2010年3月5日金曜日

今月の本棚-18(2010年2月)

<今月読んだ本(2月)>1)パリの日本人(鹿島茂);新潮社(選書)
2)ロゼッタストーン解読(R&Lアドキンズ);新潮社(文庫)
3)フランス敗れたり(アンドレ・モーロア);ウェッジ社
4)それでも日本人は「戦争」を選んだ(加藤陽子);朝日出版社
5)日本人はなぜ日本を愛せないのか(鈴木孝夫);新潮社(選書)
6)鉄道ひとつばなし-2(原武史);講談社(新書)
7)ウェブを炎上させるイタい人たち(中川淳一郎);宝島社(新書)
8)ネット帝国主義と日本の敗北(岸博幸);幻冬舎(新書)
9)Tizard(Ronald W. Clark);The MIT Press

<愚評昧説>
1)パリの日本人
 “遊学”、もう死語に近いが、欧米(旧植民地やアジアにはまず使わない)に出かけたり暮らしたりすることをこんな言葉で表現した時代がある。表向きは、勉学であり仕事なのだが“実態”を表す面白い言葉だ。多分明治以降日本人が作ったものであろう。
 戦前の日本人にとって、欧米に出かけることは極めて特別なことだった。政府関係者(軍を含む)、国際規模の貿易会社社員くらいしか、彼の地で暮らすことなど考えられなかった。それでも人々はきらびやかな文明の地に憧れた。特にヨーロッパ、それもフランスへ。詩人、萩原朔太郎の「フランスへ行きたしとおもえども、フランスはあまりにもとおし」は当時の文化人たちの、こんな気持ちを表す代表的なフレーズである。
 中学生・高校生時代、この“遊学”を目にすると何か羨ましさを感じると同時に、一体その渡航・滞在資金はどうやって得たのだろうかと、現実的な疑問も湧いてきた。また、後年仕事で海外へ出かけるようになると、明治・大正の先人たちは、経済的にはともかく、現地社会で、適当な人に会い、適当な情報を得ることを、自らの力で出来たのだろうか?それは如何にして?と言うわが身と対比する場面が生じてきた。
 この本は、明治初期から戦中(一部戦後まで存命)までフランスに渡り、パリで暮らした11人を取り上げ、その渡仏の動機や暮らしぶりの一端を紹介していく。登場人物は、獅子文六を除いて数多この地に居た画家・作家は全く出てこない。妖婦として語られる女性一人を除けば、いわばみな遊学者である。ここがこの本の特色と言える。
 西園寺公望や原敬などの政治家、戦後初の首相となる東久邇宮など後ろ盾の確りした、のちに位階を極める人もいれば、貧しい中から選ばれた真面目で有能な官費留学生(この人は“遊学”ではない)、片道切符でやってきて現地で何とか収入の道を編み出しそれがのちの人生の糧となる人などを、パリの社交界、日本人社会や当時の世相から焙りだす。
 各人各様のフランス、パリだが、そこには異邦人を惹きつけ活力を与える“何か”があるように感じ、もう少しフランスについて知りたくなってきた。

