<今月読んだ本>
1)時のみぞ知る:第1部(上、下)(ジェフリー・アーチャー);新潮社(文庫)
2)護衛空母入門(大内建二);光人社(文庫)
3)鉄炮伝来(宇田川武久);講談社(学術文庫)
4)中国の強国構想(劉傑);筑摩書房
5)Kesselring(Kenneth Macksey);Greenhill Books
6)ツール・ド・フランス(山口和幸);講談社(現代新書)
<愚評昧説>
1)時のみぞ知る:第1部(上、下)
著者は英国を代表する現代流行作家で、多くの訳本が出ている。しかし取り上げられる対象がチョッと私の好みからは離れているので、読んだのは、本欄でも紹介した、史実に基づく、エヴェレスト登頂を描いた「遥かなる未踏峰」だけである。この時は“歴史”に惹かれた。今回読むことになったのは舞台が
“ブリストル”だからである。
英国人とはビジネスマン時代何人も知人が居たがそれらは全て石油かIT関係者だった。そんな中で唯一仕事がらみではない友人は、カリフォルニア大バークレー校の短期MBAコースに参加したときのクラスメイトである。2007年OR歴史研究のため渡英した際、ブリストル在住の彼を訪ね、家族ぐるみの歓迎を受けるとともに、市内を丁寧に案内してもらった。
「目の前の大きなビルはブリストル大学。息子はここを卒業したんだ」「ここら辺は産業資本家が居を構えていた地区。今ほとんどがオフィスとして使われている」「向こうに見えるのはエイボン・ゴージュ(峡谷)。19世紀に作られたつり橋、クリフトン橋は今でも使われている」「これはガボットの像。コロンブスが達したのは北米大陸ではない。ガボットこそが、その数年後ここを発って初めて大陸に足跡を残したのだ(1497年)」。時代は違う(本書は1920年代から話しは始まる)とはいえそのブリストルが取り上げられるので、読んでみる気になった。
ブリストルは英国中西部にある古い歴史を持つ港町。それゆえ造船業が早くから栄え、その後航空機や自動車産業でも英国を代表する企業が生れてくる(今でもロールス・ロイスのジェット・エンジン工場はここに在る)。地理的にロンドンから鉄道で西に2時間足らずのところにありながら、海を隔ててアイルランドがあり、北の方はウェールズに接するので、人種・宗教ではチョッと複雑な所である(私の友人も、生まれ育ちはイングランド中部だが、先祖はアイルランド人、夫人はウェールズの出身で、家族は皆カソリックであった)。これに階級が絡むのが英国社会だから、英国人の人間関係は日本人には解り難いところがあるといわれる。この小説は当にその“階級”をテーマにした大河小説である(読んだのは第1部のみ、英国では既に第3部まで発刊されており、それで完結する)。
主人公は父親のいない少年(第一次世界大戦で戦死したと教えられている)。今は母とその両親(祖父母)、それに母の兄(伯父)と暮らし、生活は造船所で働く伯父に依って支えられている典型的な下層労働者階級の家庭である。母の考えで初等教育学校に入学するが、学問に興味は無く、早く伯父同様に造船所で働くことだけを願い、勉学には力が入らない。しかし、教師は彼の高い学習潜在能力を見抜き、地区教会牧師と相談して、大教会付属の進学校へ進む計画をすすめる。決め手は類まれなボーイ・ソプラノの美声である。この学校には聖歌隊隊員としての特待生制度があるのだ。こうして少年は突然上流階級社会に放り込まれる。嘲笑・いじめ、それを庇う上流階級のクラスメイト(造船所経営者の子)。
