2023年10月31日火曜日

今月の本棚-183(2023年10月分)

 

<今月読んだ本>

1)鉄道と愛国(吉岡桂子);岩波書店

2)ラオスにいったい何があるというんですか(村上春樹)文藝春秋社;(文庫)

3)特捜検察の正体(弘中惇一郎);講談社(新書)

4)師匠はつらいよ(杉本昌隆);文藝春秋社

5)紛争地の歩き方(上杉勇司);筑摩書房(新書)

6)戦国日本を見た中国人(上田信);講談社(選書)

 

<愚評昧説>

1)鉄道と愛国

-日欧を手玉に取りパクリまくった鉄道技術、一帯一路の戦略兵器になりうるか?-

 


幼時からの乗物ファンとして忸怩たる思いがときに去来する。それは優れた技術と製品を生み出しながら、確たる“世界一”の評価を得られていないことである。例えば、トヨタグループの販売台数は世界一だが、ブランドとしては依然ドイツ御三家の後塵を拝している。造船はかつて世界一を誇ったが今や中韓が主役となり、No.3の座に甘んじて久しい。飛行機は敗戦のハンディキャップがあったとはいえ見る影もない。ただ、1964年営業を開始した新幹線は、自動車と飛行機に挟撃され凋落の一途をたどっていた鉄道を世界的に復権させた中興の祖であり、我が国が誇れる交通システムと言って良い。しかし、ここにも国威発揚と量でこなす中国の力が侮れないものになってきている。本書は、数度にわたり中国・東南アジア特派員を務めた朝日新聞女性記者による、日中の鉄道ビジネスを巡るあれこれである。出版を知ったとき、朝日の記者が書き岩波から出ていることに、いささか引っかかるもの(自虐史観バイアス・中国へのおもねり)があったが、内実はクールに中国を分析しており、第三者(特に東南アジア諸国)から見た日中鉄道ビジネスの違いに、学ぶところが多かった。

著者は1964年生れ、地方の放送局を経て89年朝日新聞入社。中国滞在通算8年(北京、上海)、バンコク勤務3年半、2022年まで編集委員。この間、運輸省(現国土交通省)担当もしており、政官界面からの考察はさすがの感、そこに他の鉄道物と大きな違いがある。

本書は第一部「海を渡る新幹線」、第二部「大東亜縦貫鉄道と一帯一路」の2部構成になっている。第一部は中国が我が国新幹線に興味を持ったところから始まり、すべて自国技術と言いだすまでの国策としての鉄道を描く。第二部は一帯一路と絡めて東南アジアを中心に鉄道ビジネスを展開し、随所で日中が競い合う状況を、かつての“大東亜縦貫鉄道”構想と重ねながら考える。加えて中国の在来線や東欧(在来線改良)、米国進出(地下鉄車両)にも触れる。

中国が我が国新幹線に目を向けるのは改革開放を唱えた鄧小平が1978年来日、東海道新幹線に乗車したことを嚆矢とする。この時の首相は大平政芳、「中国の近代化にできる限り協力したい」と述べ、翌年よりODAの一環として鉄道近代化に取り組む。この時具体的に動くのが川崎重工(川重)、青島にあった国営鉄道車両会社中国南車と提携する(もう一社北車があったが、のちに合併中国中車(CRRC)となる;世界最大の鉄道車両会社;売上高4兆円(2022年度)、仏アルストム2兆円、独シーメンス1兆円。ただし海外事業は1割、日立の海外鉄道事業より少。従業員数17万人、研究開発要員36千人)。

高速鉄道(新幹線タイプ)の話は1990年代中頃から出るが、実るのは2008年の北京オリンピックに合わせて開業した北京-天津間、シーメンス+北車と川重+南車が受注、川重の収めたものはJR東の「はやて」である。爾後高速新路線を延伸するたびに日・独・仏が競わされ、技術を着々と習得、速度記録に挑戦して国威発揚に務める。多くの部品調達を依然海外技術に頼りながら、国民には完全な国産技術と信じさせている。

