2016年5月20日金曜日

九州遠征超長距離ドライブ(18)


15.長崎へ
旅行全体を検討した際、知覧から長崎へのルートは3案あった。最も走ってみたいのが海路を中心に天草から島原・雲仙に抜ける案。次は熊本港まで陸路を行き、そこからフェリーで島原に上陸する案。第3が天候や時間の制約が少ない九州自動車道・長崎自動車道を行く案。
1案は走行距離が最短(約270km)、キリシタンにまつわる歴史と海に長い時間接する過疎の地を行くドライブにも惹かれる。一方時間の不確実性が最も高い。九州本土から二つの島(長島、天草)を経由するため2度フェリーを利用しなければならないのだが(本土と長島は橋でつながっているので、フェリーは長島・天草間と天草・島原間)、このフェリーの利用が時間を大きく狂わせる可能性があるのだ。他にも悩ましい選択がある。出来れば知覧から一般道だけ使って、鹿児島本線に沿うように長島付近まで北上するのが面白そうなのだが、時間的には自動車道で串木野ICへ出る迂回ルートの方が早いのだ。どちらを選ぶか?
2案はフェリーの不確実性を減らす案として検討したが、天草ほど見所が無いように感じたし(島原には若干あるが、先を急ぎたくなる時間帯になる)、意外と熊本ICから市街を抜けて熊本港までたどり着くまで距離があり、道取りも難しい感じがしたので、優先度は一番低かった。
3案は全く観光を犠牲にし、移動時間の確実性を維持するための案。走行距離は最も長く(約400km)かつ大幅な迂回路になる。ただ全行程ほとんど自動車道を行くので、5時間程度で長崎市内に達することが出来る。
知覧観光が順調に進み、早目の昼食を皆で済ませ、12時前に解散できれば第1案、ダメな場合は第3案と決めていたが、現実には解散は1時少し前、ひたすら自動車道を行く第3案を採る結果になった。
先ず予め調べてあったゼネラル知覧SSで給油、給油量は33ℓ、前回宮崎からの距離はほぼ300km、霧島の山岳コースと鹿児島市中走行のため10km/ℓを切っている。しかし、これからのコースは比較的平坦な自動車専用道、長崎までは充分持つ。
市内を抜けて知覧ICで指宿スカイラインに入る。これは県の公社が経営する道で片道1車線、分離帯はないので一般道と変わらない。比較的山間部の高いところを走るので見晴らしは良いが特に印象的な景観は味わえない。空いているのが取り柄だけの道だった。この終点、山田ICはそのまま九州道の鹿児島ICにつながっている。そこからしばし19日に走った道を逆走、空港ICを経てえびのJCTで、東へ向かう宮崎道と別れ北上する。人吉ICを過ぎた山江SAで一休みして3時に出発。熊本に近づくにつれ連休帰りと思しき車が増えてくるが順調に流れている。ここら辺の風景は日本のどこにでもある山と平野が交互に現れ特に印象に残るようなものではない。少々自動車道に食傷気味になってくる。八代JCTで南九州自動車道と合流、これから先は3週間後大地震で知られることになる、御船、嘉島、益城などの地名が続くが、その時は知る由もない。南関で福岡県に入ると久留米あたりから混雑が激しくなり、鳥栖JCTを抜けるのにずいぶん時間がかかった。しかしそこから長崎道に入るとそれまでが嘘のように空いている。ここで家内の携帯電話が鳴る。何と長女からの連絡。近くの川登SAに飛び込んで聞くと小型機の着陸失敗で鹿児島空港が閉鎖、息子夫婦は九州新幹線で帰阪したが、孫ふたりを連れて横浜までの鉄道の旅は無理、明日の飛行機を予約し、この日は鹿児島中央駅のホテルに泊まるとのこと。最後にとんでもないトラブルに巻き込まれていることが分かったが、我々にできることは何もない。
川登SA出発は5時半、途中で佐世保道に迷い込み戻るのに時間を要し、さらに市内中心部で路面電車用の信号に戸惑いながら、この日の宿泊先長崎ビクトリア・イン隣接の駐車場到着は640分、何とか予定時刻7時前に無事ゴールイン。運転は退屈の極みだったが、時間的には陸路選択は正解であったようだ。