母が犯した結婚直前の過ち。父の死にまつわる隠された事実とそれを封印しようとする関係者。伯父の窃盗容疑と投獄、それによる収入の途絶。苦境を切り抜けるための母の才覚。やがて変声期を迎えた少年の更なる上級学校(グラマースクール)進学への障害。数々の難題を何とか乗り越えながら、ついにオックスフォード大学へ入学する。グラマースクール時代に親しくなる女性(上流階級出身の親友の妹)との恋そして結婚。しかし式典の場で牧師の同意を求める問いかけに思いもよらず“No!”と応える、複雑な過去を持つ庇護者の老人。それには彼の誕生の秘密が深く関わっている。そんな中欧州の戦争はそこまで迫ってきている。エリートは率先して軍を志願、彼はブリストル育ちなので海軍を希望する。資格取得のため乗り込んだ貨物船はUボートに撃沈されるが・・・。ベストセラーを連発する作家の筆さばきはさすがに見事だ。それに友人が案内してくれたブリストルが重なる。アッという間に2巻を読み終えた。第2部、第3部の出版が待ち遠しい。
2)護衛空母入門
第2時世界大戦において戦略兵器となった航空機・戦車・潜水艦についてその発達史を、技術・生産、戦略・戦術、組織・人の面から調べ、経営におけるIT利用推進に生かす方策を探る手立てとしてきた。中でも航空機は、中学・高校時代航空エンジニアを夢見たこともあり、最も早くから知識を集積してきた分野である。工場におけるシステム部門の組織運用、本社における情報システムの分社化などで、ここから学んだことが大いに生かされたと今でも信じている。
航空機の戦略性に早くから(第一次世界大戦前)注目したのはイタリアのドーウェ将軍で、その空軍戦略論はトレンチャード(英)、ミッチェル(米)と受け継がれ、第三の軍種、空軍誕生へと発展していくが、その思想は戦略爆撃論であり、専ら大型長距離爆撃機を中心とした考え方である。しかし、海洋国家ではもう一つの戦略兵器、戦艦に代わる機能を航空機に託す考え方が芽生え、それが現実となるのが空母を中心とする機動部隊である。真の戦略システムとして機動部隊を発足させ整備・運用・発展させたのは事実上日・米のみで、英国は早くから空母を所有したものの、艦隊(本国艦隊、地中海艦隊など)に分散配置、シーレーン防衛システムの一要素として位置付けてきた。米国は太平洋戦線では日本を相手にするため、攻撃型だが、大西洋では英国の強い要請で防御型の空母運用に専念、全体としては攻守二つのタイプを持つことになる。しかも太平洋戦争後半、島嶼を攻め上がる米軍の攻撃力の一端をこの護衛空母が担うことになり、防御兵器を積極的に攻撃兵器に転じていく。
本書が取り上げる護衛空母とは、当初このシーレーン確保・船団護衛用に開発された空母で、既存の商船(貨物船・貨客船・客船)を大改造(新造の場合も基本設計は戦時標準貨物船)して作られた小型空母である。兵器としては本格的なものでなく、戦果も地味な上に、特に日本ではシーレーン防衛の考え方が終戦直前まで極めて希薄で、護衛空母と明確に分類されることも無く(当時の造船将校福井静雄著「日本空母物語」によれば“商船改造空母は護衛空母にあらず”としている。大鷹、神鷹など“鷹”のつくのが客船改造空母)、その存在が正しく理解されているとは言い難い。
制式空母と改造空母はどこが違うか。軍艦か商船かという根本的な違いを一先ず置くと、後者は前者に比べ、小型・低速であることが挙げられる。しかし、大きさに関しては初期の制式小型空母(例えば龍驤;飛行甲板の長さ;160m)と大きな違いはない。問題は速度である。米国の戦時標準貨物船改造の場合速力は概ね18~20kt(130~150m)、日本の客船(日本の場合、貨物船からの改造は皆無)改造空母は21~23kt(概ね180m)程度である。これに対して制式空母は、前出の龍驤で29kt、赤城31kt(190m)、瑞鶴34kt(240m)と大きな差がある。風上に向かって全速で走り、艦上機を飛び立たせる。これが空母運用の基本である。スピードが遅いほど制約は多くなる。ここに掲げた数字だけから見れば米国の護衛空母は最も非力に見える。しかし、技術力でこれを補い77隻(一部は英国に貸与)もの改造空母が大西洋、太平洋で活躍した。
