2021年9月30日木曜日

今月の本棚-158(2021年9月分)

 

<今月読んだ本>

1)幻の本土上陸作戦(NHK取材班+中津海法寛);祥伝社(新書)

2SubmarineTom Clancy);Berkley Books

3)ドイツ最強撃墜王ウーデット自伝(エルンスト・ウーデット);光人社(文庫)

4)文化史よりみた東洲斎写楽(岡林みどり);清水書院

5)最後の読書(津野海太郎);新潮社(文庫)

6)深夜プラス1(ギャビン・ライアル);早川書房(文庫)

 

<愚評昧説>

1)幻の本土上陸作戦

-原爆7発を用意した本土上陸作戦の詳細を詳らかにする-

 


1963年(昭和38年)115日(成人の日)、南国和歌山でも珍しく小雪のちらつく日、私はこの日ハリウッド映画「史上最大の作戦」を天王寺で観た。何故こんなに詳しく覚えているのか?前年4月に東亜燃料工業(株)に入社、9月に本採用となり和歌山工場計器係に配属され、そこで3カ月過ぎたので初めての宿直を担当させられた明けの日だったからだ。寮の先輩たちと遠路天王寺まで出かけ公開されたばかりの超大作を堪能した。

戦争映画ファンとして振り返ると“上陸作戦”と言うのは見せ場を作り易いのかもしれない。古いところでは「硫黄島(いおうじま)の砂」(1949年;ジョン・ウェイン主演)、「アンツィオ大作戦(イタリア半島上陸作戦)」(1968年;ロバート・ミッチャム主演)、最近では「プライベート・ライアン(ノルマンディー上陸作戦)」(1998年;トム・ハンクス主演)、「硫黄島からの手紙」(2006年;クリント・イーストウッド監督)などを観ている。

確かに戦史上もドラマティックな実話が多い。最強と言われる米海兵隊は、太平洋戦争まで植民地・保護国(主として中南米)における反乱鎮圧部隊程度の評価しか得ていないのだが、太平洋を北上するにつれ島嶼作戦に欠かせぬ存在になっていく。サイパン島攻略では攻撃部隊の司令官ラルフ・スミス陸軍少将が進撃の遅れで上官の海兵隊中将ホランド・スミス(デビル(悪魔)・スミスと仇名される猛將;最終階級大将)に解任され、そのホランドは硫黄島任務部隊司令官を損害の多さ(戦死者は日本の方が多いが、戦死・戦傷者総数では米国の方が多い)から解任され、沖縄戦に参加すらせてもらえない。日本軍相手の上陸作戦が制空・制海権を完全に握った米国に如何に厳しいものであったかをうかがわせる出来事でもある。原爆開発が一部の政治家・軍人にしか知られておらず、かつその成否が見通せない段階で、日本制圧は本土地上戦しかないと考えたのは守勢の日本ばかりではなく米国も同じだったのだ。ここで計画されたのが本書の主題「本土上陸作戦」である。

本書のベースは2020815NHKBS1で放映された「果てしなき殲滅戦~日本本土上陸作戦に迫る~」であり、著者はその担当者である。平成17年(2005年)丁度終戦60年の入局、沖縄→東京→鹿児島と勤務しており、前記番組担当時は鹿児島局所属である。本書の内容は番組概要と取材経過をまとめたものである。それまでの“本土上陸作戦”物が日本側の対応に主眼が置かれていたのに対し今回は米側(公開された公文書や作戦関係者の研究者へのインタヴューなど)の情報に基づくところに違いがある。

作戦概要は以下の通り;

作戦名(実施予定日):主作戦名ダウンフォール作戦(日本殲滅作戦)、構成作戦;オリンピック作戦(九州上陸作戦、実施予定日;1945111日、兵力;76万名)、コロネット作戦(関東上陸作戦、実施予定日;194631日、兵力;102万名)。作戦書完成日;1945528日。本書はこの内オリンピック作戦を取り上げたものである。

