2018年12月24日月曜日

山陰ドライブ1800km-13



-因幡・伯耆・出雲を走る-

12.足立美術館・大山寺
出雲そばで昼食を済ませ大社を発ったのは12時40分頃。次の目的地は横山大観と庭園美で名高い足立美術館である。ここは2016年3月一人で鹿児島まで至る間に訪れており、何度も来たいと思うような所ではないのだが、家人にとってこの一帯は初めて旅をする地。そうなると立ち寄らないわけにはいかない観光スポットだ。ルートは往路走った山陰自動車道を東出雲まで戻り、そこから国道9号線をさらに東に進んで、ここから一般道を内陸南東方向に向かう。住所は安来市だがその中心部から南方にかなり入った場所に在り、美術館の周辺には集落や大きな建物は無く、遠方からそれだけが目立つ。訪れる人の多くは自家用車や観光バスを利用するので大駐車場が備わっている。到着時刻は2時前。
今回気がついたのは、こことJR安来駅を結ぶ無料のシャトルバスがあることである。とにかく「何故こんな所に?」と思うような辺鄙な場所である。創設者の足立全康氏がこの地の零細な農家出身で、後年大阪で財を成し、故郷に錦を飾ったからである。
駐車場に接した新館と土産物販売所の間を抜けると、道一つ隔ててその美術館は在る。前回同様見学者は多い。
東西に長い逆L字型の建物は、2階建ての本館、陶芸館それに離れの茶室から成る。展示されている絵画は、本館1Fは童画(これがなかなか良い)が大部分。あとは庭園を鑑賞するガラス張りの広いロビーや回廊、喫茶室などになっている。庭園鑑賞は、一部外の空気に触れられる所もあるが、大部分はガラス越しとなる。美術館としての中心は2Fでここに横山大観特別室と大展示室が在る。今回は大観が描いた作品とテーマや場所が同一の日本画家の作品を見比べる展示になっており、面白い趣向だった。それだけのことが出来るほど大観および有名日本画家の作品を保有しているということである。その点では国内一級の美術館と言えるだろう。
陶芸館は河井寛次郎室と北大路魯山人室が1Fと2Fにそれぞれ設けられている。別棟の新館は本館ほど建物に凝った形跡はなく、外形はまるで体育館、1F2Fとも若い作家の大作で占められている。
さて、多くの人がここにやって来るのは絵画よりも庭園にある。背景となる山地もおそらくその一部なのだろう。確かに広大で美しい。特に入口から何度か曲がってロビーに入りそこから見渡す景観には圧倒される。しかし、しばらく眺めているとまるでジオラマ(模型)のような感じがしてくるのだ。一見どこを切り取っても自然だし、よく手入れもされ、バランスも悪くないのだが、全体として人工物が上手く配置されている感じを拭いきれない。
家人は庭いじりが趣味、11年前一緒にしばらく英国に滞在して巡ったイングリッシュガーデンの、見るからに自然と和んだその造りに感心していた。その評価は、私と同様人間の手が入り過ぎていることへの違和感だった。15年連続で米ガーデン評価誌1位は、「米国人ならそうだろう。しかし英国人はNo.1とはしないだろう」 話のタネに一度訪れれば、あとは写真で充分である。
本日最後は宿泊地でもある大山観光。ホテルチェックイン前に山岳信仰で有名な大山寺だけは観ておきたい。美術館を出たのは3時過ぎ、一般道を北上して山陰自動車道の一部を成す安来道・米子道とつないで米子東ICで大山に上っていく県24号線を、西日を背に受けながら走る。残油量から次の要給油点までの距離表示がぐんぐん短縮していく。予定では翌日中国道との合流点少し先にあるSSまで可能なはずだが大丈夫だろうか?そんなことが気になりだす。
4時15分大山ビジターセンターの大駐車場に到着。止まっているクルマは数台。案内所で本堂最寄りの駐車場の有無を問うと、あとは宿泊客専用の小規模なものしかないとのこと。仕方なく、かなりの坂道を登らなければならないがここからスタートする。
参道は時刻もあるのだろうが閑散としているし、両側にある宿坊らしい施設も何かわびしい感じがする。とても最盛時3000人の僧兵が居た場所とは想像できない。どうやら今は参拝客より大山登山で成り立っている町のようだ。
それでも傾いた夕日に照らされた紅葉が美しい。既に閉じられた本堂前でお参りをし、写真を撮って駐車場に戻った。もう辺りは暗くなり始めているが、遥か下方米子・境港方面は最後の残照の中で輝いて見えた。

