2020年5月31日日曜日

今月の本棚-142(2020年5月分)



<今月読んだ本>
1)スパイたちの遺産(ジョン・ル・カレ);早川書房(文庫)
2Life3.0(マックス・テグマーク);紀伊国屋書店
3)律令国家と隋唐文明(大津透;岩波書店(新書)
4)数学と文化(赤攝也);筑摩書房(学術文庫)
5)ノンフィクションの技法(ジョン・マクフィー);白水社
6)戦車将軍グデーリアン(大木毅);KADOKAWA(新書)
7)台湾の歴史と文化(大東和重);中央公論新社(新書)

<愚評昧説>
1)スパイたちの遺産
-引退したスパイを追い詰める半世紀前のベルリン脱出作戦-

グレアム・グリーン(第三の男)、サマセット・モーム(アシェンデン)、イアン・フレミング(007シリーズ)。いずれも英諜報機関に籍を置いたスパイ小説の著名作家である。そして彼らの後継者として今も活躍しているのが本書の著者ジョン・ル・カレ。その名を広く知らしめたのは、MI-6 (英対外情報部)西ベルリン支局員体験を基に1963年発表した「寒い国から帰ってきたスパイ」(米国探偵作家クラブ最優秀賞、英推理小説家協会ゴールデン・ダガー賞同時受賞)である。当年89歳の巨匠が世に送り出した最新作は、何と半世紀後の“寒い国”の続編であった!ただ、前作(およびそれに続く“スマイリー3部作)を読んでいるか否かによって、本書の楽しみ方はかなり異なるものになる。
 続編と言っても無論主人公は違う。“寒い国”の主人公はMI-6の老練工作員アレック・リーマス。東独現地エージェントの脱出作戦に失敗して不遇をかこつ中、上司であるスマイリーに最後のチャンスを与えられる。今度の仕事は、恋人である英共産党員の女性、リズ・ゴールドと再度東ベルリンに潜入、二重スパイと接触して、彼を西側に逃亡させることだが、二転三転するスパイ戦ののち、二人ともベルリンの壁を前にしてシュタージ(東独秘密警察)に射殺される。今度の主役はその時リーマスの同僚であったピーター・ギラム。母親がフランス人であった彼はブルターニュに相続した広い農地で平穏な年金生活を送っている。ある日彼に古巣のMI-6から「昔関連した事件で助けがいるのでロンドンに来てほしい」との手紙が届く。面倒なことを窺わせる文言は一言もない。英国籍も併せ持つギラムは早速ロンドンに出かける。
待ち構えていたのはMI-6の法律部門。半世紀前、国家のために行ってきた英雄的行為が、冷戦構造の崩壊により、民事事件として蘇り、政界を揺るがしかねない事態が発生、その対応策に組織全体が追われていたのだ。MI-6はスマイリーとギラムに責任をかぶせて、組織を守るシナリオを何とか成立させたい。だがスマイリーは引退後所在が知れない。そこで年金の送付先きが分かっているギラムに眼を付けたわけである。MI-6法律部門はパスポートを取り上げ、軟禁状態にしてギラムを絞り上げ、当時のスマイリー機関の隠れ家やそこに保存されている機密書類を見つけ出す。一体誰が何のためにあんな古い焼けぼっくいに火を点けたのか?ここから、アレックスが失敗した東独エージェントの脱出計画そして“寒い国”の射殺場面に話は戻る。情報公開や過去の犯罪行為への遡及に対する社会の環境は当時とは著しく違ってきている。本書はそのような変化も踏まえた上での作品と言える。言外に「本当にそれでいいのか?」と言う著者の声が聞こえるように感じた。
私は“寒い国”は読んでいるが“スマイリー3部作”は読んでいない。理由は「翻訳が酷い」との悪評だったからである。しかし、本書ではこの3部作の内容が伏線となっているようだ(訳者あとがき)。従って、これらが既読か否かで楽しみ方が異なってくるわけである。ル・カレの作品はどれも心理描写がきめ細やかな上に二重三重スパイが登場するので、丁寧に読み進まないとその醍醐味を味わえない。その点この訳者あとがきは親切な助言である。しかし、初見でも十分ル・カレ調を堪能できる。最後は“寒い国”と違いハッピーエンドである。
それにしても老いて益々盛んとは彼のためにあるような言葉。次作「Agent Running in the Field」(2018年刊)の翻訳が待たれる。