2012年習近平が政権を採ると“一帯一路”をぶち上げ、世界最新・最速を自称し売り込んでいく。借款を餌に、1000mm狭軌のヴェトナム、ラオス、タイに中国同様の1435mm標準ゲージを押しつける一方(従ってタイ、ヴェトナムでは種々問題を生じている)、相手国の要求に合わせて非現実的(話題性先行(特に速度);政治家にとって大衆を惹きつける手段)提案を行い、先ずは実績作りに励んでいる。我が国でもよく知られたインドネシア新幹線(ジャカルタ-バンドン)もこの手でものにしたのだ(当初インドネシア政府財政支出は無いはずであったが、最終的に負担することになる)。最初から手堅く(安全性、人材育成を含めた運用現実性)提案する日本、取りあえず相手に合わせ後から変更・追加する中国。インドネシアもなかなかしたたか、「債務の罠」は一先ず忘れ、最後まで日中を競わせる。国威発揚型新幹線プロジェクトでは経済性は二の次、運営は共同責任で行う形式が求められ(合弁会社)、債権側(輸出国)も赤字を未来永劫負いかねないことになるのだ。これは辺境まで急拡大する中国鉄道も同じ、我が国新幹線の10倍を超える42kmの高速鉄道と在来線を運営する中国国家鉄路集団の借金(2021年度)は日本円にして約120兆円に達しており、この重い課題解決に苦慮している。

中国を中心話題に据えながら、我が国海外ビジネスの弱点・改善点も見えてくる(システムとしての輸出にこだわる。拭いされない援助延長線的発想(上から目線))。ここは大いに学びたい。例えば、元国連難民高等弁務官・JICA理事長故緒方貞子氏が言うように「援助した相手に対して感謝を執拗に求める日本社会」が嫌悪されることは否めないだろう(著者はこれをインドネシア新幹線で引用している)。

自身鉄チャン(乗り鉄)で、高速鉄道(新幹線)のみならず在来線も体験乗車、乗り心地から、料金体系、乗務員の対応、弁当車内販売まで、あれこれ各国鉄道事情を報告、これが結構面白い。

 

2)ラオスにいったい何があるというんですか

-だから出かけてみるのが村上流の旅行術。アイスランド、フィンランド、既知の米国もそれは同じ-

 


読む本を選ぶ動機は様々だが、本書を購読するきっかけは前著「鉄道と愛国」にある。その第二部でラオスが登場するのだが、そこにひと言触れられっていたのが本書である。2021年中国との国境の街ボーデンと首都ビエンチャンを結ぶ老中鉄路(1435mmゲージ、422km)が開通するまでのラオスの鉄道は、ビエンチャンとタイ北部のノンカイ間5.2km(ラオス内3.5kmm)をつなぐ1000mmゲージが唯一のものだった。それほど鉄路果つる陸鎖国、「そんな所に何があるんですか?」と問うのは当然、著者が村上春樹の紀行文集を冒頭に持ってきたのも、うべなるかなである。ラオスについては旅行作家下川裕治の作品で多少読んではいたものの、ほとんど知識が無い。「それではこの際読んでみるか」となった次第だ。

先ず村上のためにことわっておきたいのは、これは村上自身の発言ではない。ヴェトナム旅行中あるヴェトナム人に「この後は何処に?」と問われ、「ラオス」と答えたところ、「何故ラオスに?」と続いた会話に村上が感じ取ったのが「ラオスにいったい何があるというんですか?」であり、「だからこそ行ってみるのだ」が本意。この言葉が書かれた一文のタイトルは「大いなるメコンの畔(ほとり)で」、文集全体のタイトルとしたのは、「行ってみなければ分からないのが旅」という村上の旅行観を最も象徴する問答だったからのようだ。ヴェトナムのあと、メコン河畔の古都ルアンプラバン(世界遺産)にしばらく滞在、信仰心に篤い静かな都邑として好意的な印象を書き残している。「でもその風景には匂いがあり、音があり、肌触りがある。そこには特別な光があり、特別な風が吹いている」と。