決め手はカタパルトである。カタパルトは発艦加速装置で、火薬式のものは日本も実用化していたが、これは搭乗員・機体への衝撃力が強く、低速でも飛べる水上偵察機を戦艦・巡洋艦などから打ち出す程度で、重い艦上攻撃機や艦上爆撃機を飛び立たせることは出来ない。米国が採用したのは油圧式(日本はこの油圧技術が未熟だった;特に高圧オイル・シール技術。英国の独自開発護衛空母にもカタパルトは無く、旧式の飛行機を利用したが、潜水艦や哨戒機が相手なので効果はあった)、これなら加速の度合いを滑らかに増加させることが出来るのでショックが少ない。高速化・大型化する新鋭機を低速で短い飛行甲板の護衛空母から発進させ、Uボート発見とそれを爆雷攻撃する“ハンター・キラー”システムが出来上がっていく。護衛空母就役と伴に商船の被害は大きく減じ、やがて大陸反攻に転じていく。
本書は、米・英・日の商船改造空母を、誕生の背景、商船建造の諸施策、改造方法、運用方法、実戦例などから解説したもので、“入門”とは言え護衛空母の全てを網羅しているので、全体システムの理解に役立つものであった。
3)鉄炮伝来
人との待ち合わせ時間に少し余裕があったので駅ビルにある書店で潰すことにした。ふと文庫本コーナーに平積みされた本書の帯に目がいった。“新兵器”“戦場を一変”に惹かれて手に取った。わが国への鉄炮(どうやら古くは“砲”ではなかったようだ)伝来とその後の普及を扱った“学術研究書”である。
1543年(憶え易い年号だ)種子島に漂着したポルトガル船に依って齎された。これが中学の時日本史で習い、今まで持ち続けてきた“鉄砲伝来”に関する唯一の知識である。多分標準的な日本人も同じであろう。本書はその広く信じられてきた説を覆す、著者の研究結果をまとめたものである。
本書によれば、鉄炮伝来には①ポルトガル伝来と②中国伝来の2説が長く研究者の間で論じられ、争われてきたとのことである。①は薩摩島津氏に仕えた禅僧南浦文之(なんぼぶんし)の著した「鉄炮記」に書かれ、そが鉄砲伝来の唯一の記録であるため、肯定的に引用されてきた。しかし、書かれたのが遥か後の慶長11年(1606年)であり、時代が経ちすぎて信憑性を欠くとしている(これ以外にも当時滞日した宣教師の残したもの、母国にある遭難船の記録なども参照しながら)。②に関しては詳しく書かれていないが「中国・朝鮮伝来説は古くからあるものの、何も記録が残っていない」とし、大正時代これを唱えた長沼賢海説を別の研究者の批判を援用して「私は賛成しない」と結論付けている。
では宇田川説はどのようなものか。一言で言えば“倭寇介在説”である。ただここで言う倭寇は我々が日本史で習った、朝鮮半島から中国沿海部を荒らし捲くった日本の海賊とは少し違う。構成員は中国人が主体で、“真倭”と呼ばれる日本人も多く、出身地は、九州各地、摂津・紀伊・和泉など早くから海外貿易を手がけていた地区、それに東南アジアに進出していたヨーロッパ人や南洋人も一部加わって、当時中国では禁制の海外貿易を行っていた集団である。その中心地は浙江や福建だが、豊後・薩摩・肥前などと盛んな交流があったという。この倭寇貿易を通じて、鉄炮が九州のみならず堺などに齎されたとするのが著者の伝来論である(当時の朝鮮王朝から明政府への古文書を論拠にしている)。
この“伝来”以降の鉄炮の普及は当然のことながら西から始まり東へおよんでいく。もはや刀槍の時代でなくなるのは戦国時代。織田・武田が激突する長篠の合戦は織田の鉄炮戦術が大勝利をおさめたことで有名だが、戦術よりも数であったことを著者はクローズアップし、敗れた武田はその後鉄炮調達にまい進する様を何度も語る。
