2011年7月19日火曜日

決断科学ノート-82(大転換TCSプロジェクト-19;ヴェンダーセレクション-2)

 英語の要求仕様書に基づく説明会がニュージャージーのERE(Exxon Research & Engineering)でひらかれたのは、1980年年央である(正確な時期を思い出せない!)。対象は2グループ、米ハネウェル・山武ハネウェルグループとIBM(米・日)・横河グループである。日本人参加者は、東燃は無論、山武、日本IBM、横河から大勢のメンバーが出ているが、基本的に全て英語ベースである。後にも先にもこんな仕様説明会は行われていない。全体説明の後には、各グループ(場合によって各社)との質疑も数日用意されているが、国内競札に比べ短期集中は否めず、関係者の苦労は受発注双方とも大変だった(最終見積もり提案までの期間は1ヶ月位あったが)。
 東燃のメンバーは前回記した中央推進チーム、リーダーのMTKさん始め、SGWさん、TKWさん、HRIさんなどだが皆海外出張も数多くこなし当該分野における英語力には問題なかった。また、山武ハネウェルや日本IBMの担当者(MTIさん、HRYさん、OKNさんなど)も会社の性格(米外資系)から英語によるコミュニケーション力に長けている人が多かった。しかし、当時の横河電機は海外ビジネスを展開しているとはいえ、実態はほとんどエンジニアリング会社の下で行っており、米国法人はあったものの工業計器の市場規模は小さく、充分なスタッフを抱えるほどではなかった。つまり、本社も含めてこのような異形の応札に対応できる体制にはなっていなかったのだ。
 かてて加えて、ACS(IBM製品)とCENTUM(横河製品)を結ぶ通信機能は次世代システムの当に要(かなめ)。話し合いは対東燃ばかりではなくIBMとの間でも行わなければならない。この分野はIBMも日本人スタッフの担当領域ではなく、本社の専門家と詳細な詰が必要なのだがはかばかしく進まない。帰国後聞かされたところでは、MTKさんが専ら通訳の役目を果たしたとのことであった。
 しかし、横河がここで体験した苦労はその後の海外ビジネスにおいて大いに力になったことは間違いない。例えば、このときのまとめ役のTMTさんは、これが一大転機となり、横河の海外システムビジネスに欠かせぬ人材として、世界にその名を知られるようになっていった。後年私が横河グループに加わると、「TMTさんを知っている」と言う人(横河関係者でない)に何人も会うことになる。
 ビジネスモデルと言う点で、ハネウェルグループは資本が一体であることからまとまりもよかった。これに対してIBM+横河には「どこまで一体感のあるシステムに仕上げられるか」不安があった。従来のIBM商法は“自社製品を販売する”ところまでが限界であり、あとはユーザーの責任となる。もし国内で日本IBMを対象に見積もり照会を行っていれば、ACSが国内で正式販売されていなかたので、このビジネスモデルが適用されたのではなかろうか?
 EREと一体となり米国で競札を行ったことで、IBM本社が動き、こちらの要求仕様に合わせるべく基本システムに一部手を加えたり、横河との共同作業(境界は明確に分けるが)を推進体制が出来たりした。本来バッチベース処理ベースの汎用機O/Sの上で動く、特殊なリアルタイムO/Sはもともと宇宙開発技術の一部なのだが、この分野の専門家が次世代プロセス制御システムのために動員されることなど、IBMの底力を垣間見ることにもなった。

(次回;ヴェンダーセレクション-3;競札結果)

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