2022年2月28日月曜日

今月の本棚-163(2022年2月分)

 

<今月読んだ本>

1)日本ハードボイルド全集第2巻 大藪春彦編;東京創元社(文庫)

2)新聞記者、本屋になる(落合博); 光文社(新書)

3)沈没船博士(山舩晃太郎);新潮社

4)やがて哀しき外国語(村上春樹);講談社

5AI監獄ウィグル(ジェフリー・ケイン);新潮社

6)ロシアトヨタ戦記(西谷公明);中央公論新社

 

<愚評昧説>

1)日本ハードボイルド全集第2巻 大藪春彦編

-全編に共通するのはワンマンアーミーによる反権力・銃撃戦、銃器解説で物語はしばし中断-

 


たまに読むサスペンス(軍事や諜報あるいは狙撃)小説は専ら外国作品。我が国ではこの分野に制約が多く、なかなか面白味と臨場感を兼ね備えた作品が生まれにくいからだ。

ここで重要な役割を果たす小道具は酒と銃器。007シリーズの「ロシアより愛をこめて」では食堂車でのワインの選択で殺し屋を察知する。銃器が主役を占めるものにはスティーブン・ハンターの凄腕狙撃手スワイガー・シリーズが代表だろう。これに匹敵する本邦作品は劇画のゴルゴ13くらい、小説では先ずお目にかかれない。唯一の例外が大藪春彦である。

大藪の作品(長編、中編、短編集)を単行本で読んだことはない。デビュー作である「野獣死すべし」(1958年刊)は仲代達矢主演の映画(1959年上映)で知っただけだし、他の作品は出張時、週刊誌で断片的に読んだものばかりである。それでも強く印象づけられたのが詳細な銃器の構造・操作のシーン、「軍や警察と関わったことが無い者が何故こんなに詳しいのか?」と疑問を持つほどだ。それも拳銃ばかりでなく狙撃銃や自動小銃まで扱うのだから驚きだった。爾来外国作品で銃撃戦が描かれると大藪のことが脳裏を過り、いつかその作品を集中的に読んでみたいと思っていた。だから書店で平積みになった本書を見つけた時、即購入となったわけである。

本書はタイトルにあるように全集(全7巻)として編まれたものの1巻である。他は生島治郎、河野典生、仁木悦子、結城昌治、都築道夫が取り上げられそれに傑作集が1巻となっている。いずれの作家も名前は知っているが“ハードボイルド”と言う印象はない。スリラーのようなおどろおどろしさやミステリーの複雑な謎解きはなく、冷徹・非情・精緻・タフネスが私にとってはそのキーワードだからだ。この点でここに収められた大藪作品はほぼこの要件に適っている。

選ばれた作品は10話、代表作の「野獣死すべし」、270頁におよぶ長編「無法の街」、この他は20頁~40頁の短編が7話、70頁の中編が1話となっている。つまり短編が際立って多い。逆に銃器を主題とした「凶銃ルーガー08」「凶銃ワルサーP38」、長編の「蘇る金狼」などは組まれておらず、いささか期待外れだった。しかし、短編を多数並べることで、大藪の特色がはっきり見え、その点では効果的な編集になっている。

そこから共通項をまとめると;①すべてワンマンアーミーによる反権力・反組織(警察を含む)、②主人公は優れた銃の使い手、③ときに銃器の扱い・性能説明が冗長で物語が中断する、④暴力描写がくどい、である。一気に10話も読んだので食傷、当分未読作品を読む気はしない。ハードボイルドは冷徹・冷酷であってもどこかスカッとした読後感が残るものだが、それが感じられなかった。

気になったので作者の生い立ちを少し調べてみた。1935年ソウル生まれ、父は旧制中学教師、終戦時は召集されており19469月母と3人の妹と伴に苦労して香川県に引揚げている。帰国後父と再会、高松一高、四国のクリスチャンカレッジ(キリスト教に馴染めず退学、しかしこの時代米国ハードボイルド作品(例えば、レイモンド・チャンドラー)を原著で徹底的に読んでいる)で学んでいるが、この間脊椎カリエスを患っている。高校時代から左翼思想に染まり、反権力はここで育まれる。早大に20歳過ぎてから入学、射撃部に所属、後年海外で狩猟など行い、日本の民間人には触れることが出来ない銃器も扱ったようだ。この経歴から陰鬱な作風に納得した。

 

2)新聞記者、本屋になる

-典型的な斜陽産業である活字産業に60歳直前に参入、幼児が成人するまで持続できるのだろうか?-

 


1983年半ばから石油精製・石油化学企業でITサービスを行う新事業立ち上げに深く関わり、新会社を19857月に発足させた。当時流行りであったグループ内業務の分社化ではなく、外部へ打って出る計画だったからリスク含みではあったが、幸い経営戦略(化学プロセス産業特化)が功を奏し2003年退任まで右上がりの成長を続けることが出来た。しかし、振り返ってみれば、何と言っても時代の追い風に恵まれたことが大きい。計画検討段階の通産省・郵政省の見通しもそれを予見していたし、昨今のスマフォの普及やDX(デジタルトランスフォーメーション)ブームを見れば、容易に理解できよう。逆風ではこうはいかない。

現役時代最もよく利用したのは飲食店を除けば書店だろう。その書店が年々周辺から消えていく。書籍・雑誌の売上高はピークの199626500億円から2020年には12200億円へと60%減、活字産業は典型的な斜陽産業であることは明らかだ。生き残る書籍取扱い企業は大規模チェーン店かAmazonに代表される通販。私自身本代の23Amazonに貢いでいる。そんな逆風下で個人経営の書店を始めるなど、いくら活字愛好者の私でも考えられない。本書はそれをやってのけた人物の報告書である。

著者は1958年生れ、大学卒業後読売新聞社(大阪)に入社、主にスポーツ分野を担当し短期間のスポーツ雑誌社勤務を経て毎日新聞社(東京)に転じ、最後は論説委員(スポーツ・体育担当)を務め定年少し前(2017年;58歳)に早期退職して書店主となった人。

「何故、今本屋?」これが私の一番知りたいことだったし、本人もそんな質問を多く受けていたようである。しかし本文中「自分でもよく分からない」とかわし「それよりも(本屋開業、経営に関する)方法を語ろう」と本旨をそこにおいて話は進められる。しかし、前歴の新聞記者時代を語り、60歳以降(論説委員退任)の見通しの中で、答えらしきものが散見される。一つは初子(男)が2014年に誕生しており、その子が成人するまでの収入確保策としてである。65歳まで再雇用は可能だが収入も役割も大幅減、物書き専業で稼ぐのは元新聞記者でも難しく、消去法で書店経営が浮かんでくるのだ。夫人は現役看護師、郷里は佐賀、ここで書店を開くことを著者は漠然と考える。2015年から仕事の合間に本屋巡礼を開始、関係者の声を聞きながら夢と現実を調和させていく。

古書か新刊書か。古書の粗利益は89割、対する新刊書は23割、しかし古書は経験がものをいい新参者が近付けるビジネスでないことが分かってくる。新刊書は何を扱うか、客層をどこに置くか、雑誌やベストセラーよりも絵本が良いのではないか、買い取りか委託販売か、どのくらいの規模からスタートするか、何処にどの程度の店を構えるか(佐賀は早い段階で消える)、収支見通しはどうか、経営セミナーや講習会にも参加、少しずつ構想が具体化していく。本書の過半はこれら活動の細部を語るもので、男のロマンよりは事業解説に主眼が置かれる。

