2023年4月30日日曜日

今月の本棚-177(2023年4月分)

 

<今月読んだ本>

1)戦争か平和か(ジョン・F・ダレス);中央公論新社(文庫)

2)ダイヤ改正から読み解く鉄道会社の苦悩(鉄道ビジネス研究会);ワニブックス(新書)

3)太平洋戦争秘史(山崎雅弘);朝日新聞出版(新書)

4)西洋書物史への扉(高宮利行);岩波書店(新書)

5)酔いどれクライマー(藤原章生);山と渓谷社

6)第三の大国インドの思考(笠井亮平);文藝春秋社(新書)

 

<愚評昧説>

1)戦争か平和か

-ソ連の野心を見抜き、戦後の冷戦を西側リーダーとして戦った男の回顧録-

 


米ソ対立、冷戦を知ったのは小学校6年生の時1950年(昭和25年)6月に起こった朝鮮戦争だった。ソ連製MIG-15ジェット戦闘機の登場やマッカーサー元帥が国連軍を指揮したことから米ソの戦いと理解した。満洲での体験もありソ連嫌いとなっていたから、国連軍が巻き返した時には「ざまあみろ!」の気分だった。ソ連嫌いをさらに倍加にしたのは翌年6月サンフランシスコで開かれた対日講和条約に関する会議でソ連および衛星国(ポーランド、チェコスロバキア)が反対したことである。衛星国は仕方なくそんな行動をとったと中学生にも推察でき、嫌悪感は専らソ連に集中した。著者の名を頻繁に見たのはこの時期で、特使として日米間を行き来していたからである。ビジネス人生晩年ロシアでの仕事に従事、ロシア人観は大いに改善されたが、国家としての嫌露感情は一向に治まっていない。否、むしろ高まっていると言っていい。本書は終戦前から戦後の世界変容を米国国務省顧問(のち国務長官)として担った著者の対ソ交渉を主とした回顧録である。

著者は1888年牧師の子として誕生するが母方の祖父(ジョン・ワトソン・フォスター)、叔父(ロバート・ランシング)ともに国務長官を務めた名家出身。プリンストン大学を首席で卒業、ソルボンヌ大学に留学、帰国してジョージワシントン大学で法律を修め、国際問題を扱う弁護士に。そこから外交関係に深く関与、叔父の随員として第一次大戦後の平和会議にも参加している。共和党員で当初孤立主義を信奉していたが、真珠湾攻撃で転向、共和党の外交政策を変えた中心人物。日米安保条約生みの親とも言われ、アイゼンハワー政権下で国務長官を務め、1958年病没。第5CIA長官アレン・ダレスは実弟。原著の初版は1950年に刊行、大幅に加筆・改訂された第2版が1957年に出され、本書はその訳本(1958年刊)の復刻版(20228月刊)である。つまり終戦から5年いまだ戦後処理途上にある時期が中心となる。主題は二つ、国際連合発足・運営と対ソ外交、これら二つが絡み合う複雑な国際環境を著者の体験に基づき明らかにする。

戦後の世界を如何に治めていくか、これについてはカイロ会談(194311月;米英中)、テヘラン会談(194311月~12月;米英ソ)、ヤルタ会談(19452月;米英ソ)、ポツダム会談(19457月~8月;米英ソ)がよく知られるところだが、これらはいずれも首脳会談で大戦略と勢力範囲の大まかな調整に重点が置かれる。これに対し、国際的諸問題を平和裏に解決する組織(のちの国連)と首脳会談の細部を具体的に詰める場として、モスクワ(194310月)、ダンバート・オークス(ワシントン、19448月)、サンフランシスコ(19454月)、ロンドン(19459月)で行われた外相会議があった。いずれも民主党政権下にありながら、共和党員の中で外交関係の知見に優れていることと二党間協力の重要性から著者は国務長官顧問として、これらの会議のメンバーに選ばれ、主としてソ連相手の困難な交渉の最前線に立つことになる。相方は狡猾・陰険でしたたかなモロトフ、ヴィシンスキー、グロムイコ、彼等もダレスを「戦争の挑発者」と難じている。当に不倶戴天の敵だ。ダレスのソ連観を形成しているのはこの実体験とスターリンが戦前著した「レーニン主義の諸問題」、その中には「権力を首尾よく握るために」「ソヴィエト国家は党の道具に一つである」「公然とわれわれに対し、激しい憎悪を表す民衆や政府などに取り囲まれていることを忘れてはならない」など党中心の主張が記されており、彼等の外交政策がこのような考えに基づくと喝破、米国でも一部に批判が出るほどの反共・反ソ政策を提言・推進していく。ドイツ統治、東欧問題、仏・伊共産党の動き(高かった政権奪取の可能性)、国民党政府と中国共産党(ローズヴェルトは合作を強力に望む)、朝鮮半島、仏領インドシナ、マーシャルプラン(ソ連も対象だったが拒否)、NATO設立、ソ連の北アフリカ旧イタリア領への野心、いずれも難題だ。「ソヴィエト共産主義の戦術は「退却の戦術」をふくんでいるだけに、一層侮りがたい」は往時の国際情勢から冷徹な卓見だ。

執筆時期から対日講和条約には触れていない。しかし、中国、朝鮮半島、仏印、英領ビルマ、英領マレー、蘭印など国情不安定な国・地域が多々存在する中で、「地理的に近いせいで、われわれにまたとない機会を提供してくれる国」として対日政策を重視しており、それが講和に向けた特使としての活力になっていたと推察できる。

本書の中にウクライナが登場する。ソ連のあまりに過酷な扱いに独軍侵攻に際し「解放者」として歓迎したが、やがてソ連以上の暴虐に反ナチに転じたとある。またウクライナとは直接関係ないが、紛争・戦争に対する国連の限界を予見している点も「さすが」の感だ。「国連はおそらく「平和実施」の機関とはなりえない」と。つまり安保理と総会の効力の差である。安保理の“拒否権”はソ連の国連加盟のために設けられた(飲まされた)特権で、これにより総会が機能不全になっているとはっきり述べている。この時までのソ連の拒否権発動は43回、米国はゼロ。

本書は本来米国民にソ連・共産主義の脅威を警告するために著されたものだが、ウクライナ戦争の今、それに対する国際社会の対応、特に国連の限界とロシアの本質を再認識するためにも格好の一冊と言える。回顧談にありがちな自慢話・言い訳が一切ないのも好感が持てる。

 

2)ダイヤ改正から読み解く鉄道会社の苦悩

-少子高齢化、コロナ禍で変わるライフスタイル。鉄道会社経営の現状をデータ分析する-

 


JRおよび私鉄運賃がこの春値上げされた。主な理由はバリアフリーの財源確保にあるようだがリモートワークの普及などコロナ禍で減じた利益改善を目的とする点も否めない。私が普段利用する京浜急行は10月に値上げを予定しているが、妙な料金体系になると噂されている。横浜以南(三浦半島方面)から都心に出る場合、通しで品川方面に行く料金は少額しか値上げせず、横浜までの料金の値上げ率を高くするのだと言う。つまり、横浜でJRあるいは東横線に乗り換えることを防ぐことがこの料金体系改定のポイントなのである。確かに、私も渋谷・新宿方面に出かけるときは横浜でJR湘南新宿ラインに乗り換えることが多い。本書のキーワードは“ダイヤ改正”“苦悩”にあるが、鉄道各社の最近の経営状況と対応策を知りたく本書を手にした。

かなり変わった本である。先ず著者が個人でなく“鉄道ビジネス研究会”と言うグループ。紹介には「鉄道路線を中心に各種統計データなどを駆使して、鉄道がもたらす様々な効果効用を日夜研究している」とある。その言葉通り、核を成すのは53にも及ぶ各種の表である。文章はこれら表の解説・分析と補足説明、ここからもたらされる鉄道経営あるいは運営における問題点、将来の見通しである。現状の問題点で焦点を当てられるのはコロナ禍の影響だが、長期展望では人口減少との関係、さらにはライフスタイルの変化にも言及している。エピソード的な面白味は皆無だし、現状分析にしても将来展望にしても深みはないが、JRのみならず公営鉄道・私鉄を全国的に網羅した豊富なデータは、鉄道ファンの一人として、それなりの価値を認めるものだ。つまり、国土活用・地方創生と社会インフラの在り方について考えさせられるところが多々あった。

