 


 外資系石油企業に就職したのでその方面の海外技術情報に早くから接することができた。とは言ってもまだまだ海外出張は稀で、大規模な工場建設に際し課長・係長級の先輩が基本計画立案のために技術研究所(Exxon Research & EngineeringERE)や海外製油所に出かけるくらいだった。これが一変するのが第一次石油危機。国内製油所建設にブレーキがかかり、建設要員として採用されていた若手エンジニアが余剰になる。一方世界に多数在る兄弟会社製油所の省エネ計画がEREに殺到した。このため彼等をそこへ貸し出すことが始まる。入社4~5年の者がおよそ2年間EREに滞在、米国人上司の下で設計業務に携わるのだ。大方は妻帯者で幼い子供連れも多かった。つまり米国社会にどっぷりつかる生活を体験する。ただ、報告書類から感じたことは意外と交際範囲は狭くほとんど職場の同僚に限られ、あまり面白い情報がなかったことである(派遣社員ゆえ仕方がない面はあるが)。そんな中に一人だけ例外が居た。カナダの石油化学工場へ送り込んだ男である(彼も家族連れ)。カナダ人の中で日本人一人、工場の雑多な仕事をこなし、メーカへの出張や学会参加の機会なども与えられ、送られてくる報告書は、技術情報ばかりでなく労働組合問題あり安全問題あり、当時私の勤務していた川崎工場(カナダと同様石油精製・石油化学が一体化)で話題になったほどである。同じ企業・職種から出ても環境によって海外情報に大きな違いがある(個人の資質もあるが)。EREにおける設計は定型業務中心であるのに対し製油所の仕事は臨機応変の対応を求められる。これが情報の質・量に反映しているのではないか。次元は異なるが、昨今のウクライナ情報に対する隔靴掻痒感から本書を手にした。

著者は1957年生れ。1980年に共同通信社に入社、社会部を経て外信部に転じた人である。テヘラン支局長・ワシントン支局長などを務め、現在は特別編集委員兼論説委員、明治大学特任教授(メディア、国際政治)。滞米期間は通算12年、プーチン大統領とも何度か言葉を交わしている国際報道のベテランである。

社会部(大阪勤務、主に警察担当)から外信部に移る際、他社の先輩から「最前線で取材する社会部から翻訳記事・紹介記事を扱う外信部に移っても面白くないぞ」と忠告される場面がある。私も含め多くの読者・視聴者が国際報道に感じていることと同じではなかろうか。ウクライナ戦争でも、海外メディアからの流用が多く、独自取材も安全なところで恐る恐る断片的に報じている感が強い。何故そうなってしまうのか、本来どうあるべきか、を講ずるのが本書の要旨である。

ここで取り上げられるのは戦争・紛争案件が大部分で、平時の政治・経済もそれらに関係する部分に限られる。時節を意識してのことであろう。しかし、国際報道に対する我が国メディアの問題点と言う点に関しては、非常時に限らないその特質を充分理解することができる。言語力(主に英語力)、国際交渉力、軍事を含む国力、情報市場(日本or世界;市場が大きければ投資もできる)、取材陣構成(フリーランス記者、現地記者)、米国メディアの影響力(これが大きすぎる)などが共通因子だ。

意外に思ったのは、我が国の戦争報道が最も輝いていたのはヴェトナム戦争であったとしていることである。米軍の規制は緩く、岡村昭彦(PANA通信、雑誌Lifeに写真特集記事)、日野啓三(読売、作家、芥川賞)、開高健(作家、芥川賞)、沢田教一(UPI、写真家、ピュリッツァー賞)などの記事や写真が日本の世論のみならず米国の反戦活動にまで影響したとしている。注目すべきは日野を除き皆国内の大組織に所属していないことだ。

この反戦活動に懲りた米軍は後の戦争(紛争を含む)では報道管制を強め、現在は米国メディアもその統制下に置かれている(戦争を見る目が攻撃側に偏る)。

国による検閲として、日中国交回復時以降の中国におけるそれが詳しく取り上げられている。周恩来首相は見かけとは異なり狡猾・老獪、巧みに日本メディアを締め付けるのだが、それを最も忖度したのは朝日新聞。各社記者が次々と追放処分される中で、唯一北京駐在を認められる。本書には書かれていないが、朝日が“人民日報日本版”と揶揄されたのもむべなるかな、である。

一方、文化大革命時は紅衛兵の壁新聞を読める日本人記者が欧米ジャーナリストに大いに頼りにされた話もあり、これからの我が国国際報道の在り方に示唆を与える。つまり、言語と日本人の視点である。言語については英語力の向上、現地人の活用、日本人の視点では地理、歴史観、宗教観の欧米との違いを踏まえた独自発信力を高めるべきと提言する。

先月本欄で紹介した公開情報に基づく報道活動組織「ベリングキャット」、SNSとフェイクニュース、米国メディアの凋落、ウクライナ戦争(特に、プーチン大統領の言動)にも随所で触れ、今日的な話題の中で我が国国際報道の実態を理解できる読み易い一冊であった。

 

3)雨天炎天

-初めて知るギリシャ正教の聖地、トルコの無法地帯、人気作家の冒険旅行を安全地帯から楽しむ-

 


 現役時代は化学プロセスを対象とする数理技術応用、プロセス・システムズ・エンジニアリング(PSE)を専らとしており、関連の学会活動にも参加していた。19965月その一環としてギリシャ・ロードス島で開催されたPSE国際学会で発表の機会があり、ギリシャ、トルコを訪れた。ギリシャは業務だがトルコは連休と重なったための私費旅行である。訪問地はアテネ、ロードス島、イスタンブールに限られたが、いずれも世界史的存在の地域だけに、改めてもう一度の思いが残った。しかし、彼の地を再び訪れる機会は失われ、せめて紙上でと本書を手にした。構成がギリシャとトルコの2部から成るからだ。

単行本の発刊は1990年、ギリシャの旅は19889月、トルコは推定19899月。いずれも私が彼の地を訪ねる遥か以前であるばかりか、ソ連崩壊(1991年)、EU発足(1993年)すらこのあとのことである。著者は既にエーゲ海中心に両国を何度か訪れているが、今回は観光地を避け、目的を絞り込んでユニークな旅を計画・実施する。二つの旅に関連性は無く、むしろ全く異質なものと言っていい。ギリシャはその北部でエーゲ海に突きだすアトス半島のみ、期間は56日(計画は34日)、ほとんど徒歩で移動する。一方トルコは国の大部分を占める小アジア(アナトリア)地方の外縁を時計回りに21日間かけて廻るドライブ行である。共通するのは時期、カメラマンそして著者の異国を見る目だけである。タイトルの雨天はアトス半島、炎天はトルコと解釈していい。

○アトス半島

私がアテネからイスタンブール(アテネ空港ではコンスタンツポリスと表示)へ双発高翼プロペラ機で飛んだ時、機は北に向かいエーゲ海深奥部のテッサロニキに立ち寄った。ここはアテネに次ぐギリシャ第2の都市である。そこから東に突きだす3つの小半島の最も北側に在るのがアトス半島、行政区分地図などで見ると半島の中央部まではテッサロニキ州の色だがその先で色が変わる。ここはギリシャ正教の聖地、政府から完全な自治を認められた特別な地域なのだ。一般人の立ち入りは厳しく制限されパスポートを入手する必要がある(女人禁制、家畜を除く動物のメスもだめ)。おまけに一帯は山岳地帯、陸路での入域は容易でない。唯一の交通機関は半島の付け根から出る連絡船のみ、外部の人間(主として観光客)の滞在期間は34日まで。この半島には大小さまざまな修道院(約20)があり、ギリシャ正教の僧が世界各地から修行にやってくる(長期居住者も居る)。この修道院群を徒歩で巡るのが今回の目的である。同行者はカメラマンと雑誌社の編集担当計3名。宿泊・食事はすべて修道院、入域時2千円ほど納めるとあとはタダだが、非常食などの入手は担当僧次第。峻険な山道、土砂降りの雨、掘っ立て小屋に近い修道院、カビの生えたパン、域内船便の欠航、難行苦行の末、56日を要する結果になる(規約違反だが許される)。一体何のためにこんな旅を目論んだのか、動機はこの半島のことを本で知ったこととある。つまり好奇心だ。ジョギングを趣味とし、何度かフルマラソンも走る著者だから出来た旅である(しかし、このとき49歳!)。

