2022年8月31日水曜日

今月の本棚-169(2022年8月分)

 

<今月読んだ本>

1)満洲国グランドホテル(平山周吉);芸術新聞社

2)国際報道を問いなおす(杉田弘毅); 筑摩書房(新書)

3)雨天炎天(村上春樹);新潮社(文庫)

4)指揮官たちの第二次世界大戦(大木毅);新潮社

5Fateful ChoicesIan Kershaw);Penguin Books

6)小隊(砂川文次);文藝春秋社(文庫)

 

<愚評昧説>

1)満洲国グランドホテル

-昭和の著名人、小林秀雄、笠智衆、石橋湛山等36人は満洲で何を見、何を語ったか-

 


 1945年(昭和20年)86日広島原爆投下、89日長崎原爆投下、同日未明ソ連満州へ侵攻、815日終戦。8月は日本人にとって永遠に続く特別な月であろう。中でも原爆と15日はメディアも特に力を入れて今次の戦争ばかりでなく、広く深く戦争を論じ、多くの人々にとってもそれが身近になる一時ではなかろうか。しかし、私にとってソ連侵攻以外ははるかに遠い世界である。7歳、国民学校1年生、初めての夏休みに突然やってきた戦争、この日一日の出来事は朝目覚めた時から夜寝入るまで、今でも鮮明に辿ることができる。関東軍が実質統治する満洲、その司令部がある首都新京(現長春)、兵士は多く見かけたものの、子供に戦争の気配など感じられず、それまで平和な日々を送っていた。そんな環境がこの朝から一変する。あの日から引揚までの短い体験が、その後の私の人生に大きく影響したことは間違いない。満洲の存在は個人的な体験に留まらず、満州事変(1931年)は支那事変(日中戦争、1937年)さらに大東亜戦争(太平洋戦争、1941年)へと拡大、その結果が現在の日本の国際的位置付けを定めたと言っていい。それ故に日本史に対する私の関心は満洲を中心とした昭和史に極端に偏っている。

書棚には満洲関連の一画があるし文庫・新書・写真集は別に保管しているから全部で50巻近い満洲物がそろっている。しかし、ほとんどは満洲国成立までかソ連侵攻後で、比較的安定した満州(1932年~1945年)を取り上げたものが欠落している。歴史はどうしても“節目”に焦点が当たるからだ。本書は独特の形式(後述)で平時の満洲を垣間見せるもので、私の記憶に残る“良き満洲”を大人の眼で再確認することになった。

著者は1957年生れ、出版社勤務を経て文筆家(著者紹介では雑文家)に転じ、主に昭和史ノンフィクション作品を書いている。2019年には「江藤淳は甦る」で第19回小林秀雄賞を受賞、知名度は今一つだが、本書を読んで登場人物の分析に深さと鋭さを感じさせる優れたライターだ。

グランドホテルなる題名は映画でよく使われる、大ホテルに去来する人々の人生模様を描くのと同趣旨。本書は36話から構成されいずれにも異なる主人公(居住者、旅行者)が配され、彼等を中心に当時の出来事や世相を語っていく。ただ満洲国建国のプロデューサーとも言える石原莞爾(関東軍参謀)や戦後首相を務める岸信介(産業部次長)は頻繁に登場するものの、主役として取り上げられることはない。平穏な時代に相応しいのは作家、ジャーナリスト、映画人などの文化人。第1章の小林秀雄(評論家)から始まり終章は島木健作(作家)で終わる。この間に、笠智衆・原節子・李香蘭(山口淑子)・木暮実千代などの映画人、経済ジャーナリストの石橋湛山(東洋経済新報社社長、のち首相;満洲不要論を唱えた)、朝日を始めとする新聞人、小澤開作(征爾の父)のような民間政治活動家が、それぞれの満洲観を織り交ぜながら語られる。理想先行型、権力迎合型、能天気な人、一旗組、はぐれ者(特に思想)、さまざまな人物がロビーを行き交う。

焦点を当てるのは満洲国建国の理念であった“五族(日・満・漢・鮮・蒙)協和・王道楽土”に関して主人公や関係者がどんな言動を残しているかにある。見るべきものを見ているか、発言や書き残した物に一貫性はあるか、時代や立場(戦後を含む)によってどんな変化がみられるか、を厳しく追及していく。例えば、国策の先兵として募集・派遣されソ連侵攻で多くの犠牲者を出した満蒙開拓少年義勇隊の実態がある。平和な時期でもここの訓練所は過酷な環境下(楽土とは真逆)にあったことを訪問者は誰も伝えていない。