オリンピック作戦の規模:兵力76万名(沖縄戦は54万名)、初日投入兵力38万名(ノルマンディーは約16万名)。船舶(上陸用舟艇、輸送船、貨物船、護衛艦)1318隻、空母32隻+護衛艦、車両13万台、いずれもノルマンディーをはるかに上回る。

オリンピック作戦概要:鹿児島県川内市と宮崎県都農(つの)を結ぶ線の南側を完全制圧。直ちに飛行場建設にかかる。前哨戦として鹿児島・宮崎の都市・村落徹底空爆破壊(機銃掃射を含む)。ここでは原爆の戦術利用(7発確保の可能性)、地下壕無力化(毒ガス弾の利用)なども検討されている。これを正当化する理由は、硫黄島や沖縄戦における日本軍の頑強な抵抗(特に地下壕を利用した)、中国における日本軍の毒ガス利用、“一億玉砕”のプロパガンダが「日本に一般市民は居ない」ととられる。

作戦(前哨戦)の検証:戦後の日本側分析例;突出する鹿児島県への爆弾投下量(2283トン、2位長崎県(原爆を除く)は835トン。圧倒的に多い鹿児島県の地下壕数1700ヵ所(2位広島801ヵ所)。

米国指導部の考え方;積極推進派は陸軍特に参謀総長のマーシャル大将(原爆の戦術利用、毒ガス使用)、マッカーサーも上陸作戦決行を望む、海軍のキング作戦部長は大反対(海上封鎖主体)、トルーマン大統領は米軍死傷者ミニマムを切望(それまでの欧州を含む戦死傷者は3年で15万人、本土作戦だけで13万人を予測)。紆余曲折しているうちに原爆投下で戦争は終わる。

コロナ禍での取材は難渋を極め、米国における情報収集分析は契約のリサーチャーを利用したり、研究者との対話はリモートで行ったりして番組を作り上げている。その中にはヴァジーニアに在るマーシャル記念館における本件に関するマーシャルの肉声録音(戦後)発見などもあり「さすがNHK」の感で読み終えた。

 

2Submarine

-「レッドオクトーバーを追え!」で世界的テクノサスペンス作家の地位を不動にしたトム・クランシーが案内役を務めるロサンゼルス級原潜のすべて-

 


ICT利用促進策を探るため、第二次世界大戦を主眼に軍事技術発展を多面的に追っている。中心になるのは書籍・文献だが、限られてはいるが実物検分もある。ロシア、米国などでは軍事や航空の大博物館があり、代表的な兵器はほとんど実物に触れられる。本書とも関わる潜水艦についてもシカゴ科学産業博物館に置かれている、戦時中南大西洋で拿捕されたU505の全容が見られるし、サンフランシスコの第45桟橋には日本の艦船を多数沈めた“パンパニート”が係留され、有料で中を見物できる。動く潜水艦を見たのは忘れもしない1988723日、海上自衛隊観艦式で大島方面に向かう護衛艦“ひえい”から東京湾へ遡行する“なだしお”が海中から突然飛び出したデモンストレーションである。潜水艦がこんな激しい運動が出来ることを初めて知った。この後“なだしお”は湾口で遊漁船と衝突、大きな社会問題に発展した。ノンフィクションや実物以外では映画や小説も情報源としてバカに出来ない。潜水艦映画ではU-ボートと駆逐艦の戦いを描いた「眼下の敵」(1952年、クルト・ユルゲンス、ロバート・ミッチャム主演)や太平洋で戦った米潜水艦を舞台とする「深く静かに潜航せよ」(1958年、クラーク・ゲーブル、バート・ランカスター主演)がある。そして極めつけは本書著者の事実上のデヴュー作品とも言えるソ連最新鋭原子力潜水艦(タイフーン級)の亡命をテーマとした「レッドオクトーバーを追え」(映画;1990年、ショーン・コネリー主演)だろう。この原作で著者は軍事技術サスペンス分野第一人者の名声を確立している。