○小アジア周回

今回のトルコ行きは7年前エフェソスの遺跡(古代都市)を観て「次回はトルコ全域を旅したい」と思ったことにある。そうは言っても全域は無理小アジア周辺部を一周することにする。今度は三菱パジェロ(四駆)が足、同行者はアトス半島のときのカメラマンとの二人旅だ。先に決行時を“推定”1989年としたのは、文中に正確な年月が記載されておらず、単行本出版日と内容からイラン・イラク戦争終結間もない時期であると推測したからだ。つまり、これらの国と接する国境地帯(東部・南部)の治安が極めて悪い時である。

著者はトルコを5つに区分し寸評する;①ヨーロッパ・トルコは東欧と類似で単調な地形、②黒海沿岸は静かで素敵な場所、③東部アナトリア(ソ連・イラン・イラク国境)は危険いっぱいの異次元世界だが最も面白い(二度と行きたくないが)、④中部アナトリア(シリアから地中海)はアラブ的トルコ、⑤地中海・エーゲ海地域は最も華やかで明るいトルコ。ただしヨーロッパ・トルコに属し同国最大の都市イスタンブールは、ツーリズムに毒された醜悪な場所と断じ切り捨てる。他の紀行文でもローマやシシリー島あるいはエーゲ海の観光地は同様の評価だから、“観光旅行”は対象外なのだろう。これは沢木耕太郎の旅行観とも一致する。この感覚は引退後ツアー参加をして、ビジネス旅行時に比べ何か物足りなさを感じることと底通するような気がする。つまり、観光地や大都市は「本当のその国の姿ではない」と言う満たされぬ思いだ。

海外長距離ドライブ、私にとって本書の読みどころはここにある。そしてそのヤマ場はやはり東部アナトリアだ。四駆だから何とか走破できた悪路・山岳路(5m級の山がある)、イラン・イラク戦争の後遺症とも言える難民、クルド人の分離活動、麻薬密輸、劣悪な衛生環境、検問所は多数あるもののほとんど無法状態。この地の人々の表情に微笑みは無い。そこを抜け地中海に沿って走る国道24号線の途中で報告が終わるのも(実際はイスタンブールまで戻るのだが)、緊張と興奮後の虚脱感からなのだろう。道中クルマのトラブルが一切記されていない(給油の苦労はあるが)。さすが四駆の先駆者パジェロ!こんなところに感心してしまった。

村上作品の紀行文は人が中心である。本書の二つの旅もそれは変わらない。特にトルコでは地域差が良く描かれている。トルコ経済は確実にあの頃よりは改善しているが、東部アナトリア・中部アナトリアの状況はむしろ厳しさを増している。人々はどう変わっているのだろうか?

二つの旅にカメラマンが同行しているが写真は少ない(小さな白黒写真のみ)。トルコについては警察・軍のチェックが厳しく、フィルムを抜き取られたことも報告にある。これが唯一物足りない点であった。

 

4)指揮官たちの第二次世界大戦

-パットン、ド・ゴール、デーニッツ、山口多門、名将たちを知られざるエピソードで紹介。リーダー論の教科書にはなりません-

 


 本ブログを立ち上げた動機は経営における意思決定と数理の関係をあれこれ考えてみたいと思ったからである。実務で関係したITプロジェクト事例を多々書いてきたのはそのためだが、並行して軍事戦略・作戦・戦術やそれに関わった意思決定者について多くの著書を読み、経営と軍事の相違から“決断と数理”の関係にヒントを求めた。中心となったのは著名軍人の伝記・回想録などであり、その多くを本欄で紹介してきた。だから本書の出版予告が出た時購入候補に挙げていたが、やや気になったのは将帥の数の多さである。10名を超すとなると中身が薄くなる。既によく知る人物も多いことから逡巡していたところ、私の読書傾向をよく知る友人が「読んだから」と送ってくれた。結論から言えば、それなりに価値はあるものの買わなくてよかった、と言う程度の中身である。“それなりの価値”は知らない人物が何人かいたこと、 “買わなくてよかった”は懸念した通り内容が軽いことである。

著者は1961年生まれの戦史研究家、2020年「独ソ戦」(岩波新書)で新書大賞を受賞、「砂漠の狐ロンメル」「戦車将軍グデーアンリ」なども本欄で紹介している。彼の強みは大学院課程をドイツで学びドイツ語に精通しているところにある。ソ連崩壊・ドイツ統一後の資料に直接当たり、それを核に欧州大戦を分析して見せるのが売りなのである。例えば、「独ソ戦」ではドイツ側ばかりでなくソ連側もあの戦争を絶滅戦争として戦ったこと、この戦争で独国防軍とナチスは不可分であったこと、を明らかにし旧来の通説(ナチスとヒトラーを一方的に責める)と異なる点をクローズアップして見せた。それは「ロンメル」「グデーリアン」も同様である。これらの力作が印象深いものだっただけに本書の読後感が今一つ物足りないものになってしまった。それは本書が書下ろしではなく朝日の論壇誌「論座」、新潮の文芸誌「波」へ寄稿された戦史エッセイをまとめたもので、特定のエピソードが中心となることにある。著者もそのことを意識しており「正面ではなく横顔を描くことに依って人物理解の一助としたい」と断わっている。その点で“リーダー論”を期待する向きには薦められない。

ただ私にとっては知らいない人物を知ったこと、思わぬエピソードを知った点で本書を入手出来たことはそれなりに意味があった。

知らいない人物は、ゲオルグ・トーマス歩兵大将(独);総力戦を早くから研究その限界を予知し警告を発していた人物、エルンスト・ローデンヴァルト軍医少将(独);ユダヤ人大量虐殺につながる「人種衛生学」「地誌医学」などを唱えながら、巧みに戦後を生き抜いた人物、水上源蔵中将(死後);インパール作戦の支援作戦に始めから戦死を想定した命令(辻政信大佐策定)を下命された兵団長、がそれらだ。

エピソードで収穫だったのは、ド・ゴールが第一次世界大戦中捕虜となりドイツ国内の将校収容所に囚われ、そこに同じように東部戦線で捕虜となった帝政ロシア軍のミハイル・トハチェフスキー(のち元帥)が居り、二人の間に交流のあったことが書かれていたことである。ド・ゴールは仏軍機甲部隊の提唱者、トハチェフスキーは縦深戦略の発案者で赤軍近代化推進に功があったもののスターリン粛清で処刑されている。両者の間にどんな会話があったか、残念ながらそれは残されていない。もう一つは太平洋戦争で一般的となる「艦長は艦と運命を共にする」との(強制的な)考え方だ。これはマレ-沖海戦で戦艦プリンス・オブ・ウェールスと伴に航空攻撃によって沈められた英巡洋戦艦レパルス艦長トム・フィリップス大将(死後)の最期を捕虜となった水兵が語ったことで我が国に広く知れ渡り、爾後多くの司令官や艦長がそれに従い戦死していく。しかし、英国ではこの話は全く知られておらず、実際回収されたフィリップの遺体は救命胴衣を着けており、水兵の話は作り話だったのだ。「死せる英提督日本海軍軍人を束縛する」となったわけである。