個人的な疑問「私に満洲国籍はあったのだろうか?)」で知りえたことは、独立国を主張しながら国籍法が無かったことである。日本人(朝鮮人を含む)は日本国籍のまま、満洲国籍者は存在しなかったのだ!“五族協和”など空論に過ぎない何よりの証拠だろう。

著者はかなり以前からこのテーマを温めていたようで、コロナ禍で資料アクセス(特に国会図書館)に制約を受けながら、綿密な調査をしていることが文中から察することができる。巻末の人名索引が充実しており、事典的な価値もある本だ。

 

2)国際報道を問いなおす

-翻訳記事・紹介記事に終始する我が国国際報道、何故そうなるのか?ベテラン記者がそれを質す-

 


 外資系石油企業に就職したのでその方面の海外技術情報に早くから接することができた。とは言ってもまだまだ海外出張は稀で、大規模な工場建設に際し課長・係長級の先輩が基本計画立案のために技術研究所(Exxon Research & EngineeringERE)や海外製油所に出かけるくらいだった。これが一変するのが第一次石油危機。国内製油所建設にブレーキがかかり、建設要員として採用されていた若手エンジニアが余剰になる。一方世界に多数在る兄弟会社製油所の省エネ計画がEREに殺到した。このため彼等をそこへ貸し出すことが始まる。入社4~5年の者がおよそ2年間EREに滞在、米国人上司の下で設計業務に携わるのだ。大方は妻帯者で幼い子供連れも多かった。つまり米国社会にどっぷりつかる生活を体験する。ただ、報告書類から感じたことは意外と交際範囲は狭くほとんど職場の同僚に限られ、あまり面白い情報がなかったことである(派遣社員ゆえ仕方がない面はあるが)。そんな中に一人だけ例外が居た。カナダの石油化学工場へ送り込んだ男である(彼も家族連れ)。カナダ人の中で日本人一人、工場の雑多な仕事をこなし、メーカへの出張や学会参加の機会なども与えられ、送られてくる報告書は、技術情報ばかりでなく労働組合問題あり安全問題あり、当時私の勤務していた川崎工場(カナダと同様石油精製・石油化学が一体化)で話題になったほどである。同じ企業・職種から出ても環境によって海外情報に大きな違いがある(個人の資質もあるが)。EREにおける設計は定型業務中心であるのに対し製油所の仕事は臨機応変の対応を求められる。これが情報の質・量に反映しているのではないか。次元は異なるが、昨今のウクライナ情報に対する隔靴掻痒感から本書を手にした。

著者は1957年生れ。1980年に共同通信社に入社、社会部を経て外信部に転じた人である。テヘラン支局長・ワシントン支局長などを務め、現在は特別編集委員兼論説委員、明治大学特任教授(メディア、国際政治)。滞米期間は通算12年、プーチン大統領とも何度か言葉を交わしている国際報道のベテランである。

社会部(大阪勤務、主に警察担当)から外信部に移る際、他社の先輩から「最前線で取材する社会部から翻訳記事・紹介記事を扱う外信部に移っても面白くないぞ」と忠告される場面がある。私も含め多くの読者・視聴者が国際報道に感じていることと同じではなかろうか。ウクライナ戦争でも、海外メディアからの流用が多く、独自取材も安全なところで恐る恐る断片的に報じている感が強い。何故そうなってしまうのか、本来どうあるべきか、を講ずるのが本書の要旨である。

ここで取り上げられるのは戦争・紛争案件が大部分で、平時の政治・経済もそれらに関係する部分に限られる。時節を意識してのことであろう。しかし、国際報道に対する我が国メディアの問題点と言う点に関しては、非常時に限らないその特質を充分理解することができる。言語力(主に英語力)、国際交渉力、軍事を含む国力、情報市場(日本or世界;市場が大きければ投資もできる)、取材陣構成(フリーランス記者、現地記者)、米国メディアの影響力(これが大きすぎる)などが共通因子だ。

