2011年6月26日日曜日

決断科学ノート-79(大転換TCSプロジェクト-16;比較調査への取り組み-5)

 「精製側はDDCゆえにトラブルが多い」という工場長発言の背景には当時の川崎工場の運営体制にあることを理解しておく必要がある。川崎工場は東燃グループが石油化学事業へ進出するために発足した経緯があり、工場長は石油化学籍の役員が精製部門も兼務する形で務めていた(その下にそれぞれを担当する工場次長が置かれていた。現在は二人の工場長が居る)。1970年に精製工場が石油化学の主力工場とは離れた場所に本格的に建設・運営され、それ以降精製関連事業のウェートが増し、兼務する工場長を煩わせる問題も、精製側が急増していた。工場の最大の経営管理課題は安全・安定運転である。そこから冒頭のような発言が出てきていたのである。
 DDCに関するFJNさんの問題意識は、前回書いたように運転組織に関するものの他、集中型DDC(一台のコンピュータでプラント全体を制御・監視する)の持つ弱点(それが止まると全プラントが停止する)もあるのだが、次世代は分散型DDC(Distributed Control System;DCS)になっており、初代とは構成が全く違って危険分散されていることを説明し納得してもらった(エクソン・ケミカルの最新鋭プラント、BOPに既に導入されている実績も大いに寄与している)。これで「運転組織に関してはプロジェクトを立ち上げるときまでに整理する」と合わせて一応一件落着となった。
 しかし集中型DDCと安全問題について、これを機会に少し掘り下げ、その結果を周知すべきだとも感じた。そこで直ぐに二人の担当者を選び、私と三人でこの課題に取り組むことにした。一人は計測・制御の専門家ながら、新入社員時プロセスエンジニアとしての経験も積み、EREにも長期派遣されていたYNGさん。もう一人は現場計装技術者として和歌山・川崎両工場をよく知り、DDCの知見も豊富なTYBさんである。
 分析の材料は、工場環境安全室が事務局を務める安全防災小委員会が長年(精製工場が本格スタートして1970年以降)まとめてきた資料を基にすることにし、関連参考情報を和歌山工場からも集めることにした。焦点は火災・爆発・油漏れ・ガス漏れなど物理的なトラブルに限定し、専ら人的と思われるもの(怪我など)はサンプル数の関係や因果関係の詰が難しいので外すことにした。またトラブルは小委員会分類に基づき重み付けを行った。そして単純な集計だけではなく、単位面積当たりのエネルギー保持量(時間的な動きは考慮せず、通常運転時の静的な状態)と同じく単位面積当たりの鉄鋼構造物の重量を基準に分析してみた(つまりエネルギーが集中するところ、装置が大きく複雑なところではトラブルが多いという仮説をたてた。本当は単位体積あたりがより望ましいが、計算が複雑になるので採用しなかった)。
 その結果は、トラブルの発生がこれら分析因子と強い相関を持つことが明らかになり、(集中型)DDCにその因があるというFJNさんの思い込みを正す結果が得られたのである。二人を伴いこの分析報告を工場長室で行い、FJNさんにこの問題に対する認識をあらためていただき、新システム導入の強い支援者の一人を獲得することが出来た。
 この分析には後日談がある。当時私がメンバーとして参加していた、化学工学会プラントオペレーション研究会(高松京大教授、大島東工大教授などが発起人)でこれを発表した。総じて「面白い研究だ!」と評価していただいたが、メンバーの一人ダイセル化学の技術担当役員だったMTSさんから「しかしちょっとサンプル数が少ないな」との意見があった。自身でも“牽強付会”と思わぬでもなかったところもあり、“ギクッ”とさせられた。

(次回;比較調査へ戻り、ベンダーセレクションに入る予定)

注:略字(TCC、ERE、ECCS、SPC等)についてはシリーズで初回出るときに説明しています。

2011年6月19日日曜日

決断科学ノート-78(大転換TCSプロジェクト-15;比較調査への取り組み-4)

