2023年6月30日金曜日

今月の本棚-179(2023年6月分)

 

<今月読んだ本>

1)歴史を知る読書(山内昌之);PHP研究所(新書)

2)ハマのドン(松原文枝);集英社(新書)

3)文豪、社長になる(門井慶喜);文藝春秋社

4)ラザルス(ジェフ・ホワイト);草思社

5)事務次官という謎(岸宜仁);中央公論社(新書)

6)「線」の思考(原武史);新潮社(文庫)

 

<愚評昧説>

1)歴史を知る読書

-歴史偏向を無くす読書法伝授。多種・多様・多読に尽きる!-

 


ビジネスの世界を引退したらOROperations Research;軍事作戦への数理応用)に関する歴史研究をしたい、40代後半からそんな思いを持つようになり、文献収集などを進めてきた。英国に発した学問だけに、彼の地で学ぶ伝手を探り、2006年その道が見えてきた。そこで、高齢者が大学院で学ぶことについて、先駆者だった会社の大先輩に経験談を聞かせてもらった。この人は昭和28年(1953年)旧制大学卒で専攻は石油工学、技術部門の要職を務め、役員で退職した後東大大学院で石油業に関する歴史研究を修めていた。研究課題は、アルメニア出身(トルコ国籍)の石油王カルースト・グベンキアン(1869319557、イラクの石油利権を基にロイヤルダッチシェル株の5%を保有する大富豪、第2次大戦中からリスボンに住み、グベンキアン美術館はツアーコースになるほど有名、先輩もここを訪れ調査活動をしている)の足跡をまとめることにあった。そのため指導教官として希望したのが、中東・イスラーム研究の第一人者であった本書の著者である。しかし、院生条件として示されたのは「アラビア語、ペルシャ語、トルコ語、ロシア語のいずれかを読解できること」。英語なら自信はあったが、これらの言語は全く未習、正規の院生となることをあきらめ、聴講生として指導を受けることになったとその経緯を話してくれた。爾来著者を強烈に印象づけられ、本書をひもとくことになった。

本書の構成は第1章「歴史書の愉しみ方と落とし穴」が歴史習得に焦点を当てた読書論、第2章~第5章がジャンル別書評(75冊)となっている。その第1章にこんなくだりがある。「20代後半から30代くらいにかけて、ひたすらイスラーム圏の文献と格闘して、日本語の本をほとんど読まない時期が2年ほどあった」「その後も、『中東国際関係史研究』(岩波書店刊)を執筆している時期は、日本語の本をほとんど読まなかった記憶がある」と。大先輩が難解な言語能力を問われた場面がまざまざと甦る。

歴史学に関心のある者は歴史研究と歴史小説の違いは承知している。しかし、多くの人は小説を読んでそれが歴史であるように誤解してしまう傾向がある。否、歴史に関するノンフィクションでも作者の意図や読み手の知識によって、しばしばバイアスがかかる。著者自身歴史エンターテインメント(小説、映像)の大ファンであることを認めながら、歴史ノンフィクション(研究書、解説書、評論など)を読むための心構え・視座を述べるのが第1章。ここは著者の歴史学者としての読書論、次章以下個別の書評を理解するために欠かせない。

印象的な例を一つ。頼山陽「日本外史」、著者はこれを司馬遼太郎の小説に匹敵するほど面白いとした上で、吉田松陰が門下生に講義する際、山陽が冒頭で「最初から順に読んでほしい」と断わっているにもかかわらず、関ケ原の戦いで毛利氏が敗れ領地を削られ長州藩が屈辱を受けた部分を抜粋講義、それが勤王の志士たちに影響、反徳川・反江戸幕府の書として解されていることを問題視、プルタルコス(AD1世紀)によるヘロドトス(BC5世紀)「歴史」に対する批判(悪意の塊りだ)に類する例と断ずる。著者によれば「日本外史」は源平二氏から徳川氏に至る武家盛衰史だが、本旨は平和の希求にあったとし、この種の誤読・偏読に警告を発する。だからといって、著者は松陰を一方的に難じているわけではない。第3章「歴史上の名著」に松陰が処刑を前にして残した「留魂録」を採り上げ、「遺言文学」というようなジャンルがあれば東西の筆頭に位置するに違いない、と高い評価をしている。