意外に思ったのは、我が国の戦争報道が最も輝いていたのはヴェトナム戦争であったとしていることである。米軍の規制は緩く、岡村昭彦(PANA通信、雑誌Lifeに写真特集記事)、日野啓三(読売、作家、芥川賞)、開高健(作家、芥川賞)、沢田教一(UPI、写真家、ピュリッツァー賞)などの記事や写真が日本の世論のみならず米国の反戦活動にまで影響したとしている。注目すべきは日野を除き皆国内の大組織に所属していないことだ。

この反戦活動に懲りた米軍は後の戦争(紛争を含む)では報道管制を強め、現在は米国メディアもその統制下に置かれている(戦争を見る目が攻撃側に偏る)。

国による検閲として、日中国交回復時以降の中国におけるそれが詳しく取り上げられている。周恩来首相は見かけとは異なり狡猾・老獪、巧みに日本メディアを締め付けるのだが、それを最も忖度したのは朝日新聞。各社記者が次々と追放処分される中で、唯一北京駐在を認められる。本書には書かれていないが、朝日が“人民日報日本版”と揶揄されたのもむべなるかな、である。

一方、文化大革命時は紅衛兵の壁新聞を読める日本人記者が欧米ジャーナリストに大いに頼りにされた話もあり、これからの我が国国際報道の在り方に示唆を与える。つまり、言語と日本人の視点である。言語については英語力の向上、現地人の活用、日本人の視点では地理、歴史観、宗教観の欧米との違いを踏まえた独自発信力を高めるべきと提言する。

先月本欄で紹介した公開情報に基づく報道活動組織「ベリングキャット」、SNSとフェイクニュース、米国メディアの凋落、ウクライナ戦争(特に、プーチン大統領の言動)にも随所で触れ、今日的な話題の中で我が国国際報道の実態を理解できる読み易い一冊であった。

 

3)雨天炎天

-初めて知るギリシャ正教の聖地、トルコの無法地帯、人気作家の冒険旅行を安全地帯から楽しむ-

 


 現役時代は化学プロセスを対象とする数理技術応用、プロセス・システムズ・エンジニアリング(PSE)を専らとしており、関連の学会活動にも参加していた。19965月その一環としてギリシャ・ロードス島で開催されたPSE国際学会で発表の機会があり、ギリシャ、トルコを訪れた。ギリシャは業務だがトルコは連休と重なったための私費旅行である。訪問地はアテネ、ロードス島、イスタンブールに限られたが、いずれも世界史的存在の地域だけに、改めてもう一度の思いが残った。しかし、彼の地を再び訪れる機会は失われ、せめて紙上でと本書を手にした。構成がギリシャとトルコの2部から成るからだ。

単行本の発刊は1990年、ギリシャの旅は19889月、トルコは推定19899月。いずれも私が彼の地を訪ねる遥か以前であるばかりか、ソ連崩壊(1991年)、EU発足(1993年)すらこのあとのことである。著者は既にエーゲ海中心に両国を何度か訪れているが、今回は観光地を避け、目的を絞り込んでユニークな旅を計画・実施する。二つの旅に関連性は無く、むしろ全く異質なものと言っていい。ギリシャはその北部でエーゲ海に突きだすアトス半島のみ、期間は56日(計画は34日)、ほとんど徒歩で移動する。一方トルコは国の大部分を占める小アジア(アナトリア)地方の外縁を時計回りに21日間かけて廻るドライブ行である。共通するのは時期、カメラマンそして著者の異国を見る目だけである。タイトルの雨天はアトス半島、炎天はトルコと解釈していい。