さて、本書である。村上の紀行エッセイは好みで、本欄でも「やがて哀しき外国語」(米国)、「遠い太鼓」(イタリア、ギリシャ)、「雨天炎天」(ギリシャ、トルコ)などを紹介してきた。これらの作品は概ね1980年代後半から2000年までの旅が題材、その後小説家としての人気が高まって行く。それもありしばらくの間「旅行記はもういいか」の心境にあった。しかし、旅に優れた人気作家ゆえ紀行エッセイの依頼はつづき、興味を覚える旅であればそれに応じ、本書はそれらが溜まったところで一冊の文庫本と成ったものである。

全部で11編、主な初出掲載誌はJALの広報誌AGORAでここに7編、旅行誌CREA2編、他2編となっている。主として2010年代が掲載時期だが、1995年と2004年各一編が他と時代を異にする。前者は月刊誌「太陽」に載った“チャールズ河畔の小道”(ボストン)、これは時期が「やがて哀しき外国語」と重なり、初の長期海外滞在(2年)で印象深かったのだろう。全編の最初に持ってきている。後者はそれに続く2番目、TITLEという雑誌に掲載された“緑の苔と温泉があるところ”(アイスランド)で、ここで開かれた世界作家会議参加のための招待訪問記。この二つだけが旅行関係誌以外の初出、スポンサー無しと推察する。

旅先は米国が4か所、欧州はアイスランド、フィンランド、ギリシャ、イタリアの4カ国、アジアはラオスのみ、日本は熊本が2回(地震の前後)取り上げられる。旅行誌・航空会社の広報誌という性格上、以前の村上作品と比べ観光ガイド的な色彩を帯びているものの、村上の関心事が根底にあり、ほとんど一般人に同じ経験を味わうことは無理だろう。米国、イタリア、ギリシャは長期逗留の経験があり、言わば20年後、30年後のセンチメンタル・ジャーニー。観光よりはその間の変化がメインテーマとなる。また、未知の土地を訪れる際には個人の興味が先行する。例えば、フィンランドではヘルシンキに滞在するが、ここで紹介されるのは、カウリスマキという映画監督(私は全くこの名前を知らないが村上は全作品を観ている)が経営する「カフェ・モスクワ」(経営方針;冷たいサービスと温かいビール)やシベリウスが人生の大半を送った山荘「アイノラ荘」だけ。ボストンではジョギングコース(ボストンマラソンを何度か走っている)や野球場、NYではジャズクラブの消長、トスカーナでは希少ワイン、メイン州ポートランドでは中古レコード店、という具合だ。だからと言って奇をてらうわけでも自慢するわけでもない。嫌味な“出羽守(~では)”調皆無。ここが村上紀行文の良いところで、芯はあるが誠実で謙虚な姿勢がいずれの訪問記にも筆致にあらわれている。もう叶わぬ夢だがラオスに行き、同じリゾートホテルに泊まりラオス料理を堪能してみたい(各国料理のカラー写真あり)。これが読後感である。

 

3)特捜検察の正体

-巨悪追及、正義の味方特捜が巨悪に見えてしまう、凄腕弁護士の検察手口公開・追及-

 


私の読む本は圧倒的にノンフィクションが多い。情感に訴えるよりものよりも好奇心をそそるものが優先だからだ。従って、書店でも書評でも先ず眼が行くのはタイトルである。そこから中身をチェックした後著者経歴を当たる。しかし、本書は極めてまれな例外、著者名を見て「ウン?」となり、帯に眼を移して「やっぱり」と納得、最後に“特捜”で決まりとなった。カルロス・ゴーン事件の弁護人である(逃亡後辞任)。あの事件がTVで報じられていた時にしばしば登場、特捜が挙げた容疑者を弁護するなどとんでもない奴だと思い(すべての犯罪被疑者に弁護人が付くことを承知していても)、名前を確り記憶していたからだ。タイトルの“特捜”よりも「一体どんな人物なのか?」そこに興味が沸き読むことになった。