本書の出版は1993年、著者初のノンフィクション作品である。写真や図面も含めかなり詳しいところまで原潜の細部に迫ることから、既に公開を許されるほど当時の最新鋭艦とは距離があったものと推察されるが、それでもなかなか迫真力のある内容である。タイトルはSubmarine(潜水艦)だが、副題は-A Guided Tour Inside a Nuclear Warship(原潜細部案内)-とあるように、著者が案内役となって歴史、建造、運用を解説、原潜内部をツアーするものである。導入部は潜水艦史、古代(アレキサンダー大王)から冷戦初期まで通常型を一覧し、試行錯誤時代の原潜(主として米国)政策を紹介、これが戦略軍として確立する過程を概括する。ここから、現代の原潜部隊が基本的に二つのタイプの原潜から成ることが分かってくる。一つは核ミサイルを搭載した原子力弾道ミサイル潜水艦(SSBN)、もう一つはこれを狩る(あるいは守る)攻撃型原子力潜水艦(SSN)である。後者は対潜水艦戦闘ばかりでなく対水上艦・対地戦術攻撃も可能、空軍で言えば護衛戦闘機兼戦闘爆撃機のような役割も担う。それだけに技術的に複雑だし数も必要なのだ。

本書で多くの紙数が割かれるのはこのSSN。具体的にはロサンゼルス級原潜、特に“マイアミ(排水トン数;6千頓、乗員;100)”を詳しく取り上げる。ロサンゼルス級は1972年から建造が始まり1995年までに62隻が就役、これは原潜史上最多・最長のものであり、一般向け啓蒙に最適な艦だろう。

原潜建造の予算獲得から、仕様の詰め、受注先の決定(艦本体、原子炉、搭載兵器)、建造過程、乗員の選抜・教育・キャリアパス、多様な運用試験・公試、就役までをエピソードも交えて語り、次いで、潜水艦隊の組織や基地、任務を解説、如何にエリート部隊であるかを啓発する。

個人的に最も興味深く読んだのは“マイアミ”の艦内案内。頭脳とも言える発令所(潜望鏡、操艦、攻撃管制、航法管制)からスタートし、通信・電子戦区画、ソナー(音響探知)室、魚雷発射管制室、垂直ミサイル発射管、兵員・士官居住区、食堂・厨房などを写真や図面で紹介しながら巡っていく。時にはディスプレーの表示まで詳細に説明される。しかし、原子炉を中心とした機関部だけは立ち入り禁止となっており、一般的な情報提供に留まるのは仕方がなかろう。ただ、この機関部全体が騒音軽減用緩衝機構で囲まれている話はチョッとびっくりさせられた。とにかく防音対策はかなり厳しいことが窺える。防災対策や緊急脱出(脱出ハッチの構造、着用する救命着、救命潜水艇との結合)なども写真や図面で説明されるとよく理解できる。

本書に取り上げられるのは米国ばかりではない、英国に関しても、建造から乗員のキャリアパスまで深く立ち入って詳しく解説される。原子炉技術が米国から提供されるほど両国は特別な関係なのだ。また旧ソ連(現ロシア)の原潜に関しても発展史を追って米艦との比較で細部が語られる。幹部登用の試験合格率は英国の方が厳しく、一回の試験で決まる。これは英国が“指導力”を求めるのに対して米国は“技術力”を重視することから生ずる。

本書の段階で既に問題になっているのは技術の高度化に伴う価格の高騰。結果として数を減らさざるを得ず、技能の継承ばかりでなくメーカー(特にエレクトリックボート社;世界初の実用潜水艦開発者ジョン・ホランドに発する、唯一の原潜船体建造専業企業)の存続さえ危ぶまれている。これは航空機や他の戦略兵器にも言えることであり、“矛盾”以上に今後の軍と軍事技術・産業の在り方に課題を投げかけている。果たして企業経営におけるICT投資・経費負担は同じ道を歩むことにならないのか?そんな思いが去来した一冊であった。

 

3)ドイツ最強撃墜王ウーデット自伝

-リヒトホーフェンに次ぐ第一次世界大戦撃墜王による良き時代の自伝、その後の悲劇を訳者が補う異形の伝記-

 


