2015年7月14日火曜日

魅惑のスペイン-5


3.バルセロナ-3
東京の緯度はスペインでいえばアフリカに接するジブラルタルに近い。それでも東京を気温・気候面から見ればパリなどとそう違わない。つまり気候的にスペインはかなり南にあると考え、旅の備えをすべきなのだ。このことは充分分かっていたのだが、それでもズボンまで夏物を用意しなかった。サグラダファミリアを見学した後の昼下がり、冷房を効かせたバス内はともかく、外の暑さは完全に夏。新婚旅行組男性のショーツが涼しげだ。
昼食場所はグラシア通りを海岸まで南に下り、少し東へ向かった海岸遊歩道から張り出したシーフードレストラン「バルカ・デル・サマランカ(サマランカ(地方)の小舟)」 そこでのスペイン初のきちんとした食事は、“サルスエラ”というバルセロナ風ブイヤベースだった。フランスのそれとの違いはスープの味付けに工夫が凝らされ、それが料理そして店の勝負どころらしい。結論から言えば今回の旅で12と評価できるものだった。本来は冷えたスペイン白ワインが合うのだろうが、あまりの暑さに生ビールで食した。海岸には驚くほどの海水浴客。
1時間半の食事の後は旧市街(ゴシック地区)を通り抜けてホテルへ戻る。このルートで自由時間での土地勘がある程度つかめる。
ホテルで30分ほど休憩した後、そこから徒歩で10分程度のカサ・バトリョ(バトリョ邸)に向かう。昨晩遅いチェックイン後外からライトアップを眺めた邸をこんどは中に入って見学するのだ。階段・明り取りの窓・照明・建物の中空空間・部屋・廊下・ガラスに施された装飾・家具、解説されて初めて気づかされるガウディの数々の創意工夫に、ただただ驚嘆する。まるで水中に住んでいるような感じが、冷房もないのに冷感をもたらしてくれる。難点は少し込み合っていることである。3時半頃屋上に達し、ここで解散。あとは夕食まで自由行動である。
通りの北にあるカサ・ミラ、カサ・グエルなど一連のガウディ作品も観てみたかったが、我々は南に下り旧市街に向かうことにする。当初は地下鉄利用を考えていたのだがガイドは「直ぐに観光客と分かるのでお薦めしません」とのこと、昼食後の帰り道、ルートも分かっているし大した距離でもないので歩くことにする。
しかし、歩きっぱなしの1時間強の観光のあと、先ず涼しいところで冷たい飲み物でも飲んで一休みしたい。一筋南へ下ったところにTapaTapaという比較的入りやすいバルがあったので、室内のテーブル席で清涼飲料を摂ることにする(ビールか冷たいワインが欲しかったが、あとに歩きがあるので我慢)。若い従業員は英語で全く問題ない。
今や勝手知ったグラシア通り、今朝散歩したカタルーニャ広場を過ぎると、道幅が少し狭くなるとともに分岐する。そこを東南の方向に向かうと通りはさらに狭くなり、大聖堂(カテドラル;一部はローマ時代の遺跡を利用)に向かう歩道だけになる。大聖堂横の広場からそれを眺めると、何と尖塔はサグラダファミリアによく似ている。13世紀から建設が始まったものが19世紀と同じとは!知らない人が「これもガウディの作品ですか?」と質したことがよくわかる。どうも尖塔部分はかなり時代を経てから完成したので、“ゴシック様式”として、両者に共通性があるということらしい。
ここからさらに“旧市街”に踏み込む。次に目指すはピカソ美術館、今日は無料と聞いていたからだ。しかし、有名なわりに場所がなかなか見つからない。何度か付近の商店で地図を見せながら「ムセオ・ピカソ」と問いかけ、やっと辿り着いたのは「こんな路地に?!」と驚くような場所だった。加えて延々長蛇の列。スタッフに問うと「5時頃には入れるでしょう」とのこと。5時に入って1時間くらいザーッと見れば、夕食集合時間までにはホテルに戻れると読んで列に並ぶ。しかし、やっと発券受付に辿り着くと「あなたが館内に入れるのは6時です」と告げられギブアップ、ホテルへ戻ることにする。
1時間ほど休憩し、19時からホテルに近いタパス料理(日本ではスペイン小皿などと言われる)のレストランで食事。この時刻はスペイン人には夕食には早すぎる時間帯、他に客がいないところで食したあれこれは、ほとんどが冷たい料理で味もいまいち、評価は今回最低であった。1時間半ほどで解散し、表へ出ると人々が通りを埋めている。バルセロナFC三冠達成のパレードが行われていたのだ。
暑い一日はこうして終わった。そしてバルセロナ観光も。