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(次回;長崎)

2016年5月18日水曜日

九州遠征超長距離ドライブ(17)


14.知覧
321日(月)春分の日、三連休最終日も晴れてくれた。これで家族全員での旅は終わるが、天候に恵まれたことは何よりだった。あと半日の観光も問題なく過ごせそうだ。
この日の予定は、我々夫婦は次の宿泊地長崎に向かい、あとのメンバーはそれぞれ午後4時半頃の便で伊丹・羽田へ戻る。従って昼食までは皆一緒に行動し、知覧を訪ねることになっている。
旅行計画を考えている際、指宿に泊まり、そこから長崎・鹿児島空港に向かう途上で面白そうな土地を探したが、格別景観に優れた所や古い歴史的遺産のような名跡は見つからなかった。しかし知覧と言う地名を発見した時、太平洋戦争の記録をとどめる知名度が高いこの地を、戦史に特別な興味を持つ者として、ぜひ訪ねてみたいと考えた。また“特攻”のことを、まだ小さい孫たちはともかく、あの戦争を全く知らない3040代になった子供たちに、身近に学んでもらえる良い機会ではとも思った。この特攻をきっかけに知覧を調べてみると、武家屋敷の保存整備状態が良く、それも見所の一つになっていることを知り、ここを全員観光の最終地とした。
ホテル出発は920分。ルートは往路で走った国道266号線を原油備蓄基地の見える喜入の手前まで戻り、そこから県232号線を西へ向かうと知覧に至る。走行時間は約45分、“知覧特攻平和会館(特攻会館)”裏の駐車場に着いた。表に回ると市街地から記念館へ通じる広い直線道路が整備されており、観光バスでやってきた団体訪問客が大勢往き来している。
特攻会館はこじんまりした一階建て、かつての飛行場の一画に昭和50年代に建設されたものである(その後60年代に拡張したらしい)。大物は3機の戦闘機、隼(1式)・疾風(4式)それに海底から引き揚げられた半壊の零戦。“神風(カミカゼ)”で名高い特攻の先駆は海軍だがここは陸軍の基地、艦上戦闘機(海軍)である零戦がここに置かれているのにちょっと違和感。しかし、この会館の真の存在意義は、展示の中心となっている兵器や軍装ではなく、若くして国のために犠牲となった搭乗員たちの遺書や遺影にある。そのほとんどが10代後半から20代、泣き言めいた表現は一切なく、任務に殉ずることへの誇りさえ感じさせる筆致に胸をうたれる。死にゆく者、残された遺族双方の心情を、同道した8歳の孫を見ながら、密かに重ね合わせている私がそこにあった。
特攻会館の見学は1時間少々、館内案内の人に食事処を問うと、市内(南九州市)の中心部にソバや郷土料理の店があると言う。取り敢えず教えてもらった特攻隊員たちが利用していた往時を今に留める“冨屋旅館(食堂)”裏の駐車場を目指すが上手く見つけられず近くの市営駐車場にクルマを止める。そこは市役所や裁判所などが在る当に中心地なのだが、何故か適当な飲食店が見つからない。通り(県23号線)に面した商店で聞いたところ、東に10分ほど行くと郷土料理の店さらにその先にソバ屋があると言う。最初に目指したソバ屋はかなりの待ち行列、結局郷土料理を売り物にしている“高城庵”に落ち着いた。ここもほとんど満席、食事が出てくるまでにずいぶん時間がかかった。この段階で長崎までのルートの内天草を経由する案は時間の関係で諦めることに決する。息子・娘家族は十分時間があるので、食後は武家屋敷見学(地区全体が有料)をしてから空港に向かうことにし、我々夫婦は陸路だけで長崎に向かうことにした。

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(次回;長崎へ)

2016年5月14日土曜日

九州遠征超長距離ドライブ(16)