1945年生れ、東大法学部3年生在学中司法官試験に合格。ゴーン事件時検事上がりと予想していたが、司法研修所修了以降現在に至るまで弁護士一筋であった。

特捜と言えば、政官財界のトップクラスが関わる巨悪に挑む正義の味方、の印象が強い。古くは、犬養法相の指揮権発動で佐藤栄作自民党幹事長逮捕を阻止された造船疑獄(1954年)、田中角栄を葬り去ったロッキード事件(1976年)、竹下内閣を崩壊させたリクルート事件(1989年)などが思い浮かぶ。

検察の組織は上から;最高検察庁(1庁)、高等検察庁(8)、地方検察庁(50)、区検察庁(438)となる。この内特捜部が置かれているのは、東京地検・大阪地検・名古屋地検の3か所のみ。検察官の総数(20227月現在)は2754名、検事の数は1944名(検察官には総長・次席検事・検事長を含むが彼らは身分としては検事ではない)、東京地検特捜部検事の人員数は30~40名で推移し、2%程度の超エリートである。また、我が国全刑事犯罪の有罪率は99.9%。社会的関心が高い案件だけに、特捜事件に関わる検事が受けるプレッシャーは一通りではない。加えて、特捜捜査には他の刑事事件と異なる独特の体系がある。一般の刑事事件は警察が先ず手掛け、捜査もそこが主体に進めて送検要否を決定、次いで検察が起訴・不起訴を判断するのに対し、特捜事件は、特捜が独自に捜査できるようになっている。つまり、特捜部がプレーヤーと審判を兼ねているのだ。

著者は特捜の扱う事件を三つに分類する。①国策捜査型;政治的意図に基づき特定の人物をターゲットにする。例;鈴木宗男事件(2002年贈収賄罪;対露外交政策)、ライブドア事件(2006年証券取引法;メディア支配)、小沢一郎事件(2011年政治資金規正法;検察改革)。カルロス・ゴーン事件(2018年特別背任罪など;外国の経営権)。②他の事件からの派生型;他の事件の捜査中、たまたま入手した材料を基にし、一定の社会的地位にある人物の逮捕・起訴に利用する。例;村木厚子事件(2009年虚偽有印公文書作成・同行使)、秋元司IR汚職事件(2019年収賄罪)。③告訴・告発契機型;一般人からの告訴、国税庁・金融庁などからの告発を契機とする。例;安倍英医師エイズ薬害事件(1996年過失致死罪)。

他国に例を見ない99.9%の高有罪率、これにはかなりの冤罪(軽微な過料で済むものを含む)があると著者はみなし、自身が扱った事件を中心に特捜の調査方法・供述調書の作り方・起訴の仕方・裁判の進め方を、20の手口に整理し分かり易く説明するのが本書の内容である。被疑者のみならず担当検事も実名で登場、狡猾な誘導尋問、恫喝調の取り調べをびしびし指摘していくので、検察側にとってこれほど嫌な弁護士はいないだろう。安部エイズ事件では検事が「弘中を弁護人から外せ!」と迫ったこともうなずける。

最大の問題点は検察官が作り上げたストーリーにある(手口①)。被疑者のみならず参考人もこれに合わせるよう、作文に近い供述調書の承認を求められるのだ。客観的事実や科学的分析を無視(手口②)、別件の小犯罪(商品券の受領のような)を取引材料として(手口⑤)、社会的抹殺をちらつかせて(手口⑧)、長期拘留で被疑者・被告人を追い込み(手口⑨)、繰り返し事情聴取し時間的・経済的負担を与え(手口⑩)、家族や部下に揺さぶりをかけ(手口⑪)、マスコミへの意図的な情報リークで「犯罪人」のイメージを作り上げ(手口⑭)、ついには調書を認めさせてしまうのだ。

本書の中で最も多く引用されるのは村木厚子事件。これは障碍者支援団体に適用される特別郵便料金割引制度(120円が8円になる)認可に関わる案件。実働していない支援組織運営者が政治家に認可の口利きを要請、これが部長にまわり、課長の村木氏に下りて承認印を押したことで責任を問われる。逮捕時は雇用均等・児童家庭局長だったから、立件できれば特捜にとっては大手柄だ。しかし、結果は当時の部下である係長が勝手に印を押していたことが判明、2011年無罪となり、村木氏は事務次官まで登りつめる。この事件の弁護人が本書の著者、200通を超える調書に目を通し、ほとんどの関係者に接しているので、冤罪への経緯が詳細に分かり、司法の世界を弁護側から具体的に垣間見るには最適の書物と言える。