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(次回;マラガへ)

2015年7月12日日曜日

満7年5万アクセス

皆さま

 本ブログを2008年7月12日に立ち上げ、本日満7年を迎え、かつアクセス件数が5万件を超えました(公開投稿件数589件)。これも偏に皆様のご支援の賜物と深く感謝申し上げます。
 内容が立ち上げ時の趣旨と異なり、“経営における意思決定と数理”からかなり外れる投稿が多かったにもかかわらず、これだけのアクセスをいただいたことに驚くととも、大いに励まされた感をふかくしております。
 お礼を申し上げますとともに、今後のご指導・ご鞭撻をよろしくお願いいたします。

眞殿 宏

上州・信州山岳ドライブ-10


9.界松本
浅間温泉には30軒くらい旅館がある。数軒はコンクリート造りの高層ホテルもあるが、客室10数室のこじんまりしたところが多い。開湯は千年以上前と言われているが、少なくとも江戸時代からの湯場(松本歴代藩主が湯あみした御殿湯;枇杷の湯)も残っているので、それなりに由緒ある旅館もありそうだ。調べていくと、確か与謝野晶子など多くの文人も投宿したなどと説明されるところや、明治・大正の面影を留めるいかにも老舗風の構えをHPに載せているところもある。当初はそれらの中から口コミで評判のいいところを選ぼうかと考えていたのだが、前日草津で老舗旅館に泊まることを決めていたので、少し変わった所が無いものか更に調べを進めてみた。その結果目に留まったのが界松本である。
先ず建物の外見が極めてユニーク、“旅館”というより小規模なイベントホールの様な感じなのだ。施設内容を調べると、和室、洋室さらにそれに露天風呂が付いたものなどそれほど普通の旅館と違わない。客室数が26というのも手ごろな大きさである(団体客は入らない)。更に調べていくとこれが星野リゾートグループであることが分かってきた。どうやら老舗温泉旅館で経営に行き詰ったところを買収し、再建したところを“界”チェーンにしているのだ。ここもその一つ、旧名は貴祥庵とある。予約状況をみると繁盛していることが分かるし、口コミも決して悪くない(悪いのもあるが“星野リゾート”への期待値とのギャップと言っていい。実際星野リゾートとそのカリスマ社長には毀誉褒貶多々あり、評価は分かれる。典型的なのは“ぼったくり”(これは界ではなくリゾート系;中国人には人気らしい)。「一度体験してみよう」こんな気持ちで2泊目をここに決めた。
この温泉街は他とは違い、土産物屋や飲食店が無くまるで住宅地のようだ。ナビが「目的地周辺です。ここで案内を終わります」と言われてもそれらしき建物が見つからない。左側は高い塀が続く、するとその先の小さな看板に“界松本”と書かれていた。塀の内側が旅館の敷地だったのだ。看板の所を廻り込んだ所が駐車場。計画検討中に見た円筒形の奇妙な構造物が目の前に屹立する。しかし、その円筒形部分には入口は見つからない。よく見るとその右の内塀に小さなくぐり戸がある。ここがロビーへつながっている。円筒部分は高い天井の吹き抜け、ロビー、フロント、土産物コーナーなどがある。結論からいえば、この旅館の建築上の特徴はこの円形多目的ホールと、もう一つ宿泊・飲食施設がある本館?との間に在る中庭につきる。
部屋は一番安い和室“スタンダード”にしたので、口コミでは評判の部屋専用露天風呂は無いし、売り物の北アルプス遠望もできない。しかし、広縁や収納コーナーを含め広さは充分、トイレ・風呂・洗面(二人分ある)も清潔で申し分ない。大浴場(露天風呂、2種のサウナなど併設)も明るくて気持ちがいい上に、誰も入っておらず、のんびり今日一日の疲れを癒すことできた。
夕食は一階の和風個室(掘り炬燵形式で外国人にも抵抗が無いだろう)を連ねた一つでいただく。メニューは、これも“スタンダード”にしたが、地産の野菜や鱒など使いまずまずの出来、量は充分すぎるくらいだった。
夕食後ロビーを兼ねたホールで8時過ぎからフルートとピアノの演奏会があった。軽くアルコールなど飲みながら聴くのはなかなかの雰囲気だ。子供がいたのでジブリ映画の主題歌なども演じられた。日によってジャズなどもあるようだ。最近はこのような催し物サービスの有るところが増えているような気がする。ただし、都心で本格的に楽しむものとの差は大きく、まあ余興というところである。
旅館の周辺は静かで、ゆっくり安眠できた。早朝一風呂浴び、前夜と同じ個室で伝統的な和朝食。これもまずまずであった。
界松本の感想;価格(3万円弱/一人)やサービス、設備も含め総合的にはまずまず(5点満点で3.5)。とにかくスタッフが若い。一生懸命やっているのは好感が持てるのだが、健気さが表に出るほどで、経験を重ねた滑らかさが無い。多分報酬は安く、ベテランは去っていくので若さが際立つのではないかと勘繰ってしまう。
今回は草津の老舗といい、ここといい、誠心誠意サービスこれ努めているのだが、何か経営の辛さ・厳しさを感じてしまった。これも歳をとったからだろうか。それとも根が貧乏性ということだろうか。考えさせられた2泊であった。