秀吉の朝鮮征伐では火器(大砲を含む)使用において優れた遠征軍の戦いぶりを活写する。当時の朝鮮軍は火箭(原始的なロケット)しか持っておらず、火縄銃の開発に腐心し、技術導入・修得のために捕虜優遇策さえ試みる。これに成功した後遠征軍が苦戦するようになる。何やら現代の日韓関係(造船・鉄鋼・半導体・家電)に似た現象を髣髴とさせる。
大阪冬の陣・夏の陣では両軍膨大な鉄炮(で戦うが、特に徳川家康はそれに熱心で、夏の陣では大型砲;石火矢を大量に投入して圧勝する。東軍に参加した伊達軍だけで3400挺、上杉軍1400挺にのぼる。当時の日本が如何に銃炮重視の戦いをしていたかが分かる。当然のことながら鉄炮鍛冶が重用され、火薬製造は秘術とされる。また砲術武芸が栄えていく。しかし、徳川が天下を取るとその使用は厳しく制限され、衰退の一途を辿ることになる。
著者は国立歴史民俗博物館名誉教授。武器の歴史研究を専門にしている。最終章(第八章)では日本鉄炮研究史をまとめ、その体系化が著しく遅れていることを指摘している。まだまだこの分野の研究課題が多いこと言うことだろう。いままで読んだことがなかったが、“学術文庫”はなかなか奥の深いものであることを知った。
4)中国の強国構想
解放経済の一応の成功で中国の存在感が一段と高まってくる中で、中国脅威論が各方面で論じられるようになってきた。特にわが国では2010年9月の尖閣諸島における漁船衝突事件以降、“脅威論”の出版物は汗牛充棟と言ってもいいほど書店に溢れている。それだけに玉石混交で、よほど確りチェックしないと、針小棒大・羊頭狗肉に振り回される恐れがある。
この本を手に取ったのはやはり“強国構想”に惹かれたからだ。次いで著者名が明らかに中国人と思われたからである。しかし、何故訳者名が無いのだろう?著者略歴(一部は本書外から入手)を見てその理由が分かった。1962年北京生まれ、10歳から日本語を学ぶ。1982年北京外国語大学日本語科在学中東大へ留学。歴史学で修士・博士(文学博士;専攻は近代日本政治外交史)を取得。現在早稲田大学社会科学総合学術院教授。この間、中曽根康弘賞や大平正芳賞などを受賞している。つまり日本語を母国語同様に使える歴史学者なのである。
本書の内容は、一言で言えば“近代中国政治外交史”である。清朝末期、アヘン戦争(1840年)・第2次アヘン戦争(アナン戦争)・ロシアの満州支配・日清戦争で列強に侵食されるところから始まり、義和団事件、孫文の辛亥革命、蒋介石の国民党政権と汪兆銘南京政権、毛沢東の共産党政権と文化大革命、鄧小平の解放経済政策による大変容を経て世界第2の経済大国となった現代に至る170年の歴史を、国内政治と外交(とりわけ日中関係)に焦点を当てて解説していく。そしてこれらを通じて、何故中国(人)は大国を願望するのか、それはどのようなものか、実現の課題は何か、それらは解決されるだろうか、を提示していく。
取り上げられる歴史的な出来事;革命、政変、戦争・内乱などは一般の日本人にも馴染みのあるところだが、当然中国人の立場で自国の歴史をみることとの違いは随所に存在する。そこに援用される情報もまた出所が中国側のものが多く、初めて知らされることも多い(例えば、三国同盟に関する駐仏大使顧維欽の分析と中国の採るべき政策)。さらに、この170年間の中国の政治外交が如何に日本を意識して動いてきたかは、我々が考える以上に根が深い問題であることも本書で初めて教えられた(著者の考え方に賛成という意味ではなく)。