難しい事件;三浦和義ロス殺人疑惑、安倍英エイズ薬害事件、小沢一郎事件、そして村木事件、いずれも無罪を勝ち取り「無罪請負人」の名をほしいままにする著者、検察・特捜の見方が読後大きく変わった。巨悪は特捜?とさえ思えてしまうほどだ。著名人が頼るしたたかな弁護士に脱帽!

 

4)師匠はつらいよ

-入門初戦で負けてしまった師匠、年々つらさは増していく。今やA級とB2級の差-

 


子供の頃からゲーム類にはほとんど興味を持たなかった。将棋のルールは小学校低学年時父に教えられたが、飛車・角落としでもさっぱり勝てず、それ以上進まなかった。囲碁は全く理解できぬまま今日に至る。麻雀を覚えたのは大学に入ってから、授業の空き時間を潰すために遊んだがこれも2年生まで。会社に入るとコントラクト・ブリッジが盛んで、昼休みは何組もこれを楽しんでいたが、コールの仕方が難解で観戦のみで終わった。

こんな私だが、昨今の藤井聡太ブームには惹きつけられる。29連勝、数々の最年少記録更新、八冠全冠制覇を成し遂げた21歳の天才棋士。本書はその師匠、杉本昌隆八段が週刊文春に連載してきたエッセイ集である。掲載期間は202148日号~2023428日号までの2年間 100編になる。初回藤井は既に棋聖・王位2冠・八段・B2組の段階からスタート、終回時には名人・王座を除く6冠・九段(タイトル戦3期保持で昇段)・A級棋士になっている。師匠はこの間順位戦でB2組を維持することに汲々としており、当に“師匠はつらいよ”の日々だ。しかし、外の人間に将棋界を理解させ、関心を高めさせる点においてA級のエッセイ。ユーモラスな筆致で、未知の世界を楽しんだ。“読書百編(遍)意自ずから通ず”といったところか。

本書のタイトルは著者が考えたものではなく編集者の提案である。私も含め大部分の読者は、他に十数人の弟子がいても、“藤井聡太の師匠”と解するだろうし、編集者の意図もそこにあったことは間違いない。第一回は4月ということもあり、藤井聡太少年との出会いがテーマ;少年少女が将棋を学ぶ研修会から奨励会に移る際指導者に付く必要がある。東海研修会で目立っていた彼に声をかけ師弟関係に入る。入門後の初戦、藤井(10歳)は師匠に勝利する!“師匠はつらいよ”の始まりだ。以降ほぼ毎回“藤井”の名は出てくるものの、必ずしも主役ということではなく、むしろ将棋界のあれこれを語る前菜あるいは調味料として登場させる。そんな導入・展開だからこそ私のような全くの素人が、「もっと知りたい」思うような話題が次々と現れ、次第に深みにはまっていく。その一部を紹介してみよう。

・プロ将棋の世界に男女の差別はない。奨励会には何人も女性三段が居る。しかし、現在に至るまで四段(これ以上が棋士)に昇格出来た者はいない。奨励会の年齢制限(21歳までに初段、26歳までに四段になれなければ退会)に達すると、別枠の“女流棋士”として女王杯などを競うことになる。

・棋士にABC級があることは知っていたが、この昇級・降級の仕組みは知らなかった。というよりもJリーグや大学野球のように、上級の下位とその下の上位が機械的あるいは入れ替え戦で替わるものと思っていた。しかし、B2組、C2組の降級はちょっと特異な仕組みだ。“降級点”なるものがあり、その点数が規定に達すると落ちるのだ。B2組で下位25%4人に一人)、C2級で22.5%4.5人に一人)で1点が付き、B2級では2点、C2級では3点になると降級となる。この点数は一度落ちても再昇級すればリセットされる。師匠はB2組、ちょっとやばい位置に居るのだ。C2組を落ちるとフリーククラス、ここに10年滞在か60歳で順位戦参加不可(事実上の引退)となる。