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(次回;美ヶ原へ)

2015年7月10日金曜日

魅惑のスペイン-4


3.バルセロナ-2
9時からいよいよバルセロナ観光だ。案内は昨日空港に出迎えてくれたマリアと称する日本人女性がガイド。バルセロナは翌朝の出発までガイドはこの人一人だったからライセンスを持っているのだろう。大型バスに添乗員のSSKさんとこのガイドを含めて16人しか乗らないので、座席は好きな所に二人分を一人で占有できる。今日のスケジュールは、グエル公園→サグラダファミリア→昼食→ホテルでシエスタ(休憩)のあと、1420分に徒歩でカサ・バドリョまで徒歩で出かけ、そこを見学後15時半ごろ現地解散。あとは19時にホテルロビーに集合してディナーに出かけることになっているのでこの間は自由行動だ。明日の朝は早くにチェックアウトしマラガに向かうので、バルセロナ観光は今日一日しかない。
バルセロナは南側にある港町を起点に次第に北側の丘に向かって広がっていった。グエル公園はその丘の中腹にあるので、中心部にあるホテルからは北に向かうことになる。道は、街中では緩やかな上り勾配だが公園に近づくにつれ急になり、何度か折り返して公園の駐車場に入る。この急な傾斜地は昔は人が住むような所ではなかったらしいのだが、ガウディはここに自ら構想するニュータウンの開発を目論んだ。そのスポンサーになったのが実業家のグエルである。ただ当時は至極不便なところで、手始めに作った数件の住宅は結局1軒も売れず(売れ残った1軒にガウディはしばらく住んでいた)、公園として活用されたのである。多くの観光客が先ずここを訪れるのは、ここの広いテラスからバルセロナ市街地が海まで一望に見渡せ、土地勘を把握しやすいことと、ガウディに代表されるモデルニスモの具体的な姿を、身近に手を触れながら知見できるところにある。確かにテラスに設けられた湾曲し腰と背中にピタリと馴染むタイル張りのベンチなど、一見奇形とも思えたものが極めて考え抜かれた作品であることに驚かされる。
この公園で約1時間を過ごし言わばガウディの前菜を味わった後はいよいよバルセロナ観光、否今回の旅の最大のメインディッシュ、サグラダファミリア(聖家族)である。バスは一旦坂を下ったあと東へ向かって20分弱、イボイボだらけの尖塔が見えてくると、車内は落ち着かなくなってくる。バスは近くには停められないので、少し離れたところで下車、周囲の建物が高いのでしばらくあの独特の姿が見えない。やっと全容が見渡せる教会前の小公園に到着。誰もかもあの奇態な形状に魅せられ、記念撮影に余念がない。惜しむらくは、林立するクレーンである。建設途上でやむを得ないが、建物に溶け込むようなクレーンが作れないものか、こんな思いがよぎる(溶け込むと安全性に問題があるかな?)。
正面ファサードに移動。聖書に書かれた物語を彫りこんだそこはユニークな尖塔同様、「よくこんな多様で膨大な数の彫刻をこんなところに!」と圧倒される。そして聖家族の下に在る青銅製の門(生誕の門)が、長年(36年)この教会の建設に携わってきた日本人彫刻家の作品と聞いて、誇らしい気分を一瞬味あわせてくれる。
中に入ると更に驚く。ステンドグラスはヨーロッパ各地の大聖堂で見てきているのでそれほど感銘をうけなかったが、天井に至る柱や梁のつくり方と光の取り込み方には感心した。外形の奇妙な形態から、当然幾何学的で単純な構造にならないことは想像していたが、先々で何本にも枝分かれしながら高みに至るその様式は、どのような発想から考え出されたのだろうか、工学的な検討はどの程度なされたのだろうか、とにかく“天才”を強く印象づけられた(あとで聞くと図面はほとんど描かず、模型で計画検討や施工指示をしたらしい;地下展示室に模型がある)。
さて現代の建築方式である。注意深く工事中の個所を観察すると鉄筋が打ちっぱなしのコンクリートから頭を出していたり、強化ガラスらしきものが使われていたりしている。おそらくこれらに外装を施して、19世紀来の外見を再現するのであろう。それはそれで合理的な考えで、これだけ長期にわたる建設工事ではなんら問題にすべきことではなかろう。1日も早くクレーンのない完成された姿を見たいものである(無論私には無理だが)。

