2019年4月30日火曜日

今月の本棚-129(2019年4月分)



<今月読んだ本>
1)ファナックとインテルの戦略(柴田友厚);光文社(新書)
2)ドイツ帝国の正体(イエンス・ベルガ―);早川書房
3)大統領とハリウッド(村田晃嗣);中央公論新社(新書)
4)数学する人生-岡潔-(森田眞生編):新潮社(文庫)
5)「作戦」とは何か(中村好寿);中央公論新社
6)崩れる政治を立て直す(牧原出);講談社(新書)

<愚評昧説>
1)ファナックとインテルの戦略
-知られざる、世界の製造業を支える日本の工作機械技術-

大学では機械工学を学んだ。基幹となる科目は、材料力学・熱力学・流体力学の3力学、そこから材料加工(塑性、鋳鍛造、切削)・熱機関(ボイラー、内燃機関、タービン)、流体機械(ポンプ、圧縮機)などの具体的な機械類に関する学問が派生していく。その一つに“機械を作る機械”と言われる工作機械がある。地味な分野だが製造業の根底を支える重要な機械ゆえマザーマシンとも称される。
私が専攻したのはこれら主流分野とは一味異なる制御工学、分かり易い言葉ではオートメーション、学んでいた時代には、純然たる機械よりも電気・電子機器や装置工業を対象とした利用が進んでおり、“ガソリンエンジンの調速(回転数制御)”を卒業論文のテーマにしながら、石油会社に就職したのもそんな時代背景に依る。今、自動車エンジンが制御システムの塊であること、さらには自動運転普及が間近いことを見るとき、昔日の感がある。ロボットまたしかり。搬送機械(各種コンヴェア)は既にあったものの、今日のような変幻自在にマテリアルハンドリングが可能な産業用ロボットが出現する兆候はまるでなかった(私の出た研究室は後にロボット研究が中心となる)。ある意味、理論やアイディアが先走り過ぎていた領域とも言える。
伝統的・基盤的機械工学の粋工作機械と先端的な制御工学の融合にはしばし時間を要する。つまりICTの発展/普及である。就職後、計測制御学会誌で頻繁に目にする“稲葉清右衛門”と言う古風な名前が所属会社である富士通とともに脳裏に刻まれるようになっていった。今や世界一の工作機械制御システムメーカー、ファナック社生みの親である(95歳、いまだお元気なようだ!)。本書はそのファナックを中心とした「工作機械産業発展史」であり、そのファナックがインテルといかに深い関係にあったかを辿るものである。
工作機械と一口に言っても種々のものがある。旋盤、ボール盤(穴あけ)、フライス盤(立体加工)、中ぐり盤、平削り盤、歯切り盤(歯車)、研磨盤などが代表的だが、プラスチック成型機や放電・レーザー加工機、自動溶接機などもその範疇に加えることもある。そして、嘗てはそれぞれが単能機として生産販売されていたが、ICTを利用して複数の機能をこなすものが出現、マシニングセンターと呼ばれる。
約四半世紀の長きにわたり日本は工作機械生産高(金額)トップの座にあったが最近は中国が首位、しかし高性能機では依然先頭の位置に在り、これをドイツが追う形になっている。特に日本が強いのがCNCComputer Numerical Control;数値制御)装置付きのもの、ファナックを始め安川電機、三菱電機などがこれを生産している。世界市場で変化が激しかったのが米国、CNCのアイディアを1952年に試作実現(MIT)、1965年には世界全体の28%を占めていたものが1986年には10%に低下、現在も回復の兆しはない。何故か?ここが本書の一つの読みどころであり、ファナックが世界一になる因と重なる。
先に挙げた日本のCNCメーカーはいずれも工作機械メーカーではない。種々の工作機械を作っているのは、ヤマザキマザック、森DMG(ドイツとの合弁だが森精機がマジョリティ)、オークマ、東芝機械、牧野フライスなどの工作機械専業メーカーである。これらの会社はいずれも世界は無論、我が国においても決して大企業ではなく、自社で専用のCNCを開発するには経営資源が充分でなかった。一方ファナックは富士通の社内ベンチャーとしてスタート、研究開発段階では特定の工作機械メーカーと組むものの、最終的なゴールはあらゆる工作機械企業/機種を対象にしたい。ここから汎用標準志向が生まれ、そこに複数需要家とのコラボレーションが生じ、他の日本メーカーもこれに追随する。対して、米国の工作機械メーカーは既に市場を世界に広げており、規模も大きいので自社マシン専用のCNCを開発、工作機械との相性は良いが汎用性は無い。ここが勝負の分かれ目だったわけである。
ファナックがここに至るまでには種々の苦労がある。後に我が国ナンバーワンのコンピューターメーカーに転ずるものの、稲葉が新規事業開発者に指名された際(1956年)は電電ファミリーの通信機メーカー、自社コンピュータなど存在しない。初期の大きな成果は、正確な位置決めを行える電気・油圧パルスモータの発明(発想は電話用自動交換機から)と円弧と直線で機械部品の形状を計算するアルゴリズムの開発。制御の頭脳部分は、当初自社製専用機、やがて富士通本体の汎用機や工業用ミニコンなどをベースにCNCを開発していくのだが、工作機械本体より高価な制御装置は導入先が限られる。そこに現れたのがインテルである。インテルは一時メモリー用ICのトップランナーだったがやがて日本のメーカー(富士通を含む)に市場を奪われ、言わばファナック同様社内ベンチャー的にマイクロチップCPUMPU)の開発・生産を始める。最初の大手顧客は日本の電卓メーカービジコン社。次いで東芝系POS端末機メーカーテック社も採用、それら一連の動きにファナックが着目、1975CNC用に採用を決める。これはPCベンダー(IBMを含む)よりはるかに早い時期である。こうしてインテルとの連合がなり、両社に世界一への道が開けていったのだ。
今後の問題として、3Dプリンター出現に依る工作機械自身の変化、市販PC利用のCNC、中国の「製造2025」政策(工作機械は最重要品目のひとつ)などあるが、著者は積み上げてきた膨大なユーザー情報を含め、後発とはソフトノウハウ領域で相当差があると見ている。高性能工作機械あっての各種高品質製品である(母性原理;Copying Principle;部品はそれを加工する工作機械の精度を超えることは出来ない)。我が国製造業競争優位のために、その差を維持し続けて欲しいものである。
最後に、日米CNC盛衰の歴史を自動運転システム開発の世界に敷衍し、自社専用システム(各自動車会社)と汎用システム(グーグルなどの非自動車企業)の将来に問題を投げかける。果たして本流はどちらになるか?と。
著者は京大理学部卒業後ファナックに入社、開発技術者として10年余勤務した後筑波大学MBAコース修了、現在は技術経営戦略やイノヴェーション経営などを専門とする東北大学大学院経済研究科教授(工博)。実務を経験し内部事情に詳しい研究者ゆえ、現存する関係者(主に元富士通役員)への取材や社内資料にもアクセス可能、かなり特殊な世界だが、臨場感をもってファナックの発展過程が伝わる内容になっている。また、あとがきの中で「日本企業のディジタル化への遅ればかりが悲観的に指摘される昨今だが、目を向けている産業や企業に偏りがあるのではないだろうか」と疑義を呈している。全く同感である。

CNC装置理解のための参考動画;単能機として最も高度な工作機械フライス盤操作。これはCNCが導入される以前の熟練工によるその操作過程。加工物や切削工具の取付け/取替え、身体の動き(腰・肩・肘・膝・手首・指先)、各種測定器の利用、やすりを始めとした工具の取扱い;この匠の動きをICTに置き換えたものがCNC装置なのだ。ユーチューブ「TOKYO匠の技」より引用;https://www.youtube.com/watch?v=UOVxMv2hKSQ