13.指宿
鹿児島行を計画したとき、最後に空港へ戻ることを考えれば霧島や桜島観光中心の選択肢もあるのだが、逆方向にもかかわらず2泊目指宿は異論なく決まった。先ずドライブの視点から、長い海岸線を走る国道226号線に惹かれたが、決め手は何と言っても“砂蒸し風呂”。別府にもあるようだが知名度は断然ここである。
想像した砂蒸し風呂は、頭を陸地側に置いて目の前に広がる太平洋を見晴るかす砂浜(こんな写真を見たことがある)。このシーンを実現するには明るいうちに宿に着き、そこで“ひと砂風呂浴び”、それを話題ににぎやかな夕食を楽しむことだった。
水族館を出発して、しばらく市中の片側23車線ある広い道路を10kmくらい南下すると、道幅は狭まり片側1車線になり、防波堤が左に設けられた道が延々と続く。海岸美を愛でながらの運転を期待していたのだが、道路の位置が低く、加えて私のクルマは車高が特に低いことと相俟って、景観は防波堤で寸断される。ここは地図だけでは読み切れないところだったが、天気は良く、道も空いているのでまずまずのドライブを楽しむことが出来た。ホテル到着は5時前、外は十分明るい。「よし予定通り夕食前に砂蒸し風呂だ」
指宿の宿泊先は“指宿いわさきホテル”。口コミ情報などではこの地のナンバーワンは“白水館”らしいのだが、先の鹿児島市内同様、3連休で希望の部屋数がとれず、JTBの薦めでここにした。駐車場も、車寄せも、ロビーも広大なもので、日本でこれほど規模の大きいホテルに泊まったことがないほどに広さだ。建物の配置はY字型、客室数約300、周辺にはテニスコート、サッカー場などが配され、米国オーランド(フロリダ)のリゾート・ホテルさながらである。
チェックイン時まず問われたのは「夕食は何時からにいたしましょうか?」ひと風呂浴びてからと考えていたから「7時からでお願いします」「申し訳ありません。時間は6時からか8時からになっております」小さな子供もいるのでやむなく6時に決める。「ところで砂蒸し風呂に入れる時間は?」「10時チェックイン終了です」ここで砂蒸し風呂の利用システムを聞くと、今の時期浴場はテント張りになっており、明るい時でも砂を被りながら外の景色を愛でることはできないことがわかる(砂を落とす露天風呂はあるが)。「それなら夕食後でいいか」と自らに言い聞かせる。
案内されたのはY字の右の棟7階東向きの続き部屋。一番端の角部屋は長女一家4人用で少し広く、正規のセミダブルベッドが三つ置かれ、前夜エキストラベッドで寝た上の孫が自分用ベッドに大喜び。嬉しい配慮である。
砂蒸し風呂はともかく、先ず食事前に通常の温泉で汗を流すことにした。浴場はサンロイヤルの5倍くらいの広さがあり、露天風呂も開放感があり、洗い場も数が多く、快適な温泉気分にたっぷり浸れた。夕食も昨日と違い、半個室形式のスぺースに家族だけが集い、順番に懐石料理が給仕されるのでゆっくり寛いだ気分で団欒を楽しめた。
8時前にそれぞれの部屋に引き上げたが、次はいよいよ“砂蒸し風呂”である。ここは幼児は使えないので、我々夫婦と上の孫(8歳男児)と出かけた。海岸へ出る一画に専用の受付が在り、ここで料金(子供も同額で1000円)を払い(実際は部屋につける)、館内用浴衣とは異なる砂風呂用着衣とタオルが渡される。これを持ってロッカーで着替え、外のテント内砂風呂に向かう。テント内にはスコップを持ち長靴を履いたおじさんが数名居て、指示された場所に横たわると上から砂がかけてくれる。じわじわと下から温かみが伝わり、やがて全身がカッカとしてくる。およそ10分、あまり長く居ると低温火傷に罹る恐れもあるらしいので、やおらむっくり起き上がり、これでおしまい。砂だらけの着衣のままテント脇に在る、明るければ海を眺められる四角い大きな露天風呂に入り砂を落とす。このあと専用のシャワールームで裸にになってさらに砂を落として、湯?上りように置かれた着衣に着替えてロッカールームに戻り、さらに館内用浴衣に着替える。ここから部屋に戻っても良いが、砂風呂受付からのエレベータでそのまま屋上まで行くと露天風呂があり、ここでゆっくり身体を洗うこともできる(我々はそうした)。以上が期待していた“砂蒸し風呂”システムの概要である。得難い経験を大いに楽しんだ。
朝食は緑の庭さらにその先に海が広がる、ガラス壁面の広々したレストランでブッフェスタイル。こうやって集まってみると相当な人数が宿泊していたことが分かる。昨晩“混雑”“喧噪”と無縁だったことが信じられないほどだ。全体設計と運営方法に工夫が凝らされていることの結果なのだろう。この地を再び訪れる機会があったら、また利用したいと印象付けるホテルだった。