 1980年の春、製油部長のYMDさんが席へやってきて、「今度の置換え計画、工場長は賛成ではないようだよ。一度説明しておいたほうがいいぞ」と言う。直前にあった部長会での話題らしい。当時私の属するシステム技術2課(精製部門と共通部門担当)は石油化学の技術部に属し、直接のレポートラインは技術部長だが、製油部長付として出向していることもあり伝えてくれたのである。プロジェクトの進捗状況は技術部長に適宜報告していたし、他の工場長ならともかくシステムに理解のあるFJNさんだけに思いもよらぬことであった。
 FJNさんは製造畑が長く、製造課長時代には東燃グループ初のプロコン導入プロジェクト(石油化学のナフサ分解装置最適化制御)の責任者を務めたこともあり、課長時代から親しくお付き合いいただいていた。早速アポイントメントをとり工場長室に伺った(この時の私は相当昂揚していたのであろう。あとでYMDさんから、工場長が「MDN君が目を三角にしてやってきたよ」と言っていたぞ、と聞かされた)。
 工場長の“反対”の意向は次のようなことであった。「既存システムの置換えは賛成だが、DDCの全面的な導入には大いに疑問がある」「なぜならば、DDCを採用している精製側に火災などのトラブルが多い」「特にDDC採用に際して、運転員のボードマン(計器室で計器監視・操作を行う)とフィールドマン(現場を巡回し点検・操作を行う)の常駐場所を分け、両者が情報交換を行う機会が制約されていることが問題だ」「大体日本人の祖先は南方からやってきた。ニッパハウス(柱はあるが屋根は椰子で葺き、壁はほとんどない)のようにオープンな建物で和気藹々と暮らしてきたから、欧米のように役割によって居場所を峻別するような文化はなじまないのだ」と自説を開陳された。
 “精製側にトラブルが多い”は一先ず置いて、“ボードマンとフィールドマンの峻別”については直ぐに理解できた(賛成ではないが)。この問題は第一世代プロコン導入期からのプラント運転部門の持つ不満の一つであった。それまでは両者は同じ場所に居て、役割は違っても同じような時間を過ごしていたのである。フィールドマンもボードマンにことわって、自分が担当する装置の計器操作を行うことが許され、それが経験を積む機会にもなっていた。しかし(集中型)DDCの導入に際して、パネルでの計器操作ではなくはなく操作卓でキーボードによってプラント運転を行うためボードマンに一層の集中力・注意力を期待したこと、また当時の電子機器が塵埃にきわめて弱かったことから混在方式を止め、部屋を分けたのである。この新方式のボードマンは比較的若い人に適性があり、従来の年功序列的なキャリアーパスを崩すことになったことが特にベテラン運転員に不安を与えていた(若手運転員の士気は高まったが)。
 1963年秋、この第一世代DDCが和歌山工場で稼動した直後、FJNさんをリーダーに石油化学川崎工場の調査チーム(システム部門と運転部門の混成)がやってきて現場見学し検討会を持った。この時問題点として浮かび上がったのが、集中ゆえのトラブル時の対応(石油化学のプラントは顧客とパイプラインでつながり、直ちに影響は他社に及ぶ)とこの運転組織の問題であった。運転技術者としての経験が長いFJNさんにはどうしても馴染めなかったようである。それから10年以上過ぎた今それが再燃したわけである。
 この問題については、このときは「運転方式については電子機器の耐久性も向上しているので、部屋を分けるかどうかは必要条件では無く、プロジェクト実施時までに決めましょう」と言うことで納得していただいた(結果として従来と大きく変わらず、石油化学では両種の運転員は同じ計器室に常駐することになる)。
 残る課題は“DDCゆえにトラブルが多い”である。これはこちらも簡単に認めることは出来ない。

(本項、次回に続く)