写真は上から;足立美術館3葉、大山への道、大山寺参道、大山寺紅葉、大山寺本堂

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次回;オーベルジュ天空


2018年12月22日土曜日

山陰ドライブ1800km-12



-因幡・伯耆・出雲を走る-

11.出雲大社
10時半過ぎ松江城とその周辺の観光を終え駐車場を出発。当初の予定では宍道湖の北岸に沿って国道431号線を西に向かう予定だったし、ナビも初めはそのルートを示していたのだが、どこかで方向を取り違え、結局宍道湖の南岸山中を抜ける山陰自動車道走ることになってしまった。どうも今回はこの種のミスが多い。ただ所要時間はこちらの方が若干短くなるので、松江観光で予想を上回った時間の回復には都合がいい。この自動車専用道路は無料だし、空いていて走りは至極順調だった。専用道の終点出雲ICを出ると北へ向かう一般道を取るのだが、これも交通量は少なく、この地方の幹線道路である国道9号線と交わる付近はやや建物が現れるものの、周囲はほとんど田圃である。大社到着は11時半。間近に広い無料駐車場があり助かる。
ここへは1969年のゴールデンウイークを利用して一度訪れて以来なのだが、周辺はほとんど変わっていない。大社参拝以外で思い出すことが一つある。この時は同じ職場の年上の同僚と二人旅だった。和歌山から四国に出て、高知・足摺・道後と巡り、前夜は萩泊、この日萩の名所旧跡を巡ってこの地に到着したのは3時頃だった。無論宿泊先の予約など全くしていない。参拝を終え、大社駅前の観光案内所で適当なところがないか問うたところ「近くの旅館はすべて満室だが、クルマならそれほどの距離でもないところに若干の空きがある」との返事。当方としては全く問題ないのでそこを予約し、道順を教えてもらって20分足らず田圃の中を走った。すると二階建ての家々が二列に並んだ妙な集落があらわれ、どうやら宿はその中に在るらしい。駐車場所は建物の周辺の空き地である。「一体ここは何なんだろう?」と思っていると、もう妻子もある先輩が「こりゃ赤線だよ」と言う。既に売春禁止法が施行されて数年たっているので、無論その種の商売が行われているわけではないが、かつて参拝客を相手にしていた遊郭が旅館に転業したのである。その夜は男二人で安普請の4畳半の部屋で過ごす羽目になった。
大社前の駐車場から鳥居をくぐって、一件玉砂利を敷き詰めたような舗装がされている参拝路進んで神楽殿前に出る。随分人はいるのだが、広さが充分あるので混んだ感じはしない。ただあの巨大なしめ縄を入れて写真を撮るのが定番だから、その前だけ人が集まっている。バスで来た団体客が多く、東アジア人(多分中国人)のグループがいくつか混じっている。残念ながら一般参拝客は本殿まで入れないので、神楽殿で拝礼し緑に囲まれた外縁を時計回りに廻ると、国宝の御本殿(神楽殿のうしろにあるのは新本殿で国宝ではない)の一部が塀越しに見えてくる。雨こそ降ってこないものの、空は厚い雲に覆われ全体に明かりが足りないので、裏の方から写真を撮ってもコントラストが今一つだ。おおよそ一周したところに、この御本殿に前に位置する一般参拝者用拝殿に至る。ここでも拝礼。神道の持つ独特の清々しさに浸ったひと時であった。
神楽殿前を経て右わきに駐車場へ至る間に食堂や土産店が並ぶ小路がある。もう12時を過ぎているので、予定通りここで出雲そばの昼食とする。頼んだのは三色割子蕎麦、一番上が卵、二段目はとろろ、三段目はおろし大根、つゆをかけて上から食べていく。ごちそうさまでした。

