2022年6月30日木曜日

今月の本棚-167(2022年6月分)

 

<今月読んだ本>

1)作家との遭遇(沢木耕太郎);新潮社(文庫)

2)第二次世界大戦秘史(山崎雅弘); 朝日新聞出版(新書)

3)日本探見二泊三日(宮脇俊三);角川書店(文庫)

4)アーカイブの思想(根本彰);みすず書房

5)ナチスと鉄道(鴋澤歩);NHK出版(新書)

6)日本列島地名の謎を解く(谷川彰英);東京書籍

 

<愚評昧説>

1)作家との遭遇

-真摯なノンフィクション作家が展開する、著名全作品に基づく作家論-

 


私が著者の作品に初めて触れたのは1986年5月に刊行された「深夜特急;第1便」による。1947年生まれの著者が1973年~74年(26~7歳)にかけて香港をスタート、ユーラシア大陸を主にバスで西へ移動、最後にロンドンにたどり着くまでの貧乏旅行記である。同じ月に第2便も出たが第3便が出たのは1992年、チョッと間隔の空き過ぎた連載ものであった。「深夜特急」を手にする前、既にノンフィクション作家としての著者の名前は知っていたが、作品を読んだことは無かった。しかし第1便を読み進めているうちにすっかり虜になってしまった。バックパッカー物にありがちな“汗臭さ”が全く無く、品の良さがただよっており、その筆致に惹きこまれたのだ。これを機会にエッセイやノンフィクションに手を出し今日に至っている(ただし、小説は一編も読んでいない)。それらの作品を通じ、横浜国大経済学部で学びながら卒論のテーマは「カミユ」だったこと、卒業後富士銀行(現みずほ銀行)に就職するのだが入社式で「ここは自分の来るところでない」と感じ翌日退職願を出してルポライターに転じたこと、それを許してくれた恩師長洲一二教授(のち神奈川県知事)の墓参を欠かさないことを知り、いつも自分の生き方に真剣に向き合ってきたこの人に好感を持った。そんな著者が著名な作家たちをどう評価するのか、それを知りたく本書を手にした。

本書は書下ろしではない。多くは文庫本に寄せた解説記事を編纂したものである。取り上げられる作家は19人;井上ひさし・山本周五郎・田辺聖子・向田邦子・塩野七生・山口瞳・色川武大・吉村昭・近藤紘一・柴田錬三郎・阿部昭・金子光晴・土門拳・高峰秀子・吉行淳之介・壇一雄・小林秀雄・瀬戸内寂聴・山田風太郎(掲載順)。

著者は、作家と実際に遭遇する機会は、酒場と対談あるいは講演旅行(これは避けている)にあると言う。しかし、登場人物で会話を交わしたことのあるのは井上ひさし・山口瞳・吉行淳之介の三名のみ。あとは解説のため作品を通じての遭遇に過ぎない。しかし、本書は人物論ではなく作家論であるから、それで構わないわけだ。この解説記事を著者はどう考えていたかがあとがき(単行本)に記されている。それは、単なる当該作品の紹介ではなく、卒論の「カミユ」研究と同様、徹底的にその作品集を読み下し、そこから作風と作品紹介に入るわけである。時には大量の著書を海外にまで持参して、わずかな余暇を生かして作家の全貌をつかもうとする。かつて読んだ他の作品との違い、同一題材の他作者との作品比較、歳を経たことに依る社会や自身の変化、作者の残した取材ノートや回顧録まで掘り起こして、作家の全体像に迫ろうとする。こうなると十数頁でとどめるべき作品解説が、時には30~40頁になることもある。この集大成が本書なわけだからその濃さは個々の作家の評伝以上のものになる。

私が複数読んだことのある作家は、山口瞳・塩野七生・吉村昭の三人のみだが、山口に関しては、司馬遼太郎が「命がけの僻論家」と語ったことが記され、好き嫌いをはっきり述べる山口の真骨頂を見つけ出している。塩野に関しては、世に知られることになる最初の作品「ルネサンスの女たち」におけるチェーザレ・ボルジアを、広く膾炙されている悪人像に抗しマキャベッリ同様権謀術数渦巻く時代の犠牲者と見做す塩野の心意気を推しはかる。また、吉村に関しては、ノンフィクション作品と見紛う受け取り方を、本人は嫌悪していたことを紹介する(特に「戦艦武蔵」)。「その通り」「なるほど」「そうだったか」の連続。「さすが何事にも真剣に取り組む沢木作品」が読後感である。

 

2)第二次世界大戦秘史

-ウクライナを侵略したのはソ連・ロシアばかりではない。第二次世界大戦前後大国周辺国はいかに立ち振る舞ったか-

 


世界史を学んだのは高校から。担当教諭は二人、それぞれが西洋史と東洋史を講じた。四大文明の発祥から始まり、西洋史ではギリシャ文明の興隆、ローマ帝国の発展、キリスト教布教、ゲルマンやノルマンの侵攻、イスラム勢力の勃興、十字軍を始めとする種々の宗教戦争、大航海時代、南北米大陸やアフリカ・アジアの植民地経営、東洋史では漢民族国家の成立と変遷、仏教伝搬、モンゴルのユーラシア制覇、シルクロードを通じた東西交易、異民族清朝の中国支配、そしてそれらと日本との関わり、これで一通り世界の歴史を理解したつもりになっていた。またこの程度の知識で、海外ビジネスを含め、日常困ることは何もなかった。しかし、ソ連崩壊と近年のイスラム世界の変容を見るとき、その歴史観がかなり偏ったものであることを痛感するようになる。つまり西欧視座史観、大国偏重史観、自国中心史観であることだ。さらに問題なのは、現代につながる20世紀以前にそれが終わっていることだ。先月本欄で紹介した「物語 ウクライナの歴史」の著者である元駐ウクライナ大使でさえ、赴任するまで「ウクライナはロシアの一部」との認識だったことを率直に語るほどだから、私の世界史観もあながち、非常識ではなかったのだが。しかし、ロシアのウクライナ侵攻でフィンランドやスウェーデンがNATO加盟を決し、中欧・東欧あるいはバルカン諸国へその影響がおよぶ昨今、ほとんど欧州史に登場してこなかった欧州中小国の第二次世界大戦史を知ることは、今の世界を理解するに必須と考え講読することになった。

裏表紙に記された著者紹介には1967年生まれの戦史・紛争史研究家とあるが、Wikipediaには地図職人、グラフィックディザイナー・、シミュレーションディザイナーも併記されており、市井の研究者と言うところか。しかし、この本は掘り出し物だった。

帝国主義や古い王政が衰退する時期に勃発した第一次世界大戦はドイツを中心とした三国同盟側の敗北に終わり、同時に起こったロシア革命の影響もあって、一見理想と見えた“民族自決”ベースの戦後体制の実態は国益むき出しの複雑怪奇な様相を呈することになる。本書の内容はこれを踏まえた上での、欧州・中東中小国の第二次世界大戦における行動を詳らかにするものである。