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(次回;知覧)

2016年5月10日火曜日

九州遠征超長距離ドライブ(15)


12.鹿児島市内観光-2
320日(日)。鹿児島第一夜は子供がいることもあり、9時まえに食事を終わり各自の部屋に戻った。もう一度空いた大浴場でゆっくりひと浴びと考えていたが、飲んだ後はいつ同様バタンキューで就寝。おかげで朝は夜明け前に目が覚め、桜島の向うに輝く朝日を眺めたあと、6時からの朝風呂を堪能し、昨日の忙しない入浴とレストランの混乱に依る不快感を何とか帳消しできた。
今日の予定は、先ず市内北東に在る島津家別邸あと、仙巌園(せんがんえん)に出かけ、邸宅・庭園とそれに付帯する尚古集成館と名付けられた幕末の工場を利用した小技術博物館を見て、市内へ戻りフェリー乗り場に隣接する水族館で昼食と見学、それから指宿に向かうことになっている。
3連休の中日(日曜日)ということもありどこも混雑が予想されるのでホテル出発は9時、途中チョッとナビの案内を間違え到着は9時半。幸い駐車場は充分空きがあった。仙巌園は44年前に来たとき一度訪れて、庭園から鹿児島湾とその先に見える桜島を眺めその美しさに魅せられたこと、それ以上に明治維新前から薩摩藩が技術修得に熱心に取り組んでいた歴史に感銘を受けたことから、再度の訪問となった。
庭園築造は17世紀に遡るようだが、基本コンセプトは“鹿児島湾を池、桜島を築山”とする雄大な借景を創りだすことにあった。何とも稀有壮大な構想である。篤姫・勝海舟・グラバー・ロシア皇帝など歴史に残る人物が訪問・滞在したこともここを特別な場所にしている。だが私の興味は専ら集成館の方にある。建物は往時(1800年代初期~中期)実際に工場だった所で、そこで使われあるいは製造された蒸気機関、動力伝達装置(歯車製造など)、旋盤、光学器械などが展示されているのだ。前回訪問時、維新の遥か以前にこれだけの設備を整えた先見性に驚かされ、これを鋭意進めた斉彬(なりあきら)に畏怖の念さえ覚えた(父はなかなか家督を継がせず、妾腹の弟、久光一派との間のお家騒動は斉彬の西洋かぶれ(蘭癖)を慮って起こったとも言われるが)。日本近代工業史の1ページ目を飾るここをエンジニアである息子や婿に見せるのが第一目的であったが、密かに8歳の孫にも「何か残ってくれれば」と期待した。このあと同じ敷地内にある薩摩切子製作過程を実演する工場も見学して午前の観光を終えた。
次に向かったのは鹿児島港の一角にあるかごしま水族館。孫ふたりのために用意した観光スポットである。桜島とのフェリーや海浜公園、催し物会場などが在る地区で、それらの利用者のために広大な駐車場が何カ所か設けられているが、休日の昼時、水族館やフェリー乗り場に近いところは何処も満車でかなり遠いところに止めざるを得なかった。水族館のレストランで昼食を摂ったあと、館内を巡る。最近水族館へ出かけることなど無いので他との比較はできないが、それほど特別な見どころがあるようには思えない。しかし大水槽の中で巨大なジンベイザメが遊弋しているのを眺めていると、運転のせわしさで過ごしてきたここ数日とは明らかに異なる開放感のような気分に浸れる。無論孫たちは大喜び、イルカショウでは最前列に席を占め、タッチまでさせてもらい感激一入、ここを選んだことは正解だった。
3時過ぎ、次女は明日から仕事なのでここで別れて一人鹿児島中央駅から空港に向かい、我々8人は指宿を目指して国道226号線を南東へ走り出した。この道は海岸を左(東)に見ながら延びており、途中喜入の広大な原油基地などが遠望できる。夏が来たような陽気の中を約1時間半走って5時前いわさき指宿ホテル到着。ここも大規模ホテルだが、サンロイヤルよりは敷地やロビーがはるかにゆったりしており“リゾート感”があるのが好ましい。