写真は上から;神楽殿2葉、御本殿、御本殿前拝殿

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次回;足立美術館と大山寺


2018年12月18日火曜日

山陰ドライブ1800km-11



-因幡・伯耆・出雲を走る-

10.松江観光
11月2日(金)朝の内驟雨があったが9時過ぎの出発時には上がっていた。南は明るいし、天気予報も傘マークは無かった。今日の午前中は松江観光と出雲大社訪問、午後は足立美術館を観たあと大山に向かう。
以前松江に来たのは52年前、その時の記憶は松江城しかない。当時は国宝でなかったことを今回の旅行準備中に知った。2012年築城の歴史を記した文書が見つかり(1611年;慶長16年)、晴れて2015年国宝認定を受けたとのことである。先ずその松江城を目指す。道は極めて分かり易く、距離も旅館から直ぐだった。県庁に隣接する駐車場到着は9時15分、既に7割方は埋まっている。人気があるのだ!入場料を払い城内に入ると菊花展の会場、そこから白・黒のコントラストが際立つ天守閣がチラッとうかがえる。下から天守閣に至る道筋は他の城同様上り坂になっているが大きな門は見当たらない。案内図には大手門跡、一ノ門跡などがあるから、本来は他の城と築城形式は同じなのだろう。天守閣の前は広場になっており、絶好の写真撮影場所だ。
その天守閣は高さ30m、外部は5層内部は6層、幸い雲が切れて青空が現れどの階からも四方が見渡せる。南と西に宍道湖、周辺はすべて市街(城下町)、さすが良い場所を選んだものである。内部はすべて板の間で仕切りはほとんど取り外されているので、柱だけが目立つ大広間のような感じである。しばし高い所から城下の景観を楽しむ。
天守閣を去る際、出入り口を管理している老年の担当者に小泉八雲旧邸や武家屋敷のある場所を問うと、来た道を戻るのではなく、城内の裏へ至る近道を教えてくれた。人影まばらなその路は、まるで往時のままのように保存されており、見上げる城も正面とは随分異なる印象を与える。この道の名は“ヘルン(英語読みではハーン;八雲)の小路(散歩道)”であったことが案内板に記されていた。
小泉八雲記念館と旧居は城の北(裏)側に在り、アスファルト道路に面しているが反対側は堀になっており、概ね当時の状況が偲ばれるようになっている。記念館は後のスケジュールもありパスし、国の史跡でもある旧居のみ見学する。
若い女性が一人受付に居るだけで、見学者は皆無。もともとは藩士邸、二つの庭を持ったごく小さな家だが、八雲の書斎には彼が使っていた机・椅子が昔の配置通り置かれている。異様に感じたのは机の高さが標準よりかなり高いことだ。初めは身長が高いことからこんな特殊な机を誂えたのかと思ったが、近くに書かれた説明に依ると背の高さは160㎝程度、普通の日本人と大差ない。さらに読むと“強度の近視”とある。これで謎が解けた。つまり机にへばりつくようにして読書や著作を行っていたのだ。
ここを辞したあと、堀を時計方向にまわっていくと、所々に堀へ降りる階段がある。堀巡り定期船の乗降場所なのだ。時間があればこれも楽しそうである。
旧居の並びには武家屋敷が現れ、雰囲気は江戸時代そのものだ。
旅館良し!料理良し!景観と歴史に恵まれ、品の良い静かな町。数日ゆっくり滞在して松江市内や周辺を観て廻りたくなった。

