2022年4月30日土曜日

今月の本棚-165(2022年4月分)

 

<今月読んだ本>

1)ベルリンに堕ちる闇(サイモン・スカロウ);早川書房(文庫)

2)ドイツ・ナショナリズム(今野元); 中央公論新社(新書)

3)遠い太鼓(村上春樹);講談社(文庫)

4)ソーニャ~ゾルゲが愛した工作員~(ベン・マッキンタイアー);中央公論新社

5)リヒトホーフェン~撃墜王とその一族~(森貴史);中央公論新社(新書)

6)戦国日本の軍事革命(藤田達生);中央公論新社(新書)

 

<愚評昧説>

1)ベルリンに堕ちる闇

-非ナチ党員の敏腕警部補がゲシュタポ局長特命で挑む幹部党員夫人殺人事件-

 


軍事制度に比べ警察のそれは国や時代により変化し分かりにくい。例えば、我が国に戦前存在した特別高等警察(特高)、これは専ら国内治安維持を目的としたもので、一般的な刑事事件は取り扱わない。そうは言っても治安維持と刑事事件は無関係ではないし、また国内ですべてが解決できるわけでもない。米国のCIAとFBI、さらには州以下の自治体警察、英国のMI-6(海外諜報)とMI-5(国内治安)、内務省管轄下の一般(刑事・交通など)警察、旧ソ連におけるKGBの存在(国境警備を含むので軍隊に近い警察組織)、に広義の警察機能の複雑さが窺える。さらに、一党独裁の国家では党の保安を図るため直轄の治安組織を設けることがよく見られる。ナチス党の親衛隊(SS)配下には国家保安本部(SD)がありさらにその下にゲジュタポ局(秘密警察)がつながっている。一方内務省管轄下に犯罪事件を扱う一般刑事警察が存在するのだが、その長官はSSトップのヒムラーが兼務している。このような状況下で起こった殺人事件が本書の主題である。

第二次世界大戦開戦3か月を経た12月、英仏は対独宣戦布告をしたものの本格的な戦闘は起こっていない。いわゆる“まやかしの戦争”と言われた時期である。それでも時々飛来する宣伝ビラ散布の英爆撃機を警戒してベルリンの夜は灯火管制下にある。そんな凍てつく暗夜、駅構内の引き込み線内で、かつて人気を博した映画女優の絞殺死体が見つかる。

捜査に当たるのはシェンケ警部補、一時期メルセデスベンツ・シルバーアロー号を駆って一世を風靡したレーシングドライバーだが、事故で重傷を負い今は犯罪捜査を担当する警察官になり、食糧配給切符偽造事件を追っている。所轄署は殺人事件とは管轄外だ。また信条によって世の風潮に逆らいナチス党への入党を拒否している。そのシェンケに突然ゲシュタポ局長ハインリッヒ・ミュラー大佐(実在;ユダヤ人虐殺首謀者の一人)から呼び出しがかかり、本事件を担当するよう命じられる。「管轄外の私に何故?」の質問に対して大佐は「君が有能な刑事でかつナチス党員でないからだ」と答え、「必要なことは人事を含めすべて思いのままにして良い」とお墨付きの書面を渡す。ただし早期解決が必須(事件発生は19日、クリスマス前に犯人逮捕)、失敗した場合は厳しい処分が待っていることも告げられる。

党が関わりたくないのは被害者の夫がナチスの有力な法律家であるからだ。もし犯人が党員だったら党の勢力図が一変する可能性さえある。失敗した場合非党員ならスケープゴートにできる。

党員法律家と被害者である妻の関係;人気を失った妻は金目当て年の離れた男と結婚、夫はそれでも彼女を自らのものにしておきたい。夫は知らぬが妻の浮名は知る人ぞ知る。事件当夜も国防軍情報部(アプヴェーア)のドルナー大佐とパーティーに出席している。ただ、このパーティーで些細なことで二人は仲たがい、元女優は席を立って一人駅に向かう。当然容疑者として目を付けられるのは夫とドルナーだ。シェンケ警部補は偽造配給券捜査チームを全員引き連れて所轄署に乗り込み、この二人を徹底的に洗っていくが逮捕に至る証拠は出てこない。類似の殺人事件は無いか、事件になっていない変死は無いか、捜査は多面におよぶが見通しは暗い。苛立つミュラー局長はチームに若手のゲシュタポ軍曹を送り込み、シェンケの行動を逐一監視・報告させる。サイドストーリーとなるのは、国防軍情報部長官ヴィルヘルム・カナリス提督(実在;戦争末期反ヒトラー活動容疑で処刑)の姪であるカリン・カナリスとシェンケの関係。恋人カリンはシェンケ以上にナチス批判派でしばしばそれを口外する。本筋と脇筋を結ぶのはかのアプヴェーアの大佐。ナチス党保安本部とアプヴェーアの組織間闘争は史実でもある。はたして彼は犯人なのか?

ナチス絶頂下のベルリンにおける実在の事件(Sバーンマーダー;これが執筆ヒントのようだ)や人物あるいは社会情勢(ユダヤ人問題など)を上手く援用、登場人物一人一人の世界観や性格描写に意を用い、意外な結末に持っていくストーリー展開に海外歴史ミステリーの醍醐味を堪能した。

著者は1962年生れ、歴史教師の経験を持つ英国人の歴史小説家。本作品は初めてのミステリーと紹介にある。

 

2)ドイツ・ナショナリズム

-時に暴走するも今や覇権国の一つ。その依って来たる民族性を2000年のスパンで分析する-

 


個人的なドイツ観は“愛憎半ばす”と本欄でドイツを取り上げる度に枕詞のように使ってきた。近代史を辿る時どう見ても親日的な国とは思えない。憎の来る由縁は、日清戦争における三国干渉、日露戦争のけしかけ役、ドイツ皇帝の黄禍論、日中戦争の於ける国民党支援、最近ではメルケル首相の対中政策(日本パッシング)や福島原発事故に対する反日世論など。愛の部分は専門として学んだ機械工学関係、航空機・戦車・潜水艦を始めとする兵器技術から趣味の自動車まで一目も二目も置く存在。所有した外国車2台はいずれもドイツ車、「さすが発祥の国」と納得させるものだった。しかし、日独技術格差はブランド価値を除きほぼ解消、電子技術やその組み合わせでは、工作機械のようにむしろ我が国が先行する例もある。1980年代には米国と併せて世界経済を牽引する3台の機関車に例えられた日独だが、1990年代以降国際関係(環境問題などを含む)では大差がつき、EUの主導国ばかりでなく覇権国の一つに変じつつあるのがドイツだ。愛憎と技術は一先ず置き、この国を改めて考察してみよう、そんな動機で本書を手にした。

“ナショナリズム”のタイトルはプロイセン中心としたドイツ帝国誕生やナチスによる第三帝国なる仇花を連想させるが、本書の内容はそのような一時的なものでは無く、西暦9年から現在におよぶ2000年にわたるドイツ史を辿るものである。その焦点は全体的な通史ではなく、民族あるいは国家としての欧州域における存在感に当てられる。2000年と言う長期をこのような角度で俯瞰・分析した上で現在のナショナリズムを評価する。因みに西暦9年はゲルマン諸民族連合がトイトブルクの森(現ドイツ北西部ニーダーザクセン州)でローマ軍を破り、その侵攻を止めた年である。これによりローマのゲルマン内版図はその西部・南部が限界となる。つまり、当時の「普遍」的世界であったローマとは異な「固有」の民族意識がこの年萌芽したと見るのだ。爾後この「固有」と「普遍」を行き来するのがドイツ・ナショナリズムの特質と捉え、この仮説に基づいてその変化を分析する。そこから、ある時はローマに田舎者扱いにされ、近世では英仏中心の西欧観の外周に置かれながら、今や主体性を持って欧州指導の引き受け手となったドイツの姿が見えてくるわけである。ドイツ「固有」の価値観が「普遍」化するのは、決して近代だけでは無いことが理解できる。

この「固有」と「普遍」は二者択一ではなく、状況に応じて「固有」が「普遍」化したり、「普遍」が「固有」化したりする。例えば、9世紀に神聖ローマ帝国の盟主となるとゲルマン「固有」意識が薄れローマの「普遍」性と融合、それが統治の根幹を成すようになっていく。またウィルヘルム2世治下のドイツ帝国、ナチスの勃興はドイツ「固有」を「新普遍」化するための「旧普遍」に対する挑戦であった。