上記の他、南雲中将、パットン大将、カール・デーニッツ提督、ジューコフ元帥、山口多門中将(死後)、スリム元帥(インパール作戦の英総司令官)、ラングスドルフ大佐(独ポケット戦艦シュペー号艦長)が登場、いずれも少々変わった小話中心の人物描写、それが面白くまた鼻につく一冊であった。

 

5Fateful Choices

-第二次世界大戦とその後の世界を決した6ヵ国首脳に依る10の決断。英歴史学者がその過程を再現する-

 


 グーグルを代表とする検索エンジン、アマゾン・楽天の通販マーケット、これらを20年近く利用してくるとピンポイントの販売活動が可能になる。本欄で取り上げた図書の総数は約1200冊、その23はアマゾンからだから約800冊、これ以外にも書評や内容照会でアクセスしたものが同じくらいあるから、彼等が保持する私の読書関連データは1500冊分くらいあるだろう。このデータに基づいてAI書店員が売り込んできたのが本書である。日本語に訳せば「運命の選択」、好みの分野の軍事・政治的視点ばかりでなく決断科学的な要素も加味した見事な売込みに脱帽である。

著者は1943年生れの英歴史学者(シェフィールド大学名誉教授)、ナチスドイツおよびヒトラー研究の世界的権威で2002年サ―の称号を授与している。その関係の邦訳も多い。

著者によれば、第二次世界大戦の帰趨を決した重要な政治的決定事項は10件ありそれは1940年から41年の間に起こったとして、第二次世界大戦を戦った6カ国(英・独・日・伊・米・ソ)の国家指導者が下した決断とそれに至る背景・過程を詳述する内容だ。10の選択は以下の通り;

119405月末西方電撃戦後の英国の進路;英遠征軍はダンケルク撤退、フランスは降伏、欧州で対独戦を戦うのは英国のみ。チャーチルが首相になるが、戦争内閣では休戦を望む声が高い。伊あるいは米による仲介是非に激論が戦わされ、チャーチルは「単独でも戦う!」と閣内を説得する。

2)独ソ戦への道;開戦は翌1941年だが、ヒトラーは自説でもある東方生存圏確保と共産主義撲滅を目指し、ソ連との戦いが避けられないと早くから考えていた。このため対共産主義で英との協調を期待していたが、チャーチルの決意でそれが失せ、単独実施を決する。

3)日本の南進;電撃戦による独欧州大陸制覇を見た日本は北進論を捨て南部仏印に進駐する。これが米国の対日政策変更につながる。

4)独の西方作戦に便乗する伊;ファシスト政権としては先輩を自認するムッソリーニは北アフリカ、バルカンに単独で勢力圏拡大を目論む。この失敗が独ソ戦に影響する。

5)西欧が枢軸側に陥ちたことによる米国の対欧州政策の変化;中立主義・孤立主義を標榜していた米国が英国支援を決し、武器輸出禁止法を廃止し武器貸与法を成立させる。また、米船保護を名目に対Uボート戦に踏み切る。宣戦無き参戦。

6)ソ戦の対独方針誤判断;英米やスパイからもたらされる独侵攻警告をスターリンは「独・ソを戦わせようとする資本主義国の陰謀」と受け付けない。これが緒戦大敗の主因。

7)米国の対枢軸国政策変化;対独;中立と英援助のジレンマ、国内世論は依然反戦。狡猾なルーズヴェルトは巧みに世論工作を進める。対日;南部仏印進駐に対する反日世論の高まり。日米通商条約破棄、一方で日米首脳会談の可能性を探る。

8)日本の対米政策;資産凍結・石油禁輸による反米世論と軍部の危機感(石油備蓄のある今開戦すべき。先へ行くほどじり貧)。独ソ戦におけるドイツの勢い。ついに大東亜戦争開戦を決定。ハル・ノートの“中国からの完全撤兵”に満州は含まれていなかった。これを双方が確認していたらどうなったか?

9)独の対米宣戦布告;開戦当初ヒトラーは対米戦を回避する意向だったが、米の対英武器貸与と大西洋の戦い(Uボート戦)への米国介入で考え方を変えつつあった。真珠湾はその機会を与え、軍部に諮らず独断で決する。

10)ユダヤ人絶滅計画;ユダヤ人問題はナチスの主要命題であったが当初はソ連征服地(予定)への移住を計画していた。しかし、独ソ戦が計画通り進展しないため大量虐殺を具体化する。

それぞれの政策決定で主役となるのは国の指導者;チャーチル(英)・ヒトラー(独)・ムッソリーニ(伊)・ルーズヴェルト(米)・スターリン(ソ)、しかし日本は彼らに匹敵する人物は不在。天皇は開戦裁可に至る過程で自らの意思(外交交渉優先)を表明しており、開戦主導者ではないとしている。だからと言って近衛や東條が他の指導者のように強力なリーダシップを発揮したわけでもない。「日本の意思決定システムは複雑である」が結論。外国人が書いたにも拘らず、山本七平言うところの“空気が決める”場の雰囲気がよく描写されている。

それぞれの意思決定の場を、指導者個人ばかりでなく意思決定システム、閣僚・側近の言動までよく調べている。全体で620頁の内引用リストだけで110頁もある。それだけに臨場感満点だ。日本関連では「木戸(幸一)日記」「近衛日記」、入江昭ハーバード大名誉教授、岡義武東大名誉教授、細谷千博一橋大学名誉教授等の著作や論文がそれで、情報信頼度の高さが窺える。

各選択肢が独立した章になっているものの、相互関係を持って語られるので、あの戦争を全体像として捉えることができる点も本書を評価できる。

 

6)小隊

-芥川賞作家が自身の体験をもとに綴った自衛隊小説三部作、下級士官かく戦えり-

 


 中学生時代から活字中毒者を自認する私にとって、父が毎月持ち帰る文藝春秋(文春)は格好の鎮静剤だった。だから芥川賞の存在はその頃から知っていたし、いくつかの作品は読んでいるはずなのだが一つをのぞいて何も記憶していない。例外の一作品は石原慎太郎の「太陽の季節」(1955年)、丁度高校の3年生で主人公と同年令「こんな奴がいるのか!」と衝撃を受けた。後年慎太郎は「あれで芥川賞は有名になった」とうそぶいていたようだが、「嫌味な野郎」と思いつつもうなずける一言だ。その後受賞作を掲載した文春をときどき購入していたが、これは自分が読むためでなく家内向けで、作品にチョッと眼は通すものの最後まで読むことは無かった。とにかく辛気臭くうじうじした内容が好みでないからだ。しかしこの「小隊」が2020年度下期の候補作品となり、受賞には至らなかったものの、選考記事で概要を知り読んでみたいと思った。理由は作者が自衛官出身者で、内容がロシアの北海道侵攻を想定したものとあったからである。

著者は1990年生れ、一般大学卒業後幹部候補生学校を経て陸上自衛官に任官したようだ。“ようだ”としたのは略歴ではっきりしない点がある。陸上自衛隊幹部候補生への進学にはいくつかのコースがあり、防大卒の他、一般大学からストレートで進む者と一旦下士官として入隊、その後内部試験を経て候補生になる道があるからだ。隊内での経歴で分かっているは陸曹操縦士過程を修了、攻撃用ヘリAH-1Sのパイロットを務めていることだけ。一方本書の中に収められた「市街戦」では一般大学から現役合格の候補生が主人公となっている。どうでもいいことのようだが、主人公たちの心の動きが、隊内経歴と深く関わっている気がする。「ブラックボックス」で2021年下期芥川賞受賞。既に自衛隊は退職しており現在は東京都某区役所(不明)の職員。

