2013年7月31日水曜日

今月の本棚-59(2013年7月分)


<今月読んだ本>
1)ビッグデータの覇者たち(海部美知);講談社(現代新書)
2)ChurchillPaul Johnson);Penguin Books
3)チューリングの大聖堂(ジョージ・ダイソン);早川書房
4)パーフェクト・ハンター(上、下)(トム・ウッド);早川書房(文庫)
5)中国 二つの罠(関 志雄);日本経済新聞出版社

<愚評昧説>
1)ビッグデータの覇者たち
ITに半世紀前から関わってきた者には、主に米国から同じような利用対象を新技術で化粧直ししたビジネスが10年位のサイクルでもたらされ、その都度ユーザーが振り回されてきたように感じる。MIS(経営情報システム)、CIM(統合生産情報システム)、SIS(戦略的経営情報システム)、ERP(統合経営管理システム)などなど、ユーザー企業に向けて「先進ユーザー(特に米国の)はもうお宅のような古いシステムではなく、最新の技術を駆使した新しいシステムを利用して競争優位にたっていますよ」と言う具合にである。
ユーザーとしてまたシステム・インテグレータとしての経験からこのような動向を振り返ってみると、概念・構想は魅力的だが最新技術利用の適用性(経済性や操作性、性能)がそれに付いてこられなかったところに、狼少年的な評価をしばしばくだされてきた主因があるように思う。
そして今はやりのクラウドはコンピュータ・センター同様に思えるし、ビッグデータは統合データ・ベースやデータ・センター構想、さらには、データ・マイニング(蓄積された多くのデータの中からのビジネスに関わる情報を発掘する)の延長線上にあるように見えてくる。何が違うのか?「先ず軽い本から入ってみよう」こんな思いで本書を読むことになった。“覇者たち”が技術的な詳細説明とは異なる印象を与えたからである。
全体で7章構成のうち始めの2章は“ビッグデータとは何か”の導入部。この言葉を一般に知らしめた映画「マネーボール」(大リーグ貧乏球団勝利の方程式)などを援用して統計・数値解析などの基本と効用を解説。ここまでは“何度も聞かされた話”とダブり「またか」の印象。しかし第3章で本書の“覇者”の代表、グーグルの検索エンジンや経営戦略に話しがおよぶと、単なる数値解析とはまるで異なる世界が見えてくる。
自分でグーグルの検索エンジンを使い始めて既に10年位経過している。最近は確かに“これが見たい”と言うものが最初に出てくる割合が高くなってきている。それどころか、少し集中的に何かを調べると、検索結果以外(自分や友人・知人のHPやブログ、無料ゲームソフトなど)にも関連の広告がベタベタ表われる。
検索エンジン以外にもグーグルはメールや文書作成・保存のサービスを無料で提供している。これらも総合的に活用して、特定個人向けの情報提供(広告、売込みなど)を整えてきている(Amazonも同様)。これに地図情報や画像・動画なども組み合わせればユーザーは丸裸にされる可能性もある(既にプライバシー侵害の訴えが起こっている。それだけに、もう一つの覇者、フェースブック(FB)は(膨大なデータを貯め込んでいるのは確かだが)この分野のサービスに慎重である)。
無論ビッグデータの活用は企業や個人の日常生活に関わるものだけでなく、純然たる科学技術の分野にもおよんでいる。現代の天文学は電波望遠鏡で集めた、当に星の屑ほどある、宇宙からの膨大な信号を解析することから始まるようだ。新恒星の発見などは専らこの手法に依ってもたらされるのだという。
プライバシーや使い方などまだまだ問題はあるものの、従来概念・理念先行で適用性(技術・操作性・経済性など)が後追いになりがちだったITの一利用分野がどうやら身近なものになりつつあり、目が離せないテーマであることを知らされた。
“ビッグデータ”と言う流行語?の全体概要を理解する入門書として、お薦めできる一冊である。