2Life3.0
-人類を超越する汎用AIの実現はあるか?ともかく今からそれに備えよう!-

1983年秋カリフォルニア大学バークレー校経営大学院の管理職向け短期(2カ月)研修コースに参加した。コースの主題は“米国企業の再興(Revitalization)”、日の出の勢いにあった日本に如何に対抗しこれを凌駕するかである。日本人の研修生は私一人。コース半ば、著名なリヴィジョニスト(今や日本は米国の友人ではなく手強い競争相手、日米関係を見直すべしとの主張者)であるチャーマーズ・ジョンソン教授(日本語の文献が読め、著書の「通産省の研究」は当時日本研究に必須)の授業があった。日本の産業政策について講義した後クラス討議に入ると、IBMからの参加者が前年通産省主導で立ちあがった第5世代コンピュータプロジェクトに関する質問を発した。すると教授は「日本から来ている者がいるのだから彼に説明してもらおう」と私に質問を振ってきた。幸い担当業務に近いホットな話題だったから、目的(人工知能への挑戦)、システム構想(並列分散処理)、プロジェクト推進体制(通産省・電子総研(現産総研)・業界・学界)、スケジュールと予算規模、リーダー渕博士の略歴(東大→電子総研)、などを説明した。これはジョンソン教授始めクラスメイトに好評で、それまで英会話力不足で、お客さん扱いだった環境が一変したほどだった。まあ私の説明よりも第5世代コンピュータへの敬意だったわけではあるが・・・。それにひきかえ現在のAI研究で日本が注目される機会は僅少、寂しい限りである。悶々とする中「そんな先までAIのことを考えている連中が居るのか!」と惹きつけられる本書の書評を目にした。
地球誕生から138億年、初めての生命が誕生し激変する宇宙・自然環境の下で生物が進化しできた期間がLife1.0、道具を発明し言葉を使うことで自然進化から人間だけが一歩踏み出し今日に至る期間がLife2.0、そして人間が生み出しつつあるAI自身が汎用AIAGIArtificial General Intelligence)を進化(意思をもってソフトは無論、ハードウェア開発できる)させ人間と共存する時代がLife3.0 である。そんな時代はやって来るのか?いつ頃か?この時一体人間はどういう存在なのか(副題;Being Human in the Age of Artificial Intelligence)?今からそれに備える必要があるのではないか?どんなところに主眼をおいて?こんなことを真剣に考えている人達が多数居るのだ。(以下、特化・分化したAIAIと記し、人間と等しい(あるいはそれ以上)のAIAGIと記す)
著者はMITの理論物理学教授(宇宙論専攻;1967年生まれのスウェーデン人)。つまり、分化したAI細部の研究者ではなく、進化したAGIによる生身の人間では不可能な宇宙探査・開発に夢を託しながら、人間とAGIの将来を考える立ち位置にある。ここからAGIに対する楽観論者、悲観論者、無関心者を等距離で考察し、糾合する力が生じてくるのだ。それが結実したのが著者主宰のNPO「生命の未来研究所(Future of Life InstituteFLI」(2014年設立;有力スポンサーの一人はテスラ自動車創設者イーロン・マスク)であり、現時点では特にAGI出現後の人間社会に対する“安全性(極めて広義の)”に焦点を当てて研究活動を行っている。本書は、AI研究の現状を広く解説するとともにこの研究機関設立の経緯およびこれまでに行われた世界規模の二つの会議を紹介する、言わば一般向けFLI活動報告書である。
AIG実現の最初のハードルは技術的転換点(シンギュラリティ)である。AIが自らAIGを生み出す時点、数年後から数百年後まで諸説ある。この時期とその後の社会を如何に展望するかで楽観論、悲観論、無関心論に分かれる。楽観論は古代ギリシャのように仕事は奴隷(AGI)に任せ、人間は豊かで自由闊達な生活を送るユートピア。悲観論者の懸念は仕事を奪われ、やがてAIGの下僕となり、知恵を吸い尽くされた後は消滅するデストピア。無関心派は「そんなことは実現しない。万一実現したとしても何百年も先のこと。今から心配するようなことではない」と論ずる者たち。ただ、いずれの論者もデストピアは望まないので、「先ずそれを避けるための安全憲章を制定しよう」と言う呼びかけに賛同する者は多い。悲観論者だった故スティーヴン・ホーキンス、懐疑論者(用心深い楽観論者)のイーロン・マスク、楽観論の先導者レイ・カーツワイル(「シンギュラリティは近い」の著者)などがその代表、活動賛同署名者の数は8千人を超える。
種々の人間-AGI関係シナリオ(これがなかなか面白い;平和共存からAIG飼育係に養われる人間まで)を想定した上で安全面から取り組む課題は、1)技術的な堅牢性;クラッシュ、故障、ハッキングなどに対する、2)急速に変化するディジタル環境に対応できる法体系の整備、3)無辜の市民を殺戮しない“賢い兵器”、4)収入や目的を持たない人を出さない繁栄する社会、の実現である。
賛同者が一堂に会する会議が2度もたれ、第一回目は20151月プエルトリコで開催、この時は研究テーマの洗い出しを行っている。その後テーマ別小グループの研究が継続され、第二回目は20171月カリフォルニアのアシマロで大規模な研究発表と共同宣言検討が行われる。
冒頭取り上げた、我が国第5世代コンピュータプロジェクト(技術開発)とは次元の異なるテーマ(社会科学・人文科学を含む)だが、世界各国の一流学者が参加し、対象域は人類と宇宙、桁違いの理念とスケールに圧倒される。先端ICTの世界における米国優位は圧倒的で、“Japan as No.1”はるか彼方の感一入である。唯一の救いは第二回目の参加者集合写真(200名くらい)の中に我が国AI研究の第一線でしばしばメディアにも登場する松尾豊の名前を発見したことである(本文の中では一切触れられていないが)。東大大学院人工物研究センター教授で機械学習(特に深層学習)の研究者(1975年生れ)、活躍を期待したい。
FLI活動の一端を中心に本書の概要を紹介したが、心理学や生理学を含むAI技術研究の現状についても興味深い話題に満ち満ちており、AIを包括的に理解することに役立つ一冊であった。
蛇足:よく知られた三つのAI1997年チェスの世界チャンピオンを打ち負かしたIBMの“ディープブルー”、2011年クイズ王に勝利したこれもIBM開発の“ワトソン”、2016年囲碁の世界名人を破ったグーグルの“アルファ―碁”、どこが違うか?ディープブルーは計算速度、ワトソンは計算速度と記憶容量、検索方式。この2者(?)の知能(アルゴリズム)は基本的に人間が書いたプログラムである。対してアルファ―碁のアルゴリズムは機械学習に基づくもので、AI自身が事前の訓練期間と対戦を通じてレベルを高め、定石としては考えられない布石をして5番勝負で41敗している。いずれのAIも特化AIであるが、著者はアルファ―碁のこの勝利(学習効果)にAGI出現の可能性を感じ取ったようだ。

