2025年12月31日水曜日

今月の本棚-209(2025年12月分)


<今月読んだ本>

1) 板垣征四郎の満州事変(関口高史);光文社(新書)

2)記者は天国に行けない(清武英利);文藝春秋社

3)侵蝕列車(サラ・ブルックス);早川書房(SF文庫)

4)映画をつくる(山田洋次);大月書店

5LIFTOFF(エリック・バーガー);化学同人社

6)飛行士たちの話(ロワルド・ダール);早川書房(文庫)

 

<愚評昧説>

1) 板垣征四郎の満州事変

-極東軍事裁判は構想者より実行者に重かった?満州事変、石原莞爾は起訴されず板垣征四郎は絞首刑-

 


本年6月満洲ツアーに参加した。おそらくこれが最後の海外旅行になるだろう。旅程は大連・旅順→瀋陽(奉天)→長春(新京)→ハルビンを78日で廻るものだった。この地を去って79年、私の参加目的は第一に誕生(1939年)から引揚げ(1946年)まで過ごした新京を訪れ、往時を回想することだった。そして第二とし満州事変の痕跡を垣間見る機会を期待した。奉天には引揚げ途上一ヶ月近くとどめ置かれたが、廃工場跡の収容施設から一歩も出ることはなく、市街は無論、満州事変の前哨戦とも言える皇姑屯事件(張作霖爆殺;1928年)も事変の発火点である柳条湖事件(満鉄路線爆破;1931年)など、子供には知るよしもなかった。それだけに、両所とも市街地に近いことから、今回これらに触れる機会があることを願っていた。しかし、それは叶わなかった。この旅行を振り返って見えてきたのは、新京における満州国皇帝溥儀の仮宮殿(現博物館)見学を除けば“満洲国の歴史”には一切触れないことだった。旅行社は何か制約を受けているのかも知れない。帰国後まもなく本書の出版を知った。満州事変書籍は十数冊を超えるが、板垣征四郎を主題とした本は持っていない。柳条湖事件当日板垣は奉天にいたはずである。あの土地の記憶が薄れる前に、彼の挙動を追ってみたい。これが購読の動機である。満州事変といえば石原莞爾というくらい、石原の存在は大きい。にもかかわらず、極東軍事裁判で石原は起訴さえされず、事変の主導者として板垣は絞首刑になる。ここも知りたいところだった。

本書は満州事変を中心に据えた板垣征四郎の伝記であるとともに、事変までの板垣の言動と裁判における証言・回顧を配し、あの裁判で裁かれた訴因が、個人に帰せられるものかどうかを問い直す内容になっている。また、論旨としては満州事変をそれに続く支那事変(日中戦争)、大東亜戦争(太平洋戦争)への“発端”とする従来の歴史観とは異なり、もともと満洲の地は長く無政府状態(清朝発祥禁断の地、馬賊・軍閥割拠)に近く、主導権争いの中でそれに連動する排日運動対応の“結果”として生起したとの見解を採っている。つまり、このような支配権が曖昧な経緯・状況の下で、軍中央のみならず、政治家・経済人、ジャーナリズム、時には文化人・学者までもが満洲を我が国の生命線と考えるような世論が形成され、関東軍にある種の圧力がかかっていたと見るのだ。そしてその時期、高級参謀(複数人いる参謀のまとめ役。石原はその下の作戦参謀)であった板垣に重くのしかかり、実行を決断させさたと見るのだ。

伝記であるから、幼少時から刑死までの経緯を追うのだが、そこには子供の時から死を前にして家族に残したものまで膨大な資料が動員され、一面で見えてくるのはごく平凡で家族思いの人物像だが、他方で作戦日誌や訓示などから窺えるのは、世論と組織の大勢に流されていく、謹厳実直な上級公務員像でもある。満洲国設立を画策した石原は極東軍事裁判で起訴もされなかったのに反し、行動計画の実質的な責任者(軍指令官は本庄繁中将、参謀長兼務だったが終戦直後に自決)であった板垣にすべての罪が負わされることになるのだ。本書の読後極東軍事裁判の判決傾向を調べてみると、思想家や計画立案者よりも実行計画推進責任者に重ぃ刑が下されていることと東條との距離感が影響していることが分かった。石原は東條と対立、戦前予備役になったのに対し、板垣は事変のあと陸軍次官さらには陸軍大臣を務めており東條との関係も悪くない。その違いが大きかったようだ。

本書の問題点は文献・参考資料類からの引き写しが多いことである。約600頁の内半分近くが引用文。出典が明らかだから著作権問題はなかろうが、人文科学分野の研究として「これでいいのだろうか?」と疑問が残った。

著者は1965年生れ。防衛大学校人文社会学部卒、陸上自衛隊(空挺団、陸幕監部(情報)など)・防衛大学校勤務ののち一等陸佐で退役、現在軍事研究家。

 

2)記者は天国に行けない

-巨人軍球団代表としてリーグ3連覇しながら、ナベツネと衝突し辞任した、敏腕事件記者の半生記-

 


小学校2年生の転校時ちょっとしたいじめに遭い巨人ファンになれなかったことから、アンチ巨人に転じ、三原マジックで弱小球団大洋ホエールズが1960年優勝して以降この球団のファンとなった。所帯をスタートしたのが横浜であったとのこともあり、今はその後継ベイスターズを応援している。また、これも小学校在学時ことだが、読売新聞の販売促進員が来宅。「朝日はインテリが取る新聞。面白くないでしょう」とやり、母が「私は高等女学校を出ています!」といつになく激しい言葉を返した場面に直面、爾来「読売はスポーツ・芸能新聞」と蔑んできた。つまり、読売グループは日本テレビを含め私にとり天敵感覚である(とは言っても、近年の政治的スタンスははるかに朝日よりは自分に近いと思っているのだが・・・)。その読売グループで著者が巨人軍球団代表になって数年後、コーチ陣人事で読売新聞社長ナベツネ(渡邉恒雄)と衝突、馘首されたことは承知していた。あれからどのくらい経っただろう。本書の新聞広告に、「(キミが)記者会見したら、これは破滅だぞ。破局だな」とあり、天敵の恥部を覗いてみたくなった。

本書は自伝であるとともに、読売新聞社会部史、さらには同時代の他紙も含む事件記者史ともいえる内容。入社時には既にフリーランスのジャーナリストやノンフィクション作家に転じていた著名読売先輩社会部記者(黒田清、本田靖春など)や朝日・共同通信・日経から赤旗・農業新聞・地方紙(東奥日報など初任地青森・東北が主体)まで多くの記者が実名で報道テーマとともに登場、社会部記者の取材最前線や記事の裏話などが臨場感をもって詳述される。

著者の略歴は以下の通り;1950年生れ→1975年読売新聞社入社・青森支局に7年勤務→1982年本社社会部(記者→デスク→部次長)→2001年中部本社社会部長→2002年本社編集委員→2004年運動部長→同年8月(アテネ五輪中)巨人軍取締役球団代表兼取締役編成本部長(局次長相当;2007年からセ・リーグ3連覇(常務まで昇進);代表と言ってもオーナー、社長に次ぐNo.3)→2011年オフシーズン来期コーチ人事をめぐりナベツネと衝突、11月解任→以後読売と訴訟問題で争いつつノンフィクション作家として現在に至る。因みに、ナベツネは1926年生れ→1950年入社→著者入社時(1975年)は政治部長兼編集局次長→1991年社長→1996年~2004年巨人軍オーナーを兼務→2004年野球賭博事件でオーナーを退任(事件以上に球界支配批判の高まり)→202412月没。