オーストリア・ハンガリー帝国、ドイツ帝国の支配を脱した中欧・東欧諸国、オスマントルコ崩壊に依るバルカン半島の諸民族国家成立、ロシア帝国から解放されるバルト3国やフィンランドあるいは一時期のウクライナ、中立政策を採りながら大国に翻弄されることになる北欧三国やオランダ、ベルギーなどの西側周辺国、英仏勢力弱体化によるイランを含む中東諸国の動き。チェコからのズデーテン地方分離やフィンランド・ソ連間で戦われた冬戦争のように第二次世界大戦史に明確に刻まれたものもあるが、大半は連合国か枢軸国かに色分けされ、それぞれの勝敗の中に埋没されてしまっている。取り上げられる国は;ポーランド・フィンランド・ノルウェー・デンマーク・オランダ・ベルギー・ハンガリー・ルーマニア・ブルガリア・リトアニア・ラトヴィア・エストニア・ユーゴスラヴィア(クロアチア)・ギリシャ・チェコスロバキア・イラン・イラク・シリア・レバノン・パレスチナ、計20ヵ国。

大国の意図・思惑とは別に、小国間でも民族紛争・宗教紛争・失地回復が動機で数々の戦いが行われ、火事場泥棒のような行為がいたるところで生じている(例えば、第二次大戦前ポーランドもルーマニアもウクライナに侵攻している)。また植民地解放運動や国内の権力争いがこれに絡む。敵の敵は味方、寄らば大樹の陰、小国ゆえに周辺事情で旗幟を変え、まるでオセロゲームのように大戦に影響を与えていく様は、“秘史”と題するにふさわしい内容であった。

国連安全保障理事会の常任国ではなく、核兵器も持たない我が国は、経済大国とは言っても国の安全保障を自らの力だけで保つことは難しい。日米安全保障条約は在るものの、これら小国の盛衰に学ぶことがありそうだ。好みではないが“いさぎよさよりしたたかさ”と言ったところか。

 

3)日本探見二泊三日

-鉄道旅行作家第一人者は、30年前どんな旅をしていたか。13の旅で語るその楽しみ方-

 


2019年7月の北海道ドライブのあと硬膜下血腫とコロナ禍で昨年11月の二泊三日修善寺温泉紅葉狩り以外旅行をしていない。コロナの状況も、ここのところやや前週を上回っているものの、with Coronaのフェーズに入ってきているようだ。政府も夏休みに向けてGo to再開の観測気球を上げ始めており、乗り物好き旅行好きの血が騒ぐ。運転免許証を返納した今、これからは公共交通機関、なかんずく鉄道利用が主体になるだろう。乗り鉄旅行家第一人者であった著者がどんな旅をしていたのか、時間のずれが30年あるものの、旅行先やスタイルから何か旅に役立つ情報が見つけられるのではないか、と期待しての読書である。決め手はタイトルの“二泊三日”である。一泊の旅はせわしない、かと言って一週間近い旅は体力的にきつい。これからの私の旅は二泊三日せいぜい三泊四日が適当なところと考えるからだ。

著者についてはいくつもの作品を本欄で取り上げ紹介しているので詳細は省くが、節目になる年齢について触れておきたい。生年は1926年、中央公論社を退職するのが1978年(52歳)、退社後出版した「時刻表2万キロ」が同じ年日本ノンフィクション賞を受賞、翌年発刊の「最長片道切符の旅」と合わせ鉄道旅行作家としての名声を確立する。この“二泊三日”はJTBが出版していた旅行月刊誌「旅」の1990年1月号から12月号に掲載されたものが中心になり翌1991年3月単行本として出版された(文庫化は1994年)。記された旅は著者64~5歳時実施と言うことになる。1999年気力・体力に限界を感じ休筆宣言、2003年に悪性リンパ腫で没している(享年77歳)。30年の時代の差、著者と私の年齢差、果たして何が役立つ情報か?

本書で記される旅は13編、北海道から九州まで全国規模だが関東は皆無。この13編を著者はA・B・Cの3種に分ける。A:有名観光地。団体バスが駐車場や大旅館にひしめき、旅情が減殺される。B:風景その他はAより若干劣るが、観光客数は数十分の一である。だから荒らされてない。日本の良さが残っており、静かな旅にひたることができる。交通の便もさして遜色ない。C:秘境。交通が不便で、訪れるには体力と時間を要する。そして「本書に収めた13篇は、だいたいBに属する」と総括する。また中には1泊(恵那のマツタケ刈り)や4泊(五島列島)もあるとことわりを入れている。

著者の作品は代表作の前2著を含め、自ら企画し実行し著したものである。しかし、今回はJTBのPR誌ゆえに、著者と編集部の間で訪問先の調整を行っていることがいずれの旅にもうかがえる。ここがそれまで読んだものとの違いだ。決して悪いわけではないのだが、「この旅は個人旅行では無理だろな~」と思えるものが多い。例えば唯一の“秘境”とも言える熊野古道の旅、鮎川温泉(褐色)の湯で炊いた黄金飯なるものを食すことを企画しそれを供する旅荘の予約を入れると「お一人さんはお断りしています」となるのだが、JTBの力でそれが可能になる。また、秋田の「かまくら」(県内何ヵ所かで同時期開催)を巡る旅でも、「1年前から予約が埋まる」はずがJTBの口利きですべて可能になる。いずれも正直にその経緯を書いているところは、いかにも著者の人柄が伝わり、好感は持てるのだが特別扱いの感は免れない。

著者を有名にしたのは乗り鉄、本書でも乗り物は鉄道主体、1990年には既に旧国鉄から第三セクターに移管されたものが多いのだが、その後それすら廃線になったものもいくつかある(旧夕張線、北海道ちほく高原鉄道・ふるさと銀河鉄道(帯広-北見を結ぶ)、JR三江線)。また線は現存していても列車が無くなっているもののある(五能線に乗るため上野発秋田経由の寝台特急「あけぼの」を利用しているが今は走っていない)。つまり、路線・乗物面からここに記された旅は不可能なのだ。

そんなわけで、本書の内容再現を期待してこれからの旅を考えることは適当でないが、鉄道愛、目立たぬ地方の旅情、商業主義旅行批判、において“宮脇節”は健在だし、旅への心構えを醸成すると言う点において、役立つ一冊であった。

 

4)アーカイブの思想

-書籍と建物だけ揃えれば図書館なのか?本来知の創生根元となるべき場所だ!図書館学の先駆者がそれを質す-

 


本ブログのURL(アドレス)はkanazawalibraryつまり金沢文庫、住居最寄り駅の名前である。鎌倉時代中期執権(4代、5代)の評定衆や寄合衆を務めた北条実時の私設文庫が在ったことに因んだ地名、そんな歴史上の読書人に少しでもあやかりたいとの思いを込めてアドレスを名付けた。実時の集めた古書・漢籍は歴史の中で四散し、今は隣接する称名寺(金沢八景の一つ;晩鐘)が保存していたもの(国の重要文化財を含む)を展示する県立博物館となっている(最初の神奈川県立博物館)。

ただの多読・乱読者に過ぎないが、全くと言っていいほど図書館を利用しない。中学校では図書室の世界名作全集を読破したが、高校では選択科目空き時間の調整場所、大学では入学時一度「どんなものか?」と訪れたがカードベースの書籍検索に辟易、専攻学科の小規模な図書室利用に留まった。公的図書館へ踏み入れたのは子供の夏休みの宿題を手伝ったときくらいである。現在横浜市の図書館利用者カードも持っているが、一度も借り出したことはない。つまり図書館とは無料貸本屋兼場所貸屋と言う認識、私にとってほとんど不要不急の存在である。どうやらこれが日本人の図書館利用の平均像であるらしく、著者はそこに「アーカイブ思想」の未成熟を感じ取り、その必要性を訴えるため本書を著したようだ。