本書は5章から成り、分析は路線・区間、駅、経済性の3視点で行い、問題点の解決策としてのダイヤ改定、最後に鉄道ビジネスの将来を論ずる。

先ず年間輸送人員の比較。JR6社合計254億人(2019年)、JR東だけで65億人、欧州を代表するドイツ鉄道(DR20億人(2016年)、JR東の路線長(営業キロ数)7,401kmに対しDR33,331km4分の1の距離で3倍運んでいることになる。日本の鉄道利用が一段と高いことを示す数字だ。しかし、コロナ禍そして長期的にもこの数字は下落傾向にある。ここからは国際比較はなく、ベースになる数字は平均通過人員(別名輸送密度;11キロ当たりの乗客数)を基に絶対数と率で国内動向が細かく分析される。例えば、コロナ禍分析では2018年度と2020年度で最も減少率が高いのは成田線の75.6%、これは成田エキスプレス、つまり空港利用客の激減に依る。この傾向はJR西の空港線も同様である。絶対数で減少が一番多いのは山手線(田端-新宿-品川間)、平均通過人員が1,134,963人から720,347人へと40万人も減じている。日銭稼ぎで成り立つ鉄道にとってこれが続けば経営は成り立たない。山手線に次ぐのが中央線(神田-高尾間)の24万人減、いずれも通勤路線でリモートワークの影響だ。

次は駅に焦点を移す。駅は街の心臓ととらえ、その実情を数字で考察する。ベースになるのは乗降客数。これもコロナ禍の視点で2018年と2020年のデータが多用される。山手線の数字はこの間37.3%減、絶対数は1日当たり1,093万人から685万人にまで減っている。山手線内個々の駅を見ると絶対数では新宿がトップ、1,578,732人から954,146人と60万人減、次いで池袋、東京となる。これらと対照的なのが減少率、最大は原宿の45.5%。首都圏でこれを上回るのは京葉線舞浜駅の51.3%。原宿・舞浜ともに定期券利用者が少ないことが共通だ。つまり仕事よりは遊びの利用者が多いことがその因となっているのだ。一方で2021年回復の遅い駅に東京と品川がある。大規模なオフィス街があることから著者はリモートワークとの関連性を挙げているが果たしてそうだろうか?

3の論点は売上・収益の分析である。この部分は既刊の鉄道ビジネス分析と変わらない。鉄道は固定費が高いので大量輸送が崩れると利益を出せない。関連事業で補うと言ってもその関連事業自体大量輸送が基盤である。例外的なのはJR九州、不動産業シフトが成功している。しかし総人口の減少に加え沿線過疎化が止まらない北海道、四国の鉄道は自力での黒字化は不可能な状態だ。不採算路線を廃線にすれば町村・集落の消滅さえ危惧される。だからと言って巨額の投資を要する新幹線の延伸が解決策になるわけではない。下手をすると地方都市の富がさらに大都市に吸い上げられてしまう。カギは在来線の活用なのだ。

さて、キーワードのダイヤである。先ず手掛けるのが運行本数を減らすことだが、これで利便性が低下しさらに鉄道離れが進む。やり過ぎると積み残しを生ずる(日光線)。特急・急行・普通の構成変えで上手く改善された例は大都市近距離輸送にしかあらわれていない。始発・終電の繰り上げ効果も経営改善には限定的だ。残るは運賃値上げとなる。

数字とその説明に終始しながら、読み進むうちに鉄道の今後は、経済性だけでなく、国策レヴェルの議論を起こし、地方創生やエネルギー・環境問題を含めた多角的・総合的な取り組みをすべき段階にあると痛感させられた。

 

3)太平洋戦争秘史

-大国に翻弄される周辺国・植民地、アジアの国々は如何にあの戦争を戦ったか-

 


私の戦争体験は小学校入学初の夏休み194588日のソ連軍満州侵攻に始まり翌469月下旬の日本引揚で終わる。主戦場であった中国本土と陸続きでありながら、それまで戦争をしている感覚は全く無かった。年上の遊び仲間、と言っても小学校45年生がアメリカやイギリスが敵であることを口にすることがあったが、それが何なのかさえ理解できなかった。まして、太平洋の島々や東南アジアまで展開されているとは知る由もない。日本軍の南方進出を知るのは小学校45年生の時視聴覚教育で観た「四つの自由」(題名は定かではないが“四つの自由”が記憶に残る)と題する、米軍製作の反日プロパガンダ映画、フィリピンの教会に大勢の現地人が詰め込まれ、そこが燃やされるシーンである。「あんなとこまで出かけ、こんなことをしていたのか!」と占領軍の目論見通り反軍思想に染まり始める。次のアジアの戦いは小学校卒業の際別の組が演じた「ビルマの竪琴」、インパール作戦の惨状など知らず感動した。そうして仕上げとなったのが高校時代観た泰緬鉄道建設をテーマとする「戦場にかける橋」、この辺りから“大東亜戦争”を歴史として見つめるようになっていった。仏印進駐、開戦、香港占領、フィリピンの戦い、マレー半島からシンガポールへ、蘭印(インドネシア)制圧、ビルマ(ミャンマー)からインドをうかがう転戦。一方でガダルカナルやニューギニアでの苦戦・敗退、無謀なインパール作戦と敗走。いずれも書物を通して大東亜戦争(太平洋戦争)の全容を、少年時刷り込まれた反軍思想を離れ理解したつもりでいた。しかし、本書の著者が以前本欄で紹介した「第二次世界大戦秘史」の作者であることから読んでみようとなった。この作品が欧州戦線を、大国ではなく、東欧・中欧・北欧・南欧・中東など小国の視点で考察するユニークなものだったからである。その期待は見事にかなえられた。

東南アジア方面の戦いを記したもので折に触れ頭をよぎる2冊の本がある。一つは敗戦後のビルマでの捕虜生活を描いた会田雄次京大教授著「アーロン収容所」、もう一つは藤原岩一陸軍中佐(のち陸自陸将)が著した「F機関」、これはマレー半島上陸に際してのインド人・マレー人に対する工作を描いている。いずれも作戦・戦闘より日本人・現地人・植民地支配者英国人の人間関係に力点が置かれ、当時の現地事情を知る興味深い内容になっている。しかし、視点はあくまでも日本人の眼である。それに対し、本書の著者も日本人ではあるが、会田や藤原とは半世紀以上世代が違い、ある意味客観的に往時の現地社会を見つめることができるし情報量も豊富になっている。周辺国、植民地は日本軍の戦いをどう見ていたのか、これを詳らかにするところが“秘史”たるゆえんである。

取り上げられる国々・地域は;仏印、マラヤ・シンガポール(英領)、香港(英領)、フィリピン(米領)、蘭印(インドネシア)、タイ、ビルマ(英領)、インド(英領)、モンゴル(ソ連衛星国)、オーストラリア・ニュージーランド・カナダ(英連邦)、中南米諸国と多彩だ。アジアの独立国はタイとモンゴルのみ、圧倒的に植民地が多く、植民地解放を謳った“大東亜戦争”の建て前と実態の違いを深耕する。

日本軍がそれぞれの国や地域に進出する以前、さらには植民地になる前からの歴史が今次の現地の動きに影響する。特に隣接する地域ではその関係は複雑だ。大国の身勝手な勢力圏設定、独立運動、失地回復、民族や宗教上の対立、一見安定していた状態が戦争をきっかけに崩れていく。これらの背景・変遷過程を知ることでその後の展開をより深く理解できるようになるのだ。本書が力点を置くのはこの部分、従来の戦記・戦史とは一味違った視点を与えてくれる。