蛇足:この教会は大きさと知名度ではバルセロナ最大だが大聖堂(司教座がある)ではない。大聖堂は旧市街にある(後述)。場所も建設時にはまわりに何もない農地だったことが往時の写真でわかる。

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(次回;バルセロナ;つづく)

2015年7月8日水曜日

上州・信州山岳ドライブ-9


8.浅間温泉
学生時代からの一泊以上の個人旅行(出張でない)を行き先別に振り返ってみると、断然長野県が多い。一人で、二人で、家族で、学友や職場の同僚と一緒に。宿泊地は、東は軽井沢・清里・海ノ口・志賀高原、西は上高地・黒部、南は木曽福島・昼神、北は飯山・白馬、中心部では長野市、松本市(安曇野を含む)は無論、美ヶ原・蓼科・諏訪などがあり、これに数々の訪問地(浅間山・乗鞍山・妻籠宿・馬籠宿・白樺湖・松原湖・天竜峡・駒ケ根山など)がさらに加わる。山へ、川へ、森へ、湖へ、そして温泉へ。季節は春夏秋冬すべてあり。乗り物は、鉄道で、長距離バスで、レンタカーで、そして自分のクルマで(現在までに9台所有し、7台が長野県を走っている)。これだけ巡ってもまだ行きたい場所、走りたい道がいくらもある。その一つが浅間温泉だった。
この温泉の名前を知ったのは1963年夏、和歌山工場の仲間と上高地から美ヶ原へ向かう途上だった。松本を出てしばらくするとバスがここで停まり、かなりの数の登山客が乗り込んできたからである。「浅間?浅間山が近いのかな?」こんな見当違いの記憶が今に残る。2回目も安曇野から美ヶ原を経て蓼科へ抜ける途上だった。松本市街に続いたそこは、景観に惹かれるような土地ではないものの、何となく松本の奥座敷的な雰囲気があり、「もしかすると城下町松本の名士たちが利用してきた由緒ある旅館があるのではないか?」こんな動機でこの地を2泊目の宿泊地に選んだ。
善光寺を発ったのが3時半、長野から松本に至る一般道はJR篠ノ井線に並行する国道403号とこの地の幹線道路国道19号を南下するルートがある。ドライブの楽しさは圧倒的にこちらの方だが、事前調査ではいずれも所用時間は2時間強なのでチェックイン予定時刻の5時を確実に過ぎてしまう(問題があるわけではないが)。そこで長野道を利用するようナビをセットした。すると善光寺から市内を南に向かい長野ICで高速に乗り松本ICで下りる案を選んできた。豊科・岡谷間は何度か走っているが、長野から豊科までの道は初体験である。距離は70km強、予定所要時間は1時間20分、大部分が自動車専用道の距離のわりに時間がかかる感じがしたが、これで進むことにする。
善光寺平から、安曇野平を通り松本平に抜けるわけだから比較的平坦な道ではあるが、さすが山岳県、山に囲まれた雰囲気は独特だ。そのわりにトンネルが少ないのがいい。南信、北信の中心都市を結ぶ道だが、思いのほか交通量は少ない。途中で松本ナンバーのスバル・アウトバックが一気に追い越して行ったので、これをフォローすることにする。「地元のクルマなら勘所(つまり速度違反取締)は分かっているだろう」そんな考えからである。それから小一時間、時にはこちらが先になりながら松本ICまで“相当なスピード”で一緒に走り、そこから市内に入ってもしばらく並走する形になった。予想通りドライバーはかなり若い人だった。山中の自動車道で思わぬ楽しさを味あわせてくれた若者に感謝。
それにしてもスポーツカーと互角に走り抜いた国産SUVの実力を見直し、それがクルマと市場を絞り込んで独自の評価を得ているスバルだったことがうれしかった。それは世界で2社しかない水平対向エンジンをパワーユニットにするいわば同志意識のようなところからきている。
松本ICは市街の西側に在り、浅間温泉は東の端にある。買い物や早目の退勤時間と重なっているのだろう。市中はすでに渋滞が始まっており、これを抜けて今夜の宿、界松本に着いたのは丁度5時だった。飛ばしたわりにナビの予測所要時間が正確なのは、長野・松本両市内を抜けるのに結構時間を要したことによる。このあたりまで予測するナビはなかなかの優れものである。