2017年会社設立、資本金100万円、4月店舗オープン(長く使われていなかった木材倉庫をリノベーション、浅草田原町、店名;Readin’ Writin’)。絵本を中心に三百十数冊(すべて買い取り;在庫リスクはあるが利益率が良い)からスタート。分野選別(顧客;文系女子、選書;絵本、フェミニズム・ジェンダー、移民、食、浅草もの。ベストセラーは扱わない)、経営形態工夫(オシャレな店;書籍、雑貨(文具)、カフェ、イヴェント(有料、年100回以上)の組合せ)で、年間売上高は1千万円を超え(純益は百万円に達していないようだが)、コロナ禍にも拘らず2020年度決算は過去最高、蔵書は5千冊にまで成長している。ランチェスター経営戦略で言う“弱者の戦略”成功例ではなかろうか。私の“化学プロセス産業特化”と相通ずるところがあり、応援したくなる書店だが、選書が好みと全く異なるのは残念だ。

 

3)沈没船博士

-地中海で、カリブ海で、海中に潜り、沈没した古代船・貿易船・奴隷船の復元再構築に挑む日本人船舶考古学者の半生記-

 


20歳代まで趣味と書く欄があると迷わず“映画鑑賞”と記すほどの映画ファンだった。一週二回くらい二本立てを中心に観ていた。ほとんどは洋画である。そんな中で時に記憶がよみがえるものが何本かある。ノンフィクションでは何と言っても「沈黙の世界」、これはフランスの海洋学者ジャック=イヴ・クスト―が後に「死刑台のエレヴェーター」で有名になるルイ・マルと共同監督した作品で、クストー自身が地中海で、紅海で、インド洋で海中に潜り撮影した海洋記録映画である。躍動するイルカの群れ、サメに襲われる子鯨、美しい珊瑚礁、1956年に封切られたこの映画は、翌年のアカデミー長編ドキュメンタリー賞とカンヌ映画祭グランプリ(パルム・ドール)賞を獲得している。本書を読んでいて重なってきたのがその映画である。

クストーは1949年仏海軍を退役した元大佐、海軍時代アクアラング(レギュレータ)を発明しているほど潜水とは縁が深い。その経験を生かし退役後は海洋生物や海中にある歴史的遺物の調査・研究を進め、水中考古学の先駆者として後世にその名を残している。

本書著者は1984年生まれの水中考古学者(船舶考古学専攻)。そんな研究者が日本にいるとすら思いもよらなかった。我が国でその研究活動・成果を見聞した記憶がないからだ。歴史あるいは海洋・水産に関わる大学の専攻分野にもそのような学科は寡聞にして知らない。著者はそれを米テキサス農工大(テキサスA&M;工学系では優れた大学)で学び博士号まで取得している。本書は先ずそこに至る若き日の紆余曲折の日々を語り、次いで自身が取り組んだ船舶考古学の数々の探査プロジェクトを報告するものである。ある種の半生記と言っていいかもしれない。

船舶考古学者への道のりは以下のように波乱万丈だ。少年野球で優れていたことから法政第一高校にスポーツ推薦入学、そこから大学に進み、当然のように硬式野球部に入部するが結局バッティングピッチャーで終わる。大学での専門は文学部史学科、これは読書を通じて中学生時代から歴史に惹かれていたことによる。卒論のテーマ探しで米写真家の著した「海底12000年-水中考古学」に行き当たり、参考資料(特に写真)にA&Mが頻繁にクレジットされていることから、卒業後一念発起してA&M大学院を目指すことになる。大学時代4年間寮生活でほとんど野球漬け、2006年先ずその語学学校に入学するが半年後のTOEFL120点満点で30点、猛勉強で1年後GRE(大学院共通テスト)を最低レベルでクリア、この成績で更に1年大学院1教科、大学2教科を受講、すべてでB以上とると初めて正規の修士課程で学ぶことが許される。これが2009年。ここの船舶考古学課程で「沈没船の復元再構築」を研究、2015年に博士号を取得する。論文のタイトルは「フォトグラメトリと復元再構築の方法論」、フォトグラメトリとは3Dによる画像復元技術であり、やがて著者はこの分野の権威として認められるようになる。

世界の海には水中文化遺産の対象となる100年以上前の沈没船が300万隻程度眠っているそうだ。研究の対象域は地中海とカリブ海に集中しており、本書でも太平洋戦跡の残るミクロネシアを除くと、この二カ所の話が中心となる。また、研究領域は時代と対象域で区分され、A&Mの船舶考古学教室では5人の教授が先史時代・古代地中海・中世ヨーロッパ・大航海時代・アメリカ大陸の船をそれぞれ担当、この他に2名の保存処理研究教授が配されている。

本書で事例紹介されるのは、クロアチア沿海部の1617世紀頃の貿易船、エーゲ海の古代船、ヴェネチア近郊の河川に眠る古代ローマ船、コスタリカ南東部に沈む1718世紀のデンマーク奴隷船、バハマ沖の大航海時代のスペイン船、それに今次大戦におけるミクロネシアの水中戦跡(航空機を含む)。いずれも著者がプロジェクトメンバーとして参加(大学院生時代を含む)、水中作業を行ったものである。

これらを通じ、水中考古学なるものの概要説明から、学会活動、プロジェクト管理(調査の進め方、スタッフの選定とチーム構成、資金集め)、水中作業の細部、使用する器具、沈没船の構造や全体像の推定方法まで、写真や図(特に各時代の船舶構造)を使って具体的に説明していく。併せて種々の問題点、例えばトレジャーハンター(宝探し)による現場荒らし、文化遺産に対する国策、水中考古学者の生活実態(水中のみならず陸上も、正規教授はともかく、考古学研究者は建設工事などの下調べによる収入で何とか生活ができている)まで触れる。知られざる水中考古学へ分かり易くかつ興味深く誘ってくれる一冊であった。

 

4)やがて哀しき外国語

1990年代初頭、プリンストン大学東洋学科に客員研究員・講師として招かれた村上春樹の日々を伝える報告書。勉強も研究もまるでしていない-

 


1983年秋のカリフォルニア大学バークレー校(UCB)短期MBAコース参加を含め、ハーバード大、MIT、ノースウェスタン大、スタンフォード大など米国の有名大学を結構訪れている。その中でも忘れ難いのが19895月に立ち寄ったニュージャージー州のプリンストン大学である。訪問動機は、“SPC”に起因する。早とちりで、高度プロセス制御(Supervisory Process ControlSPC)と統計的工程管理(Statistical Process Control;これもSPC)の違いに気づかなかったのだ。文献のアブストラクトに目を通した際、てっきり前者と誤解してしまいアポイントメントを日本からとっていたが先方は後者だった。それでも老教授は遠来の珍客を歓迎してくれ、一通り生産管理に関する情報交換を行った後、キーボードに依るローマ字入力から漢字変換に至る過程に興味を示し「昼食を一緒に摂り、午後も話を続けたい」とさえ言ってくれた。残念ながら、こちらに午後別約があり希望には沿えなかった。