注:略字(TCC、ERE、ECCS、SPC等)についてはシリーズで初回出るときに説明しています。

2011年6月12日日曜日

決断科学ノート-77(大転換TCSプロジェクト-14;比較調査への取り組み-3)

 サブタイトルは“比較調査”だが、ここでそれから一時はなれ、その間に併行して進められた工場での仕事に触れてみたい。
 今回のプロジェクトは新規プロジェクトではなく、基本的には既存システムの置換え業務である。東燃(そしてExxon/Mobil)ではR&R(Repair & Replacement;修理・取替え)と呼ばれる範疇のもので、投資理由説明そのものは新規に比べて簡単に済む。ただ問題なのは、全社・全工場共通システムとするための付加的な作業に要するコストが第一世代システムよりかかること、加えてこの際適用範囲を拡大・強化するための投資もあり、総投資額が既存製品の新品価格を合計したものを大幅に超えることが間違いないことである。つまり経済性検討に関しては、プロジェクト実施の時間的な長さも勘案して(全体共通システムの開発と個別の置換えプロジェクト)、従来とは異なる整理が必要なのだ。
 経済性検討と密接に関わるのが取替え工事の基本計画(主要工事内容とスケジュール)である。当時装置の定期修理は2年毎になっていた。取替え工事そのものは実施年度に行うが、出来るだけ定修期間を短縮するために事前工事を行うことが望ましい。場合によってそれは本取替えの2年前に行うことも必要になる。地味だが取替えプロジェクト成否のカギと言っていい。
 第三は新システムゆえに生ずる問題である。時々の経営状態、業態、歴史的背景、地理的要因などで異なるプラントの運転方法を新しい道具に合わせて変えなければならない。経済性検討が専ら数値に依存するのに対して、ここは労務上(組織・職種・昇進・処遇)や心理的・情緒的な問題も含んでおり、論理的にスパッと決められない難しさがある。
 共通システムそのものに関わる課題は本社中心に構成された比較調査とメンバーが重なる“中央推進チーム”が取り組むものの、経済性・取替え工事・運転体系の整理は工場ごとの環境が大きく効いてくるので、ここは各事業所のシステム技術課の仕事になる。
 経済性検討で苦労が多かったのは和歌山工場である。それは主力工場でプロコン導入は早かったのだが、装置の建設時期が一部は戦前のものを活用して昭和20年代後半から40年代半ごろまで続き、石油化学や川崎工場とは異なり小規模なプラントが散在し(従って小計器室が多数在る)、計器の装備状況もかなり貧弱であった(絶対数が少ない上に現場型計器・空気式計器が多い)からである。この欠陥は第一次石油危機の際露呈し、省エネルギー活動への取り組みに他工場に遅れをとることになる。
 第二世代導入では、これら計器室を統合しセンサー装備率を上げ、電子化・遠隔化を推進することを目論むのだが、当然投資金額も単なる置換え相当で済まない額になる。それを経済的に成り立たせるためには既存プロコンを利用して省エネや収率改善のアプリケーションを少しでも多く開発し、リターン項目を増やす必要がある。このために本社や他事業所から急遽アプリケーション・エンジニアを送り込んで問題解決・経済性向上に当たらせた。
 計器増設・電子化・計器室統合など計装に関わる課題が多々あることから、取替え工事に関する作業も複雑で、その計画検討には周到な準備が必要だった。
 和歌山工場のこのような状況に比べれば石油化学や精製の川崎工場は、装置の集積度も計器の装備率・電子化も進んでおり数値の見直し、新規開発アプリケーションの洗い出し程度で投資額の整理にはさほど苦労しなかった。ただ精製工場は敷地が比較的狭い所へ、高密度で装置が建設されているので、既存の計器室建屋だけで取替え工事を如何に上手く進められるかが最大の課題だった。そんなところへ思わぬ爆弾が投げつけられた。
(次回予定;比較調査-4;工場での準備-2)