○アトス半島

私がアテネからイスタンブール(アテネ空港ではコンスタンツポリスと表示)へ双発高翼プロペラ機で飛んだ時、機は北に向かいエーゲ海深奥部のテッサロニキに立ち寄った。ここはアテネに次ぐギリシャ第2の都市である。そこから東に突きだす3つの小半島の最も北側に在るのがアトス半島、行政区分地図などで見ると半島の中央部まではテッサロニキ州の色だがその先で色が変わる。ここはギリシャ正教の聖地、政府から完全な自治を認められた特別な地域なのだ。一般人の立ち入りは厳しく制限されパスポートを入手する必要がある(女人禁制、家畜を除く動物のメスもだめ)。おまけに一帯は山岳地帯、陸路での入域は容易でない。唯一の交通機関は半島の付け根から出る連絡船のみ、外部の人間(主として観光客)の滞在期間は34日まで。この半島には大小さまざまな修道院(約20)があり、ギリシャ正教の僧が世界各地から修行にやってくる(長期居住者も居る)。この修道院群を徒歩で巡るのが今回の目的である。同行者はカメラマンと雑誌社の編集担当計3名。宿泊・食事はすべて修道院、入域時2千円ほど納めるとあとはタダだが、非常食などの入手は担当僧次第。峻険な山道、土砂降りの雨、掘っ立て小屋に近い修道院、カビの生えたパン、域内船便の欠航、難行苦行の末、56日を要する結果になる(規約違反だが許される)。一体何のためにこんな旅を目論んだのか、動機はこの半島のことを本で知ったこととある。つまり好奇心だ。ジョギングを趣味とし、何度かフルマラソンも走る著者だから出来た旅である(しかし、このとき49歳!)。

○小アジア周回

今回のトルコ行きは7年前エフェソスの遺跡(古代都市)を観て「次回はトルコ全域を旅したい」と思ったことにある。そうは言っても全域は無理小アジア周辺部を一周することにする。今度は三菱パジェロ(四駆)が足、同行者はアトス半島のときのカメラマンとの二人旅だ。先に決行時を“推定”1989年としたのは、文中に正確な年月が記載されておらず、単行本出版日と内容からイラン・イラク戦争終結間もない時期であると推測したからだ。つまり、これらの国と接する国境地帯(東部・南部)の治安が極めて悪い時である。

著者はトルコを5つに区分し寸評する;①ヨーロッパ・トルコは東欧と類似で単調な地形、②黒海沿岸は静かで素敵な場所、③東部アナトリア(ソ連・イラン・イラク国境)は危険いっぱいの異次元世界だが最も面白い(二度と行きたくないが)、④中部アナトリア(シリアから地中海)はアラブ的トルコ、⑤地中海・エーゲ海地域は最も華やかで明るいトルコ。ただしヨーロッパ・トルコに属し同国最大の都市イスタンブールは、ツーリズムに毒された醜悪な場所と断じ切り捨てる。他の紀行文でもローマやシシリー島あるいはエーゲ海の観光地は同様の評価だから、“観光旅行”は対象外なのだろう。これは沢木耕太郎の旅行観とも一致する。この感覚は引退後ツアー参加をして、ビジネス旅行時に比べ何か物足りなさを感じることと底通するような気がする。つまり、観光地や大都市は「本当のその国の姿ではない」と言う満たされぬ思いだ。

海外長距離ドライブ、私にとって本書の読みどころはここにある。そしてそのヤマ場はやはり東部アナトリアだ。四駆だから何とか走破できた悪路・山岳路(5m級の山がある)、イラン・イラク戦争の後遺症とも言える難民、クルド人の分離活動、麻薬密輸、劣悪な衛生環境、検問所は多数あるもののほとんど無法状態。この地の人々の表情に微笑みは無い。そこを抜け地中海に沿って走る国道24号線の途中で報告が終わるのも(実際はイスタンブールまで戻るのだが)、緊張と興奮後の虚脱感からなのだろう。道中クルマのトラブルが一切記されていない(給油の苦労はあるが)。さすが四駆の先駆者パジェロ!こんなところに感心してしまった。

村上作品の紀行文は人が中心である。本書の二つの旅もそれは変わらない。特にトルコでは地域差が良く描かれている。トルコ経済は確実にあの頃よりは改善しているが、東部アナトリア・中部アナトリアの状況はむしろ厳しさを増している。人々はどう変わっているのだろうか?