教授の研究室はキャンパスの中心部ではなく周辺部の木立の中に在る白く大きな木造二階建てのオフィス、まるで大農場主の館という感じ、緑が多く静かなことでは大学の一部と思えない佇まいだ。

プリンストン大学は専門大学院を広く展開せず学部教育(リベラルアーツ)に力点を置いている珍しい大学。人文科学・工学・建築・社会科学の大学院はあるものの、メディカルスクール、マネジメントスクール、ロースクールなどは存在しない。また、学生数も米国の大学では少なく、学部5千名、大学院2千名程度である。それでいて物理・数学・経済学などではトップクラス、3040名のノーベル賞受賞者を出し、世界の大学評価でも常にベストテンに入っている。本書は村上春樹によるそのプリンストン大学滞在記である。

村上は既に作家としての地位を確立していた1991年春から1993年秋まで2年半プリンストン大学に招かれ彼の地に滞在している。文中によれば初めの1年半は客員研究員(ヴィジティング・スカラー)、後の1年は客員講師(ヴィジティング・レクチャラー;給料が出る)としてである。この間読書人向けの雑誌「本」(講談社)の19928月から199311月まで連載された16話のエッセイをまとめたのが本書である。題名の“やがて哀しき外国語”から想像されるような語学哀話ではなく、これは一話のタイトルに過ぎない。取り上げられる題材は、もうバブルは弾け始めていたものの、いまだその残照が残る時代、ジャパンバッシング盛んなりし頃のアメリカである。

ボストンマラソン(著者はこの滞在期間2回走っている)、ジャズ(学生時代に学生結婚した夫人と7年間ジャズ喫茶を経営し、ジャズに関する訳本も出している)、米国団塊の世代(田園回帰が夢)、大学のスノビズム(プリンストンは野暮を気取る)、フェミニズム(必ず問われる「奥さんは何をしているか?」に対する受け答え)、映画(多くの翻訳を行ったレイモンド・カーヴァ―を扱った4時間半におよぶ映画評)、ファッション(アイビールックのファン、特にブルックブラザース)、クルマ(ドイツメーカーの日本車批判)、米人作家譚(恐怖小説家スティーブン・キングの評判)、外国語学習(米人に交じってのスペイン語会話、翻訳の難しさ)と多彩。訪問授業でUCBに出かけたことをテーマにした「バークレーからの帰り道」はプリンストンとUCBを対比するもので、両者を知る私にとって興味ある話だった。西海岸の明るい陽光、キャンパス全体は広いものの建物や学生が密集するUCB、著者にとって異次元世界だったようだ。最後の「さらばプリンストン」はこの後ボストンへ移るための引越し騒動。全編身辺の出来事、自身の見方・考え方で記されており、気取りや嫌味を全く感じさせない筆致が心地よい読後感を与えてくれた。

本書(ハードカヴァー)の出版は19942月、まえがきの結びに“ボストンにて、199312月”とある。私の購入日は19944月出版間もない頃だ。想い出が残る地をテーマにした本書を見つけ5年前を懐かしんだ。爾来30年近く経て再読、二度目のセンチメンタル・ジャーニーでいっときプリンストンを回顧した。

 

5AI監獄ウィグル

-ジョージ・オーウェルがSF1984年」で描いた監視社会が現実になった。ウィグルはその最先端実験場、AIは新しい民族浄化の手段だ-

 


冬季北京オリンピックも終わった。開会式にはウィグル人旗手も中国代表として登場、中国共産党(中共)政府の思惑通り、開催前の人権問題ボイコットがウソのように平穏なものだった。我が国にも「中国は自分から仕掛けた戦争・他民族征服は無い」と彼らの宣撫工作に確り洗脳されてしまっている知識人も多い。高校の世界史(東洋史は中国史中心)、中国の歴史小説(例えば武帝記)、漢詩(辺境勤務の無聊を嘆くものが多々ある)などを少しでも知っていれば、そんな妄言は簡単に論破できるのに・・・。

現在の中共政府の領土・民族に関する主張は、清朝最盛期の版図に基づいているが、問題の新疆ウィグルだけでもトルコ系遊牧帝国ジュンガルとの戦いで奪い取ったもの、その地名新疆は“新しい土地”の意、自ら強奪を認めているようなものだ。また、チベットも今次大戦後(1949年)中共軍によって制圧され、中国領になっている。軍事行動を一先ず置いても、狡猾な漢民族支配策で少数民族に依る“自治”を骨抜きにしているのは随所に見られる。“今そこにある危機”の最前線ウィグル、米人ジャーナリストが、自らの体験と亡命者への聴き取りをもとにそれを明らかにする。本書の原題名は「The Perfect Police State(完全警察国家)」、サブタイトルにもウィグルは無い。実は、ウィグル問題を中核に据えつつ中共一党独裁体制の恐るべき支配の仕組みを現在進行形で語り、完璧な監視国家到来に警告を発するところが本書の要旨である。

著者は、タイム、エコノミスト、ウォールストリートジャーナルなどに寄稿している米国人調査ジャーナリスト・先端技術ライター。最近はトルコを拠点に中東・アジア地域を主な取材先にしている。学生時代に交換留学生として中国に滞在、2017年新疆ウィグルを訪問、観光と偽って実地調査を行っており、この地に詳しいことがうかがえる。本書を読んでいくと人権NGOHuman Right WatchHRW)とも深く関わっているようだ(政治活動ではなく、取材記事内容の検証)。

新疆ウィグル自治区の面積は世界の国家行政区で8番目の広さ、人口は約2500万人。2009年まではトルコ系のイスラム教徒が大半を占めていたが、この年の反政府暴動以降漢族が急増している。中国化・共産化の先兵である新疆生産建設兵団だけでその数は270万人におよぶ。中共が“五つの毒”として監視・拘留の対象にしていのが①民主化運動家、②台湾支持者、③チベット族、④気功集団(法輪功)それに⑤イスラム教徒ウィグル人テロリスト。人口比では2%に満たないこの自治区の犯罪逮捕者は21%と異常に高い。テロリストおよびその同調者として嫌疑をかけられ者が急増、再教育センター・拘留センターなどと称する収容所に送られ、徹底的な洗脳工作が行われているのだ。このような圧政下、近年ウィグル族の出生率低下は著しく、ある種の民族浄化と言える。

本書の日本語タイトルに“AI”が付されているのはこの嫌疑者あぶり出しシステムに先端ITが駆使されていることに依る。住民基本データのみならず、全民健康体検と称する個人生理データ(身長・体重、血液、声、顔、DNA)、スマフォ交信録、キャッシュレスシステム(スマフォを含む)による購買・行動・信用記録、随所に設置された監視カメラ(嫌疑がかかると居室にも設置)、10戸単位の住民相互監視組織、いたるところにある検問所。個々に導入・設置・発展してきたこれらシステムが今や統合され、AIによって管理されている。例えば、AI顔認証システムの識別層は830152と年々深まり、瞬時に人間の眼より正確な識別を行えるようになってきている。さらには姿かたちの識別ばかりでなく、諸データの組合せにより将来の犯罪者予測まで行っている。ジョージ・オーウェルが1949年送り出したSF1984年」が現実のものになったのだ。これらは新疆ウィグルに限ったものではなく中国全土に展開しているのだが、反国家活動家(分離主義者)が集中すると考えられるこの地域が、先端技術実験場となっている。