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(次回;指宿)

2016年5月8日日曜日

九州遠征超長距離ドライブ(14)


12.鹿児島市内観光
今回家族全員そろっての旅行は、家内両親の納骨初墓参とその後の鹿児島・指宿・知覧観光である。宿泊は鹿児島市内と指宿の2泊。この日(19日)の予定は、先ず墓参りをしてから家内が幼稚園児の時まで居住し、今も一部共有不動産(貸地)が残る一帯を訪ね、そのあと宿泊先の鹿児島サンロイヤルホテルにチェックインすることになっている。
墓が在るのは市街地の北西部分、草牟田(そうむだ)の市営墓地である。鹿児島空港は宮崎県境に近いので鹿児島北ICまでは九州自動車道を行き、そこから市街に入ることにする。旅行計画を作る際JTBに頼んで予約してあったレンタカー(7人乗り)と私のクルマに分乗して、1時半頃空港を出発した。
鹿児島市を訪れたのは後にも先にも44年前1回きり、その時唯一まともなホテルといえた城山観光ホテルしかなく、そこに前夜チェックイン、翌日一日タクシーをチャーターし(最終目的地は宮崎のホテルフェニックス)、家内の親族の家に挨拶に立ち寄り、それから墓地に出かけた。この間街の様相は一変しており、「こんな大都会だったか!?」と認識を新たにする。ナビが無ければとてもピタリと目的の場所にたどり着けたかどうか。とにかく代々家内一族の墓の面倒を見てくれている霊園前の花屋を見つけてホッとする。ただ、山間の急な傾斜地に設けられたその地形は遥か昔の記憶とそう違ってはいなかった。他の家族ともその花屋の前で落ち合い、皆で中腹にある墓に詣でた。帰り際に墓地の下に設置された説明板を読んで分かったことは、ここにはもともと薩摩藩の火薬工場があり、西南の役の時は大わらわだったとのこと。いよいよ幕末・維新が近づいてきた。
次に向かったのは、家内の祖父母の代まで家の在った加治屋町(下士の住む町)、実家は商家であったようだが、この地は西郷隆盛・大久保利通・大山巌・山本権兵衛など維新・日露戦争の英傑たちが湃出した土地である。今はだれもこの地に縁者は居らず、今回は家内のセンチメンタル・ジャーニーである。
そんな歴史にゆかりの地ゆえ、ここには“維新ふるさと館”と称する鹿児島市のこじんまりした歴史博物館がある。ここがなかなか面白い!3年生を目前にする孫にどこまで理解できたかはともかく、展示物や写真・動画などで幕末・明治維新の話をしてやる。「西郷さんくらい覚えてくれよ」と。
そこの見学を4時半に終え、今夜の宿泊先サンロイヤルホテルへ移動。本当は44年前に泊まった城山観光ホテルに泊まりたかったのだが、3月彼岸の3連休、1月に当たった時には既にフルブッキング!JTBに問い合わせてもらったが(大手旅行会社の予約分がないかと)ダメだった。
サンロイヤルは鴨池に在る。前回城山から見たときは飛行場だったが、その後鹿児島空港が内陸部に出来、再開発された所だ。クルマで10分程度。なかなか近代的なホテルだった。駐車場は近くにたっぷり。周辺も開けていてコンビニもある。従業員の躾けも良い。皆が部屋(同じ向きで並び、広さも充分)へ落ち着くまでは大満足。部屋からは桜島も真正面に見える!これなら城山観光ホテルより良いくらいだ。夕食の前に一風呂(温泉)を浴びるため上階の展望風呂に上がった。ここで印象が一変、400室に比べて狭いこと!浴槽は皆桜島方向に身体を向けいっぱい!洗い場も待つ必要があった。「何じゃ!これは!」である。夕食の食堂も酷かった。ディナーバイキングの混乱(決して食べ物が少ないわけでもない)、やはり人数に比べて狭い。しかも全員がひと部屋である。「もうごちゃこちゃでごわした」。この辺り経営課題(最適資源配分)であろう。帰宅後のJTBアンケートにその。ように答えておいたが、その後どんなものであろうか?こうして鹿児島の一日が終わった。