二つの旅にカメラマンが同行しているが写真は少ない(小さな白黒写真のみ)。トルコについては警察・軍のチェックが厳しく、フィルムを抜き取られたことも報告にある。これが唯一物足りない点であった。

 

4)指揮官たちの第二次世界大戦

-パットン、ド・ゴール、デーニッツ、山口多門、名将たちを知られざるエピソードで紹介。リーダー論の教科書にはなりません-

 


 本ブログを立ち上げた動機は経営における意思決定と数理の関係をあれこれ考えてみたいと思ったからである。実務で関係したITプロジェクト事例を多々書いてきたのはそのためだが、並行して軍事戦略・作戦・戦術やそれに関わった意思決定者について多くの著書を読み、経営と軍事の相違から“決断と数理”の関係にヒントを求めた。中心となったのは著名軍人の伝記・回想録などであり、その多くを本欄で紹介してきた。だから本書の出版予告が出た時購入候補に挙げていたが、やや気になったのは将帥の数の多さである。10名を超すとなると中身が薄くなる。既によく知る人物も多いことから逡巡していたところ、私の読書傾向をよく知る友人が「読んだから」と送ってくれた。結論から言えば、それなりに価値はあるものの買わなくてよかった、と言う程度の中身である。“それなりの価値”は知らない人物が何人かいたこと、 “買わなくてよかった”は懸念した通り内容が軽いことである。

著者は1961年生まれの戦史研究家、2020年「独ソ戦」(岩波新書)で新書大賞を受賞、「砂漠の狐ロンメル」「戦車将軍グデーアンリ」なども本欄で紹介している。彼の強みは大学院課程をドイツで学びドイツ語に精通しているところにある。ソ連崩壊・ドイツ統一後の資料に直接当たり、それを核に欧州大戦を分析して見せるのが売りなのである。例えば、「独ソ戦」ではドイツ側ばかりでなくソ連側もあの戦争を絶滅戦争として戦ったこと、この戦争で独国防軍とナチスは不可分であったこと、を明らかにし旧来の通説(ナチスとヒトラーを一方的に責める)と異なる点をクローズアップして見せた。それは「ロンメル」「グデーリアン」も同様である。これらの力作が印象深いものだっただけに本書の読後感が今一つ物足りないものになってしまった。それは本書が書下ろしではなく朝日の論壇誌「論座」、新潮の文芸誌「波」へ寄稿された戦史エッセイをまとめたもので、特定のエピソードが中心となることにある。著者もそのことを意識しており「正面ではなく横顔を描くことに依って人物理解の一助としたい」と断わっている。その点で“リーダー論”を期待する向きには薦められない。

ただ私にとっては知らいない人物を知ったこと、思わぬエピソードを知った点で本書を入手出来たことはそれなりに意味があった。

知らいない人物は、ゲオルグ・トーマス歩兵大将(独);総力戦を早くから研究その限界を予知し警告を発していた人物、エルンスト・ローデンヴァルト軍医少将(独);ユダヤ人大量虐殺につながる「人種衛生学」「地誌医学」などを唱えながら、巧みに戦後を生き抜いた人物、水上源蔵中将(死後);インパール作戦の支援作戦に始めから戦死を想定した命令(辻政信大佐策定)を下命された兵団長、がそれらだ。

エピソードで収穫だったのは、ド・ゴールが第一次世界大戦中捕虜となりドイツ国内の将校収容所に囚われ、そこに同じように東部戦線で捕虜となった帝政ロシア軍のミハイル・トハチェフスキー(のち元帥)が居り、二人の間に交流のあったことが書かれていたことである。ド・ゴールは仏軍機甲部隊の提唱者、トハチェフスキーは縦深戦略の発案者で赤軍近代化推進に功があったもののスターリン粛清で処刑されている。両者の間にどんな会話があったか、残念ながらそれは残されていない。もう一つは太平洋戦争で一般的となる「艦長は艦と運命を共にする」との(強制的な)考え方だ。これはマレ-沖海戦で戦艦プリンス・オブ・ウェールスと伴に航空攻撃によって沈められた英巡洋戦艦レパルス艦長トム・フィリップス大将(死後)の最期を捕虜となった水兵が語ったことで我が国に広く知れ渡り、爾後多くの司令官や艦長がそれに従い戦死していく。しかし、英国ではこの話は全く知られておらず、実際回収されたフィリップの遺体は救命胴衣を着けており、水兵の話は作り話だったのだ。「死せる英提督日本海軍軍人を束縛する」となったわけである。

上記の他、南雲中将、パットン大将、カール・デーニッツ提督、ジューコフ元帥、山口多門中将(死後)、スリム元帥(インパール作戦の英総司令官)、ラングスドルフ大佐(独ポケット戦艦シュペー号艦長)が登場、いずれも少々変わった小話中心の人物描写、それが面白くまた鼻につく一冊であった。

 