戦後のドイツ連邦共和国(西独)は西欧的「普遍」価値を尊重し、やがてドイツ民主共和国(東独)を併呑して欧州の指導国となってゆくが、その姿勢は控えめなもので、米英仏から優等生として認められる。しかしながら統一後の不況から脱した後ドイツ「固有」の価値観とも言える環境政策や財政政策を欧州全体さらには世界に「普遍」化する言動が経済力と相俟って「道徳の棍棒」を振り回すドイツととられ、他の西欧諸国の苛立ち・反発が顕在化してきている。

「普遍」的価値は常に序列を生む。つまり「普遍」化に遅れたものを劣者とする。EU内では他国を、国内では旧東独民を見下すドイツに、オバマ政権の後にトランプ政権が誕生したような激変がいつ起こらないとも限らない、と言うのが著者のまとめである。

歴史的に見て、領土・統治者・統治形態はめまぐるしく変転、近代ドイツの国家としての成立は19世紀後半、いまだ2世紀に満たない。それを2000年と言う長期で捉え、そのナショナリズムを「固有」「普遍」と言う視点で分析するのは極めてユニーク。ドイツを見る目に新しい視座を与えてくれた。しかし、“おわりに”に記された「国際社会における日本の立場は、もうドイツには及ばない」のひと言は日本人として大いに考えさせられるところだ。

著者は1983年生れ、ベルリン大学哲学部歴史学科で学んだ欧州国際政治史、ドイツ政治史の専門家、PhD・博士号(法学)取得者、愛知県立大学外国語学部教授。

 

3)遠い太鼓

-超ベストセラー「ノルウェーの森」は如何に書かれたか。滞欧3年の紀行エッセイが明らかにする-

 


本欄-163(本年2月分)で同じ著者の「やがて哀しき外国語」を紹介した(1994年購入のものの再読)。著者が1991年春から1993年秋まで約2年半プリンストン大学客員研究員・講師として滞米した紀行エッセイである。その中に、この渡米前欧州に3年間居を構え創作活動を行っていたことが記されており、1千万部を超える超ベストセラーとなった「ノルウェーの森」がその一つであることを知った。村上作品はジャズの解説書やノモンハンを訪れたルポルタージュは読んでいるものの、小説は一切読んでいないのだが、「ノルウェーの森」の驚異的な販売数は記憶にあったから、その創作過程をうかがえるなら是非読んでみたいと思い探し当てたのが本書である。書題は「遠い太鼓に誘われて 私は長い旅に出た 古い外套に身を包み すべてをあとに残して」(トルコの古い唄)から来ている。

著者はバックパッカーを含め欧州を何度か旅しているが、長期逗留はこの時が初めて。本書や既読の他の著書および関連情報も含めて、今回の旅の背景を簡単にまとめてみたい。1949年生れ、早大文学部演劇専修(1968年入学、1975年7年かけて卒業)。1971年学生結婚。1974年より1981年までジャズ喫茶(夜はバー)を経営、この間1979年「風の歌を聴け」で群像新人賞受賞、執筆活動が活発化、1981年創作専業となる。1985年には「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」で谷崎潤一郎賞を受賞し人気作家となっていく。創作と併せて多くの翻訳(主に米小説)を手掛けていることから英語には不自由しないようだが、イタリア語を始めこの滞欧記で訪れる国々の言葉には通じていない。また人気作家と言ってもこの時期経済的に海外で贅沢な生活を送れるほど豊かではなかったようだ。ただし、「ノルウェーの森」がベストセラーになってからはやや事情は異なってきたことが窺える(ランチャの新車を購入する)。

さて動機である。先ず、常々40歳を人生の節目と考えており「それまでに何かを残したい」と考えていたことである。旅に出た時は37歳であった。次に、長編小説を書くときは他の仕事を放り出して徹底的にそれ一つに集中してきた。従って仕事のペースは速い。しかし、ある程度人気が出てきたこともあり日本における環境は落ち着きがなくなってきていた。これが長旅に駆り立てる理由だった。

旅の始まりは1986年10月ローマから始まり1989年10月のローマで終わる。しかし3年間ローマにだけ留まっていたわけではない。ここはベースキャンプなのだ。ローマをベースにしたのは気候が第一、他の欧州の冬は厳しい。もう一つは古い友人の一人がここに居たことによる。そこから出歩いた先はシシリー、トスカナなどイタリア国内ばかりでなく、ギリシャの島々、ロンドンさらには何度か短期間東京にも戻っている。一時帰国の理由は主として出版社との打ち合わせだが、自動車運転免許証取得もある。欧州に居てクルマを所有・運転できないことが如何に不自由かを痛感したからだ。

創作の旅で頻繁に訪れるのはギリシャ。最初に居を構えたのはアテネの南東方向にあるスペッツ島の個人所有別荘、オフシーズンで貸しに出ていたのだ。美しいエーゲ海を目の前に書くことに集中できる理想的な住まいと現地を訪ねず契約。しかし、観光客皆無ではホテルもレストランもほとんど閉めており、英語も通じず、チョッとした日常の用足しにも不自由、おまけに嵐に襲われ散々な目にあう。ミコノス島、クレタ島、レスボス島、ロードス島すべてシーズンを外して滞在した多くの島で異次元体験をする。ギリシャは島々ばかりではなく、何とマラトン・アテネ間のフルマラソンに参加、完走している。

イタリアの話は不快な話題が多い。「ノルウェーの森」は主にシシリー島のパレルモで書かれるのだが、治安の悪さ(マフィアの横行)や無愛想な人々で悪印象。またベースであるローマの犯罪(スリ、かっぱらい;スクーターによる夫人のハンドバッグ強奪事件、これでパスポート・航空券を失うが、それに対する警察の対応の悪さ)、交通事情(渋滞・駐車難・バスの運行)、公務員(特に郵便)サービスのいい加減さ、が何度も取り上げられる。原稿の郵送などとても信頼できず(友人が日本から送ってくれた冷麦が結局届かなかった)、「ダンス・・・」の仕上げはロンドンで行い、そこから日本宛てに送ることにしたほどだ。新車で購入したランチアがオーストリア旅行中突如動かなくなるのもイタリアならではの出来事である。楽しい話で印象的なのはワインに関する話題。喫茶バーの経営でかなり酒(ワイン以外を含む)に精通しているらしく(かつ強い)、「通ではない」と断わりながらトスカナの小規模なワイナリーや民宿を訪ね歩く旅は「出来ることなら私もしてみたい」と叶わぬ旅情をかきたてられる。またジャズに関しては解説書を出すほどだが、クラッシック音楽の知見もなかなかのもの、オペラを含むその蘊蓄も読みどころだ。今度の旅は夫人同伴、作家の創作以外の日常が垣間見えるのも本書の興味深いところだ(意外と規則正しい健康的な生活を堅持)。

外国滞在記はとかく「xxxでは」調の外国礼賛あるいは蔑視型になりがちだが前回紹介の「やがて哀しき外国語」同様自然体で3年間の外国生活が描かれ嫌味を全く感じさせない。それが村上文学の基調なのかな、と思ったりもする。

 

4)ソーニャ~ゾルゲが愛した工作員~

-ドイツ系ユダヤ人として生まれ、93歳の天寿を全うした凄腕ソ連女スパイ。彼女によって原爆開発は4年早まった-

 


リヒヤルト・ゾルゲ、昭和史否世界スパイ史に名を留める著名なソ連スパイ。父ドイツ人母ロシア人の子として1895年バクー(現アゼルバイジャン)で誕生、大学はドイツで学び第一次世界大戦にも従軍、戦後ドイツ共産党員になる。コミンテルン(国際共産主義運動)の一員としてモスクワで訓練受けてソ連国防軍情報部(GPU;ゲー・ぺー・ウー)に採用され、ドイツ人ジャーナリストとしてスパイ活動を開始する。最初の任地は上海、1930年より国民党と中国共産党(中共)および日本軍の動きを探る。ここで彼のネットワークに組み込まれるのが、米国共産党のシンパでジャーンリストのアグネス・スメドレーや朝日新聞記者の尾崎秀実(ほつみ)である。ゾルゲの次の活動地は日本、1933年秋に来日し最初は駐日ドイツ大使館に食い込み、ここでナチス党にも加わって信頼を得る。それとともに旧知の尾崎を中心にスパイ網を構築、当初はドイツ関連(ドイツ国内、日独関係)情報主体であったが、1938年近衛内閣が発足するとそのブレーンとなった尾崎より日本の高度政治・軍事情報を密かに入手、モスクワに通報する。ドイツのソ連侵攻警告を何度も送るがこれはスターリンに無視される。しかし、独軍侵攻後日本の南進が有力との報は東部ソ連軍の欧州戦線大規模移動につながりソ連の危機を救う。この功により戦後ソ連邦英雄の称号が贈られるが、その時ゾルゲはこの世に居なかった。1939年来米国帰りの共産党員を密かに追っていた特高が彼につながる人脈をたどり1941年太平洋戦争を前に尾崎、ゾルゲ等を逮捕、1944年処刑していたのだ。この凄腕スパイが上海でスカウトした工作員の一人が本書の主人公ウルズラ・クチンスキー(暗号名ソーニャ)である。