本書は自伝ではあるが、生家や高校・大学時代は時に触れるものの、実質は入社以降現在に至る半生記である。全体で6008章構成の内球団経営に関する章は一つ、その点では広告のキャッチコピーはまさに撒き餌であるし、この部分はワンマン社長に抗した一社員の回顧録、少々言い訳・申し開きの感が強い内容。それに比べれば社会部記者としての活動の方がはるかに面白い。無論そこでもナベツネとの対決(間接的なものが多い;社内のナベツネ忖度)があり、グループ内でのナベツネ像が伝わってくる。

著者が本社社会部記者として主に担当したのは警視庁と国税庁。国税庁は最強の情報機関だがカラオケの締めは“くちなしの花”、守秘義務の固まりである。これをなんとかこじ開け1991年四大証券の大手顧客損失補填を暴く。これが社長賞受賞となるが、パーティーの席上渡邉社長から「魔女狩りはやめろ!」と説教される。証券会社のトップは皆ナベツネの友人なのだ。必ずしも著者の特ダネではないが、原子力船むつの顛末、日航機御巣鷹山墜落事故、防衛省汚職などよく知られた事件の報道事情なども興味深い。

さて、球団代表解任事件。2011年巨人はリーグ優勝する。大物FA獲得より内部育成重視の著者はそれに適したコーチ人事を計画、優勝直後原監督のみならずナベツネにも内諾も得る。ところがクライマックスシリーズで敗北。ナベツネは怒り心頭、原監督に事情聴取し独自案を作成、著者を呼んでそれを飲ませようとする。既に新コーチ陣に内示しており、著者は納得しない(「俺は辞める」と言っていた球団社長は豹変)。ついに記者会見を開き、自らの辞任を公表してしまう。結果、解任ばかりか読売を追われ、損害賠償の訴訟を起こされ(1億円)、社友資格も失う。この年は開幕直前に東日本大震災、それでもナベツネは開幕延期に反対したり(結果的には延期)、秋のオフシーズン燦燦会(財界人応援団)感謝会では自粛ムードで簡素化されたそれ(サイン会や写真撮影中止)を、「(顧客サービス無視は)懲罰もの!」と演壇上から非難、従来の形式に戻したりする(このパーティーは著者の責務ではない)。オーナーを降りたとは言え、プロ野球盟主意識はそのまま、周辺もそれを甘受せざるを得ないのが巨人軍を含む読売グループの実態、反骨精神旺盛な著者には許せない状況が解任劇の裏にあったのだ。

読後感として強烈に持ったのは、「ブラック職場そのもの。こんな仕事(事件記者)はやりたくないし、とても務まらない」である。ただ、リアルな記者活動が生々しく書かれ、報道ジャーナリズムに関心が高い者、それを目指す若い人には、必読と言っていい内容でもある。

 

3)侵蝕列車

-鉄道SF奇譚。北京-モスクワ間に広がる<荒れ地>を疾走する長距離列車内で起こる異常事態の数々、列車は無事モスクワにたどり着けるか-

 


技術者として本来興味を持つべき分野にもかかわらず、SFは完全に読書対象外だ。もともと小説をほとんど読まない上に、天体(除くロケットや人工衛星)や生物学・生理学(除くAI)に興味をまったく覚えないこと、がそうさせてきたのだ。本欄紹介でSFと言えるものは20223月の「地下鉄道」くらいしか思い浮かばない。これは米国東海岸沿いに秘密裏に設けられた逃亡奴隷を支援する空想地下鉄道の話であり、未来の先端科学技術とは無縁、鉄道に惹かれて読んだ次第である。本書もそれに近いテーマ、19世紀末北京とモスクワを結ぶ空想シベリア鉄道(実路線とはまったく異なる)が舞台となる。表紙の蒸気機関車に惹かれ、どんな鉄道物に仕上がっているのか、読んでみたくなった。原題は「The Cautious Traveller’s Guide to The Wastelands(用心深い旅人への<荒れ地>案内」)、この<荒れ地>通過中の奇妙な出来事をストーリーとする空想サスペンスである。現代とは無関係とも思える、邦訳の“侵蝕”とは何を意味するのか?

著者経歴がこの作品と深く関わっているように思えるので略歴を記す。生年不明の英国人女性。日本・イタリアで英語教師を務めた後、中国古典幽霊譚「聊斎志異(りょうさいしい)」の研究で博士号取得。現在英リーズ大学東アジア研究科勤務。因みに「聊斎志異」は、17世紀後半〜18世紀初頭蒲松齢(山東省出身)によって著わされた「怪異を装った、人間社会への鋭い批評文学」とのこと。

この架空シベリア鉄道は1850年に起案されるが、沿線には広大な<荒れ地>が存在し、ここに立ち入った人間が眠り病・記憶喪失・体調不良など様々な<荒れ地>病を発症するため、先ず中国・ロシアそれぞれの側に長大な壁を建設、その後鉄道敷設が20年かけて行われ1870年代に開通する。開通に時間を要したのは建設作業員がこの病に冒されぬよう、特別仕立ての列車を用意し工事を進めたからだ。1898年モスクワを発った乗客にこの病人が出たため、列車は北京に止め置かれ、時間をかけて徹底的な原因究明が行われる。その結果、窓ガラスに生じたひび割れが原因とされ、調査とその修復作業に時間を要し、モスクワへの復路は1年後の1899年となる。

列車は20両編成、一等と三等の寝台車・食堂車・図書館車・サロンカー・医療車・警務員車・庭園車(鶏飼育や生鮮野菜栽培)・列車長車などからなり、前後には監視塔・観測塔を備え、当に走る豪華武装列車だ。

乗客・乗員はロシア人・中国人は無論、英国人、フランス人など。日本人の地図作製者(鉄道に雇われ、沿線を観測して路線沿線の変化を記録・描写する)も乗っている。乗車目的もさまざま。この路線の異常現象を匿名で投稿しているジャーナリスト、破損したガラスを製造したガラス職人の娘も父の汚名を晴らすべく偽名で乗車、<荒れ地>の異常現象を科学的に解明することを狙う英人科学者は列車を停車させ下車のチャンスを狙う。一方会社側も悪い噂を封じる目的で警務員を配している。主人公はこの列車内で十数年前誕生し、母を産後の病で失い、乗務員たちに育てられ、今は車内雑務をこなす中国人の少女。北京-モスクワ間6400km、この間<荒れ地>内では給水(屋外作業は潜水服のようなものを着用)の一時停車はあるもののノンストップで走行。15日で終わる旅は、列車のトラブル、そして<荒れ地>での予期せぬ出来事で23日を要し、その間彼らの車内行動が数々のミステリアスな出来事を生む。どんなミステリーかは読んでのお楽しみ。

先述のごとく「聊斎志異」は「怪異を装った、人間社会への鋭い批評文学」。本書も自然を征服せんとする人間に対する批判の意図が読み取れ、過去に舞台を借りた、現代近代文明に対する警告の書とも言える。

 

4)映画をつくる

-寅さん監督の映画づくり公開します。ひたすら面白く・楽しくを目指した結果が、長期人気シリーズにつながった-

 