2)ロゼッタストーン解読(原題は“ヒエログリフ解読競争”)
 四大文明発祥の地、エジプトのモニュメントやパピルスに記された、一見象形文字ともみえる古代絵文字、ヒエログリフ。その解読競争が激化するのは、ナポレオンのエジプト遠征によって数々の記念物が持ち帰られてからである。特に、ロゼッタストーンには三種の文字が刻まれ、これが解読のカギと見做される。18世紀末から19世紀初頭にかけて、英国で、ドイツで、そしてフランスで熾烈な研究者の戦いが繰り広げられる。
 本書の主人公は、その解読者と言われる、言語学の天才、フランス人のジャン・フランソワ・シャンポリオンとそれを支えた兄のジャック・ジョセフ。重要な脇役は、最大のライバル英国人のトーマス・ヤング。フランス山岳地帯の田舎町の零細な本屋(行商)の倅として誕生したシャンポリオンが、その才能を見込まれ上級学校へ進み、さらには研究者として活躍する場面では、数学者として有名なフーリエが当時の知事として黒子役を果たす。時代はフランス革命後の政情不安の中でナポレオンが力を握り、英仏がアフリカ・アジアへの覇権争いに興じている時である。場所はアレクサンドリア・カイロ、グルノーブル、パリそして再びナイルへと転じていく。上質の英国軍事サスペンス小説もどきの舞台仕掛けにすっかり引き込まれてしまった。
 ヒエログリフそのものは早くからその存在を知られており、先駆的な研究(推論に近い)も行われ、象形文字と言う観点から漢字との関係を取り沙汰されたりもしている。この説では中華文明はエジプト文明の亜流と見做される!
 シャンポールに幸運だったのはナポレオンが遠征に当たり、多くの学者を同道し遺跡から大量のパピルス、石版、碑を持ち帰ったことである。これらの資料によって一気に研究が進む環境が整ったのである。ただ残念だったことは、その中にフランスに移送予定のロゼッタストーンは含まれておらず、国内の政変に部隊を置き去りにして帰国したナポレオンに怒り、現地司令官が英国に和を乞うたため、戦利品として英国の手に渡ったことがある(現在も大英博物館に収められている)。それ故シャンポリオンは不正確なコピーで研究を進めざるを得ず、良いところまで達していながら、回り道を余儀なくされることになってしまう。
 ラテン語、ギリシャ語、アラビア語、ヘブライ語や古代のコプト語などにも通じた彼が、持ち帰られた資料を基にヒエログリフ解読に一歩一歩近づいていくところが本書の核になるのだが、山場はこれが単なるアルファベット的な表音文字ではなく一部は表意文字も兼ねていることを発見するところにある。ただ、この道には先駆者ヤングが居り、現在でもフランスでは国民的英雄となった彼だが、必ずしも学問の世界ではその業績が正当に評価かされていなようだ。
 これを正すべく、この本を書いたアトキンズ夫妻が、英国ブリストル大学の考古学者であることが何とも素晴らしい。

3)フランス敗れたり 1940年5月10日、ドイツ軍はそれまで7ヶ月対峙を続けていた西部戦線で電撃戦を開始した。陸軍大国フランスはあっけなく敗れ、6月22日独仏休戦条約が調印された。この本の原著はフランスの有名な文化人、アンドレ・モーロア、出版(亡命先のカナダで英語版として)されたのはその年の10月、日本語訳が出たのは同じ年の12月である。歴史的瞬間をその直後に記したものだけに臨場感溢れる記録文学と言える。当時の日本は中国戦線の拡大、ドイツの快進撃に「バスに乗り遅れるな」の掛け声が流行った時期でもある。それもあってこの訳本は出版2ヵ月後の2月には200版に達した大ベストセラーである(最終的には500版!)。その復刻版として2005年本書が出版された。小泉政権末期すでにわが国の衰亡は始まっていた。
 第一次世界大戦で英仏間の連絡将校を務めた筆者は、第二次世界大戦勃発一ヵ月後再度英仏連絡の現役に復帰する。既に作家・評論家として名のあった彼は、チェンバレン、チャーチルやフランス首脳、ダラディエやレノーとも知己である(全て首相)。当時の英仏政治・軍事情勢にこれほど通じていた人はいない。その彼がフランスの敗因を振り返るのである。
 その第一因は、第一次大戦による膨大な人的損出からくる過度の厭戦思想とロシア革命がもたらした国内政治(与党、人民戦線は寄り合い所帯)の混乱に発し、それが国防政策や兵器開発に影響して、勃興するナチスに対する融和的外交政策におよび、守り守りへと追いやられていくところにある。その象徴は、機動力の無い独仏国境沿いに敷かれたマジノ要塞線である。
 第二は、当時唯一の盟友である英国との安全保障に関する齟齬である。フランスは英国の陸・空軍力を当てにするが、英国も余力は少ない。チャーチルは何とか助けようと努力するが、自国防衛を犠牲には出来ない。
 第三の問題は、ダラディエとレノー間にある個人的な角逐、それに絡む愛人たちである。国家の危急時に際してさえ両者の争いは治まらない。意思決定は遅れに遅れ、最高司令官人事さえ影響を受ける。
 このような経緯で、フランスはほとんど主戦力の戦闘を経ずに敗戦に至る。
 筆者は終章に“救済策”を列記しているが、その中で一番印象付けられたのは「世論を指導すること-指導者は民に行うべきを示すもので、民に従うものではない」と言う一言である。文化人が述べたことだけに、その重みは大きい。 復刻版の巻末には、欧州衰亡史しに詳しい歴史学者、中西輝政京大教授の長い解説が加えられている。出版社の意図は、この本の内容を現在の国内政治情勢に反映することであろう。普天間くらいで右往左往する、日本の政治家に一読してもらいたいものである。