ウルズラは1907年生まれのドイツ系ユダヤ人で6人兄妹の長女。祖父の代に財を成し父は人口統計学者。ロシア革命が成り、第一次世界大戦に敗れたドイツでは共産党への期待が高く、女学生の彼女もそれに惹かれ、家族の反対をよそに街頭デモなどに参加するようになる。この政治意識と伴に反体制へと突き動かす動機は女性差別に対するそれだ。兄はベルリン大学で学び米国留学するほどだが共産党員、父は政治活動はしないもののシンパである。こんな環境から彼女もやがて入党。女性の大学進学は叶わぬことから女学校卒業後は出版社に職を得るが満たされない日々を送る。そんな時4歳年上のルドルフ・ハンブルガー(ルディ;彼も党員ではないが共産主義信奉者、ユダヤ人)と知りあい、二人は1929年秋結婚する。しかし国内経済の混乱や大恐慌の影響もあり、ベルリン工科大学建築家で学んだルディも国内では仕事が見つからず、友人の伝で上海租界の工作局で働くことになり、二人は1930年7月シベリア鉄道経由で上海に向かう。

ルディの仕事は順調だが植民地同様の租界は活動的な女性にとっては退屈至極、そこで友人となるのが中共の宣伝役とも言えるアグネス・スメドレー、ここからゾルゲにつながり、ルディも了解の上でGRUの工作員になっていく。この時二人の間に長男(ミヒャエル)が誕生している。

先ず訓練のためにモスクワへ。ルディを上海に残しミヒャエル(3歳)と陸路チェコに在るルディの祖父母の別荘に向かい、そこに子供を預けウルズラは単身モスクワで通信技術を含むスパイ訓練を受ける。最初の任地は奉天(現瀋陽)、日本の動きを探るのが任務だ。これにはヨハン・パトラと言う上官が同行、仮想夫婦としてふるまわなければならない。ミヒャエルを引き取りイタリアのトリエステ経由で海路上海へ。ルディとの再会も束の間、通信機の部品などを取りそろえ3人(ウルズラ、ミヒャエル、ヨハン)は奉天に向かう。スパイとは言え男と女しばらくするとウルズラはヨハンの子を懐妊、やがて奉天のスパイ網の一端が崩れ3人は急遽上海に逃げ、その際ウルズラはヨハンの子を身ごもっていることをルディに告げ認知を乞う。ここでも人の良いルディはそれを許し、1935年ウルズラとミヒャエルは次の活動拠点ワルシャワへ旅立つ。今度はドイツとポーランドの動きを探るのだ。ナチスドイツ政権は既に1年余ユダヤ人排斥は活発化しておりウルズラの両親・兄妹は英国に逃れている。ワルシャワで生まれた長女ニーナの面倒を見てくれるのはウルズラの乳母であったオロ(純粋のドイツ人)。1939年9月ドイツのポーランド侵攻、ワルシャワの次は中立国スイス・ジュネーブでの情報収集、昇進したウルズラの下にスペイン市民戦争に参加し、共和国軍側で戦った二人の英国共産党員が加わる。しかし、ここも中立国とは言え安泰ではない。国内に跋扈するスパイたちをスイス官憲が追い、国外追放するのだ。おまけにウルズラの旅券有効期限が迫っており切れるとドイツへ送還、確実に絶滅収容所入りだ。やむを得ず2度目の仮想結婚をし、英国へ逃れることを目論む。今度の相手は部下の英国人工作員レン・バートン。しかし、両人とも共産主義者として入国管理機関のブラックリストに載っており、なかなかOKが出ない。その間ウルズラはレンとの子供を身ごもる(英国で生まれる次男ピーター)。やっと結婚が認められスイス→南仏→スペイン→ポルトガルと逃避行を続けリスボンから出た船がリヴァプールに着いたのは1941年2月、ここで待ち受けるMI-5(国内諜報機関)の取り調べを何とか潜り抜け、先に渡英していた両親や兄妹と合流。さらに住まいをコッツウォルズに移してスパイ活動を継続する。今度は同盟国英国の対ソ動向を窺うのだ。ここで役立つのは学者として著名人に接触する機会が多い父親。この段階で父にはソ連のスパイであることを打ち明けている。独ソ戦の開始もあり英国の対ソ政策は最重要関心事、ウルズラへの期待は大きい(本人には知らされていないが大佐の階級が与えられている。女性の大佐はGRU初)。

英国での大ヒットは英米共同で秘密裏に進められていた原爆開発プロジェクト(マンハッタン計画)。ウルズラの網に主要メンバーの一人物理学者のクラウス・フックス(ドイツ人、共産党員、戦前英国へ亡命)がかかる。ここからもたらされた原爆情報はソ連のそれを4年早めたと後に言われるほどかけがえのないものだった。

海外勤務終焉は1947年2月、フックスの逮捕がきっかけとなりMI-5の追及をかわして下の子二人(ミヒャエルは英国の大学に在学)を連れて同月東独へ逃れる。住まいは生まれ故郷のベルリン、1955年最初の夫ルディと20年ぶりの再会も果たす。1989年ベルリンの壁が崩壊した時には82歳、2000年7月没(享年93歳)、その2か月プーチンロシア大統領は「GRUのスーパー工作員」として友好勲章を授与する。超一級のスパイの証だ。

著者はタイムズのコラムニスト・副主筆から作家に転じた人。既刊作品「KGBの男」「ナチを欺いた死体(映画「ミンスミート作戦」の原作)」「英国の二重スパイシステム」「キム・フィルビー」はすべて本欄で紹介しており、綿密な調査を基にした詳細かつ臨場感のある作風はノンフィクションのジョン・ル・カレと称されるほど。今回も多数の文献に当たるほか、遺族(特にミヒャエル、ピーター;両人とも学者、ニーナは高校教師)や旧東ドイツ秘密警察(シュタージ)職員への聞き取り調査も行ってソーニャの公私両面を深耕、Lover(愛人)・Mother(母親)・Soldier(戦士)・Spy(スパイ)を偏りなく描き出している。因みに、この副題はル・カレの名作「Tinker(鋳掛屋)・Tailor(仕立屋)・Soldier(戦士)・Spy(スパイ)」のオマージュである。

 

5)リヒトホーフェン~撃墜王とその一族~

-撃墜王の伝記と思ったが羊肉は7割、残り3割は狗肉。しかし、これが意外と珍味だった-

 


来年はライト兄弟のフライヤー号が空を飛んで120年目になる。いまだ発展途上にあるITを一先ず置けば、人類によって発明された道具の進歩と言う点において、これほど早いものはなかろう。

我が国の空への活動が許されたのは占領も終わりに近づいた1951年、航空雑誌で知った世界は子供心(と言っても中学生だが)をかきたて、航空技術者への夢を膨らませた。諸般の経緯でそれは叶わなかったものの、“三つ子の魂百まで(83歳だが)”、この間模型作りや航空雑誌で飛行機への関心は持続している。それもあって航空に画期をもたらした人物の伝記類は一通りそろっている。ライト兄弟、リンドバーグ、ゲーリング、ハインケル(独航空機設計製造者)、ドーリットル(日本本土初爆撃)、ハルトマン(史上最多の撃墜王;352機)、中島知久平(中島飛行機(現スバル)生みの親)などなど。しかし、空戦の歴史に欠かせない人物、第一次世界大戦の撃墜王(80機)マンフレート・フォン・リヒトホーフェン(通称レッド・バロン;赤い男爵;乗機・編隊機を赤に塗装)に関しては、伝記のように一冊にまとめられたものはない。本書の主題・副題を目にして飛びついた次第である。