2)ドイツ帝国の正体
-一見好調な経済/健全財政の範、資産/所得格差で見る実態は意外な姿だ-

グローバル化が日に日に進んでいる。私の住んでいる横浜の南の果てにもネパール人の営んでいるインド料理店があるし、駅の案内表示板には漢字・ひらがな・ローマ字・ハングルの4文字が併記。こんな世界との身近な関係、それぞれの人はどのように作り上げ、対応しているのだろうか。
私の“国際関係”は、主として石油とICTの十字路で行き交った人々だ。ここで得た友人/知人の存在は、対日関係がかなり厳しくても、メディア報道とは違った気持で受け止め、「政治家とメディアこそ諸悪の根源(両者とも国内で生きるしかすべはない)」と片付けられる。そんな中で、私が唯一好感の持てない大国がドイツである。日清戦争後の三国干渉から始まり黄禍論、果ては上海事変での国民党軍支援、この国は日本の国力を抑え込むために、あの手この手と陰険に振る舞ってきた歴史を持つ(例外は三国同盟のみ)。ドイツ人の名刺は10枚程度あるが友人/知人は皆無、他の国とは付き合いの濃さが違う。だから私の対独観はかなり偏ったものだと承知した上で、最近とみに日本に批判的(EUにおける中国・韓国の代弁者の感さえある)なこの国の今を知っておく必要を感じ、本書を手にした。
著者はドイツ人ジャーナリスト、ドイツで大人気の政治ブログ「シュピーゲルフェヒター」の執筆者。残念ながらその程度しか、解説を含めて著者像は記されていない。情報・データがしっかりした内容から、かなり優れたジャーナリストと推察できる。また、フランス人や日本人でなく、その国の人間が書いたところに本書の価値がある(外国人バイアスがかからない)。
取り上げるテーマは、ドイツにおける“格差社会”、その点で帯にある「ドイツ版ピケティ」はぴったりだが、ピケティがアングロサクソン型資本主義(新古典主義)全体を対象にしたのに対し、本書はドイツの土地所有に関する歴史と戦後の経済政策や税制、企業経営環境に絞り込んでおり、より国内事情を深耕したものと言える。この具体性を持った展開から、論旨;1990年代までドイツは比較的資産が公平に分配されている国だった、しかしその後格差が拡大、その根源は保守(キリスト教民主同盟;CDU)・革新(社会民主党;SDP)両党の政策にあった。特に富裕層に対する所得税と遺産相続税が問題だ。今やそれは限界にきている;の理解は容易に進む。
分析の基となるのは所得と資産に関する数字である。著者は先ずこれらに疑問を呈する。特に富裕層のそれが如何に把握し難いかを、国勢調査の方法や行政の情報開示姿勢まで踏み込んで質し、公開情報に独自の分析を加えて推算値を算出する。次いで非富裕層のそれらについても検証、社会的な背景を踏まえ、他国と単純比較して騒ぎ立てることに警告を発する。例えば「ドイツ一世帯当たりの資産はギリシャより少ない」などと言う流言飛語が如何に実態にそぐわぬかを、社会構成や福祉政策の違いから詳らかにする。つまり、ギリシャ人は家族主義で一世帯の人数(働き手)が多いこと、教育・医療・年金を国に頼れる社会ならばせっせと個人資産を蓄えようとはしないこと、に数字の魔術が潜んでいることを示す。しかし、こうして基本的な数字を正してみても、明らかに格差は拡大傾向にあり、その進み具合は急角度だ。どこに原因があるか?
資産に大きな割合を占めるのは我が国同様不動産だ。ここでは大土地所有の歴史を手短にたどる。ドイツは領邦国家がまとまって出来上がる。王・領主と臣下の関係は土地の授受と密接に結び付き、戦前は多くの大土地所有者(概ね旧貴族と教会)が存在した。戦後それらは、復興のために国(西ドイツ)に召し上げられるのだが(最高50%)、その時点での土地評価額に相当する金額を長期(30年)にわたり国家に払うことで、所有権を回復する仕組みになっていた。その後の目覚ましい経済成長で所有する土地価格は急騰、これが所有者の莫大な財産となり(資産インフレ)、加えて低い資産税(世界で最も低い国の一つ。本書で固定資産税という用語は出てこない)と相続税、持てる者と持たらず者の格差を作り出し、中産階級の固定資産形成を難しくしている(自宅所有世帯は50%以下、OECD加盟国ではスイスの36%に次いで低い)。
次の対象は所得。多くの勤労者や個人企業経営者にとってこれは賃金や利益である。各国から移民が仕事を求めてこの国にやって来ることから、さぞ恵まれた環境にあると思いきや、中産階級の中核を成す高学歴者の職場はミスマッチングが目立ち、必ずしも望む仕事に就けない。1993年以降賃金はほとんど横這い状況。個人企業はスーパーや量販店におされてじり貧。一方でクローズアップされるのは資産が生み出す所得、地代・家賃や株式配当である。日本同様一般庶民の株式保有は極めて少なく、古からの資産家(配当ベストテンには、BMWオーナー家、ポルシェ一族(フォルクスワーゲン)、メルク家、シーメンス家、ヘンケル家などが名を連ねる)や正体がはっきり追えないヘッジファンドに大きく偏っている。そしてこれらの所得に関する税は、45%の通常の所得税ではなく、25%の資本収益税で済まされる。またこのような税制を批判してしかるべきメディア(主に新聞)も特定のファミリーに寡占されており、そこからの政治献金と相俟って、税制批判に矛先が向かわない。
独特の社会的市場経済システム(かつての日本同様国家主導の資本主義)が大きく崩れ出すのは、レーガノミックス、サッチャーの国営・公営企業の民営化と時代を同じくする。SDPのシュレーダー(独)政権の下から始まり、CUDのメルケルがそれを加速させる。公的年金の民間生命保険(年金;運用リスクが大きい)へのシフト、公営集合住宅の縮小と民営アパートの増大、中産階級の資産・所得は富裕層(家主)や大企業(保険会社)に移り、格差はますます拡大する。結果;上位80万人の資産と残り8千万人(下位20%はほとんど資産無し)のそれが同額となり、ジニ係数(ゼロが貧富の差なし、1が最大格差;以下に示す数値は著者が独自に諸データから推算したもの)は0.78(露;0.91、中;0.69、仏;0.68、英;0.67、日;0.55、何故か米はない)となる。一見健全に見える財政バランスも広義の社会福祉民営化やインフラ投資の圧縮で実現しているのだ。
原題は“ドイツは誰のものか?”。答えは、古くからの大地主、伝統的資産家、一部の戦後成金(特にスーパー創業者)それに国際金融資本である。国を国民の下に取り戻すためには大胆な税制を中心とした社会改革(戦後のように富裕層の財産のかなりの部分を国が取り上げる)しかない!である。
読後感;とにかくそろえたデータ(多面的に検証)が凄い。これをベースに戦後ドイツ政治経済が辿ってきた道を踏まえ、今日の惨状を章ごとに簡明(図・表を多用)かつ定量的に要約するので、説得力抜群。依然嫌らしい国と思っているが、多くの国民には同情の念すらわいてきた。ピケティブームに便乗し、自分の意見に都合の良いデータだけ抽出し、TVや新聞あるいは本などでごちゃごちゃ言っている、我が国の学者やエコノミスト、評論家、ジャーナリストに「少しは本書の爪の垢でも煎じて飲め!」と言ってやりたくなった。