5Fateful Choices

-第二次世界大戦とその後の世界を決した6ヵ国首脳に依る10の決断。英歴史学者がその過程を再現する-

 


 グーグルを代表とする検索エンジン、アマゾン・楽天の通販マーケット、これらを20年近く利用してくるとピンポイントの販売活動が可能になる。本欄で取り上げた図書の総数は約1200冊、その23はアマゾンからだから約800冊、これ以外にも書評や内容照会でアクセスしたものが同じくらいあるから、彼等が保持する私の読書関連データは1500冊分くらいあるだろう。このデータに基づいてAI書店員が売り込んできたのが本書である。日本語に訳せば「運命の選択」、好みの分野の軍事・政治的視点ばかりでなく決断科学的な要素も加味した見事な売込みに脱帽である。

著者は1943年生れの英歴史学者(シェフィールド大学名誉教授)、ナチスドイツおよびヒトラー研究の世界的権威で2002年サ―の称号を授与している。その関係の邦訳も多い。

著者によれば、第二次世界大戦の帰趨を決した重要な政治的決定事項は10件ありそれは1940年から41年の間に起こったとして、第二次世界大戦を戦った6カ国(英・独・日・伊・米・ソ)の国家指導者が下した決断とそれに至る背景・過程を詳述する内容だ。10の選択は以下の通り;

119405月末西方電撃戦後の英国の進路;英遠征軍はダンケルク撤退、フランスは降伏、欧州で対独戦を戦うのは英国のみ。チャーチルが首相になるが、戦争内閣では休戦を望む声が高い。伊あるいは米による仲介是非に激論が戦わされ、チャーチルは「単独でも戦う!」と閣内を説得する。

2)独ソ戦への道;開戦は翌1941年だが、ヒトラーは自説でもある東方生存圏確保と共産主義撲滅を目指し、ソ連との戦いが避けられないと早くから考えていた。このため対共産主義で英との協調を期待していたが、チャーチルの決意でそれが失せ、単独実施を決する。

3)日本の南進;電撃戦による独欧州大陸制覇を見た日本は北進論を捨て南部仏印に進駐する。これが米国の対日政策変更につながる。

4)独の西方作戦に便乗する伊;ファシスト政権としては先輩を自認するムッソリーニは北アフリカ、バルカンに単独で勢力圏拡大を目論む。この失敗が独ソ戦に影響する。

5)西欧が枢軸側に陥ちたことによる米国の対欧州政策の変化;中立主義・孤立主義を標榜していた米国が英国支援を決し、武器輸出禁止法を廃止し武器貸与法を成立させる。また、米船保護を名目に対Uボート戦に踏み切る。宣戦無き参戦。

6)ソ戦の対独方針誤判断;英米やスパイからもたらされる独侵攻警告をスターリンは「独・ソを戦わせようとする資本主義国の陰謀」と受け付けない。これが緒戦大敗の主因。

7)米国の対枢軸国政策変化;対独;中立と英援助のジレンマ、国内世論は依然反戦。狡猾なルーズヴェルトは巧みに世論工作を進める。対日;南部仏印進駐に対する反日世論の高まり。日米通商条約破棄、一方で日米首脳会談の可能性を探る。

8)日本の対米政策;資産凍結・石油禁輸による反米世論と軍部の危機感(石油備蓄のある今開戦すべき。先へ行くほどじり貧)。独ソ戦におけるドイツの勢い。ついに大東亜戦争開戦を決定。ハル・ノートの“中国からの完全撤兵”に満州は含まれていなかった。これを双方が確認していたらどうなったか?

9)独の対米宣戦布告;開戦当初ヒトラーは対米戦を回避する意向だったが、米の対英武器貸与と大西洋の戦い(Uボート戦)への米国介入で考え方を変えつつあった。真珠湾はその機会を与え、軍部に諮らず独断で決する。

10)ユダヤ人絶滅計画;ユダヤ人問題はナチスの主要命題であったが当初はソ連征服地(予定)への移住を計画していた。しかし、独ソ戦が計画通り進展しないため大量虐殺を具体化する。