中学生の時から映画ファンだったから、洋画・戦争映画・字幕の話・ハリウッド史・俳優の伝記など映画に関わる本はずいぶん読んできた。しかし、書架をながめてみると、淀川長治・佐藤忠男などを始めとする映画評論家が著わしたものが大部分、映画制作に関するものは一冊もない。そんな時本書の広告を目にし、映画館では観たことはないがTV放映の寅さんシリーズはいくつか楽しんだし、“新装版”にも惹かれ、読んでみることになった。オリジナルの発刊は1978年。何故今頃これを再版?と思ったが、疑問はまもなく解けた。松竹創業130周年記念として著者が監督した「TOKYOタクシー」が封切られる直前、映画の広告とセットだったのだ(新装版まえがきにそれが窺える)。読後直ぐに映画を観に行き、本書を意識しながら鑑賞した。著者の制作意図通り、映画のラストシーンでは年甲斐もなくハンカチを取り出すことになった。

構成は3部から成る;第一部は映画と私(映画人としての経歴、考え方)、第二部は素材と脚本(主題選定や技術)、第三部が映画づくりの現場(演出、俳優(特に渥美清との関係)、スタッフ)。

第一部;著者は1954年東大法学部卒、在学中映画研究会のメンバーであったことから松竹を受験するが、当時は就職難で入社試験の受験生は採用若干名に対して二千人。不合格となるものの、この年日活が製作を再開、何人かの監督がそちらへ移ったため、助監督として追加採用される。同期にはのちにヌーベルバーグの旗手となる大島渚がおり、彼は始めから監督志望だったが、著者は明確な目標はなく、脚本書きを兼務、「いじましい話ばかり」と批判されながら、B級と見られていた娯楽映画に起用され、次第に認められていく。よく知られた初期作品に、社長には散々脚本をけなされた、「下町の太陽」(主演倍賞千恵子の歌のおかげで大ヒット)がある。このあともハナ肇主演の「馬鹿まるだし」シリーズなどを監督、おかしい映画・面白ぃ映画づくりを目指し、TV作品「男はつらいよ」を1968年よりシリーズ製作、これが1969年映画化され、定番ヒット作品となっていく(本書オリジナル版出版時で21作、最終は48作(49作目準備中渥美清死去)。

「おかしいとは?」「面白いとは?」を考えたすえ得た結論は、「観客と作り手の共感」、馬鹿馬鹿しいあるいは何気ない会話の中にどこかでふと思い当たることがある、ここがポイントとなのだと。文芸作品製作に惹かれたことはなかったが、一方で“庶民的”を意識したこともなく、普通に暮らしている日本人を描くよう心がけている、と製作姿勢を総括する。

第二部;作品をつくるうえで最も大切なことは“どうしても作りたいという気持ち”。意図やテーマを前もって明確に決めて作ったことはない。これを焼き物作と対比して語る。この際重要なのはモチーフ(主題、動機)であり、「家族」を例に解説する。これは九州の炭鉱閉鎖で老父を同道し北海道へ移住、酪農を始めるまでのロードムービー。素材は近郊電車の駅と車内で見かけた、二人の子供と移動中の建設労働者とおぼしき家族にあった。父親は駅で焼酎を求め、車内でちびりちびりとやっている。子供たちは、見慣れぬ土地に不安と期待ない交ぜの落ち着かない様子。これを傍目で見ていて気になり、生活のための移動に伴う期待と不安をモチーフ(表わそうとする中心思想)とする映画をつくることを思い立つ。因みに「男はつらいよ」のモチーフ(動機)は“渥美清で作品をつくりたい”である。事前に渥美清ととことん話し合い、彼の経験談から脚本を膨らましていく。モチーフが明確であれば、技術(撮影など)の占める位置は微々たるものとの考え。フランス映画「男と女」を例に「華麗な映像」だけ真似ても何も生まれてこない、と往時の日本映画撮影テクニックを批判する。

第三部;演出家の最も大切な資質は「大勢のスタッフ(俳優を含む)の気持ちを一つの仕事に向けて集中させることの出来る能力」と述べ、オペラ「カルメン」の演出から「男はつらいよ」まで例に挙げてそれを語る。脚本はあっても撮影状況は変化し、それに臨機応変に対応しなければならない。演ずる俳優ばかりでなく、カメラはもちろん小道具さえその影響を受ける。シリーズ化した「男はつらいよ」では強力なチームができあがっており、監督が細かい指示をせずとも、それぞれが果たす役割を心得ており、その場に相応しい準備・行動をしてくれる。

この部の最後は“渥美清さんのこと”、1978年のことだから生前の話だが、「渥美清という人は、いわば私心を去り、無心の境地に達することに不断の努力をしている人だと思います」と始め、その人柄・俳優としての所作を述べ、賛辞を贈って締めくくる。

本著読了後「TOKYOタクシー」を観に出かけた。後半から、おそらく最後はこうなるだろうと予想し、結末はほぼその通りだったが、それでも涙を抑えられなかった。小難しい場面や凝った技術は皆無、半世紀前に語った映画づくりの姿勢は変わらず、山田作品を久々に堪能した。

 

5LIFTOFF

-イーロン・マスクが創設したスペースX社、今や600回を超す打ち上げ成功でビジネスに圧勝。しかし3号機までは失敗、苦難の日々を関係者の聴取りで著わした作品-

 


本項を書いているのはクリスマス・イヴの24日、二日前に種子島から国産測位システム(GPS)衛星「みちびき」を載せたH3ロケット8号機が打ち上げられたが、第2段ロケットエンジンのトラブルで失敗に終わった。H3は民営化を進め低価格化、我が国衛星打ち上げビジネス本格参入のエースと期待されていただけに残念だ。初号機の失敗も含め成功率は6875%)となり、とても他の打ち上げロケットと競争にならない。民間会社でこの世界に初めて参入したスペースX社のファルコン・ロケットは、2008年の4号機成功以降既に600回近く打ち上げられ、ミッション失敗は1回に過ぎない(発射直前のエンジン・トラブルや再使用回収失敗はあるが)。成功率は桁違いだ。たまたま本書読了直後にH3打ち上げが失敗に終わっただけに、彼我の差に衝撃を受けた。本書はイーロン・マスクが2002年スペースX社を創設、1号・2号・3号と失敗したあと20084号機で成功するまでの物語である。それ以降の話も簡単に記されているが、詳しいことは続編「REENTRY」となる。

2002年末イーロン・マスクは、創業したインターネット・オンライン決済企業PayPalが通販会社eBayに吸収され際CEOを退任、かねてから興味を持っていた火星探査を具体化すべくスペースX社を立ち上げる。オフィスの場所はロサンゼルス北部にある貸し工場。先ず手がけたのは人集め。本書はこの人集めと広義の人事管理(働かせ方)がロケット本体開発以上に紙数を占める。本書に登場するのは50名程度だが、スペースX社が成長していく過程で、3000人近くまではマスク自身が面接して採否を決めたといわれる。一つの特徴は、初期のリーダーこそ経験者を選ぶものの、総じて若く、大学卒でストレート入社をする者が多い。理由はチャレンジングな仕事に情熱を傾け、ハードワークに耐えられるからだ。読んでいてもブラック職場のきつい環境がひしひしと伝わってくる(休日出勤、週80時間労働など当たり前)。創業から5年で打ち上げ成功、一気に成長するカギはここにある。