3)大統領とハリウッド
-皆リンカーンを目指す米大統領、映画を通した米国政治通史-

いよいよ平成が終わり令和が始まる。本書を読みながらフッと思ったのは(米大統領と比すべきことではないが)「今上(平成)天皇が映画に登場したことはあるだろうか?」との疑問である。波乱に満ちた昭和時代は、戦後太平洋戦争に関わる映画が数多く制作され、遠景や影のような形も含め、著名な俳優たちが昭和天皇を演じていた。私の記憶に強く残るのは1967年公開の東宝映画「日本のいちばん長い日」、ポツダム宣言受諾から終戦の詔勅(玉音放送)が発せられるまでを描いた作品である。監督;岡本喜八、鈴木貫太郎首相;笠智衆、阿南惟幾(これちか)陸軍大臣;三船敏郎、米内光政海軍大臣;山村聰、そして昭和天皇は松本幸四郎(八代目)が扮した。それに対し今上陛下が即位後映画で取り上げられることはなかったように思う。ただ、皇太子時代ご学友だった藤島泰輔が小説「孤獨の人」を出版、ベストセラーとなり、これが日活で映画化されたことは、観てはいないのだが、こちらも多感な高校生だったからよく覚えている。右翼や学習院の反対で大騒ぎになったのである(出演した在校生は退学処分になった)。そんな我が国にくらべ、映画俳優が大統領になってしまうような国では、大統領が登場する多くの作品が作られている。本書はそれらを、歴史を辿り、当時の社会情勢を背景にしながら、解説するものである。
米国大統領選は有権者が選挙代理人を選び、その代理人が大統領を選ぶシステムになっている。つまり厳密な意味で直接選挙ではない。今回のトランプ対ヒラリー戦でも得票数ではヒラリーが僅かに上回っていた。しかし、あまねく有権者に認知してもらわなければならないと言う点においては直接選挙と事情は同じだ。欧州各国や日本と異なり、広大な国土に散在するその選挙民に如何に候補者として売り込み、政治理念や政策を理解させ、支持を取り付けるかは工夫のしどころである。新聞、鉄道、通信、ラジオ、映画、TVそしてネットへと中核媒体は変化してきた。その中で映画/映画人の影響力は依然大きい。本書では、個々の大統領と映画の関係を語るばかりでなく、政治における映画の果たしてきた役割をリンカーンからトランプまでたどり、米国政治史を概観する。
総じて反権力志向が強いハリウッドとワシントン(政治家)の関係は常に緊張関係をはらむ。マッカーシズムが荒れ狂った1950年代はその頂点とも言えるが、ヴェトナム戦争時のニクソン、ジョンソンそして今のトランプ政権、いずれも決して良好な関係とは言えない。一方で国家非常時、特に第二次世界大戦では戦意高揚のために映画ほど役に立つものはなかった。ローズベルト大統領はラジオで国民に直接語り掛けるとともに、ハリウッドを最大限に利用する(アカデミー賞授賞式に初めてメッセージを贈った大統領)。政治家の方がセレブを宣伝材料とするケース、俳優の方が積極的に接近するケース、双方それなりに利用価値ありと認め合っているのだ。そこから大統領(レーガン)や知事(シュワルツェネッガー)、市長(クリント・イーストウッド)も生まれる。古いところではゲイリー・クーパーやクラーク・ゲーブル、バートランカスターから、フランク・シナトラ、サミー・デイヴィスJr、近くは「彼が大統領?見習いか?」とやった反トランプのハリソン・フォード、ロバート・デ・ニーロ、メリル・ストリーブまで、皆さん政治が大好きなのだ。本書の読み方第1部(そのような構成になっいるわけではない)は、この実在人物に関する話題である。そして第2部はハリウッドに描かれ、登用された大統領たちである。
最も制作本数が多いのは歴代大統領人気No.1のリンカーン、当然 内容も好意的だ。一章を割いてリンカーン映画の系譜をたどる。現職で初めて暗殺された大統領、19世紀最大規模の戦争、南北戦争を戦った大統領、題材に事欠かない。また、写真は残るが、音声も映像もない時代の人物ゆえ作る者・演じる者に自由度が大きい。数々の名作が制作され、のちの大統領がこれを範とする傾向さえ生む。ホワイトハウスでは大統領やその家族が映画を楽しむ会がしばしば催されるが、その嚆矢となったのは19153月ウィルソン大統領と家族が観た「国民の創生」、南北戦争とリンカーン暗殺を主題とするものである。戦争の危機が迫ると、国民の気持ちを一つにまとめたい。リンカーンほどそれに適した存在はない。1939年ジョン・フォード監督、ヘンリー・フォンダ主演の「若き日のリンカーン」が人気を博す。
現役で暗殺されたと言うことでは、ジョン・F・ケネディ大統領がこれに重なる。現実世界ではハリウッド女優と数々の浮名を流したような人物だが、映画では若々しいリーダーとして描いたいくつもの作品が制作され、“第二のリンカーン”として神格化されていく(因みに暗殺されたとき乗っていたオープンカーはリンカーン)。しかし、ケネディ家には暗部ある。赤狩りで一時名を成したジョセフ・マッカーシー上院議員はアイルランド系、ケネディ家と同じだ。ジョンの父親、ジョセフ・ケネディは彼のスポンサー、多くの映画人(チャップリンを含む)追放に一役買っている。
映画が描く善玉がJFKなら悪玉はハリウッドの近くで生まれ育ったリチャード・ニクソン大統領。ウォーターゲート事件を扱った「大統領の陰謀」はそれを暴いたワシントンポストの二人の若手記者をダスティン・ホフマン(カール・バーンスタイン)とロバート・レッドフォード(ボブ・ウッドワード;昨年秋トランプ大統領を描いた「恐怖の男」を上梓)が演じ、四つのアカデミー賞を受賞している。ただし、ニクソンは出てこない。
そしていよいよ「銀幕の大統領」レーガンの登場である。若い頃俳優組合の委員長を務めながらマッカーシーの非米委員会に協力するなど政治には早くから関わり、カリフォルニア州知事そして大統領にまで昇りつめる。就任式は「ハリウッド都へ行く」(これは戦前ヒットした政治映画「スミス都へ行く」のパロディ)と言われるほど大勢のスターが参集した。大統領として発言する時、当意即妙で有名シーンの決めゼリフを使ったとも言う。暗殺未遂事件が起こった1980330日はアカデミー授賞式の日であったのも何かの因縁だろう。この事件は後にTVドラマ化されている。真っ当な役以外にもレーガンの言動は映画の中で利用される。「バック・トゥー・ザ・フューチャー3」では過去に戻った博士が、レーガンが大統領と知り「副大統領はジェリー・ルイス(50年代人気のあった喜劇俳優)かい?」とやる。しかし、揶揄されたわりには、退任時の支持率は就任時を10ポイント以上上回ったと言うからハッピーエンドと言える。
内容の濃淡はともかく、トルーマン、アイゼンハワー以下オバマ、トランプまで戦後の歴代大統領はすべて映画と絡めて棚卸しされる。
映画ファンにとっては興味深い話満載だが、芯はかなり真面目な米国政治通史、興味本位の際物では決してない。ハリウッドの反権力(経営者以外)の根底にリベラリズムがあり、それを醸成してきた優れたユダヤ系監督・脚本家・俳優の存在が浮かび上がってくることなどその一例と言える。
著者は201316年同志社大学学長を務めた法学・政治学研究者。こんな先生に一般教養で巡り合えていたら“大学教育における教養”の意味を少しは正当に解釈できたかも知れない。

4)数学する人生-岡潔-
-俗世を捨て、念仏を唱えながら解き明かした難題。「数学は禅である」-

小学校入学来、分かった時・解けた時の爽快感が抜群だったのは算数である。他の教科では決して味わえない気分だ。一方で、ジワーッと時間をかけて知識欲が満たされてくるのは歴史である。しかし、数学は進級・進学するに従い分からぬことが多くなり、今ではその歴史を辿ることにのみ関心が移ってしまっている。だから最近好んで読むジャンルは、数学の歴史や数学者の伝記・随想など。本書を手に取った動機もそんなところにある。
岡潔の名前は文化勲章受賞時(1960年)から知っていたし、メディアがその奇人変人ぶりを面白おかしく報じていたのも記憶に残っている。しかし当時は技術者教育を受けている真っただ中、純粋数学の世界に興味は全くなく、断片的に目にする仙人のような暮らしぶりにも関心はなかった。忘れかけていた人物が半世紀以上経て書籍出版案内で伝えられたとき「アッ!この人が居た。読んでおかなければ」となった次第である。本書は岡の自著ではなく、若い数学者が講義録、エッセイ、小論文、投稿週間日記、夫人の書き物などを集め編集したものである。従って、岡を系統立てて理解するには適していないものの、常人には奇異とも思える生き方について、その根源が漠然と見えてくる内容である。
純粋数学の未到領域を開拓するには、前提条件設定や論理展開に既存の知識や枠組みを超えた発想が必要で、そこを探るところが最も基本となる挑戦域らしい。その発想の手掛かりを岡は禅(道元禅師の教え)に見出し、「表現法は異なるが、禅と数学の本質は同じだ」と悟る(?)ことになる(1個、1人の1は意味を持つが、裸の数字1は何なのだろう?)。また論理で理解するのではなく“情緒”こそ数学理解の根源だとする(ここで言う情緒は一般に膾炙される意味とは異なり、岡自身 その“情緒”を何度も説明する;スミレが美しいと感じるその美しさは自分と他の人とでは違いがある)。当に禅問答なのだが、こうしたところから純粋数学が世界を広げ、それが応用数学につながり、さらに工学など実用数学の適用域を広げていったことを考えると、(既に解法が分かっている)問題解答に喜びを見つけていた浅学の徒に、あらためて数学の奥の深さ、凄さを教えてくれた(理解できたわけではないが・・・)。数学は確かに哲学の一つなのだと。
このような独特の世界観に何故至ったのか?これも編集された諸文から探るしかない。1901年生れ、旧制三高から京大理学部物理学科に進み3年次に数学科に変わる。卒業後講師(1925年、結婚)、助教授(1929年、28歳)、同年フランス留学(パリ大学ポアンカレ研究所中心)、3年間滞仏、ここで生涯の研究テーマとなる多変数複素関数論(当時の最先端分野)の一課題(ハルトークスの逆問題)に取り組むきっかけをつかむ。ここまでは若き研究者として順風満帆に見える。1932年帰国を前に広島文理科大学(現広島大学)助教授に任ぜられる。この異動(京大助教授→広島文理科大助教授)をどう解釈したらいいのか不明だが、ここからしばらくすると理解に苦しむ経歴が続く。1938年既に2児(長女、長男)があるのに休職して郷里和歌山県紀見村へ帰郷。1940年大学を自ら辞職、前後して京大より理学博士の学位授与。1941年何と北大理学部“研究補助員!”(単身赴任)に就いたあと翌年はそれも辞して再び和歌山に戻っている。1948年無職の田舎暮らしの中、第7論文がフランス数学会に受理される。翌1949年奈良女子大学教授に就任、その後第8論文が日本数学会欧文誌に掲載、このあたりで研究課題に対する業績が認められ、1951年学士院賞受賞、1960年文化勲章受章となっていく。広島文理科大学を辞めてから奈良女子大学に就職する間約10年、戦争を挟んだ混乱期、実家は大地主などではないから(父親は日露戦争後保険外交員をしている)、生活が相当苦しかったことは夫人の一文からも推察できる(売り食いをして何とかしのいだ)。一方で、念仏を唱えながら、重要な論文が一つ一つ発表されていくのもこの期間なのである。
修験者のような日常から大発見が生まれる。このきっかけはやはり在仏体験にあるようだ。優れた西洋数学の後ろに厚いラテン文化が在ることを感じたいたことが滞仏記の中に出てくる。フランスに居ながら在仏邦人を通じて、考古学や俳句、日本文学などそれまでの日本では触れたこともない分野に関心を高めていく。「外国に出てあらためて日本を再認識する」、ある意味よくあるパターンだが、ここから種々の日本文化の根幹共通因子を探ろうとするところは、やはり常人とは違う発想だろう。多くの芭蕉の句の奥に道元禅師の教えを感じ取り帰国後それに傾注していく。行き着いた先が「日本の数学は日本文化に基づくべき」である。
本書は先にも述べたように岡の自著ではない。編者は最初に、岡が奈良女子大を停年退官したあと勤務した京都産業大学の定年退任最終講義を持ってくる。ここで岡は持論の知・情・意・情緒論を展開しながら、西洋の時間と空間の枠内にとどまる学問を批判し、五感では把握し得ない世界の存在を示唆して結ぶ。ぼんやりと言わんとすることが見えてきたような気がするのは歳のせいか、はたまた編者の力か。この最終講義は1971年、経済成長に伴う社会問題(例えば公害)続出の時代、それからおよそ半世紀、科学・技術では欧米に追いつき、一部は追い越した感のある我が国は昨今停滞の局面に転じている。あらためて岡の主張に耳を傾け学ぶ時が来ているのではなかろうか。科学・技術のみならず企業経営もまたしかり。
編者は1985年生まれ、東大文科2類に入学しながらITヴェンチャービジネスに惹かれ理学部数学科に転じ、卒業はできたものの大学院進学に失敗、数学道場を主宰したのち現在は在野で研究活動に励んでいる異才。「数学する身体」で2016年度小林秀雄賞(文芸評論)を受賞していることからも、常人離れした岡潔の紹介者として適任の人物と推察する。