著者は1954年生れ、東大名誉教授・博士、専攻は図書館・情報学。1979年筑波に創立された国立図書館大学でも教鞭を執っているがそれが2002年筑波大学に吸収されたことも図書館学に対する認識不足と受け止めている。現在は慶応義塾大学文学部教授(慶応の図書館学は1951年GHQの指示で開設された日本図書館学校を嚆矢とする)、本書はコロナ禍に依る2020年度学部生向けオンライン授業用(週1講)の教科書が基になっている。

第1講はアーカイブの定義から始まる。アーカイブズ(複数)は文書・記録(ドキュメント)そのものとそれを管理する場所。これに対してアーカイブ(単数)はドキュメントの中でも意図的に集め保存するものあるいは行為そのもの指す。前者が物中心であるのに対し後者は“意図”と“行為”を重視する。また、欧米のアーカイブズ(場所)は図書館・文書館ばかりでなく博物館も含まれる。そしてアーカイブの真の意義は、「後から振り返るための知を蓄積する利用できる仕組みないしそうしてできた利用可能な知の蓄積のこと」とする。この観点からすると、我が国のアーカイブは保存物や建物重視で、本来の知の蓄積・活用が上手く図られていないとみなし、以下9講で西欧における知の考え方・蓄積方法・活用方法を辿りながら、我が国におけるそれを歴史的に比較検討し、今後のアーカイブ施策の在り方で結ぶよう展開していく。

西洋思想の変遷を古代ギリシア→古代ローマ→中世→ルネサンス→近代前期→近代後期の流れの中で分析、そこには常に言語(特に話し言葉)の重視(論理や弁論術)が存在、真理や法則を言語と同一視する思想が在ったと説く。知を共有すること(一般常識化)の位置付けが和洋では出発点で異なっていたとの見方である。確かに、保存に関しては金沢文庫の例を引くまでも無く、我が国にもそれなりの歴史はあるが“共有”活用と言う点では私的な存在であった。

書くと言う行為はいつごろどんな形で始まったか、筆記を残す母体の変遷、書写から印刷への変化、製本技術など書き言葉と書物テクノロジーに関する講。図書館の歴史ではアレクサンドリア図書館と修学院の違いも語られる。知の公共性と共同性では大学の誕生・変化も大きな影響因子だ(修道院→キリスト教研究主体の大学→一般教養→専門教育・研究)。教育関連では西欧(特にフランス)の大学入学資格試験(バカロレア)における哲学教育(科挙のような暗記中心でない)が深耕される。書物活用と言う点では、その分類法、検索方法、一つの知から他の知への関連付け(レファレンス)も必須だが、試行錯誤が繰り返されてきた。我が国のアーカイブ思想についても1講が設けられ、江戸時代のリテラシーから説き起こし、維新後の近代世界システム(学術知、殖産興業など)導入に触れ、既に近代化モデルが存在したことでアーカイブの必要性が薄かったと見る。一方で教養主義は「買って読む」方向に流れていった。最後の講はネット社会におけるアーカイブ。ここでは機械的な情報収集・保存のネックであった漢字の存在が解消されたこと、マルチメディアの活用などに言及してアーカイブの機能が言語処理から知識処理に転じていることをプラスと見る反面グーグル検索アルゴリズムのブラックボックス化のような不安要素も指摘する(例えば検索数に依る論文評価)。

新しい知は、しばしばアマチュアによって萌芽する(例えば、柳田國男は農商務省の役人でありながら我が国民俗学の始祖となったように)。図書館の活用はそうあって欲しい。これが著者の願いである。

学部学生対象の講義内容ゆえ理解に難儀することはなかった。また図書館学と言う分野を知ることも有意義だった。しかし、新しい知の創生と言う点では、教育システム・社会システムの根源に関わる問題であり、残念ながら現在の図書館が提供する貸本業・場所貸業(いずれも無償)を脱することは極めて難しいと言うのが読後感である。いっそのこと、新聞や一般向け小説など置かず、暇つぶしの老人(朝一番で来館、新聞やベストセラーを奪い合っているような)など来られない場所(調査・研究主体)にする施策が選択肢として浮かんでくる。ただし、この場合司書の質は一段と高いものが求められるが、我が国でその任に当たる人達の現状は如何なものなのであろうか。本格的図書館利用をしなかった者として、この辺りが気になるところだ。

 

5)ナチスと鉄道

-東方生存圏拡大を使命としたナチスドイツ。鉄道はそこで如何なる役目を果たしたのか-

 


19世紀欧州に鉄道が普及してくると軍隊の移動をそれで行うことが各国でこころみられるようになる。実際の作戦でこれを成功させたのがプロシャ軍の参謀総長だったヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケ、通称大モルトケによる普墺戦争(1866年)における精緻な鉄道利用であると言われており、今でも兵站を論ずる書籍でこの話がしばしば引かれている。しかし、この戦争全体から見ればそれほど革新的な効果があったわけではないと言うのが、専門家の定説になっている。大モルトケが優れていたのは、それを大いに喧伝したことにあるとの厳しい評価さえあるくらいだ。だが、当時の軍トップにあって、大モルトケの鉄道に関する知識は断トツであったことは間違いない。このプロパガンダを信じて作られたのが、統一ドイツの陸軍参謀総長を務めたアルフレート・フォン・シュリーフェンが1905年作成したシュリーフェン計画である。東西の仮想敵国ロシアとフランスを同時に撃つために先ず中立国のオランダ、ベルギーを反時計方向に回ってパリを落とし、返す刀でロシアと戦う二面作戦。この“返し”手段として鉄道を利用する案である。シュリーフェンは大モルトケとは異なり実戦にも鉄道にも疎い事務官僚軍人ゆえ、机上のプランは実現不可、結局この計画で戦った第一次世界大戦の参謀総長小モルトケ(大モルトケの甥)は長期消耗戦に引き込まれ、ドイツ帝国は滅びることになる。ではこれらから学んだはずのナチスドイツ下の鉄道と軍事はどのようなものであったか、それが知りたく本書を手にした。

著者は1966年生まれの阪大経済学部教授(近現代ドイツ経済史・経営史)・博士、駐独大使館専門調査員の勤務経験もある。「鉄道史を追えばその国の近現代史がわかる」との観点に立ち、その種の既刊書もある。従って今回の私のような軍事作戦と直結する鉄道の役割に関する情報を求める者にとっては、いささかスパンの広い内容であった。

先ず、前史として語られるのは、小国分立の領邦国家の鉄道史で、そこにはそれぞれの国家の経済政策・交通政策が色濃く反映されており、普仏戦争後ドイツ帝国が誕生しても統一的な経営が出来ておらず、それが陰に陽にナチス政権誕生まで続く。中でもプロイセン主導に対するバイエルンの独立性主張が顕著だ。ITを生業としてきた私にとっては、メガバンクの一つとして誕生しながら20年経っても情報システムのトラブルが続くみずほ銀行を彷彿させる。ナチス政権は独裁体制であったからこれを強引に解消していくが、そこには独裁の悪しき面がライヒスバーン(RB、帝国鉄道;帝国ではないが名称は継続)へ別の影響を及ぼす。党と官僚組織の主導権争い、それにユダヤ人排斥問題である。経営陣内における党員・非党員の対立、占領地区における別組織の設立、優れたユダヤ人CFO(財務担当役員)の排斥と彼の亡命、がそれらの具体例だ。最大の問題点はヒトラーの鉄道に対する関心の薄さだ。彼が興味を傾けるのは自動車と航空機。アウトバーン(自動車道)はRBの最大のライバルとなり、資材などの割り当てで常に後塵をはいすることになる。戦争推進の重要因子である鉄道について、このような背景から説明していく点に、単なる戦史や戦記物とは異なる価値を本書に見つけた。