本書は三つの作品を合本したもの。タイトルとなる「小隊」(2020年下期芥川賞候補)、「戦場のレビヤタン」(2018年下期芥川賞候補)、「市街戦」(2016年文学界新人賞受賞)、いずれも自衛隊員(元隊員を含む)を主人公とし、戦場(演習を含む)を舞台としたものばかりである。

○「小隊」

主人公は帯広付近に駐屯地がある普通科(歩兵)部隊の小隊長(三尉;少尉)、ロシア軍が標津方面に上陸、防戦の先鋒として中隊は釧路東方丘陵地帯へ進出、谷間の隘路を進むロシア軍を迎え撃つのだ。天候不順もありロシア軍の動きは鈍く、この間に強靭な陣地を構築、何度も訓練を繰り返し迎撃態勢を整えている。釧路近郊の住民避難から、情報分析業務、支援部隊(航空自衛隊、米空軍、砲兵部隊)の動きまでさまざまな戦闘準備活動が、中隊・小隊内の人間関係を中心に描かれる。そしてついに戦闘開始、緒戦は露軍を撃退するものの天候回復で航空攻撃・ミサイル攻撃が本格化、多くの隊員を失い中隊は帯広に撤退する。

著者は帯広配属歴があり、戦場・戦闘シーンが実にきめ細かく描かれ、陸上自衛隊の非常時本務をよく理解できるが、本来戦争小説ではない。任官日が浅い小隊長が日々隊活動で感じていること、戦闘の中でそれが刻々変化していく様子を表すところが肝である。撤退中、平時には彼に陰できつい忠告をしていたベテラン曹長が、敵前逃亡に等しい行為におよび、「郷里の娘はまだ中学生なんです。一緒にいかせてください」と哀願するのを振り切り、他の隊員と車両を発進させる最終シーンが印象に残る。

○「戦場のレビヤタン」

意表を突く舞台設定だ。場所はイラク北部のキルクーク、石油会社に勤務した者なら原油生産地としてよく知る都市名である。自衛隊に6年勤務し退職した元自衛官が次の就職先として選んだのは英国の軍事警備企業、事実上の傭兵である。

既にイラク戦争は治まり、米国を中心とする有志連合軍は撤退しているものの、イスラム過激派やクルド国家分離を目指す勢力がゲリラ活動を続けており、キルクーク遥か北の土漠に広がる広大な石油精製工場の警備を会社が請け負っている。任務は4人一組で工場内各所に配置されたオブザベーション・ポスト(OP)と称する監視所で3交代の勤務。同僚は元米海兵隊大尉がチーフ格、同じく海兵隊出身のランボー(戦争中毒者)、ビルマ人のジョン。監視と休憩を二人一組で1時間交代で8時間務める。監視時間外は工場内に在る4人用コンテナーで就寝・食事・自由時間となる。ゲリラの攻撃は波状的・散発的にあるようだが、主人公が直面するのは1回のみ、トラックに依る自爆テロのシーンだけである。

3年目にして先が読めてしまった自衛官人生、自衛隊退職からここに至る中途半端な時期、傭兵と言う現在の仕事、この地域の政情不安、自分の生き方を様々な角度から分析して見せ、100日勤務後の30日休暇に入るところで話は終わる。

地理的なこと、兵器の話、傭兵としての雇用形態・勤務形態、チーム編成と役割、いずれも体験した者でないとここまで書けないと思わせる内容だ。しかし、著者経歴をいくら調べてもそれにつながる糸は見えてこない。かつての自衛官仲間にこんな経験者が居たのかも知れない。

○市街戦

三作品の内で一番古く初稿は2014年、2016年文学界新人賞受賞、事実上処女作、この当時著者は現役自衛官であった。書かれた年は生年から逆算すると幹部候補生学校卒業1~2年後。今回はその幹部候補生学校生活が主題である。久留米に在る陸上自衛隊幹部候補生学校はまたの名“地獄の久留米”と言われる厳しい教育訓練の場である。9ヵ月間の教育の最終仕上げとなるのが23日の100km行軍。2泊は無論野営、その後広大な演習地で模擬戦闘が戦われプログラムは終わる。話はこの難行苦行に満ちた行軍が中心となっているが、それ以前の一般大学での学園生活、学友たちの進路、当初は地方公務員を目指していた就職活動、最終的に自衛官に決する本人と周辺の関係などが語られ、特異な道を選んだ背景がよく分かる。

タイトルの“市街戦”はこの最終演習が大学の在った吉祥寺周辺で行われているような幻想シーンと交錯するところから来ている。一方に民間企業や役所に就職した仲間、他方に最初からプロを目指す防大卒、主人公の心は現状を前向きにとらえながら揺れ動く。おそらく新人賞受賞の決め手はこの主人公の心境描写にあるのだろう。つらい演習を終えた時、雨が止み演習地に虹がかかる。9ヵ月ペアーを組んだ防大卒同期(一般大学卒の陰の教育係)とそれを眺めるシーンで幕となる。

言わば自衛隊3部作、時代順に市街戦(候補生)、小隊(下級指揮官)、戦場のレビヤタン(退役後)と読んだ方が良いような気がする。冒険談調の勇ましい話は皆無、厳しい場面は多々あり、悩みも多々あるが、与えられた任務を果たそうとする姿勢は一貫している。政治臭は無く、暗さを感じさせない作品ばかり。下級士官の心の内をよく描けている感が残った(果たしてこれが平均像なのかどうかとの疑問とともに)。

 

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2022年7月31日日曜日

今月の本棚-168(2022年7月分)

 

<今月読んだ本>

1)諜報の技術-CIA長官回顧録-(アレン・ダレス);中央公論新社(文庫)

2)マンハッタンの狙撃手(ロバート・ポビ); 早川書房(文庫)

3)飛び立つ季節(沢木耕太郎);新潮社

4)ベリングキャット(エリオット・ヒギンズ);筑摩書房

5)裏横浜(八木澤高明);筑摩書房(新書)

6)屈辱の数学史(マット・パーカー);山と渓谷社

 

<愚評昧説>

1)謀略の技術-CIA長官回顧録-

-祖父・叔父・兄が国務長官、外交を熟知した名門出身CIA長官が情報戦を回顧する-

 


参議院選挙が終わった。直前に起こった安倍元首相射殺事件で統一教会を介した世襲が話題になっている。統一教会はかつて勝共連合と一体だったことから岸信介→安倍晋太郎→安倍信三とつながっているのだ。これは元首相にとっては結果としておおきな負の遺産だったわけである。参議院はともかく自民党の衆議院議員世襲は目に余る。これでは既得権(負も含む)墨守ガチガチ態勢を崩せるわけはなく、激変する世界に取り残されガラパゴス化は必定である。因みに私は自民党の政策には概ね賛同するのだが世襲は天皇制と家業だけにしてほしい。そんな世襲批判の中でこれは凄いと思ったのが本書の著者一族である。祖父のジョン・フォスターはハリソン大統領(19世紀末)の国務長官、義理の叔父ロバート・ランシングはウィルソン大統領の国務長官、兄ジョン・フォスター・ダレスはアイゼンハワー大統領のもとで国務長官を務めている。そして本人は同じ時期CIA長官である。国政レベルへのファミリーの関わりと言う点において、時宜的に我が国の世襲と比較しながら読む結果になった。