例えばタイ。19世紀末から20世紀初頭にかけて英仏が東西から迫り、両国に領土の一部を割くことで何とか植民地化を免れる。欧州戦線においる仏の敗北が誘因で日本軍の仏印(北部→南部)進出がなると失地回復を目指し北部仏印(現ラオス)や南部仏印(現カンボジャ)に攻め入りタイ・フランス戦争が勃発する。緒戦はタイが優勢だったが次第に巻き返され日本に調停を求め、これによって自国に有利な調停案を実現する。日本にとっては貸を作った形となり、マレー半島上陸作戦では通過権を得んものとタイに要求するが、中立を盾に直前まで受け入れず、ギリギリのところで承認する。その後マレー半島での快進撃が続くと英・米に宣戦布告し枢軸側に付き、英国のアジア軍事力低下を機会と見て日本軍とともにビルマへ進駐、旧領土を取り戻す。しかし、日本が劣勢に転じると英・仏に占領地を返還、最後は日本に宣戦布告し、連合国の一員として戦勝国の仲間入りをする。皇室・王室を戴くアジアで数少ない独立国としての共通性かつ親日国だが、その歴史的背景としたたかさ(節操の無さ)では真逆の国なのである。

太平洋戦争(大東亜戦争)は建て前として植民地解放を掲げてきた。当初はそれに期待し、インドのチャンドラ・ボース、ビルマのアウンサン、インドネシアのスカルノ、フィリピンのホセ・ラウレルなどがそれに和す動きをするが、現地の日本軍は占領軍として振舞い、民衆の評判は低下独立運動指導者たちも反日に転じていく。ただ、それは各国各様、ここも本書の読みどころだ。

モンゴルはソ連と中国(国民党)によって分割され、外モンゴル(ソ連衛星国;現モンゴル)と内蒙古(中国の一部)となっていた。日本の満蒙支配さらには中国へ戦線拡大すると統一しようとする動きが活発化する。しかし、日本の敗北により、その活動は抑え込まれ今日に至る。アジアとは無縁と思える中南米の章はは、国連(United Nationは本来“連合軍”の意;現在も日・独・伊は国連憲章の中に“敵国条項”として残っている)創設に際し踏み絵を迫られ雪崩をうって対日宣戦する話や、同地域に多く存在する日系移民との関係を伝えるためである。

中国は援蒋ルート(仏印、ビルマ)、米国はフィリピン統治、英・仏・蘭も植民地史が中心で、戦闘・戦争の主役としては描かれず、それだけに各国それぞれの太平洋戦争がよりはっきりとクローズアップされ、前作(第二次世界大戦秘史)同様、新発見が多い。

著者は1967年生まれの市井の戦史研究者。

 

蛇足;中国の領有化宣言で話題の南沙列島(ヴェトナムともめている海域)、1933年当時は日本が実効支配(燐鉱石採掘、漁業)、これを仏が軍艦を派遣、9島を主権下であると宣言。日本はこれを認めず、何度か仏と先占権を争う。近衛内閣は19393月仏政府の抗議を無視し台湾高雄市に編入している。日本のメディアでこの歴史を報じたところはあったろうか?

 

4)西洋書物史への扉

-オックスフォード大にある22kgの古書、慶大図書館にあるグーテンベルク初刷りの聖書-

 


2007年ビジネス人生を終え念願だった「OROperations Research;軍事作戦への数理応用)歴史研究」のため英国に向かった。受け入れ先はランカスター大学経営学部である。これに先立ち客員研究員の資格を得るため前年秋から東工大大学院(社会理工学研究科)の社会人向け研究員制度を利用することにした。応募者の多くは博士号取得を目的としているのだが私にとっては資格そのものが必要だった。大学時代の成績証明書をこの歳で求められたのには少々驚いたが、関門は研究目的・方法に関する計画書とそれに関する説明・質疑応答にあった。その場には担当教授の他2名の教官が居り、その先生方から質問を受けた。意表を突かれたのは「“しょし学”をどの程度学んだか?」と問われたことである。質問者の意図は“歴史研究”である以上文献の系統立った調査が中心との前提で発したようである。書誌学という学問・言葉を知らなかったので一瞬答えに窮したが、書誌を“書史”と勘違いし「歴史研究と言っても、ORの実用化は第二次世界大戦なのでそれほど古い書物・文献に当たる必要はありません」と答えたところそれ以上追及されることは無かった。しかし、あとでこれが“書誌”学であると気づき、機会があったらさわりだけでも学んでおかねばと思っていた。本書を読むきっかけはそこに発している。書評に著者は書誌学の専門家とあったからだ。

確かにこの分野では日本を代表する人物のようだ。略歴に1944年生れ、慶応義塾大学文学部名誉教授(中世英文学、書物史)とあるが、加えてケンブリッジ大学サンダーズ書誌学講座リーダー(20162017)と続き、文中に1986年日本人初のロンドン好古家協会(英国最古の学会;1586年設立)フェローに選ばれたと記されている。好古は古書・骨董・古美術を愛でることを言うが、文中から察するに、ここでは稀覯本や古書の研究と解釈したい。

それにしても書誌学とは想像以上に範囲が広いもので、文字(書体を含む)、文書材料(粘土板、蝋板、木皮、パピルス、獣(羊、子牛)皮、漉紙)、文書作成目的(記録、祭祀、学習、情報伝達)、書記・写字者・印刷従事者(社会的役割・地位、訓練、作業場所)、筆記用具(刃物、ペン、筆、絵具、墨、インク)、複写方法(手書き写本、木版・石版・金属版によるコピー、活版印刷)、製本の仕方(巻子(かんす)、冊子、装丁)、編集・出版・流通・販売体系とその変遷、保管・利用(書架、読書机、図書館)、読書法(音読・朗読、黙読)、書物保有者(発注者、書籍商、読者、蒐集家)、古書収集・修復、真贋判定など書物に関するあらゆるテーマを研究対象とする学問と言っていい。“書史(文献関係史)”と勘違いするなどお恥ずかしい限りだ。

本書のタイトルに“扉”がある。これは“入門”と同義で書物史入門。西洋”と限っているのは著者の専門がそこにあるからで、和書については製本装丁で若干触れる程度である(表紙(表・裏・背)すべてが軟紙・和綴じのため重厚な西洋書物と製作・保管に違いが出る)。また、書誌・書籍・書物は同義としつつも「書籍は無機質な感じがする」と退け、書誌は頻繁に使用するが、書誌“学”に留まり、もっぱら“書物”が主役を務める。

内容は著者が研究過程で巡り合い・体験した上記諸分野における書物に関する諸々を体系的(テーマ別に時間軸に沿って)・一般向けに書き下したもので、随筆のような一見軽い文体で書物史の深部を垣間見ることができる。そのいくつかを紹介しよう。

著者が今まで研究のために手にした古書で最も重いものは22kgもあった!この本を読むために、オックスフォード大学ボドリー図書館には特別スペースがあり巨大な書見台が用意されている。昼食など席を外すときは司書のところへ戻し、再び特別室に移動するのが大変だったとか。

ファクシミリと言えば原稿を電話回線で送受信するシステムだが、これが出現する以前からこの語はある。「筆写・複写・生き写し」の意。そしてファクシミリストなる職業が存在した。写本や印刷本のページを寸部違わず肉筆で復刻することを生業とする。王侯貴族が彼らを重用、高価な稀覯本などに欠落があったとき出番となる。しかし、時に誤記も起こす。これが書物史に混乱をもたらすが、一方で高名なファクシミリストの誤りは反って価値を高めることもある。

書物史の画期は何と言ってもグーテンベルクの活版印刷。これによって印刷された“グーテンベルク聖書”は180部、現存するのは48部、本来なら同一であるはずだが多くの異同が見られる。長い年月の間に欠落部の復刻補修が行われた結果である。書物史・書誌学が必要となる所以の一つはここに在る。48部の1部は丸善が1987年オークションで落とし、現在慶応義塾大学図書館にある。1997年この本が慶大に収まるきっかけは著者の存在にあり、その経緯も本書の中で語られる。一度見てみたいものだが外部の一般人にそれは可能なのだろうか?