さて戦争である。先ず緒戦のポーランド戦。鉄道誕生以前のポーランド史はともかく、近代の独立は第一次世界大戦後、それ以前はドイツ領であったことから、鉄道もその方式を継承していたので、ゲージ・車両ともドイツのものがそのまま使えたが、装甲軍の作戦に鉄道は脇役的存在、兵站輸送は自動車・馬匹が中心となる。それでも軍需物流は当然増加、そのしわ寄せは民需に来る。鉄道整備の遅れから、ルール地方からの石炭輸送が著しく滞り、ドイツ国民は厳しい冬を過ごすことになる。またポーランド占領に伴いこの地の鉄道経営はRBとは別に設立された総督府直轄の東部鉄道が担うことになり、これが後の独ソ戦に大きく影響する。

翌1940年5月西方電撃戦が行われるが、著者が触れるのは占領下のパリ東駅で行われた交通大臣(前RB総裁)ドルプミュラーの“欧州鉄道覇権”に関する演説のみ。軍事作戦との関わりには一切言及していない。あれだけの作戦だっただけに鉄道が無関係とは思えないのだが・・・。

背景や準備段階から詳細に語られるのは独ソ戦。距離の問題、道路事情、厳しい冬、これらのことから政権も国防軍も鉄道依存が高まることは予期していたのだが、それはあまりにも楽観的なものであった。つまり、装甲軍主体の大規模包囲殲滅作戦でソ連の鉄道網・機材が容易に手に入る前提なのである。実態は大違いだった。撤退するソ連軍は機関車を含む資材、通信システム(信号を含む)を徹底的に破壊していった。やむなく広軌ゲージを標準ゲージに改軌しながらの進軍となる。しかし、ドイツの機関車は厳冬に耐えられず故障続出、加えてRBと東部鉄道の経営の違いが混乱に拍車をかけ(路線延伸権、車両・人材・資材の奪い合い、運航計画の非整合性)、ついに鉄道輸送不全に陥る。独ソ戦は両国の鉄道輸送力の違いで決した。これが著者の結論である。ここには、定量的なデータ、当時の日本人鉄道技術者の見解なども引用される。

さて守りに回った西部戦線である。米英航空軍の戦略に違いがあったことは有名だが(英;夜間絨毯爆撃、米;昼間精密爆撃)、この中で英米軍とも力点を置いた戦術に鉄道要衝の破壊(大都市の駅、操車場、鉄橋、)がある。この作戦検討メンバー(米戦略調査局員)の中に、かつて第一次世界大戦後の混乱期を鎮めRBを再興させたユダヤ人CFOルートヴィヒ・ホムベルガーがおり、古巣の弱点を的確に暴き出していたことは、ナチスゆえにもたらされた亡国のブーメランと言える。

先にも書いたように、本書は軍事に焦点を絞ったものでは無い。しかし、1930年200km/hを越えたプロペラ推進の「レールツェッペリン号(実験用単車両)」、1935年5月ハンブルグ・ベルリン間の営業運転を開始したディーゼル・電気機関車牽引の「空飛ぶハンブルグ人」(平均時速125km/h)、1936年6月200・47km/hの世界新記録を樹立した05型蒸気機関車、また、1942年ころから検討が始まった(つまりソ連征服後の)ユーラシア大陸横断超広軌鉄道「ナチスドイツのスーパートレイン」(軌間3m、機関車;全幅5m、全高6.65m、全長60m、速度250km/h)など、鉄道に依る国威発揚策・戦後策の数々が取り上げられており、“ナチスと鉄道”のタイトルに恥じない内容であった。また、戦争との関わりにおいて、東部戦線偏重の感は免れないが決して無用のものでは無く、東部戦線の定量データは極めて貴重な情報と評価でき、確実に保存版となる一冊だった。

 

6)日本列島地名の謎を解く

-自然環境・歴史は当たり前、動物・数字・当て字もそれなりの由来があった。謎解きのような地名まで90、ALSを患いながら決死でまとめた地名エッセイ-

 


小学校から高校まで学ぶ教科は幅広い。当時の国立大学入試は5教科8科目(英語・国語・数学(2)・理科(2)・社会(2))だったから工学系志願とはいえ社会科も2科目選択する必要があった。結論から言えば国立の入試に失敗したから社会科は意味なかったのだが、高校時代学んだ人文地理は予想外に面白く社会人になって英語・世界史に匹敵するほど役立つ科目だった。国内に限らず海外でも、その土地のちょっとした知識が濃密な人間関係を作り出し、ビジネスチャンスを広げたのである。それはビジネスの社会を去ってからも同様、新しい友人達との共通話題を提供してくれる。本書は珍しく自ら買い求めたものではない。ジム仲間が「読み終わったから進呈します」と渡してくれたものである。通常このように他人から貸与・贈与された本の読書優先度は低いのだが、“三つ子の魂百まで”、ついついに触手が延びてしまった。中身は「そうだったのか!?」の連続、雑学の範囲をこの歳になって広げる喜びを味わった。

著者は1945年生れ。筑波大学名誉教授(副学長)・博士(教育学)。民俗学専攻で地名研究もその一環であったようだ。大学退官後ノンフィクション作家(地名作家)に転じNHKの「日本人のおなまえ」などに出演していた、と著者紹介にある。はじめにを読んで驚いた。2018年体調を崩しそれがALS(筋萎縮性側索硬化症)と判明、本書で取り上げられる現地訪問の一部はよろけながらの取材であったと記されている。さらに、出版編集時には人工呼吸器装着必須で口述も出来ない中で作業を進めたとある(発刊日は2021年10月1日)。その熱意・執念だけでも一読の価値がある著作だ。

構成はテーマ別に8章から成り合計90の地名・駅名(時にはバス停もある)が取り上げられている。記述内容は、基本的に来歴を辿るものの、画一的ではなく、時にはその土地の統治者にまつわる話になったり、今日的な話題になったりあるいは漫談風になったりと変化するので、飽きが来ない。また学者・作家としての姿勢は“現地・現物”重視を貫いており、その点からも話が身近に感じられる。これは書下ろしでなく、初出が警察職員向けの月刊誌「BAN」(2006年~2019年)や全国商工業新聞に連載されたものだからであろう。ALSに侵されながら本書が完成できたのも、この書き溜めがあったことによる。

第1章 聞いてびっくり、ユニークな地名;宮本武蔵(駅名、岡山県美作市)、南蛇井(なんじゃい?群馬県富岡市)、向津具(ムカつく!山口県長門市)、半家(はげ→禿?高知県四万十市)、浮気(ふけ、滋賀県守山市)、十八女(さかり!徳島県阿南市)、とにかくびっくりするような地名のオンパレード。宮本武蔵は完全に後付けだが他はそれなりの背景と歴史を持ち、土地の人々には何ら違和感のないものなのだ。飛鳥、熊谷、犬山、鵠沼(鵠は白鳥)、亀有など動物と関わる地名。三田、五箇山、六本木、九度山、十三、千日前など数字にまつわる地名。不知火、安房、安曇野、宍道湖、太秦など古代史を辿る地名。鵯越、蹴上、桶狭間、関ケ原、巌流島、田原坂など武人の鼓動を伝える地名。中でも興味深く読んだのは都会の地名である。青山、代々木、梅田、関内、雪ノ下などが取り上げられているのだが、梅田が埋め田から来ていることを初めて知ったし、同じ大阪の立売堀(いたちぼり)の由来にはその変幻に思わず絶句した。大坂冬の陣に際し伊達政宗がこの地に陣所を構え周囲に堀を回らした。大阪人は伊達を“だて”と読めず“いたち”と発音、それが“鼬掘り”にならず“立売”なったのは、堀が運河につながりそこに材木商たちが集まって、材木を立てて売っていたから “立売”=“いたち”になってしまったとのこと。土地の人以外読めるわけがない。