結論から言えば、生誕から25歳での戦死までの短い生涯を一通り分かり易くまとめられている点で買って損は無かったが、羊頭7割狗肉3割、何か不快感の残る本だった。不満の部分は肉料理の組合せにある。副題の“その一族”がそれだ。序章の“リヒトホーフェンの家系”を読み始めた時嫌な予感がした。これが延々と続くのだ。“赤い男爵”がシュレージェン地方(現ポーランド領)の貴族の末裔であることは知っていたが、その祖先を辿り“リヒトホーフェン”と“フォン”ばかりの家系講釈が延々と続くのである。著者の目論見はリヒトホーフェン兄弟(弟ローターもエース戦闘機乗り)と同姓の姉妹(エルゼとフリーダ)に関する話を一冊の本にまとめることにあったのだ。これが実の姉妹や従姉妹・又従姉妹あるいは叔母くらいなら許せるのだが、同姓以外は共通点の無い二人を“一族”としてまとめてしまうのだ。牽強付会の何物でもない。著者もこれは気になっていたのであろう、結びで「撃墜王とその弟に関心いただいた読者には姉妹の2章は蛇足だったかもしれない」と断わった上で、それでも「(たまたま)同姓の二組を描写することで同時代の全く異なる断面を供覧したかった」とし「100年ほど前の巨大な転換期を多面的にとらえる契機としてもらえれば、幸いである」と終える。信じられない論法だ。

本書は235頁から成り序章と結びを除けば220頁、その構成は4章から成り、第1章はマンフレートでここに110頁、第2章はローターに30頁が割かれ、残り2章はエルザ・フリーダ姉妹で80頁となる。この配分から見れば“買って損は無かった”と言える。マンフレートの少年期からの孤独指向、狩猟に対する異常とも言える関心と腕前を知ると後の撃墜王の理解が一層深まったし、ローターについて兄同様プール・ル・メリット(軍人に与えられる最高の勲章;別称ブルー・マックス)受賞のエース・パイロットであったことを本書で初めて知ったのも収穫だった。ただ、戦史や技術史としての深みは無く、その点では軽い内容のものだ。

では私にとっては蛇足であったエルザとフリーダの章はどうだったか。これが予想外のおまけだったのである。エルザはマックス・ヴェーヴァ―の弟子かつ愛人(夫も子供もいるが)、ドイツ女性初の博士号取得者(裏にヴェーヴァ―の存在がある)。妹のエルザも年の離れた英国人と結婚後子供をもうけるが、遥か年下のD.H.ローレンス(チャタレー夫人の著者)と駆け落ちする。つまり、チャタレー夫人のモデルなのである。姉妹の男関係の乱れにあぜんとさせられた。著者は他の行動を含め当時は制約の多かった女性の社会活動活発化の先駆者として二人を捉えており、本職の研究もそこにあるようだ。狗の肉もたまには珍味と言うところか。しかし、羊料理と一緒盛りはいただけない。

著者は1970年生れ、ベルリン・フンボルト大学でPhDを取得したドイツ文化論、ヨーロッパ紀行文学の専門家、関西大学文学部教授。

 

6)戦国日本の軍事革命

-軍事革命中世日本版、鉄炮普及はアジア最速で進み、統一国家実現の決め手となった-

 


軍事革命(the Revolution in Military Affairs;RMA)なる言葉は4半世紀前から使われ始め、当初はサイバー兵器やメディア対策のようなITを主体とする軍事技術や作戦を意味していた。これが最近ではAI、ロボット、ドローン、衛星技術さらには遺伝子利用なども取り込んだ新たな兵器・作戦・戦場を想定したものに発展してきている。ただ、既刊の出版物は技術先行・ハードウェア重視で狭義の作戦を語る傾向が強く、新兵器の運用(兵站を含む)、人材育成や組織改編、さらにはそれを支える社会システムなどソフトウェア面が希薄になっている(米軍の教本など専門書は別として)。同じ兵器を等しく持っても考え方・運用、つまりソフト次第で大差が出る例は枚挙に暇がない。制空権が戦いの決定力との認識は第一次世界大戦末期から各国とも共有したが、空母を集中運用する機動部隊と言う発想を先行させた我が海軍が太平洋での戦い前半戦をリードしたのはその好例だろう。

本書を書店で目にした時真っ先に惹かれたのは“軍事革命”だが、次に気になったのは副題にある“鉄炮”、「また長篠の戦いか」と手に取るのを躊躇したが、最後の“統治”が気になり頁を繰ると“鉛インゴットの出土位置と流通ルート”の図が出てきた。最近の遺跡発掘研究の成果である。「これは従来の鉄砲伝来ものとは違う!(鉄砲本体以外のことを詳しく書いたものを初めて見た)」と購入を決した。

先ず鉄炮伝来から普及までを解説する。ここではその普及速度がアジア最速でることが強調される。国産化がきわめて早期に達成されるのだが、ここでは日本刀の鍛造技術と刀鍛冶の存在が大きい。この過程で堺、近江国友、近江日野、紀伊根来などに鉄炮鍛冶集団が発生する。これと並んで重要なのが武器商人の存在、弾となる鉛や硝石は国内には存在せず、中国や東南アジアから輸入となる。朝鮮半島から中国地方経由か九州南部から西向かうルートはいずれも堺や近江に集まる。これが先述の図で説明される。ここで暗躍するのがイエズス会の宣教師たち、彼らの裏面は死の商人だったわけだ。もう一つ欠かせないのが砲術師、弾の製作、火薬の調合、射撃の指導(高度な算術を駆使)、早期導入の大名らに学んだ砲術師は引っ張りだこで諸国を巡る。鉄炮を大量使用するためには人材育成が欠かせない。ここは砲術師に足軽を訓練させて常傭プロ化する。また独立の専門集団を形成するものもあり、伊賀衆・甲賀衆・根来衆・雑賀衆などが代表例、強力な傭兵集団となって大名、国人領主に抱えられる。

何と言っても数は力。長篠の戦いで信長勢は千丁以上の鉄炮を揃えている。また同数の戦いでは弾や火薬の保有量が勝敗を分けている。つまり兵站力の差である。これには充分な財力が不可欠、「信長検地」をはじめ財政基盤強化策が種々打ち出される。また配下大名への報酬を従来の貫高制(金銭)から石高制(米穀)に改め領地移動を容易にして彼らをあやつる。このような諸統治策を一旦鉄炮から離れて縷々説明、当時の天下統一推進の難しさを示す。この中で初めて知ったのは秀吉の朝鮮征伐失敗の一因。武士は先ず仕える大名に忠誠を尽くすので他藩の日本人に同胞意識が薄く、各大名軍がばらばらに戦って戦況不利に陥ることがしばしば起こっていることだ。近くで信長や秀吉が手綱を引き締めていれば成功してもそれ統一統率力を欠くと戦力が著しく低下する。国内戦でも言えることだが鉄炮は集中運用がカギ。総大将に指揮権を集中するために陣立書(または図;現代の戦闘序列)や軍法が現れるのもこの時代。

長篠の戦いを起点に、小牧・長久手の戦い、大坂の陣(冬、夏)、関ケ原の戦い、島原の乱(最後の国内大戦争)などにおける野戦や攻城戦を分析、鉄炮隊の大規模運用つまり軍事革命がもたらした最大の成果は、在地領主制の否定に依る統一国家誕生にあったと結ぶ。

鉄炮が常に登場しながら主題はあくまでも領地・国家の統治、ソフトへの踏み込みが深いく、軍事革命の本質理解のために適切な内容と評価する。ただ構成が時代順でなく同じ話題を、視点を変えて繰り返すところが多々あり冗長感を免れない。それとこれは日本史研究の宿命かも知れぬが、細かなところを問題視する姿勢が気になる。

著者は1958年生れ、日本近世国家成立史専攻、三重大学教育学部教授。

 

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2022年4月12日火曜日

海の公園と八景島

家に籠て読書やPCばかりの生活が続いている。少し外に出ることも習慣にしなければと思い立ち。少々自宅から距離もある海の公園・八景島方面を3時間ほど歩き回った。広く長い人工砂浜に人はちらほら、中学生がビーチバレーに興じ、赤い帆のウィンドサーファーが疾走していた。八景島も遊具を使用しなければ無料で散策できる。良いウォーキングコース発見だった。