3)律令国家と隋唐文明
-和魂洋才のDNAは奈良時代の中華文明導入から始まる日本人の特質だ!-

19828月京都国際会議場で開催されたプロセス・システムズ・エンジニアリング(PSE)に関する国際会議(PSE82)に参加した。初日の朝指定されたホテルから会場に向かう際、とても夏服とは思えない、仕立てのあまりよくない背広を着た東アジア人とエレベータで一緒になった。お互い参加証を胸につけていたので簡単な挨拶をし、彼が中国本土からの参加者であることを知った。北京化工学院の楊教授である。その後米国や台湾で開かれたPSE関連会議で何度か顔を合わせる機会があり、私にとって唯一の大陸中国在住の知人となった。そんな彼がある時「日本も中国から漢字を学んだ国の一つだよな」と言ったことがある。言外に「今は日本の後塵を拝しているが、中華文明の一画に過ぎない」との気概を感じたが、嫌味な言い方ではなかった。この種の話を中国人が日本人にすることは書き物などで既に知っていたので、それに対する答は用意してあった。「確かにそうだ。西欧がギリシャ・ローマ文明に負うところが大きいのと同様に」と言えば、上下関係を論ずることはナンセンスであることが通じるはずである。しかし、親しき仲にも礼儀あり、それを口に出すことは控えた。
こんな鷹揚な気分で対応できたのは、古代日本人が漢字を中国から移入し、そこからカタカナやひらがを生み出し、単なる直輸入・模倣ではなく、それまでの言語体系(口語としてのやまとことば)と整合性を図り日本化を成し遂げておいてくれたからではなかろうか。朝鮮人と違い、日本人は漢字を用いていることに何ら劣等感を持つことはない。このことは文字に限ったことではなく、国作りの過程にはそれ以上に大きく影響している。ここでも中華文明を換骨奪胎してそれまでの社会構造や慣習を生かしつつ、独自の利用体系を生み出しているのである。本書は統治の基幹を成す律令制度を中心に遣隋使・遣唐使の活動が我が国国家形成およぼした要点を概説するものである。
本書の基となるのは科研費対象研究「日本古代国家における中国文明の受容と展開-律令制度を中心に」にあり、そこでは日中研究者交流や現地調査も踏まえ、日本書紀・古事記等の古文書(大宝律令以前の浄御原令なども含む)と隋唐王朝の残した記録類(隋書・唐書など)に依拠する日唐令の比較に重点が置かれている。著者はその研究の代表者、東大大学院人文社会系研究科教授(日本古代史専攻)である。このような経緯から、著者もあとがきで「読みづらくなったかもしれないがご寛恕を乞いたい」とあるように、専門分野の言い回し・用語にしばし一考を要する場面に遭遇したが、内容は日本・日本人を自覚させてくれるインパクトの強いものであった。
律は刑法、令は行政法。本書に取り上げられる比較対象は専ら令である。国家統治の根幹がここにあるからだ。租庸調(税)制度・戸籍制度・身分制度などに移入の跡がはっきり認められるものの古来のやり方も反映され、独自の法体系に変えられている。最大の違いは帝政と天皇制にある。中国の皇帝は専制君主であったから政治の全権力と責任は皇帝に帰す。この権威づけのために令が定められていると言っていい。神話時代からの天皇制では天皇は司祭職の性格が強く、政治責任は天皇を取り巻く有力氏族の連帯責任であった(和を以て貴しとなす)。この違いから、隋唐の法令では皇帝と臣下の関係は種々の場面での礼儀作法から行列の編成、服装の色まで細かく規定されているいのに対し、我が国の律令にはこの種の条項がまったく記されていない(後世追随するところもあるが)。
これと関連して隋唐では官職に対して位階が決まるのに対し、我が国は位階を得た上で官職が決まる。中国は近代の初めまで科挙制度があり、これに合格すれば高い官職に就くことが可能だったが、我が国の位階は有力氏族(やまと周辺の畿内)ほど高い位を得やすく、世襲制で得られる位階で官職が定まる傾向が強かったのである(五位が高級官吏に登用される境界)。この辺り、本書には無いが、現在世襲の政治家が多いことと無関係ではないような気もする。
遣隋使・遣唐使に期待されたのは、先進文明国家の技術・文化の導入、と高校までの教育では教えられるが、最も重きを置かれたのは、法典・仏典・文典とそれを講ずることのできる人材である。招来した人物の代表に仏僧の鑑真が居る。
四書五経に代表される文典移入は多いのだが、儒教そのものを積極的に取り入れようとする姿勢はない。儒教思想が専制君主の統治規範と言う性格を持ち、連帯責任の天皇制と合致しないと考えたこと、その思想に序列重視があり冊封を受け入れ中華帝国に組み込まれる可能性を感じ取り、それを避けようとする動機もあったようだ。祖先の賢明な判断に感謝したい。
天皇と言う尊称はどんな経緯で定まったか?それも日唐令比較研究の視点から語られる。「日出る処の天子から書を日没する処の天子へ致す・・・」の文面に隋の煬帝(ようだい)が立腹した話はよく知られているが、これは中華世界に天子は一人であるにもかかわらず二人居ることを意味し、不遜ととらえたわけである。朝貢国の支配者には王・大王の称号を与えていた(韓国・北朝鮮が天皇を使わず日王呼ばわりするのはここにある)。そこで考え出されたのが天子でもなく王でもない、見事な自前の尊称“天皇”であったわけである。煬帝の怒りは日本書紀には一切記載が無く、隋書・倭国伝に残されており、その写真が付されている。
日本と言う国名はいつ頃出現し中国に認められたか?第7次遣唐使は大宝元年(701年)に派遣されるが、その時「何処の使い人か?」と問われ「日本国の使い人なり」と答えたとの記録が「続日本紀」に残されている。一方旧唐書(648年)には倭国伝と日本伝の2種があり、当初は別の国家と思われていたふしがある。しかし後に編纂された新唐書(703年)では日本伝のみとなっている。日唐・新旧に時期の違いはあるがおおよそこの頃から日本が国名と認知されたようだ。さらにこの新唐書には倭を日本に変えた理由として「倭国自らその名雅ならざるを悪み(にくみ)、改めて日本となす」とある。中国から与えられた国名を風雅・優雅な国名に改めてくれた先人の意気に感じ入った。
読後に思ったことは二つ。第一は先進文明進取の熱意とそれを昇華する力、これは明治維新にも共通する(脱亜入欧しながら和魂洋才)。第二点は、両国とも歴史が時の政権・権力者の都合の良いように書かれていることである。歴史認識は難しい。