2章は「歴史を俯瞰する名著」、第4章は「近年の歴史学の成果」、第5章は「現代を読み解くために」と焦点を違えながら編集・論評している。それぞれの評の初出は新聞・週刊誌・書評誌に掲載されたもので1992年から2021年まで30年におよぶ、対象原著の出版時期は中世(イブン・アッティクタカー「アルファフリー-イスラームの君主と諸王朝史-」、江戸時代(儒学者佐藤一斎「言志四録」)から戦前(トマス・E・ローレンス;アラビアのローレンス「知恵の七柱」、石原莞爾「最終戦争論」)・近年(塩野七生「ギリシャ人の物語」、フィオナ・ヒル他「プーチンの世界」)まで数百年のスパンだ。中には「ブンヤ暮らし36年」、「外人レスラー最強列伝」のような極めて俗なものもあり、「偏りのない歴史観を磨くためには多種多様な読書が必須」との持論を垣間見せ、一冊3~5ページ程度の評が下される(総じて好意的だが時にやや批判的な含みを持たせるものもある)。

歴史を学び・歴史に学ぶ格好のガイドブック、さらに私にとっては本欄まとめに参考になるところ大であった。

著者は1947年生れ、東京大学名誉教授、専攻は国際関係史と中東・イスラーム地域研究。

 

蛇足;プルタルコス「ヘロドトス悪意」論における悪意をもって歴史を叙述する八つの特徴;①出来事を叙述するときに極めて過酷な言葉・表現を用いる。②ある人物の愚行を強調するために無関係な話題を持ちだす。③立派な業績や称賛に値する手柄を省略する。④同じ出来事の解釈が複数あるとき、悪い方を選ぶ。⑤事件の原因や意図がはっきりしない場合、信じるに値しない推論に手を伸ばす。⑥人の成功を金銭や幸運に拠るとして功績の偉大さを減らす。⑦婉曲に誹謗の矢を放ちながら、途中で非難を信じていないかのように公言する。⑧少しだけ褒め言葉を付け加えて難癖を薄める書き方をする。

最近の日本のジャーナリストや評論家にこんな輩がうようよ居る!

 

2)ハマのドン

-横浜カジノはいかに阻止されたか。県自民党最古参・港湾のドンと菅義偉の戦いをTVジャーナリストが追う-

 


1970年横浜に所帯を持ち、いったん離れた後1996年再び戻り、横浜市民としての通算は36年を超える。ここが終の棲家になるだろう。現在の人口は377万人、これは政令都市として第1位。一般会計規模は約19千億円、その内市税で賄えるのは9千億円、あとは国や県からの交付金、市債などでバランスをとっているが、市の累積債務は3兆円を超え、人口減・少子高齢化と相俟って年々赤字は増加傾向にある。このままでは市民サービス低下は必定だ。何かいい対策はないか?林文子市長は2期目(2015年頃)にカジノ誘致を言い出すが、これに対し横浜港運協会会長“ハマのドン”こと藤木幸夫が反対の声を上げる。本書は、TVジャーナリストがこの戦いを取材し書籍化したものである。

藤木幸夫は1930年生れ、沖仲士からたたき上げた父親幸太郎の創設した港湾荷役会社藤木企業の二代目である。大学卒業後家業を継いで業容を拡大、横浜港湾業界のトップに上り詰める。荷役業務の近代化に務め、日雇い労務者を技能者に転換させ、“上はヤクザ、下はプー太郎”のイメージを払拭する。1962年父幸太郎が藍綬褒章を受章した際の祝賀会写真が凄い。山口組三代目組長田岡一雄、東京住吉会会長阿部重作が両脇に並ぶ。父はヤクザではなかったが、そのような世界だったのだ。