本書はこのような統治を体験したウィグル人約170人からの聞き取り調査に基づくが、そのほとんどが海外在住者(亡命者;トルコが多い)。しかし、海外も決して安住の地ではではない。亡命者の中に潜むスパイ、一帯一路のマネーに惹きつけられた国家、独裁体制を強化したい国々(トルコもその一つ)、同床異夢のテロ対策協力関係(トランプは中国のウィグル人隔離策をサポート。これとは別に、グアンタナモ収容所にイスラム過激派嫌疑で囚われているウィグル人の情報が中共に提供されている)、いつどこで“犯罪者”として拘束され中国に引き渡されるか、不安な日々を送っているのである。

ウィグル問題、先端IT、監視国家統治、どれも詳しく書いているが、ウィグル問題は“個人的体験談”に留まる感が強い。これは原題と日本語のタイトルの違いに表れている。冒頭触れたように原題にはウィグルもAIもない。論旨は“完璧な監視国家”出現に対する警告である(副題;中国が目論む恐るべき監視暗黒世界を暴く)。

 

6)ロシアトヨタ戦記

-共産主義政権崩壊後の未熟な自由主義経済下、シェアーを3%から6%に倍増させたロシアトヨタ社長の奮闘記-

 


ロシアがウクライナに侵攻した。20038月半ば私はウクライナに在るルクオイル(Luk Oil)のオデッサ精油所をたずねていた。この春まで長く続けてきたITサービス企業経営の仕事を終え、Y計測制御システム会社海外営業事業本部の顧問(コンサルタント)としてロシアビジネス拡大を支援するためである。オデッサへ来るまでに他社も含め何ヵ所かのロシア精油所を訪れていたが、入出国時を除けばここもロシアのそれと何も変わらない。本社はモスクワに在るうえに、同行したロシア人スタッフとのやり取りも完全に同国人同士の感だ。ただオデッサの街はモスクワも含めそれまでに訪問したロシアの都会と比べてあか抜け、西欧を感じさせる所だった。もしロシア圏で長期に仕事をすることになるなら、ここが一番と思ったが、残念なことにその機会は無かった。

この月を皮切りに足かけ2年頻繁にロシアに出向き会社の売り込みと製品サービスの販売促進に努め、通算滞在期間は4ヵ月強、これは米(約1年半)・英(プライヴェートで半年弱)に次ぎ3番の長さになる。既に冷戦終結から10年以上経過しているにも関わらず、何か暗さと不安が付きまとう国と言うイメージがあり、それは今も変わらない。例えば地方の精油所訪問、先ず訪問先に招待状を発行してもらいその地に移動、ホテルのチェックイン時パスポート(ロシア人は身分証明書)を預けると、これを地元警察署に提出、ここで国内ビザを付加してもらわないと外出もままならない。一度同行した営業マンと赤の広場近辺を散策している際、警官にパスポートの提示を求められ、私は問題なかったが、彼の国内ビザ滞在期間がホテルの手違いで切れていることを指摘され、賄賂をつかませて見逃してもらったことがある。個人の観光ですらこうだから、ビジネスの裏がもっと複雑怪奇なことは当事者でなくても想像できた。本書は、私が初めてロシアを訪れた20038月に遅れること1カ月、同年9月ロシアトヨタ社長の内示を受け、20041月から5年半その任に当たった人のロシアビジネス奮戦記である。

話はウクライナから始まる。著者は1953年生れ、大学院卒業後長銀総合研究所に就職、そこから外務省に出向、ウクライナ大使館に専門調査官として勤務中19992月長銀が破たん、そこへトヨタから声がかかりロシア市場開拓要員として3月入社する。ウクライナ時代には現在渦中にある東部のドニプロ市に在るミサイル工場を訪問、核ミサイルの解体作業も目にしている。ウクライナに深く入り込んでいた人なのだ。

共産党一党支配の崩壊、エリツィンの放漫国家運営によりマフィアもどきの新興財閥(オリガルヒ)が国家の資産を強奪、経済は国債がデフォルトになるほど混乱していた。これを収めたのが20001月に大統領となったプーチン。折しも原油価格は上昇傾向にあり、今も変わらぬ石油(ガスを含む)依存の国家経済は好転し、人々の暮らしも“もはや戦後ではない”のロシア版を実現しつつあった。

著者が赴任する以前から商社を介してトヨタ車の販売は行われていたが、本体はロシア駐在員室が存在するだけで、直接地場のビジネスに関わっていない。経済の発展・安定化をにらんでトヨタ直卒の組織(ヨーロッパ総本社の下部)を作り本格展開するのが著者のミッションである。ロシア進出を強力に推していたのが当時の奥田会長(のち相談役)、本書に奥田賛歌臭がやや強いのはそれによる(面白くもあるが)。

就任時の数字を示すと(2004年→2008年(一部2007年):①人員;70名→250名(部品倉庫担当を除く)、②直営店(地域本社のような存在、販売店はもっと多い);1739、③販売台数;46千台→157千台、④シェアー;3.2%→6.1%。見事な実績である。本来は4年勤務の予定をさらに延ばされるが“好事魔多し”、2008年のリーマンショックで過剰在庫(2008年度216千台と計画)とルーブルの大幅下落で債務超過、20093月敗軍の将として身を引くことになる(欧州本部、本社海外渉外部を経て2012年退職)。

因みにロシア経済を左右する原油価格の動向($/バレル)は、242000年)→982007年)→1042008年リーマン前)→40(後)。Y社もこの恩恵を受け、既に退職していた2008年晩春、担当役員から「やっと実がなってきました」と謝意をいただいた。つまりいずれの企業にとっても良き時代だったわけである。

業容拡大推進で直面するロシア社会の暗部が“戦記”の核心である。フィンランド(ロシアの港湾では問題(荷役トラブル、盗難)を生ずる恐れがあるため)に陸揚げした完成車の通関(賄賂)・物流(道路事情)・国内保管(保安のため空軍管理の飛行場利用)、代理店展開(利権争い、時にヤミ組織や政治家が絡む)、この闇組織の関与をネタに内務省からの証人喚問(ここでも狙いはカネ)、税務調査も同様(追徴金の1%を収めれば山のような調査資料提出を免除するとの提案。断固これに抵抗する)。最大の難事は新社屋(トレーニング・センター、部品倉庫を含む)建設、土地の所有者さえはっきりせず、これを確定しても許認可に時間がかかる。次にそこまでの道路の地権が問題になる。建設にかかると資材や調度品は大部分が輸入品、ここでも通関や代理店の機能が自由主義社会とは異なる。また零細業者の倒産は日常茶飯事だ。こういう時に頼りになるのが“コンサルタント”、蛇の道は蛇、アフガン帰りを2名雇い、裏社会(官を含む)のあれこれを処理していく。

プーチン政権の統治については、「分裂国家を再び大国へ導く恩人」と当時の現地従業員の評価(Y社の現地従業員も同様)を紹介しつつ、自動車ビジネスを離れ、強権発揮のきざしをユーコスオイル(Yukos Oil)の解体・国有化に見て、その経過(政敵であるCEOホドルコフスキーを逮捕・収監)を詳しく解説している。ユーコスは私自身本社やヴォルガ中流域の精油所(3か所)を何回か訪れたことがあるので、当時のロシア石油事情として身近に感じ同意出来る内容だ。それにしても「分裂国家を再び大国へ導く恩人」と称されていた人物が後年ウクライナ制圧に動くとはロシア人を含め誰も予想しなかったことだろう(ベラルーシがロシアの傀儡とは言われていたが)。「通貨誕生-ウクライナ独立を賭けた闘い」の著者は今回の事態を如何様に感じているだろうか?ある意味時宜をえた一冊であった。