5)「作戦」とは何か
-軽視されてきた「作戦」の意義を質す。だから戦略が誤用・乱用されてきたのだと-

軍事用語(兵器や階級は別にして)を知ったのは何をいつごろかだろうか?物心つく前に知っていたのは多分“兵隊さん”、これは「今日も学校へ行けるのは、兵隊さんのおかげです。・・・兵隊さんよありがとう」と言う歌を今でも部分的に歌えるからである。それから部隊・隊長などは小学校入学時には知っていた。一方で戦略・戦術などは、日本の空が占領下から解放され、飛行機雑誌に戦略空軍・戦術空軍などが表れてからだ。では“作戦”はどうだろう?小学校の卒業謝恩会、他のクラスが「ビルマの竪琴」を演じた。その時同級生の誰かが「あれはインパール作戦の話だ」と説明してくれた。記憶に残る最初の作戦はこれだったように思う。その後、映画・小説・ノンフィクションで頻繁に作戦を目にしてきたが、この言葉に特別な意味を感じたことはなかった。しかし、軍事に詳しい経営コンサルタントの友人が、企業経営における“戦略・戦術”と言う言葉の誤用・乱用を戒め、<目的、構想>である“戦略”と<時間/空間を伴う具体的な戦い方>である“戦術”の間に<実行計画>としての“作戦”を挟むことによって、戦略・戦術の曖昧さを正すことが出来るとフェースブックに記していた。これは“目からうろこ”であった。そんな折たまたま本書を書店で見かけ、早速読んでみることにした。
著者は1943年生れ。防衛大学校を卒業後陸上自衛隊の要職(幹部学校戦略教官、東北方面総監部幕僚)を務め、この間スタンフォード大学に学び、米海軍大学院講師、米国防大学客員研究員なども経験、最後は防衛研究所主任研究員で退官したバリバリの専門家である。以前(2001年)「軍事革命(RMA)」(中公新書)が出た際それを読んでおり、我が国には数少ない軍事“学者”のイメージが強く残っている。一つは言葉の定義付けがかなり厳密なこと、次は諸論の歴史的変遷を追うこと、それらを踏まえて諸外国の取り組み姿勢の変遷および現状を論述し、自衛隊のそれと対比、著者の考える“あるべき姿”を提言する手順であったこと、がそんな感を抱かせたのである。
用語の定義をそれらの歴史から説き起こす点、関連する諸家(軍人、軍学者)の説を概説する点は、前出の書および多くの社会科学系学術書に共通する構成だ。同じ語でも「」付は著者の定義に依るもの、「」が無いものは一般的な用法と言うほど言葉にこだわる。歴史展開と言う点では、ナポレオン前から第一次世界大戦前まで、その後冷戦期まで、ポスト冷戦期の3部構成になっている。用語解説の観点からは断然1部・2部が面白く、作戦の位置付け/意味もはっきりしてくる。第3部(著者としてはここ重点を置く)は国家対国家と言う戦争形態が崩れ、テロやゲリラを対象とする戦闘・紛争あるいはPKO活動が軍事行動の中心になってきているため、戦略(戦いの構想/目的)そのものが従来と大きく異なり、それが作戦に影響を及ぼしている(純然たる軍事行動以外の諸策の必要性;軍事制圧後の社会安定化)ことに重心がシフト、ここは現代戦争論と言った内容に変わる。
“作戦”の位置付けは戦略と戦術の間にあるものと明確に記すものの、歴史的に戦略・戦術の意味が時代や提唱者/援用者によって異なるため、作戦の概念が長くクローズアップしてこなかったとしている(特に、大戦略、政略、大戦術などとの使い分け)。この語を現在の位置付け/意味で意識的に使用した最初の人物は(大)モルトケ。クラウゼヴィッツの戦争論にある「戦争は他の手段をもってする政策の一部」に早くから異論を呈し、政治戦略と軍事戦略は上下関係ではなく、並列の位置に在るもので、「政治は軍事作戦に介入すべきでない」と普仏戦争におけるパリ砲撃(具体的軍事行動に対する計画)に反対したビスマルクを批判する。しかし、このような著名な軍人が作戦の役割を明示したにもかかわらず、ドイツを除く欧米各国では1980年代まで作戦(Operation)と言う用語は“封印”されてきた、と言うのが著者の見解である。これには読者として大いに疑問を持つ。例えば、ノルマンディー上陸作戦は上陸までをOperation Neptune、パリ解放までをOperation Overlordと正式に名付けているし、Operationは随所に使われている。どうも本意は、先に述べた戦略/戦術の曖昧性から<戦略-作戦-戦術>と言う形で公式に取り扱われてこなかったところにあるらしい。もう一つ、作戦が科学(サイエンス)と技能(アート)の重複域に在り、比較的科学性が勝る戦略/戦術に対して説明/理解し難いところに、普及しなかった因があるとしている。これは作戦の本質に迫る興味深い見方である。
援用される軍人・軍学者は、孫子、クラウゼヴィッツ、ジョミニ、モルトケ、フラー、リデル・ハート、トハチェフスキー、シュワルツコフ(湾岸戦争司令官)など。戦い方として紙数を割かれているのは、南北戦争からヴェトナム戦争に至る米軍の消耗戦(物量とテクノロジー重視)、ナポレオン戦争から第2次世界大戦までのロシア・ソ連の縦深作戦(作戦重視)。著者はそれぞれの国としての戦い方に一貫性があるととらえ、“作戦”の位置付け/意味付けの違いを対比、作戦優位こそ勝敗のカギであるにもかかわらず、米軍にはごく最近までそれを重視の考え方は無かったと。そしてそれに追随してきた自衛隊も問題山積と警告を発する。
企業経営にも数カ所でごく簡単に触れてはいるものの、本書は純然たる軍学の書である。作戦に関する理解を深めるために、作戦戦域、作戦手段(作戦機動、作戦火力、作戦情報、作戦予備、作戦兵站)などを詳細に説明するが、一般人が直感的に理解/引用できる簡潔な表現はない。従って“経営作戦”に活用するには、それなりの咀嚼力と創造力(一旦抽象化して自分の世界に投射する力)を要すること必定。それでもこのような一般向け書籍が無かったことを考えれば、経営戦略をうんぬんする前に読んでおきたい一冊とは言える。