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2022年3月31日木曜日

今月の本棚-164(2022年3月分)

 

<今月読んだ本>

1)漢文ノート(齋藤希史);東京大学出版会

2)工学部ヒラノ教授と最後の学生たち(今野浩); 青土社

3)現代ロシアの軍事戦略(小泉悠);筑摩書房(新書)

4)銀ぶら百年(泉麻人);文藝春秋社

5)日本の近代建築ベスト50(小川格);新潮社(新書)

6)戦術の名著を読む(木元寛明);祥伝社(新書)

 

<愚評昧説>

1)漢文ノート

-学びて時にこれを習う、亦た説ばしからざるや(論語 學而1)。久し振りに学びました-

 


小学校から高校まで国語と言う教科は全く興味が持てず、それ故不得意科目であった。中学校時代には水を張ったバケツを持って廊下に立たされたり、習字道具を頻繁に忘れ顔に×印を書かれたりした(今なら先生が罰せられるが)。漢字の読み書きや意味を学ぶことの必要性は理解していたからそれなりに努力したし、読書への関心はジャンルを問わず当時から現在まで持続しているから、日本語や日本文と疎遠だったわけでもない。また、社会人になれば読み・書き・話すコミュニケーションが必須となるが、格別この能力を問題視されたこともない。いったい国語教育とは何なのか?いまだ解けない疑問である。

高校の国語は現代文・古文・漢文から成り、それぞれ異なる教諭が担当、3年間学んだ。この中で唯一惹かれたのが漢文、特に漢詩である。あとにも先にも国語教育で触発されたものがあったのはこれのみ(厳密には“国語”ではないが)。漢詩の何に惹かれたか。他の言語表現では決して味わえない“眼に訴える力”にである。字を見るだけで、読まずとも(と言うよりほとんど読めないのだが)情景が浮かんでくる。教科書だけでは飽き足らず出版されたばかりの吉川幸次郎(当時京大教授)著「新唐詩選」(岩波新書)を買い求めたほどである。若き日の刺激的な出会いを再びと手にしたのが本書、漢文に触れるのはあれ以来である。

本書は東大出版会の月刊PR誌「UP」に連載された同名のエッセイをまとめたもので36話から成る。寄稿が3カ月単位であったことから掲載順ではなく春夏秋冬に各9話割り振られている。エッセイゆえに形式・内容は特に定まっておらず、気の向くままに話が展開していく。ただし“漢文ノート”ゆえ中心を占めるのは当然漢文である。引用される原典は四書五経、漢詩の類で、特に漢詩が多用されている。この部分は、先ず原文(漢字のみ、返り点無し)があり、これを読み下す日本文が続き、最後に訳注がある。漢字原文の部分が読み下せないのは読書として難儀なところだが、書き出しは軽妙で、取っつき易く、内容に含蓄があり、言葉と古典を学ぶと言う点において一読の価値がある。

題材は先にも書いたように様々。ただ副題に“文学のありかを探る”とあるように、我が国古文・近代文学や彼の地のその種の活動と関連付けて語られる。例えば、“かすみ”、万葉集を始め和歌には春霞オンパレードだが、漢詩では朝霞・晩霞は頻繁に出てくるが春霞は稀だ。ここでは“もや”ではなく“朝焼け”・“夕焼け”を表し、我が国の“かすみ”のイメージとは異なる、と言うように比較を行う。また、外国人をもてなすために建てられた鹿鳴館命名の由来を一時期勤務した奈良女子大時代の回想から始め「呦呦鹿鳴 食野之苹」(ようようと鹿は鳴き 野の芩(きん)を食む)が「詩経」にあり、これが賓客をもてなす表現であるとしたうえで、この解釈の時代変化(本来は“答礼”の意)に蘊蓄を傾ける。そこから詩の本来の意義は憶え朗ずるだけでなく“使える”ことにあることを、論語(季氏編、子路編)を引用しながら解説する。極めつけは合格率数%の科挙、如何に優れた詩文を作れるかがカギなのだ。合格者(20~30名)は杏園で歓待される。“斗酒なお辞せず”の斗酒はもともと“微酒”だったが、史記(三国志の部分)にある「則与斗卮酒」(すなわち斗卮酒を与えよ;斗は柄杓、卮(し)は杯)が大酒に転ずるきっかけになったと推理する。“読書”はいつごろから?韓愈(かんゆ;8世紀の文人・官僚)の文章に「符読書城南」(符城南に読書す;符は韓愈の子)とあるのが初出らしい。“書斎”は漱石の「猫」の苦沙弥先生から始まり、王勃(おうぼつ;初唐の詩人)に「書斎望暁開」(書斎暁を望んで開く)や杜甫(盛唐)が遠く離れた李白を偲んで詠んだ「寂寞書斎裏」(寂寞たり書斎の裏)にその起源をたどる。身の回りにある言葉が次々と現れ「そうだったのか!」の連続、漢文本体は飛ばし読みだが期待通り漢字独特の表現と雑学を堪能した。

著者(1963年生れ)は中国語学中国文学専攻、京大助手、奈良女子大助教授を経て現在東大大学院人文社会科学研究科教授。

 

2)工学部ヒラノ教授と最後の学生たち

-学部卒の博士誕生は最短で5年、ヒラノ教授は3年後に停年退官、他大学からの転入生は果たして博士号取得成るか?-

 


30代を過ぎたころから仕事の延長線でいくつかの学会と関わるようになった。やがて研究会の主査や幹事を務め、終盤はフェロー称号を受けたり理事の任に当たったりした。お陰で学界ばかりでなく社会的にも著名な先生方と親しくお付き合いいただくことができた。そんな中に敬愛する一流大学教授(工博)が居り、折に付け先生を話題にしていたところ、ある時若手のこれも一流大学の研究者(工博)から「あの先生まだ一人も博士を出していないのを知っていますか?」と問われ、「まさか!」と絶句した。大学人の評価としてそんなことが対象になるとは知らなかったこともあるが、学界・実業界・官界さらにはジャーナリズムにも重用されている人だけに信じられなかったからである。

実は、博士を育てその先の道を付けることは、外からうかがえない苦労の連続なのだ。ヒラノ教授は東工大在職中9人の博士を誕生させたが、その中で最も苦労した学生を主人公に据えて本書の物語は展開する。

工学系大学院の指導教官と学生の関係は師弟と言うより共同研究者に近い。優秀な院生が居れば教授の研究成果(特に論文の質・量)も高まるし、院生も博士取得後恵まれた就職先を見つけやすい。ただ大学院に進学するからと言って全員が金(キン)と言うわけではなく、銀や銀未満が混じるのが実態。特にバラつきが大きいのは他大学からの転入生(入試要)と留学生(文科省設定の特別枠)だ。修士課程の2年はともかく、銀以下にとって博士課程3年で博士号を取得することは簡単ではない。また、バブル経済崩壊後は博士号を取ったからと言ってその先が保証されるわけでもない。

1998年1月半ば大学事務局長(文科事務官)からヒラノ研究室院生希望者に関する情報がもたらされる。文部省元高等教育局長の孫、東京理科大学経営工学科をトップで卒業見込みの学生、酒井俊介である。博士課程まで進み将来は研究者・大学教員になることを希望している。ヒラノ研究室の定員は5名、内部からの推薦入学者が例年2,3名いるので他校からの転入者は残り2,3名となる。俊介は30人の受験者中1番と微差の2番で無事ヒラノ研究室入りを果たす。ただ問題がないわけではない。俊介は理科大に入る前2度医学部受験に失敗しているのだ。2浪は就職の時どうしても不利になる。もう一つはヒラノ教授が3年後に東工大の停年を迎えることだ。つまり博士課程の指導は1年しか担当できず、後継者にあとを託さざるを得ないのである(事実上最後の学生)。東工大の博士審査パスの必要条件はレフリー付き一流学会誌(海外を含む)に3編の論文が掲載されることである。果たして修士課程の2年と博士課程の1年でそれが叶うか。ヒラノ教授自身の研究テーマの減少(学生の程度にマッチした)、金融工学に対する“技術一筋”教官の反感、夫人の病の進行、俊介両親の離婚、研究費の捻出(科研費が頼りだが研究題材枯渇で苦心)、自身の再就職先さがし。様々な障害がヒラノ教授と俊介の前に立ちはだかる。果たして俊介は無事博士号を取得できるのか。