写真は上から;天守閣へのアプローチ、天守閣、松江城下、堀、小泉八雲旧居、旧居庭、机と椅子、武家屋敷

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次回;出雲大社


2018年12月13日木曜日

山陰ドライブ1800km-10



-因幡・伯耆・出雲を走る-

9.皆美館-2
日本旅館を調べている時、いつも一番気になるのが夕食の内容、特にその分量である。最近はシニアメニューもあるので、もしそれがあれば好ましいと考えるからだ。しかしここの宿泊プランには、部屋の違いはあっても食事には差が無かった(シーズンや特別料理は別にして)。
チェックイン時確認予約した夕食時刻7時になると、先ほど部屋へ案内してくれた女性が迎えに来てくれた。来るときは庭を経由したが、今度は本館と別棟と結ぶ短い回廊を使う。外とつながる出入り口は保安のため夜間は閉じてしまうからだ。案内されたのは4人用の個室、残念ながらライトアップされた美しい庭を眺められる部屋ではなかった。まあ二人だけで気兼ねなく過ごせることで良しとしよう。
話は予約検討時に戻るのだが、数年前から親しくなった同年の元銀行員から、大阪の支店に勤務中(30年以上前)松江が郷里の先輩にこの地を案内され、素晴らしい料理をご馳走になったことを聞かされていた。しかし、店の名前は失念してしまったといかにも残念そうだった。10月初旬彼と会ったとき「松江の宿泊先は決まりましたか?」と問われたので「皆美館です」と答えると「アッ、そこですよ!」と我がことのように喜んだ。彼はその時宿泊はせず、料理に招かれただけだったが、その内容と庭の美しさが忘れられず、推薦したいと念じていたようであった。それもあって「出来れば庭を観ながら」と期待していたのである。
用意されていたのは会席料理;食前酒(梅酒)と先付から始まり、前菜から吸物、刺身、焼物、煮物と続きメインは少量のローストビーフ、松茸ごはん(吸物、香の物)、デザートで終わる。それぞれの料理の説明を聞くと、魚は無論、鶏、牛肉、野菜も地場のもの、いずれも上品な味で量も適量、器もそれぞれの料理と合い品がある。これをこの晩は大好きな生ビールをひかえ、最初から“プレミアム地酒飲みくらべ(燗酒5種を大きめの杯に分けトータルで1合半くらい、これが一度に並べられる)”で味わった。普段日本酒を嗜まない者にとってこれは思わぬ体験であった。料理が変わるたびに、あれこれ飲みくらべるとそれなりに違いを感じ、自分なりに料理との相性を合せて食事を楽しんだ。どちらかと言うと洋食とビール・ワイン好みだが、この晩の料理と酒の組合せから、この歳になって「これから旅館に泊まったら、もう少し日本酒にこだわってみるか」と思うようになった。チョッと気になったのは料理が出てくるタイミング、始めの頃は少し早め、後の方はかなり間が空いた。冷めた作り置きを持ってこられるよりははるかにましだから、まあ不満と言うほどではない。
部屋へ戻ったのは8時半、日本シリーズを少し観て、もう一度内湯に浸かりあとは爆睡。朝6時過ぎ目覚め外を見ると遥か南西方向は明るいが、湖上は雲がでて時々驟雨が来ている。もう一度部屋の温泉に入り、ガラス戸を開け放ちひんやりした空気の下で露天風呂気分を味わう。
朝食は8時半から、今度は仕切られているがオープンな食堂で摂る。席は庭に面しており、やっと願いが叶う。メニューは有名な鯛めし。それまで食したことのある鯛めしは、いわゆる炊き込みご飯で、鯛の身はかき混ぜることでほぐれてご飯と一緒になるものだったが、ここのはまるで違う。鯛をどのように加工するのか不明だが、薄いピンクがかったそぼろ状になっていて一見それとは分からない。卵の黄身・白身も同様に調理され皿に盛られて供せられる。これをご飯の上に乗せ、香の物や佃煮などの具を添え、さらに好みによってわさびを加え、秘伝のだし汁をかけて、お茶漬けのようにして食べるのである。アイディアの元は、第7代松江藩藩主で茶人としても名を成した松平治郷(はるさと;不昧公)と伝えられている。吸物は無論宍道湖のシジミ。何とも優美で美味しい、忘れられない朝食、未知の地を訪ねる楽しみを合せて噛みしめた。
チェックアウトの際、ロビーに掲げられた色紙や写真を眺めると、当地に縁の深い小泉八雲を始め、芥川龍之介、与謝野晶子、島崎藤村、志賀直哉、川端康成、岡本太郎、棟方志功など錚々たる文人・画人がここで過ごした日々が偲ばれ、時間はともかく彼らと空間を共有できたことに得も言われぬ満足感が沸いてきた。「ここに泊まって本当に良かったな~」と。