もう一つ注目すべきは設計・開発方法。従来の一般的な手法は線形設計;複雑なシステムを構成する各部をひとつずつ、安全性や信頼性を確認しながら一歩一歩進めていく方法。人も時間もかかるやり方だ。それに対し、スペースX社は反復設計を適用;目標設定が終わると直ぐに概念設計に入り、主要各部を製作、ベンチテストで手直し・改良していく方法。特にエンジン開発ではこれが威力を発揮する。

発射基地は当初ロス北方のバンデンヴァーグ空軍宇宙基地を予定していたが、のちに陸軍のミサイル実験場であったマーシャル諸島のクワジェリン環礁に決まる。美しい珊瑚礁以外何ものもない僻地でのテストや発射は予期せぬ出来事の連続だ。20063月ファルコン1号機(エンジン;マーリン1)が打ち上げられるが、燃料漏れ火災で1分後に墜落。同型2号機20073月打ち上げ。第一段目は成功、第二段目のエンジン制御不能で失敗。200883号機発射。切り離しに成功するが、一段目のロケットが二段目に追突し(一段目ロケット停止がわずかに遅れる)、失敗。そして、それから1ヶ月後第4号機でやっとダミー衛星を軌道に乗せることができる。この成功で最初の顧客マレーシアの衛星を打ち上げ、さらにNASAが進めるCOTSCommercial Transportation Services;国際宇宙ステーションへの人・物資の輸送)計画参加が実現、その後の事業拡大につながっていく。4号機の打ち上げ時期、マスクはテスラの経営拡大にも取り組んでおり、一時はテスラかスペースXかの選択を迫られほど資金調達に苦慮していただけに、この成功は大きい意味をもつことになる。打ち上げ成功と事業の収支は別物。この事業開発(打ち上げ顧客獲得)を担当していたのは空軍から転じた女性技術者。彼女は4号機以降のビジネスも担当、やがて社長(COO)となる。この間ロケットの再使用を可能にし、ファルコンはエンジンを多発化(ファルコン99発)、ファルコン・ヘヴィ(27発)、2010年代の終わりには商業衛星打ち上げビジネスで23のシェアーを占めるほどの大企業となる。なお、ファルコン9以降の発射基地はケープカナベラルに移っている。

因みに、ファルコン1(打ち上げ停止);全長20m・重量27t(燃料を含む)・積載貨物重量420kg670kg(軌道による)、ファルコン9;全長48m・重量333t・積載貨物重量822t(ロケット使い捨てケース)、H3;全長63m・重量574t・積載貨物重量46.5t

著者はヒューストンで新聞記者を長く務め、現在は主に科学分野を扱うジャーナリスト。本書はイーロン・マスクを始め多くのスペースX関係者にインタヴューしてまとめられたもの。それぞれの個人的体験(採用、業務、ときに退職)が、イーロンと会社を浮かびあがらせる。LIFTOFFは“打ち上げ”、続編REENTRYは“帰還”、多分再使用のためのロケット回収が中心と推察、いずれ読んでみたいと思っている。

 

6)飛行士たちの話

-自身の戦闘機パイロットとしての体験をもとに、短編の名手が描く、戦争文学連作集-

 


第二次世界大戦において英国は世界規模で戦った。英本国・大西洋・欧州大陸・北アフリカそして日本とは香港・シンガポール・インパール・マレー沖・インド洋で激戦を戦わせた。この他にも映画「ナバロンの要塞」の舞台となったギリシャ、そしてほとんど知られていないが、中東ではレバノン・シリアが仏領であったことから、パレスチナを拠点にヴィシー政権の仏軍とも干戈を交えている。本書の著者は職業軍人ではないがシェル石油勤務の後空軍に志願、戦闘機パイロットとなり、5機撃墜者に与えられるエースの称号を持つほど優れた戦績を残している。その主戦場は中東・北アフリカ(飛行指示に間違いがあり、燃料切れで墜落負傷)・ギリシャ。戦後その体験を基に数々の航空短編小説を発表、本書はいわば処女作(原著1946年刊)で10編が収められており、邦訳も半世紀近く前に出ているが、入手したのはその復刊版である(早川書房創立80周年記念)。

英軍機で登場するのはグロスター・グラジュエーター戦闘機とホーカー・ハリケーン戦闘機。両機とも著者の操縦経験がある機種。グラジュエーターは複葉機でもう第一線機ではないが、中東戦線では偵察に使われていたようだ。ハリケーンはスーパーマーリン・スピットファイアーと並びバトル・オブ・ブリテン(英独航空戦)を勝ち抜いた主力戦闘機として知名度が高い。タイトルの“飛行士”は無論戦闘機乗り。ここから熾烈な航空戦が描かれることを期待したが、空戦シーンは23話の中でわずかに語られるだけ。

当時植民地であったケニアで飛行訓練を受けている狩猟家が語る「あるアフリカの物語」は夜な夜な牛乳を飲みに来るヘビを利用した復讐話、ギリシャの小島から脱出する際パイロットと空爆で娘を亡くした両親のやりとりを静か記した「昨日は美しかった」、宮崎駿監督が「紅の豚」や「風立ちぬ」の一シーンにとりいれたといわれる「彼らは歳をとるまい」、読んでいてこれは映画になるなと思ったのは、空戦で片足に負傷、パラシュート降下するものの失神、気がつけば病院の個室、足は切断されているが英人医師・看護婦は丁重に看護してくれる。しかし苦労して窓際に向かい牧草地はるか先ある看板を読むとフランス語で「猛犬に注意」(題名)、「???」。こんな飛行士たちの奇妙な体験、語り次がれてきた神話、失われた戦友の回顧などを、ときにユーモラスに、ときにミステリアスに、ときに警句のように、ときに幻想的に語り、鋭いオチで締めくくる。短編の極意を知り尽くした名手の作品が並ぶ。

戦争を扱いながら、ミステリーや冒険小説、スパイ小説などとはひと味違う作風は、一つの分野に拘泥せず、否、むしろ意識的に転換を図ろうとする、作家としての生き方にあるのではなかろうか。著者のもう一つの活動分野に童話作りがあり、その代表作「チョコレート工場の秘密」は映画化もされている。ここから振り返ると本書が大人向け童話ではないかと思えてくる。

 

・本年読んだ本は70冊(73巻)。今年のベスト3は以下の通りです。

    果てしなきイタリア旅行;二村高史(草思社);5月紹介

20250以上の村や町を公共交通機関で走破

    修理する権利;アーロン・ペルザノースキー(青土社);8月紹介

自動車・家電・IT機器、修理困難加速。技術・経営・法律・環境面から考察

    翠雨の人;伊与原新(新潮社);8月紹介

放射能測定分析の世界的権威、猿橋勝子の伝記小説

 

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2025年11月30日日曜日

今月の本棚-208(2025年11月分)


 

<今月読んだ本>

1) ナイロビの蜂(上・下)(ジョン・ル・カレ);早川書房(文庫)

2)不朽の十大交響曲(中川右介);KADOKAWA(文庫)

3)現代史の起点(塩川伸明);(岩波書店

4)戦争に抵抗した野球ファン(山際康之);筑摩書房

5)日本海軍戦史(戸高一成);KADOKAWA(新書)

6)水の戦争(橋本淳司);文藝春秋社(新書)

 

<愚評昧説>

1) ナイロビの蜂(上・下)

-スパイ小説の巨匠、後進国を食いものにする製薬業界の巨悪を暴く-

 