6)崩れる政治を立て直す
-繰り返される改革の失敗。「姑息な官邸主導ではダメ。官をその気にさせることがカギだ!」-

自由主義・民主主義を信奉し、総じてこれまでの日本の政治環境/施策はそれほど悪いものではなかったと思っている。不満はあまりにも世襲議員が多いことにある。北朝鮮は3代にわたる世襲。しかし、我が国では既に3代目・4代目国会議員が続出している(例えば、小泉4代、麻生・鳩山・安倍・河野3代)。つまり政治家が家業になっているのである。これでは組織防衛を本務と考えているような官僚(良質ではあるが)と相俟って、既得権が強固に守られ、激変する世界情勢に適合できず、ガラパゴス化するわけだ。折しも平成から令和に代わる時期、世襲は天皇制だけで良い(これだけは世界に類のないシステムであり、是非守っていきたい)。私も含め、こんな硬直化した政治状況を何としても変えなければならないと念じている人は多いはずである。世襲制はともかく、本書は、そんな願いを実現すべく行政改革をクールに研究する政治学者の表した、現状分析と改革提言の書である。
分析の対象となるのは小泉政権から第2次安倍政権までの構造改革(主として行政改革)。それぞれの政権が重視した改革対象項目、推進体制(議会・内閣・党・府省)、実行過程、制度変更結果、を個別に検証・評価して問題点を摘出、これを一般化して、今後の在り方を提言する。
行政改革の出発点は法律作り/改訂である。著者はこの段階を“制度の導入”と呼ぶ。先ず関係者(利害関係者、政権政党内、野党、この法律に基づく行政を行う官庁)の意見を集約し法案を作る。原案を作るのは主管府省の官僚が中心になるが、一つの府省で完結する法案は少なく、関連官庁間の調整が必須だ。この調整機能を長く果たしてきたのは事務次官会議。そのリーダーは事務担当官房副長官。そしてこの法案を最終チェエクするのは法制局。法制局長官は閣僚の一人だが、これも官僚である。内閣、特に首相が急所を握る官僚を如何に自家薬籠の内に取り込めるか、これが行政改革成否を左右する第一関門である。官僚を端から敵対勢力として排除すると、概ね改革は失敗する。第1次安倍政権、そして政治ショーしか出来なかった民主党政権がその代表例である。著者の行政改革観はドイツの社会学者にクラス・ルーマンの「行政改革は行政の自己改革能力の改革」にある。
法案が成ったからと言ってそれで制度運用がスムーズに進むわけではない。むしろここからが勝負である。本書ではこの過程を、“制度の作動”と名付け、特に深耕して“崩れる政治”の実態を明らかにし、“立て直し”の策を探っていく。改革成功の最重要因子は首相・内閣の力。それは個人のリーダーシップと政権下での(衆参両院)選挙に勝利することである。小泉内閣の、道路公団と郵政民営化はこうして一応所期の目的を達する。選挙のあとに粛々と法律を施行していくことにもそれなりの工夫が要る。内閣府の構成・強化が起点に在るが、(米国の大統領制をまねた)“強力なトップダウン”方式や“虎の威を借る(内閣府特務大臣、首相秘書官)”スタイルはどこかで躓く。つまり“官邸主導”の中身とフォローアップ体制である。官邸主導の留意点は人事、大臣/副大臣/政務官/次官/局長登用の納得性とそれらの間のチームワークが成否を決める。フォローアップ体制に関しては、例えは、経済財政諮問会議や総合科学技術会議のように、大臣と民間人がともにメンバーとなる組織が、法案作成ばかりでなくその後の法律適用状況を観察/評価することの効果を挙げている。
多くの改革の失敗は、第一段階の“制度導入”後直ちに第二段階の“制度作動”に持ち込んだことにある著者は分析、作動に移る前に「作動させるとどんなことが起こるかを予測することが必定」とし、そのためにある程度時間をかけて、実務を行う官僚や各種諮問委員会あるいは後述の独立機関を含めて、予測や対応策の検討を行うよう提言する。
現時点(第2次安倍内閣)の問題点は、政治主導を一層進めようとする内閣府の肥大化と人事で求心力を保とうとする姿勢である。予期せぬ人事で所轄大臣や事務次官を通ずる従来の指示・報告系統が乱され、実務を担当する下僚はその環境変化に追随できず疲弊して士気は低下、惰性あるいは忖度で業務を処理する状態に陥っている。その結果として、森友・加計問題における議事録に関する偽証あるいは厚生労働省のデータねつ造などが生じていると著者は見る。
このような状況を改善し改革を実らせるためには、政官の関係を敵対的な対立構造にせず、適度な緊張関係を続けながら、官僚をその気にさせ目指すゴールに向かうよう新制度を作動さすべきとの考え方を示す。そしてその際、政府組織内で一応独立機関となっている、内閣法制局、会計検査院、人事院、公文書管理委員会などの第三者機関が、さらに独立性を高め、政治・行政に影響力をおよぼせるようにすべきと主張する。
読んでいて、如何に政治と行政の関係に無知だったかを、具体的に知らされたのは、事務担当官房副長官と法制局長官の役割である。官庁全体をまとめていたのは副官房長官(ここは旧内務官僚(自治・厚生・労働・警察)の指定席だったが最近は経産省出身もいる。また首相秘書官との関係が微妙だ)、与野党が対決する中で両者が納得する法案の解釈を考えだしていたのは法制局長官(野党のみならず、政権政党にとっても解釈に幅が必要、ある意味煙たい存在)なのだ。これだけでも本書を読んだ甲斐はあった。行政学に関する諸学説、戦前からの我が国政官関係、理論展開の理解を助けるための図表、直近の多くの具体例など、初めて学ぶ者に取っつき易くまた分かり易い内容も評価できる。
著者は、1967年生れの政治学者。ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス研究員、東北大学大学院法学研究科教授を経て、現在は東大先端科学技術センター教授。

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2019年3月31日日曜日

今月の本棚-128(2019年3月分)



<今月読んだ本>
1)生き残る判断 生き残れない行動(アマンダ・リプリー);筑摩書房(文庫)
2)文字と組織の世界史(鈴木董);山川出版社
3)海軍ダメージ・コントロールの戦い(雨倉孝之);光人社(文庫)
4)藩と県(赤岩州五 北吉洋一):草思社(文庫)
5)アラスカ戦線(ハンス=オットー・マイスナー);早川書房(文庫)
6)大砲と帆船(C. M. チポラ);平凡社

<愚評昧説>
1)生き残る判断 生き残れない行動
-パニック、英雄譚はメディアで作られる。大事な不断の危機意識と訓練の習慣化-

危険物・可燃物・高圧ガスを扱う工場で20年間過ごした。死亡や火災を伴う事故にも何度か遭遇した。こんな職場だから大規模な防災訓練が定期的に行われ、各種安全啓蒙活動が日常業務の中に組み込まれている。そこからの学んだことの中には、例えば、階段を降りる際片手はフリーにしておくこと、飛行機に乗れば安全マニュアルに目を通すことなど、習慣化しているものもある。幸い生死に関わる災害や事故に直面したことはないが、いざという時こうした体験が役に立つと期待している。東日本大震災から8年目の今年3月、映画館で“安全(暗中模索)”が気になった後立ち寄った書店で本書を見つけ読んでみることにした。
著者(女性)は1996年コーネル大学卒の米国人ジャーナリスト兼ノンフィクション作家、“公共政策と人間行動の間に生じる差異”をテーマに執筆活動をしており、本書もその一環である。原著の出版は20086月、15カ国で翻訳出版されている。邦訳単行本発刊は200912月、従って東日本大震災は取り上げられていないが、読んだ人は相当居るはずである。その読後感やあの大震災との関係が、文庫本(本年1月刊)あとがきに記されていないのはチョッと残念だ。
取り上げられる事例はあの2001911同時多発テロを始め、20058月ニューオーリンズを襲った台風カトリーナなど米国の自然災害・銃撃事件・大規模火災事故・航空機事故などが圧倒的に多いが、インドネシアの地震と津波、コロンビアやエルサレムのテロ、何度も起こったメッカ巡礼の圧死事故、特殊部隊の戦闘など海外での事件・事故も調査対象にしており、事例の一般化に努めていることが窺える。もし、東日本大震災後の執筆であれば、必ず詳細な分析が行われたに違いない。
本書の特色は、世界的によく知られた災害・事故を調査分析対象にしながら、多くのジャーナリズムに見られる煽情的なトーンが皆無であることである。否、むしろ冷静で学際的な筆致が、面白味は欠くものの、「もしそんな状況に置かれたらどうするか?」を読者に真剣に考えさせる書き方になっている。
まさか自分の周辺で災難が起こるはずがない!?(否認;ある種の催眠現象)、一体全体何が起こったのか!?(思考;状況把握分析)、この場から逃れよう(決定的瞬間;行動)、これが災害時の人間がたどる3段階の基本パターン。前2段階で空費される時間が馬鹿にならない。これらの段階それぞれの内容が聴き取り調査・事後報告で整理された上、部分々々に分解され、心理学(特に行動心理学)・社会学あるいは精神医学・脳科学はては動物実験の最新理論まで動員して検証していく。ここが本書の胆なのだが「凄い!」の一語に尽きる(いささか“くどい”と感じるところもあるが)。
やはり生き残り行動につながる資質はあるようだ(米軍特殊部隊員選抜;体内の化学成分の一部が常人と異なる!)が、経験・訓練・不断の備えは軽視できない。あの911の中でモルガン・スタンレー社はタワーが崩壊した時中に居たのは13人(死者・行方不明者)、2687人は無事だったのである。ここには経営陣・従業員に疎まれながら1990年から繰り返し避難訓練を実行してきた警備主任の存在がある。世界貿易センターはニューヨーク市港湾公社の管轄下にある。早くからその災害時対応の考え方改善を唱えていた警備主任はそれが聞き入れられないことから「避難の際は公社の指示に従うな!」「避難は上の階から」と独自の方法を社員たちに教え込んでいた(“否認”の段階を短時間で強行突破させ、決定的行動に素早く移る)。彼は失われた13人の一人、嫌悪した役員・社員たちは事件後鬱陶しかった訓練の有り難さを思い知らされることになる(他テナントでは非常階段の在り処さえ知らない者が多数いた。非常階段を下るのに障害物が無くても11分かかる)。警備主任は戦場体験もある(ヴェトナム戦争銀星章受賞者)プロ中のプロ、そこから学ぶことは多い。
身近な事例もある。米国の高校には自動車教習の授業があるところが多かったようだが最近は予算不足で中止されている。両親に運転を教えられたティーンエイジャーが起こす重大事故はプロに習ったものの2倍以上。
この種の出来事でしばしば目にするパニックや英雄報道の分析もなかなか興味深い(気が動転した大混乱は少ない。英雄譚は後から作られ、本人もそうだと確信してしまう)。
その場に置かれてどこまで実行できるかはともかく、種々の災害・事故に際して、生存への行程を知識として学べる、得難い一冊である。