私の技術者への原点は子供の時からの模型作りにある。鉄道、船、飛行機を主として廃物利用でこしらえたものだ。大学に入学すると東京ソリッドモデルクラブに入会、150スケールの木製飛行機を手作りし月例会に出品、当時あった月刊誌「航空ファン」に投稿してきた。時には集会場であった交通博物館の催し(日本航空発展史)にも参加、しばらく展示されたこともある。就職するとプラモデルに転じ、専ら自動車を組み立てていたが、結婚後は172軍用機模型を専らとし、30機ほどが今でも部屋のガラスケースの中に収まっている。このプラモデル飛行機で最も人気があるのはドイツ機、とにかく機種が多く、他国には無いジェット機やロケット機のような画期的なものから、W形翼の急降下爆撃機、超短距離離着陸連絡機、左右非対称の偵察機など、作り眺める楽しみを満喫させてくれる。しかし、この多様性こそがナチス空軍の致命傷となり、敗北の主因になっていく。本書の主人公エルンスト・ウーデットは開戦前に航空省技術局長(中将)さらに航空装備局長(大将;技術局の上位)を務めたナチス空軍のNo.3、バトル・オブ・ブリテン(英独航空戦)に敗れた後実権を失い、194111月自死することになる(公的には新型機実験中の事故死として発表され、国葬が行われる)。ただし、本書“自伝”の部分はそれ以前、彼の華やかな時代で終わっている。

本書の構成はかなり変わったものだ。“自伝”の部分が補遺(副官の回想、ゲーリングの弔辞)を含めて270頁、それに訳者による160頁の“ウーデットの生涯”と題する生誕から死までを綴る伝記が続く。“自伝”では、時に幼児や少年時代に触れるものの、航空兵としてのスタート、第一次世界大戦における航空戦、敗戦後の冒険飛行士としての世界各地での体験を楽しげに語り、航空界・飛行士の将来に明るさを期待して結ぶ。従って、伝記部分が無いとウーデットの全容、特にナチスとの関係や新生空軍の施策が不明となり、単なる飛行機乗りの冒険譚に留まってしまう。情報収集と言う私の読書動機からみて、伝記付加は適切な構成であった。

原題は“わが飛行家人生”だが日本語タイトルに“ドイツ最強の撃墜王”とある。まあ売るための策だが偽りではない。公認撃墜記録は62機、これはレッドバロンと称されたマンフレート・リヒトホーフェンの80機に次ぐもので、リヒトホーフェンが戦死していることから、当時現存する戦闘機乗りとしては最高の記録保持者である。このような活躍で鉄十字章のみならず軍人に与えられる最高位の勲章プール・ル・メリットも受賞している。因みに、リヒトホーフェン戦死後戦隊長となったのはゲーリング(22機)、ウーデットはその戦隊で中隊長を務めている。

自伝部分は航空操縦過程を終えたところから始まる。当時の主務は戦場の偵察、操縦者は偵察員(士官)の御者のようなものだ。やがてそれを排除する戦闘機が誕生、ここで次第に腕をあげ、最後はリヒトホーフェンにスカウトされその戦隊に加わり中隊長(中尉)で終戦を迎える。飛行機・空戦を主体に事故・昇進などを絡めて航空兵としての履歴が語られる。見えてくるのはパイロットとしての優れた資質と深慮しないおおらかな性格である。第二部とも言えるのが、戦後の冒険飛行家としての人生だ。ヴェルサイユ条約を侵して家内工業的な飛行機製造業を起こし国内外に売り歩く。また、戦時獲得した知名度を生かして航空ショーで大衆の人気をはくす。究極はこの延長線にある映画出演、アフリカやグリーンランドを舞台に何本かの映画が製作されており、アフリカでは超低空飛行でライオンに飛びつかれ翼を破損したり、回航中辺鄙な場所に不時着して現地人に脅かされたりしている。また、グリーンランドでは後にベルリンオリンピック映画製作で知られるレニ・リーフェンシュタールの劇映画撮影で危うく遭難しかかったりした話が、写真入りで紹介され、自由気ままな冒険飛行家の姿がよく伝わってくる。“自伝”のドイツ出版は1935年、既にナチス党に入党、航空省で枢要な地位にあるがそのことには全く触れていない。この自伝は知名度もありベストセラー(30万部)になったと訳者あとがきにある。