4)数学と文化
-数と数詞の起源から始まり現代数学まで数学空間を探査し、日常との関わりを語る-

学校教科の中で数学(算数)は特別好きな科目だった。解法を理解できた時の爽快感は何とも言えないからだ。それもあって授業・受験とは関係ない書物を高校時代から手にするようになった。特に思い出深いのは、吉田洋一「零の発見」と遠山啓「無限と連続」の2冊、何度かの転居で当時のものは失ったが、後年買い直して今でも本棚に収まっている。両書とも数式はほとんどなく読み物として楽しめるものだ。数学者の伝記や彼らが著すエッセイそれに数学史などには目が無く、本欄でも何冊か紹介してきた。本書もその一冊である。僅か二百頁の文庫本だが、数(数字)の起源から始まり現代数学の最前線まで網羅し、数理世界の全貌を見渡せる稀有な数学読本である。
本書の基は1985年開講の放送大学「数学と人間生活」のテキストとある。従って教養講座的な性格を持ち、一部難解な部分もあるが、全体としては平易で身近に感じられる記述になっている。内容は有史来1980年代までの数学と日常生活の関わりを概説するものである。従って“コンピュータ”の章は今日とかなり事情が異なるが、長い数学発展史の中で問題にするほどのことはない。
著者は1926年生れ。東大大学院数学科修了後立教大学教授、東京教育大学教授、放送大学教授を務めた理学博士。著書を見ると、微分積分学、確率論、集合論、数論、現代数学概論から電算機、高校の教科書まで広範におよび、特定分野の研究者よりは教育者としての人物像が浮かんでくる。それも本書を読みやくしている一因だろう。文庫版あとがきを読んで驚いた。このあとがきの日付は2019113日、その後に編集部が、「著者赤攝也(せきせつや)氏は、この「文庫化に際して」のご執筆の翌日逝去されました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます」の一文を追記している。本書は遺作だったわけである。
構成は15章から成る。各章は独立したテーマだから興味のあるところだけを拾い読みも可だが、数学の全体像を歴史を辿って語る形式だから、第1章「数の形成」から順番に読み進める方が良いだろう。
数字の発生や演算記号の導入など数学史入門で既知のことも多いが、これらを踏まえて代数の効用が講じられる。定数a,b,c 、未知数x,y,zを導入したのは誰か?デカルト。代数に続くのは幾何学。ユークリッドの「幾何原論」はどんな本だったか?目次もなく、いきなり図で始まりほとんど説明文もない。幾何学と哲学そして民主制の関係は?ほとんどの哲学者は数学者でもあった。演繹的論理展開こそ説得力のもととの考えである。有名ないくつかの定理を通じて当時のギリシャ社会や哲学との関係が見えてくる。ここまで来ると代数と幾何学を一つの世界にまとめる解析幾何学を概観しておきたい。主役は再びデカルトである。解析学を簡単(直感的)に理解するには幾何学利用が有効だ(現代の事例; 3次元 CADComputer Aided Design))。次いでこれを実用面で生かすニュートン力学に移って物理学の分野に踏み込んでいく(特に天文学と宗教の関わり)。ニュートンの数学と言えば微分積分学。この辺りまでが小学校から大学教養課程までで学ぶ数学の範囲、我々の日常生活にはここまでで充分だが、数学者の好奇心・探究心は留まることを知らない。
平行線はどこまで行っても交わらないはずだが、数学空間では無限の先でこれが交わる(無限遠直線)。もうSFの世界に近い。ここから射影幾何学が始まり、非ユークリッド幾何学が芽生えてくる。ユークリッド幾何学は公理(証明不要の自明のこと)が出発点となるが、公理そのものの定義から見直す(公理主義)のが非ユークリッド幾何学の出発点、それが現代数学を発展させていく。
もう一つの現代数学の起点は集合論。各種の数や関数を集めた数学空間をあたかも一つの数のように扱い演算や変換を行う。ここでの演算や変換は一種のレンズ、写し出された映像はオリジナルとは異なる姿形になる(写像)。古典的手法の一部(ラプラス変換、フーリエ変換)は私も制御工学で学んだが、純粋数学の分野では群論と言う最新の研究領域に展開している。群論の考え方は数値化の難しい人文科学・社会科学を数学の世界に導く可能性を秘めており(数学的構造主義)、1985年に講じられた講座の中でもはっきり適用の方向性が示されている。
現代数学を垣間見た後は、コンピュータ、計画数理、数理統計と実社会での数学応用を講ずる。そこでの予見が結実した一例は、現代のIoTAI・ビッグデータ活用ブームだ。
率直に言って、現代数学に関する章(非ユークリッド幾何学、数学的構造主義)は消化しきれなかったが、社会あるいは日常生活において数学が果たしてきた役割、それと個別に発展してきた各分野の統一への動きは理解できたと思っている。