新書ゆえ小さいのが難だが、図・写真・口絵(一部カラー)もあり、書物史・書誌学の概要を学ぶには格好な、読書家・愛書家向けの一冊である。

 

5)酔いどれクライマー永田東一郎物語

-破滅型秀才の伝記。講読理由は主人公・著者・私が同じ高校の同窓生だから。お薦めしません-

 


“登山”というキーワードで図書カードを検索してみた。出てきたのは4巻、2巻は小学校から高校まで一緒だった山好きの友人が自費出版した自分史に近い本。あとの2巻は1920年代エヴェレストを目指し消えたジョージ・マロリーを主題にしたジェフリー・アーチャーの小説「遥かなる未踏峰(上、下)」だった。つまり登山は読書の対象外と言っていい。そんな私が“クライマー”の本を読むことになったきっかけは、書評欄にあった“上野高校”、主人公も著者も同校出身、そして私も同じ高校の卒業生であったからだ。主人公は1958年生れ、著者は1961年生れ、私は1939年生まれ、20年近く歳が違うので同窓と言う以外全く共通するものはないのだが、卒業後縁が薄かった学校だけに、その後の変化を知りたく手に取った。我々の時代山岳部など存在しかったので、それだけでも読む動機になった。

都立上野高校は旧制東京市立二中、第5学区(中央、台東、荒川、足立)ではトップの進学校だった。因みに女子では旧制東京府立第一高女の白鴎高校が同じ学区内にある。美濃部都政下の1967年小尾教育長による学校群制度導入で都立高校(特に進学校)は壊滅的打撃を受け、東大合格数だけが学校評価ではないものの、爾後国立・私立優位の状況が続くことになる。如何に左翼平等主義が先見性の無いものであるかを示す典型例である。主人公・著者ともにこの学校群になってからの生徒、そこに私との大きな違いがある。学校群制度下では上野と白鴎が一つに括られ、どちらに行くかを自分で決めることはできない。本書で知る両校の授業のやり方には、想像できないほどの違いがあるのだ。特に、母校上野の変わりようは異常だ。中間試験も期末試験も実施せず、成績評価はレポートのみ。白鴎は従来通りのきちんとした方式を継承している。

本書の内容は、ほとんどアル中状態(一晩に焼酎いいちこを2本空ける)の中吐血して46歳で逝く破滅型人間の伝記である。私の関心事は母校、著者が取り組むのは主人公の人生。伝記である以上私の観点が真っ当ではないことは承知しているが、著者が「もし白鴎に進んでいたら」と学校群制にその責の一端があるように語るのには違和感を持つ。何故なら、自由放任教育には不賛成だが、主人公は1年浪人後東大理一合格を果たしているのだからだ。

むしろ異常はそれからにある。東大卒業に退学期限いっぱいの8年を要している。その間ほとんどをスキー山岳部の活動に費やしているのだ。いくら高校時代からの登山愛好者とは言え、これは常識を超える生き方だ。まして早く父を亡くし母の働きで大学進学しながら、その労苦・期待に応えようとしないのは私には信じられないわがままにうつる。8年かけた大学生活(工学部建築学科卒)の後設計事務所に就職すると山行きは激減するものの、仕事に対する好みが強く、一ヶ所に長続きしない。二人の子供を含む家庭生活は妻(システムエンジニア)が支えなければならない。そんな不本意の中やがてアルコール依存度が高まりついに離婚、それでも元妻はマンションの一部屋に住むことだけは許し(これもかなり異常だが)、そこで生涯をおえる。何故こんなハチャメチャな人生を送ることになったのか。これが取り組む主題だが結論は不明。「こんな人が居た」で終わる。

著者は主人公と高校時代在校生として重ならないが山岳部の先輩・後輩。この人も北大で山岳部に入れ込み過ぎ2年留年、工学部資源工学を終え鉱山会社に就職するものの数年後には毎日新聞の記者に転じるような変わった経歴。主人公が留年を繰り返す中、山を通じて親密度を増していったようだ。しかし、主人公の死を知るのはその数年後、海外勤務から帰国後友人から知らされ、追悼を兼ねユニークな人生を毎日新聞に連載し、本書はこれが基となっている。

紙数の大半は大学時代の登山活動に割かれ、そのハイライトは19848月に成功したカラコルム(パキスタン)K76934m)初登頂。その他の国内の山々、南鳥島上陸など157カ所の山行記録から一部が引用されて主人公の人柄・資質を浮き立たせる。この部分は山岳愛好者の参考にはなりそういだが(計画書は図入りでしっかりしている)、私にとっては格別興味を惹くものでなかった。と言うようなわけで、本書はあくまでも母校の変遷をたどる稀有な書物として読んだので、他人に薦める気持ちは全く無い。

 

6)第三の大国インドの思考

-世界第一の人口、第三位の軍事費、第五位のGDP。その根源を知りたく読んだが、外交政策ばかりが際立つ内容-

 


1986年秋横河電機から「インド科学技術庁(のような役所)が主催するプロセス制御に関する国際学会(見本市を併設する)で講演してほしい」との要請を受けた。狙いは同社が製作販売していたデジタル制御装置のPRである。ユーザーであるとともに、分社化した情報サービス会社のパートナーでもあったから断る理由はなく、初のインド行きが決した。期間は週末を入れて一週間、滞在先はニューデリー一ヶ所、この間休日を利用して世界遺産タージマハールの在るアグラに日帰り観光をしたのみで、名所めぐりのようなことは何もなかった。しかし、滞在中終始ホスト役を務めてくれた私よりは年輩の現地法人社員Nさんとの語らいはインドに関するそれまでの認識を深めるものだった。独立に際してのパキスタン分離に伴う大混乱、彼の家族はヒンドゥ教徒だが住まいはパキスタン領にあったため、着の身着のままでインドへ逃れた体験談。紙幣に刷られたいくつもの言語(確か八つ)。「これは信じ難い数だ」との私の発言に、「我々が普通使う地図は南極・北極に近づくほど広く描かれることを知っているか?」「赤道に近い我が国の面積は西欧よりはるかに広いんだ。西欧にどれだけの国があり言語が使われている?八つじゃきかないだろう」「デリーだけでインドは理解できない。ボンベイ(ムンバイ)やマドラス(チェンナイ)の製油所も訪問してほしかったんだが・・・」と、インドの多様性をビジネスを絡めて語ってくれた。爾来そんなインドをヒンドゥ教や仏教の聖地を含め巡ってみたいと思い続けていた。しかし、もう海外旅行は無理、あれから40年近く経ったインド事情を知りたく読んでみることにした。

人口では中国を超え世界最多、経済規模もかつての宗主国英国を抜いて米・中・日・独に次ぐ第5位、軍事費は米・中に次ぐ第3位。まぎれもなく大国である。かつての“混沌”イメージは残るものの、昨今の国際社会における存在感は目覚ましい。その行動の根本にある“思考”は如何なるものか。本書に期待したのは、政治経済活動や宗教を含む社会・文化的な背景だったが、それは希薄だった。国際関係特に外交に主眼が置かれ、その中心に中国が据えられので、“インド対中政策解説”の趣きである。国家が生き残り発展するために外交は重要因子だが、もう一方に内政があり、内政と外交の調和こそが国力の根源と考えるのだが、本書はこの内政面の分析が極めて表層的、不満の残る内容だった。

ソ連(ロシア)との長期にわたる(事実上の)同盟関係、特に兵器とエネルギー依存度の高さ。パキスタンとの数度わたる戦争・紛争、中国との国境紛争、ここから生ずる中・パ連携。周辺国スリランカ、ネパール、ブータン、バングラデシュ、ビルマへの中国接近・進出、チベットとインドの深い関わり(ダライラマ亡命など)。対中貿易(対米に並ぶ規模。中国提唱のAIIB創設メンバー)とTPP。米国の対ソ(露)あるいは対パキスタン・対中政策がインドに及ぼす影響。インドを囲い込むような一帯一路と日・米・豪と組む「インド太平洋連携」(クワッド)。ウクライナ貿易(主に食糧輸入)と今度の戦争に対する対露政策(石油・石炭の爆買い)。インド外交伝統の非同盟(ソ連・ロシアとも公式の同盟関係は無い)。日本との関係では、安倍-モディ(首相就任前から親しい)の信頼関係。こう並べてみると確かにインド外交の難しさが具体的に見えてくる(特に中・パ関係は詳細で本書で知ることが多かった)。しかし、これらに対する内政の動きや国内世論に関しては何も触れていない。新露派・親中派はどんな勢力か、国民の対米感情は如何様か、それは何故か、が明らかにされないのだ。読後感は“中国脅威論”と“したたかな外交政策”が強く印象づけられただけだった。