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(次回;鹿児島市内観光;つづく)

2016年5月5日木曜日

九州遠征超長距離ドライブ(13)


11.鹿児島空港へ
319日(土)晴。自宅出発日(16日)までの天気予報では首都圏、南九州地方ともこの日の天候が最も心配だった(どちらとも雲に傘マーク)。しかし、昨日の豪雨の後当地は夕刻小降りになっており、回復の兆しがうかがえた。自室の向きは北、起床時外に目をやると雲間に青空が見える。あとは羽田や伊丹に問題がないことを祈るのみだ。
早目の朝食を朝日が射しこむ清々しいカフェテラスで済ませ、駐車場を出発したのは8時半過ぎ。12時に鹿児島空港で家族8人と落ち合うことになっているが、宮崎・九州自動車道を使えば10時過ぎには着いてしまう。これでは時間がもったいないので、当初からえびの高原・霧島山経由を考えていた。晴れた空を見てこの案を実行することにする。まず目指したのは宮崎IC手前にあるエッソのSS。まだ燃料計は半分以上を示しているのだが、ここで満タンにしておけば、21日皆と別れて長崎への長丁場を走る知覧まで給油の必要がないからだ。給油量は23.41ℓ、前回給油地からの走行距離は227kmだから10km/ℓを切っている。豊後竹田から高千穂峡に至る長い林道走行の影響だ。
休日朝の地方自動車道は極端にクルマが少なく、無人の曠野を貫く道を単独走行している感覚だ。走り出して初めてのSAは霧島SA1時間ほど走ったところで目前に霧島連峰の一角が現れる。ここで一休み。地名の通り上部は霧や雲に覆われている。次に目指したのは小林IC。ここから一般道に下りて西へ向かう。本来ならば通称えびのスカイラインを走る方が距離も短いし、眺望も良さそうなのだが、硫黄岳のガス発生で通行止めのため、迂回路をとるのだ。ICを下りてしばらく農場などが点在する平地を走るが、(宮崎)県30号線に突き当り左折してやがてその道を登りはじめる。いよいよえびの高原に向かうのだ。天気は薄曇りに転じ、山の上の方は雲ではっきりしない。道の左右は樹木が茂り、明るさを減じる上に霧まで漂い始める。まだ時刻が早いのか、幸いほとんど対向車と行き交うことはないのだが、ハンドルさばきに神経を集中せざるを得ない状況になる。霧はますます濃くなり、ヘッドライトを点灯して、滅多に現れない対向車にこちらの存在を知らさなければならないほど。やっと道路が平坦になると左側にヌーッと大きな建物が霧の中から浮かんできた。近づいて確認すると、バスの終着駅「足湯の駅 えびの高原」とある。ここが宮崎県と鹿児島県の県境、直ぐ近くに韓国(からくに)岳や霧島山があるはずだが確認する術もない。
霧が地を這う駐車場にクルマを止め、何か面白いものがないかと周辺をうろついてみたが、この「足湯の駅」の他は食堂が一軒在るだけだった。仕方なく10分ほど休み10時半にはクルマに戻る。
県境から空港へは南西に下る国道223号線をとる。道はカーブの連続だが上りよりも広く走りやすい。これは途中に霧島温泉があり、そこまでの交通量が多いからに違いない。通過した温泉街は観光バスも何台か停まっており、結構流行っている感じがした。温泉街の少し前から霧は晴れ、薄曇りの下での走行となる。国道504号線に突き当たって左折し、しばらくすると鹿児島空港だった。
空港駐車場は3連休と言うこともあってかなり混んでおり、国際線に近い端の方しか空いていなかった。空港到着11時半。空路組が到着しロビーに出てくるのは12時少し過ぎのはず。到着ロビーで運行状況を確認すると、伊丹からの便(息子夫婦)は定刻の1140分となっているが、羽田便(家内・長女一家4人・次女)は25分遅れの1220分。結果は少し改善され、12時半過ぎには皆揃い、予定通り空港レストランで昼食を摂ることができた。