 

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2022年1月31日月曜日

今月の本棚-162(2022年1月分)

 

<今月読んだ本>

1)戦争はいかにして終結したか(千々和泰明);中央公論新社(新書)

2)捕虜収容所の死(マイケル・ギルバート);東京創元社(文庫)

3)職務質問(古野まほろ);新潮社(新書)

4)植民地残酷物語(山口洋一);カナリアコミュニケーションズ

5)コーランを知っていますか(阿刀田高);新潮社(文庫)

6)清張鉄道13500キロ(赤塚隆二);文藝春秋社(文庫)

 

<愚評昧説>

1)戦争はいかに終結したか

-ペテンもどきのウィルソン和平14か条、“無条件”を回避したイタリア、いまだ休戦状態の朝鮮戦争、始めるよりも終わる方が難しい戦争-

 


私の就学同期は1938年(昭和13年)4月~19393月生まれとなる。日華事変(日中戦争)は既に始まっていたものの、19399月のドイツのポーランド侵攻に発する第二次世界大戦は未だし、太平洋戦争はさらにその2年後のことである。無論赤子・幼児ゆえいずれの戦いも開戦は記憶外だ。しかし、国民学校(小学校)入学は19454月、戦争最末期にはそれぞれの思いでがある。学童疎開や310日の東京下町大空襲は小中学校(いずれも台東区立の黒門小学校、御徒町中学校)の同級生から体験談をたびたび聞かされたものだ。ただ、それらは私の戦争体験とはまるで異なるものだった。米英や中国と戦争状態にあることは何となく知ってはいたものの、疎開も空襲も無く日常生活は89日ソ連が満洲に侵攻する日まで、なんら戦争をうかがわせるものは無かった。私の戦争はこの日に始まり、19469月半ば満洲を去るまでの約1年間と言っていい。最初にやってきたのはソ連軍、冬を越すと国府軍(国民党政府軍)、それが八路軍(中共軍)に駆逐され、再び国府軍に変わる。八路軍の統治時期を除き強盗・殺人・略奪は日常茶飯事。国府軍と八路軍の市街戦も体験した。後年昭和史や欧州戦史を学び思い浮かんできたのは、満洲における戦争終結は内地と異なりむしろベルリン陥落に近かったのではなかろうか、と言うことである。いくらポツダム宣言受諾をしたからと言って、そこで戦争状態が終結したわけではなかったのである。同じ戦争で同じ日本人が体験した終戦ですらこんな違いがある。第一次世界大戦から湾岸戦争・アフガン戦争・イラク戦争までの戦争の終結を少壮(1978年生れ)の国際安全保障研究者(防衛省防衛研究所主任研究官)が、体系的に整理して見せたのが本書の骨子である。

本書は著者の専門分野(日米同盟史・防衛政策史)や職歴(防衛研究所、内閣官房副長官補付(安全保障、危機管理))から、学術論文を一般向けに書き改めた性格を持つ。つまり、戦争終結形態に関する仮説を設定した後、個々の戦いを分析、仮説との検証を行い、一般化すると言うプロセスを採る。戦争の動機や抑止については既に多くの研究が在るが、出口戦略に関しての一般化はごく限られている(特に我が国では)ことから、そこに着目しこれに取り組む。

研究の視点は、大別すると①権力政治的アプローチ(パワーで圧倒し戦いを終わらせる。これには単独と同盟を考慮した二種がある)、②合理的選択的アプローチ(紛争根源の除去・解決、広義の費用対効果を考慮した妥協)があり、本書では両アプローチを併用する。仮説は、『戦争終結は優勢側の「将来の危険」と「現在の犠牲」を巡るシーソーゲームの中で「紛争の根本的解決」か「妥協的和平」に向かう』と言うものである。

分析対象は、第一次世界大戦、第二次世界大戦(欧州とアジアを分ける)、朝鮮戦争、ヴェトナム戦争、湾岸戦争、アフガン戦争(2004年のタリバン政権崩壊までで、昨年の米軍撤退・タリバン復権は取り上げられていない)、イラク戦争。

際立ってユニークなのは第二次世界大戦における連合国の“無条件降伏”貫徹である。しかし、子細にみると伊・独・日の降伏形態は異なっている。伊は戦いの根源であったムッソリーニが国内の政争により失脚したことで条件降伏(短期(軍事)、長期(政治))となる。独の場合は完全な無条件降伏、国土が戦場となりベルリンが落ち、ヒトラーは自殺、ナチス党は崩壊して“紛争の根本的解決”が徹底的に図られたケースだ。日本の場合、戦いの主導権は米国が握っておりポツダム宣言は外交文書として公式なものでなく、ソ連には事前に諮らず発表、原爆投下で、“国体護持”の条件は曖昧なまま一種の“妥協的和平”が成る(全土が占領されるので“紛争の根本的解決”に限りなく近いが)。米国にとって無条件降伏を求めての本土決戦は「現在の犠牲」が大きいと読んでのことである(局所的には沖縄戦は対独戦に近い)。

ヒトラー最期の日、ベルリン陥落、ポツダム宣言と終戦詔書(玉音放送)、あの戦争の終末について、個別には書物や映画でよく知られているところだが、こうして他の戦争とも並べて整理されると、あらためて優位・劣位を問わず、戦争の終わり方の難しさが分かってくる。

 

2)捕虜収容所の死

-映画「大脱走」を彷彿とさせる、捕虜脱走兵だったミステリー作家に依る体験的戦争サスペンス小説-

 


今年の初映画鑑賞は「キングズマン・ファースト・エージェント」、第一次世界大戦を舞台にしたスパイ活劇である。古い映画ファンの一人として戦争物は必見なのだが、最近はめっきり減ってしまい、ほとんど観る機会がないのが残念だ。高校生から社会人になる頃までは年に34本は楽しめた。そんな戦争映画のジャンルに捕虜収容所からの脱走劇を扱ったものがある。ビリー・ワイルダー監督、ウィリアム・ホールデン主演「第17捕虜収容所」、ジョン・スタージェス監督、スティーヴ・マックィーン、チャールズ・ブロンソン、ジェームス・ガーナ―などオールキャストの「大脱走」などがその代表的なものだろう。前者は収容所内のスパイを巡る話。モノクロでチョッと暗い感じの内容だが、ウィリアム・ホールデンはこれでアカデミー主演男優賞を受賞している。後者は3時間に及ぶ大作でトンネル掘りが一つのヤマ場、50人を超す脱走劇も多様で緊迫感のあるものに仕上がっている。現在でもときどきTVで放映されるほどの人気作品だ。

本書を少し読み進めた時「ひょっとするとあの二つの映画のどちらか(特に後者)の原作はこれではないか?」と思い調べてみた。結論は違っていたものの、「大脱走」原作者の戦争体験と本書著者とよく似ていた(「第17捕虜収容所」はブロードウェイの舞台劇が基)。