著者は日本の大学(社会学)を卒業後スタンフォード大MBAコースで学び日本企業にしばらく勤務した後、シリコーン・ヴァレーでITウォッチャー兼コンサルタントをしている女性(主婦でもある)。本書の中で、プライバシーに関して「知られることで効率的に情報が入手できることが少なくない。ネガティヴに捉えない」と言っている。情報過多といわれる時代、情報をビジネスにする人の一言として一考させられた。

2)Churchill
私の作業机の前の壁には、チャーチルが生れたブレナム宮殿で6年前求めた、彼を描いた絵葉書が画鋲でとめてある。眉間にしわを寄せたその表情は、第二次世界大戦の厳しい時期を指導者として生きた、心の内を象徴するようだ。
OR(オペレーションズ・リサーチ;応用数学の一分野)の普及に大きな影響を与えた人として英OR(英国では“オペレーショナル”・リサーチと言う)学会のHPにその一端が紹介されてからすっかりチャーチル・ファンになってしまった。従って本棚には“チャーチル”を冠する書籍が、洋書も含め20冊以上ある。第二次世界大戦とORに関してはほぼ出尽くしているのだが、それでも新しい本が出るとつい求めてしまう。今回も日経BP社が訳本を出したことが動機である。
訳本の広告を見たとき「オヤッ?」と思った。著者名が大きく書かれ少し小さく二人の訳者名と“解説野中郁次郎”が記されている。“有名人監修者と複数の翻訳者”これは要注意、誤訳・迷訳・欠陥翻訳のおそれがある。そこでAmazonの“中身閲覧”をチェックしてみた。書き出しと終わりの数ページ、それに訳者のあとがき、さらにそれらに倍する解説を見ることができた。翻訳者が二人になったのは最初の訳者が急逝したため途中から代わったことが分かり納得した。また翻訳そのものに不満は無かった。しかし、問題は“解説”である。解説者が軍事に詳しい経営学者(防大教授→一橋大教授)であることはよく承知している(一度座談会とその懇親会で一緒になり、以後現役時代は年賀状のやり取りをしていた)のだが、あまりにも解説が長く、自らの知識披瀝と“経営”への関連付けが濃すぎるのである。しかも解説の全体構成は別の人間(ジャーナリスト)が行っている。「この翻訳本は何かおかしい。著者の執筆意図を曲げているのではないか?」 そんな疑念が湧いてきた。そこで原書を読んでみることにした。
先ず本の厚さである。ペーパーバックで170ページ。ここに誕生から死までを書くのだから、歴史的によく知られたことは一応記述されているが、深さに限りがある。本書が他の多くのチャーチル物と異なる点は、長いジャーナリスト経験で集めた小話や秘話にある。
例えば結婚にまつわる話。彼の妻となるクレメンタインは伯爵家の令嬢だが、その母には多くの愛人が居り、誰が父親なのか定かではない。可能性のある一人はミルフォード男爵だが、この男は一時期チャーチルの母の愛人の一人でもあった。ウィンストンがランドルフ(父)の子であることは間違いないのだが、などと言う逸話が披瀝される。
確かに終章ではチャーチルのリーダーとしての資質を掘り下げ、“チャーチルなかりせば英国はどうなったか?”を論じているが、これを“経営”と結びつけることは牽強付会のそしりを免れない。野中解説は専らこの章を過度にクローズアップしているのだ。
私の読後感は、功成り名を遂げた老ジャーナリストが、幅広い読者を対象に、愛してやまない人物を、人間関係を中心にウィットで描こうとしたものとの感が強い。その雰囲気が訳本に出ているのだろうか?大いに疑問の残るところである。ここら辺りの問題は訳者や解説者にはなく、本来出版社・編集者の責務であろう。
著者は英国人ジャーナリスト・歴史家。チャーチル首相就任時13歳、父と伴にその就任演説を聞いている。オックフォード卒業後兵役服しジャーナリストに転ずる。1950年代チャーチルに取材したこともある。一時期サッチャー首相のスピーチライターでもあった。

3)チューリングの大聖堂