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次回;松江観光


2018年12月10日月曜日

富士通マーケティン連載コラム第5回

富士通マーケティングのコラム“ICTのmikata”に連載中の「ICTで経営されているプロセス工業」第5回(ICTツール;エッジシステムからERPまで)が下記に掲載されました。
https://www.fujitsu.com/jp/group/fjm/mikata/column/madono4/005.html

2018年12月9日日曜日

山陰ドライブ1800km-9



-因幡・伯耆・出雲を走る-

9.皆美館-1
松江の老舗旅館、宍道湖畔で当たっていって絞り込んだのがここ。決め手は部屋数が12と少ないこと、明治初期開業の歴史、好きな随筆家内田百閒ら多くの文人たちが利用したこと、宿泊客以外も利用できる評価の高い料亭(臨水亭)があること、などである。希望日の宿泊可否をチェックすると、9月初旬既に残っているのは別邸と称する二部屋(和1、洋1)だけ、特別造りのようでチョッと躊躇したが、宿泊料に標準的な部屋と大きな差は無かったので洋室タイプを予約した。本来老舗旅館は和室の方が正統だし、文人たちを偲ぶにはその方が好ましいのだが、それは本館の一部のみ、最近は万事椅子の方が楽なので敢えてそうした。
美術館駐車場からの道のりはさほどでもないが帰宅ラッシュ時で道はかなり混んでいる。旅館の在り場所は繁華街に近く、道は決して広くない。陽はとっくに落ちているからとにかくナビだけが頼りだ。何度か左折・右折を繰り返し、たどり着いたのが一方通行の短い商店街の通り。前方にT字路が現れ、とてもこんな所に旅館があると思えぬようなところで、ナビは「目的地周辺です」と案内を終えてしまった。後ろからクルマが来たら邪魔になること必定。そうは言っても誰かに確認するしかすべはない。降りて商店街の明るさと対象的な暗がりになっているTの突き当りをうかがうと 小さく“皆美館”と書かれた看板があり、その先が駐車場になっていることが判明した。そこへ車を進めると、明るく構えの立派な玄関が見え、中から洋装の中年女性が出てきて、歓迎の意を表してくれた。5時と伝えてあったチェックイン時刻を1時間近く遅れていたので少々気にしていたようだ。
こじんまりしたロビーでチェックインの手続きを済ますと、今度はこれも洋装の若い女性が部屋へ案内してくれる。フロントデスクの前を通った後、一旦宍道湖に面し、白砂青松を模した庭に出て飛び石伝いに“別邸”に向かう。離れと別邸だけが別棟になっているのだ。
部屋に招じられ、細部を案内され驚いてしまった。玄関から庭に向かい廊下が走り、入口近く右側にパントリー(食事準備室)とダイニング、トイレ、脱衣洗面室と続く。左側は高い吹き抜けの広いリビングルーム、リビングの後方奥に寝室、リビングの先には広いテラスが専用の庭に張り出し、塀を隔てて宍道湖が見え、浴室がこの庭に突き出た感じで在る。部屋はこれだけではない。二階にテラス付きのツインベッドルームとトイレ、談話コーナー(踊り場)があり。ここのテラスから宍道湖や市街が見渡せる。二人だけでこんな広大なスペースを占有したことは未だかってない。部屋の内部は完全に洋風、家具を含めインテリアは調和がとれ、妙な和洋折衷でないのが良い。二つの寝室のどちらを使うか、しばし思案。一階の寝室がメインのようで、二階より広く衣類の収納部も整っている。一方二階は展望が開け、開放感はこちらの方が優れている。結局これとトイレが近いことが決め手で二階を使うことにした。
共用の浴場が本館二階に設えてあるとのことだったが、内湯も十分な広さがあるので、ここで夕食前のひと浴びとする。庭に面する2面は障子スタイルのブラインドを開け放つと透明の一枚ガラス、庭園灯の薄明りに陰影を作る木々を眺めながら露天風呂の雰囲気に浸り一日の疲れを癒す。