博士課程を担当する教授の役割・使命、そこで学ぶ学生の資質や行動さらには運、自身が学んだ東大(修士)・スタンフォード大学(博士)の大学院、我が国文系博士の実態(米国PhDが圧倒的に多い)、学歴ロンダリング(特に東工大は多い)、大学院留学生(極端に玉石混交)、大学院卒業後の進路、様々な話題を交えながら工学系博士誕生までの諸々を紹介。我が国大学院教育に関する実態と問題点を露わにするユニークなセミフィクション(小説風実話;登場人物はほとんど実名)である。俊介のその後と教授との関係にもかなりの紙数が割かれているが、それは読んでのお楽しみ。子・孫あるいは知人友人に大学院進学希望者が居たら大いに参考になるだろう。

 

3)現代ロシアの軍事戦略

-ウクライナ侵攻でメディア注視の学者が1年前に著したロシアの基本軍事戦略。何と“弱者の戦略”なのだ!-

 


ロシアのウクライナ侵攻は1カ月を超しても戦いの趨勢が見えてこない。2014年のクリミヤ半島占拠(第1次ウクライナ侵攻)とは大違いだ。前回の侵攻は西側に「ハイブリッド戦争」として強いショックを与えた。さしたる戦闘を行わず広大な半島を短期間で制圧してしまったからだ。今回は何が違うのだろう。本書を読めば何か見えてくるかも知れない。そんな期待でページを繰ることになった。結論から言えば遅れの因を突き詰めることは出来なかったが、戦いぶりと比較する材料はふんだんにあり、今に相応しい一冊であった。

本書の発刊は2021年5月、あとがきは同年2月、つまり今次のウクライナ侵攻1年前のことである。私の購入も同年10月、国境付近の演習報道が断続的にあったような気はするが、それが動機ではなかった。著者は1982年生まれの政治経済研究者(東大先端科学技術センター特任助教(最近専任講師)になったようだ)、専攻はロシアの軍事・安全保障、あとがきでは研究者と言うより「職業的(軍事)オタク」と自嘲しているが、ロシア軍事に関する知見はなかなかのものだ。ここに至る経歴は、修士卒業後外務省専門調査員(2009年)、ロシア科学アカデミー研究員(2010年)を務め、本書には書かれていないが夫人はロシア人である。12ページにわたる参考文献リストの3頁はロシア語のもの、先行著書(「プーチンの国家戦略-岐路に立つ「強国」ロシア」(2016年刊))などが注目を浴び、最近NHKをはじめTVにコメンテーターとして登場するのもうなずける。

先ずソ連崩壊後のロシア安全保障環境を俯瞰する。何と言っても大きいのはNATOの東方拡大(戦略縦深の喪失)。サンクトペテルブルク(プーチンの地盤)から見たエストニアの軍事基地は大阪から見て倉敷に人民解放軍が駐留するのに等しいとの例えは分かり易い。次いで国家崩壊に伴う経済の混乱・低迷に触れる。通常軍事力は著しく低下、年間軍事費(購買力平価)はその額650億ドル程度、米の7300億ドル、中国の2600億ドルとはくらぶべくもない。地上軍の兵力は定数100万人だが実数は90万人(徴兵25万人、契約兵40万人、将校20万人、その他)、対するNATOは在欧米加軍を含めて320万人、明らかに「(核を除けば)弱い大国」なのだ。

この「弱い大国」のこれまでの軍事活動(2014年のクリミヤ半島制圧(第1次ウクライナ侵攻)、旧ソ連邦国家紛争への介入、シリア紛争支援等)をつぶさに分析、それなりの成果を収めた要素を探っていく。第1次ウクライナ侵攻におけるクリミヤ戦で特徴的なのはほとんど死者無しにそこを制圧していることである。情報戦(通信網寸断;ロシア製軍用電子機器に組み込まれたバックドアー、電磁波作戦;敵砲弾の電磁信管への干渉、フィッシングメール偽情報発信)・インフラ破壊(電力網)と特殊部隊中心の作戦である。つまり多様(ハイブリッド)な作戦を組み合わせた勝利なのだ。これは言わば「弱者の戦略」、2013年当時の参謀総長ゲラシモフ大将の提示した“ゲラシモフドクトリン”に確り示されている。

戦争・紛争の想定;ロシアのような広大で歴史が異なる他民族を含む国は対応策も多様性が求められ4分類されている。①武力紛争(限定的、国内・国外)、②局地戦争(国家の境界付近)、③地域戦争(隣接国家間)、④大規模戦争(大規模な国家間、国家連合との戦争)がそれらだ。ロシアは④のタイプの可能性は低いと見てその対処能力は核を除いて低下させ直近で起こる可能性のあるのは①②③として軍事力を整備してきた(例えば師団を旅団編成へ)。しかし、この種の戦いでも決定的勝利は地上軍の投入が必至との考えは変わらず、それへの対応は地上戦力(+戦術核;対NATO)としている。戦術核使用はいきなり戦場に投入するのではなく、初めは被害の出ない所でデモンストレーション、次いでデモ効果を高める限定使用、本格的投入の三段階を踏むようだ。なお戦略核はあくまでも④の抑止力の位置付けとしほとんど触れていない(戦略核部隊は大統領直轄)。

シリアのような遠隔地の紛争に対して用いるのが「限定行動戦略」。これは空軍力や偵察・指揮能力のみロシアが提供しこれに現地軍や民間軍事会社を糾合して戦うやり方である。場合によってはこれを旧国内(アルメニア、アゼルバイジャン、ジョージアなど)騒乱にも適用する。

また宇宙戦略についてはかつての宇宙大国からの凋落は著しく(特に衛星技術)、ここでも「弱者の戦略」として他国の軍事衛星活動を妨害する(破壊を含む)ことに主眼が置かれているようだ(本格的宇宙戦争へ復活の動きはあるが)。

これだけ対応策の整っているロシア軍が何故今回はもたついているのか?第1次の作戦実施時期は2月下旬で今回と変わらない。異なるのは前回の作戦域が親ロシア勢力の強いクリミヤとドンバズに限られていることだ。つまり、情報と支援体制の寄与度に大きな違いが見える(兵站も軽い)。また、(第1次に学んだ)ウクライナ軍の力を見誤ったことも考えられる。それに西側(特に米国)の諜報活動による早期警戒体制も大きく与かっている(第1次は奇襲)。そして、政治と軍事の齟齬(軍は限定作戦、政治は政権転覆)も勘繰ってみたくなる。これが本書から推察する素人の現状分析である。

実戦解析(例えばシリア紛争;ドクトリンでは非接触戦争指向で精密誘導兵器重視を謳うものの経済的な理由で充分投入できず、ほとんど非誘導弾を多用、結果として無差別、今回のウクライナも同じか?)、「ロシア連邦軍事ドクトリン」(2010年発布、2014年改訂)を始め軍公式文書調査、毎年(6月~10月)実施される大演習分析(2008年から2020年までの演習内容をテーブル形式にまとめている。想定は先の4段階の内第3段階までだが動員はときに30万人にも及んでいる)、ロシア軍事思想家・研究者の系譜深耕(特に非軍事的闘争論は興味深い)など、“戦略”策定の基となる各種ロシア軍事情報も確り書き込まれており、今のウクライナ戦を現在進行形で学ぶ参考書として格好の一冊と言える。強いて難点をいえば、“戦略”に行き着く説明が廻りくどいこと(ある意味“オタク的”)、有用な情報満載だけに索引が欲しかったことである。

 

4)銀ぶら百年

-子供の時から馴染んできた著者による銀座ガイド。よく知る店、転業した店、移転して続いている店、廃業した店、百年の歴史を紙上で辿る-


私の高校生時(1954年進学)都立高校は学区制で中学校の在った台東区は荒川区・足立区・中央区と一緒に第5学区を構成していた。その内荒川・足立は同級生も少なく、高校生にとって面白味のある場所もなかったので足を踏み入れたこともない。それに比べ中央区は日本橋界隈の商店街や横山町・馬喰町の問屋街、築地市場や月島の町工場、さらに銀座に家や店があるものが多く、中学生時代(個人商店が主体)とは異なる家庭環境の友人ができた。だから銀座を特別な場所として意識したことは無かったし、成人しても上野界隈に次いで我が街のような感覚で街歩きができた。また、夜の世界も赤坂や六本木あるいは新宿より落ち着ける場所だった(限られた店だが)。