それぞれの政策決定で主役となるのは国の指導者;チャーチル(英)・ヒトラー(独)・ムッソリーニ(伊)・ルーズヴェルト(米)・スターリン(ソ)、しかし日本は彼らに匹敵する人物は不在。天皇は開戦裁可に至る過程で自らの意思(外交交渉優先)を表明しており、開戦主導者ではないとしている。だからと言って近衛や東條が他の指導者のように強力なリーダシップを発揮したわけでもない。「日本の意思決定システムは複雑である」が結論。外国人が書いたにも拘らず、山本七平言うところの“空気が決める”場の雰囲気がよく描写されている。

それぞれの意思決定の場を、指導者個人ばかりでなく意思決定システム、閣僚・側近の言動までよく調べている。全体で620頁の内引用リストだけで110頁もある。それだけに臨場感満点だ。日本関連では「木戸(幸一)日記」「近衛日記」、入江昭ハーバード大名誉教授、岡義武東大名誉教授、細谷千博一橋大学名誉教授等の著作や論文がそれで、情報信頼度の高さが窺える。

各選択肢が独立した章になっているものの、相互関係を持って語られるので、あの戦争を全体像として捉えることができる点も本書を評価できる。

 

6)小隊

-芥川賞作家が自身の体験をもとに綴った自衛隊小説三部作、下級士官かく戦えり-

 


 中学生時代から活字中毒者を自認する私にとって、父が毎月持ち帰る文藝春秋(文春)は格好の鎮静剤だった。だから芥川賞の存在はその頃から知っていたし、いくつかの作品は読んでいるはずなのだが一つをのぞいて何も記憶していない。例外の一作品は石原慎太郎の「太陽の季節」(1955年)、丁度高校の3年生で主人公と同年令「こんな奴がいるのか!」と衝撃を受けた。後年慎太郎は「あれで芥川賞は有名になった」とうそぶいていたようだが、「嫌味な野郎」と思いつつもうなずける一言だ。その後受賞作を掲載した文春をときどき購入していたが、これは自分が読むためでなく家内向けで、作品にチョッと眼は通すものの最後まで読むことは無かった。とにかく辛気臭くうじうじした内容が好みでないからだ。しかしこの「小隊」が2020年度下期の候補作品となり、受賞には至らなかったものの、選考記事で概要を知り読んでみたいと思った。理由は作者が自衛官出身者で、内容がロシアの北海道侵攻を想定したものとあったからである。

著者は1990年生れ、一般大学卒業後幹部候補生学校を経て陸上自衛官に任官したようだ。“ようだ”としたのは略歴ではっきりしない点がある。陸上自衛隊幹部候補生への進学にはいくつかのコースがあり、防大卒の他、一般大学からストレートで進む者と一旦下士官として入隊、その後内部試験を経て候補生になる道があるからだ。隊内での経歴で分かっているは陸曹操縦士過程を修了、攻撃用ヘリAH-1Sのパイロットを務めていることだけ。一方本書の中に収められた「市街戦」では一般大学から現役合格の候補生が主人公となっている。どうでもいいことのようだが、主人公たちの心の動きが、隊内経歴と深く関わっている気がする。「ブラックボックス」で2021年下期芥川賞受賞。既に自衛隊は退職しており現在は東京都某区役所(不明)の職員。

本書は三つの作品を合本したもの。タイトルとなる「小隊」(2020年下期芥川賞候補)、「戦場のレビヤタン」(2018年下期芥川賞候補)、「市街戦」(2016年文学界新人賞受賞)、いずれも自衛隊員(元隊員を含む)を主人公とし、戦場(演習を含む)を舞台としたものばかりである。

○「小隊」

主人公は帯広付近に駐屯地がある普通科(歩兵)部隊の小隊長(三尉;少尉)、ロシア軍が標津方面に上陸、防戦の先鋒として中隊は釧路東方丘陵地帯へ進出、谷間の隘路を進むロシア軍を迎え撃つのだ。天候不順もありロシア軍の動きは鈍く、この間に強靭な陣地を構築、何度も訓練を繰り返し迎撃態勢を整えている。釧路近郊の住民避難から、情報分析業務、支援部隊(航空自衛隊、米空軍、砲兵部隊)の動きまでさまざまな戦闘準備活動が、中隊・小隊内の人間関係を中心に描かれる。そしてついに戦闘開始、緒戦は露軍を撃退するものの天候回復で航空攻撃・ミサイル攻撃が本格化、多くの隊員を失い中隊は帯広に撤退する。