著者は1976年生まれの南アジア国際関係専門家。在インド、在パキスタン、在中国大使館に専門調査員として勤務、複数の大学で講師などを務めている。以前本欄で「インパールの戦い」を紹介、これは英印軍・インド人の側からあの作戦を見たもので、日本人の立ち入らない地方に踏み込み情報収集・分析を行い独自の見解を披歴するものだった。今回もインド人の眼は備わっているが、これを内に向けて欲しかった。

 

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2023年3月31日金曜日

今月の本棚-176(2023年3月分)

 

<今月読んだ本>

1)宇宙開発の不都合な真実(寺薗淳也);彩図社

2)スパイは今も謀略の地に(ジョン・ル・カレ); 早川書房(文庫)

3)撤退戦(齋藤達志);中央公論新社

4)レンブラントの身震い(マーカス・デュ・ソートイ);新潮社

5)日本インテリジェンス史(小谷賢);中央公論新社(新書)

6)どんがら(清武英利);講談社

 

<愚評昧説>

1)宇宙開発の不都合な真実

-資源開発から宇宙ゴミまで「夢とロマン」とはまるで違う宇宙開発の現実-

 


195710月世界初の人工衛星スプートニクがソ連によって打ち上げられた。米ソが大陸間弾道弾(ICBM)の開発・配備を進めていることは以前から話題になっていたが、それが現実である証であり、軍事は言うまでもなく、各国政治・経済・科学政策に強烈なインパクトを与えた。この年航空技術者を夢見て浪人中の私にもそれなりに忘れられない出来事だった。翌年大学に入り自己紹介の際同級生の一人が「文系を目指していたが、スプートニク打ち上げでエンジニア志望に変えました」と入学の経緯を述べ「そんな奴が居るのか!」とその柔軟な進路変更に驚かされた。しかし、後年本欄で何度か取り上げてきた「工学部ヒラノ教授」シリーズでこんな方向転換が決して特殊な例ではないことを知らされることになる(ヒラノ教授は1959年入学)。明らかに我々世代は宇宙開発に影響されているのだ。

我が国のロケット開発(宇宙開発ではない)は、1955年に始まった東大生産研究所の糸川教授によるペンシル型ロケット(30cm)を嚆矢とするが、とても世界に伍すものでは無かった。それでもその流れをくむミュー型ロケットで19702月実験衛星“おおすみ”の打ち上げに成功している。これは自国開発のロケットによるものとしてはソ連・米国・フランスに次ぐ4番目のもので、それなりに評価できる(この間、英・豪・独・伊・欧州連合も衛星を打ち上げているがいずれも米国製ロケットに依る)。その後は、米国の技術に頼る部分があったもののこの系統はイプシロン型ロケットに発展、さらに大型のものはHシリーズとして最新はH-3まで達している。しかしながら昨秋のイプシロン、今月のH-31号打ち上げ失敗は我が国宇宙開発に暗雲を投げかけている。いずれも原因究明下にあるが、最近の我が国宇宙開発の現状を知りたく本書を手にした。

著者は1967年生れ、大学・大学院で地球惑星物理学専攻後宇宙航空研究開発機構(JAXA)職員となり、現在は宇宙開発関係のコンサルタントを生業としている人。JAXAでは主に写真撮影機材を主務としていたようだが兼務として広報関係の職にも就いており、ここで宇宙開発に関する広範な知見を得ている。従って、内容は素人に分かり易いものになっている。

1969年のアポロ11号月面着陸から2019年のはやぶさ2号による小惑星りゅうぐう資料採取持ち帰りまで宇宙開発は「夢とロマン」で語られることが多い。しかし現実はそれとは全く異なる、国際政治から宇宙ゴミに至る諸問題が横たわる、厳しい環境下にあるのだ。その“不都合”を我が国宇宙開発中心に明らかにし、宇宙開発リテラシーを高めたいと言うのが本書の要旨である。

例えば、宇宙資源は誰のものか。1966年採択された宇宙条約によれば国家・企業による独占は許されない。月から持ち帰ったものもはやぶさ2の資料も無償でその一部やデータが諸国の研究機関に提供されている。しかし、民営化が進む中、米国・ルクセンブルグは採掘者の権利を認める国内法を成立させ、日本を含む各国もそれに追随、資料やデータが有料になる可能性が出てきているのだ。長期人類活動の最も身近な天体は月、最大の制約は水にある。宇宙ステ―ション活動に要する水の輸送コストは31年間で32兆円に達するとのこと!もし月面の水分(凍結した状態で存在する)をある国・企業が独占したら事実上月はそれらのものになる。

最近の各国宇宙開発活動を俯瞰すると米国および中国が2大プレーヤー。特に中国は活発で2021年度衛星打ち上げ数は55基と突出、独自ステーションの建設や月着陸計画も具体化してきている。我が国もはやぶさのようなニッチ領域では優れたものもあるもののスケールが小さい。中国・ロシアのデータは推定だが、年間予算では、米国が軍事を除いて5兆円、中国は1兆円、ヨーロッパ連合(ESA7千億円、露6千億円、我が国は3千億円。人員数(中・露不明)は、米(NASA18千名、軍25千名)、欧州(ESA2千名+各国別計1万名)、それに対してJAXA1588名(2022年度)。著者は総合的な宇宙開発力で日本の現状を、米・中・欧・露それにインド(惑星探査で実績を挙げつつある)に次ぐ6位と評価している。

我が国の問題点として;政治家にとって国威発揚は票にならず関心が薄いこと、軍民デュアルユースの典型でありながら反軍・反戦の影響があること(保守系政治家も躊躇)、開発計画に継続性のないこと(はやぶさも3号計画はない。特に人材育成に影響)、時々の成長分野へ偏っていること(現時点では情報収集衛星(スパイ衛星)、テポドンのおかげ)、政治的判断で米国計画に追従する姿勢が強い(米国中心の有人月探査アルテミス計画は対中国政策が主眼で科学は二の次)、などを挙げている。

この他にも宇宙ゴミや軍事利用との関係など、世界も日本も“不都合”が多々あることをよく理解でき、宇宙開発に関心のある方々にはお薦めできる一冊である。新型ロケットH-3初号機は打ち上げに失敗した。初物にそれはつきもの、めげずに挑戦を続けられることを切に願う。

 

2)スパイは今も謀略の地に

-引退間近、老スパイ最後の大仕事、所属する秘密情報部に一泡ふかせる逆転劇-

 


英国での作家デビュー作は1961年刊行の「死者にかかってきた電話」。しかし、我が国では英国推理小説家協会のゴールド・ダガー賞(1963年)を受賞した「寒い国から帰ってきたスパイ」が1964年に出版され、これが初の翻訳作品だ。だから講読順序は「寒い国」「死者」(1965年訳刊)となる。シャーロック・ホームズを始め多くの推理小説は読んでいたものの、スパイ小説はここから始まり、彼より先輩のサマーセット・モームやグレアム・グリーンが後に回るほど、私にとっては特別な意味を持つ作家である。翻訳が拙いと悪評だった「スマイリー・シリーズ3部作」、ペーパーバックに挑戦し途中でギブアップした「ロシアンハウス」、冷戦後の中東やアフリカを舞台とした23作を除けば、すべての作品を読んでいるはずである。本書の本国出版は2019年、翌年7月に訳本が出たのは知っていたが文庫になるまで待つことにしていた。それがやっと先月刊行された。この間ル・カレは202012月に他界(89歳)、本書が遺作と思っていたが、この後に「シルバービュー荘にて」(原書・邦訳とも2021年刊、26作目)があり、丁度60年で作家活動を終えたことになる。

ル・カレの死亡が報じられた時、内外の評伝が紹介された。その中に、確か英紙だったと思うが、「ノーベル文学賞に値する作家」と言うのがあった。驚くとともにその解説に納得感もあった。複雑なストーリー展開、組織文化や人物の内奥描写がこの分野では独特だったことに着目しての評である。エンターテインメントに徹した007シリーズが直木賞とすればル・カレ作品は芥川賞と言ったところか。その分かりやすい典型例は映画化にある。007の多くは映画で大ヒット、同じ作品が何度も制作されている。これに対して「寒い国」だけは数回TVを含め映像化されているものの、他作品の映画化は少なく興業的に必ずしも成功していない。ひと言でいえば文字で表現してこそ味わえる世界を専らとしているのだ。そして本書もその系譜を継承している。