今年の元旦、我が家の新年会で何かの拍子に話題が銀座におよんだとき、孫娘(10歳)が「銀座ってなーに?」と聞いてきた。横浜育ちでディズニーランドやスカイツリーくらいしか知らない子にとって、大人たちが話す“銀座”はワンダーランドと映ったらしい。「そうか、銀座を知らないのか!じゃあ、春休みに案内してやろう」と約束した。しかし、考えてみれば最近銀座へ出かけるのは年に2、3回(主として友人の作品展や昼食会)、この際おさらいをしておこう。そんな動機で本書を手にした。

著者は1956年生れ、雑誌の編集者(職場は築地)を経てフリーの作家になった人。本書を読むと下落合で育ち幼時から母親と銀座へ出かける機会を持ち、中学は慶應義塾中等部、そこには銀座に店が在る友人も居たので早くから親しい街だったようだ。

本書は銀座通連合会のPRウェブサイト「GINZA OFFICIAL」に連載された「銀ぶら百年-イズミ式銀座街並細見」の記事をまとめたものである(一部は広報誌「銀座百点」に掲載)。取り上げられた店舗・事業所・組織は29、これに1丁目から8丁目に至るコラム4回が加わる。いずれもそれなりの由緒ある場所で、百年を語るのにふさわしい。この間現在まで存続するもの、店はあるが場所が移ったもの、商売替えをしたもの、現存しないが百年を語るため往時を偲ぶもの、それに取材後廃業したものなどがあり、銀座の1世紀から世相の変化を窺うこともできる。

“銀ぶら”と言うフレーズが生まれたのは震災前の大正初期、昭和初期「モガ・モボ」が闊歩する時代に定着、戦後の「銀座カンカン娘」時代を経て現在に至る。一般に銀ぶらとは中央通り(かつてはただ“銀座通り”と言ったが)をぶらつくことを言うが、本書では昭和通りや西銀座辺りまでかなり広い銀座を扱う。おそらく連合会の範囲がその辺りまで達しているのだろう。業種は、飲食・ファッションが比較的多く、文具・画材・民芸品・楽器からパイプ店・印刷所・出版社・学校まで広範だ。ただ、現代のブランドショップやデパートなどは話の中には出てくるが取材対象ではない。デパートで唯一取り上げられているのは天下堂。明治42年頃開業、今の8丁目辺りにあり、永井荷風がここの屋根裏(最上階で当時銀座で最も高かった)からの景観を書き残しているものの、早々に銀座史から消えている。

比較的よく知られ現在も残っているのは、伊東屋(文具)、三笠会館(レストラン)、ライオン(ビアホール)、不二家(洋菓子・ミルキー;著者幼児時代の思い出の場所)、名士が顧客のはちまき岡田(小料理)、西銀座デパート、ビルでは4丁目の三愛、最近レトロビルとしてTVなどに取り上げられる旧銀座アパート(奥野ビル;画廊が多く友人のコレクターがここに隠れ家を持っている)、それに明治11年(1878年)創立以来同じ場所に在る泰明小学校(私の母方祖父母は卒業生)、米倉(理髪)、山野楽器店、などが取り上げられている。

オーナー・経営者・従業員への取材、関連文献調査、それに著者との関わりを交え(この部分がただのPR紹介記事と違い面白いところ。例えば、5丁目に在ったテイジンメンズショップ(2021年5月春閉店)は著者の大学時代の想い出深い店(VANのアイビールック))、それぞれの現在に至る歴史、商品、今のビジネス事情を5~6ページにまとめている。残念なのは地図の類が一切ないこと、銀座になじみのない人にいささか不親切だ。

久し振りの銀ぶら計画(本日決行)、孫娘が喜びそうなのは不二家くらいだが、本書のお蔭で私なりの楽しみ方が出来そうだ。

 

5)日本の近代建築ベスト50

-モニュメンタルな国立西洋美術館、東京文化会館、代々木体育館から小教会、個人住宅まで戦後近代建築の代表作を簡潔にまとめた建築評。これを持って街を歩こう-

 


4年前から補聴器を装着している。着けた当初は高音が強すぎるくらいで演奏会など楽しめたし、TV放送の言葉も問題なく理解できた。しかしここ2年くらい聴力劣化は著しく、何度も調整しているが、もはや名演奏は音痴だしTVもニュース・天気予報以外はよく聞き取れない。もう耳で感じ取る催し物(演劇や講演を含む)はダメ、残るは視力のみと言った状態なのだ。読書は一先ず置いて、「これからは絵画・美術鑑賞」とその方面の入門書などに手を出しているが、このところのコロナ禍で美術館へも近づき難い(人混みだけでなく予約も面倒)。屋外中心にいつでも鑑賞出来るのは、景色を除けば、建築・建造物(橋梁・塔など)くらいだ。設計思想・デザイン・構造・資材・施工・使い勝手、様々な角度からこれを見つめる眼を養いたい。そんな思いで本書を手にした。専門家はどこを見ているのかと。

著者は1940年生、大学で建築を学び歴史ある建築誌「新建築」で編集に携わり、その後いくつかの出版社でも編集を主務としてきた人。自身のブログでは「建築おたく」と称しているが、本書を読めば立派な建築評論家であることがわかる。

我が国において“近代建築”と言う言葉が使われるときそれには二つの対象がある。一つは明治期からの欧風建築、もう一つは1920年頃から始まった鉄・コンクリート・ガラスを主材料とする建築である。本書で取り上げる作品は後者で、それもごく一部を除き(レプリカ・大規模修復)戦後に限っている(特に1960年以降の「モダニズム建築」)。それは‘60~70年代が近代建築史の中でも二度とない重要な瞬間と著者が考えているからだ。その依って来たるところを個々の作品説明で行っていくのが本書の骨子である。

50の選択は無論著者の独断。基本的に竣工期順に紹介していく。トップバッターは「自由学園明日(みょうにち)館」(フランク・ロイド・ライト、1922年(学園移設で一時期荒廃していたものを1997年大修復))、池袋と目白の中間に在り、ここは私も外から見ている。ラストバッターは「十和田市現代美術館」(西沢立衛、2008年)。建物の概要、建築としての特色(特に著者が評価する点)を解説するとともに、施主・建築家あるいは施工にまつわるエピソードを交えて1件4頁(写真を含む;モノクロで小さいのが難点)にまとめて紹介する。

著名建築家で複数取り上げられている者を多い順に並べると、前川國男;5、丹下健三;3、村野藤吾;3、磯崎新;3、アントニン・レーモンド;3、大江宏;2、ル・コルビジェ;2、吉阪隆正;2、白井晟一;2となる。比較的よく知られた建物は;広島平和記念資料館(1955年)・代々木体育館(1964年)・東京カテドラル(1964年)(以上丹下)、西洋美術館(1959年、コルビジェ)、東京文化会館(1961年、前川)、日生劇場(1963年、村野)、中銀カプセルタワービル(1972年、黒川紀章)、表参道ヒルズ(2006年、安藤忠雄)など。これらに混じって長年通ったパレスサイドビル(1966年、日建設計(林昌二))が選ばれていたのがうれしい。ユニークなのは南仏にあったコルビジェの休憩小屋(オリジナル1952年)、これをものつくり大学(埼玉)が内部の家具から金物・ネジ仕様まで忠実に再現しもの、コルビジェ財団から正式にレプリカとして認定されている。また夭逝した蒲原茂雄(34歳没)に依る小菅刑務所(1929年)を選んでいるのには意表をつかれた。「美しい白鳥が飛び立とうとしているような建築」と評している(中央の時計付き監視塔からの連想だろう)。また工事を担ったのは建築経験のない受刑者だったとある。

作品を通して解説される師弟関係やライバルに関する話が面白い。コルビジェの弟子は渡仏順に前川・坂倉準三・吉阪の3人、西洋美術館は簡単な図面のみコルビジェが描き、細部は彼等が協力して仕上げていった。時間を経るに師の思想を離れるのは一流なら必定、坂倉は旧神奈川県立近代美術館(鎌倉、1951年)を作るに際し、師の嫌った大階段を採用している。もっと激しかったのは丹下と磯崎の子弟関係、代々木体育館設計中に磯崎は丹下と袂を分かっている。しかし東京カテドラル(1964年)で行われた丹下の葬儀(2005年、91歳没)では磯崎が涙ながらに弔辞を読んだと言う。この丹下とライバルだったのは大江宏、二人は東大建築科の同期(1938年卒)、卒業に際して優秀者に与えられる辰野賞も一緒に受賞している。二人の目指したのは和洋の調和、コンクリートで和を表現する丹下、内部に木材を多用して和を醸し出す大江。それぞれの代表作品は香川県庁舎(1958年、丹下)、香川県文化会館(1965年、大江)、今も斜め向かいでその違いを見せている。ここは二人の巌流島なのだ。