アレン・W・ダレスは1893年生れ。プリンストン大学卒業後一時期インドに滞在し1915年国務省に入省(5歳上の兄も既に在籍)、折しも第一次世界大戦のさ中、欧州で情報収集活動を担当する。本書の中で「外交官というより情報官だった」と述懐しているように、生粋の情報屋である。1926年一旦国務省を辞し弁護士に転ずるが、ここでも主として欧州事情通の経験を生かしている(ロンドン軍縮会議の法律顧問など)。第二次世界大戦が勃発すると、そこに目を付けたOSSOffice of Strategic Services;戦略情報局)にスカウトされスイスに駐在、ここで対独戦の諜報活動に従事、さらに対日終戦工作にも関わることになる。戦後トルーマン大統領下でOSSを中心にCIAが発足すると2代目ベデル・スミス陸軍大将(アイゼンハワー連合軍最高司令官参謀長、駐ソ大使)長官の時、その次官となる。長官就任は1953年から1961年までの8年間、冷戦の厳しい時期その任に当たっており、本書の中でもロシア(西欧・米国に関する猜疑心はこの時代から発している)・ソ連に関する諜報戦が、特に詳しく解説される。おそらく退任直後から本回顧録の執筆が始まったのであろう、原著の初版出版は1963年、その後2年近くかけ加筆修正が行われ、1965年(昭和40年)に改訂版が出ている(本書はこの改訂版の翻訳)。1969年病没(享年75歳)。

本書は孫子・旧約聖書に記された情報活動の歴史、米国におけるその発展史などから説き起こし、出版時の冷戦下における具体的な情報戦(例えば、高高度偵察機U-2撃墜事件、キューバ危機)、この当時の情報収集・分析技術(盗聴、コンピュータからU-2に代表される偵察)まで広範に取り上げているが、視点は“米国における情報活動はいかにあるべきか”に据えられている。それを、人材、組織、技術、国民性、敵国事情など各論に落とし込んで、自身の体験(公開できる範囲)を交えに述べていく。日本に関する活動は戦前・戦中における外務省・海軍の暗号解読に言及する場面がしばしば現れる。また、1950年代と言う早い時期から共産中国への警戒を強調している。見えてくるのは米国と言うのは、情報収集分析にしてもそれに基づく工作にしても、機密保持がかなり難しい国だと言うことである。「全体としてアメリカ人は秘匿さるべき事柄を喋り過ぎる傾向にある」「(ソ連は別としても)せめて英国並みに法体系が整えられれば」「CIAが影の政府などとんでもない」との苦言が多々呈せられている。しかしながら「CIAは信頼性の高い客観的な情報を意思決定者(国家安全保障会議;大統領)に提供することが使命だし、そう心がけてきた」との主張には、「大量破壊兵器の存在」情報を理由に起こした第2次イラク戦争を知る者にとって「ウーン?」となる。やはり回顧録の限界か、これが読後感である。

本訳書(単行本は19659月刊)の問題はその翻訳にある。訳者鹿島守之助は元外交官(本書出版時は鹿島建設会長)、まえがきによれば外務省関係者が翻訳に関わっていると記されている。おそらく監訳者なのだろう。内容は正しく訳されているようだが、日本語として読みにくいのだ。単なる外国語精通者と著述家の違いを終始感じながらなんとか読み終えた。原題は“The Craft of Intelligence”、Craftを単純に“技術”と訳したことにも素人翻訳の一端が窺える。Craftには“ずる賢い仕組み”のようなネガティブな意味もあり、ここで述べられているのは狭義の技術ばかりでなく、適任者の資質や機密保持のための法整備など広範な“諜報の仕組み”とでも言うべき内容、TechnologyTechniqueEngineering ではないことに考慮すべきだった。

 

2)マンハッタンの狙撃手

-厳冬のマンハッタン、謎の狙撃手がつぎつぎと治安関係者を襲う。左眼・左手・左足を失った大学教授の元FBI捜査官はクリスマスまでに犯人を突き止められるか?-

 


初めて外国に出かける機会を持ったのは19706月、ニュージャージー州に在ったExxonエンジニアリング・センター(ERE)を訪れた。当時は日本から東海岸へ無着陸で飛べる飛行機は無く、アラスカのフェアバンクスで給油・入国審査を経た後JFK空港が最終到着地だった。つまり私にとって初体験の外国大都市はニューヨーク・マンハッタン、爾来ERE訪問ばかりでなく、IBMのセールス・オフィスでも頻繁に打ち合わせを持ったし、東燃のNY事務所もロックフェラー・センターに在ったから、ここは世界で最も多く立ち寄った場所になる。加えて、米大学MBAコースの同級生で、この地で育ち住まいも仕事もここに在る友人が居たので、単なるビジネス旅行者に留まらないマンハッタン探訪を経験できた。そのマンハッタンを舞台にするスナイパー(狙撃手)小説、記憶に残る土地勘をどこまで楽しめるか、そんな思いで本書を手にした。

スナイパー小説と言えば何と言ってもスティーブン・ハンターの「スワーガー・シリーズ」祖父を含め親子三代わたる凄腕の狙撃手が活躍する。その最新作「囚われのスナイパー」が出て間もないのだが、シリーズ物も20話近くになるとどうしても既視感が鼻につく。本邦初翻訳を優先したわけである。土地勘、初物、いずれも期待以上だった。

クリスマスも近い日、積もる雪で徐行する車が狙撃される。弾丸は運転者の頭部を砕き、床を突き抜け道路にめり込んでいる。徹甲弾でなければこんなことは起こらない。場所はパーク・アヴェニューと42ndストリートの交差点付近だ。今はコロンビア大学天文物理学教授となっている元FBI捜査官ルーカスに協力依頼が来る。数理に秀でた彼に発射地点を特定してもらうためである。ルーカスがFBIを去った理由は捜査活動中に左下肢・左腕・左眼を失ったことによる(義足・義手・義眼)。二度と現場に戻らないと誓って今の職に在るのだが、主任捜査官は被害者がルーカスの元同僚であることを告げ、なかば命令口調で彼の協力を乞う。直ぐに第二の狙撃事件が起こる。今度はイーストリバーに在るルーズヴェルト島とマンハッタンを結ぶロープウェイ(通称トラム;観光ではなく島民の足)の室内、マンハッタン島のターミナルに着いたところで、前者同様頭部を撃ち抜かれる。被害者は中年女性だ。身元を調べるとATF(アルコール・タバコ・火器・爆発物取締局)の捜査官であることが分かる。ルーカスが突き止めた発射点はいずれも1000m近い遠距離、それも雪の舞う中、並みの狙撃手ではない。政府筋が入手した情報でイスラム過激派フランス人が容疑者として浮かんでくるが、主任捜査官もルーカスもそれには懐疑的、間もなくそれが証明される。在米イスラム過激派の導師がウエストサイドのモスク前で第三の犠牲者となる。何のための殺人か?犯人は何者なのか?舞台はワイオミングの田舎町、ロングアイランドと移り、ついに狙撃者とルーカスが直接対決する。

背景描写もなかなか凝っている。ルーカスの住居は高級住宅街のアッパーイーストサイド(セントラルパークの東側)、それもガレージ別棟の戸建てだ!大学教授が住めるような家ではない。さらにロングアイランドに別荘もある。しかも、ルーカスはシングルマザーに幼児期捨てられ、養親のもとを転々としてきたのだ。家族(妻と養子たち)、人種差別(ルーカスの助手は黒人女性捜査官)、キリスト教原理主義者、腕利きの銃工、市警や地方保安官との関係、FBIの情報収集分析、優れたサスペンス小説の楽しみはこのようなところにある。