さてその後のウーデットである。航空ショーやレースで何度も米国に渡っていた彼は、米国カーチス社が開発したホーク急降下爆撃機(単発)を曲芸飛行に転用することを目論む。この購入資金を提供したのがナチス党No.2であったゲーリング。生存者で最高の撃墜数を誇り、プール・ル・メリットの受賞者かつ曲芸飛行士としての人気、新生ナチス空軍に欠かせぬ人材と見たからだ。党員になっても「二度と軍服を着ない」と言っていたウーデットはこうして空軍に取り込まれる。最初の職位は急降下爆撃機開発監理官(大佐)。爆撃照準器が未熟な時代、急降下爆撃機の命中精度は桁違い、ウーデットも空軍も虜になる。ここで誕生したJu(ユンカース)-87はスペイン市民戦争で威力を発揮、「これから開発されるすべての爆撃機は急降下爆撃可能なこと」と指針を出したことが、爆撃機開発に大混乱をもたらすことになる。双発のJu88実用化の遅れ、4発機He(ハインケル)-177開発の失敗はその代表例だ。英国攻略も念頭に長距離援護戦闘機の開発もゲーリングから命じられていたのだがMe(メッサーシュミット)-110双発戦闘機と言う中途半端(航続距離は長いが空戦機能は脆弱)なものしか用意できず、バトル・オブ・ブリテンに敗れる。

新規・珍奇な機種に惹かれ組織管理能力を全く欠く彼の資質を見抜いていたのは航空次官(No.2)のエアハルト・ミルヒ(最終元帥)、ゲーリングと同年で彼も第一次世界大戦時航空兵であったが偵察員、戦後はルフトハンザ航空の支配人を務めていたのをゲーリングが誘い、空軍再建の責を負わせる。のちにゲーリングと激しく対立するが組織運営ではミルヒが上、ヒトラーの信任も厚かった人物だ。このミルヒがついにウーデットの全権を奪うことを決する(19416月自ら航空機総監となる)。ミルヒの側に個人的な怨念は全く無く、組織管理者に徹した結果である。同年1117日ウーデットピストル自殺。

現役時代「技術者としては抜群だが、管理職としては今一つ」と言う人を何人も見てきた。ウーデットもその典型例だ。ゲーリングに人を見る眼が無かったと片付けることも可能だが、やがて自身のライバルとなるミルヒの登用を考えるとそう単純なものでもない。「今度はミルヒの伝記を探して読んでみたい」読後そんな気になっている。因みに、ミルヒはニュルンベルク裁判で終身刑となるが1954年に釈放されその後経営コンサルタントを務め1972年没している(79歳)。「さすが!」の人生だ。

 

4)文化史よりみた東洲斎写楽

-半年間で145枚の浮世絵を描き忽然と姿を消した写楽。時代の変革期と版元蔦屋重三郎の思いを探る歴史ミステリー-

 


海外旅行で美術館を訪れ、名画鑑賞の折、ガイドが「この絵に込められたメッセージはxxxxです」などと一見主題とは関係のないところを指し示してその説明をしてくれることがある。あからさまな風刺画ではないので、解説が無ければそのまま見過ごしてしまうところだ。小説や映画にもこのような“真意”が隠喩的に埋め込まれこともあるが、著者はそれを浮世絵版画に求める。既刊2書「狂歌絵師北斎と読む古事記・万葉集」「百人一首の図像学」(両著とも批評社刊)では北斎の「姥がゑとき」27枚を取り上げ、百首の歌の内何故27枚しか世に出なかったのか、27枚に込められた北斎の意図はなにか、を数理や幾何学を駆使しながら解いていく内容だった。それに対し今回は東洲斎写楽が短い期間に描いた全145枚の作成・出版意図を推理する。