学者としての研究の一端が窺えたのは、本来の地名が改名されている理由である。奈良時代元明天皇時「風土記を編集するに当たって、国・郡・郷などの地名を『好き字』に改めよ」との勅令が出ていることである。以降平安期まで『好字(こうじ)』2文字が主流になっていく。ここから堺のような一字表現が残るのは極めてまれで、それだけ自治力が強かった証しともとれるようだ。

写真(元気な時に自分で撮影したもの)・地図も充実しており、旅行計画・実施の参考として有用な一冊と言える。

 

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2022年5月31日火曜日

今月の本棚-166(2022年5月分)

 

<今月読んだ本>

1)読書とは何か(三中信宏);河出書房(新書)

2)鉄道無常~内田百閒と宮脇俊三を読む~(酒井順子); 角川書店

3)80歳の壁(和田秀樹);幻冬舎(新書)

4)物語 ウクライナの歴史(黒川祐次);中央公論新社(新書)

5)プロ野球 元審判は知っている(佐々木昌信);ワニブックス(新書)

6)幕府軍艦「回天」始末(吉村昭);文藝春秋社(文庫)

 

<愚評昧説>

1)読書とは何か

-読書は未知・未開地での狩りである。ただし暇つぶしの読書は対象外-

 


私の読書は確たる目的があって行っているわけではない。強いて言えば「いささかの好奇心と時間潰し」と言ったところである。子供の頃母から「活字中毒者」と言われた病が今に持続、その中毒症状がますますひどくなってきているに過ぎない。だからあらためて「読書とは何か」など考えたことも無かった。それでも書物に関わるテーマは好みのジャンルだから小林秀雄や丸谷才一あるいは編集者や作家などの読書論や書評エッセイは随分読んできて、それらに学びつつ、自分なりの読書スタイルは出来上がってきていると思っている。しかし、本書のように大上段から「読書とは何か」と問われると、(全く知らない著者名だが)「ご意見、聞かせていただこうではないか」となった次第である。

著者名を知らなかったのは全く私の浅学菲才ゆえであった。1958年生れ、食品産業技術研究機構に属する進化生物学・生物統計学の専門家(農博)だが、長年読売新聞の書評委員を務め、本書の先駆けとなる「読む・打つ・書く~読書・書評・執筆をめぐる理系研究者の日々」なる本を出しているほどの読書人かつ蒐集家であることを読み進めることで知った。

先ず読書の目的は「もっぱら仕事のため」と明言、しかもハウツー物や入門書の類は流動食と同じで読みこなす効率は良いが考え抜くための知力を鍛えることには無力と切り捨てる。従って小説・エッセイは皆無、新書などもごく一部(宮脇俊三の鉄道物)しか事例として取り上げられない。つまり私のような暇つぶしや活字中毒解毒は対象外なのだ。とは言えこの読書論はユニークで面白く、示唆に富む。

帯にもあるように著者は読書を“狩り”ととらえる。地図も道も無い、そんなジャングルに踏み入り獲物を獲得する行為と見るのだ。一歩一歩歩みを進めながら先に在るものさらには全体像を推理・推論(abduction;仮説形成)、そして獲物を仕留める(作者の意図を理解する)。この最後のとどめは読了で終わるわけではない。来た道を戻り獲物が本物かどうかを再度確認する。往路を如何に進むか(ノード;節を見つける)、復路では何をするか(ネットワ-ク;節をつなぐ経路網を確認する)、これを種々の書物(ほとんどが広義(著者の専門域外を含む)の専門書)と多様な読書法;完読(読み急がず一定速度で、メモを取る、時々休む)・速読(速読術ではない。B5版850頁を2週間で読破した事例;ツイッターを頻繁に利用し、ごく短い要旨や感想を打ち込む)・拾読(読み尽さないで文意をつかむ)・熟読(深読みし過ぎることの危険)・精読(読書ノートを作り込む。これで学位論文を完成させた)・解読(特に外国語;逐次訳でなくかたまりとして読む。一定速度で(不明な単語があっても)“見る”ように読み進む)・図読(図・絵・写真などを読み取るヴィジュアルリテラシーの重要性)・休読(途中で撤退する勇気)・積読(いつか読もうと言う“希望”が大切)などを例に紹介するのが本書の概要である。

おそらく読書動機の中で好奇心を満たすことは誰にとっても最大の因子だろう。そしてその対象が少しずつ見えてくるのは“狩り”の感覚だと言うのは納得感がある。ただし私の場合未知探求の対象選択と解明目的が明確でないから獲物は価値あるものとは限らない。ほとんど役に立たない雑学知識ばかりが実態だ。でもそこには未知が既知になる満足感がいつも在る。また、読書中赤線引きや余白への書き込み付箋付けを行い“往路”に目印を残してきたし、それを基にここ10数年本欄の雑文(復路)を書き続けてきた。深みは著者と比較にならないものの、自己流の読書法がまんざらではなかったといささか自信を得た。著者が扉に記した“Lego, ergo sum(我読む、故に我有り)”は当に今日この頃の私である。

 

2)鉄道無常~内田百閒と宮脇俊三を読む~

-時空を超え鉄道作家巨匠二人の鉄道観・旅行観を比較検証、その真意を解明する-

 


第5波のコロナまん延が治まりを見せた2021年11月下旬、2年前の蓼科ドライブ以来久しぶりの旅に出た。東海道在来線を利用した修善寺温泉行きがそれである。横浜発12時24分発の踊り子115号、昼食には高島屋地下でおこわ弁当と500mℓの缶ビールを用意、動き出すと車窓を眺めながら飲食を開始する。何故か「動いてから」と言うのが習い性になっている。クルマ旅では絶対に味わえない鉄道旅の大きな楽しみの一つがこれだ。だから景観と飲み食いをうまく合わせることが計画の骨子となる。踊り子号のメインは熱海から伊東線に入りそこから伊豆急で下田を目指すもので、修善寺行きは熱海で切り離されるのだが、その本数は限られており、昼食時をまたぐのはこれ一本しかない。当にそのために走っているような列車だった。乗り鉄とはとても言えないものの、運転免許証返納後「これからは鉄道旅」と目論む者にとって、幸運なスタートだった。本書は乗り鉄作家の二大巨匠、内田百閒と宮脇俊三の作品を鉄道と言う同じまな板に乗せあれこれ調理する、ある種の比較作家論(エッセイ)である。当然食事と酒は欠かせない。

内田百閒(榮造)は1889年岡山生れ、旧制第六高等学校から東大文学部ドイツ文学科に進み、卒業後は陸軍士官学校・海軍機関学校・法政大学で独語を講じるとともに作家活動を行っている。旧制中学時代から漱石に心酔、やがて門下となる。「冥途」や「百鬼園随筆」などの作品は高い評価を受け、戦前から名文家として知られていた。鉄道作家として認められるのは1950年(昭和25年)~1955年(昭和30年)小説新潮に連載された“阿房(あほう)列車シリーズ”に依る。