さて、私のセンチメンタルジャーニーである。マンハッタンで定宿にしていたのは、名前は忘れたがスイス航空系のホテル、一面はパーク・アヴェニューに向いている。グランドセントラル駅へは徒歩で南へ下れば直ぐ。42ndストリートはミュージカルのタイトルになるほど有名な通りだ。つまり、最初の狙撃点は頻繁に行き交っていた所なのだ。ルーズヴェルト島のロープウェイに乗ったことはないが、並行するクウィーンズボロ橋はJFK空港利用でよく通過しそれを見ている。第2の犯行現場も直ぐに分かった。ルーカスを乗せたSUVが雪の中を疾走するイーストリバー沿いのフランクリン・ルーズヴェルト・ドライブウェイもJFK、ラガーディア空港との行き来で何度も通っている。極めつけはロングアイランドである。南西端はJFK空港、ここからこの“長い島”は北東に延び先端のモントーク岬はマサチューセッツ州近くに達する。かの友人は、クウィーンズに住居を持っていたのだが、引退後の住まいをロングアイランドに建設中で、完成間近いそれを見に行こうとある休日誘ってくれ、夫人ともども一日かけてモントーク岬まで往復したことがある。マンハッタンへの隣接地は住宅街だが先に進むにつれ農地・牧場、さらに入り江や森があらわれ、豪邸が点在する高級リゾート地の趣きに変わっていく。そして対決の場となるモントーク岬では灯台にも上ったし、初めて大西洋の水にも触れた。友人と関わるのはそれだけではない。ケイリー・グランドを彷彿とさせる美男の彼はポーランド系移民の子孫、子供時代をマンハッタンのスラムとして有名なイーストエンド・バワリー地区で送り、大学職員年金運用機構のメールボーイをスタートに夜学に通いながら職種をステップアップ、私が会ったとき(1983年)には総務部長のような役職まで出世していた。読みながら、苦学力行し成功者となる点で、いまはロングアイランドで余生を送る彼とルーカスが重なってきた。

 

3)飛び立つ季節

-足かけ3年にわたるコロナ禍、ボツボツ旅に飛び立ってもいいのではないか、そんな思いで綴られた旅行エッセイ-

 


感染者数では過去の6波を超すコロナ第7波が猖獗をきわめる昨今だが、連休直後はGo to解禁も話題になるほど夏に向けての行動見通しは楽観的だった。私も長い蟄居生活がやっと終えられるかと期待し、あれこれ旅の計画を考えていた。大分まで飛行機で飛び別府や由布院、熊本を巡る旅、青函トンネルをくぐり五稜郭を訪ねる旅、東日本大震災後の三陸リアス線を辿る旅などなど。そのために前月紹介した宮脇俊三「日本探見二泊三日」にも目を通したが、本書もその一環だった。しばしば本欄で書いているように、私は著者のノンフィクション作品ファンである。ただ国内旅行に関するそれは意外に少なく、20206月に取り上げた「旅のつばくろ」が最初のはずである。そして2年ぶりにその続編となる本書が6月に出版され、即購入した。“続”とせず“飛び立つ季節”としたのは、著者もボツボツ本格的な旅が始まっても良い頃と考えたとあとがきに記されている。残念ながらそれは叶わぬが、せめて誌上旅行を楽しもう。

本シリーズはJR東日本月刊広報誌「トランヴェール」に連載されている旅行エッセイ。今回の旅は20167年頃実施したものが中心(直近のものもあるが)、35編からなり出版元の営業域から東日本が多いが、松江、萩、柳川、臼杵など西日本・九州もいくつか取り上げられている。鉄道会社の広報誌とは言え、乗物や旅程、景色、史跡名所、グルメ紹介は控えめで、少年時代の想い出を含む旅の心象を、静かに語る筆致が反って旅心を誘う。また、一編一編がすべて完結でなく、ときに数編連載だったり訪問地でつながったりする。また、時間や空間を越えて思わぬ話題を結び付け、読み物としての深みを増している。そして一見旅行ガイド風でないにもかかわらず、何か旅の哲学あるいは極意のようなことが時にははっきりと時にはそれとなく記されているのだ。

時空を超える例で面白かったのは、天保12年(1849年)他界した幕府御用人村尾嘉陵(かりょう)が残した「江戸近郊道しるべ」を読みその足跡の一つを辿る日帰りウォーキング(片道)である。屋敷跡と思われる靖国神社をスタートし三軒茶屋を経て九品仏に至る道筋を古地図などに当たりルートを確定(概ね246号線)、実施するのである。著者の歩数で33千歩(約26km)。嘉陵はこの時72歳、しかも往復だったから6万歩以上歩いたことになり、著者を驚かすとともに力を与えてくれたようだ。これは私にとり身近な旅のヒントにもなった。

旅哲学・極意の例;夜間の移動を避ける(長距離旅行の初めは16歳春休みの東北一周旅行。11泊の内夜行列車車中泊が7泊、ほとんど景観を見ていない)。名所・名跡・名物・逸話の“周辺”に目を向ける(例えば、白虎隊では自刃した者ばかりでなく生き残った人物。吉田松陰ならその「旅日記」;ここには通説となっていた「学に博して後遠遊する」の逆説となる「旅に出てから学ぶ」とあり、著者の若き日の旅「深夜特急」はこれがきっかけとなっている)。二晩以上泊る時は食事処・居酒屋は同じ店を利用する。これでその土地に対する知識・親しみは桁違いに上がる(これは山口瞳に教わる。山口は一泊は旅行でないと考えていたふしがある)。旅に“期待”は重要だが“期待し過ぎない”ことがさらに重要。ここから“思いがけず感”が生まれ、それこそが旅の醍醐味。旅にリスクはつきものだが基本的に“性善説”で臨む(私見;これは国内に限るべきだろうが)。

私が訪れたことのある町や地域も複数登場するが“周辺”の情報収集を怠り、見逃したところがいくつもある(例えば、会津若松南西部柳津(只見線)に在る齋藤清(版画家)美術館。柳津は2度クルマで通過している)。今秋が“飛び立つ季節”になり再訪の機会があることを念じながら読み終えた。

 

4)ベリングキャット

SNSの公開情報をチェックすることから始まった安楽椅子探偵。趣味が高じて国家の陰謀まで詳らかにする。その手の内を一般公開-

 


1998年私が創設準備段階から関わってきた情報技術サービス会社が親会社大株主の要求で他社に営業権を譲渡されることになった。当時米国のいくつかの会社と日本におけるソフトウェア販売独占契約を交わしており、契約が継続できるよう交渉に出かけた。すると最も古く10年前から付き合いのある会社も米国の大手化学ソフトウェア会社(NASDAQ上場)に買収されることを知らされた。創業者はExxon時代から付き合いのあるこの世界では知名度の高いエンジニア、製品の評判も彼の名前同様高かったので買収額は日本円にして数百億円と聞かされた。その支払いの大部分は買収側企業の株式、彼も大株主として経営陣の一角に加わるとのこと。ひとまず安心したが、彼がその会社にいつまで留まるか気掛かりであった。と言うのもその大企業はいくつもの化学プロセス向け中小ソフトウェア会社を買収して業容拡大、しばらくすると創業者が去るのが常だったからである。そこで、その大企業の経営情報をインターネットで調べることを思いつき、何を情報源とすべきかあれこれ試行錯誤し発見したのが株式の取引情報である。何とインサイダー(経営陣・大株主)の売買情報が個人名・数量・日にちまで日々公開されているのである。私の友人、その夫人や息子あるいはCEOCFOの取引が手に取るようにわかるのだ。これは、我が社の対応策検討推進におおいに役立った。