政治への関係は深く長い。現存する神奈川県自民党員最古参、のちに通産大臣を務める小此木彦三郎(1928年生れ)の妻は藤木企業番頭格社員の娘、小此木政界進出の裏に藤木父子が居るのだ。そして菅義偉(1948年生れ)は小此木の秘書から横浜市議を経て衆議院議員になっていく。父子共々博打を罪悪視、早い時期から港湾労働者の賭博関与を戒めているが、IR基本法成立前後(20156年頃)は「市・市民が潤うなら」と賛意を示している。それが何故反対派に転じたのか。一つは“賭博依存症”へのおそれ、もう一つは地元におよぼす経済効果に対する疑念。市が示す数字はいずれも世界的なリゾート業者がはじき出したものばかり。港運協会のスタッフ、在米でカジノ施設建設に深い知見を持つ建築家などから寄せられた情報はこれとは大違い。利益のほとんどはカジノ業者(つまり外国)に持っていかれてしまうのだ。「これでは横浜のためにならない」これが党派を超えて彼の信念になって行く。

林文子市長は2009年民主党の支持を受けて誕生する。しかし、次第に自民党寄りとなり、その最大の後援者は官房長官菅義偉、2期目に入るとカジノ誘致に乗り出す。だが市民の反発は予想以上に強く、3期目(2017年~)を前に「カジノ誘致白紙」を宣言、三選を果たす。この時期2018年「IR実施法」が強行採決の上成立、「白紙は撤回の意ではない」と開き直る。一方で反対運動も活発化、藤木対林(菅)の戦いが本格化する。

誘致派や自民党は藤木の反対運動を「今は条件闘争。いずれ寝返る」と見ていたが、一向に変わる気配はない。それではと国と市がビジネスの締め付けにかかる。港湾荷役は、船会社-倉庫会社-荷役会社が一つのグループを構成する。藤木の場合は、マースク(MAERSK;世界最大級のコンテナ船会社)-三菱倉庫-藤木企業となる。横浜港にはいくつもの埠頭があるが最新で大規模かつ水深が最も深いのは南本牧埠頭(つまり大型船に適した)。ここを割当てられていたマースクを追い出すことを画策するのだ。これは経済合理性から見て全く理屈に合わない。こんな仕打ちもはね返し藤木の誘致反対は更に強固になっていく。

決戦は20218月の市長選に持ち込まれる。林市長は誘致賛成で4選を望むが、何故か自民党は積極的に支持しない。対する反対派は立憲民主党と組んで、これも横浜市を地盤とする衆議院議員江田憲司を担ぎ出そうとするが固辞される。ここで藤木が少年時代つくり世代替わりしつつ今も継続する野球チーム(かつ勉強グループ)が思わぬ役割を果たすことになる。政党とは縁の無い誘致反対グループと藤木たちを結びつけ、横浜市大医学部教授山中竹春を候補者として擁立するのだ。しかし、ここから市長選挙はさらに混迷の度を深めて行く。先ず前知事で維新の会から国会に進出した松沢成文がカジノ反対を唱えて立候補、元長野県知事を務めた田中康夫がそれに続く。そして最後のサプライズは、菅内閣の現職閣僚(国家公安委員長兼防災担当大臣)である小此木八郎(小此木彦三郎の三男、1965年生れ)が衆議院議員を辞しカジノ反対で市長選に参戦してくる。当に魑魅魍魎の世界だ。反対派の票が割れることを恐れたが、結果は山中竹春の圧勝で決着する。

選挙戦とは直接関係ないことだが、IR実施法に関しては裏で他にも汚い動きがある。カジノ税制に関し、財務省はマネーロンダリングや脱税防止のために日本人同様の扱いを外国人にも適用する案を作成していた。これに対しカジノ業界の大物ラスヴェガス・サンズCEOシェルドン・アンデルソン(トランプの友人、故人)が不満を述べると、当時自民党税制調査会会長だった甘利明(これも神奈川県選出衆議院議員)が、外国人は非課税にするよう財務省に命じている。

取り敢えずカジノ誘致は阻止されたが、ハマのドンは本年93歳、もし彼が逝けばその後はどうなるか?自民党と小此木八郎の唐突な行動を見るとき、まだまだ安心できない。読後はこれが心配の種になっている。