宮脇俊三は1926年生れ、国会において国家総動員法に関する佐藤賢了中佐の説明をヤジり倒し「黙れ!」事件を起こした宮脇長吉代議士(元陸軍大佐)の三男。旧制成蹊高校から東大理学部地質学科に進むが途中で再試験を受け、文学部西洋史学科に移っている。1951年(昭和26年)卒業後中央公論社に就職、中公新書の発刊、中央公論編集長、常務取締役編集局長を務めた後1978年退職、この年出版された「時刻表2万キロ」は国鉄(現JR)全線完乗を表したもので、第5回日本ノンフィクション賞を受賞、一気に鉄道作家の頂点に立った。

親子ほど歳の離れた二人だが、根っからの鉄チャンだった宮脇は少年時代の想い出も多々書き残している。一方百閒の阿房列車は戦後のことだから、乗り鉄としての時代背景は重なるところが多い。また宮脇は「阿房列車」の愛読者だった。著者は両者の作品を時間軸に沿って解説、そこから見えてくる二人の世相観・鉄道観を対比し、共通する本質に迫っていく。かつて見た原風景をなつかしみ、それがいつまでもそこにあって欲しいとの思い。一方、新線が出来、最新列車が走るとそれに“発情”してしまうのも鉄道ファンの性。二人の作品から著者が読み取ったものは、古きものにノスタルジーを感じつつ常で無いもの(無常)を追い求めている、アンビバレントな乗り鉄の姿だ。そして時代の変化にそぐわず消えていく廃線、変わりゆく景観に物事に終わりのあることを読者に告げていると読む。

二人は何故鉄道紀行作家となったか、どんな作家だったか。話はそれぞれのデヴュー作の冒頭から始まる。百閒の特別阿房列車;「なんにも用事はないけれど、汽車に乗って大阪に行ってこようと思う」、宮脇の時刻表2万キロ;「鉄道の「時刻表」にも愛読者がいる」。ここに鉄道を他の目的(例えば観光)のための単なる移動手段と見ていない、根っからの乗り鉄の神髄が結実されている。百閒はこの後方面・本線別に何本も阿房列車(例えば鹿児島阿房列車)に乗車するが、訪問地の情景や名物が描かれるシーンはほとんどなく話題は専ら車内・車窓と列車の動きだけで、名紀行文を残している。他方宮脇の切り口は多様で、一駅もダブらず一筆書きで最長切符を考え出し購入、有効期間内にそれを乗り切る「最長片道切符の旅」、「増補版時刻表昭和史」では少年時代からの鉄道利用体験を当時の時刻表とともに語る。後者は期間が昭和8年から23年までと言うこともあるが、ここにも観光は全く無い。

重なる話題は、少年時代の鉄道に対する思い、戦中・戦後の鉄道事情、乗車前の行動(先頭から最後尾まで一覧)、鉄道唱歌、そして酒。特に百閒の酒豪ぶりは凄い!のべつ幕なく飲んでいる印象だ。相手はいつも同行する国鉄広報担当の平山三郎(百閒の呼称は“ヒマラヤ山系”)。専ら(自腹で)特急・急行一等車を利用する百閒の食事は食堂車、駅弁は一度も現れない(酒は途中停車の際ヒマラヤ山系に調達させることもしばしば)。一方宮脇は三等車・普通車での日本酒一人酒と駅弁が定番だ。

引用されている両者の著作はほとんども所有し読んでいるが、二人を並べ比較すると、本格的乗り鉄始祖の共通点・相違点が明らかになり、一段と作者・作品への関心が高まった。ぼつぼつ再読してみるか、と。

著者は1966年生れ、高校時代から雑誌のコラムなどに投稿してきた作家・エッセイスト、宮脇には取材経験もある。女子鉄のはしりでもあるようだ。

 

3)80歳の壁

-存在の耐えられない軽さ。書き物版“気休めの仁丹”-

 


来年で干支は7廻り、84歳になる。これまで2019年秋の硬膜下血腫発症を唯一の例外として、入院したり手術を受けたりすることなく現在に至っている。就学来学校や職場を病(主として風邪)で休んだことは計2週間に満たない(中学・高校精勤賞)。とは言え、人並みに加齢とともにあれこれ体調異常は表れている。慢性胃炎は四半世紀前から、やがて高血圧、昨年からは変形性腰椎症(いわゆる坐骨神経痛)。その都度服用する薬が増え、単位も上がってきている。先月も年2回の血液採取結果から、食生活や運動量では改善が期待できない数値劣化に新たな薬投与を警告された。自覚症状は全く感じず日常生活に不自由も無いのに新たな薬を服用すべきか否か迷った末に、次回(半年後)の検診まで執行猶予にしてもらった。平均余命8年を考慮すれば、痛みなどの苦痛が無い限り、過度な(?)医療処置を受けない方が良いと考えるからだ。医療の専門家はこれをどう見るのか、それを知りたく本書を求めた。

新聞広告に高齢者の気を惹くような文言が連ねてあった。食べたいものは食べていい、お酒も飲んでいい、健康診断は受けない方がいい、ガンは切らない方がいい、血圧・血糖値・コレステロール値は下げなくていい、薬は不調がある時だけ飲めばいい、運転免許は返納しなくていい、運動はほどほどに、散歩が一番、「脳トレ」よりも自分の好きなことをする、嫌いな医師とはつきあわない、等々。本書全編、このような短い警句とこれも短い解説が続く。最後の章はこれが50音カルタになる。一応その論拠のようなこと(経験談)を簡単に示すが、何とも軽い本だった。要は「高齢者は無理して延命策など考えず、気楽に生きればいい」と題材を変えながら延々と述べているに過ぎない。ある意味、気休めにはなったが、あまりの軽さに、何か詐欺にかかったような読後感が残るばかりである。

著者は1960年生まれ、東大医学部卒の精神科医、本書には記されていないがアルツハイマーに関する研究で博士号を取得しており、現在は精神科クリニックを経営。本書の中で一時期浴風会(社会福祉法人)と言う老人対象の医療機関に勤務、個々の警句の裏付けはここでの知見が援用されている。この医療機関は関東大震災後行き場のなくなった老人を救済するために下賜金を基に国と東京府によって設立・運営されてきた、当時としては先端老人介護施設だったので、老人病に関しては特異な存在のようである(主にWikipediaから)。問題は著者がここでどの程度存在感のある医師だったかである。と言うのも、大学在学中の1980年から受験指南書を出版、その後もこの種の出版物を中心に、表層的な心理学書、医療業界や老人問題に関する種々雑多で膨大は著作を発表、とても丁寧に一冊ずつ執筆することは常人には不可能と思える(本書を含め多分口述筆記であろう)。また予備校講師、映画監督などを兼ね、多才なことは確かなようだが、腰の据わった研究者とはとても思えないのだ。

興味のある方は書店で立ち読みする程度で充分!