“ベスト”とはいえ評は必ずしも賛辞ばかりではない。代々木体育館の大幅予算超過(丹下は田中角栄蔵相に直訴)、西洋美術館の問題点(柱や照明)、モダニズムの時流に反した日生劇場批判に対する後年の再評価など辛口寸評が薬味として効いている。特に丹下作品については“時代の画期”としつつも“写真写り第一”で施工・居心地・管理に問題ありと厳しい評を下す(これに対して前川は“居心地第一”)。また、コンペでは審査用提出資料が大量になる傾向にあり、組織力の弱い者が参入しにくくなっていることも問題視している。

建築見学のガイドブックとして好適、首都圏に在るのは50の内28、かなりが公開されているので本書を片手に出かけてみたい。なお、著者について少し調べてみたところ、“東京建築散歩 近代建築の楽しみ”と言うブログを運営していた。本書で紹介されたものがそこにも掲載されており(タイトルは多少異なるが)、写真はカラーで大きく数も多くてより理解を深める。でも興味があったら本を買ってあげてください。

 

6)戦術の名著を読む

-戦いの基本は戦術。元戦車連隊長が選ぶ、戦術理論、実地適用、状況判断、情報処理、戦場心理に関わる名著13冊のダイジェスト-

 


ビジネスマン人生45年、子会社や他社に変わっても常に石油と関わってきた。入社来20年間は工場勤務、この間2度の石油危機を体験した。一回目(1973年)は第4次中東戦争、二回目(1979年)はイラン革命が引き金だ。今度のウクライナ戦争で既に高止まりしていた原油価格がじわじわと上昇している。本社は原油の選択・切替・確保やタンカーの手配、さらには政府政策の対応で右往左往だろう。全社的な戦略・作戦の見直しである。私が務めていた会社は小売対象の営業部門は無く、実質工場が唯一の最前線。直ぐに大規模な操業変化は無いものの作戦変更にいかに応えていくか準備は怠れない。つまり日常の運転を維持しながらの戦術対応である。24時間運転を数年連続する装置工業、新原油や省エネのための設備改造は簡単ではない。そこで出てきたのが「コンピュータで何とかならないか?」との声である。結論から言えばシステム屋にとって石油危機は神風だった。今まで投資回収の難しかったアプリケーションが価格上昇で容易にペイするからだ。工場の課長は軍隊ならば中隊長と言ったところか、どの部門よりも先に激戦地に投入され成果を上げる。後に本社管理職、子会社経営に当たったが、企業人人生を振り返ると、苦労も多かったが遣り甲斐のあったのは戦術指揮官として戦ったこの時代である。軍事と企業経営の関係を追ってきた軍事オタクとして、思い入れ深い戦術に関わる名著は無視できない。どんな本から何が学べるか、そんな観点から読んでみることにした。

著者は1945年生まれ、防衛大学校卒業後幕僚監部(旧軍の参謀本部に相当)勤務、戦車大隊長・連隊長も務め、2000年陸将補で退役、現在は軍事史研究家(特に戦術研究)。既刊書「気象と戦術」を本欄で紹介している(2020年6月)。

戦術学習・研究のジャンルを以下の五つに分類する。①戦術学の基礎、②戦術の適用、③状況判断、④情報活動と後方支援、⑤戦場真理。それぞれのジャンルを概説した後、著者が“名著”とするものを取り上げ、著者・著書の来歴、要旨、学ぶべき点を解説する。

①では「指揮官の戦術能力がすなわち部隊の戦闘能力の限界」とし戦術学習・体得の重要性を訴え、戦術は術(アート)と言う暗黙知部分が大半を占めるので自己研鑽が王道として、知識習得のために以下を推奨する。「戦争概論」(ジョミニ)、「アメリカにおける秋山真之」(島田謹二)、「海軍基本戦術」(秋山真之)、「戦理入門」(戦理研究委員会;メンバーは旧陸軍将校36名)、の4編、いずれも戦術学の基礎に関するものである。ジョミニはクラウゼヴィッツほど著名ではないが、スイス人でスイス軍、フランス軍(ナポレオン軍)、ロシア軍で通算70年におよぶ軍歴を持つ(最終階級は大将)。中公文庫「戦争概論」(佐藤徳太郎訳)は原本ではなくサマリーとのこと。

②では軍事組織が保守的・教条的であることを「将軍は前の戦争で次の戦争を戦う」と言う警句で批判、創造性・柔軟性を求め、以下を参考書としてあげる。「改訂版 ヨーロッパ史における戦争」(マイケル・ハワード;ロンドン大学戦争学部創設者)、「機甲戦」(J・F・Cフラー;英陸軍少将、初期の機甲戦の提唱者)、「オペレーションズ(1982年版)」(米陸軍ドクトリン参考書)、「ソ連軍<作戦術>縦深会戦の追求」(ディヴィッド・M・グランツ;米陸軍大佐、ソ連軍作戦術研究の第一人者)。ナポレオンの砲兵運用、戦車の集中利用、米軍による戦術の上位概念としての作戦術導入、トハチェフスキー(ソ軍元帥)の縦深作戦、いずれも伝統とは異なる戦い方が紹介される。

③では戦場での決断は指揮官専権事項、最重要ミッションとして決断にいたる状況判断の過程とプログラム化について考察する。ここで取り上げられる著書は;米陸軍野外教令FM6-0「Commander and Staff Organization and Operations」の翻訳「指揮官および幕僚の業務提要」のみ。ただし、ハーバード・A・サイモンの「意思決定の科学」が本資料と相互に影響し合ったことが縷々述べられている。要は指揮官が、状況が刻々変わる中で恣意的に意思決定することを避け、一般的・合理的意思決定する過程をプログラム化したものである。これは幕僚のいる大隊以上と中隊以下では異なり下部ほど即断即決手順となっている。本書の内容はオンデマンド版や電子版で読めるとある。

④は前線での戦闘を支える情報と後方支援に関する参考書2点。要点は平時と有事の切替である。これが下手だったのは旧日本軍、優れているのは米式マネージメント。取り上げられるのは失敗例として「大本営参謀の情報戦記」(堀栄三)、第1次湾岸戦争有事対応で手腕を発揮した米陸軍兵站担当W.G.パゴニス少将(のち中将)の著した「山・動く」。両書とも実戦担当者の体験談で他の著書のように教科書的でない。

⑤は戦闘における兵士の心理状態に関するもの。戦闘は、死の恐怖、摩擦、霧、偶然などが複雑に絡み、兵士の心身に強烈なストレスを与え、軍隊が健全性を失うことも生ずる(殺戮マシーンに変じる)。戦場心理について2著を取り上げる。「戦場における「人殺し」の心理学」(デーヴ・グロスマン;兵士からたたき上げた米陸軍士官学校心理学・軍事社会学教授)、ナポレオンは「最も危険な瞬間は勝利の直後である」と言っておりグロスマンはこれを交感神経系と副交感神経系のバランスから説き、補充兵の重要性を唱えている。もう一冊は「動くものはすべて殺せ」(ニック・タース;米調査ジャーナリスト、社会医学博士)、これはヴェトナム戦争における米兵による戦争犯罪を扱ったノンフィクション。第2次世界大戦従軍者の平均年齢が26歳だったのに対しヴェトナム戦争は19歳、充分は訓練も受けずに戦場に投入されたティーンエイジャーが平常心を失うのは必定だった。戦争心理、確かに戦術指揮官が学ぶべき重要事項である。

上述のように内容はすべて軍事そのもの、直接企業経営に結ぶところは少ないが、組織の柔軟性・敏捷性、意思決定のプロセス、情報の重要性、平時と有事の切替、人事管理、底通するリーダーシップ論、いずれも企業活動への適用を意識して読めばそれなりのアイディアや行動規範が浮かんできそうな著書ばかり、いくつか読んでみたい気になっている。

 

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