写楽が活動したのはわずか10カ月。その後忽然と消えてしまったこと、期間のわりに作品数が多いこと、画題が役者・芝居から相撲まで各種あること、版の大きさが異なること、もあって“写楽とは誰か?”を巡って古来謎解きが行われてきた。そこには北斎説、能楽者斎藤十郎兵衛説(これが最も有力)から複数絵師説まで諸説あり、多くの研究成果が既に書物になっている。本書でもここの問題に触れるものの本題ではない。著者が挑戦するのは版元である蔦屋重三郎が何故この時期(寛政65月から翌年まで)、かくも大量の錦絵を開版したのか、無名の絵師に雲母(きら)刷りと言う豪華な手法を使わせたのか、にある。時代は繁栄を極めた田沼意次が失脚し緊縮財政を採った松平定信(徳川吉宗の孫)が老中の時である。定信の奢侈禁止令は狂歌師の大田南畝によって「白河の清き魚のすみかねて、もとの濁りの田沼こひしき」(定信は白河藩出身)と揶揄されたほど厳しいものだった。当然重三郎の版画も目に付けられ身代半減の目にあっているにも関わらず、である。

著者は作品そのものから一旦離れてこの時代を見つめる。杉田玄白による「解体新書」出版から20年、これと関わるオランダ正月(グレゴリー暦)の実施、洋学に傾倒していた吉宗がキリシタン以外の西洋文化導入を解禁してから50年、「解体新書」の図版作成に深く関わった蘭学者平賀源内の獄死(洋学とは関係なく酔った上での殺人罪)、重三郎が贔屓にしていた歌舞伎役者の死、これらの祝賀と追善が重三郎を突き動かしたと推論する。

ここに至るプロセスの説明に、小ぶりではあるが145枚のカラー版画がすべて援用され、時には役者絵で時には芝居絵(都座・桐座・河原崎座、3座で演じられた6か月分の歌舞伎と出演役者の版画大半を占める)で、さらに少数(6点)ではあるが相撲絵で、論拠を組み立て解説する。芝居の出し物、役者の顔やしぐさ、人物の組合せ(23人)、背景、着物の柄、他の絵師・版元までがそれに関わってくるのだ。ここから世相(政治批判を含む)と文化の関係を読み取り、重三郎の意図を確信する。真にユニークな文化ミステリーである。

田沼意次と聞けば汚職・賄賂を直ぐ連想するが、松平定信についてはよく知らなかった。本書を読み通して、どうも公的には卑俗な文芸に厳しいものの、私的には理解のある人物ともとれた。念のためWikipediaで調べたところ、厳しさゆえに6年で失脚するが、白河へ戻った後(息子が藩主、本人は隠居だが実権はあったようだ)、何と!浮世絵収集をし、それに関する書籍を発刊、まえがき(詞書)をかつて処断した大田南畝や山東京伝に依頼したとある。なかなか懐の深い趣味人なのだ。

浮世絵の人物像は好みではないが、絵画の中で木版画は身近な存在、何点か現代版画(伝統木版画は絵師・彫師・摺師の分業だが、現代版画は一人で作成)を保有し、関連書物も読んできた。今回は145枚の“なるほど!”と思わせる解説を大いに楽しんだ。

著者は大学で化学を学び長く化粧品会社の研究員と務めた人。早期退職後全く畑違いの和歌・俳諧と版画の世界を独自の視点で探求している。本書を通して真に学ぶべきはその半端でない研究心かも知れない。

 

5)最後の読書

-好奇心・学習意欲そして楽しみ、はては無我の境地か更なる挑戦か、老練編集者が明かす著名読書家たちの最後の読書-

 


1月生まれだから年を超すと満83歳。4年前から補聴器を装着するようになり、音程が狂ってきたので東フィルの定期演奏会会員を辞めた。今ではTV放映の邦画でも、セリフが正確に聴き取れず、字幕を頼りにするほど聴力が劣化してきている。2年前の9月硬膜下血腫の手術を受け、丁度運転免許証認知症検定講習が重なり、免許更新をあきらめ、最大の楽しみであったドライブもできなくなった。これで限られた趣味は旅行と読書のみになってしまったが、コロナ禍で旅行も自粛していたところへ、視力にも問題が出て昨年末に白内障と黄変前膜の手術をした。つまりここ数年急速な老化を確実に実感させられ、趣味の範囲が狭まっている。当に弱り目に祟り目と言ったところなのだが、眼の手術だけは幸い手元レンズ装着のおかげもあり、裸眼で文庫本を読むにも差し支えないほど改善した。最後の楽しみは多分読書だけになるのだろう。では余寿命を考え、どんな読書生活を送ればいいのだろうか、そんな思いで本書を手にした。