2)文字と組織の世界史
統治組織は文字によって作られ運用される。文字の消長を追えば別の世界史が見えてくる-

1990年代中頃のことである。私のチョッとした誤解から(SPCSupervisory Process Control;高度プロセス制御 Statistical Process Control;統計による品質管理の違い)、化学プラントの高度制御研究者と信じて訪ねたプリンストン大学の教授が統計学の専門家だったことがある。しかし、先方は嫌な顔を全くせず、しばし日本について雑談することになった。何かのはずみでそれが日本語ワープロの話になり、同行した若い同僚がローマ字入力→ひらがな表示→漢字変換で文章が完成する過程を説明すると大喜び、「昼食を一緒に摂って、もっと詳しく聞かせてくれ」と求められた。残念ながら午後の予定があり、失礼することになったが、日本文に関する外国人の関心に、こちらが啓発された得難いひと時だった。
ここまで書いた文章を見ても、漢字・ひらがな・カタカナ・アルファベット・アラビア数字と、五つの文字が使われている。これに必要ならローマ数字(Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ)やギリシャ語(αβγ・・・)も利用する。こんな国は他には存在しないだろう。何事につけ世界史は大好きなジャンル、本書のタイトルを目にしたとき先ず浮かんだのがあのプリンストンでのこと、“組織”に気付いていたが、「多分、文字と関わる民族か国家のことだろう」と軽く受け取り、「日本が漢字圏なのは確かだが、これほど多くの文字を混合利用する国は世界史上どう位置付けられるのだろうか?」と読んでみることになった。
著者が本書で開陳する歴史学上のテーマは、人類の文化・文明の根幹に文字があり、文字の起源とその消長を辿ることによって、西欧によって作り上げられてきた既存の世界史観とは異なる、より普遍的な世界の歴史が明らかになるのではないか、と言う点にある。ユニークで面白い発想である。
先ず4大文明にはそれぞれ独自の文字があった。メソポタミアの楔形文字、エジプトのヒエログリフ、インダスのインダス文字、そして黄河流域の漢字である。このうち楔形文字とインダス文字は紀元前に消滅。ヒエログリフはフェニキア文字となり、ここからギリシャ・ラテン文字、さらにはアラビア文字が派生する。またのちにインドに発するブラフミー文字(梵字)もフェニキア文字につながる。そして現存する5大文字は、ラテン文字(米・西欧)、ギリシャ・キリル文字(ギリシャ・東欧・ロシア)、アラビア文字(中東・中央アジア・北アフリカ)、梵字(インド・東南アジア)そして漢字である。漢字からの派生文字には日本の仮名、女真文字、西夏文字などがあるのだが、仮名以外は消滅している。意外なのは女真と重なると思われる満洲文字が漢字系ではなく、フェニキア文字の末裔であることだ(シリアから中央アジアを経てウィグル文字が出来、モンゴル文字とつながり、そこから満洲文字が生まれる)。またチベット文字は梵字の系統なのである(現中国は決して一つの文字文化圏ではない)。
さて“組織”についてである。当初の予想と大きくは違わないが統治(行政、宗教)組織ととらえることが適当と言える。統治ために文字は不可欠、支配者がおのれの文字を強制することで弱者の文字が消えていく(漢字圏で言えば、西夏、女真、契丹、字喃(チュノム;ヴェトナム)またウィグル、チベットに対する漢字化)。中国周辺国が漢字に統一されていく過程には科挙の試験が漢字でしか行われなかったことも大いに預かっている。またコーランは翻訳を許さないことからアラビア語がその布教地域に広まっていく。
ここでは我々の身近に在る漢字圏を例に文字と統治の関係を取り上げたが、世界いたるところでこのようなことが生じており、文字の歴史を追うことで、本来の文化・文明圏あるいは民族が、異なる政治あるいは宗教に飲み込まれていく姿が浮き彫りされてくるのである。
タイトルの“文字と組織”に着目して内容の一端を紹介した。確かに通史では目にしたこともない多くの文字の変遷・消長はなかなか面白く、統治組織(例えば王朝)中心とは異なる歴史観を与えてくれる。しかし、全体としてはよく知られた(高校世界史程度の)平板な歴史解説に紙幅の大半が割かれ、肝心の“文字と組織”の印象が薄れ、何か時間を無駄にしたような読後感が残った。加えて、歴史特化の出版社や著者の経歴から、学術研究に近い内容を期待したが、参考文献が一切記載されておらず、資料としての価値を認められない。また、日本文字(仮名)についての解説も全くない。何故こんなことになったのか、それはあとがきを読んで分かった。朝日新聞カルチャーセンターでの講義録をまとめたものだったのだ。
著者は東大東洋文化研究所名誉教授、オスマントルコを専門としてきたようだ。その点で、イスラムおよび中央アジアの“文字(言語)と組織”を語る部分はそれなりに奥行きがある。