著者は帯広配属歴があり、戦場・戦闘シーンが実にきめ細かく描かれ、陸上自衛隊の非常時本務をよく理解できるが、本来戦争小説ではない。任官日が浅い小隊長が日々隊活動で感じていること、戦闘の中でそれが刻々変化していく様子を表すところが肝である。撤退中、平時には彼に陰できつい忠告をしていたベテラン曹長が、敵前逃亡に等しい行為におよび、「郷里の娘はまだ中学生なんです。一緒にいかせてください」と哀願するのを振り切り、他の隊員と車両を発進させる最終シーンが印象に残る。

○「戦場のレビヤタン」

意表を突く舞台設定だ。場所はイラク北部のキルクーク、石油会社に勤務した者なら原油生産地としてよく知る都市名である。自衛隊に6年勤務し退職した元自衛官が次の就職先として選んだのは英国の軍事警備企業、事実上の傭兵である。

既にイラク戦争は治まり、米国を中心とする有志連合軍は撤退しているものの、イスラム過激派やクルド国家分離を目指す勢力がゲリラ活動を続けており、キルクーク遥か北の土漠に広がる広大な石油精製工場の警備を会社が請け負っている。任務は4人一組で工場内各所に配置されたオブザベーション・ポスト(OP)と称する監視所で3交代の勤務。同僚は元米海兵隊大尉がチーフ格、同じく海兵隊出身のランボー(戦争中毒者)、ビルマ人のジョン。監視と休憩を二人一組で1時間交代で8時間務める。監視時間外は工場内に在る4人用コンテナーで就寝・食事・自由時間となる。ゲリラの攻撃は波状的・散発的にあるようだが、主人公が直面するのは1回のみ、トラックに依る自爆テロのシーンだけである。

3年目にして先が読めてしまった自衛官人生、自衛隊退職からここに至る中途半端な時期、傭兵と言う現在の仕事、この地域の政情不安、自分の生き方を様々な角度から分析して見せ、100日勤務後の30日休暇に入るところで話は終わる。

地理的なこと、兵器の話、傭兵としての雇用形態・勤務形態、チーム編成と役割、いずれも体験した者でないとここまで書けないと思わせる内容だ。しかし、著者経歴をいくら調べてもそれにつながる糸は見えてこない。かつての自衛官仲間にこんな経験者が居たのかも知れない。

○市街戦

三作品の内で一番古く初稿は2014年、2016年文学界新人賞受賞、事実上処女作、この当時著者は現役自衛官であった。書かれた年は生年から逆算すると幹部候補生学校卒業1~2年後。今回はその幹部候補生学校生活が主題である。久留米に在る陸上自衛隊幹部候補生学校はまたの名“地獄の久留米”と言われる厳しい教育訓練の場である。9ヵ月間の教育の最終仕上げとなるのが23日の100km行軍。2泊は無論野営、その後広大な演習地で模擬戦闘が戦われプログラムは終わる。話はこの難行苦行に満ちた行軍が中心となっているが、それ以前の一般大学での学園生活、学友たちの進路、当初は地方公務員を目指していた就職活動、最終的に自衛官に決する本人と周辺の関係などが語られ、特異な道を選んだ背景がよく分かる。

タイトルの“市街戦”はこの最終演習が大学の在った吉祥寺周辺で行われているような幻想シーンと交錯するところから来ている。一方に民間企業や役所に就職した仲間、他方に最初からプロを目指す防大卒、主人公の心は現状を前向きにとらえながら揺れ動く。おそらく新人賞受賞の決め手はこの主人公の心境描写にあるのだろう。つらい演習を終えた時、雨が止み演習地に虹がかかる。9ヵ月ペアーを組んだ防大卒同期(一般大学卒の陰の教育係)とそれを眺めるシーンで幕となる。

言わば自衛隊3部作、時代順に市街戦(候補生)、小隊(下級指揮官)、戦場のレビヤタン(退役後)と読んだ方が良いような気がする。冒険談調の勇ましい話は皆無、厳しい場面は多々あり、悩みも多々あるが、与えられた任務を果たそうとする姿勢は一貫している。政治臭は無く、暗さを感じさせない作品ばかり。下級士官の心の内をよく描けている感が残った(果たしてこれが平均像なのかどうかとの疑問とともに)。

 

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