冷戦後の作品に共通するのは引退あるいはその間際に在る老スパイを主人公とするものである。主人公ナットは冷戦時代MI-6(英秘密情報部)モスクワ支局に夫人とともに駐在したこともある有能な工作員(スパイ)。冷戦後旧ソ連邦構成国家(ジョージア、エストニアなど)に勤務したものの、そこに活躍の場は無く、50代になり国内に戻され窓際族となっている。妻は弁護士、娘は大学に進学して自立、自身つまらぬ仕事なら引退も悪くないと考えている。そこへ、ロンドン総局の配下にある一地区の支局長のポストが提示される。主たる役割はソ連崩壊後英国に居住・活動するオリガルヒ(犯罪者すれすれのロシア新興財閥)の監視である。部下たちははぐれ者ばかり、言わば掃きだめ職場である。休日や余暇を過ごすのは所属クラブでのバドミントン。長年そのチャンピョンを維持している。それほど入会資格の厳しくないこのクラブにエドと言う若者が入会、チャンピョンに挑戦してくる。対戦後は敗者がビールを奢りたわいない話、トランプ批判やブレクジット賛否を論じて過ごす。エドは何やらメディア絡みの調査をしているが今一つ正体ははっきりしない。そんな日々オリガルヒ周辺にロシアに依る対英謀略の臭いが漂ってくる。チェコにモスクワにかつての連絡員を隠密裏に訪ね、企みを探る。

このところのル・カレ作品でもう一つ共通するのは“内部の敵”である。初期のものも二重スパイをよく取り上げているが、最近はMI-6内での権力闘争・出世競争、これと国外勢力との関係である。オリガルヒ事件はやがてMI-6MI-5 (国内保安局)の対決に発展、両者はナットとエドを生贄にしようとするが・・・。おそらくル・カレ自身のトランプ観・ブレグジット観と思われることばかりでなく、プーチンやウクライナ、ロシアに依るハイブリッド戦争(今回の侵攻ではないが)など今日的話題を絡め、最後は失うもののない老スパイの大胆な行動で両組織に一泡吹かせる。さすがスパイ小説の巨匠!

遺作「シルバービュー荘にて」の文庫本化は通例なら来年末になる。それまで健康でいたいものだ。

 

3)撤退戦

-退勢の中にも勝利と敗北がある。そこに見える組織と指導者の資質、九つの戦場でそれを分析-

 


管理職になって種々の意思決定を迫られるようになった。イエス/ノー、やろう/やめようの決断の場で逡巡するのは“ノー”であり“やめよう”だった。否定的な決断は肯定に数倍する難事だ。1994年子会社の代表に任ぜられ、さらにこの苦痛は倍加、特に一旦手掛けたビジネスを中断あるいは撤収するケースは、社内ばかりでなく顧客・取引先を巻き込むだけに、当に苦渋の決断だった。

1980年代初期、戦史から経営について学ぶことを習いにし始め、その種の適用に評価の高かった野中郁次郎らに依る「失敗の本質-日本軍の組織論的研究-」も読んだが、読後何かあざとさを感じた。それ以前出版された山本七平の「「空気」の研究」などに見る既存の日本文化・組織特質分析との共通性、当初から経営への展開を意図していたのではないかとの疑点、仮説証明に都合の良い事例と論理構成がそれらである。別の見方からすると、失敗が必ずしも日本組織固有の資質に発すると思えないのだ。例えば、福田秀人著「見切る」(祥伝社)はタイトル通り経営における中断・撤退を主題にした内容だが、そこには失敗例として超音速旅客機コンコルド開発における日本軍同様の意思決定が例示されている。大幅の納期遅れと赤字はわかっていたのに「ここまで来たら後には退けない」と突っ走り、試作機も含めわずか20機で生産中止となっている。安易に“戦史に学ぶ”は危険がいっぱい、一先ず経営への展開を意識せず純粋に戦いとしての撤退時の決断を学んでみたい、そんな動機で本書を紐解いた。

著者は1964年生れ、防大出身の陸上自衛隊二佐。第一線部隊勤務、各種学校での戦術・戦史教官を務め、現職は防衛研究所戦史研究センター所員。ただこの経歴に“再任用”とあり、一般大学修士課程を修了していることも考慮すると、一旦除隊して再び任官したようだ(再任用のバードルは極めて高い)。今後日本社会が直面する諸課題対応に役に立てたいと言う意図はあるが、特定の分野(特に経営)を意識した内容ではなく、軍事作戦における国家首脳・軍トップの意思決定過程に焦点を絞り込んだものになっている。

取り上げられる作戦は9。これを三つの層に分類し、決断に関わった組織・人物の資質・言動を分析、どこに問題があったかを明らかにする。第1部は国家首脳の決断;①ガリポリ上陸作戦(第一次世界大戦トルコ・ダーダネルス海峡ガリポリ半島への英仏軍上陸と撤退、②ダンケルク撤退、③朝鮮戦争における国連軍の38度線への撤退、④スターリングラードにおける独第6軍の撤退。第2部は軍統帥機関の決断;⑤ガダルカナル島撤退、⑥インパール作戦、⑦キスカ島撤退。第3部は部隊指揮官の決断;⑧沖縄戦、⑨ノモンハン事件。これらを選んだ理由は事実・実相がよく伝えられているからとしている。確かに、いずれも戦史に残る著名な作戦である。この中でいささか他と異なるのは沖縄戦である。これだけは撤退できずに最後は玉砕で終わっている。ただこれは本土決戦を遅らせるための持久戦として有効であったとし採用したようである。

各章の構成は、戦いの作戦目的から始め、敗勢に転じてからの組織間情報交換・把握状況、意思決定各層個人の言動とその背景、最終的な行動が如何様であったかを述べ、問題点を総括する形になっている。この中で著者が力点を置いているのが決断者の資質である。命が優先か、任務が優先か、それぞれ決断を迫られた者の哲学、勇気、決断力とリーダーシップ、教養と創造力、運、さらに人間としての懐の深さを冷徹に分析する。

撤退戦は戦いとしては負け戦である。しかし、損害を最小限にとどめ余力を残したものは成功と評価する。その観点から②⑦は成功、①④⑥⑨は失敗、他は判定不能と言ったところだ。9事例の内5例が日本軍の作戦。資料の充実度、著者の現職との関わり、対象読者からこのような結果になったと推定する。

これら事例を整理すると;キスカとガダルカナルは島嶼からの撤退、ガリポリも水陸両用作戦、ダンケルク撤退もこれと同等。ここでは陸海の協力がカギとなる。ガダルカナルはこれが上手く機能せず(進出の動機は海軍飛行場建設、敗勢が明らかになっても海軍は“撤退”を陸軍に言わせようとする)、キスカでは主力が海軍陸戦隊であったこともあり成功する。ガリポリ、ダンケルクは陸海に加え英仏の連携と言う外交課題が成否を分ける。スターリングラード、朝鮮戦争、インパール、沖縄、ノモンハンは陸戦、統帥部・現地軍間情報共有、意思統一が決め手となっている。スターリングラードでは第6軍司令官パウエル大将が参謀本部を含めた上部司令部が撤退を命じたのに、ヒトラー信奉が勝り撤退の時期を誤る(総統本部から連絡将校が派遣されており、本部-将校間直結通信システムがあった)。「アジアの戦争を分かっているのは自分だけ」と自説を強行しようとしたマッカーサーだが中共軍の実態把握(情報、戦術など)は全くできておらず、トルーマンは彼を排除する。