著者は生年不詳だが、テレビ朝日の報道記者・ディレクター・プロデューサーを経て、2015年経済部長。本書執筆時イヴェント戦略担当部長。

 

3)文豪、社長になる

-文春創刊100周年、創業者社長菊池寛を中心とした大正・昭和文壇史-

 


少年時代から大人に近づく時期(中学生の終わりころから高校生の間)、いろいろな面でその違いを感じたり、背伸びをして先へ進もうとしたりする。読書にもそれがあり、忘れられないのは高校2年(1955年)の時芥川賞を受賞した石原慎太郎の「太陽の季節」、これを読んだのは1956年それが月刊文芸春秋に掲載されたときである。「同じ高校生でこんな奴が居るのか!」衝撃的な内容だった。中学時代から父がこの雑誌をとっていたから本来なら我が家にあったはずだが、それで読んだ記憶はなく、同級生で回覧していたものが3年生になる春休み前後廻って来たように思う。もしかすると、私に読ませたくなく家に持ち帰らなかったのかも知れない。「太陽の季節」はともかく、この月刊誌は政治・経済・社会・文化記事満載、私にとって大人の世界へのガイドブックの一つと言っていい。最近の新聞記事でその創刊100周年が報じられ、その中で本書が紹介されていたので読んでみることになった。

“文豪”は作家菊池寛の意、文藝春秋は同人文芸誌として菊池によって創刊され、やがて総合誌に発展、先行する中央公論や改造と並んで影響力のある論壇誌の一つになって行く。本書は菊池寛の伝記小説の形をとった、文藝春秋社史と大正・昭和前期文壇史と言ったところである。

菊池寛(ヒロシ)の生年は1888年(明治21年)、旧制高松中学を経て最終的に京都大学英文科を卒業するのだが、その経緯はいささか変則的だ。中学では首席をとるほど良くできたが、旧制高校ではなく東京高等師範(のちの東京教育大学、現筑波大学)に進んでいる。しかし、学校の教育方針にそぐわず除籍になり、明大・早大などに一時席を置いた後第一高等学校に入学する。この時の同級生の一人が芥川龍之介(歳は寛より4歳若い)。寛はここでも卒業直前トラブル(マント盗難事件)に巻き込まれ、自ら退学届を出すが嫌疑が晴れ卒業検定試験のチャンスが与えられ無事卒業する。だが、これが汚点となり東大には入学を許されず、京大に進み卒業(1916年)、東京に戻り時事新報社記者として社会人生活をスタートさせる。同時に作家志望であったから龍之介や久米正雄らと同人雑誌を発刊、これが縁で漱石門下の末席に連なる。

漱石に真っ先に認められたのは龍之介。彼の仲介で中央公論に執筆の機会が与えられ、やがて新聞小説「真珠夫人」が大ベストセラー(1920年)、作家としての名声を確立する(このころからカンと称する)。経済的にも恵まれ、同人誌として「文芸春秋」を19231月創刊、龍之介がその巻頭言を書く。しかし、間もなく龍之介は創作に行き詰まり自死する(1927年)。因みに龍之介長男、のちの新劇俳優芥川“比呂志”は「字は変えるが」と寛に断わって名付けている。

直木三十五との関わりは複雑だ。直木は零細な出版社経営者、1920年寛を講演者として関西に招いたことが縁になる。何度も出版社を立ち上げたり編集を担当するがどれも上手くいかず、寛が文芸春秋のいわば雑用係として採用、雑誌の穴埋め記事を書かせているうちに作家のゴシップコラムが人気を博し、文春の売り上げ増に寄与する。しかし、関東大震災で関西に去り、再び出版や映画製作事業に手を出して失敗、寛が東京に呼び戻し小説を書くことを薦め、やがて大衆小説家として成功するが、結核に侵され間もなく他界する(1934年)。この直木の死をきっかけに、翌1935年芥川賞、直木賞が創設されるのだ。