日中問題の根底にあるのはやはり“中華思想”である。この世界観は中国を中心に曼荼羅のように外縁に広がっていく、東アジアだけが世界との前提で成り立っている。従ってヨーロッパに負けたこと(アヘン戦争)やロシアの満州侵攻は世界秩序の変化ではなかった(元(蒙古)、清(女真)も漢民族王朝ではないが、広義の中国としている)。しかし、日清戦争の敗北はこの2000年にわたる中華秩序の崩壊であり、当時の中国社会に驚天動地の衝撃を与え、一気にプライドが失われ、弱小国家・国民に堕してしまった(著者はこれによって日本を責めているわけではなく、むしろそのショックの大きさを伝えようとしている)。対華21か条、満州国建国、日中戦争といろいろ反日の材料はあるが、根はこの中華秩序の崩壊にあるのだというのが著者の見方である。
版図回復以上に、この大国としての失われたプライドを回復したい(必ずしも対日だけでなく)、これが強国構想の根底にあるのだが、その実現には経済力や軍事力以上に大きな課題がある。周恩来の掲げた「四つの近代化;工業、農業、国防、科学技術」は実現しつつあるものの、「人間の近代化」無くして真の大国たり得ないということが最近一部でいわれだしたことに著者は注目し、「(農村社会の観念から脱した)市民社会」「協力」「寛容」などの概念が組み込まれた社会の出現に期待をかけている(共産党一党独裁でこれが実現できるか?法治よりも正義(対立軸を作って直ぐ白黒を論ずる・行動する)を重んじる民族性が変わるか?(「不平等条約といえども約束を守りながらそれを改定していくのが国際ルール」などと言おうものなら「漢奸(売国奴以上に悪い言葉)」と罵られ、社会から葬り去られる。国家の指導者もこう呼ばれることを最も恐れる)の疑問を提示しつつ)。
読んでみて、極めてニュートラルな歴史観と感じた。しかし、(著者も必ずしも肯定的に捉えていないが)連綿と続く“中華思想”は、現代の世界にそぐわず、周辺国のみならず、中国自身のためにも変化が必要と感じるのは私だけではあるまい。
蛇足:あとがきによれば、本書の企画は5年前、尖閣諸島問題発生以前である。それまで発表してきたいくつかの論文を合体・加筆修正しながら出来上がっている。従って、現時点の喫緊の話題、尖閣諸島については手短に「尖閣諸島(中国名魚釣島)問題の基点は日清戦争が終戦した1895年であることを考えれば・・・」との記述があるだけである。この短い一言が持つ意味は大きいが、それ以上掘り下げた解説は無い(著者は歴史学者だから、これを裏付ける論拠を持っていると思われるが)。これが一般の中国人の考え方なのであろう。
5)Kesselring
ケッセリング、第二次世界大戦の欧州戦線にかなり詳しい日本人でも、この名前を知る人はあまり居ないのではないだろうか。
バイエルンの商家を先祖に持つ職業軍人(最終は空軍元帥;ヨーロッパ南部戦域総司令官)。プロシャのユンカー(郷士)出身者が多かったドイツ軍では異色のバックグランドである。第一次世界大戦では砲兵将校から参謀本部勤務となる(既にドイツ劣勢になっている)。この時期本部のデスクワークに専念せず、しばしば前線へ出かけ、本来の参謀任務を逸脱する行動をとるものの、危機回避に活躍し注目される。敗戦後のヴェルサイユ条約で存続する小規模な国防軍に残ることを許され、ドイツ国防軍再建の父とも言われるフォン・ゼークト将軍の薫陶を受け、密かに進められる近代化で新兵器を学んでいく。特に空軍創設準備でゲーリングとの関係が強まり、ナチスが政権を獲ると重用され、遂に空軍参謀長のポストに着く(自身は、多くの国防軍将官同様ナチス党員ではない)。組織上の上司はゲーリングとヒトラーのみと言う地位である。