注:略字(TCC、ERE、ECCS、SPC等)についてはシリーズで初回出るときに説明しています。

2011年6月5日日曜日

今月の本棚-33(2011年5月分)

<今月読んだ本>
1)軍艦武蔵(上、下)(手塚正己);新潮社(文庫)
2)国家債務危機(ジャック・アタリ);作品社
3)プリズン・ガール(有村朋美);新潮社(文庫)
4)ヒトラー戦跡紀行(斎木伸生);光人社

<愚評昧説>
1)軍艦武蔵
 大和型戦艦の二番艦である武蔵。しかし、知名度・人気度において大和とは大きく差があり、出版物も少ない。比較的知られているのは吉村昭の「戦艦武蔵」くらいであろう。綿密な調査に基づく吉村作品は私も大ファン(特に軍事物)である。従って本書の題名を見たときには「いまさら紛らわしい名前で二番煎じか」と思ったが、少し情報を集めてみると、著者が文学作家ではなく映像作家であることに興味をもち取り寄せることになった。
 この本の書かれた背景は、武蔵の映像を作品にすることを持ちかけられ、そのために関係者(特に生存者・乗組員家族)多数に聞き取り調査を行い、結果的に武蔵の動画や写真がきわめて少ないことから、ほとんどその聞き取り調査場面で映像を作り上げることになる。その映画は自主上映作品ながら一定の評価を得て成功する。ただ聞き取り調査の時間は100時間を越えるが、映画は2時間足らず。著者に忸怩たる思いが残るところへ出版編集者から「これを本にしないか?」と声がかかったこと端を発し、更なる補足調査(映画完成後8年間の調査活動後執筆着手)を行い、“一切の誇張と憶測を取り除いて真実に近い武蔵の物語を作り上げたかった”作品が本書として結実する(2003年単行本刊)。
 著者は当然吉村の「戦艦武蔵」を読み、これを高く評価しているが、真実に近い武蔵像を描くための力点を、“乗組員の日常・戦闘行動”に置き、“建造”が中心テーマであった吉村作品とは異なるところに置いている。
 平成の時代まで生き残った生存者・関係者は決して多くない。彼らの多くは若い乗組員。階級の低い下士官兵や下級士官(小・中尉だが繰り上げ卒業)、艦全体ましてや戦争全体を語れるような立場には無かった人々だ。しかしそれだけに現場の臨場感は圧倒的だ。灼熱のボイラー下部での水封作業、横転しつつある艦腹を滑り降りる恐怖(牡蠣ガラで体が切り裂かれていく)、機銃掃射による飛び散る肉体、暗夜の漂流。苦難は救助後も続く。フィリピンに残置された乗組員は陸兵同様飢餓地獄の中を彷徨する。
 取り上げられる艦は武蔵だけではなく、これに随伴した駆逐艦にも及んで、救助活動に活躍した浜風、清霜などは武蔵に劣らず詳細な活動や戦歴が語られる。なかでも浜風は人命救助数が他の海戦(戦艦金剛、空母赤城、信濃など)も含めて千五百人以上という驚異的な貢献をしていることを本書で始めて知った。
 つくづく感じたことは、大鑑巨砲が如何に脆いものだったかと言うことである。航空攻撃に弱いばかりではなく、対潜水艦防護や防空兵器がまるで機能せず、エネルギー消費だけは桁違いな、無用の長物であったことがあらためて知らされ、不沈艦と信じて乗り組んでいた人々の無念が思いやられてならない。