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(次回;界松本)

2015年7月5日日曜日

魅惑のスペイン-3


3.バルセロナ
バルセロナという都市名が日本人に広く認知されたのは1992年開催されたオリンピックではなかろうか。水泳を健康維持の糧としている私には、200m平泳ぎで優勝した、当時中学生の岩崎恭子選手が強く印象に残る。アントニオ・ガウディのあの奇態な教会(サグラダ・ファミリア)を知るのはそれ以降だった気がする。しかし、その存在とそれがいまだ建設途上であることを知ると「スペインへ行く機会があったら、いつか是非訪れてみたい」と念じるようになった。
旅行各社のパンフレットをみると、スペイン旅行では、いずれも特殊な旅を除いて、すべてにこの教会を観光するようプログラムが組まれている。日本観光を代表するものが富士山ならばスペイン代表は、断突でサグラダ・ファミリアといえる。幸いバルセロナ観光にはこの教会の他にもガウディの作品に触れる機会があるので、当初はこの町はそれで十分と考えていた。しかし、何冊か目を通したガイドブックの中で、今回いわばバイブルといっていい紅山雪夫の「魅惑のスペイン」ではわりとあっさり説明され、19世紀この地で開花した“モデルニスモ(モダニズム)”芸術の一部として解説されているに過ぎない。紙数を割いているのが旧市街(ゴシック地区)、歴史的な見所はこちらに多いように受け取れる。一方旅行社のプログラムではここを巡る計画は皆無だった。そこで充分あるわけではない自由時間をそれに当てることにした。
67日(日)晴。昨夜はパドリョ邸ライトアップを見た後、ホテル近くのコンビニ?で缶ビール2缶と水2瓶を求め(何と缶ビール一缶3€、水は2€!完全に観光客価格だ!)、風呂の後ビール2を飲んでバルセロナFCの試合をTVで観戦しているうちに時差ボケなど無く爆睡。極めて爽快な目覚め。7時からの朝食ビュッフェに出かける。当然ハモン(生ハム)中心で美味しい朝食。多分アメリカ人と思しき若者の団体を昨夜はホテル内そこかしこで見かけたが、まだ起きていないようで静かに、ゆっくり朝食を摂れるのがありがたい(もともとそれほど騒がしい連中ではなかったが)。
今日の出発は9時だから食後も時間はたっぷりある。昨夜短い時間しか外出していないので、ホテル周辺の土地感をつかむためしばし散歩をすることにする。ホテルの前は広い中央分離帯と並木の連なる大通り、コルツ・カタラネス通り、下には地下鉄が走っている。左側一件先はメインストリートのグラシア通りだ。日曜の早朝だけにほとんど人出は無く、散水車で清められた道を歩くのは気持ちがいい。先ずホテルの南東1ブロック先にあるカタルーニャ広場に向かう。どうやら昨晩のバルセロナFC三冠獲得でここに群衆が集まったようで、清掃車・清掃人が大勢出て作業をしている。広場の東側のクラシカルなビルは朝日に照らされてキラキラして気持ちがいい。広場のベンチで一休み。北側を見ると屋上にIngres(あとで分かるがこれはスペイン最大手のデパート)と大きな看板を掲げたビルの前に、そこだけ人が多く集まり同じ塗装のバスが何台も停まっている。バスセンターでも在るのかと思い近づいて見ると皆空港行。どうやら東京の箱崎のような所だった。
30分ほど広場周辺を散策してホテルに戻る。分かったことは宿泊しているホテルは、東京でいえば銀座4丁目に所在しているようなものだった。これもあとで分かるのだが、ゴシック地区(旧市街;下町)も徒歩の範囲、至極利便性のいいホテルなのだ。この地の利に加え、セキュリティ、清潔感、アメニティも満足すべきもので、当地訪問者にお薦めのホテルといえる。