5)ノンフィクションの技法
-ノンフィクションも立派な創造作品、一流作家の創作活動からそれを学ぶ-

私の読む本は圧倒的にノンフィクションだ。昨年の実績を見ると70巻の内フィクション(小説)は8巻に過ぎない。それもほとんどが実在の人物や史実を扱ったものだ。理由は好奇心を満たすことが読書の最大の動機であり目的だからである。これからもこの傾向に大きな変化はないだろう。そのノンフィクションファンにとって、軽薄なハウツウ物を連想させる日本語タイトルには引っかかったが、見過ごせないテーマ。しかも著者が高級文芸週刊誌ニューヨーカー(The New Yorker)の常連寄稿家でピュリッツァー賞受賞者ともなればなおさらだ。名人の手の内如何にと読むことになった。危惧した通り日本語タイトルは作品の深みを伝えきれていない。原題は「Draft No.4(第4稿)」、何度(必ず4回目で脱稿するわけではないが)も編集部門からつき返され修正に次ぐ修正、やっと受理される最終原稿(それでも直ぐ掲載されるわけではない)の意であり、書き手の悪戦苦闘がよく伝わる題目なのだ。
著者は1931年生れ、プリンストン大学を卒業後「タイム」の記者を経て、「ニューヨーカー」のスタッフライターとして同誌に寄稿、現在も作家として活動を続けるとともにプリンストン大学で教鞭をとっている。本書を読むとスタッフライターとは、社員ではなく、社内にデスクを持ち、作品を売り込み、企画に対する経費の支払いを受け、報酬は原稿料(雑誌、単行本)と言う専属作家のようなものらしい。しかし、本格的な仕事場は自宅で、大きな作業用机に膨大な量の取材メモを広げながら、作品に取り掛かるシーンが技法(プロセス)の一段階として紹介される。本書の内容は主にこのニューヨーカー時代の体験に基づいて、題材探し、提案、構成から出版に至るプロセスを描いたものだが、教科書のようなかっちりしたものではなく、取材の苦労や編集長とのやりとり、用語の適否、内容の事実確認など具体的な案件をもとにした楽屋話を通じて、ニューヨーカー(そして著者)のノンフィクションはどのように完成していくか、をエッセイ風に綴ったものである。
週刊誌ニューヨーカーは、1925年創刊。都会のしゃれた雰囲気をもった文芸誌、とは言っても漫画なども掲載される軽さもある。米国知識人に評価の高い雑誌で、D.J.サリンジャー(ライ麦畑でつかまえて)、トルーマン・カポーテ(ティファニーで朝食を)、ロアルト・ダール(パイロットの体験に基づく航空小説が面白い)、スティーヴン・キング(ホラー作品の大家)など著名作家を育て、日本人では村上春樹の英訳が何度か取り上げられている。読んだことはないのだが、好きだった常盤新平のエッセイには頻繁に登場し、上のような印象を得ていた。伝統のある高品質の雑誌だけに編集の力は一段と高く。特に、著者が付き合うことになるウィリアム・ショーンはそれを代表する名編集長、本書の中でも各章で登場し面目躍如である。例えば、怒りや嫌悪の時に発する「fuck!」や「クソ!」を意味する「shit!」など性や下半身に関わる用語は、取材人物が実際発した言葉でも絶対ダメ。また題材として競馬馬を取り上げその種付け場面の表現を何度もはねつけるたりする。こうして著作が出来上がるまでの各段階における著者の活動や編集部門とのやり取りに言及しながら技法を論ずる。いずれも著者の作品や体験を基に展開する点に、無味乾燥な理論とは異なる味わいがある。
いくつか印象的だった部分を抽出してみると;
・ノンフィクションを書く上で最も重要なのは“構成”。構成要素は、人物や状況の描写、会話、物語、逸話、ユーモア、歴史、科学など。これをどう料理するか、アウトラインを決めるのが構成である。最も伝統的な形は時系列で並べる方式だが、別の手法としてテーマを掘り下げていくやり方もある。著者は大量の取材メモ(カード)をピクニックテーブルの上に広げ、あれこれグループ分けしたり並び替えたりしながら構成を考える。これを「森からの使者」と題するエコロジー問題を扱った著作(時系列)とメトロポリタン美術館新館長の人物紹介記事(テーマ)を例に説明していく。それぞれの作品の一部も引用するので著者の言わんとするところが具体的に理解できる。
・“言及”の章は読者として興味深い。ストーリー理解の一助として過去の人物や出来事に話を振ることがある。これが言及だ。例えは野球の現役強打者を扱っている時、言及する対象として、川上哲治、長嶋茂雄、イチローの誰を選ぶのが良いか?対象読者をどの年齢層に想定するかで選択肢は違ってくる。実は本書の中では過去のメジャーリーガーを例に語るのだが、本欄の閲覧者は全員日本人なのでそれに配慮して、日本選手に言及してみた。
・凄いと思ったのはニューヨーカー誌における“事実確認部”の存在だ。編集部(ストーリー全体)、校閲部(文法、用語(綴りのチェックを含む))とは別にそんな組織があるのだ。これもいくつかの事例でその徹底ぶりが紹介される。
日本に関係のある話を例示しよう。戦時中“風船爆弾”と言う兵器があった。米大陸までの爆撃行など不可能なので特殊な紙風船に水素ガスを充填し、それに爆発物をぶら下げ偏西風にのせて米大陸まで飛ばして損害(森林火災など)を与えようとものである。これがオレゴン州で極秘裏に操業されていたプルトニウム精製工場に落ち、原子炉の操業が停止された、と言う話を高位の軍人から聞いて寄稿の一部に引用したところ、“事実確認部”が調査に入る。極秘工場だったことや関係者がほとんど他界していることで調査は難航を極める。著者は「この部分は削ろう」と申し出るが、印刷直前まで担当者は確認作業を進め、ついに生存者を探し当て、ショッピングセンターに出かけているのを警察まで動員して、電話口に呼び出して、「風船爆弾は確かに落ちたが建屋ではなく高圧線に触れて炎上した。工場の操業に支障は無かった」との証言を得、記事はギリギリで修正される。針小棒大・ガセネタ・マッチポンプの我が国週刊誌とは雲泥の差である。日本の出版社にこれだけの機能を備えたところがあるだろうか?
日本語タイトルは羊頭だが味わいは最高級の牛肉であった。ときにユーモラス、ときに辛辣な筆致も読む者を惹きつける。作品が数点邦訳されているので読んでみたい気になっている。