取り上げられた日本軍事例から「失敗の本質」に見るような国家・民族固有の敗因は見えてこない。著者が成功因子として重要視しているのは、現地と国家首脳・統帥部間で上下一貫した問題意識と解決のプロセスが共有されていること、それに責任ある現地軍人の勇気ある最初の決断である。つまり、現地情報収集・分析力、上下間の情報共有、それに基づく意思統一、現地指揮官の決断力、がどの戦いにも欠かせぬと言うのが結論となる。軍事に関しては具体的に問題点が詰められていくので、撤退戦そのものを理解するには好書だが、このごくありふれた結論を“戦史に学びビジネスに適用する”には置かれた環境に基づく咀嚼努力が不可欠、安易に“戦史に学ぶ”は難しい。

 

4)レンブラントの身震い

-絵を描き、音楽を作曲し、数学の難題に取り組むAI。脅威を感じ始めた数学者が現状を分析する-

 


10日ほど前、1979年米国で開催されていた石油関連IT会議で会い、その後も親しく交流してきたイタリア人の友人から「自著を送った」とのメールが届いた。そこには「君はイタリア語を解さないと思うから、旧知の日本人女性(札幌在)に翻訳を依頼してもいいが・・・」とあった。その本(実は30頁足らずの小冊子)“Macrocosmo e Microcosmo(大きな宇宙と小さな宇宙)”が昨日届いた。定年退職後イタリア語を学んでいた大学時代の友人に目を通してもらい、概要だけでもと思っているが、ものは試しと無料翻訳ソフトで半頁ほど訳させてみた。多少不自然なところもあるが、下手な人間よりましな文章、最近のAI技術の高さを身をもって体験した。シンギュラリティ(ITの技術的転換点;AIが人間の能力を超す)到来に対してはいまだ懐疑的ではあるが、藤井聡太6冠の研鑽からチャットGPT(対話型検索システム)まで、昨今AIは着々と実用域に入ってきている。人間に残された創造性・情感の世界におけるAI適用の現状を知りたく本書を読んでみることにした(とは言っても原著の出版は2019年、最新情報とは言えないかもしれないが)。

著者は1965年生れの英国人、オックスフォード大学数学研究所教授、BBC数学番組監修など数学知識の啓蒙活動に注力、その功により大英勲章を受章している。著者の本分野における最大の関心事は、AIが数学問題の解法あるいは問題創出にどこまで達し、その将来は如何様かにある。

私がこの本に惹かれたのは題名の“レンブラント”にある。それまでにもゲーム(チェス、囲碁)や専門家代行(医師、法律家)あるいは文章作成(新聞記事、小説)へのAI適用に関するものは何冊か読んでおり、本欄でも紹介してきた。しかし、絵画の世界はITが画像認識を苦手としていたこともあり、これと言った書籍に行き当たっていなかった。従って、本書の題名を見た時、珍しく絵とAIの関わりを語るものと受け取り購入した。確かに、読み進めて半ばころ“巨匠に学ぶ”章の一項に“レンブラン復活”があり、ここでAIがその画風を学習、新作を生み出すシーンが詳しく解説されるが、全編が絵画(あるいは芸術)を扱う内容ではなかった。原題は“The Creativity Code(創造性の規範)”、あくまでも“創造性”が主題で絵画はその一例に過ぎないのだ。

導入部は、計算機械と人間の関わりを歴史的に追い、それが部分的に人の能力を上回ってきていることを分かり易く解説する。チューリング・マシーン(チューリングが仮想した人間と見紛う計算機械)からチェスの名人を負かしたIBMのディープ・ブルー、囲碁世界名人を最終的に引退に追い込んだグーグルのアルファ碁まで、よく知られたAIの進歩の道のりが援用される。中でもアルファ碁に関しては極めて詳しく、7局すべてを取り上げ、第2局の奇手を“人間には思いつかぬ手”として、AIの学習能力の高さに驚嘆する。ポイントは、専門家代行システムまでは人間の指導者によって知識を付けていくトップダウン学習、対してビッグデータによる深層学習はこれとは真逆のボトムアップ学習、この学習法に依ってAI自身が独自創造力を次第に高めてきているところに注目する。次いで、感性・情感・創造の世界に進む。絵画の場合はこれと画像認知技術の向上が相俟って、専門鑑定家を惑わすような作品を描くようになってきているのである。一方で、人間には思いつかぬような現代美術作品も出現、これはこれで高額取引されている。音楽しかり、誰にも特徴を認知しやすいバッハ作品は学習効果てきめん、これも専門家が簡単に騙されるばかりか、バッハ本人の評価よりAI作品が高いことさえ生じる(バッハのあまり知られていない作品と競演)。さらにジャズのアドリブ部分なども見事に演奏。

そして数学。音楽と数学の共通性を講じた後、最近の難問解法に際し人間が証明したものをコンピュータで検証するケースが増えてきていることを事例で示しながら、AIが人より先に難問解法を見つけ得るか、新たな難問創出が出来るか、を自問自答する。「脅威は感じるがまだそこまでは来ていない」「ただ、IT無くして数学新分野への展開はあり得ない」「人とAIが協調する世界は確実にある」が結論と読んだ。

AIはここまで来ているのかと改めてそのすごさを再確認させられた一冊。ただ、“AI入門”的な部分が多く、そこに冗長さを感じた(読み飛ばした)。

 

5)日本インテリジェンス史

-スパイ天国とまで揶揄される我が国、戦後の諜報組織とその活動変遷を追った出色の通史-

 


過日中国で製薬会社の関係者がスパイ容疑で逮捕された。しかし、中国政府は容疑の内容を明らかにしていない。一方、ときどき中国人の産業スパイ摘発のニュースが流れたりするが、その後の扱いが詳しく報じられることはない。2018年中国の通信機器メーカーファーウェイの副会長(創業者の娘)がカナダで拘束されると、中国はカナダの外交官や民間人を逮捕し、一部は今も拘留されている。小説やノンフィクションでスパイ事件が取り上げられるとき、泳がしていたスパイを逮捕、それを外交交渉・取引に利用する例はよくある手段、日本もこんな手を打てないのだろうか?国際諜報活動ではやられっぱなしの感がある我が国、その一端でも知りたいと思い本書を手にした。結論を先に述べれば“極めて優れた戦後インテリジェンス通史”である。だからと言って、我が国の諜報活動が優れているわけではないが。

著者は1973年生れ、立命館大学(学士)、ロンドン大学大学院(修士)・京都大学大学院(博士)で学んだインテリジェンスの専門家。英王立統合軍防衛安保問題研究所勤務、防衛省防衛研究所戦史センター主任研究官を務めた後、現在日本大学危機管理学部(こんな学部があるのだ!)教授。本欄ですでに「イギリスの情報外交」「日本軍のインテリジェンス」および「特務」(訳)を取り上げている。

前史は終戦後旧陸軍情報関係者や思想犯取締の特別高等警察(特高;内務省)などがGHQの下で動き始めるところから始まり、講和条約発布後吉田首相・緒方官房長官による日本版CIA構想、そして長く続く冷戦期、冷戦後の国際関係変化、第2次安倍内閣発足以降2020年で終わる。第2次安倍内閣発足を一区切りとするのは、この内閣でやっと我が国インテリジェンス体系も、種々の課題を残しながら、一応他国並みになったと見做すからである。安倍政権下での安全保障体制整備は私も評価するところだ。

現時点で安全保障に関する国策推進に必要な情報を扱う省庁は、外務省、防衛省、警察庁(総務省)、公安調査庁(法務省)があり、これらからの情報を閣内で取りまとめるのが内閣情報調査室(発足時は内閣調査室;内調)である。この内調の歴史がある意味我が国インテリジェンス史と言っていい。現在こそトップの室長は“内閣情報官”と称される事務次官同格になり首相に直接報告する機会を持つようになったが、長く副官房長官の下にあり、各省庁から上がってくる情報を整理する部門に過ぎなかったのだ。ここをバイパスする情報も多く、特に外交関係(外務省)はそれが顕著だった。一つは「海外情報はすべて外務省所掌」と言う考え方、もう一つは内調が警察庁の出先のようにスタートしたことにある。本書は、各省庁の情報収集分析組織、内閣そのものの情報ニーズの変化、それに対する内調の役割と組織変遷、この変化の中で起こる様々なインテリジェンス関連問題(機密保持など)を、個人レベルまで踏み込んで、その時々の社会情勢の中で浮き立たせていく。

冷戦時代は外交・安全保障政策ともに基本的に対米追従なので独自対外諜報活動の必要性は高くない。専ら国内極左勢力の監視に力がそそがれ、公安調査庁および警察庁の活動とかかわる情報が中心となる。ユニークなのは、内閣と離れたところで軍事特殊情報(具体的には無線傍受)を扱う情報組織がある。陸自幕僚監部第2部別室(別室)がそれだ。ここは内閣どころか陸自本体より米軍との関係が強く、大韓航空機撃墜事件では、ソ連機に依ることをいち早く特定して、同じ場所に米軍人も勤務しているため、その情報は米国政府にいち早く伝わり、シュルツ国務長官が公表、日本政府への連絡は1時間前だった。そして室長ポストは現時点でも警察の指定席。何とも不可解!