1990年代末期急性胃潰瘍を発症し、その治癒を継続している過程で今度は高血圧の傾向が出始め、この四半世紀血圧降下剤を服用している。2010年代初めに、この薬の臨床試験結果が改竄されていると問題になった。京都大学での研究の一部を製造会社(ノバルテス)の社員が担当、効果を過大評価していたのだ。ただ血圧降下に有効であることは変わらず、厚生労働省は業務改善命令を発しただけで、製造販売は継続されている。事件が起きた際、かかりつけ医はこのことを説明した上で、処方継続を告げ、その後体調に異常は無く、現在に至っている。1990年代半ばの「薬害エイズ事件」では、非加熱血液製剤が長く使用され、多くの血友病患者が輸血によりエイズに感染し、大きな社会問題になった。薬害をテーマにした小説は多々在るものの、スパイ小説の巨匠が社会小説分野に踏み込んだ点に興味をおぼえ読んでみることにした。


舞台は1990年代末期のケニヤ。建国の父、初代大統領のケニヤッタ死去後副大統領だったダニエル・アラップ・モイがそのあとを襲い大統領となるが、権威主義的政権は汚職まみれになっている。駐ケニヤ高等弁務官事務所(英連邦内での呼称で実質は大使館)に勤務するジャスティン・クエイル一等書記官の妻で社会活動家のテッサが同僚の医師(黒人)、運転手とともに僻地で惨殺される。ケニヤ警察は、ジャスティンとは年の離れたテッサと医師の男女関係を疑い、ジャスティンにも嫌疑がかかるものの、アリバイは明白でそれは晴れ、事件は迷宮入りしてしまう。庭仕事が趣味のジャスティンが自らこの事件解明に取り組み、疑念を深めていくのは、テッサが取り組んでいた結核治療薬を巡る、ケニヤ政府上層部と製薬会社の関係である。これに、高等弁務官、事務所長(No.2)、情報局ナイロビ所長、さらに彼らの上司である本国の外務官僚あるいは情報局幹部が、それぞれの立場でジャスティンの活動に関わってくる。一言で言えば、誰もが国家間の外交問題にしたくないのだ。言い換えれば“情死”事件で収めたい。しかし、かげで庭師とあだ名され、ここが終着ポストと思われていたジャスティンが大変身。身分を変じ英国、欧州大陸、北米と舞台を移し、後進国を餌食にする医薬ビジネスの実態を一枚一枚剥いでいくのだ。

訳者あとがきには著者が現地調査を行ったことが記されているが、少し調べてみると、国はナイジェリア、病気は髄膜炎と異なるものの、ファイザー社製の未承認抗生物質薬「トロバン」を投与された200人の子供の内11人の死者が出たことから、構想を思い立ち、テッサには実在の慈善活動家がモデルになっていることが分かった。

本書にはスパイ活動は皆無だが、医療倫理と社会告発をテーマに緊迫した場面が延々と続く(上下巻で800頁強)。登場人物は40人前後、スパイサスペンス同様人物描写が細やかで見事。

 

2)不朽の十大交響曲

-交響楽史上画期となった十曲。読む音楽の楽しみを堪能-

 


小学校での音楽の授業は、先生のオルガン伴奏に併せて唱歌を歌うだけだったから、クラシック音楽など無縁だった。“交響曲”と言う言葉が記憶に残るのは、中学校の視聴覚教育の一環として浅草六区の映画館で観た、シューヴェルトの悲恋をテーマにした「未完成交響曲」が初めてだろう。一流オーケストラの生演奏を聴いたのは40歳代、取引関係のある企業がスポンサーを務める演奏会に招待されたときから始まる。ウィーン・フィルハーモニーや小澤征爾もこのご招待で初めて触れ、次第にクラシック音楽に惹かれていった。60歳代末期から東京フィルハーモニー定期演奏会の会員となり生演奏を堪能した。しかし、聴力低下で補聴器を着け出すと、音のひずみが次第に気になり退会し、音を楽しむ世界を失ってしまった。「せめて眼からでも」との思いで、友人から薦められた本書を読んでみた。

選ばれた10曲は初演順に;①モーツァルト「ジュピター」、②ベートーヴェン「英雄」、③同「運命」、④同「田園」、⑤シューヴェルト「未完成」、⑥ベルリオーズ「幻想」、⑦チャイコフスキー「悲愴」、⑧ドボルザーク「新世界より」、⑨マーラー「巨人」、⑩ショスタコーヴィチ「革命」、となる。選定基準は多くの人に愛聴されているものではなく、交響曲の歴史において著者が重要と思う曲、そして“タイトル”のある曲。この後者の条件ゆえに、ハイドンやブラームスはまったく選ばれていないし、ベートーヴェンの「第九」も外されている。読み物としての面白さを引き出すために、タイトルは格好の材料なのだろうが、本格的なオーケストラファンとしては異論があるとこだろう。

各交響曲の紹介は、作曲家の略歴と「名作誕生」の背景を描くことに重点が置かれ、楽理的な分析や解説、あるいは演奏の聴きどころを紹介するものではない。とは言っても選定条件の前者(交響曲史上画期)から、楽理的な視点を一切断っているわけでは無い。例えば、4楽章(ときに5楽章)構成が一般的な中で、2楽章で終わっている「未完成」や、最後に向けで音量を盛り上げていく作曲手法を採らず、静かに終わる「悲愴」では、伝統的楽理あるいは作曲手法との違い(画期)を詳述している。

各曲のトピックス、エピソード;①モーツァルト最後の交響曲。古典派の完成形、最高作。②当初の題名は「ボナパルト」交響曲だったが、皇帝即位に失望し「英雄」に改題。③「運命」は自ら付けた題名ではなく、欧米では「5番」が一般的。当初は理解されない革命的な曲(特に、開始の“ダダダダーン”)。④「運命」完成後直ちに作曲に着手、初演は同じ日。曲名のみならず各楽章にも名前が付き標題音楽の嚆矢。自然描写音楽への挑戦。⑤死後楽譜が発見され有名になる。第2楽章までの「未完成」の推定理由の一つに、そこまでで25分を要し(当時は全曲で2030分)、第4楽章まで仕上げると1時間近くになるので、第2楽章で終わりにしたと言うのがある。彼の死因は映画のような悲恋とは大違い、梅毒あるいは治療のための水銀中毒。⑥ベルリオーズは医師の子で初めは医学を、後に法律を学び、その後音楽院に学ぶものの楽器演奏は行わない。だからこそ革新的な曲「幻想」が誕生した。曲の発想はゲーテの詩に基づく。⑦ベルリオーズ同様、音楽家の家系ではなく、法律を学び法務省勤務の経験もある。ロシア初の職業作曲家。先にも述べたように「静かに終わる」ところが画期的であった。⑧ドボルザークはチェコ人、宿屋兼居酒屋の息子、小学校でヴァイオリンの才を認められ、親類の援助で音楽院に進む。欧州で活動実績を挙げ、ニューヨークの音楽院院長として招かれ、そこで「新世界より」を作曲。これが史上初の「アメリカで作られた交響曲」となる。⑧マーラーはチェコ生まれのユダヤ人。「巨人(GiantでなくTitan)」はドイツ長編小説を題材とする。この完成までの道のりは長く、改訂に改訂を重ねる。作曲時間ばかりでなく演奏時間も長く(1時間)、初演ではこの長さが不評で、前半が終わったところで観客の大半が帰ったと言う。指揮者のブルーノ・ワルターが評価したことで名曲となっていく。⑩ショスタコーヴィチは革命前のサンクトペテルブルク生まれ。父は技術者だが母は結婚前音楽の道を目指したことがあり、姉妹も音楽を愛した。革命後に音楽教育を受け、社会主義国の新星としてもてはやされるが、作品の一つがスターリンの不興を買い失脚する。「革命」はそこから起死回生をかけた作品である。