6)戦車将軍グデーリアン
-最新資料で独装甲軍生みの親を再検証、国防軍とナチスの関係を見直す-

日独は同盟国として第二次世界大戦を戦い連合国に敗れた。その結果ニュルンベルクと東京で戦犯裁判が行われたが、そこに顕著な差がある。ニュルンベルクでは10人の死刑判決者の内非ナチス党員はわずかに2人(カイテル元帥、ヨードル上級大将)、あとはナチス党No.2だった空軍元帥ゲーリング(死刑執行前に自死)と党の指導者・行政官である。これに対し東京裁判で死刑を宣告された7人の内行政官は広田弘毅元首相のみで残り6名は軍人である。軍・民の比が極端に違うのだ。つまりドイツの戦争犯罪はナチスに依るものと言うことになる。ソ連はもっと多くの軍人をA級戦犯にしようとするが、既に冷戦の兆しが見え始めており、米英がそれを退けたと言う背景がある。これをうまく利用したのが当時の西独。戦争犯罪はナチスの行いと喧伝し、みそぎを済ませたように振舞い、挙句は中韓の日本非難に加担する者さえいる(一部のメディアやシュレーダー元首相の従軍慰安婦支援発言)。しかし、ナチスが政権を握ったのは民主的な手段に依ってであり、非ナチスのドイツ国民こそ政権誕生の原動力、多くの国防軍軍人もそれを歓迎、ヴェルサイユ条約破棄・再軍備でヒトラー礼賛は加速したのが実態なのだ。
このようなナチス悪玉・国防軍善玉説に対する見直し批判は1980年代から欧米の歴史学者、軍事史研究家あるいは政治学者の間で始まっており、本書もその流れの中で、独装甲軍生みの親と言われるグーデリアン上級大将を俎上に上げ再評価しようとするものである。
著者の作品は昨年3冊本欄で紹介した。「コマンド・カルチャー」(訳本、2月)、「「砂漠の狐」ロンメル」(5月)それに「独ソ戦」(8月)がそれらで、いずれも今次大戦のドイツ国防軍に関するものある。この内「独ソ戦」はベストセラーとなり新書大賞を獲得している。前3冊紹介の折触れたように、著者は1961年生れ、立教大学大学院博士課程卒業後奨学生としてボン大学に留学しており、戦史分野の作家としては極めて珍しいドイツ語精通者である。巻末の参考文献リストにドイツ文献が多いことに驚かされる。今まで我が国で著されたドイツ軍事史に関する出版物のほとんどは英訳に基づいており、独語原本と英語版の違いを知る機会は無い。その点で著者の作品は貴重なのである。簡単な一例;本書以前は全執筆者が“グーデリアン”と記しているところを“グデーリアン”と敢えて異なる表記法を採用していることに見ることができる(以下従来表記のグーデリアンを使用する)。そして後述するが、終章において「グーデリアン回想録 電撃戦」の独語版と英語版の違いについて、驚くべきことを知らされるのである。
稚拙な新兵器がやがて戦略兵器にまで発展する歴史を追うことに関心を持つ者にとって独装甲軍の生みの親であるグーデリアンは欠かせぬ調査対象、多くの関連図書を読み、本欄でも自著である「Achtung Panzer(戦車に注目)!」(英語版20182月)、「Panzer Leader(戦車隊リーダー)」(20183月)を紹介してきたし、自伝である「グーデリアン回想録 電撃戦」にも20年前に目を通しており、もうグーデリアンについては調べ尽くしたと思っていた。しかし、原書・現地主義に基づく著者の作品から、何か新しいことが発見できるかも知れないと読むことになった。