本書に登場する作家は、龍之介、直木以外も多士済々。小宮豊隆、久米正雄、川端康成、横光利一、今東光、山本有三、宇野浩二、小島政二郎、石井桃子、野村胡堂、小林秀雄、火野葦平など大正・昭和の有名作家が名を連ね、まさに近代日本文壇史の趣きだ。

また、文藝春秋社史という面からは、寛のポケットマネーによる個人出版社から株式会社組織へ(菊池社長誕生)、その間に発した営業部門トップによる横領事件、文芸誌から総合誌への転換(同時にオール読物の創刊)、戦中・終戦直後の出版業や作家活動(それ故に菊池は戦後パージに遭う)、1947年狭心症で急逝する寛晩年の私生活、寛が採用したのちの文春編集者・経営者(池島信平等)の話など、出版業界の内部をうかがう話題も盛りだくさん、これも一読の価値がある。

先に触れた新聞の100周年記事では、著者を「社員よりも文藝春秋社の歴史を知る人物」と紹介している。久し振りに現代日本人作家の小説を楽しんだ。

著者は1971年生れ、2018年「銀河鉄道の父」で直木賞受賞。

 

4ラザルス

-最貧国北朝鮮から発射されえるミサイル、財源は大胆・精緻なハッカー作戦にある-

 


朝鮮戦争が始まったのは1950年(昭和25年)625日、確か日曜日、父と外出中近くの商店のラジオから流れるニュースを聴き教えてくれた。朝鮮半島のことなど何も知らいない小学校6年生夏休み前のことである。連日新聞に戦線の変化が地図で示され、国連軍が釜山橋頭堡まで追い詰められていく過程を夏休みの自由研究で発表した同級生(女子)が賞をもらったことを記憶している。この戦争は19537月休戦となるが終戦には至らず、今日まで続く。そして来月はその70周年を迎えるのだ。弾道弾ミサイルによる偵察衛星打ち上げには失敗したものの、このところ北朝鮮のミサイル発射デモンストレーションは続き、核兵器開発にも決意を新たにしている。「まだ戦争は終わったわけではない」の意思表示なのだ。しかし、ミサイルの価格は、開発費・打上費を除いても、短中距離用で12億円~7億円、大陸間弾道弾では30億円~40億円するという。世界最貧国の一つが、国家経済を破綻させずに何故こんなことが可能なのか?高度技術を駆使した闇経済・財政がそれを支えているらしい。本書書評でそれを知り、即購入した。

ラザルス(Lazalus)とは北朝鮮ハッカー集団のことで、北朝鮮問題に詳しいむきにはよく知られた名称のようだが、固定的な組織名ではなく、事件によって別名が使われることもあり、それらの総称として一般化されたものらしい。本書で取り上げられる事例も2013年から2020年まで期間も長く、犯行目的も幅が広い。

事例では金融資産の詐取が最も詳しく紹介されるが、そのほかに懲罰や社会混乱を狙うもの、北朝鮮と直接結びつかないネット犯罪(例えば広範な身代金ウィルス)や軍事・外交にも触れ、ハッキング行為の暗部を明かし、それに対する警告を発する内容になっている。

とは言っても主役は北朝鮮、国家としての生い立ち、社会構成(身分制度、教育制度)、経済・財政などに目を向け、ネット犯罪以前の国際犯罪行為(ドル偽札作戦)までさかのぼり、ラザルス活動につないでいく。