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(次回;バルセロナ;つづく)

2015年7月3日金曜日

上州・信州山岳ドライブ-8


7.善光寺
上州・信州の温泉場を廻る計画を発念した時には善光寺参りは考えていなかった。第一のポイントは草津、第二は渋峠越えで小布施。それから先は松本・上田周辺から山梨県北西部の温泉地で適当なところと考えていた。これであれこれ当たった結果松本市街とつながる浅間温泉が浮上してきた。ここは何度かの信州(特に美ヶ原・白樺湖方面)ドライブで通過はしているものの、宿泊したことが無かったからである。「松本の奥座敷ならばいい旅館があるかもしれぬ」と。小布施から浅間温泉までも山間部を走る一般道を選べば運転を楽しむこともできるし、時間もかかる。早過ぎれば見どころの多い松本市内で調整すればいい(概ね既に訪れているが)。この案を家内にぶつけると、ご本尊御開帳中(丑年、未年に実施;「牛に曳かれて善光寺参り」はここからきているのであろうか?)の善光寺に寄れないかという返事。私は何度かお参りしているが、家内は一度も出かけたことがなかったのだ(長野市に泊まる旅行はしているがその時は松本観光の途上だった)。ご本尊は拝観していないので、その提案に乗ることにした。小布施から長野に出て善光寺参り、そのあとは長野道を松本まで一気に南下すれば、立ち寄り時間は充分とれる。
小布施を出たのは2時少し前、千曲川を小布施橋で渡ると国道18号線に突き当たる。そこを南西に20分ほど行くともう長野市内。予想外に近い。カーナビにセットした“善光寺”に導かれ門前通りの西側を走る大通りを行くと何カ所か駐車場が現れる。満車の所もあるが平日の午後、何とか善光寺の末寺が経営するらしい所にスペースを確保できた。特別な催し物があるので当然だが、駐車料金は一回2千円!とびっくりするような値段である。ただ長野駅周辺の比較的安い公共駐車場に停めると、そこから善光寺までの交通手段確保の手間と時間がかかるのでこれで我慢することにした。
駐車場から仁王門に至る道はメインストリートではないが、それでも人で溢れており、御開帳人気の高さがうかがわれる。仁王門から山門(重要文化財)に至る参道は仲見世で、両側に土産物・お守り・仏具などを商う店舗が並ぶ。この仲見世を通り過ぎ山門を入ると、本堂(国宝;江戸時代中期)との間に回向(えこう)柱が据ええられ、人々がご利益を得んとさかんにこれに触れている(ご本尊に触るのと同じ意味を持つ)。
本堂手前右側の案内所で御開帳参拝券(5百円/人)を求めて行列に並ぶ。本堂の外では真っ直ぐ本堂に向かっていた行列は、履物を脱いで中に入ると4列で何度もつづら折りになり、ご本尊(一光三尊阿弥陀如来;天竺、百済を経て渡来)を拝観できるまでには1520分かかる。私たちはここまでで終えたが、本堂の下や周辺を巡るお戒壇巡り、印分頂戴(宝印を捺してもらう)など様々な参拝場所・方式があるようだ。
宗教(仏教)にまるで疎い私が奇異に思ったことは、この寺は天台宗と浄土宗が同居してことである(天台宗;「大勧進」と25院、浄土宗;「大本願」と14坊)。天台宗の方が古いことからメインなのだろうが、二つの宗派が一つの寺にまとまるというのは例がないのではなかろうか?しかも浄土宗の「大本願」は尼寺なのだ!なお、住職は代々公家から出ており、現在は鷹司家出身121代目とのこと。これもちょっと他の名刹では無いのではないか(宮司はともかく)?思わぬ立ち寄りからあれこれ好奇心が起こってきた。「少しは信心ということを考えろ」ということかもしれない。
3時半ここを発って、今日の宿泊地浅間温泉に向かう。

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(次回;浅間温泉)