現代のディジタル・コンピュータは、英国の数学者、アラン・チューリングが提唱(1936年)した万能マシン(チューリング・マシン)の構想をハンガリー生れ(戦前にアメリカンに移住)の数学者、フォン・ノイマンが実現した“プログラム内蔵式”コンピュータに発する。巷間米陸軍の弾道計算機、ENIAC1943年開発開始~1946年稼動)をその起源とする説が一般的であるが、ENIACのプログラミングはスウィッチ板や配線などのハードウェアで行われ、計算方法を変えるには著しく柔軟性を欠いていた。高性能な計算機械のこの隘路解決のために、マンハッタン計画の一員であったノイマンが、水爆開発に際して考案したのが、数値データも計算処理手順もデータや命令の収納場所も二進法で表す、現代のコンピュータにつながる、プログラム内蔵と言う処理方式である。この方式のコンピュータはENIAC進化の過程でいくつか製作されるが、ハードウェアの設計を含め本格的に開発されたものは、プリンストン大学高等研究所(Institute for Advanced StudyIAS)のIASマシン(1952年;別名MANIAC)である。
表題の“大聖堂”はこの高等研究所のこと。アインシュタインも所属したこの研究所こそコンピュータ創世の地(原爆開発のオッペンハイマーが所長を務め、チューリングも滞在する)。極めて自由でユニークな研究環境だったからこそノイマンのような、既存の枠にとらわれない万能科学者が、思う存分力を発揮し、現代のディジタル世界が到来したのだ。それを仔細に辿るのが本書の要旨である。
とにかく登場人物、対象分野が無茶苦茶多く、時間は計算機械の始祖ライプニッツなどは除いても1900年代から1980年代までおよぶし、場所も米国内のみならずヨーロッパ(主に東欧)と目まぐるしく変わる。人物紹介にリストアップされた人数は80人(東欧系ユダヤ人が多い)、ノイマンやチューリングは無論他のメンバーも誕生や結婚、人間関係、業績などに触れる。対象分野は電子工学や応用数学、論理学のような基盤学問・技術だけでなく、コンピュータ利用分野;核物理、宇宙物理、気象学、生理学、遺伝学、人工知能、航空工学などにそれぞれ章が割り振られるくらい広い(計算の時間軸は10-7乗;核爆発から10+17乗;太陽の寿命)。ハードカバーで600ページ、当然私の知識では消化しきれないところも多く、読み飛ばすところもあった。
それにしてもこのようなコンピュータ開発・利用全てに関わり、見事にマネージメントしたノイマンの凄さである。構想作り、そのための資金集め、人材発掘・処遇(特に理論中心の科学者の中で技術者を処遇することの難しさ)、利用先開拓、特許問題、大学管理業務を一人でやってのけるのである。当然その反作用も大きい。MANIACの最大のユーザーは原子力関係、運営資金は著しくここに依存する。しかし、ノイマンは1954年アイゼンハワー大統領によって原子力委員に選ばれる。言わば利用発注の元締めになるわけで、受注責任者のポストを兼ねるわけにはいかない。ノイマンがIASを去ると科学者の巻き返しが始まる。技術者もコンピュータ設備も理論研究者(中核は数学者、数理物理学者)には目障りな存在。カースト制度の復活で人もカネも去っていく(IBM発展のブースターともなる)。そんな中で19572月、ノイマンは癌でその生涯を閉じ、翌年MANIACも停止する。
この本に日本が二ヶ所出てくる。一つはオッペンハイマーが国家機密漏洩で所長の地位を追われるとき、後任として角谷(かくたに)静雄を候補に推す(結局他者になるが)。終戦間も無い時期に日本人が!知らない人だったので調べてみた;ゲーム理論や経済学で今でも使われている「不動点定理」を発案した数学者で当時IASに所属していた。
もう一件はビキニの水爆実験で被爆した第5福竜丸である。計算では6メガトンと予想されたが、実際には15メガトン以上の出力があり、おそらく史上最大の人的エラーであった、としている。
著者は科学史家。父親のフリーマン・ダイソンはIASに所属した理論物理学者。それだけに思い入れは一入だったのではないか。