金融資産詐取で重点的に語られるのは20192月に起こったバングラディッシュ銀行からの10億ドル送金事件。数年前のメールに組み込まれたスパイソフトによって銀行内の取引手順確認や国際銀行間決済システム(SWIFT)の仕組みを解明し、ドル資産の預入先NY連銀にフィリピンの指定銀行へ振り込ませる詐欺の顛末である。イスラムは金・土、他の国は土・日が休日、それに時差まで勘案しての犯罪である。バングラデシュ銀行の取引確認はプリンター印刷ベース、送金指示を出す前にこのプリンターを殺すことからスタート、休日とは言えナイトマネージャーが出勤しているが何も印刷出力はない。NY連銀が一度に10億ドルの振り込みに疑問を持ち警告メールを送るが印刷されない。振込が始まったところでNY連銀のチェックシステムがフィリピンのリサール商工銀行ジュピター通り支店送金に警告が出る。イラン制裁の対象に“ジュピター”という船名があったからだ。振り込まれたのは8千万ドル。ここでNY連銀のスタッフがバングラディッシュ銀行からの振り込みを全面的に停止する。ただ、ジュピター通り支店に振り込まれた金は指定された5人の口座に振り分けられ、更に全額通貨両替サービス会社に送られペソの現金に両替され(500kg!)、二人の中国人がクルマで引き取り去って行く。それを追うと既に自家用飛行機で国外へ去った後だった。本来残されるべき自家用機の運航歴は何もない。このペソはどうなったか?著者はマカオのカジノ経由(市場規模ラスヴェガスの4倍)を疑うが、とどめがさせた訳ではない。

これに先立ち2016年ハリウッドのソニー・ピクチャーで大規模な情報流出が起こっている。経営情報・従業員個人情報・メールすべてが盗まれウィーキー・リークスを介して、全面公開されてしまうのだ。金正恩を扱ったコメディが怒りを買った結果である。FBIはこの事件からIPアドレス(インターネットへのアクセスID)の一つが北朝鮮と関係ありと突き止める。そしてバングラディッシュ銀行事件に同じIPアドレスが見つかったことから、この事件も北朝鮮が絡んだものと特定する。しかし、いずれも犯人逮捕とはいかない。ダミーや偽造書類、海外からの操作、外交特権、あらゆる手段で追及をかわされてしまう。

国連専門調査機関によれば、北朝鮮の金融資産詐取は13億ドルに上るという(無論北朝鮮は全面否定だが、むしろ氷山の一角ではなかろうか)。

金融犯罪は、紙幣偽造→ハッキング実通貨詐取→ネット暗号資産の詐取と変わり、高度IT化するほどある意味容易になる。11~12歳から英才教育で育てられる「サイバー戦士」は国際数学オリンピック選手級、数々の特典を与えられ、常に世界最先端に留まり続ける。

スリランカの慈善団体が絡む奇妙なカネの動き;支援者に名を連ねる日本人の中古車輸出業者、JAICの偽造文書、パチンコ業界に多い半島人。20181月東京舞台の“コインチェック(仮想通貨)盗難(503千万ドル)事件”。この種の犯罪に日本も無縁ではない。盗まれた金はミサイル開発・発射に向かう。どうする日本?!

著者は英国の技術ジャーナリスト(生年不詳、職歴20年以上)。本書のオリジナルはBBCポッドキャスト(インターネット放送)にある。闇の世界だけに推定が多い点いささか気になるところだが、自ら関係者(日本人を含む)に取材し、情報の確度を上げる姿勢を評価する。

 

5)事務次官という謎

-キャリア官僚のゴール事務次官、意外な存在の軽さをベテラン政治記者が明かす-

 


私の仕事は、計測・制御・情報、いわば企業のセンサー・神経系統を担う部門である。長いビジネス人生、工場勤務が長かったせいもあるが、ほとんど“官”と関わることは無かった。接点があったのは税務署と税関、前者は揮発油税、軽油取引税、後者は原油の輸入関税、これら諸税の原点は計量(容積)、納税・税務調査や税還付を受けるため上記の役所と関わることになる。とは言っても日常業務は経理や受注出荷部門の役割、私の出番は何か問題が生じた時だけだ。そんな時に備えて、国家計量士資格を取ったし、税務大学校揮発油税コースの講師も務めたが、付き合うお役人は現場の担当者ばかりだったから、いわゆるキャリア官僚の世界とは無縁だった。唯一例外と言えるのは、川崎工場勤務時代横浜税関技官トップに高温原油処理計測に関する新技法説明のため何度か訪問、議論したことくらいである。この役職は事実上関東地区全体の技術的課題対応を統括するポジション、ここをおさえれば全国で同じ方式が認められるほど、権威あるポストだ。しかし、この人の最終的な官職は長崎税関長だった。事務官と技官の違いはあるものの、彼らの頂点である事務次官ははるか彼方の感、如何なる人物がそこに達するのか、その力は如何様か、それを知りたく本書を購読することになった。