4)それでも日本人は「戦争」を選んだ  出版直後(2009年7月末;戦争物の出版が多い時期)本屋で手にとってみた。高校生向けの歴史解説書、筆者は東大文学部教授、出版社は朝日出版(朝日新聞の関係会社と誤解)。「ハハーン また左翼知識人の洗脳自虐史か!」と購入を思いとどまった。12月の本欄を見た友人SGW君からメールが来て、彼の最近読んだ本の一つとして本書が記されていた(薦めてきたわけではない)。彼は思想的には私よりやや右、国を愛する心も熱い。読んでみる気になった。
 東大を始めとする偏差値の高い大学進学者が多い、中高一貫教育校栄光学園歴史部の生徒を対象に冬休み、近代日本史を戦争に焦点を当てて行った集中講義の記録である。日清、日露、第一次世界大戦、満州事変と日中戦争、太平洋戦争の5章建で、各章に一日を費やしたようである。我々の中学・高校時代(高校では日本史は採らなかったが)、これら戦争については、それらがあったことくらいしか教えられていないので、当時と単純比較することは出来ないが、5日間フルに費やしたので中身の濃い講義になっている。
 危惧していた“洗脳自虐史観”もなく、ニュートラルな内容だと感じたし、日清戦争や第一次世界大戦に関しては、いくつかの新知識も得ることもできた(特に、第一次世界大戦の講和会議における松岡洋右の言動;中国におけるドイツ権益を拡大要求するなと言う本省への具申;満州事変に関して国際連盟を退席する勇ましい姿とはまるで異なる人物にみえる)。ただ、日清・日露では、日本の両国に対する過剰防衛反応を説く臭いが無きにしも非ずの感はあった。
 この読後感をSGW君に話したところ、実は巧妙なオブラートに包まれ口当たりを良くしてあるものの、根底に東大歴史学伝統のマルクス・唯物史観(つまり自虐史観)が確り埋め込まれていると、具体的に批判している書評のあることを知らされた。確かに参考文献には岩波始め左翼知識人が依ってきた出版社のものが多い。気になっているのはタイトルの“それでも”である。「戦争まで踏み込む必要も無かったのに“それでも”」と「勝ち目が無いのは分かっていたのに“それでも”」では全く違ってくる。もう一度注意深く読んでみようと思っている。

5)日本人はなぜ日本を愛せないのか 私にもチョッと“日本を愛せない”ところがある。それで読む気になった。筆者は慶大名誉教授の言語社会学者である。言語社会学とは、言語と民族・国家の関係を研究する学問である。
 筆者の問題意識は、グローバル競争の中で日本の生きる道は?そのために日本語をこのままの状態に置いて良いのか!?と言うことである。
 日本文化は中華(遣隋・遣唐使)、ヨーロッパ(明治維新)、アメリカ(戦後)と言う外国文化を取り入れながら独自のものを作り上げてきた。このプロセスで、「外国のものは優れている」というマインドが出来上がっていった。しかし、これらの受け入れは言わば“半透膜”(地理;海、目的;先進文明導入、人;エリート)を透して良い情報しか流れ込まない仕組みの中で醸成されたもので、悪いことも知った上で判断することが大切だ。特に、昨今のように人の行き来や情報交換が便利で大量になった時代は、こちらが阻止しようとしても日本文化に適さない考え方や手法が蔓延していく恐れがある。
 例を種々挙げながら上記のようなことを説明していくわけだが、そこになかなか面白いことが取り上げられている。例えば、英国の動物愛護である。英国では犬の躾はきちんとしており、無闇に吼えたりしないという。しかし、ここには躾の悪い犬は生かしておかない仕組みが出来上がっている。悪い種子は早目に摘んでしまうのである。真の動物愛護とは何か?と筆者は問いかけてくる。
 さらに、これは筆者の作り上げた仮説であるが、ユーラシア大陸に暮らす人々(朝鮮から英国まで)は家畜を生活の中心に置く生活をしてきた。ここでは大量の家畜をどう統御するかが管理者の能力になる。このこととキリスト教の考え方(神を頂点に下等動物まで階層が作られている)が結びついて、ユーラシア人は階層とその管理手法に長けている。それに対して魚介を主蛋白源としてきた日本人はその意識(階層管理)が薄い。欧米中心のこれからの国際社会を生き抜くには、よほどの覚悟とそれに対する対応策が必要だと主張する。
 その中で日本における外来語(特に、カタカナ英語)の氾濫に警鐘を発し(言語社会学の視点から見て、日本ほど安易に外国語を公用語の中に取り込む民族・国家はないと述べている)、ある種の鎖国政策(外国と折衝に当たる少数の超エリート(現在の上級公務員や外交官僚など全く異種の)を養成しこれに当たらせ、現代版出島(地理的にでは無く、組織的に)を作る)を提唱する。
 新鎖国政策については未だ良く消化できていなが、“エリートによる対外国家運営”については、衆愚化する民主主義の対極として、個人的には大いに興味がある。