作曲家や作品の選択に賛否はあるだろうが、名曲の略伝集として、知識を得られたし楽しめた。生演奏が聴けた時代に読んでいれば・・・、の思いが残る。

著者は1960年生まれ。出版社勤務の後起業し「クラシックジャーナル」誌ほか、音楽関係の出版事業に従事している。

 

3)現代史の起点

-ソ連解体に至る1986年から1991年までの過程を、多面的にその道の権威が詳述-

 


高校2年の時世界史を選択、その面白さに虜になり、受験参考書以外にも書物を漁るほどだった。そんな折ふと思ったことに、「自分の生きた時代、何百年後も歴史に残る出来事は何だろうか?」があり、それは今に続く。当時先ず思いついたのは第二次世界大戦だった。その後月着陸を含む宇宙開発がそれに加わる。そして近いところではソ連解体が残るのではないかと考えている。書評で本書がソ連解体を扱ったものと知り読んでみた。

ソ連解体は比較的短い時間のうちに一気呵成に生じたので、単一の出来事であるように見えるが、さまざまな違いや変化が包含されていた。「ペレストロイカ」の内実は時期によって大きな変化をこうむっており、その相互関係を解きほぐすのが本書の課題。従って、前史としてスターリン~ブレジネフ時代から「ペレストロイカ」直前のアンドロポフ・チェルネンコの共産党統治改革案までを概観したあと、1986年から1991年までを詳細に分析し、これと現代世界の関わりを述べて結ぶ。

著者は1948年生まれ。東京大学名誉教授、専門はロシア・旧ソ連諸国近現代史・比較政治学。本書は既刊の「国家の解体-ペレストロイカとソ連の最期」(全3巻)を骨子とし、一般向けに書き下ろされたものである。

体制内改革はゴルバチョフ前から始まっており、ゴルバチョフ自身「ペレストロイカ(再構築)」「グラースノスチ(公開性)」を打ち出した際は、抜本的な体制転換などではなく体制内(共産党統治)改良を目指すものであった。「長く閉塞した社会環境が、ある程度改良が始まる中で、高まりだした期待感と現実のギャップが生じ、“期待の爆発”が起こり、改良が革命に転ずる」と論じたトクヴィル(19世紀仏思想家・政治家)を援用し、ペレストロイカをその典型例と見る。また、ソ連解体過程を、経済急落→大衆反抗→ソ連解体と見る向きがあるが、実態は、小さな経済低下→ソ連解体→経済急落だったと著者は見る。

穏やかな体制内改革活動が急進化・分極化していく要因として注視するのが、15存在した共和国と連邦制の関係(国内問題)、それに東欧衛星国におけるそれぞれのペレストロイカである(国際関係)。各共和国統治は改革以前からさまざまな違いがあり、これが自由度を増すことで、連邦(中央政府)の力を削いでいく。最も強力なのはロシア共和国、連邦制下では経済的に他共和国を支える存在、平等社会では“逆差別”を受けているとの思いが強い。一方辺境の共和国は民族問題や人脈支配などが連邦政府を悩ませる。最終的にゴルバチョフ(ソ連邦大統領)が失脚しエリツィン(ロシア共和国大統領)がソ連邦大統領の座を奪うのは、中央と共和国の力関係逆転に依る。

当初の衛星国家におけるペレストロイカはソ連同様体制内改革として始まるが、複数政党を許したり、多くの亡命者を許容するなど、予期せぬ方向に進み、1989年のベルリンの壁開放がそのクライマックスとなる。また、ワルシャワ機構軍が動かないと見たウクライナやバルト三国のように独立志向さえ出てくる。これらがブーメランとなって、ソ連邦と構成民族の民主化意識に反映、それを急進化する。

事実上の冷戦終焉は1990年の東西ドイツ統一と湾岸戦争(安保理における武力行使にソ連が賛成)。この時点では東西和解であり、西側勝利という構図はなかったが、次第に勝者・敗者という見方が強くなって、ゴルバチョフの権威は低下していく。

19918月ゴルバチョフがクリミアで休暇中、国防次官や大統領府長官などが非常事態宣言署名(連邦政府権限を大幅に縮小)を求めて来訪、ゴルバチョフがこれを拒否、軟禁される。しかし、このクーデターにロシア共和国大統領エリツィンが直ちに対向革命、クーデターは失敗に終わり、ロシア共和国の権限拡大を宣言、他の共和国もこれに追随、連邦制は崩壊する。

巷間流布する「旧体制の矛盾が原因」「改革が体制崩壊を招いた」といった単純化なソ連崩壊論を正し、「現代史の起点」とするユニークな内容。例えば、その後に起こった「アラブの春」との相違を論じたり、ウクライナ戦争の根源を探るところに、その意図(現代史の起点)がうかがえる。専門的な内容ながら、深さ読みやすさが適度で、一般向けとしてまったく不満はなかった。

 

4)戦争に抵抗した野球ファン

-プロ野球創生から終戦までの職業野球史。開戦の日も、空爆のさなかも、終戦の年も、試合を楽しむ人々がいた-

 


プロ野球の存在を知ったのは、引揚げ後母の実家があった西荻窪に住んでいるときで、転校まもなく出来た友達と話す中で「君はどこのチームを応援していのるか?」と問われたことに始まる。何を問われているのかさえ理解出来ず、母にそれを話したとき“職業野球”の説明をしてくれた。当時1リーグ8球団で構成されていたが、チーム名を覚えているのは、巨人の他、阪神タイガース、阪急ブレーブス、南海ホークス、東急フライヤーズ、金星スターズの6球団で他の2球団は思い出せない(多分中日ドラゴンスはあったはずだ)。子供仲間で野球の話をしているとき年上の一人が、「戦争中は英語禁止で、アウト・セーフ、ストライク・ボールが使えず、よし・ダメと言っていた」と聞かされ、戦時野球の一端を知った。本書を見て、そんなことを思い出し、読んでみたくなった。

著者は1960年生れ。略歴を見て驚いた。ノンフィクション作家でもスポーツ関係者でもない。東大の博士号(工博)を取得、長年ソニーに勤務、ウォークマン開発にも関わったエンジニア。東京造形大学学長も務めた経験のある人なのだ。つまり、趣味としてこの分野に踏み込み、戦前の職業野球(戦後しばらくまでプロ野球と言う言葉はなかった)研究に傾注、澤村栄治物を始め何冊か既刊著書もある。本書も職業野球草創期から終戦までのプロ野球史と言える内容だ。

日本職業野球連盟の発足は昭和11年(1936年)2月、支那事変は翌年勃発だが、1931年には満州事変が起こっており、1933年には満洲国建国、日中間にはきな臭いにおいが漂い始めた時期だ。発足の背景には昭和6年および9年(ベーブルース来日)の全米軍来日で野球人気が高まっていたことがある。推進者は読売新聞社長正力松太郎。関西・中部財界にも働きかけ、巨人軍・タイガース・阪急軍・金鯱軍・セネタース・名古屋軍・大東京軍の7球団でスタートする。導入部は戦争とは関係なく、各球団創設経緯、専用野球場建設(州崎・上井草・西宮・後楽園など)、職業野球を支援する有名人(皇族・華族、政治家・作家、実業家など)を題材に、初期の職業野球を巡る苦労話・エピソードなどが語られる。