写真は上から;玄関、リビングルーム1、リビングルーム2、二階テラスから見た宍道湖、庭園

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次回;皆美館;つづく


2018年12月6日木曜日



山陰ドライブ1800km-8
-因幡・伯耆・出雲を走る-

8.宍道湖落日
昨晩の鳥取は遠距離ドライブで到着時刻に不安があったのでビジネスホテルにした。明日の宿泊は大山、この地方を代表する景勝地、山腹に在るこじんまりしたリゾートホテルで料理も評価の高い所を見つけた。そんなわけで間に挟まる松江の宿泊先選択は最後になった。条件は前二者とは趣の異なる温泉と和風旅館。ウェブで当たっているどうしても玉造温泉が優先的に出てきてしまう。悪くはないが、境港からはチョッと距離もあるし、翌日の出雲・足立美術館観光に際し、同じところを行き来するような感じになる。それに松江市内の名所めぐりは是非したい。あれやこれや考えた末に宿泊先は、次回紹介する、宍道湖東北湖畔に在る古い旅館に決めた。
予定は倉吉で1時間オーバー、境港を発ったのは4時半、日はかなり西に傾いてきている。ナビでセットしたのは島根県立美術館駐車場、美術館テラスから見る宍道湖の夕日は随一とガイドブックに書かれていたからだ。所要時間は1時間弱、案内ルートを地図上で確認すると、予定していた江島大橋を渡るように見えた。「何とか間に合ってくれ」とスタートしたのだが、ナビの音声指示をどこかで間違えた。今回はこの種のミスが多い。クルマは中海と外海をつなぐ水路に架かる橋を渡り、この汽水湖の北岸を西に向かって進む。交通量は少なく道の右(北)側は山、左は浅い湖岸、右斜め前方から低い西日が強く目を刺す。山陰に入るとその光が断たれ、日暮れ時の薄暗さになる。高齢者にとって、この明暗の急変ほど怖いものはない。島を経由し橋が続く道ならばこんなことにはならなかったのにと悔やむことしきり。やがて道は水辺を離れ、交差点が時々現れるようになり、交通量も増えてくる。松江市内で働いている人たちの帰宅時間なのであろうか。
何ヵ所がそんな交差点を通過したのち大きな交差点を左折する。松江市内へ向かっているのだ。想像していたより松江の中心部は広い。ただ道路はわりと碁盤の目状で、ナビの案内が混乱することはなく、何とか目指した駐車場に入ることが出来た。一応有料の無人ゲートがあり、薄暮の中に10台程度がパラパラと停められている。到着時刻5時15分。そこから美術館までは少し距離があるのだが、駐車場につながる地下道があり、そこをくぐって湖岸方面に出ると、目の前に美術館、横に沿ってテラスにつながる遊歩道がある。とにかく急ぎ足で、湖を見渡せる場所に出た。夕日はほとんど落ちていたが、湖上水平線はピンク色に染まり、何とか見事な宍道湖落日を目と記憶に留め、それを写真に収めることが出来た。
駐車場に戻ったのは20分後、日は既にとっぷり暮れ、黒い愛車がよく見えない。出口ゲートで駐車券を差し込むと、駐車時間なのか時刻なのか不明だが、料金を請求されることもなく、バーは上がった。道は帰宅ラッシュ、近いはずの旅館をナビ頼りに探すのに、それなりに苦労した。

写真;宍道湖落日

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次回;皆美館