本書は基本的にグーデリアンの小伝であるが、いくつかのテーマに焦点を当てている。1)電撃戦(Blitzkreig)は彼の考え出した戦術か?2)装甲軍創設における役割は(生みの親説の適否)?3)軍人としての資質・経験は?4)ナチス党・ヒトラーとの関係は?5)戦争犯罪(強制収容所政策との関わり)に加担していないか?6)回想録「電撃戦」の信憑性は?がそれらである。
必ずしも上記のような章立てになっているわけではないが、結論を整理すると;
1)この用語は1939年ポーランド侵攻時ジャーナリズムが生み出し、1940年の西方作戦の成功でナチスがプロパガンダとして大々的に喧伝し広まったものである。彼が戦後回想録の中で「電撃戦」を使ったため、あたかも彼が考え出した戦術と取られた。ただ、意表を突いたアルデンヌの森を抜ける作戦の可否を中央軍集団マンシュタイン参謀長に問われ「可」と答えたことが、作戦実施を決定づけたことは確かなようだ。
2)独陸軍の中に独立兵種としての装甲兵科創設実現に最も力を注いだのは彼だが、母体となる自動車部隊の上官ルッツ大佐や英軍で彼に先んじてそのアイディアを提言・試行していたフラー准将など先駆者の努力があっての装甲軍である。
3)士官卒業までの評価は極めて高い。また難関の陸軍大学校(ここを卒業すると参謀職に就け、エリートコースに乗る)にも入学を果たすが、その年に第一次世界大戦が勃発卒業はしていない。戦時は主に通信部隊の参謀職で戦闘経験はほとんどない。第二次世界大戦では装甲軍団の司令官として連合軍をダンケルクに追い詰める戦績を挙げて一躍注目される。ただこの時以来上部組織との対立が目立ち、国防軍内では「戦略面での資質を欠く」と評価されるようになり、著者もそれに同調している。
4)ナチス党員ではないし政治家との関係もほとんどないがヒトラーを信奉しており、受けもよく、しばしば上官を差し置いて直言する。しかし、モスクワ攻防戦で死守を命ぜられながら一時独断で撤退したことから閑職(装甲兵監)に追いやられる。それでもヒトラーは彼の力量を惜しみ要求する実権を与え、敗戦の一年前には陸軍参謀総長(正確には代理)の職に就けている。ヒトラー暗殺計画に誘われるが態度を明確にしない。
5)突進する装甲軍の後の戦域掃討は歩兵の役割。さらに占領地の統治はナチス行政組織が担う。強制収容所のことは国防軍管轄外と言うのが戦後ほとんどの将官の言い逃れ。彼もその一人で「見て見ぬふりして巧みに逃れた」と著者は断じる。
6)戦後一躍彼の名を高めることになる回想録(1951年独語版刊)にはかなり細かいところまでチェックを入れるが「所詮自叙伝、都合の悪いことには触れず、“一將功なり”の論調」と冷たく突き放す。将軍に限らず自伝はいずれも同様、著者の結論に違和感は無い。
愕然とさせられたのは独語版と英語版の違いについてである。英語版に序をよせたのは英国の軍事思想家、サー・リデル=ハートなのだが、序ばかりでなく文中に「・・・機甲師団を提唱したのは、リデル=ハートその人であった。・・・従って、リデル=ハート大尉の示唆は、わが軍の発展に大きく与かっているのである」と追記させたのである!
本書を読んで私のグーデリアン観が大きく変わることはなかったが、リデル=ハートの評価は一変した。「何と卑しい奴だ!」と。これだけでも本書を読んだ甲斐があった。