3)海軍ダメージ・コントロールの戦い
-戦いは攻めだけでは勝てない。損傷応急態勢は如何に変わっていったか-

本書を読んでいた今月14日~15日、日本近海で日米英三カ国Navy(韓国艦にレーザー照射を受けた海自哨戒機は「こちらJapan Navy」とやっていた。それで良いと思う)による共同演習が行われた。参加したのは、日本が護衛艦「むらさめ」・P1対潜哨戒機・潜水艦(名称非公開)、米はP8対潜哨戒機、英はフリゲート艦「モントローズ」である。目的は北朝鮮の瀬取り監視と言われるが、西太平洋域で活発化している中国海軍牽制説も流れている。この演習に先立ち39日と10日「モントローズ」が晴海埠頭で一般公開され、よくアクセスしている“乗りものニュース”でその内容が紹介されていた。タコの足のように亀裂が八方に走るホースがつながっている鉄箱、ハンマーと木栓、お椀状のプラスチック容器、締め具などの写真が添えられており、解説によれば、艦船に破損が生じた際の応急処置訓練教材とのことであった。ホースを通して鉄箱に水を流し、木栓に布などを巻いてそれを亀裂部にハンマーで打ち込み、そこにお椀をかぶせて締め付け、浸水を抑えるわけである。観艦式などで自衛艦には何度か乗っているが、こんなところを見せてもらったことはない。伝統の英海軍、戦場は攻撃ばかりではなく守りにもあることをPRするところは「さすが!」である。このような艦内活動を“ダメージ・コントロール”(通称ダメコン)と言う。本書はこのダメコンを明治期の海軍創設時まで遡り記した、きわめてユニークな内容の本である。ただし、技術面での説明が希薄で今一つ理解が進まなかった。それだけにこの“乗りものニュース”の写真付き解説は思わぬ助けになった。
この本の内容を一言でまとめると、“日本海軍ダメコン組織変遷史”である。日本海軍の手本は英海軍、その歴史は帆船時代まで遡及する。木造ゆえ水兵(操艦や砲を扱う)や海兵(敵艦に乗り込んで戦う兵士)ばかりでなく船匠(船大工)も重要な乗組員であるが、彼らは戦闘には加わらないので兵士ではない。この考え方は蒸気で推進される鉄鋼船になっても同様で技能者の扱いにとどまる。つまり、兵科(砲術、水雷、航海、通信など)とその他の部門(機関(船匠;木工、金工はここに属する)、技術、主計、軍医など)との間には厳然と身分の違いがあり、兵科(艦そのもの)を指揮することはできなかったのである。実戦となればダメコンは損傷個所の応急処置ばかりでなく艦のバランスを保つため注排水なども行わなければならないのだが、これが許されない。誰が指揮を執ればいいのか?最上位は艦長だが戦闘指揮が優先されるので副長がその任に当たるよう職務分掌が定められる。しかし兵科の士官は船体構造細部に疎い(最も優秀な人材は早くから砲術・水雷を志願しその方面の専門家になっていく;秋山真之は水雷、山本五十六、井上成美ともに砲術)ので、組織・職務分担変更だけでは実効があがらない。また、応急処置活動のためのシステム(通信など)も戦闘指揮中心に構築されており、それを場当たり的に活用するほか術はない。
このような状況を大きく変えることになるきっかけは第一次大戦におけるジュットランド沖における英独主力艦隊の戦いである。独に倍する戦艦・巡洋艦を持つ英国が独艦隊にとどめを刺せなかったのは独軍艦の設計時点まで遡ったダメコンの優位性である。英国は早速戦後その戦訓を取り入れ、それが我が国造艦技術や災害応急体制に反映されてくるのである。その一つが運用長と言うポストの新設(砲術長、水雷長と同格)、その下に運用科が設けられる。甲板上の諸々の作業と応急処置を担当することになるのだ(ダメコン総指揮官は副長のまま)。時代が少し下ると防災指揮専用のスペース(大型艦では正副2ヵ所)が設けられそこに指揮盤や通信システムを集中させ、守りの本陣とするようになっていく。戦中の昭和1711月兵科・機関科士官の資格は形式的に同格となるのだが、指揮権(軍令承行令)問題だけは最後まで改まらなかったのである(生き残った兵科中尉の運用科員に機関中佐が従わなければならない)。
日本海軍のダメコンはダメだった、とはその筋に関心のある人たちがよく口にすることだが、著者はそれを組織に絞り込んで解説する。これはこれで新しい知識を得ることが出来たのだが、一方で、大和、武蔵、空母瑞鶴の沈没などいくつかの実例を取り上げているものの、ダメージの状況は既に書かれていることばかり、コントロールの具体的な取り組みがまったく見えてこない。また、損傷した艦船の外観や操船の写真はあるもののダメコンに直接かかわるものは皆無だし、図で説明するところは数葉の地図を除けば大和の断面図1枚のみ(これもしばしば見かける図面)、肝心の技術的な活動の理解に難儀した。
著者(故人)は戦時中東京高等商船機関科に在籍し、戦後国鉄職員に転じた人。この経歴からももう少し“コントロール”を掘り下げることはできなかったのであろうか。

4)藩と県
-本籍も現住所も、藩まで辿ると意外な姿が見えてくる-

私の本籍地は兵庫県たつの(本来は龍野;正式市名がひらがなになってしまった!)市、三木露風“赤とんぼ”の里である。町の名は、今はもう変わっていると思うが、下霞城(しもかじょう)、霞城は龍野城(現在城はなく、石垣のみが残るばかり)の別名だからその城下と言うことになる。先祖伝来の地は遥か南方の田畑が広がるところで、それなりの広さを持つ自作農であったが、祖父が次弟に家督を譲り内務官僚となり、(多分憧れの地であった)城下に家を構えたため、今は一族のものではないが、ここが本籍となった次第である。山の中腹に在る城址からの眺めは日本の原風景を留めるような景観で、何度か訪れすっかり惹かれてしまった。
龍野藩(出自は姫路藩の支藩)は小藩で歴史に残る逸話もほとんどない。秀吉の股肱の臣であった蜂須賀小六が城主だったこと(蜂須賀家はのちに徳島藩に転封)、17世紀後半信州飯田藩の脇坂氏が移り住み維新までつづく。この間松の廊下刃傷沙汰で浅野内匠頭の赤穂藩が取り潰しに遭う際隣藩として引取り役を任ぜられていることくらいが、チョッとしたトピックと言った程度である。父の自慢は藩主の末裔“脇坂君”と旧制龍野中学で同級生だったことである(脇坂家は廃藩置県で子爵に叙せられるが、東京に移らず戦後まで郷里に留まった。ゆえに郷里の人々から敬わられ慕われた)。
全都道府県が取り上げられているものの、徳川時代300を超す藩があったから、すべての藩が本書に網羅されるわけではない。しかし、幸い龍野藩は、蜂須賀小六や松の廊下ばかりではなく、名物の薄口醤油(隣赤穂の良質な塩に依る)や揖保素麺(これは脇坂家転封にあたり信州から持ち込まれたらしい)にも触れられており、「出てきた、出てきた」と住んだことのない父祖の地に思いをはせた。
本書の構成は、1)現在の各都道府県について江戸時代から維新までの歴史を概観(重点は佐幕か勤王か;明治政府はこれを峻別、その後の地方行政に影響をおよぼす。また他藩との関係;転封・改易などで遠隔地が思わぬ関係でつながる)、2)次いでそこに在った主要な藩をごく手短に解説(石高、藩主家系、治政上のトピックス、名物)、3)廃藩置県の顛末(初期の県統廃合)、4)地図、5)そして江戸や京都の藩邸の今昔(これもなかなか面白い)。1)で23頁、2)、3)、4)、5)で2頁。興味のあるところを適宜選んで読めるので、息抜きや気分転換最適。それでいて日本史の知られざる断面を発見できることもある。
例えば、私の現住所は横浜市金沢区、「ここが横浜?」と言われそうな南の果てだが、旧金沢(六浦;むつうら)藩(12千石)、今の横浜市中心部のほとんどはこの藩だったのだ!三浦郡や鎌倉郡は幕府の直轄地(両郡合せて3万石;会津藩・萩藩などが担当)、神奈川県の残りの部分は小田原藩(113千石)、荻野中山藩(13千石;現厚木市周辺)、それと直轄地の武蔵国(一部)。つまり今の僻地が藩の中心、現在の中心部は東海道の道筋以外は僻地であったわけである。
著者2名はいずれも歴史・旅・食などをテーマにした紀行作家のようである。
是非皆さんそれぞれのお国の歴史を楽しんでいただきたい。