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(次回;鹿児島市内観光)

2016年5月2日月曜日

九州遠征超長距離ドライブ(12)


10.宮崎
高千穂峡を出たのは2時半過ぎ、ここで1時間過ごしたことになる。雨は依然降り続いている。東へ向かう幹線道路国道218号線(神話街道)はしばらくの間渓谷に沿う景勝地マーク(赤い・・・・)の付いた道だが、この天気ではその景観を楽しむ術もない。3040km走ったところで神話街道に別れを告げ九州中央道に入る。ここは専用道だが無料の対向2車線(片側1車線)なので結構クルマがつながっており、それほどスピードは出せない。天候を考えればその方が安全と腹をくくる。延岡市街のかなり手前にある延岡JCTで東九州道に乗換え南に向かう。雨は一段と激しくなり、ワイパーをハイスピードに切替えても先がよく見えなくなる。追い越し車線が現れても抜き去ろうとするクルマがないほどだ。JCTからしばらく進んでやっと片側2車線になり、車列がばらけ、走りやすくなるが、先が読めないのでPAがあっても休憩はとらず、ひたすら宮崎を目指す。すると日向ICを過ぎたあたりからやっと雨が小降りになり、出口の宮崎西ICに着いた時にはほとんどやんでいる。県庁所在地の大都市だけに駅までの道が複雑なのではないかと懸念していたが、ICからホテルのある駅前までほぼ直進だけでたどり着くことが出来た。宮崎駅到着445分。本日の走行距離は365km。
宿泊先はJR九州が経営する駅前ホテル。ここを選んだのは、この地で特別観光したいところがなく、到着が夕刻になるので暗くても分かりやすい場所、かつ近くに夕食のとれるところがあるビジネスホテルだったからである。ショッピングセンターや駅利用者と共用の駐車場が別棟なのは難点と感じていたが、周辺は思ったよりも交通量が少なく、問題なく駐車できた。
ホテルのある建物はオフィスと一体になった形式で上階がホテルにとして使われている。8階のフロントからは別置のセキュリティチェック機構の付いたエレベータなので部外者が簡単に利用できないのが良い。またビル全体が新しいので、部屋もきれいで、Wi-FiLANも使いやすい作りになっている(作り付けデスクが広い)。朝食はフロントに隣接した南側がガラス壁のカフェテラスだが明るく広々しており、清々しい気分で朝食がとれた。駅とは直接つながってはいないが、通路は屋根付きだから雨に濡れることはない。と言うようなわけで、朝食・税込みで8千円ちょっとは充分満足できるものだった。
夕食はフロントに条件を伝えて決めた。二晩肉が続いたので「シーフード、カジュアル、洋食、一人、飲める」を条件に助言を求めたところ駅ビルにあるスペイン酒場?「バルマル(BarMar;多分“バール・海”の意)」を薦めてくれた。あとで分かることだが、この店はチェーン店でJR九州の主要な駅で営業しているらしい。
一人客なのでカウンター席へ、先ず生ビール(ハイネケンだった!)、タパス(つまみ)はボケロネス(イワシの酢漬け)とスペイン漬物(浅漬け)。「食事もしたいがパエリアは何人前から?」「二人前です」「一人じゃ多いかな?」「あのサイズです(と壁にかかったパエリア鍋を示す)」「少し大きいね」「ちょっと聞いてきます」「(ウン?何を?)」戻ってきて「一人前で作ります」と言うわけで“たっぷり魚介のパエリア”を注文。値段は半額でOK。すっかり気に入ってしまう。カウンターの前は調理場、中心になって頑張っているシェフはスペイン人らしい(日本語で指示を出しているが)。それならシェリー酒を飲まなくてはとワインリストを見ると辛口だけで2種ある(首都圏のまずまずのホテル、レストランでもシェリーは一種類しかないところが多い)。一番ドライなものを選んだら、昨年のスペイン旅行で好きになった味によく似ていた(日本で求めたものは辛口でも“甘い”)。単独行最後の夜、大満足の“よかとこ”宮崎だった。

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(次回;鹿児島空港へ)