2017年7月11日火曜日

決断科学ノート;情報サービス会社(SPIN)経営(第3部;社長としての9年)-22


10.横河電機傘下になって-2
19987月東燃から横河電機に株式譲渡される前後までを縷々書いてきた。これ以降“横河電機傘下”となるわけだが、このテーマでもう一話つづけて、あとは個別のタイトルにしたい。書いておきたいことは、譲渡の最大の動機付けとなったETSと横河グル-プ子会社経営についてである。
ETSEnterprise Technology Solutions)は1997年秋に打ち出された新経営戦略である。横河のビジネスは長く自社開発ソフトウェアを含む工業用計測・制御システムをプロセス工業に提供することであった。しかし、バブル経済崩壊後国内における大型設備投資は完全に頭打ちになり、製品需要は古いシステムの置き換え主体に転じてきていた。この経営環境変化に対応するために計測・制御システムを取り巻く経営課題を各種サービスで補完し、売上・利益規模を維持・拡大していこうというのがその狙いである。おそらく自社汎用コンピュータビジネスが完全に行き詰ったIBMCEOとしてガースナー(1993年~2002年)を外部から招聘し、ドラスティックな経営改革(“ソリューション”を掲げて)を成功させていたことに、触発されたものであろう。譲渡先第一候補となったのもこのソリューション提供に力になれると考えたからである。
しかし、グループに加わりETSビジネスの実態が分かってくると、どうも経営陣が鳴り物入りでユーザーに向けて喧伝していたほどに力が入っていない感じを強くした。「ETSって何なんですか?きちんとコンセプトや戦術を整理しないといけないんではないですか?」と担当役員に問うても明快な答えが返ってこない。挙句「もうそんな段階ではない!とにかく顧客は種々経営課題を抱えているのだから、それに対応するサービスを売り込むのだ!」とまで言われてしまう。ETSがアナウンスされてから我々が加わる約10カ月間の間何をやってきたのかを聞いてみると、社長以下役員や各部門リーダーと営業担当者が顧客とサービス提供者に分かれてロールプレイを重ねてきたのだという(ビジネスごっこ)。IBMとは大違いである。
IBMの最も大胆な改革は、自社製品しか売れないベテラン営業を大量リストラ(早期退職優遇制度など。IBMの有能な営業マンは国内外で引く手数多)することと他社製品を取り扱うところから始めているのだ。営業を変えなければ、課題解決サービスを提供できるかどうかも判断できないし、値付けなど全くできない。一応それが出来ていたのは、子会社の一つ横河システムサービス(YSV)が行っていた計測・制御機器(他社製品を含む)のメンテナンスサービスくらいであった。結局SPINは独自の営業部門を持ち続けることになる。
次は子会社・関係会社である。我々が横河に身をゆだねることになった理由の第二は雇用の長期保障である。この点では譲渡以前から経済誌などを通じて、定年後や中途入社者を活用するいくつかの施策が話題になっており、そのための子会社なども紹介されていた。
グループ入りして半年、12月に子会社社長を対象にした研修会が泊まり込みで開催され20社近くが集まった。とにかく子会社が多いこと、同じような機能の会社が何社もあること、にまず驚いた。参加者の多くは本社に籍があり、課長か若手部長クラス、いずれ本社に戻ることが前提で今のポジションにあるようだった。また、売り上げの大部分はグループからである。これは東燃とは全く異なる。課長クラスが役員になることなどあり得ないし、非常勤には出向者もいるが、常勤役員は退職して子会社に移るのが原則である。つまり片道切符である。当然のことだが顧客を外に広げ、それで経営が成り立つことが必須である。この研修会で密かに感じたのは「まるで会社ごっこじゃないか」と言うことであった。
この二点、ETSと子会社経営、に関する違和感は結局2003年退任するまで持ち続けることになる(問題提起や提言・進言はしてきたので別途どこかで取り上げたい)。


(次回;美川社長の死)

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