個人的には仕事と密接に関わるテーマだけに、知られざる苦労話満載で面白く読むことができた(例えば、真空管の選択で「高信頼度のものを特別に調達せず、最も普及しているものを使う」ことに決まる経緯など)。また、コンピュータ開発そのものではないが、IASの誕生・運営に関わるドロドロした世界を、本欄でも何冊か紹介した“工学部ヒラノ教授”シリーズと対比して、垣間見ることが出来たのも収穫であった。
しかし、先にも書いたように、あまりに対象分野が広く、時代が長く、多数の人物が登場するので話しの脈絡がしばしばつかなくなる。訳者もそう感じたのか訳者あとがきに章ごとのダイジェストを書いているほどである。

4)パーフェクト・ハンター
小説はほとんど読まないが、軍事サスペンスだけは例外である。もともとは飛行機好きから入ったから、航空小説は20代から随分読んでいる。この分野は米国物が圧倒的に多いし面白い。次いで海戦物、ここは何と言っても英国である。セシル・S・フレッチャー、ダグラス・リーマン。陸の戦いは正規軍同士が正面からぶつかり合うような小説はあまりなく、専ら特殊部隊の活躍を描いたものが多い。第二次世界大戦ではジャック・ヒギンス、ケン・フォレットなど英国の作家が面白い作品を数多く出している。ベトナム戦争になると当然米国と言うことになる。
純然たる戦闘を少し離れたところに、諜報戦(スパイ戦や暗号解読)があり、ここも伝統的に英国が優れる。古くはグレアム・グリーン、冷戦下ではジョン・ル・カレ、レン・デイトンらが数多くの秀作を出している。ベトナム戦争以降はゲリラやテロ集団相手の戦いが主流になり、ここではタフな一匹狼が活躍する狙撃物や特殊部隊出身者の犯罪解明劇などが題材になる。フレデリック・フォーサイスの一連の作品などがその代表だろう。彼も英国人だ。
早朝のパリ、仲介者を介して殺しを依頼された一匹狼の殺し屋が人気の無い街路でダーゲットを手際よく仕留める。目的は男が持っていたUSBメモリーにある。一旦宿泊先のホテルに戻り、このUSBを仲介者に渡さなければならない。しかし、予期せぬことにホテルには彼を狙う別の殺し屋グループが張り込んでいた。
主人公は知らないが、メモリーの中身は演習中に事故で沈んだロシア海軍駆逐艦の位置を正確に示す情報。その艦には極めて高性能の艦対艦ミサイルが装備されていた。CIASVRKGBの後身)がそれを求めて暗躍する。一方彼はスイス、ドイツ、ハンガリー、ロシア、キプロス、タンザニアと移動しつつ、謎の殺し屋グループの依頼元を探るが、一匹狼ゆえ頼るところも無い。カギはUSBメモリーと仲介者だ。しかし、メモリーはパスワードに守られ中身に至れない。仲介者との連絡手段はメールと携帯電話だがどうやらモニターされているらしい。その仲介者にも別の凄腕暗殺者が迫る。
拳銃・狙撃銃・自動小銃・手榴弾・高性能プラスチック爆弾・ナイフ、戦いの場で使われる武器も多様だが仕様・効用がその都度詳しく説明される。部屋の造作や建物のプロット、地形や天候も臨場感をもって伝わる。美食や美女は一切登場しない。ハードでクールな雰囲気で最後まで押し通すところが好みだ。
著者は33歳(2013年)の英国人、清掃員・工場労働者・スーパーのレジ係などさまざまな下層労働者の仕事を経験している。これが処女作。既に第2作目「ファイナル・ターゲット」が翻訳出版されたので、直ちに購入した。スパイ物は何と言っても英国だから。

5)中国 二つの罠
中国物は書店に溢れ、玉石混交、日本人が書いた脅威論と没落期待論が特に多い。こんな内容が多分よく売れるのだろう。著者を知らない人には、タイトルから、この本も関(せき)さんという人の書いた“没落論”に見えるかもしれない。
著者の関(カン)さんとは145年前仲介する人があり3人で昼食を伴にしたことがある。仲介者が遅れてきたので、知らぬ者同志で名刺を交わした。当然先方は「カンと申します」と流暢な日本語で挨拶されたが、目から入った情報は“せき何お?”と読むのだろうと一瞬自問した。その後関さんの名前は日経新聞などでもよく見かけるようになり、中国経済のアナリストとして第一人者の地位を確かなものにしていった。その関さんの最新著作が出たので読んでみることにした。