・このクラス分けを行うのが順位戦。タイトル戦とは無関係。A級(10人)とB1組(13人)は総当たりのリーグ戦、B2以下は人数が多いので各人10数人と対戦する。要する期間はおよそ10カ月。知力・気力以上に体力がものをいう。また、段位に関わらず将棋連盟からの給与はこのクラス分けで決まる。

・最近の若い棋士はAI将棋で研究し腕を上げる。藤井名人もこれで鍛えてきたことはよく知られている。マスコミ報道など見ていると普通のPCでそれを動かしているように感じられる。しかし、名人クラスになると高性能機でないと動かないようなソフトを用いていることを本書で知った。藤井名人や渡辺前名人が使っているのは130万円(ハード込み)もする。ハードはPCというよりワークステーション。藤井はこれを師匠に贈っている。

・師匠のお返し(?)は成人記念の羽織袴。学生時代の藤井は学生服だったが、その後の対局は、他の棋士同様和服である。実は、和服で将棋を指すことには問題もある。袖で盤上の駒が動いてしまったり、落としてしまうことである。気が付かずにいると反則負けになるのだ。そのため大山名人は袖の短めのものを誂えていた。師匠もこれにならい藤井用に特別誂えを注文している。

・指し将棋と詰将棋の根本的な違いは、ルールは一先ず置いて、心理戦の有無にある。ここに棋士の特質が現れ、どちらか一方に優れるのが一般的らしい。しかし、両方に強い藤井はその例外、師匠は“二刀流”、とその異才を表現している。

古いところでは升田幸三、大山康晴から、中原誠、米長邦雄、近いところでは現役の谷川浩司、羽生善治まで、錚々たる大物棋士が登場、彼等と藤井聡太名人が交錯する。最年少記録はともかく、累積(例えば、羽生のタイトル99期)あるいは期間(大山の連続19期)という点でまだまだ新たな挑戦課題が残っている。指すことのないにわかファンの期待感は高まる一方だ。

 

5)紛争地の歩き方

-頻発する数々の紛争、紛争和解学の研究者が現地調査で明かすその難しさ。恨みは消えず、国連安保理機能せず!-

 


20082月タイとカンボジャを旅した。旅程はバンコク在の日本旅行社と調整し、23日のカンボジャ・シュムリアップ訪問を組み込んだ。目指すはアンコールワット観光である。既に内戦も終わり、日本からのPKOも去って15年を経過していたが、名所のそこここで髑髏マークの“立入禁止・地雷注意”標識を目にし、かつての戦場を身近に感じた。本書は、1998年そのカンボジャで行われた国政選挙に国連監視団の一員として参加し、以後多くの紛争地に監視者・研究者・NPO代表として訪れ、紛争解決の道を探ってきた、日本人としては特異な経験を持つ人物に依る、紛争地9カ所の見聞録である。

著者は1970年生れ、国際基督教大学卒業後米国バージニア州立ジョージメイソン大学紛争分析解決研究所で修士号を取り、英国ケント大学で国際紛争分析学の博士号を取得。現早稲田大学大学院教授。

取り上げられる紛争地は、カンボジャ、南アフリカ、インドネシア、アチェ(スマトラ島北端)、東チモール、スリランカ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、キプロス、ミャンマーの9カ所。本書は、基本的に研究者としての視点で書かれているが、訪問の動機は様々で、カンボジャのように国連選挙監視団員のように公的な立場やNPO主宰者としての協力から、米英の大学における院生としての論文執筆、その後の研究者としての調査など多様である。また、訪問・滞在時期も1996年のボスニア・ヘルツェゴビナから2019年の南アフリカまで幅がある。タイトルの“紛争地の歩き方”から騒乱さ中の現場へ出かけるようなイメージがあるが、紛争後和平が実現して以降の紛争和解調査・分析が主体である。ある程度時間を経過しているからこそできた研究と言える。