冷戦構造が崩壊すると邦人人質事件やテロの遭遇など、我が国独自のインテリジェンス活動が求められるようになり、内調や警察庁外事警察部門の強化が図られる。ここで問題になってくるのが対外活動における法整備である。海外の同様な組織と付き合うには「サードパーティー・ルール」、当事者以外に情報を漏らさないと言う掟を守らなければ極秘情報は得られない。しかし、海外へ出る公務員(防衛駐在官を含む)は一旦外務省の職員の身分となりそこで得た情報は大使館経由が必須となっている。つまり、第三者である外交官が機密情報を知ることになる。それでいて外務省で情報部門は軽視され、一時期情報局に昇格したものの現在は部レベルに戻っている。これ以外にもインテリジェンス関連の法律は現状に合わぬことおびただしい(例えは、公務員(自衛官を含む)のスパイ行為に対する処罰)。

安倍政権は環境変化に対応すべく、内調の格上げ・強化ばかりでなく、特別秘密保護法制定、内閣直轄の国家安全保障局(経済安保を含む)設立、外務省に国際テロ情報収集ユニット(実質内閣副官房長官主管)設立、防衛省情報本部設立などを実施、同盟・友好国からの評価を高めている。

問題点として、依然残る縄張り意識、諜報専門職の育成(明確なキャリアパスと処遇)、サイバー戦・偽情報への備え(特に、対中、対露)、経済安保強化などを挙げている。

取り上げ挙げられた個人名は100名以上(その多くは直接聞き取り、内調室長OB複数名を含む)、詳細な組織変遷の経緯、多くの事例・事件、参考文献・注記の多さ、新書でありながら情報内容は濃く、一級の資料価値がある。

 

6)どんがら

-「チーフエンジニアは製品の社長」、トヨタ新車開発過程をスポーツカー“86”で公開するノンフィクション-

 


就職して2年目(1964年)、最初に所有したクルマは中古のコンテッサS。これは日野自動車が、脱トラックを目論み仏ルノー社の4CVノックダウンで学び、初めて開発した小型乗用車。Sはスポーツの意だが、実態はシフトレバーをハンドル横から床面に移しただけの“なんちゃってS”だった。次は日産の初代ブルーバードSSS(スーパー・スポーツ・セダン)、これは本格的なスポーツカー、ホームグランドだった紀伊半島は無論、信州・飛騨、能登半島、四国・中国の山岳地帯を駆け巡った。スポーツカーの醍醐味はハンドルとアクセス、ブレーキ操作における“人車一体感”、これを味わえるクルマはそう無い。それを再開したのは2002年、子供がすべて独立、入社40周年の節目を自ら祝うため二人乗りのオープンカー、トヨタMR-Sを購入した。エンジンの配置はF-1同様ミッドシップだ(運転席の背後にエンジンが座る)。そして2007年ビジネスマン人生を終え、趣味のドライブを本格稼働するためポルシェ・ボクスターを入手した。このクルマも二座オープン、ミッドシップ。これで13年、沖縄を除く全都道府県を走破した。つまり、私の自動車人生はスポーツカーに始まり、スポーツカーで終わったわけである。本書はトヨタがMR-S生産停止(2007年)以降、2012年満を持して発売した本格的スポーツカー86(ハチロク)開発物語、読ますにおれようか。

20071月それまでミニバン開発のチーフエンジニアだった多田に「もうミニバンはいい、明日からスポーツカーを作ってくれ」との命が下る。チーフエンジニアになって3年、年齢は43歳、それまでスポーツカー開発の経験はないが、学生時代・前職(三菱自動車)でラリーに入れ込んでいたレースマニアにとって願ってもない仕事だ。それから5年後20124月新86発売までの道のりを一人の技術者は中心に描いたのが本書である。

トヨタにおける新車開発(その後の改善を含む)と職制の関係は、チーフエンジニア(部長)-主査(次長)-主管(課長)-主任(係長)-一般技術者となる。かつては主査がチーフエンジニアに相当しており、そんな時代第5代社長の豊田英二は「主査は製品の社長であり、社長は主査の助っ人である」とその重要性を表現したと言う。本書執筆時その数はわずか21名、数百億(時には一千億)円のプロジェクト責任者。失敗すれば担当役員の首が飛ぶほどの要職である。多田がこのプロジェクトで使った金は約4百億円(生産設備や営業推進は含まず)に達したと記されている。

86”とは何か。トヨタのスポーツカー開発史を辿ると1960年代後半に発売されたトヨタ800(通称ヨタハチ)、1967年に発売されボンド・カ-として映画にも登場した2000GTなどが有名だが、1980年代半ばに出たカローラ・レビン、スプリンター・トレノは若者にうけ、前二者とは比較にならないほどのヒット商品となった。その開発番号がAE86だったことから、レビン、トレノを巷間“86”と総称する。多田の下に集まった若手エンジニアは誰もがその再来を望み、新車開発の出発点となる。手軽に買えるスポーツカー、それでいて少々手を入れればサーキット走行も可、これが新86のイメージだ。

エンジンの新規開発(1千億円はかかる)など論外、資本提携先スバルが持つ水平対向4気筒エンジンが第一候補となるがそのままではパワー不足。その他の部品はどうするか、専用部品開発は投資がかさむ、しかし運転の味わいから言えば既存部品の転用は中途半端になる。駆動方式はどうするか、スポーツカーの王道から言えばFR(エンジン前置き後輪駆動)が望ましい。旧86もこの形式だった。しかし、スバルは自信のある4WDを推してくる。デザインでは想定販売数(3千台/月)の半分を占める米国市場向けを考慮してごついアメリカンテイストも無視できない。スポーツタイヤか街乗りタイヤか。唯一軽量スポーツカーの販売を長年継続しているマツダにも教えを乞いに行く。「ロードスター単独で黒字になっているのですか?」と。次々と生ずる問題を解決しながら、20095月製造企画会議提案までこぎつける。若手エンジニアが取ってきた開発番号は086A、彼はこの番号が来るまで番号取りを調整していたのだ(本来は許されないやり方で)。この後にも試作車生産がしばらく続き、ドイツ・ニューブリックリンクのテストコースで豊田章男社長自らハンドルを握りOKを出したのは20116月、ここで86と姉妹車スバルBRZ生産販売が正式決定される。20122月予約開始、日本だけでその数7千台、7カ月分。最終的に2021年生産終了までに全世界で約23万台を出荷、その後後継のGR86も続いているから成功プロジェクトだ。

本書では多田がこれに続きBMWとの共同開発で新スープラを仕上げる話もあり、国際協力プロジェクトの様子をうかがうこともできる。ドイツ人と一緒に仕事をするのは大変だなーと。

先ず自動車ファンの技術者から見てよくできたノンフィクションである。加えてストーリー展開が優れ、製造業と言う堅い現場に自然に入っていけ、生産台数世界一の大企業を理解するのに好適な一冊と言える。それにしてもトヨタのチーフエンジニアなるのは大変。私にはとてもなれそうにない。これが読後感である。

著者名を見て「もしや?」となり、即調べた。「やはりあの人だった」、1950年生れ、読売新聞社会部記者を経て、中部本社社会部長・東京本社運動部長・編集委員を務め、読売巨人軍球団代表兼オーナー代行となりながら、オーナー・ナベツネと対立し解任された人物。その後ノンフィクション作家として活躍していたのだ。

 

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