 

4)物語 ウクライナの歴史

-混迷するウクライナ情勢、歴史からその因が見えてくる-

 


ウクライナと言う地名を知ったのはいつだったか記憶にないが、中学の1,2年生の頃社会科の授業で国際連合原加盟国(対日・独・伊宣戦布告国)の中にウクライナと言う“国”があることを知った。それまでソ連邦の一部と思っていたから大いに違和感をもちその国名が記憶に残った。実はそれは社会人になるまで続いたが、格別調べよとも思わなかった。やがて近代史(特に第二次世界大戦史)に惹かれるようになり、その過程でスターリンの要求をチャーチルが認める格好でウクライナ、ベラルーシが国連において独立国として認められたことが分かった。つまり当時の英連邦はカナダ、オーストラリア、ニュージーランドなど複数の国家で構成され、それぞれが加盟することになっており、ソ連もロシアの他に連邦を構成するいくつかの国をそれと等価な資格を持たせることにしたのだ。しかし、そうなっても地続きの両国はどうしてもソ連の一部との感覚は拭いされなかったし、既に真の独立を果たしていた2003年8月のオデッサ精油所訪問でも変わることはなかった。今度のロシアに依るウクライナ侵攻で、今までのウクライナ観を改めなければと痛感し本書を読んでみることにした。

著者は1944年生まれの外交官、1996年~99年(エリツィン時代)の駐ウクライナ大使。本書初版の発行は2002年(13版を重ねるが内容は改訂されていない)、既に20年を経て、ウクライナ国内政治・対外関係は変転しているにもかかわらず、今読んでも時代の隔たりを感じさせない。つまり、著者の視点はウクライナ、ロシア双方に向いているが論旨は「ウクライナとロシアとは違う!」にあり、その独立志向は共産革命以降のソ連史だけで語るにはあまりにも複雑で歴史の長いものであることを教えてくれる。ウクライナ史に関する他の本は読んでいないが、おそらく最も適切なものの一つでなないか。

歴史は紀元前8~3世紀の出土品にさかのぼり、イラン系スキタイ人の存在から始まるものの、現在のウクライナ、ロシア共に民族としてはスキタイと異質である。ウクライナと言う言葉が歴史に現れるのは12~3世紀、その意味は「辺境」「土地」「国」などを意味する一般名詞、現ウクライナを特定する地名になるのは16世紀のことである。この間ギリシャ人の植民、ゴート族やフン族の流入、東ローマ帝国領、コサック、スラヴ人と目まぐるしくこの地の主は変わっている。10世紀ごろキエフ・ルーシ公国が起こったところから、現代につながるロシアとの関係が始まる。つまり、ウクライナ、ロシア双方がこの公国の後継者であることの正統性・相違性根拠を求めるのだ。ロシアの主張はキエフ公国消滅後この地はリトアニア・ポーランド領地となり後継者は無かったとするもの。ウクライナの言い分は、ウクライナ西部に栄えたハリーチ・ヴォルイニ公国こそその後継者であるとする。両者の論をさらに複雑にするのはスラヴ民族発祥の曖昧さである。欧州の主要民族;ラテン、ゲルマンに比しその出現は遅く、それによる国家建国も無いまま中東欧に居住域が広まっていったため国と民族の関係付けがむつかしい。とにかくこの地が諸民族(ヴァイキングからコサック、モンゴルまで)と宗教(ユダヤ教、イスラム教、ギリシャ正教、カトリック)の混沌とした場所であり続けたのだ。

ウクライナが一応国(ヘトマン国家;コサックの首領)として現れるのは16世紀、ポーランドに反抗したボフダン・フメルニッキーなる小領主が自治を獲得したことで始まる。ただこの時フメルニッキーはモスクワ公国と保護条約(ペレヤスラフ協定)を結んだため、これが後にロシアが自国領とする言い分につながっていく。しかし、この文書の原本は残っておらず改竄された可能性が高く、ウクライナはこれを一時的な軍事同盟と見ている。結局フメルニッキーはモスクワとポーランドによって葬り去ら、独立はその一時期に留まる。これを再興しようとしたのはイヴァン・マゼッパ、これも小領主出自、世渡り上手でピヨトール大帝の信を買うが、やがて北方大戦争でスウェーデンに加担し敗北。その後この地は第一次世界大戦後まで大部分がロシア、一部がポーランド、オーストリアの版図となる(ここが東西ウクライナの分かれ目、西側に独立志向が強い)。第一次大戦戦後の混乱はボルシェヴィキ革命もあり凄まじい。ポーランド、赤軍、白軍、仏軍(独の影響力を削ぐためロシアに加担)、ウクライナ東西に分かれた独立派パルチザンによる無秩序な内乱状態が1922年まで続くのだ。結局勝利を収めたのは赤軍、こうしてウクライナはソ連の一部となる。第二次世界大戦、冷戦、ソ連崩壊、1991年8月フメルニッキー統治以来350年待った独立が成る。

ただ著者は独立を評価しながらもそれを冷徹な目で見ている。つまり、この独立は“棚ぼた”であり、旧体制の中枢が素早く独立派に転向、看板だけ変わり中味はそのまま、と厳しい見方をしている。著書発刊後の大統領を見ればその危惧は当たっている。また、ウクライナによって東西のバランス・オブ・パワーが変わり、独立維持は中東欧の死活問題と断じていることは、在任・著作が20年以上前であることを考えるとき、その先見性に驚かされる。繰り返すが、参考文献もしっかりしており、現在のウクライナ問題知識取得に最適の書である。利用価値のあるものだけに、索引が無いのが惜しい。

 

蛇足;“はじめに”の謝意で同姓のいとこの名が記されていた。
彼は彼の地の輸出入銀行の再建・運営に深く関わったようだ。
以下にアクセスいただくとメディアで知るウクライナとは異なる
それを垣間見ることが出来る。
(2015年独行法人石油天然ガス金属鉱物資源機構機関紙掲載)
https://oilgas-info.jogmec.go.jp/_res/projects/default_project/_project_/pdf/6/6467/201507_019a.pdf

 

 

5)プロ野球 元審判は知っている

-読み物としての面白味はないが、審判にしか見えない野球が見えてくる-

 


我々の世代でプロスポーツと言えば何と言っても野球。一リーグ制時代から親しんできた。ラヂオで実況アナウンスを聴き、球場で応援、そしてTV観戦と楽しみ方も多様だ。贔屓チームは東急フライヤーズ(現日ハム)→西鉄ライオンズ(現西武)→大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)と変わる。この変化のキーワードは三原脩監督。引揚後に転入した小学校で大将格の同級生から「お前はどこのファンだ」と問われ「(母の実家総てが応援する)巨人」と答えたところ「巨人は沢山いるからダメだ」と言われ仕方なく残りの在京球団である東急を選んだ。その時以来アンチ巨人、その巨人軍監督だった三原が追い出された先が西鉄ライオンズ、巨人を返り討ちにする彼にすっかり惹かれ、西鉄ファンに転向、さらに大洋に移るとそこを応援することとなり今日に至る。

日本シリーズ対巨人戦、3連敗4連勝、4勝無敗で連覇したこの魔術師・知将と呼ばれた超一流監督を一喝したのが二出川延明審判(パ・リーグ審判部長)。大毎(現ロッテ)対西鉄戦でアウト・セーフをめぐる判定に「ルールブックを見せろ」と迫る三原に「俺がルールブックだ!戻れ!」とやり返し、球史に残る審判となった(のち殿堂入り)。

最近はTVのダイジェスト版しか視ないので審判の判定まで注視する機会は皆無、名前など知る由もない。審判が著書を出すことは極めてまれ(二出川と同世代でセ・リーグ審判部長を務めた島秀之助の「プロ野球審判の眼」が1983年岩波新書から出ているがほとんど回顧録)、「もしかすると最近も二出川事件のようなことがあるのかもしれない」と期待し本書を発注した。

著者は1969年生れ、大学野球でプレーした後1992年よりセントラル・リーグ審判員。公式戦は1995年からで通算2414試合出場。オールスター、日本シリーズの審判も務め、2020年実家(寺院)を継ぐため引退。