“二つの罠”とは「中所得の罠」と「体制移行の罠」である。いずれも中国に限った問題ではなく、前者は世界銀行、後者は清華大学の研究グループが提示した概念で、新興国が先進国に変じる過程に立ちはだかる障害物である。
「中所得の罠」は、安い労働力あるいは豊富な資源を基にする後発優位性、輸出主導の経済である。各種格差の解消、内外需のバランス、産業構造の改革(重化学工業一辺倒でない)が達成されて始めてこの罠をくぐり抜けることができる。中南米の国々はこの状態からの転換が上手くいかず、中進国の状態に留まっている。
「体制移行の罠」は、台湾・韓国などの経済発展期に在った“開発型独裁”政治体制と酷似する現在の共産党一党独裁による資本主義経済が、民主的市場経済体制に混乱なく移行できるかどうかの問題である。
GDPの総額やその伸び率、貿易収支などから見て中国は現在この転換領域に入りつつある。この二つの罠をかわすことが出来るだろうか?かわすためには何をしなければならないだろうか?為政者たちはそれに備える手を打っているだろうか?一般大衆がそれらの施策を受け入れる社会になっているだろうか?本書は、これらの疑問に関して、この問題を段階的に掘り下げ、各論レベルでの中国国内における議論やデータも交えながら、主に経済活動に主眼を置いて(とは言っても政治抜きで何も動けない国柄ゆえ、政策に関する解説・考察は頻繁に出てくる)調査分析した研究報告書である。
当然ではあるが、読んでみて二つの罠が並列に存するのではなく、「体制移行の罠」が上位課題であることがあらためて確認できる。そしてそれが国家存立思想(共産党独裁)論議と不可分であるため、踏み込みに限界があることを痛感させられる。つまり個々の経済問題に関しては、政府の対応策や研究機関などの見解を示し(この部分はかなり丁寧で、対立する考えなども併記され、中国指導部の実態がよく理解できる;例えば、中所得の罠に対する楽観論(国務院発展研究センター)と慎重論(人民日報))、著者も具体的な解決案を提示しているものの、いつ・誰が・どのようにやるのかは必ずしも明確に見えてこないのだ。そこはエコノミストの範疇を超えた政治学や社会学の世界と言うことなのであろう。
中国における、この体制改革の難しさについて、面白い論が紹介されている。これは著者の持論ではなく、オーストラリアの大学教授だった中国人の「後発劣位論」の中に出てくるもので「制度改革の代わりに技術ばかりを模倣することは、短期的には効果的であっても、長期的に見ると、コストがきわめて高く、最終的には失敗してしまうことになる」と述べ、清朝の「洋務運動」とわが国明治政府の施策を対比させる。「洋務運動は、政治制度は変えず国営工場で技術だけを模倣したが、これは体制側に利するところはあったものの、国民を犠牲にしてしまった。これに対して、明治政府は官営工場を創ったものの、その数は少なく、直ぐに民間に払い下げ、政策立案・施行と経営方式(制度)を洋式に変えた」 こう言って教授は制度改革の重要性を訴えるのである。これは見かけ上国営企業の経営方式(税金も配当も無い;内部留保は内々で処分される)を批判したように取れるが、現在の政治制度を変えずに経済システムだけ資本主義を採用している国家統治システムを糾弾しているようにもとれる。
著者は香港人。香港中文大学で経済を学び、東京大学に留学、経済学博士号取得。現在は野村市場経済研究所シニア・フェロー。先月の劉傑氏同様、中国側の資料を、批判も加えながら、ふんだんに活用してまとめられている点が、日本人の同種のものに比べ新鮮で説得力がある。しかし、先に述べたように“研究報告書”が基になっているため、読み物のとしては硬質感が否めない。専門家向け書物と言えるだろう。
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以上

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