1937年盧溝橋事件で支那事変(日中戦争)が始まり、次第にその影響が出てくる。紙面が最も割かれるのは澤村栄治、手榴弾投げでは他を圧し83mを記録、軽機関銃手として中国戦線で戦い負傷するが、3年後除隊・現役復帰。しかし、軍務仲筋肉が野球には不要な部分に増え、体重も増して往年の力が発揮できなくなる(終盤は代打起用)。彼はこの後さらに二度応召、三度目のフィリピン行きで戦死する。

戦時色が強くなると国防費献納などのため特別な試合(例えば東西対抗戦)が組まれ、これが人気を呼ぶ。また、傷痍軍人は無料にするなど連盟は積極的に軍に協力していく。昭和15年、新体制を掲げる近衛二次内閣が発足。「ぜいたくは敵だ」の標語に代表される反米英空気の高まりの中から、英語原則禁止令が野球にもおよび、チーム名、ユニフォーム、記事用語、さらには審判の判定にも日本語化が進んでいく。用語;ストライク=正球、ボール=悪球、セーフ=安全、アウト=無為。審判判定;ストライク=ヨシ一本(二本)、ボール=一つ(二つ)、セーフ=ヨシ、アウト=引け、三振=それまで、などとなる。また、大東京軍はその後ライオン歯磨きがオーナーとなりチーム名もライオンと改まっていたが、それが使えず朝日軍と改名している。これが個人におよんだのが巨人軍の豪腕投手スタルヒン、白系ロシア人の彼は須田博と改名せざるを得なくなる。

昭和16年太平洋戦争開戦、直前までそれを知らされていなかったこともあり、この時期1129日から3日間後楽園で、126日から3日間甲子園で東西対抗戦が行われている。つまり、戦時といえども野球ファンはそれを楽しんでおり、昭和16年の入場者は87万人もあったのだ。また、昭和17年の山本五十六大将戦死(死後元帥)の報は一ヶ月後に公表されるのだが、この日の巨人軍対名古屋軍の試合には6千人の観客が集まっていたという。

戦況が厳しくなると新たに様々な変化が出てくる。例えば、戦意向上のために試合前に軍服を着た選手たちの手榴弾投げ競技が行われ、先の澤村の話はこれと結びつく。選手確保も難しくなるが(昭和19年には一チーム14人~18人)、本書でクローズアップするのは大学生の徴兵猶予制度(昭和18年廃止)である。昭和16年の対象者は14万人、この中には私大に籍を置き職業野球の選手になっていた者も居り、徴兵逃れとして摘発されたりしている。試合の障害になるのは選手不足ばかりではない。スタンドには探照灯や高射砲が設置され、グランドの一部は野菜畑に変じていく。道具入手にも影響、ボールは素材の品質低下で飛ばなくなり、再使用を含めて一試合6個までに制限される。

それでもやる方・観る方、野球に魅せられる者は依然として少なくない。敗戦の年、昭和20年年明け、阪神軍の呼びかけで始まった、阪神軍+α対阪急軍+朝日軍の正月野球大会には4日間甲子園および西宮で行われ8500名の観客があった。そして敗戦。しかしこの年の11月東西対抗戦が復活、神宮を皮切りに桐生、西宮と行われ、神宮は6千人、西宮では1万人の観客を集めたという。

“抵抗”と見るか否かはともかく、あの戦時に、恵まれぬ環境下、野球に情熱を傾けていた人々(選手、ファン、球団関係者)がおり、その姿を垣間見せてくれる、ユニークな一冊だった。

 

5)日本海軍戦史

-日清・日露・太平洋の海の戦い通史。世界初の機動部隊を発案しながら、最後まで変えられなかった邀撃艦隊決戦主義-

 


軍事マニアであることは自分でも認めるところだが、オタクというほどそれに精通しているわけでは無い。私の関心事は、第二次世界大戦に至り戦略兵器となった航空機・装甲兵器・潜水艦・電子兵器、それに軍事における数理利用。つまり狭義の軍事技術分野が第一。第二は自分の生き他時代の昭和史。後者はともかく、戦略兵器の分野において、我が国に調査を深めたくなるようなものはごく限られており、陸海の航空機と軍艦はまずまずとして、真にオリジナルと言えるのは空母を中心とした機動部隊くらいである。しかし、この機動部隊システムといえども、結果として、戦艦を中心とした“艦隊決戦思想”の先兵に過ぎなかった。一方の米海軍は、真珠湾攻撃から学び、太平洋戦域では任務部隊(空母を中心とする機動部隊、戦艦すら支援兵器化)を決戦力として大改編、太平洋を攻め上がって最終勝利を収めた。この違いはどこに発するのか?戦略兵器マニアと自任しながら我が国海軍通史に目を通していなかったことに気づき、友人から贈られた本書でその因が探れるのではないかと読んでみた。

本書は海軍史ではなく海軍“戦史”である。それゆえに思想・戦略や組織・人事に触れるものの、大半の紙数は作戦・指揮に割かれ、構成は日清戦争・日露戦争・太平洋戦争の3部作で、主要海戦が中心となっている。ただ、これが時系列でなく、日露・日清・太平洋の順になっている。著者まえがきに依れば、日本海軍のピークは日露戦争、そのピークから双方を見下ろすことで、歴史から学ぶものがあるとのことだ。つまり維新後の日本が目指した近代化事例として、日露戦争が最も象徴的な出来事だったと見るのだ。確かに、読んでみると日清戦争時の海軍は未完・中途半端の感を免れない。例えば、何と戦うための海軍だったかが見えてこないのだ(沿岸防衛主体)。それに比べ、日露から太平洋戦争には確実に連続性があり、だからこそ敗北で終わる最期に納得感があ(近海で迎え撃つ艦隊決戦主義、大鑑巨砲主義)。

とはいえ、最も知見を得たのは日清戦争。華々しい話がないだけに、当時の日清両海軍紹介や戦闘場面は新鮮な情報に満ちていた。近代化の進む日本に脅威を感じた清国は北洋艦隊・南洋艦隊にそれぞれ2隻の装甲艦を配する。日本と戦うことになる北洋艦隊にはドイツに発注した「定遠」「鎮遠」があり、完成後他艦も含め、示威のため長崎に来港する。排水トン数7335tは日本が保有する海防艦「扶桑」の2倍もあり、人々は驚愕する。一方、日本の海軍はこれに対抗する三景艦「松島」「厳島」「橋立」をフランスに発注するが、砲力を「定遠」型を上回るものにしたこともあり、完成が遅れに遅れ、これに懲りて後続の装甲艦「浪速」「高千穂」「筑紫」はすべて英国に発注する。搭載されたアームストロング砲は小型だが速射力は「定遠」を上回り、速度も速く、黄海海戦では北洋海軍を翻弄する。また、威海衛軍港に逃げ込んだ残存艦船を攻略するのは世界初の水雷艇集中運用。指揮官はのちに首相として終戦を決することになる鈴木貫太郎大尉であった。著者は一連の海戦勝利を、「科学技術の総合組織」としての海軍の戦闘能力の違いと評す。