2)国家債務危機
 わが国国債発行残高は約1000兆円、GDPの2倍に達する。国家財政は事実上破綻していると言っていい。これを正常に戻すことは可能なのだろうか?何か秘策があるのだろうか?日ごろこんな思いを持っているところにタイムリーに本書が出た(出版は1月末、購入は2月末)。
 著者は若くして(特別補佐官に任命されたのは38歳の時)ミッテラン大統領のブレーンであった経済学者で思想家。私は読んでいないのだが「21世紀の歴史」は“金融危機を予見した書”として話題になった。これはその続編ともいえるもので、財政支出(特に社会保障費の増加)と税収のアンバランス、およびリーマンショック後各国が国債で景気浮揚を図ることで一層財政悪化を招いていることに対する警告書であり、その解決への提言書でもある。
 経済・財政問題に強くない一般読者(私を含む)に国家債務を理解させるために、先ず現在の各国における財政がおかれている状態を俯瞰・分析した後、有史以来の為政者たちの借金とその解決策の歴史から説いていく点が、この本を前著に次ぐベストセラーしているに違いない。とにかく分かりやすく、興味が持続する。王様たちは戦費調達にいつも追われており借金漬けであった。唯一の返済は戦に勝ち戦利品(土地を含む)を与えることだが、なかなか帳尻は合わない。解決策は“踏み倒し(貸手の追放・殺害を含む;歴史的に西欧社会ではユダヤ人が貸手となる背景もこの本でよく分かった)”であり、硬貨の質を下げること、そして近世では紙幣の発行(紙幣の発案、その後は増発)などである。
 近世・近代、さらには現代に至る歴史的変遷は母国フランスを中心に解説していくので、社会や政治との関わりが深耕され、学者やエコノミストの書くもの(一般論が多い)とは一味違い現実味がある。例えば、この債務危機の解決には既得権を抜本的に見直す必要があるのだが、それがフランス社会で如何に困難なことであるかと言うような場面で示される。
 無論日本の国債問題にも言及している。他の国と大きく違うのは国債の購入者の90%が日本国民であること(フランス30%、アメリカ50%)でこれにより通貨危機は当面避けられているが、GDP比や歳入とのバランスでは危機的な状態ととらえ、「日本人の愛国心がいつまで耐えられるかが問題」と突き放している。
 このような不健全な国家債務を解消する策は、先進国における持続的な経済成長、税収の見直し(増税)、支出(特に社会保障関係)の見直しとしているが、中でも持続的経済成長は一国で片付く問題ではなく、国際協調が必要としている。その根本精神は、社会党政権のブレーンとして、そして欧州知識人多数の考え方、“放任(小さな政府)ではなく統制(大きな政府)”にあり、この点では米国が提唱する“自由な競争社会”とは異なる提言となっている。
 サルコジ大統領はフランス、そしてEUの経済活性化のために米国寄りの施策をとる傾向にあるが、政敵社会党のブレーンだった著者を大統領諮問委員会(通称アタリ委員会)の委員長に任じ、政策提言をまとめさせている。真の知恵者を、立場を超えて登用する(される)、わが国政界とはまるで異なる環境をうらやましく思う。
 多くの人に読んでもらい、厳しい財政改革に真摯に向き合う政治家を支えるような政治環境を醸成できたらと思う。