本書は、選手の役割(投手、守備、打者・走者)別に有名選手(OBを含む)の中から特に着目する者を選び出し、その技術やプレー(投手ならば投球や牽制)を手短に語る章と裏話的な部分から成っている。前者は球質や打球の速さあるいは走塁方法のようなプレーのごく一部を切り取るので、現役プレーヤー(少年野球や草野球を含む)には役立つ情報があるものの、観客として野球を楽むには細部すぎる(見えない、分からない)。後者は、“監督を見る”、“乱闘・退場の原因を見る”、“舞台裏を見る”の3章だが、これも技術解説的でのぞき見するような面白い話はない。

全体で70話(投手;20、守備21、打者・走者;20、監督;4、乱闘・退場;5、舞台裏;10)から構成され、一話に割かれるのは概ね4頁。その内1頁は取り上げた選手の記録(生年月日、身長・体重、通算記録など)に使われるので、記事は3頁、行間が広いので正味の解説は簡単なものになる。この解説内容も雑談を口述筆記したような調子で軽い感じだ。ただ、“審判の眼”という視点は明確で、そこに独自性はあるし、プレーをする人には有益だろう。

取り上げられる選手・監督はOBが6割以上。現役では:投手;金子千尋(オリックス)、千賀滉大(SB)、ダルビッシュ(MLB)など、守備;前田健太(MLB、牽制)、菊池涼介(広島)、福留孝介(中日)など、打者・走者;坂本勇人(巨人)柳田悠岐(SB)、岡本和真(巨人)など。

解説は、どこに優れているか、その程度はどんなものか、どんな特質を具えているか、と言うように一人一テーマ別に行われる。例えば、上原浩治(巨人、MLB)は「3種のフォークボールを投げた」、岸孝之(楽天)は「ボールの回転が抜群に綺麗」、荒木雅博(中日)は「守備範囲が2倍あった」、松井秀喜は「(バットがボールに)ミート時に焦げた匂いがした」、柳田悠岐(SB)、岡本和真(巨人)の二人は「フォークボール打ちが抜群に上手い」、と言うように、である。自身の失敗談もいくつか語られるが“二出川神話”のようなものはなかった。ある種のデータブックとしてはともかく、読み物としての面白味を欠く。

 

6)幕府軍艦「回天」始末

-新政府海軍対旧幕府海軍、誰もが描かなかった海戦顛末記-

 


日本人作家の小説はほとんど読まない。司馬遼太郎や池上正太郎の本はかなり持っているが「坂の上の雲」を除けば、すべて紀行文やエッセイ、対談などである。そんな中で吉村昭だけは例外、「深海の使者」「戦艦武蔵」のような太平洋戦争を舞台にした作品や「三陸海岸大津波」など10冊程度持っている。興味ある“戦争”分野が多く、作品内容の考証が可能で、綿密な調査活動に基づく創作化のうまさに満足していること、登場人物に対する妙な思い入れがない筆致であること(司馬の小説とは真逆)、が惹かれる理由。言い換えれば限りなく上質なノンフィクションに近いのだ。故人だし読みたい作品は読破したと思っていたが書店に平積みされた、記憶にない題名を見つけて奥付を確かめると単行本発行は1990年だが、これは新装第1刷とある。文庫化出版を見落としていたのだ。好みの作家の未読作品は新作以上の貴重品、そんな思いで購入した(同時に、書名は知っていたが興味の対象外だった「破船」が“2022年度超発掘本本屋大賞”と銘打っていたので、一緒に買ってしまった)。

幕末・維新は多くの歴史小説に取り上げられている。特に陸戦は、京都での蛤御門の変、戊辰戦争、彰義隊の上野戦争、奥羽越同盟と新政府軍との数々の戦いなど多くの作家が独自の物語を作り上げ、英雄(悲劇を含む)を生み出している。これに比べると海上の戦は箱舘戦争でわずかに描かれるばかり。それも五稜郭陥落と土方歳三の戦死くらいで、陸戦の域を出ない。しかし、両者の間で総力を挙げて戦われた一連の海戦があった。慶応4年(明治元年、1868年)8月から翌年5月にわたり旧幕府海軍と新政府海軍によって宮古湾、箱舘湾で戦われたのがそれである。本書はその海戦を詳しくかつ淡々と語るもので、本来なら榎本武揚を主人公に据えてもおかしくないのだが、主役は老朽艦「回天」、英雄不在、当に吉村調そのものの小説である。

維新の成った年1868年8月、新政府への幕艦引き渡しを拒み艦隊総帥榎本に率いられた幕府艦隊は江戸湾を脱し蝦夷箱舘を目指す。陣容は、榎本がオランダで造艦を監督した「開陽(2,718t)」はじめ「回天(1,280t)」「蟠龍(350t)」「千代田形(形が付くのは同型艦複数を予定したため)(138t)」の4軍艦と4隻の輸送船。北上途上の寄港地は宮古、追撃してくる政府軍もここに立ち寄ると読み綿密な偵察と密偵を残す。箱舘に入った艦隊は新政府方の松前藩を打ち破りこの地を占領、12月五稜郭に総司令部を置く。この間、悪天候で旗艦とも言える「開陽」が座礁、運用不可能になり、政府軍とのパワーバランスが崩れる。予想される政府軍の旗艦「甲鉄(1,358t)」は蒸気船で砲力に優れる。どこで如何に政府海軍と戦うべきか?戦略・戦術は如何に?宮古湾急襲論が採用される(「甲鉄」停泊中に「蟠龍」と「高雄(江戸湾脱出が遅れた)(350t)」の兵が乗り移り奪取する。切込み隊長土方歳三)。明治2年(1869年)3月16日密偵から宮古湾に政府艦隊見ゆの報がもたらされ「回天」「蟠龍」「高雄」「千代田形」が箱舘港を出港、宮古湾を目指す。想定する政府艦隊は「甲鉄」「春日(1,269t)、(乗組員の一人に東郷平八郎が居る)」「丁卯(ていぼう)(125t)」「陽春(530t)」の4艦。これらが湾内で補給中、つまり蒸気の上がっていないとき奇襲する作戦だ。しかし、実際には天候不順や故障などあり、「回天」が「甲鉄」に接舷(「回天」は外輪推進のため横付けできず舳先から突っ込む)、激しい銃撃戦を交わした後「回天」は撤収し宮古湾奇襲作戦は終わる。

このあと旧幕府艦隊は箱舘へ帰還。追撃する政府艦隊は青森で補給した後箱舘へ向かい、陸戦・海戦が戦われ、「高雄」「回天」「蟠龍」「千代田形」は座礁や砲撃で動けなくなる。5月11日政府軍陸海共同作戦実施、旧幕府艦隊全滅、土方歳三戦死、5月18日五稜郭開城で一連の箱舘戦争は終わる。戦い全体を俯瞰すると、真珠湾攻撃からミッドウェイ海戦と重なるような気がして来るのは軍事オタクの妄想だろうか?

軍艦や戦いの細部のみならず、寄港地の様子(町村統治組織、地元民の生活、産業など)、諸外国の立ち振る舞い(米、英、仏、露、蘭)も丹念に調べていることが、どの場面でも嫌味なく伝わってくる(如何にも“調査しました”調でない)。何度も現地を訪れ郷土史家たちから情報を得ているようだ(解説)。驚いたのは宮古の盛況、何と花街の遊女屋数160!、ここで政府軍兵士が遊びまくり、戦後それぞれの藩に帰藩、性病が全国規模でまん延したとある。

「さすが吉村昭作品!」が読後感であるとともに、幕末・維新の軍艦技術について興味が沸いてきた。

 

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