2017年2月13日月曜日

台湾一周鉄道旅行-15


12 .花蓮へ
さていよいよ今日(1123日)は台湾一周鉄道旅行の山場である。1994年初めて訪台した時、台北でのセミナーを終わり研究都市新竹まではそこに住む工業技術研究院化学研究所のスタッフにクルマで送ってもらい、翌日昼前別のスタッフが高雄まで鉄道で同行してくれた。翌日の中國石油公司高雄製油所訪問のためである。当然新幹線は通っておらず在来線のディーゼル急行“自強号”を利用した。今回は嘉義で一泊したものの台北・高雄間はすべて新幹線、在来線に乗るのは今日が初めてである。加えてこれから先の路線は、“それなりに”面白そうなのである。先ず台湾の東側はほとんど大都市がなく、長く過疎の地だったこと、都市が発達しなかったのは急峻な山岳地帯がいきなり海に没するような地形であること、それ故に景勝地が数々あること、そして何といっても1980年代まで南部を周回する鉄道が敷設されていなかったことである。
今回の旅の参考資料、宮脇俊三の「台湾鉄路千公里(1980年乗車)」に依れば、彼は先ず台北から時計回りで花蓮に至り(ここまでは標準軌)、そこから先台東までは狭狭軌(762mm;阿里山森林鉄道と同じ)を走る急行光華号に乗換えて南下している。狭い軌間にもかかわらず、平均速度60km/時、最高速度は80km/時を超えるスリルを「乱気流の中を行くジェット機」と恐怖感をもって語っている。その先に鉄路はなく台東から西海岸、高雄の南に位置する枋寮(ふぁんりゃお)までは路線バスを利用している。この宮脇も経験しなかった未開通区間が今では在来線でつながり、花蓮まで標準軌に更新されているのだ。
715分高雄発花蓮行きの自強号301号に乗るため朝6時にモーニングコールを頼んでおいた。こんな時間に食堂は開いていないので今日も朝食弁当が用意されている。620分にチェックアウト。天候は曇りで朝から蒸し暑い。MRTで高雄站へ。新幹線の左営站が新大阪駅とすればここは在来線の大阪駅。今の大阪駅が新幹線開通時(1964年)と様変わりなのと同様、駅舎とその周辺に20数年前の面影はまるでないが、プラットホームだけはそれほど変わっていない。
丁度通勤ラッシュが始まる時刻、近郊列車の出入りもあるホームで待つことしばし、自強号が入線、始発と思いきや既にかなり席が埋まっている。台南辺りからやってきたのだろうか?座席指定なので席は確保できたが荷物の置き場所がない。仕方なく、使われていない湯茶サービスコーナーに置くことにする。電車を想定していたが昔と同じディーゼル。それもかなり古いタイプ、中央部左右に排気管を立ち上げるスペースが車内に食い込んでいる。クーラーが強く寒いくらいだ。列車は定刻に発車、高雄郊外と言ってもいい屏東、潮州などに停車する。この間サンドイッチ・ジュース・果物の、あまり代わり映えのしない弁当を食す。
8時頃枋寮を過ぎると左手は山並みが続き、しばらくすると右手に大海原が開けてくる。いよいよ東海岸だ。海に注ぐ中小の河川がいく筋も現れるが水量は少ないものの、河原は大きな石だらけ。山を下る水勢の凄さをうかがわせる。洞門形式(海側に明り取りの窓がある)のトンネルをときどき通過するので山が急に海に落ち込んでいる地形なのだろう。920分知本と言う駅に着く。団体客がいく組か下車、温泉場のようだ。
さらに20分もすると台東、しかし駅周辺に都会らしい雰囲気はまるでない。市街中心地は別の所に在るのだろうか?台東から路線は海を離れ山中を走る。比較的日本の内陸部に近い景観だ。10時瑞源、珍しく稲作の田んぼが広がる。1037分玉里、乗降者が多い。沿道を見ていると、天候悪化の兆し、雨がぱらついている。単線のため何度か入れ替えのため停車するたびに、雨脚が強くなっていくのがわかる。この入れ替えで列車は遅れ始め、激しい雨の中花蓮到着は1210分、30分遅れである。12時前に着いて、太魯閣(たろこ)観光を予定していたが、どうするか?

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(次回:花蓮)

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