「大脱走」の原作者は英空軍の戦闘機パイロット、北アフリカ戦線で撃墜され独軍の捕虜となりドイツの捕虜収容所に囚われの身になっている。かたや本書の著者は英陸軍砲兵隊所属でこれも北アフリカで戦ったのちイタリア戦線で独降下部隊の捕虜となって北イタリアの捕虜収容所に収容、そこから脱出して再び最前線に戻った経験を持つ。両者とも英国人、実戦に参加し捕虜となって点も同じ、そして共通するのがトンネル掘りによる集団脱走である。大きく異なるのは前者の収容所はドイツ、後者はイタリアで監視兵も独・伊の違いがあり、これが本書の筋に大きく影響してくるのだ。つまり、北上してくる連合軍の占領域とそれによるドイツの収容所への移管や過酷な独軍管理への恐れが、脱走計画の時間的制約になってくる。

大筋は、「第17捕虜収容所」のテーマである捕虜の中のスパイ、「大脱走」のトンネル掘りに依る大量脱走、それに殺人ミステリーが加わる。と言うよりもこの殺人事件の解明が本書の主題である。それもそのはず、作者(1912年生れ)は1947年「大聖堂の殺人」でデヴューし、1953年英国推理作家協会(CWA)が創設されたときの中心メンバー、1994年には同協会からダイヤモンド・ダガー賞を贈られるほどの著名推理小説作家なのである(2006年没)。本職は弁護士、いかにもアマチュアリズムを尊ぶ英国らしい。

イタリア北部にある英軍士官専用捕虜収容所で密かに掘られていた脱出用トンネル内で一人の士官(ギリシャ人)が死体で発見される。それは仲間からスパイを疑われていた男なのだ。トンネルの完成まであと6週間、まだイタリア軍には気づかれていないし、トンネルへの入口は大型ストーブの下に巧妙に隠されており、その操作には少なくとも4人が必要だ。彼は何故一人でトンネル内で死んでいたのか?ともかくこのトンネルを秘匿すべく、脱走委員会は別のトンネルに死体を移し崩落事故を装うことにする。この事故を厳しく追及するのはカラビニエーレと呼ばれるファシスト党組織(独ナチス党親衛隊に相当)の大尉。捕虜、カラビニエーレ両者にとって最も気になることは連合軍の北上だ。大尉たちは逃げるため、捕虜たちは脱出後の行動のため。諸々の疑惑と不可思議な出来事の連続する中でトンネル掘りは着々と進んでいくのだが・・・。独・伊軍が混在する戦域描写が緊張感を高める。

エラリー・クイーンがかつて「プロの中のプロ」と評した作家の作品。私は初めて読んだが、戦争とミステリーの両面でそれを愉しんだ。

 

3)職務質問

-万が一職務質問されたら法律論などかざさず素直に応じてやってください-

 


同年輩の知人で東大法学部を卒業、上級公務員試験に合格したにもかかわらず「採用を決めてくれたのが自治庁(現総務省)の警察部門だったからやめた」と1年民間企業に勤めた後文部省(現文科省)に転じた者が居る。自治庁を蹴った経緯を聞いた時「もったいない」と思った反面「自分でも警察はちょっとな~」と彼の考えに同調するところがあった。世界に誇る治安の良さが優れた組織と人に支えられていることは分かっていても「出来るだけ距離を置きたい」と言うのが率直なところである。交通違反や遺失物届はともかく、それ以外で今まで警察にお世話になることがなかったのは、一市民としてはそれで良かったと思っている。しかし、高齢化で認知症にでもなったら、何をしでかすか分からない。母が父を認知できなくなり「家に変な人が居る」と言い出しパトカーが駆けつけたことなど、ボツボツ他人ごとではない歳になってきている。本書によればこのようなパトカーは<機動警ら>と言うものらしい。好みのジャンルではないものの警察を少し知っておこう。そんな動機で本書を手に取った次第である(認知症になってしまったら役に立たないのは承知の上で)。

著者は東大法学部を卒業後警察庁第Ⅰ種警察官(上級国家公務員)として採用され、海外留学もし、警視庁を始め現場経験(主に公安関係)も豊かな人のようだが、その後の経歴を明らかにせず覆面作家に転じている。

本書を知ったとき「職務質問についてあれこれ面白い話が記されているのだろう」と半ば野次馬根性から求めた。しかし、目論見はかなり違っており、“職務質問法律入門”と言っていい内容だった。つまり意外と真面目で奥が深いのである。

先ず、職務質問(職質)の法的論拠は1948年(昭和23年)に制定された“警察官職務執行法(警職法)”第2条に依るのだが、戦後間もなくの制定もあって時代の変化にそぐわず、最高裁の判例で細部解釈を決めてきたものであることが図解も含めて具体的に解説される(例えは、身体接触や所持品検査(法律なし、すべて判例)など)。根本にあるのは警察官の任意活動(職質)か強制活動(取り調べ)なのかの違い。またこの際どこまで“有形力の行使(いわゆる実力行使)”が許されるかが職質の適法・違法判別の重要因子となる。日本の警察が許される範囲は外国では“悪い冗談”と間違われるほど制約されているのだ。つまり、職質を受ける方だけでなくやる方もかなり緊張を強いられていることが分かる。

職質を行うのは“地域警察官(外勤)”。つまり交番・駐在所・パトカー(PC)勤務の警察官。これは全警察職員の13を占め、すべて制服・制帽を着用、そこに識別票を付けており、「警察手帳を見せろ」は通用しない。また、署に詰める刑事はこれに該当しない。地域警察官の勤務メニューは<警ら(PC警らを含む)>、<巡回連絡(家庭訪問)>、<見張>、<在所>でどの勤務時にも職質を行え、職質の99.99%はこれらの中で実施される。

職質の主目的は“職質検挙”。その構成は、自動車警ら中;37%、自転車・徒歩警ら中;22%。職質検挙率は刑事犯全体の12%程度で推移しており、決して無視できる数字ではない。職質をなおざりにする地域警察官は「犬のおまわりさん」と揶揄されているようだ。

従って、警察官育成における職質教育は極めて重要、“職務質問技能指導者制度”が制定されており、警察署長が指定する“職務質問準技能指導員”から、警察庁長官が指定する“広域職務質問指導官”まで、4階級の指導員・指導官が存在する。最高位の“広域”は存在しない県の方が多いくらい稀有なランク、当に“神さま”に近いその道の超ベテランなのだ。

このような超ベテランはともかく、一般の地域警察官が職質の達人になっていく一般的コースは、交番・駐在所勤務→警察署PC勤務→警察本部PC勤務(この段階でプロ棋士)と言ったところ。

読者へのメッセージは「(後ろめたいことが無ければ)生半可な法律論など仕掛けず素直に応じてやってください」である。平成14285万件でピークとなった刑法犯認知件数が“職質シフト”で令和2年には65万件に急減したことを知らされれば(「誤記ではありません」とことわり書きがある)、このくらいのことは協力したい気になってくる。

先にも書いたように法律解説が多く面白い読み物ではない。しかし、街のおまわりさんが日ごろ何をしているのかが分かると言う点において一読の価値は十分にある一冊だった。

 

4)植民地残酷物語

-大使まで務めた外交官の書いたものとしては薄っぺらいなー。でも狡猾な欧州の政策や中華帝国再興の動きには最大限の警戒を!-

 