7)台湾の歴史と文化
-中華帝国化外の地、独自文化と外征者への抵抗、一国二制度など論外だ!-

台湾には二度出かけている。最初は19941月、工業技術研究院(日本の産業技術総合研究所に相当)化学工業研究所が主催したセミナーに講師として招かれた。セミナー会場は台北市内だったが、セミナー後研究院の本拠地新竹、中国石油公司高雄製油所、同社永安LNG基地などを訪問した。LNG基地見学は予定外であったが、大学時代台湾から留学、その後日本に帰化した同級生が、台湾高専時代の級友が所長だから是非と薦められ、アレンジしてくれ実現した。いずれも客分としての訪台だったから丁重に扱われたが、休日の故宮博物館見学以外観光はなかった。二回目は201611月、これは宿泊先と鉄道予約はJTBを通じて行ったが完全な個人観光旅行。新幹線を含む鉄道で台湾一周を試みた。台北を出発、嘉義では阿里山森林鉄道にも乗り、高雄から東海岸に出て花蓮を経て台北に戻った。昼夕食はすべて台湾料理店や夜市で摂り、観光三昧の一週間を満喫した。30前後の外国に出かけているが、この国ほどリラックスして旅が出来た国はない。海外旅行はやめることにしたが、本書を読んでもう一度出かけたくなった。今度は台南に数日をと。
かなり変わった歴史入門・案内書である。手短に言うと「台南を中心に郷土史・文化史を集めて台湾の全体像を描いた」内容なのである。一応17世紀のオランダ進出から、鄭成功(日中混血児;近松門左衛門「国姓爺合戦」の主人公)によるオランダの駆逐、明朝復興にかけた鄭家の清朝に対する敗北、清朝統治下禁じられていた化外(げがい)の地への漢族大量移民、日清戦争後の日本統治、国共戦敗北後の国民党一党支配、その後の民主化、と時系列で辿るものの、話は先住民(生蕃;日本統治時代には高砂族)と台南に戻って行く。文化は専ら日本統治時代から民主化にかけての文学が中心、これも台南周辺の民俗学に関わるテーマが多い。そしてこの民俗学(社会、文化)を深堀すると、見えてくるのは民族構成を原点とする極めて多様で複雑な、独自性を持つ“国”としての台湾の姿である。
何故日本人がこんな本を書くことになったか?著者は1973年生れ、東大大学院総合文化研究科で比較文化を専攻、学術博士号を取得後南台科技大学(台南)で日本語を講じ、現在関西学院大学法学部教授(言語文化コミュニケーション研究科))。台南在住2年の経験を基に本書が著された。
当初の関心事は日本統治下における半ばアマチュアの日本人民族学研究者(主として旧制中学校・高等女学校の教師)の足跡を追うことだった。それが次第に湾生と呼ばれる台湾生まれの日本人二世、さらには日本の高等教育機関で学んだ台湾人の作家を始めとする知識人の言動を精査するようになる。この段階で民族構成の歴史と文化の多様性に気づき、現代の台湾知識人と交流を深め、専門の比較文化研究を進めていくことになる。
例えば民族。生蕃と言われるこの島の先住民は現在全人口(23百万人)の2%強、55万人に過ぎないのだが、その生蕃だけで16グループもある。フィリピンインドネシアから渡ってきた民族、古来この島の山岳部に居住していた民族、平地に住み移民してきた漢族と早くから混血が進んだ民族。渡来した漢民族も多彩だ。主たる出身地は対岸の福建省、広東省だが、福建省は南部の閩南(びんなん)人、広東省は客家(はっか)人が多く、移民の時期や先住民との同化の程度も異なって、一括りに漢族と言えない状況にある(混血の早く進んだ漢族は熟蕃と称せられる)。長い歴史に共通するのは外征者に対する抵抗、それが今や台湾民族・文化統一の動きに転じており、台湾語(閩南語と広東語が長い時間をかけて変化した言葉。国民党が移ってくる以前に使われていたが、それ以降北京漢語を強要されてきた)復興運動につながり、新しい国家・民族意識が生まれつつあるのだ。
台南は清朝時代の省都。台北が東京なら台南は奈良・京都。本書を読んでいるとそんな感を強く持った。是非古都に出かけてみたい。

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