しかし、極めて地味な将軍だったから、関連出版物は少ない。本書を見つけたのは、現役時代しばしば滞在したサンフランシスコ、ユニオン・スクウェアに在ったボーダー書店(大規模ブック・チェーン、電子本の普及もあり倒産した)の広いスペースを占めるミリタリー・コーナーである。ここは私にとって宝の山だった。
この人物に著者(英国の軍人出身作家)が着目するのは;北アフリカ・ヨーロッパ南部戦域において①実質的に(形式的な意思決定責任者としてではなく)三軍(陸・海・空)を指揮した総司令官、それも空軍出身、②外交関係が複雑で作戦計画実施に問題の多かったドイツ・イタリア連合軍の実質的な総司令官(形式的にはムッソリーニの下でイタリアの将軍にかなりの権限が付与されているが)、そして③守り(特にイタリア戦線)に関して連合軍を最も苦しめた戦いの巧妙さ(単に敵に対してだけでなく、ヒトラーや参謀本部の退却拒否を巧みに説得するところも)である。加えて、戦争裁判(戦域司令官のためニュルンベルクではなく、パルチザン処刑に絡んでヴェニスで行われる。山下奉文がマニラで裁かれるのと同じ形)においてその戦い方が正々堂々(騎士道に適う)としていたことを英軍から評価され、死刑を免れた(無期懲役;のちに恩赦で収監は7年で済む)ことも執筆動機の因子だったようである。
基本的には彼の生い立ちから死に至るまでを描いた伝記であるが、上記の三つのテーマを探る形で書かれるので、純然たる戦記や戦史と違い、教育・人格形成・人生観・人間関係に視点を据えている。従って、読みものとしての盛り上がりを欠くが、真に優れた軍事指導者は、実はこんなタイプではないのかと考えさせられる内容である。
先ず、政治や出世に極めて淡白である。第2次世界大戦勃発前、空軍参謀総長の時、空軍次官のミルヒ将軍との間で主導権争いが起こると(二人とも上官はゲーリング)、そのポジションを自ら降りて、一航空艦隊司令長官として実戦部隊に出てしまう。第二に、当然のことながら任務・命令には極めて忠実である。ただし、その進め方は極めて現実的かつ巧妙で、“死守”命じられても、上位命令者(ヒトラー、ムッソリーニ)の面子や機嫌を損なわない形で“撤退”作戦にしてしまう。また、戦争末期ヒトラー暗殺計画(ワルキューレ)への加担をそれとなく誘われるが断固拒否、ヒトラーの忠実な下僕と見做される。第三に周辺の人間関係を出来るだけ円満にしようと努力する。先のミルヒの他に北アフリカの英雄、ロンメルとも戦略・戦術を巡りしばしばぶつかる。ヒトラーの寵愛を受けていたロンメルは直訴さえするが、ケッセリングは自分の面子は捨ててでも、関係改善(と見せつつ自分の思いを実現できる)策を講じていく。第四に軍事面では前線の要求(補給要請)に応えることに傾注する。これにはヒトラーの信頼と人間関係への配慮が相俟って、比較的スムーズに進み(絶対量は不足だが)、実戦部隊から高い評価をうける。第五は、目立つことを嫌う性格である。この点ではロンメルと対照的、ゲッペルス宣伝相とも相容れない。
このような資質はどのように育まれたのだろう?著者は、古い商家の家系(彼の父親は教育者だが)、負け戦(第一次世界大戦)における下級参謀将校としての苦労、新生国防軍成長期におけるゼクート将軍の指導(特に、新兵器を用いた用兵;既存の考え方・縄張りを取り払う柔軟な発想。だからと言って奇抜でない)、などをその要因として挙げている。
こんな人は民間企業でも出世すること必定!との感を持った。
6)ツール・ド・フランス
1903年に始まった世界最高峰に位置する自転車ロードレース。戦争による中断もあり今年は第百回の記念大会、昨日(6月29日)ナポレオンの出身地コルシカ島南端、ポルト・ヴェッキオをスタートし、七つの世界遺産を巡り、彼がアゥステルリッツ会戦勝利を記念して作らせたパリ・凱旋門を目指す3400km、23日間の戦いが始まった。