6)鉄道ひとつばなし-2 前回ご紹介した鉄道文化エッセイの続編である。マンネリ化傾向あり。

7)ウェブを炎上させるイタい人たち
 私のブログは専ら知人・友人向けである。近況お知らせ・お伺いを主旨に書いているので、コメントもメールでいただくことがほとんどである。少々過激と思われることを書いてもそれがエスカレートすることもない。見方を変えれば、広く世の中に影響力のあるものではないということである。しかし、政治家、有名人のブログあるいはツイッターはそうはいかない。内容の誤り、考え方の違い、嫌がらせ、コメントすることによる売名行為などがどんどん書き込まれ、それがまた反論・同情を呼ぶ。企業のホームページにはさらにしつこいクレーマーや販売妨害も加わる。こうして本来の情報伝達が出来なくなるほど混乱した状態を“炎上”という。
 インターネットを最新・最善の社会活動の手段・場所と考える人々(筆者はこれを“ネット原理主義者”と呼ぶ)にとって、ここで存在感を示すことが唯一の自己実現の場である。有名人や大会社ほど相手にしたい。夜も寝ずにPCに向かい、そんなチャンスを虎視眈々と狙っている人間が沢山いるのである。実はただの暇人に過ぎないのに(私も一線を退いて暇が増えたのでブログを始めた)。
 筆者は、このようなネット原理主義者に噛み付かれた時のかわし方をこの本で書いているのだが、それを体験する切っ掛けはこれに先行する著書「ウェブはバカと暇人のもの」(未読)のようだ。原理主義者にとってこれは物申さずにおかれないタイトルだろう。この餌に食いつた原理主義者をクールに分析して、新たな著作を書く辺り、この世界を知り尽くした新人類の趣がある。
 しかし、筆者が本当に言いたかったことは、ウェブを材料に、筆者の世代(団塊ジュニア)がその上のオヤジ世代(団塊世代以上)に感じているやりきれない思いを伝えることである。高度成長を謳歌し、天文学的借金を残し、自分たちだけは退職金・年金を確保して勝ち逃げする(した)世代への怒りの声。「インターネットは彼等が若い世代の不平不満のガス抜き装置として与えたものに過ぎない!こんなものを過度に期待・依存してはならない!インターネットなんかで社会改革は出来ない!そんな狭い世界から脱して、そのエネルギーを自分たちの新しい世界作りに向けよう!」と。

