37.グランドツーリングを終えて(最終回) たった4泊5日の旅を、半年以上かけて書くことになったのは、この紀行文を、大好きな自動車と独り立ちした日々の思い出を重ね合わせることを目論んだからである。いわばこれは“自動車自分史”と言っていい。
それほど積極的に国内旅行はしていないが、一通り北海道から沖縄まで仕事で、観光で訪れている。車で走った所も関西・四国・山陽・山陰・北陸・東海・関東・甲信越・東北におよび、北海道も一部だがレンタカーで駆け抜けた。季節も四季にわたっている。その限られた風土感の中で、やはり紀伊半島、特にその南部は特異な土地だと思う。京都・奈良・大阪と言う歴史的に古くから開けた土地に隣接し、徳川御三家の一つであったが、日本の近代化は東海道・山陽道を機軸に進められ、日本最大の半島はそれからも外れ、紀ノ川沿いを除けばそして鉄道と道路を除けば、ほとんど古の姿を今に留めているのではないだろうか。これは和歌山県ばかりでなく三重県南部も同じである。ここに住む人々にとっては不便極まりないことだろうが、この未開発こそヒョッとしたら日本の財産かもしれない。
こんな土地の深奥部を探るには車は持ってこいの手段である。40数年前に比べ道路は格段に良くなっていた。地上高の極めて低いボクスターでも走りに困るところは一ヶ所も無かった。山あり谷あり海もあり、渋滞も無く変化に富んだ道をドライブできる楽しみを堪能した。似たような位置付けにある房総半島は起伏に乏しく、内房はほとんど産業道路でこことは比べものにならない。
日中出会う車は圧倒的に女性が運転する軽自動車が多い。これは今やわが国の地方では当たり前の光景だが、鉄道が半島周縁部しか走らないこの地では当に生活必需品である。地方出身の国会議員が生命線とも言える道路予算獲得に狂奔するのがよく分かる。
問題はこの様なところでどう生活していくかである。走った道々に寂れ行く集落、廃屋、シャッター商店街を多く見かけた。平野部が少ないこの土地へ新たな企業が進出してくる気配は無い。あとは温泉と歴史を売り物に観光業を振興するくらいしか思い浮かばない。ただ歴史に関しては、南部では熊野の三社とそれ等へのアプローチ“熊野古道”と言うことになるが、今の道路事情(高速道路の整備状況)では京阪神から気軽に出かけられる環境ではない。半島外周を結ぶ自動車専用道路の完成が待たれる。
和歌山市中心部の衰退は想像以上だった。しかし、国体道路などを走ると昔とは異なる生活パターンに変わってきていることがよく分かる。息子に聞くとシネマコンプレックスなどもあり、車で出かけられる郊外の大型ショッピングセンターで過ごすことが多いと言う。駅の東側が開けたこともこの町が変わってきた証だ。関空に近いことが首都圏や海外を身近にし、JRの電化延長、阪和道など大阪中心部へのアクセスも良くなっている。昔は工場周辺の社宅に住むのが慣わしだった幹部たちは、子女の教育や生活パターンの多様化で和歌山市内や更に大阪との中間に住まいを持つようになってきていると言う。地方でも中心都市集中の傾向が強まってきていることがここでも起こっている。これからの地方の在り方かも知れない。
最後に車文化について少し触れてみたい。生活のための車として軽自動車が地方に多いことは前に触れた。観光地や休日に多く見かける車はワゴン車やミニバン、どう見ても“運転が楽しい”車ではない。それでも子供連れの生活にはセダンよりずっと使い勝手が良いのだろう。オープンカーはともかく、遊び車としてのカッコ良さはクーペに尽きるがこれも道中ほとんど見かけなかった。英国やイタリアで垣間見た、ヨーロッパ車文化との違いは明らかに在るし、それは道路・交通行政にも反映している。例えば一般道路における信号の多さはずば抜けているし、車を駆る人間は、嘗ては特権階級、今は凶器を振り回す犯罪者扱いである。自動車専用道路の整備も未だ充分とは言えない。環境規制が厳しさを増す中で、この傾向はさらに強まるのだろう。我々世代が“車に憧れ、楽しむ”最後の世代なのかも知れない。
完全リタイア後何度か長距離ドライブを楽しんできた。何と言っても時間に縛られることが少ないのが良い。今回は懐かしの地を訪ねることもあり、時間的余裕を充分とった。その分想い出に浸れる機会も多く、変わったもの変わらぬところ、ともに楽しむことが出来た。帰りは一気に帰ったものの、ほとんど自動車専用道路だったこともあり予想以上に早く楽に帰り着いた。これからのグランドツーリングへの自信にもなった。能登半島、秋田方面、島なみ街道などを走ってみたいと思っている。
神々を訪ねながら48年を振り返る旅の総走行距離は約1380km、ガソリン消費量;約122L、燃費;11,3km/L(都会の渋滞走行はともかく、この燃費は決してハイブリッド車に負けない!)であった。