5)アラスカ戦線
-ゾルゲと交流のあった親日ドイツ人探検記作家が描いた、北太平洋日米戦小説-

太平洋戦争にAL作戦と称されるものがあった。ALはアリューシャンを意味し、同時期(19426月)に発動されたMI作戦つまりミッドウェー作戦の支作戦の位置付けになる。真珠湾で取り逃がした米機動部隊をおびき出し殲滅することが主目的だが、北東太平洋方面からの米軍による本土攻撃(空襲)を牽制する狙いも含んだ複雑な作戦である。主作戦のミッドウェー島攻略と敵機動部隊を叩く目論見は日本の大敗に終わるが、AL作戦は陸海混成部隊(陸軍北海支隊(千島列島守備)、海軍陸戦隊)のアッツ島(66日)、キスカ島(7日)上陸で目標を達成する。ただ、主作戦の失敗でAL作戦が意味を持たなかったことは、その後の経過で明らかだ。アッツは翌19435月の米軍反攻で玉砕、キスカは“奇跡の撤退”で戦史に名を留めることになる。本書はこのAL作戦を題材にした戦争サスペンス小説である。
先ず題名と表紙の写真に眼が行った。雪山に降下するパラシュート兵と“アラスカ戦線”はピッタリだ。しかし、著者名ハンス=オットー・マイスナーで「おや?ドイツ人ではないか?」とチョッと意表を突かれ、原著名ALATNAを見て「いったいこれは何だろう?」となり、さらにその下に小さく綴られた副題Duell in der Wildnisのドイツ語表記、訳者(故人)はドイツ語からの翻訳第一人者であることからも、原著がドイツ語で書かれていると確信できた。Duellは英語のDuel(決闘)、WildnisWildness(荒野、野生)に違いない。となると“荒野の決闘”!。何故ドイツ人が他国の戦場を小説にしたんだろう?と興味はいや増した。これは著者の経歴を知って納得したが、それは最後に述べよう。
小説の筋はAL作戦の目的を、アッツ島に長距離爆撃機(現実には無かったが、ここでは4発の重爆を日本が保持している)が利用できる飛行場建設とその後の運用に置く。ここから米本土に爆撃を行い、米国民の戦意を挫こうと言うのが意図である。しかしながら実際のAL作戦時あるいはキスカ撤退作戦でも問題なったのがこの地域における天候不順である。正確な気象情報なしで軍事行動を行うことは不可能だ(キスカ撤収は濃霧に助けられるが)。そこで大本営は気象観測のための特殊部隊(11名)をアラスカに潜入させ、そこからの情報に基づいて、爆撃機発進のタイミングを決する計画を進める。リーダーは満州の特務機関に勤務している陸軍大尉(オリンピック十種競技の銀メダリスト)、隊員は寒冷地に詳しい(自然環境ばかりでなく動植物なども)少尉、気象や通信の専門家、山岳兵さらに大尉が満州興安嶺から連れてきたオロチョン族の若者などだ。対する米側は、戦闘になった時のみ指揮官となる歴戦の勇士(大尉)が唯一の軍人、実質的なリーダーは自然保護局の役人で管理職への登用を断り続け原野で生きる、アラスカの自然を愛し知り尽くす変わり者。彼の右腕となって長いイヌイット族の相棒、それに選抜された森林スカウト(監視や防災が主務だが猟も行う)たち総勢14名。厳冬の中の越冬を含む長期にわたる追撃戦が臨場感をもって展開される。ALATNAは、海岸部を生活の場とするエスキモーには珍しい内陸部で生きるヌナミウト族の娘の名前である。
著者は、1909年現在は仏領となっているストラスブール生まれのドイツ人(1992年没)。父も本人も外交官。1936年~1939年駐日ドイツ大使館書記官として日本に滞在、瑞宝章を授章した親日家。この間ゾルゲと交流もしている(著者は東京で結婚式を挙げそれにゾルゲが招かれている)。日本勤務の後ロンドン、モスクワ、ミラノに駐在、東部戦線で装甲部隊中尉として戦い、戦後は公務を退き探検記作家に転じている。本書を書くためにアラスカに半年滞在したと解説にある。現地の動物、植物、気象、地質・地形にとにかく詳しい。足跡の隠ぺい・発見、赤い炎をたてない燃料(青い炎)としてのトナカイやシカの糞の話など、「よくここまで!」と感心させられた。下ごしらえがしっかりしているのだ。
驚くべきことは、原著の発刊は1964年(日本訳1972年発行)なのだが、米側のリーダーである自然保護局員に地球温暖化に関する発言をさせていることである(大鹿生息域の北上)。その先見性はただ者ではない。
細部の考証には問題なきにしも有らずだが(例えば、アッツ島玉砕は1943年だが、本書の戦いは1944年)、戦争小説にありがちな陰惨なシーンはなく、好敵手同士のスポーツマンの戦いを観るような気分で読み終えることができた。最後が泣かせる(読んでのお楽しみ)。

6)大砲と帆船
-何故我々非欧米はいまだに欧米スタンダードの下にあるのか-

2009年のギリシャ危機から南欧諸国の財政不安、中東・アフリカからの難民問題、それに抗する中・東欧諸国のポピュリズム政党の政権成立、極めつけは英国のBREXIT、直近のイタリアの一帯一路参加、“EUの終わりの始まり”を感ぜざるを得ない。当初は冷戦への対応、次いで日米経済力への対抗で始まったものの、その根幹に欧州の凋落に対する防衛本能が働いてことは間違いない。時には一体となり、数を頼むときはそれぞれの立場で、アフリカの旧植民地国家を巻き込みながら、狡猾に振舞いで国際ルール作りを図るのも、同じ流れの中にある。20世紀前半から中盤の日本、‘80年代の4匹の龍(香港・台湾・シンガポール・韓国)、それに続いたASEAN諸国、そして奇形な(一党独裁と中華思想)巨竜中国の目覚め。少なくとも経済に関する限り、6世紀に渡った欧州支配の時代が、大きく変わる潮目を感じる。何故かくも長く彼らは世界を御することが出来たのか?「そのカギは大砲と帆船にあったのだ!」と唱えるイタリア人経済学者の考えをまとめたのが本書である。
銃砲の製造・利用、大型帆船による交通・交易の歴史を辿ると、14世紀までは東西に大きな差はなく、むしろトルコやその他のイスラム勢が陸戦では優位でさえあった。これは広々とした戦場では騎馬が主力であったこと、欧州は小さな領邦国家が多く大軍で戦う態勢になかったこと、絶対的に人口が少なかったことなどによる。一方欧州域内を見ると、地形は複雑、攻めるべき拠点は城塞都市、頻発する戦争・紛争もあり、兵器開発・生産に知恵を凝らさざるを得ない。これらを背景に大砲開発に拍車がかかる。つまり、競い合う環境と技術・技能を貴ぶ風土がより優れた製品を生み出すのだ。これは帆船もしかり。地中海沿岸航行が主たる活動域だったガレー船(オールで漕ぐ)は操船性に勝るものの、北海のような厳しい海洋で育まれた大型のガレオン船と戦えば鎧袖一触となるのだ。
著者は先ず欧州内における各国あるいは地域の大砲開発・製造の経緯と特質を語り、同手法で帆船、特に軍船の発展過程を追う。大砲評価分析のポイントは、青銅砲と鋳鉄砲の違い;性能は青銅砲、価格は鋳鉄砲が優位(青銅砲は独、オランダ、鋳鉄砲では英国が先行しそれをスウェーデンが追う)、攻囲砲と野戦砲の開発過程;持ち運びしやすい野戦砲がなかなか完成しない。帆船軍艦では、海戦術の違い;接舷乗り込み・衝突戦法対遠隔砲戦、が欧州内での優位差になり、スペイン・ポルトガルは船では対等だが、大砲製造・利用では英国やオランダに遅れていく。
このような欧州状況を踏まえたうえで、海戦ではトルコ・インド・中国に対する海からの攻撃とそれに対する各国の守りや反撃を分析する。陸戦も同様だが、ここは西側も野戦砲開発の遅れもあり、海ほど当初は差がない。しかし時間を経るに従い、陸軍の伝統的な戦い方(騎兵の役割)との関係、砲調達の特徴(トルコは巨大砲願望、野戦での利用を全く顧慮しない;コンスタンチノープルをおとすために大砲「マホメッタ」は500kgの石弾を撃て、大砲を運ぶために140頭の牛を使い、それを運用する人数は100、次発準備に2時間を要した!)、砲術担当者や開発技術者の社会的地位の違いなどから東側が遅れをとっていく。
15世紀末、交易目的の新航路開拓で始まった大航海時代、やがて取引を拒むものを砲艦で脅し各地に拠点を設け、船と砲に圧倒的に勝る欧州諸国は19世紀まで権益拡大・植民地化にまい進する。当初は先行したスペイン・ポルトガルは大砲技術で英国・オランダ勢に圧倒され、活動域は軍事技術に遅れた中南米に限られていく。また陸戦では、西欧に後塵をはいしていたロシアがオランダからの技術導入を積極的に進め、平原での戦に大砲を利用(19世紀になると鋳鉄製野戦砲の性能が著しく向上、価格が安いので大量に装備できる)、オスマントルコの騎兵を蹴散らして領土を広げていく。おされる側もそれなりに技術導入・習得に努めるが、西欧に対抗するためには西欧化せざるを得ないと言う自己矛盾と相俟って、差は開く一方と言うのが現実。こうして欧州システムが世界標準になっていくのである。
我が国に関する記述は中国やインドに比べるとわずかだが、わりとポイントをついている。先ず中華思想のようなものがなく、新技術に対する好奇心の強さと相俟って、進んで欧州に学ぼうとする姿勢が持続したこと、職人や技能者の社会的地位が他国に比べ高かったこと、同様に戦士である武士が貴ばれたこと(中国では武人は行政官、文人の一段下)、戦闘を好んだこと(これは戦国時代の動向を反映したものと推察する)などから、船や大砲はともかく、小銃は高いレベルにあったとしている。また大砲に関しても徳川幕府はオランダに対して、強く技術移転を迫った逸話も取り上げられている。
原著(英語)は1965年の発刊(本翻訳書は1996年刊)、いまだ日本すら欧米を追いかけていた時代、今日を予見される話題は皆無、西欧優位の起源を辿るだけで終わっている。もし著者が今日の研究者だったら、どんな結論に落とし込んだであろうか?そんなことも考えさせられた一冊であった。経済学者であるため、戦史あるいは技術史として見た場合、やや物足りなさを感じるが、280頁の内付録・注(これが大半)・参考文献に130頁が割かれ、資料集としての価値はそれなりにある。

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