8)ネット帝国主義と日本の敗北  グーグルは後発の検索エンジンだが、いまやマイクロソフトとソフト業界の覇を競うまでになった。私も何かあればグーグルで調べる。百科事典や人名事典は不要である。ブログはグーグル・ブロッガーを利用して作っているし、文書作成機能もグーグルの“ドキュメント”を利用し始めている。PCにワープロソフトが無くてもいいし、PCトラブルで消え失せることもない。何処にいても、ネットにつながったPCさえ在れば自分のアプリケーション(書きかけの原稿から古い文書まで)にアクセスできる。クラウド・コンピューティングの個人版である。
 新聞も日経を除けばインターネットで充分である。NHK、CNN、ワシントンポスト、人民日報(日本語版)、朝鮮日報(日本語版)で最新・海外情報が簡単に閲覧できる。
 孫が来て自室で遊ぶ時はユーチューブで“おかあさんといっしょ”などを動画で楽しむ。書籍の購入も都心へ出ることが少なくなったので、専らアマゾンを利用している。洋書の古本などこれ以外考えられない。
 友人・知人たちとの情報交換はメールだし、旅や食事の予約もほとんどインターネットだ。そこでは楽天やヤフーを利用する。
 すべて無料(フリー)である。
 ただ、音楽のダウンロードはやっていない。その必要をいまのところ感じていないからである。
こんな訳でインターネットなしの生活は考えられないようになっている。しかし、これを動かしているネット関連基本ソフトはほとんど米国製、サーバーと呼ばれる中核処理システムも米国本土に在ることが多い。この仕組みはどうなっているか?無料サービスの費用負担はどうなっているか(誰がその裏で儲けているか)?一朝有事の際どうなるか?これが本書の主題である。
 既存マスメディア(新聞、雑誌、放送)の広告収入激減、音楽や映像、著述作品の不法ダンウンロード(CD販売の激減)など、ネット普及の陰の部分を、データを用いてクローズアップし、グーグルを始めとするプラットフォーム提供業者(アクセス件数で広告収入が違うのでここが圧倒的な取り分を持つ;アマゾンや楽天も同じ範疇)の一人勝ちを説明する。
 筆者は元経済産業省でIT政策などを担当した官僚。文中何度も“既得権益を守るものではない”と主張するが、利権構造の激変に大いに不満なようだ。ただ、音楽・映像の著作権に関わる問題(不法ダウンロード)は同意できるものの、既存メディア(新聞、TV)については必ずしも納得できない。新聞は最強の権力者として、わが国の世論を偏向思想で滅茶苦茶引きずりまわしてきた経緯があるし、TVは昭和30年代大宅壮一に“一億総白痴化”と言わしめたほど低俗なメディアである。これらがそのまま残るような規制が敷かれるならそれは断じて許せない。
 同意できるのは、国家安全保障の見地から、アメリカ一極支配から脱する必要性を訴えている点である。アメリカ政府自身サーバーは本土に設置されていなければならないとしている。この点ではこの本の主張のように、ヨーロッパや中国、韓国(両国でグーグルのシェアーはヨーロッパやわが国ほど高くない)などに見る動きをわが国も探るべきであろう。
 内容とは関係ないが、“……ではないでしょうか”と言う表現があまりにも多い。断言せず、何かあった時には責任を回避できるこの言い回しは、官僚だからだろうか?政治家の“いかがなものか?”同様不愉快である。

9)Tizard  400ページを超える英書。OR起源研究に欠かせぬ書物だったのでノートをとりながら読んだ。従って読了まで半年近くかかってしまった。
 ティザードは第二次世界大戦における英国軍事科学者かつオーガナイザー。彼なくしてレーダー開発とそれを用いた防空システムはなかったし、バトル・オブ・ブリテンの勝利もなかった。それは英国の敗北さえ意味する。
 海軍測量士官の子として誕生。当初は父同様海軍士官を目指すが、目の怪我で断念。奨学金を得てパブリックスクール(ウェストミンスター)からオックスフォードへ進む。第一次世界大戦では志願して空軍の実験航空隊士官(パイロット資格者)。科学者でありながら軍務経験のあるところがのちの活躍につながる。
 紙数の大半は、オックスフォードの研究職を辞し、航空(空軍)省防空科学委員会委員長(通称ティザード委員会)就任から第二次世界大戦終了までに割かれている。なかでもチャーチルとその科学技術顧問、リンデマンとの葛藤が、多くの手紙や議事録などを基に詳述される。他の書物では対立ばかりが目立っていた両者の関係の中にも、ここでは共感する部分があったり、この対立を外に出さぬ努力が両者の間で行われることもあったことを知った。
 チャーチルが首相となると婉曲に要職から遠ざけられるのだが、それでも彼の助けを求める声はあちこちで起きる。インペリアル・カレッジの学長を務めながら、それ等の激務をこなしていく。本当に軍事科学が好きなのだ。
 文献に基づく研究の常だが、この本を書くための膨大な参考文献(16章から成り、一章に15~20引用・参考文献がある)にも当たってみたいものが多々ある。
 次なる出発点となる書と言ってもいい。

以上

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