読み始めて既視感をおぼえた。実は“事務次官”に釣られて著者歴をよく確かめずに買った。分かったことは、2年前本欄で取り上げた「財務省の「ワル」」と同じ人だった。内容が事務次官に焦点を当てていることは確かなのだが、内容の過半は大蔵・財務省に関するものなのだ。著者は1949年生れ、読売新聞社経済部・政治部の記者として大蔵省(財務省)や日銀を主に担当し、そこで得た知見で同類の著作を多く著している。とは言っても同工異曲というほどではなく事務次官なるものを多角的に理解するには、良くまとまった中身で「そうなのか~」の連続であった。

日本の官僚制度が発足して137年、占領下においても国家行政組織法はほとんど変わらず、そこには「事務次官は、その省の長である大臣を助け、省務を整理し、各部局及び機関の事務を監督する」とある。ここからははっきりした責任・権限が読めない。実態もどうやらそのようなのだ。その最たる例は、国会に呼ばれて説明責任を求められることが無いことである。この曖昧な位置付けは、副大臣・政務官制度が発足してますます深まり、若手キャリアに「セレモニー屋」(出番は、就退任式、御用始め、入省式)あるいは「大いなる名誉職」と揶揄されるほど軽い存在になっている。別の角度からもそれは明らか、事務次官の任期は一応2年が通例だったが、戦前→戦後、戦後の中でも平成前と後で明らかに変化し、短命化の一途をたどっている(平均;戦前19カ月、戦後14カ月、平成以降12カ月)。確かにこれでは何もできない。著者の執筆意図は「国家公務員制度改革に際して、今こそ次官の本格的な見直し論が起こってしかるべき」との点にある。

最初に取り上げられる“事務次官の辞任・逮捕”に先ず驚かされる。1988年(昭和63年、64年昭和から平成へ)から2019年までの31年間で任期を全うせず不本意に辞任・逮捕された次官は18人。セクハラ、収賄、過剰接待、選挙違反、書類隠蔽、天下り関与、機密漏えい、様々な理由で入省来30余年をかけた上がりポストを去っている。関与した省の数は818人の中で4人は大蔵・財務で、ほぼ14を占めている。内容が大蔵・財務寄りになるのは著者がそこに精通しているばかりでなく、この件数の多さもありそうだ。この他にも政治判断で辞職を迫られるケースもあり、権限の少なさに比し割の合わない職位を印象付けられる。

上級公務員制度の歴史、昇進課程(本省課長までは同年次横一線)、次官に至る有力コース(大蔵・財務の例;主計官(特に公共事業担当)→総括審議官→官房長→主計局長)、政治家と官僚の役割変化、人柄「(有能ではあるが)いかに自分を抑えられるかが次官レースの最後の分かれ目」、また、内閣人事局発足前後の違い、民間企業社長との比較、海外の幹部官僚登用制度(特に豪州)など、元次官にもインタヴューし、「人事がすべて」と言われてきた官僚世界を次官人事中心に分かり易く解説する。

上級公務員志願者激減、ブラック職場化、中途退職者の増加、天下り先の減少・目詰まり、報酬(事務次官;2,327万円、上場会社社長中央値;5,435万円(2017年度))など、優秀な人材が国家のために働く気概を失うように見える昨今の事情にも目を向け、次官を頂点とする現官僚人事制度へ改革の具体案を示して本書を終える(例えば任期;最低3年出来れば5年;年次序列を変えることになるので極めて難しいが、どこかで手を付けるべき根本課題)。いささか暴露物的内容も含むが、現今の官界を理解するには適切な一冊であった。

 

6)「線」の思考

-鉄道路線と天皇・宗教の関わり、ユニークな切り口で語る鉄チャン随筆-

 