現役時代某外資系IT企業と付き合う機会が多かった。日本で、米国で、その他の外国で多くの社員と出会い、その名刺数は日本人を除き100枚を超す。そんな中に米国に居住する私より3歳年長のオランダ人が居た。私が務める会社も外資系で顧客の立場だったから、当時は日本や日本人の悪口などひと言も口にすることは無かった。1980年代半ばユーザー事例紹介のため彼とジャカルタへ同行し、少年時代この地で過ごしたことを知ったが、格別記憶に残る話は無かった。それから30年、お互い引退者の身でFB友達になったが、太平洋戦争開戦や終戦の時期になると彼の投稿に日本軍の残虐行為を取り上げた新聞記事や写真がこれでもかと載るようになった。投稿記事の内容から分かってきたことは、終戦まで家族とともにジャワ島の収容所に閉じ込められたばかりでなく、兵士だった身内は泰面鉄道(映画“戦場にかける橋”で知られる)の使役に従事させられたことも分かってきた。被害者としての個人的な日本批判・非難は、立場は異なるものの一切を失い満洲から引揚げた体験から理解はするものの、国や民族として見た場合、欧州諸国の植民地が過酷な環境下に置かれことを思うと、「彼らの身にもなってみろ!」と叫びたくもなる。12月に嫌な思いを新たにした時Amazonのお薦め情報で知ったのが本書である。

著者は1937年生れの職業外交官、大使(マダガスカル、トルコ、ミャンマー)も含め欧州・アジア・アフリカ諸国に勤務、そこにはインドネシアもあったから、歴史を踏まえ俯瞰的視点と微視的視点の両面から植民地支配を詳らかにしてくれることを期待して読んでみることにした。

先ず属州・属国・植民地統治方式を俯瞰する段階でこれを①共存・同化型と②支配・搾取型に大別する。①の代表格はローマ帝国、②は英国に依るインド支配が特に何度も取り上げられる(インドに限らず、分割・間接統治、地場産業の破壊など)。ただこれを細部に落とす段階で、①ではオスマントルコ帝国やミャンマーの古代王国、②では近代ミャンマーやキプロス島など、あまり植民地史では目にしない国や地域が詳述され、何か内容に偏りを感じさせる。大使として赴任したところに焦点が当てられていることは明らかだ。かつ当時の赴任国・政権側に肯定的だ(キプロス問題ではトルコ、ミャンマー問題では軍事政権;私もアウンサンスーチーは胡散臭いと感じているが)。この段階で「この本は注意深く読む必要がある」と警戒心が過るようになる。「そう言えば出版社も聞いたことが無いところだ」と。

大航海時代以降、富(金から香料まで)とキリスト教布教を目的に初期にはスペイン・ポルトガル、それを追い落とすように英国・オランダ・フランス、さらには米国がアフリカ、中南米、東南アジアに進出、奴隷貿易や収奪的貿易を重ね、富を蓄積したのは確かだ。また宗教も現地の人々の平穏をもたらすものではなく侵略の先兵・洗脳者であったことは間違いない。ただ、本書の中でこれを語る時、それは極めて表層的で、赴任先の国情・歴史を除けば、高校の世界史で学んだことと著名な歴史作家の作品(ローマ帝国に関してはほとんど塩野七生の「ローマ人の物語」からの引用)を重ね合わせればごく常識的な内容で、とても経験豊富な職業外交官がまとめたものとして物足りない。日本の植民地(台湾、朝鮮、満洲)については①共存・同化型を援用、自画自賛ばかりで客観性を欠く(私の満洲時代の体験を含め)。

著者の主張で顧慮すべきは二点。一つは、西欧を中心とした世界観に対する批判である。かつての植民地支配が形を変えて今に継続しており、それに取り込まれぬよう注意せよ!と言う件である。昨今の宗教と見紛うばかりの“脱炭素社会キャンペーン”はその典型であろう。もう一つは、中国の帝国主義的膨張策、これも大航海時代以降の欧州による領土拡大・植民政策と極めて近いと言う警告である。

残念ながら、インドネシ勤務があったにもかかわらず、オランダの植民地支配には一言も触れていなかった。

 

5)コーランを知っていますか

-存在感を増すイスラム、その聖典を軽妙洒脱に語る、面白い入門書-

 


私が初めてイスラム世界と関わったのは19855月、ジャカルタで開催されたIBM主催のセミナーに事例紹介者として招かれた時である。成田からのフライトはインドネシアのフラグキャリアー、ガルーダ航空。離陸し間もなくスチュワードが飲みものの注文を取りに来た。米系航空会社ではいつもマティーニを所望していたから、深く考えず同じものを頼んだ。スチュワードは一瞬戸惑った表情で「どんなカクテルで?」と問いかけてきた。今度はこちらが「エッ!」となり「ジンとベルモットをミックスしビターを一滴たらし、レモンを一切れ添えて」と指南する羽目になった。持ってこられたそれを口に付け、甘すぎてとても飲めるものではない。ベルモットには甘口もあるからそれをたっぷり注いだ結果である。「これはマティーニではない」とつき返した。この顛末を見ていた、通路を隔てて隣り合った日本人のビジネスマン(あとで、一時帰国していたゼネコンの社員であることが分かる)が「インドネシアは初めてですか?」と話しかけ「インドネシアはイスラム教の国で酒を飲むことは禁じられているのです。国際便でも缶詰め・瓶詰めが無難ですよ」と教えてくれた。その後、トルコ、バーレーン、イランなどイスラムの国々を訪れる機会があったし、米国ではバングラディッシュ出身のエンジニアの家にも泊った経験があるが、禁酒の戒律はしっかり守られていた。コーランがそれを禁じているからである。

コーラン(本来は“クアルーン”が近いようだ)なるものを知ったのは高校の世界史を学んでいた時である。中世のイスラム世界拡大と併せて「コーランか剣か」のひと言が記憶に残る。その後石油会社に在籍し中東・イスラムに関する書物は読んできたがコーランについては本書まで手にしたことはなかった。硬いノンフィクションが多い中で、息抜き・気分転換にと求めた。作品は一点も読んでいないが直木賞受賞作家であることを知っていたことも後押しをした。期待通り軽妙平易、ユーモアに満ちた楽しい読み物であった。単行本の発刊は2003年(文庫化は2004年)、解説によればオリジナルは小説誌に連載されたエッセイとあるから、同時多発テロ9112001年)の間近から始まったと推察される。イスラムのイメージが急落した微妙な時期、おそらく当時の読者はこれを読んで、悪評を正せたのではなかろうか。私自身も「コーランか剣か」の過激派は払しょくできた。

1章開端(かいたん)から始まるものの、学者の書くような体系立った解説書ではない。時に揶揄や疑問を交えながら「その時代(7世紀)の社会情勢や風俗習慣を知らないと理解できない」と好意的なコメントを加える。例えは“4人の妻を持つ”ことを許容する背景として布教活動の中での戦闘に依る未亡人や孤児の多発・救済に著者の見解を示す。実際マホメットは早くに両親を失い親戚に育てられるが奴隷に近い扱いだった。彼の才覚を見出したのは裕福な戦争未亡人、最初の妻は遥か年上のこの人で、彼女が亡くなるまでは他の女性と関係は持たなかったが、生涯と言うことになれば妻妾は10人近くなる、と言うようにである。