3)プリズン・ガール
 米国の連邦刑務所に懲役2年の刑で服した若い女性の体験記である。日本人が書いた米国体験記で目を通したものはおそらく50冊は超えているだろう。しかし“塀の中”はこれが始めてである。誰もこんな場所の経験を積みたいとは思わないだろうが、アメリカ社会を知る上でユニークな知見を得た。
 著者はよく米国で見かける、特に動機の確りしない語学留学生として、アパレル関係企業のOLを辞めた後NYに滞在している。パーティで知り合った、若いイケメンのロシア人と付き合ううちに、全く気付かず麻薬犯罪組織に取り込まれてしまう(ボーイフレンドが麻薬取引に関係していることは告白されているが)。ある日突然FBIに踏み込まれ逮捕される。アパートの自室が現物輸送の中継場所(恋人に頼まれた宅配便の受け取り)に利用されていたのだ。
 逮捕されて始めて、彼には妻子もあり、さらに愛人がいることまでFBIから知らされる。刑を軽くする司法取引を持ちかけられるが、愛情ゆえにそれは拒否する(結果的にはそれが正解であった。受刑者仲間に取引をしたために釈放後の報復を恐れている者がいること知る)。その結果が懲役2年である。
 米国の刑務所は連邦、州、郡とあるが、麻薬取引の場合単なる末端の売人はともかく、組織の中に組み込まれると複数の州に跨ることになるので“連邦”扱い犯罪となるのだ。一方で殺人や強盗は概ね組織的な広がりを持たないので州や郡の刑務所に送られる。従って、凶暴の度合いから言えば連邦が最も低いので、他の刑務所に比べ相対的に過ごし易い所らしい(刑を終え強制送還が行われるまでの間、連邦刑務所に空きが無いため、著者も州刑務所に2ヶ月滞在させられる)。
 連邦刑務所の服役者は、中南米人が50%、黒人が40%、白人・アジア人が残り10%で、犯罪内容は麻薬・不法入国に関するものが極めて高いのが特色である。一方で州・郡刑務所は強盗・窃盗・殺人を犯した黒人・白人が多い。
 刑務所の中での人間関係(犯罪の種類、人種問題、グループ(レスビアン関係を含む)、看視との関係)、仕事(仕事に応じて賃金が払われ、これが刑務所専用口座に払い込まれ、種々の品物を売店で購入できる;著者は売店担当が長いがやがて日本語とピアノを教える)、生活(電子レンジを使って料理などかなり自由にできる)、病(特に精神)や所内規律違反への処遇などが赤裸々に語られ、特殊な社会とは言え米国社会を浮き彫りにして、既知の米国観を補ってくれた。

4)ヒトラー戦跡紀行
 戦争の本質に洋の東西差は無いが、大東亜戦争の決戦場は海や孤島、大陸では非対称戦(ゲリラ戦)で決定的な場所を特定できないので、なかなか決戦の跡を辿ることが難しい。その点欧州の戦いは都市が中心だったから現代でも比較的容易に訪れることが可能である。もう実現することは無理だろうが、一度そのような戦跡を巡る旅をしてみたいと、60歳代中頃までは思っていた。ダンケルク、ノルマンディー、レニングラード(現サンクト・ペテルブルク)、スターリングラード(現ヴォルゴグラード)、アルデンヌ、エル・アラメイン(これは北アフリカだが)などがそれらである。
 映画(記録・劇)や書物でいくらその場面の戦いを知っても、現場を見るとそれまでの印象が一変するのは、初めてモスクワを訪れ、シエレメチェヴォ空港から市内へ至る途上、巨大な戦車阻止障害物のモニュメントを見たときである。そこは1941年冬ドイツ軍がモスクワに最も近づいた地点であった。今は完全に郊外といえる場所である。「こんなに近くまで攻め込まれたのか!」「ドイツ軍はあと一押しだったのだな!」と実感した。その後に読んだ「モスクワ攻防1941」はまるでそこにいるような気分を最後まで持続させてくれた。
 この本は、そんな軍事オタク、特に第二次世界大戦の欧州の戦いにとりつかれている者向けの本で、戦場よりはヒトラー縁の深い地を紹介するものである。本営の在ったベルヒテスガーデン(オーストリア)とヴォルフスシャンツェ(東プロシャ;現ポーランド;暗殺事件があった場所)、ナチス党発祥の地ミュンヘン、第三帝国首都ベルリン、宥和政策で得たズデーデン地方など8ヶ所が取り上げられ、土地どちの歴史・ヒトラーとの関係・現在の様子(旅行事情を含む)などを解説していく。
 著者は国際関係論の専門家のようだが、これらの土地を何度も訪れており、建造物の写真や図面・地図なども比較的整っていて、この種のことに関心の深い人には旅行案内として大変有用な本である。私も機会を見つけて何ヶ所か廻ってみたいと思い始めている。
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