日露戦争で中心となるのは当然のことだが日本海海戦。丁字戦法によるバルチック艦隊壊滅がよく知られるところだが、当初の作戦計画は駆逐艦・水雷艇で構成される奇襲隊による連鎖機雷投入であった。しかし、これが荒天のため中止となり、複数の敵艦隊情報不一致もあり、常識的には失敗と言える“東郷ターン”を敵前で行い、イの字から平航戦に移り、数ノットの優速、砲弾命中率の違いで、幸運にも完勝したのが実態らしい。「丁字戦法」神話は副官であった小笠原長生の作り上げたものと断じている。

この日本海海戦から得られた戦訓が、「迎撃艦隊決戦と指揮官先頭」。昭和海軍はこれから脱せず、開戦時から軍令部より出先機関である連合艦隊が作戦構想をリード、海軍政策が国策から乖離し、目標は「米国艦隊撃滅」に集約されていく。その観点で著者がターニングポイントと見るのは、ミッドウェー海戦ではなく、マリアナ沖海戦とレイテ沖海戦。いずれも日本近海に敵を迎え、艦隊司令官が先頭に在る。形は日本海海戦同様だが、レーダーや近接信管で防空力を高め、大艦巨砲(戦艦、巡洋艦)も空母を守る支援艦に転じ、制海権に先立ち制空権確立を図る、新しい戦法の米海軍に完敗。残るは特攻のみ。勝敗を決するような戦果は目標でなく、ただただ「日本海軍の栄光」のために献身して戦いは終わる。「海軍あって国家なし!」

通史として読み、“戦史”に反し、強く印象づけられたのは海軍思想や組織・人事、つまり軍政に関わるトップの資質だ。日清・日露でその要諦を担った山本権兵衛はマハンの「制海論」にいち早く注目、それを学ばせるため秋山真之・佐藤鉄太郎を派米、これが日本海海戦で生きる。また、適材適所に意を用い藩閥人事を大改革、日露戦争開戦直前に連合艦隊司令長官を古い猛勇タイプの日高壮之丞から英国に学んだ東郷平八郎に替えている(自身も両人も薩摩出身ではあるが)。対して山本五十六は軍令よりは軍政の人。寡黙で自身の考えを表に出さず、周辺との意思疎通に欠けており、果たして実戦の最高指揮官として相応しかったのか、と著者は疑問を投げかける(知米はと言われながら米国の友人に宛てた書簡は一通も発見されていない)。また、人事に関しても、ミッドウェー敗戦の責任者(長官、幕僚)を厳罰にせず、ここにもリーダーとしての資質が問われるところだとする(対する米太平洋艦隊司令長官のニミッツ大将はこの点で厳しかった)。

著者は1948年生れ。呉海事歴史科学館(大和ミュージアム)館長、日本海軍史研究家。

 

6)水の戦争

-水争いは古代から続き、文明の発展とともに急増。新技術と地政学から見た、現代の水戦争を概観する-

 


半世紀以上前のことになるが、「日本人とユダヤ人」と題する本が話題になった。一種の比較文化論だが当時の日本・日本人に関する社会時評とも言える内容で、かつ著者名がイザヤ・ベンダサンという外人名だったこともあり、注目を集めたのだ(後に著者は出版社主の山本七平であることが分かる)。それまでの日本人が風評や読み物で知るユダヤ人・イスラエルとは異なる内容で、この民族・国家を新たな眼で見つめる機会を与えてくれた書と言える。

私もこの本の出版後直ちに読み、覚醒されたのは「日本人は安全と水はタダと思っている」と言うくだりだ。国家安全保障はともかく、飲料水・農業用水・工業用水にコストがかかっていることは承知していても、 “タダ”感覚で日常使っていることを改めて気づかされた。あれから半世紀、世界人口は増加の一途、都市への人口集中、工業化・農業化の発展、加えて地球温暖化、水の需要は確実に増加し、供給量とのアンバランスが拡大している。いまや水問題は身近な話題、そのものズバリのタイトルを見て、久々にあの古書が蘇り、読んでみることにした。

1930年代全世界の水使用量は1000立方km、これが2000年には4000立方kmに増加、2050年の見通しはここから60%増、世界人口の40%を超える人間が深刻な水不足に直面すると予測する。また2000年から19年の間水に関する国際紛争・係争は670件、これも増加の傾向にある。この水を巡る現状を「地政学」と「テクノロジー」の視点で解説するのが、本書の骨子である。

先ず「テクノロジー」;ここは二つの面に目を向ける。一つは半導体生産、インターネット/クラウドサービス(データセンター)、AI利用、それに気候変動対策/脱炭素社会など新技術における水利用の増加である。台湾半導体メーカーTSMCの熊本進出(量だけでなく水質も要件)、バージニア州に集中するデータセンター(全米の13、冷却と水力発電)、AI学習で使われる水の量(2050の問答を2週間続けると約70万ℓ消費)、電子化・EV化で進む銅採掘・選鉱に要する大量の水(チリでは海水の淡水化、それを高地にポンプアップ、そのための水力発電)などを取り上げ、新需要に伴う問題を洗い出す。二つ目は、AIIoTInternet of Things;各種センサーの広範な適用)による水管理。従来国や地方自治体が行ってきたそれを、最適化・効率化を追求する企業に委託することの是非を論じる。

「地政学」視点は幅が広い;ヒマラヤやチベット高原に源を発するアジアの国際河川(ガンジス、インダス、メコンなど。水源を中国が抑えるが、この国も需給バランスが悪い)。ナイル河管理に新たに加わったエチオピア、水量激減のチグリス、ユーフラテス(水源を抑えるトルコとの関係)、気候変動で水位低下のライン河・ドナウ河、パレスチナを巡る水争い(ここは地下水も紛争源)。一つの国の中でも地政学的争いは起こる。コロラド川の水は水源のワイオミング州から河口のカリフォルニア州まで七つの州が利用、近年水量が低下、各州間の調整はなかなか合意に達しない。また、所々で利用セクター間の奪い合いも起こっている。都市・農村・企業のそれだ。フランスにおけるダノン社(ミネラルウォーター「ボルヴィック」の生産者)と地元民の地下水利用に関する係争、チリのアボガド生産(大量の水が必要)やスペインにおけるオリーブ生産でも農家と一般市民の間で同様の問題が生じている。

他国はともかく、世界平均2倍の降水量のある日本でどんな水問題があるのか。著者が問題視するのが、他国による水と関わる土地買収。山林地帯の不動産売買は実態が見えにくいこと(ダミーを含む)。日本の土地所有権は、一旦取得すると極めて強力なこと。これが地域統治に影響するとし、2000年以降の傾向を分析して見せる。第一期は2000年代後半の水資源林取得の波、第二期は2011年東日本大震災後の再生可能エネルギー用地買収(中国企業によるメガソーラ用地)、第三期は農地・港湾・離島などへの多様な広がり、そして現在は半導体生産やデータセンター用地へと、日本人は水を外国人に差し出していると警告する。

ところで、比較的水に恵まれた我が国だが、「大量の輸入国である」と言われると意外な感がある。ミネラルウォーターではなく、農産物である。結果的にこれは生産国の水を輸入していることになるのだ。こんな考えが、国際機関で論じ始められており、他国の渇水を対岸の出来事視せず、“同岸の水涸れ”と見るべきことを教えられた。

著者は1967年生れ。出版社勤務の後“水ジャーナリスト”として独立、「水道民営化で水はどうなるのか」(岩波書店)など水をテーマにした既刊書がある。

 

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