公開情報を丹念に集め分析すれば、企業経営のみならず、国家戦略、戦況、犯罪捜査から迷子のペットまで探ることができる。本書はそれを実施している組織(ある種のNGO)の主宰者が明かす事例の数々である。組織名は“Bellingcat”、イソップ物語の“猫に鈴(Belling the Cat)”に由来、本書のタイトルもここからきている。彼は寓話とは違い猫に鈴をつけるのだが。

著者は1979年生まれの英国人。巻末の著者紹介には最近の活動しか記されていないが、Wikipedia(英語版)にはジャーナリスト、ブロガー、兵器研究家とある。しかし、本文の中で「軍事はアマチュアだった」と書かれているし、本来は金融関係の仕事に携わっていたことがうかがえる。スマフォの普及時期(2008年頃)からネット上の公開情報を探り、自身のブログに投稿していたことが今日への出発点となっている。また、Wikipediaにシリア内戦調査中失職したとのコメントもあり当初は趣味が高じた「安楽椅子探偵」と言うところだったらしい。

取り上げられている事例は、アラブの春、これと連鎖するエジプト革命・シリア内戦・イエメン内戦、第一次ウクライナ戦争、マレーシア航空第17便撃墜事件、米大統領選介入、スクリパリ(元KGB、二重スパイ)父娘毒殺未遂事件、アレクセイ・ナワリヌイ(反プーチン政治家)毒殺未遂事件などロシアと関係付けられるものが多いが、米国の白人至上主義活動、ニュージーランドのイスラム教徒銃撃事件、ISISによるパリテロ事件など非ロシア案件も少なくない。

当初は個人的好奇心でユーチューブの動画などを見て既存メディア情報をチェック、ブログ投稿するところから始まり、その記事を読んだ者が関連情報を寄せ次第に仲間が増えていく。そこから主要メディアや政府発表とは異なる事件の断面を発信、これが既存メディアに注目されるようになり、知名度が上がりさらに協力者や関心を寄せる者が集まってくる。その中には、ガーディアン、BBC、タイムズ、CNNNYタイムズ、ウォールストリートジャーナルなどがあり、知名度のみならず権威も加わり、今や欧州を中心に40名を超す常勤スタッフ抱える規模になっている(この他情報提供者、協力者、ファン多数)。

情報源の基本はオープンソース(公開情報)、ツイッター、フェースブック、ユーチューブ(動画)、ブログ、インスタグラム、写真(衛星写真を含む)、グーグルマップやストリートヴューなどがとっかかりとなるが、細部を検証するためには、電話帳や通話記録、個人のメールや旅行記録、住所録・家系図、クルマの登録記録、時には兵器の取り扱い情報まで調べ、グーグルアース・マップ・ストリートビューや衛星写真を利用し「ジオロケーション法」なる場所や時刻(映像の光と影から)の特定方法を考案して詰めていく。こんな作業にはその道の専門家もボランティアで協力してくれる。例えば、ソ連時代の兵器に精通したフィンランド元砲兵や不発弾専門のWebサイトがその一例である。

事例紹介の圧巻は20147月ウクライナ上空でミサイルにより撃墜されたマレーシア航空17便事件解明。ロシア、ウクライナ双方が同じ兵器を持つので責任を相手方に負わせようとする。命中後破壊落下したミサイルの断片に記された番号からそれを探り、ロシア・クルスク駐屯の第53対空旅団のものであることをつきとめ、ここが持つミサイルと発射機が演習の名の下に移動、親ロシア分離独立派の手に渡る経緯を明らかにする。さらに旅団組織や旅団長を含め部隊上級幹部の当時の挙動も調べ(ロシア人の投稿や兵隊が家族と交わしたメールなどから)、ロシア撃墜説を確定する。その内容は同年11月「<マレーシア航空17便>撃墜事件-分離独立派の<ブーク(ミサイルの名前)>はどこから来たか」としてまとめられ出版、17便の出発地オランダの検察当局がこれを基に行動を起こすことになる。

いずれの事件も情報収集・検証の細部が具体的に語られ、「こんな情報がオープンに得られるのか!」「こんなところから手掛かりをつかむのか!」の連続、民間OSINTOpen Source INTelligence)侮るべからずの感を強くした。このような活動を行うための運営理念・倫理観、リスク(担当者の肉体・心理から巧妙さを増すフェーク情報まで)、財務事情(クラウドファンディング、EUやグーグルの助成、共同作業に依る収入)など事件調査分析そのもの以外にも触れており、この種の活動全体を知る点でお薦めの一冊と言える。

 

5)裏横浜

-ハイカラ文化の発祥地横浜、そこに35年住んで初めて知った暗黒史、しかし暗さの感じない筆致に救われた-

 


19705月に結婚、最初の所帯は横浜市鶴見区にあった民間アパートからスタートした。長男が生まれると戸塚区に在った社宅アパートに移り、長女・次女はそこで誕生した。1980年初めての自宅を横須賀市に建てて転居、一旦横浜を離れるが1996年末金沢区に移転、現在に至っている。つまり、結婚来52年、その内35年を横浜市で過ごしたことになる。そして、おそらくここが終の棲家になるだろう。住んだことはないのだが本籍は祖先の地である兵庫県竜野市、生まれは満洲国新京市(現中国長春市)、引揚後の住まいは千葉県松戸市だが、小・中・高は台東区上野・御徒町界隈。「どちらのご出身?」と問われると返答に窮したものだが、今は「横浜です」と応ずる。しかし、実はあまり横浜のことを知らない。その理由は、暮らしてきたのが“ハイカラ文化”と縁のない周辺区であること、この地で生まれ育った親しい友人がいないことにある。“裏”にはいささか引っかかったが、“知らない横浜”と勝手に解釈、少しでも横浜を知ろうと読んでみることにした。

著者は1972年生まれの浜っ子、ノンフィクション作家。祖父は現在の東戸塚駅付近の農家の次男。私も住んだことのあるこの近辺は昭和14年まで鎌倉郡平戸村、横浜ではなかったのだ。著者の実家もこの近くに在り、神奈川区六角橋辺りで精肉・惣菜店を営んでいたようだ。小・中・高は地元、大学は東京であることが文中から察せられる。話の中に祖父や少年時代が頻繁に登場するからだ。大学時代から世界各地(主にアジア)をバックパッカーとして旅し、大学卒業後写真週刊誌のカメラマンを経てジャーナリズムの世界に入っている。

構成は八つの街・地域から成る。横浜スタジアム近辺、山下公園・みなとみらい地区、中華街、黄金町、寿町、鶴見、山手・元町地区、伊勢佐木町がそれらだ。鶴見を除けば“横浜”をイメージする狭義(主として中区、西区、南区)のそれである。そして“裏”は黄金町(麻薬・赤線)、寿町(ドヤ街)に代表される底辺社会に重きが置かれ、おしゃれな山手・元町も丘の上下関係あるいは隣接する寿町とのつながりで語られる。それぞれの場所に中心テーマがあり、横浜スタジアムでは大洋漁業とホエールズ(現ベイスターズ)の歴史、鶴見ではアントニオ猪木とブラジル移民、みなとみらいは赤レンガ倉庫の話が生糸につながりそこから富岡製糸工場(世界産業遺産)、八王子の養蚕農家さらに野麦峠(女工哀史)まで広がる。