それほど積極的に国内旅行はしていないが、一通り北海道から沖縄まで仕事で、観光で訪れている。車で走った所も関西・四国・山陽・山陰・北陸・東海・関東・甲信越・東北におよび、北海道も一部だがレンタカーで駆け抜けた。季節も四季にわたっている。その限られた風土感の中で、やはり紀伊半島、特にその南部は特異な土地だと思う。京都・奈良・大阪と言う歴史的に古くから開けた土地に隣接し、徳川御三家の一つであったが、日本の近代化は東海道・山陽道を機軸に進められ、日本最大の半島はそれからも外れ、紀ノ川沿いを除けばそして鉄道と道路を除けば、ほとんど古の姿を今に留めているのではないだろうか。これは和歌山県ばかりでなく三重県南部も同じである。ここに住む人々にとっては不便極まりないことだろうが、この未開発こそヒョッとしたら日本の財産かもしれない。
こんな土地の深奥部を探るには車は持ってこいの手段である。40数年前に比べ道路は格段に良くなっていた。地上高の極めて低いボクスターでも走りに困るところは一ヶ所も無かった。山あり谷あり海もあり、渋滞も無く変化に富んだ道をドライブできる楽しみを堪能した。似たような位置付けにある房総半島は起伏に乏しく、内房はほとんど産業道路でこことは比べものにならない。
日中出会う車は圧倒的に女性が運転する軽自動車が多い。これは今やわが国の地方では当たり前の光景だが、鉄道が半島周縁部しか走らないこの地では当に生活必需品である。地方出身の国会議員が生命線とも言える道路予算獲得に狂奔するのがよく分かる。
問題はこの様なところでどう生活していくかである。走った道々に寂れ行く集落、廃屋、シャッター商店街を多く見かけた。平野部が少ないこの土地へ新たな企業が進出してくる気配は無い。あとは温泉と歴史を売り物に観光業を振興するくらいしか思い浮かばない。ただ歴史に関しては、南部では熊野の三社とそれ等へのアプローチ“熊野古道”と言うことになるが、今の道路事情(高速道路の整備状況)では京阪神から気軽に出かけられる環境ではない。半島外周を結ぶ自動車専用道路の完成が待たれる。
和歌山市中心部の衰退は想像以上だった。しかし、国体道路などを走ると昔とは異なる生活パターンに変わってきていることがよく分かる。息子に聞くとシネマコンプレックスなどもあり、車で出かけられる郊外の大型ショッピングセンターで過ごすことが多いと言う。駅の東側が開けたこともこの町が変わってきた証だ。関空に近いことが首都圏や海外を身近にし、JRの電化延長、阪和道など大阪中心部へのアクセスも良くなっている。昔は工場周辺の社宅に住むのが慣わしだった幹部たちは、子女の教育や生活パターンの多様化で和歌山市内や更に大阪との中間に住まいを持つようになってきていると言う。地方でも中心都市集中の傾向が強まってきていることがここでも起こっている。これからの地方の在り方かも知れない。
最後に車文化について少し触れてみたい。生活のための車として軽自動車が地方に多いことは前に触れた。観光地や休日に多く見かける車はワゴン車やミニバン、どう見ても“運転が楽しい”車ではない。それでも子供連れの生活にはセダンよりずっと使い勝手が良いのだろう。オープンカーはともかく、遊び車としてのカッコ良さはクーペに尽きるがこれも道中ほとんど見かけなかった。英国やイタリアで垣間見た、ヨーロッパ車文化との違いは明らかに在るし、それは道路・交通行政にも反映している。例えば一般道路における信号の多さはずば抜けているし、車を駆る人間は、嘗ては特権階級、今は凶器を振り回す犯罪者扱いである。自動車専用道路の整備も未だ充分とは言えない。環境規制が厳しさを増す中で、この傾向はさらに強まるのだろう。我々世代が“車に憧れ、楽しむ”最後の世代なのかも知れない。
完全リタイア後何度か長距離ドライブを楽しんできた。何と言っても時間に縛られることが少ないのが良い。今回は懐かしの地を訪ねることもあり、時間的余裕を充分とった。その分想い出に浸れる機会も多く、変わったもの変わらぬところ、ともに楽しむことが出来た。帰りは一気に帰ったものの、ほとんど自動車専用道路だったこともあり予想以上に早く楽に帰り着いた。これからのグランドツーリングへの自信にもなった。能登半島、秋田方面、島なみ街道などを走ってみたいと思っている。
神々を訪ねながら48年を振り返る旅の総走行距離は約1380km、ガソリン消費量;約122L、燃費;11,3km/L(都会の渋滞走行はともかく、この燃費は決してハイブリッド車に負けない!)であった。
(長期のご愛読、有難うございましたm(_ _)m)
-完-