小林秀雄、丸谷才一、外山滋比古、草森紳一など様々な読書論を読んできたが、6年前本書の著者による「百歳までの読書術」を読んでからこの人の読書論に惹かれている。最大の理由は、生年は1年上ながら学齢が同じことからくる話題の共通性、一方で著者は作る側(編集者・作家・大学図書館長)、私は読む側と大きな違いがあり、何をどう読むべきかについて、時代の同時性を感じつつ、雑書多読派の先輩としての知見に教えられることが多いからだ。

今回は著者を含む高齢者(主に作家、文芸評論家、文学者)晩年の読書生活に関するエッセイ。単行本の出版は著者802019年秋、翌2020年度読売文学賞(随筆・紀行本賞)受賞した作品の文庫版だ。著者は晶文社で長く編集者・役員を務めると同時に劇団「黒テント」で脚本・演出などを手掛け、晶文社定年退職後は和光大学教授・図書館長も務めている、文藝世界の著名人である。私は先の「百歳まで」の他に奈良・平安時代まで遡る日本人の読書史とも言える「読書と日本人」(岩波新書)も読んでいる。

あとがきによればどこかに連載していたものをまとめたようだが出典は明らかにしていない。そこに掲載された17編をまとめたのが本書である。高齢者読書の定番とも言える記憶力や視力の衰え、蔵書の処分のような一見後ろ向きの話も頻繁に出てくるが、そこにとどまらず “枯淡の境地”さらには“無”あるいは“老いて益々盛ん”を意識させる方向に落とし込んでいくところに著者の心意気と本書の価値が感じ取れる、優れた高齢者向け読書ガイドブックになっている。そのいくつかを紹介しよう。

最初はシリーズを始める動機ともなった鶴見俊輔(評論家;文芸に留まらず社会時評も多かった)。1922年(大正11年)生まれの彼は201190歳のとき脳梗塞で話す機能・書く機能を完全に失い評論家としての活動は不可能となる。残る機能は読むことだけだ。名うての話す人・書く人が評論と言うアウトプットを断たれても読み続ける。何のために?著者は鶴見が70代から20年間書き続けた「もうろく帖」(23冊)からそれを探る。分かってきたのは、なにかのためではなく、自分ひとりの「習う手応え」と「よろこび」を得るための読書であり、最後は読みながら消えていきたいと願っていたことだ。私の読書は活字中毒とヒマつぶしだが、この読書観は腑に落ちる。

似たような話が幸田露伴の助手役塩谷賛著の伝記「幸田露伴(全3巻)」の中にもある。露伴は79歳で没するのだが晩年は白内障で読むことに障害を生ずる。当時でも手術で改善するのだが糖尿病も併発しているためそれも叶わない。露伴は「眼もひどく薄くなってきているから、生きているうちの見える時間は有効に使いたい。書くことよりも読むことの方が大事でもあり、楽しい」と語り、自分で読めなくなると塩谷氏に読み役を乞うことになる。

“老いて益々盛ん”の例は作家堀田善衛が朝日新聞社刊「冷泉家時雨亭叢書(最終全100巻)」に連載した古典エッセイの話である。このエッセイは「懐風藻」「万葉集」「伊勢物語」「源氏物語」など古典を時代順にテーマとするものであった。連載開始は1992年堀田70代後半である。この執筆に際し、堀田は「原典のすべてを読むか、読み直すかしよう」と決意、実行。時に「日本霊異記の全説話と付き合うことはなかなかのことであった」とグチをこぼしながらも、所期の目標をつらぬき通す。80歳で没しているからこの古典読破が最後の読書となったようだ。当に著者言うところの「絶滅種」である。

一話に主役となる本が一冊、それを補完するものを含め411冊、本書のために100冊近くの作品が援用されている。著者も“老いて益々盛ん”派、最後の読書は何になるのか?そして私は?