それなりの作家が著す鉄道物は、その旅に取り込まれるような楽しみを与えてくれる。ただし“それなり”が問題なのだ。No.1は「阿房列車」シリーズの内田百閒、漱石晩年の弟子でもあり、独特の雰囲気を醸し出す筆致は格別だ。第2は「時刻表2万キロ」などで知られる宮脇俊三、この人ほど鉄道旅に情熱を注いだ作家はいない。お気に入り三番目は、鉄道作家でないが、ユーラシア大陸の東(シベリア)から西の果てポルトガルまで2万キロの列車旅をした下川裕治。バックパッカー出身の旅行家だけに目線が現地ベース、ここが最も惹かれる点だ。しかし、第4、第5がなかなか現れない。そこで注目しているのが本欄で紹介済みの「鉄道ひとつばなし」や「歴史のダイヤグラム」「思索の源泉としての鉄道」を出している、本書の著者である。この人の専門は天皇・皇室を中心に据える我が国政治史(明治学院大学名誉教授)、少年時代(1962年生れ)からの鉄チャンだが、ここへ焦点を当て続けるところに特色があり、新刊が出ると読むようにしている。

「線」の第一義は鉄道路線である。そして第二義は「点」に対する「線」、一ヶ所の歴史・特色でなく沿線のそれを考察するところにその意がある。「線」の先には「面」があるのだが、そこまで広げると“鉄道”の存在が薄まるので「線」主体にしたとのこと。こういう視点から、一般史料ではわからない地域に埋もれた歴史が見えてくると考えているらしい。「線」は八つ、北海道から九州までカバーし、時代も古代から現代にいたる、ユニークな歴史研究の一断面である。

本書の初出は20186月号から20206月号までの「小説新潮」。従って、それぞれの話は独立したテーマとなっている。

思いもかけぬ切り口から第一話が始まる。小田急江ノ島線とカトリック教の関係がそれだ。天皇家と言えば神道と不可分の存在だが、この沿線にある聖園(みその)女学院なる中高一貫校が「昭和天皇実録」に登場、多くの皇室関係者が訪問しているばかりでなく、この学校の母体である聖心愛子(あいし)会秋田支部を1947年(昭和22年)年昭和天皇・皇后が訪問された折、まるで天皇がカトリックに改宗したかのような錯覚すら抱かせる記述があるようだ。また、聖園女学院進出(1946年開校)以前から、これもカトリック系の学校法人大和学園聖セリジア、湘南白百合学園などが存在し、この沿線とカトリックが浅からぬ縁であることを語って行く。確かに、こんな角度から皇室と宗教を捉える話は目にしたことが無い。

常磐線では常磐(じょうばん)、常盤(ときわ)、常陸(ひたち)、日立(ひたち)の由来を陸奥と磐城に求め、沿線産業史を辿りながら、19478月の昭和天皇行幸に際し常磐炭鉱で働く人々を称える和歌を紹介する。

北海道では函館本線・宗谷本線・富良野線・石北線が集まる鉄道の要衝旭川を取り上げるが、主役は旭川市街軌道(路面電車)の師団線(1956年廃線)、第7師団練兵場周辺だけで10カ所の停留所が在ったことで、往時の軍の存在の大きさを偲び、ここを訪れた大正天皇(1911年)・昭和天皇(1936年、1954年)の足跡をたどる。実現はしなかったが明治期“上川離宮”構想が論じられたことなど初めて聞く話である(旭川が札幌を上回ることを恐れた反対勢力に潰される)。全く触れられていないが、英スコットランド・エジンバラには英王室夏の離宮がある。難しいスコットランド統治のかなめだ。もし上川に離宮が設けられていたら、北海道の姿も違ったものになっていただろう。

阪和線(熊野古道)、横須賀線・外房線を結ぶ「房総三浦環状線」(日蓮宗)、山陽本線(新興宗教)、北陸本線(神功皇后、継体天皇)、筑肥線・松浦鉄道(隠れキリシタン)、いずれも上記のような調子で、天皇・宗教を主題に「線」にまつわる知られざる日本史の一端を紹介していく。乗り鉄記(すべて現地へ出かけ、廃線以外は乗車している)としての独自性は認めるものの、“思索”臭がいささか鼻につき、面白味は前3者にはおよばない。依然第4、第5は空白のままだ。

 

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