コーランはマホメットが書き残したものではなく、40歳ころ「このまま生きて、死んで、それでどうなるのか?」と懐疑、山籠もりでアラー(神)の啓示を受け、それが発端となり新たな啓示を受ける度にそれを繰り返す、これを死後他者がまとめたものなのである。従って、啓示はマホメットの意識を経ることによって、“変容”されていない、とされている。しかし、著者は聞き手(預言者)であるマホメットの考えも含まれている可能性は無視できないとの見解を示す(先人の研究)。

コーランは114章から成り、その章建ては論理的な構成ではなく、開端を除けば概ね長いものから短いものへと移っていく。章題は、婦人、食卓、家畜、戦利品、預言者、信者、山、星、月、離婚など多岐にわたる。婦人の章では“男は女より上位”が明記されているし、 “禁酒や豚肉禁止”は食卓の章にある。信者の章では“六行五信”(六行;アラー、天使、啓典、預言者、来世、天命。五信;信仰告白、礼拝、斎戒(断食)、喜捨、巡礼)について著者が丁寧な解説を加える。ここはコーランと言うよりイスラム教徒の理解に有用だ。ただ、同じ戒律・教訓が何度も繰り返され、著者いわく「親父のお説教」同様、あとでじわーっと効いてくるのは冷酒みたいなものとも言えるとのこと。分かり易い例えだ!

著者は同趣のシリーズとして“ギリシャ神話を知っていますか”、“旧約聖書を知っていますか”、“新約聖書を知っていますか”を上梓している。出版順序は不明だが、これらとコーランの関係が面白い。特に、旧約聖書とコーランの類似に驚かされる。“アダムとイヴ”、“ノアの箱舟”、“出エジプト記”などがそれらだ、コーランに記載された人物の名前(ユダヤ教、キリスト教)は以下の通り;イーサー(イエス)、ムーサ―(モーゼ)、ヌーフ(ノア)、ファウラウン(ファラオ)。決して、ユダヤ教やキリスト教は敵対する存在ではなかったことが、ここからうかがえる。原点は同じ、最後に出現したイスラム教が“良いとこ取りした”と言えなくもない。

おそらくエッセイ掲載中と思われる2002年著者は夫人とともに日本初のサウジアラビア・ツアーに参加、首都リヤド(現代都市)や隣国ヨルダンを訪れるものの、メッカやメディナの聖地訪問は許されず(信者のみ)、隔靴掻痒の感で帰国せざるを得なかった体験も本書の最終章に記され、これも現代イスラムとコーランの関係理解の一助となる。

信徒数約12億人、イスラム理解は21世紀の大きな課題。イスラム入門として格好の書、が読後感である。

 

6)清張鉄道13500キロ

-清張作品全320編に目を通し、鉄道初乗り路線とその距離を積算、自身の旧国鉄全線乗りつぶしと重ねて文学評をこころみる-

 


書架に20冊を超える宮脇俊三の鉄道エッセイが並んでいる。1978年に出版された国鉄全線完乗記録「時刻表2万キロ」や一筆書きで13千キロをつなぐ「最長片道切符の旅」は言わば座右の書だ。しかし自動車と新幹線シフトが進んだ昨今、鉄道旅の面白味を伝える出版物がめっきり減っている。自家用車や新幹線の移動は運転や時間優先、土地の生活や旅情に深みを欠きがちになるのは、2007年から13年間スポーツカーで全都道府県35千キロ走破後の実感でもある。

20202月運転免許書を返納、「これからは鉄道で」と満を持していたところで長いコロナ禍、それでも同年秋に発売された「鉄道旅がもっと楽しくなる地図帳」(山と渓谷社)を購入し、チャンスを待ち続ける日々である。残された時間に限りある身、出来るだけ事前に情報を集め、訪れる場所を絞り込んでおきたい。そんな時広告で目にしたのが本書である。松本清張の作品に出てくる鉄道旅を整理・集大成したものとあった。結論から言えば、旅の楽しみは一先ず置いて、「超一級の清張研究」と評価する内容だった。

著者は1948年生れ、北九州で生まれ育ち、九州大学卒業後朝日新聞社に就職した新聞記者。西部本社勤務がベースで山口総局長を最後に2009年定年退職している。根っからの鉄道少年が今に継続する本格派乗り鉄。現役時代の出張でも時間が許されるときにはわざわざ遠回りの旅程も辞さない。こうして挑んできた旧国鉄路線乗りつぶしを達成するのは20134月、その距離は19981キロ、これは宮脇の場合とあまり変わらない。この間多くの路線が廃線になっていることを考えると解せないが、新幹線を含むのだろうか。

この鉄チャンが以下のような手順・条件で清張作品の鉄道旅に挑む。手順;①320編(ノンフィクションを除く)を読む(2014年~2016年)、②発表順に並べる、③鉄道が出てくるものを選別する、④初登場した線区・駅間を抽出する(2度目以降はカット)、⑤その駅間距離(キロ数)を算出する。条件;対象路線;旧国鉄(JR、第3セクター、新幹線)、私鉄(路面電車は含まない)、距離数;基本は2007年版時刻表記載の営業キロ数、ただしその後廃線になったり新線に切替えられたものがありその調整を行う(例えば北陸トンネル)、作品出典;松本清張全集(文藝春秋社)、ここに無いものは他社の出版物。こうして積算された総距離数13550.1キロを“清張鉄道”と名付けたのだ。

構成は作品発表年次順、最初は「西郷札」(1951年、直木賞候補)、最後は「犯罪の回送」(死後1992年刊)となる。320編の内鉄道が登場するのは162、ダブりもあり初乗りは100編に絞られる。この中には鉄道トリックが謎解きのカギとなる「点と線」(1958年)が含まれるのは言うまでもない。

本書の内容はただ鉄道路線や距離を解説するものではなく、初乗り区間を中心に路線情況・乗車場面を抜き出し、当時の社会情勢に対する清張の見方・考え方が如何に作品に影響したかを考察する。この考察の中で著者が発見するのは「清張鉄道の三つの聖地」である。中国山地、信州、武蔵野がそれらだ。作品はこの順で地域を広げ行く。中国山地は父の出身地(島根)、薄幸だったその人への思いが、北九州育ちでそこから作家活動をスタートさせた清張を惹きつけたことは容易にうかがえる。九州から東京に居を移した清張は諏訪地方を頻繁に登場させるようになる。著者も北九州出身、あの周辺の景観は九州では決して見られず、山河の造りの大きさに感動させられるが、清張も同様ではなかったかと推察する。作家活動と新聞社社員を並行させるため1953年東京に転居、荻窪・練馬・石神井・高井戸などもっぱら東京西部に住んだことから土地勘のある武蔵野を舞台に取り上げた作品が多いのだろう。それぞれの項に著者の乗り鉄体験や社会批判を重ねるところにも、文学と鉄道のフュージョンを楽しめるようになっている。

実はこの本の元は北九州市立松本清張記念館が行った2015年度研究奨励事業応募に採用された「清張鉄道13500キロ 作品中の乗車記録詳細と文学的効果の考察-清張世界への乗り鉄的アプローチ」の研究報告であり、地図や作品名、発表年次、ごく短い乗車場面、初乗り路線・区間・距離をまとめた一覧表(旧国鉄、私鉄別)を添付、ただの乗り鉄記でないことがエピローグで明かされる。これからの鉄道旅行に事前準備も含め必須・必携だ。

 

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