横浜が他の大都市と異なるのは独特の歴史にある。幕末以降、開港・文明開化で大変貌、鉄道から食生活、スポーツまで欧米文化導入・普及地とし日本近代史に足跡を残し始めるまで、半農半漁の寒村に過ぎない。本書で取り上げられる土地の大部分は埋め立て地である(一部は江戸時代後半)。新たな時代、作られた土地、新しい商売・職種、他地方からの人の流入、ある意味荒野の開拓にも似た環境がわずか150年前に突然生ずるのだ。表の近代文化文明発展史はよく知られるところだが、必要悪とも言える“裏”も時代とともに大きく変わってきている。この短い歴史変遷をたどり現在と具体的に対比して見せるのが各章の流れ。ただ、不思議と重く暗いトーンになっていない。それは生まれ育った土地に対する思い入れから来ているように受け取れた。歴史調査、聞き取り調査をベースに置きながら、そこに自身の少年時代や両親・祖父母の話などを交える筆致がそうさせているのだ。

読んでいてまず浮かんだのは1963年に上映された黒澤明監督・三船敏郎主演の「天国と地獄」、丘の下の病院に勤務する貧しい研修医学生(山崎努)が丘の上の豪邸に住む三船家の息子(実際は間違えて運転手の子供)を誘拐し身代金を奪う話である(捜査主任仲代達矢)。丘の上の情景は山手界隈を連想させるし、黄金町は麻薬窟として描かれる。著者もこの映画を何度か引用するが、当時の黄金町の実態は映画と変わらなかったと関係者から裏付けを取っている(昼間から中毒者がうろつき、夜は無法者の街と化す)。また、豪邸のモデルは磯子に在ったひばり御殿とも重ねている。ひばりの実家はその下に在った貧相な商店街の魚屋。彼女は下から上へ移ったわけである。私が普段利用する交通機関は京浜急行、黄金町は最寄り駅と横浜駅の間に在る。沿線に沿う大岡川は桜並木の名所、シーズンにはこの界隈を散策するが、今や裏イメージはまるでない。それは著者が子供の頃釣りのために自転車で通った異臭漂う赤レンガ倉庫周辺の海も同じ、景観の激変と水質の改善に時代を感じている。

その土地を熟知し、愛する者が著した本、それがよく伝わる一冊だが、私の暮らしてきた所がどこも“本来の横浜”ではないことを改めて念押しもされた。

 

6)屈辱の数学史

-数学・数字にまつわるトラブルの数々。数学漫談家の笑い話で終わらないネタ本全面公開!-

 


夏休みに入った。小学生から大学生まで想い出作りの季節とも言える。受験準備に明けくれた高校、それから解放されアルバイトと旅行の大学。この二つはいわば本人次第の夏だが、小中学校の宿題は何とも鬱陶しいものだった。それでも社会科や理科、図工の自由研究は好きなものが選べたから割と早めに片付き、休み明けの発表会が楽しみだった。いけないのは読書の感想文、それに日記。特に日記は代わり映えしない毎日の出来事をいくつか列記する程度で済ませた。こんな70数年前の夏に思いをはせながらフッと浮かんだ疑問は、算数・数学の宿題はあっただろうか?どうも記憶にない。たまたま頭を過った数学に関する疑念から本書を読むことを思い立った。

24時間危険物を扱い、数年間にわたって連続運転する石油精製・石油化学にあって“安全操業”は至上命題である。当該業界に限らず、他のエネルギー産業(電力、ガス、原子力)・化学・鉄鋼・鉱業・土木建設・輸送(鉄道・自動車・船舶・航空機)などの事故について数多くの著書・文献を読み、そこから安全対策・維持のヒントを得てきた。それは研究開発から設計・製作・建設・運転・保守・廃棄に至る装置工業経営のあらゆる面におよぶ。そしてそこに共通するトラブルの原因は、人間と数字・数式・時間・単位の関わりである。本書は工学や生産に留まらず、社会活動全般にわたる数字にまつわるトラブルの数々を、いくつもの切り口から紹介し、それらの因となった数学的ミスに注意を喚起するものである。「「数学は重要でない」と言う発想が社会の中にある。これを改めたい」が著者の出版意図だ。原題は「A Comedy of Maths Errors(数学ミスの喜劇)」、多くの死者を伴う事故例もあるが、 “笑っちゃう話”や“笑うだけでは済まされない話”が大部分の、なかなか奥の深い愉快な本である。何と言っても、著者は高校数学教師を務めたことがあるものの、1980年生まれの人気英国人数学漫談家(スタンダップ・コメディアン)なのだから。

導入は、1995年ペプシコーラが展開したポイント・キャンペーンから始まる。75ポイントのTシャツから始まり最高は700万ポイントで英国製ハリアー戦闘機(垂直上昇が出来る。推定価格2000万ドル)がもらえる。ペプシコの企画担当者は話題優先で価格など確かめずにキャンペーンを打ったが、これに真面目に挑戦した人がおり、700万ポイント(ペプシ70万ドル相当、この金額の小切手を法律家経由で送付)を集め「ハリアーをください」と申し入れたところ、「あれはジョーク」とかわされ裁判沙汰になる。結論は原告敗訴となるのだが判事がこれをジョークと認めるには大いに苦労している。人間が大きい数字の把握に弱い証しとして紹介する。

私が過去に読んだ数学ミスに類する事故は航空に関するものが多く、既知の話も取り上げられている。ヤード・ポンド法とメートル法を勘違いして給油、大型旅客機が緊急着陸した話が載っている。新しいところでは、20049月南カリフォルニア空域管制で起こった約800機におよぶ管制不能事件。ここで使われていたコンピュータの時間管理は4,294,967,295から1ミリ秒毎にカウントダウンする方式。この数字は4917時間247.296秒に相当し、これを超すと時間管理が出来ない。マニュアルでは30日でカウンターをリセットするよう定めていたのだがそれを失念、50日目に突入航空機との無線連絡が完全に断たれてしまったのだ。

確率の事例では高校教師時代の生徒の対応の見分け方の話が面白い。宿題として「コインを100回投げてその表裏の順序を書いて提出せよ」を課す。真面目に100回やる生徒と途中で止めあとは適当に並べた生徒を如何に見分けるか。途中で止める生徒は50%に近い。100回程度では50%に収斂しないのが現実なのだ。これと似たような話が脱税を目論む申告書を見破る手段として使われている。どんな人間も数の表記に癖があり、ごまかそうとする者は末尾の数字に05を避けるがその他の数字に規則性が残るのだ。さらに桁数の多いお金のデータは最上位から順に現れる数字の頻度が異なることが分かっており「ベンフォードの法則」として認められている。これを納税申告書に適用するとかなりの確度で虚偽申告を摘発できるのだと言う。我が国のマル査もこれを使っているのだろうか?

幾何に関する例も痛快だ。スポーツや道路標識で使われるピクトグラムと呼ばれる図形。英国のサッカー場を表す標識は円の中に六角形の白黒が散りばめられている。しかし、実際のボールは五角形の黒と六角形の白の組合せである(両者の写真あり)。全部六角形では球形にならないのだ!

測量例;ドイツ・スイス間の川にかかる橋の建設が双方から進められたが結合部で27cmも差を生じた。ドイツは北海を、スイスは地中海を海面基準としていたからだ。

最近の事例を中心にしているのでコンピュータ絡みが多い。十進法と二進法の違いからくる問題、プログラミングミス、スプレッドシート操作の限界、乱数に基づく暗号とその解読など、笑いながらも利用上の留意点として教えられることが多々あり、極めて優れた数学読本、楽しい数学に関する夏の想い出ができた。

それにしても邦訳題名が酷い!数学史は多少出てくるものの(例:ユリウス暦からグレゴリオ暦への切り替え;当初はカトリック世界のみだったから欧州歴史年号表記に混乱を生ずる)、“屈辱”は完全な誤訳。意図的に数学の印象を貶めるもの。編集者・出版社(書籍タイトル名決定者は著者・訳者ではなく編集者)に強烈な怒りを感じつつ読了した。

 

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