 

6)深夜プラス1

-元英ジェット戦闘機乗りのベストセラー冒険サスペンス。ブルターニュからリヒテンシュタインへ、謎とともにシトロエンDS、ロールスロイス・ファントムが疾走する-

 


英米と日本の冒険小説作家のデヴュー前人生にしばしば大きな違いを感じる。英米の場合自らの体験に基づくことが多いのだ。スパイ小説ではサマセット・モーム、グレアム・グリ-ン、イアン・フレミング、ジョン・ル・カレはいずれも諜報部(MI6)に席をおいていたし、米国のJ.C.ポロックも元陸軍特殊部隊員だ。日本人では大藪春彦が大学時代射撃部に所属しており、売れっ子になってからオーストラリアのバッファロー狩りで多数仕留めたことが一部に知られているくらいで、逢坂剛、船戸与一、佐々木譲、北方謙三らに勇ましい過去は無い。この違いは大きい気がする。要するに今一つ緊迫感を欠くのだ。

英国の航空冒険小説にはパイロット出身者も居り、ロアルド・ダールは第二次世界大戦のエースパイロット(5機以上撃墜)、本書の著者は戦後のことながらグロスター・ミーティアジェット戦闘機を操縦していた英空軍士官である。そんなわけで早い時期から両人の小説は読んでいたのだが、何故かライアルの代表作である本作品は抜け落ちていた。それが“新訳版”として出版されているのを知り、さっそく読んでみることにした。残念ながら航空小説ではなかったが、スピード感のある展開とクルマや銃器の細部・扱いは「さすがライアル!」と思わせる内容だった。

時代は1950年代、主人公は戦時中フランス・レジスタンス工作を担当していた英特殊部隊員、既に退役してはいるものの、経験を生かし裏社会の難事解決を請け負っている。本人は犯罪者ではないが紙一重の存在だ。今度の仕事はレイプの冤罪を着せられフランス警察に追われるスイス居住の大物財界人をフランス・ブルターニュの海岸からリヒテンシュタイン(スイス、オーストリア間にある小国;脱税に近い租税対策が可能)へ送り届ける仕事である。大物を狙うのはフランス警察ばかりではなく、彼のリヒテンシュタイン到着を望まない得体の知れない組織も絡んでくる。逃げるメンバーは大物と秘書(女性)、射撃の名手である米国人ガードマンそれに主人公である。ブルターニュからリヒテンシュタインまでの所要時間はおよそ丸一日と想定していたが、予期せぬことが次々に起こる。ここでレジスタンス時代の土地勘とかつての仲間の存在が生きてくるのだが、何故か彼らの動きが闇組織に知られ、待ち伏せにあったりする。仲間に密告者が居るのか?リヒテンシュタイン行きにはタイムリミットもある。迫る時刻に向け、ミステリアスな出来事と追撃戦がクルマ・鉄道移動と重なって繰り広げられる。

ライアルは1961年に「ちがった空」でデヴューし2003年死去するまでわずか15作品しか世に出していない。寡作の因は、時に簡単な実証実験を行うほど準備・調査活動に費やす時間が長いからだと言われる。本篇でもコーヒー、ワインからフランスの田舎料理、道路事情や官憲の特質まで細かいところまで行き届いた描写がストーリー展開に味わいを与える。中でも登場する2台のクルマ、シトロエンDS1930年式ロールスロイス・ファントムⅡの走りの表現が見事だ。独自の空気サスペンション機構を備えたDSの道路に依る反応の違い、ショーファーカ-(運転手付き)と言われるロールスロイスの運転の難しさが、乗ったことは無いが、よく伝わってくる。本書が、何年か毎に発刊される早川書房の“冒険・ミステリー小説ハンドブック”に歴代名作として常に上位に在るのが納得できる出来栄えだ。

ちょっとわからないのは「深夜プラス1Midnight Plus 1)」と言う題名である。推察するところリヒテンシュタイン到着タイムリミットのような気がする。

 

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