このところ興味のある乗り物旅行記を見かけない。何か面白い本は無いか?こんな気分でいる時、この時期を狙っていたのであろう、本書の広告が新聞に載っていた。自転車は持っていないし、サイクリングや自転車レースにも全く関心は無い。しかし“フランス自転車旅行記”として読むのもいいかも知れないと考え購入した。読んだ結果は期待以上だった。
動機はスポーツ新聞の販売拡大のためだった。変速機も無い自転車で、パリ郊外をスタートしてフランスの町々を廻る2428kmのレース、ゴールもパリ市内ではなかった。優勝者は煙突掃除人、平均時速は25.7km(現在は40kmを超える)。しかし、新聞販売拡大策は大成功、ライバルに大差をつける。年々関心が高まる中で主催者は、タイムレース、ポイント制、山岳賞など各種スペッシャル・ステージや賞を設け、ルールを変えて、レース人気を煽る。スタート・ゴールは凱旋門になり、距離も5000km(現在は3500km前後)を超えるところまで延びる。
現在のツール・ド・フランスはチーム参加に限られる。参加チーム数は22(1チーム9人編成)の決定は、実績を基に国際自転車競技連盟が18チームを選ぶ。残る4チームはワイルド・カードと呼ばれ主催者推薦となる。ここは主催国のフランス・チームが選ばれることが多いようだ。チーム参加だがチームの中には序列があり、エースとそれをサポートする役割を担う者から成る(エース以外はステージに依って役割が変わる)。優勝は個人、総走行時間が最短の者が選ばれる。しかし、賞金は9人の選手全体で均等に配分される(個人優勝賞金は約7千5百万円)。
レースの面白さを文面から味わえるのは、なんと言ってもフランス・アルプスとピレネー山脈で繰り広げられる山岳レースだ。標高は2000m級の峠がいくつもあり、10%を超える急坂を昇り、下るのだ。昇りも大変だが下りのスピードは100km近くに達する。時には異常気象で雪の中を、また熱波で平野部でも多数の死者が出た暑さの中を激走していく。TVもここは最も視聴率が高くなるようだ。山岳ステージ優勝者は白地に赤い水玉模様のジャージ(マイヨ・ブラン・アポワルージュ)を誇らしげにまとう。山ではコロンビアやスペイン・バスク地方など高地居住者が強い。
この過酷なレースの総合優勝を5回もした超人が4人いる。3人はフランス人、あと一人はスペイン人だ。しかし、1999年から2005年にかけて米国人のランス・アームストロングが前人未到の7連勝を達成し、最多記録を塗り替える。一流のレーサーながら1996年患った睾丸癌を克服しての最初の勝利にフランス人は喝采を送った。しかし、連勝するうちにドーピング疑惑が噂されるようなるが判定はいつも白。その後はさしたる成績は残せず、2011年には引退する。昨年10月、執拗にこれを追及していた米国のアンチ・ドーピング機関が遂にドーピングをつきとめる。彼もそれを認め、自転車競技界からの永久追放、全ての記録は剥奪される(繰上げ優勝は無し)。
変速機開発におけるシマノの貢献、日本人選手の参加(1926年に在仏日本人が参加している。最近はチームのメンバーに入る日本人選手も出ている;100位以下だが)など日本との関わりも紹介されている。ツール・ド・フランス話題満載の本書はレースを楽しむ格好のガイドブックだ。
著者は自転車専門誌の記者を長く続けた後、スポーツ・ジャーナリストとして独立、単独でこのレースを毎年取材し続けてきた人。フランス語(仏文専攻)に通じており、情報にダイレクト観、鮮度が感じられるところがいい。
フランス人選手が優勝したのは1985年が最後、今年はどうなるか?にわかファンとして毎日レース展開を調べてみよう(本日(6月30日)よりNHKBS1で18:00から毎日放映)。