紛争の原因・形態は様々だ。政争が発展した内戦(カンボジャ)、異なる民族が内在することで起こった内戦(スリランカ、ボスニア・ヘルツェゴビナ)。独立・分離運動(アチェ、東チモール、キプロス)、独裁制と民主制の争い(インドネシア、ミャンマー)、人種対立(南アフリカ)などがある。これに宗教や植民地支配の後遺症が絡み複雑な様相を呈する。例えば、東チモールは一つの島がオランダ領とポルトガル領に分かれていたことが遠因だし、英領だったキプロスが南北に分かれたのは、少数民族であるトルコ系(2割)を優遇するような独立条件が火元となっている。同様に、スリランカは仏教徒のシンハリ族(7割)とヒンドゥー教徒のタミル族(3割)の争いだが、そのおおもとは英領時代のタミル族重用にある。

原因が多様なら結果(和解;一応の和平)も各様、一方の圧勝(スリランカ)、事実上2国に分離(キプロス;南キプロス(ギリシャ系)はEUに加盟)、お互いが独自路線・不干渉で平穏を保つ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)、経済成長やカネで不満解消(インドネシア(独裁者スハルトの死も影響)、東チモール)、自然災害に依る状況変化(アチェ;地震・津波に対する巨額の国際的支援)、法的差別撤廃で見かけ上平穏(南アフリカ;タウンシップと称する有形の壁は依然として存在し、白・黒別の生活圏を形成)、和平どころか停戦すら出来ない(ミャンマー)。

いずれのケースも、紛争の背景・歴史・紛争そのものを先ず解説、次いで本人の取り組み動機・活動概要や日本との接点、これをトピックス、エピソードで語る。最も詳しいのは、和解活動の経緯、誰とどのような和解が成立(あるいは不成立)したかを説明する。最後に、それぞれの和解に潜む問題点・課題を述べる。共通課題は、誰も過去を水に流すことは出来ないこと。正義で裁くと言ってもその正義すら一様ではない。応報的正義(加害者を罰したり賠償を求める)は加害者に痛みが残るし、修復的正義(人間関係の修復)は聖人でもなければ形式的・儀礼的な段階に留まる。

国連安全保障理事会常任理事国に依る和平実現は虚構と断じ、現実の和解の素顔は、消極的な平和である、と結ぶ。

従来このようなテーマは外交関係者の成功譚、国際関係論学者の建前論、ジャーナリストの断片的現地ルポのような形で報じられてきた。本書のように、紛争解決学・和解学というような視点で現地に足を運び、複数の事例研究を並べてまとめられたものは寡聞にして知らない。その点で一読の価値があった。歩き方ガイドとしては20話ある“コラム”と“紛争地を歩く知恵”が役に立ちそうだ。

 

6)戦国日本を見た中国人

-明代倭寇跋扈の世界、東夷と見下げられていた日本社会の資質を正しく見ていた中国人が居た-

 


戦前満洲で生れ育った人間として中国人蔑視は子供ながらにあったし、戦争に負けても中国に負けたとは考えておらず、それは日本と中国の歴史的な関わりを学ぶまで変わらなかった。日本史学習の機会は1952年(昭和27年;中学2年)に始まる。前年9月サンフランシスコ講和条約が結ばれ、占領政策が終わり日本史の教育が許されたからだ。社会科の一部として組み込まれ、大学を出たばかりの専任教諭による授業は新鮮で刺激に満ちたものだった。漢字や仏教の伝来、魏志倭人伝・邪馬台国・卑弥呼の話、遣隋使・遣唐使と続き、倭寇の活躍(?)に胸おどらせた。華夷思想で“東夷”扱いにされていたことは不快だったが、黄河文明や四大発明(羅針盤、火薬、紙、印刷)を知り、漢字や仏教伝来・論語を始めとする漢籍が日本文化に及ぼした影響を学び、中国認識を改めることになる(それでも共産中国に対する嫌悪感を拭えず、今に続くが・・・)。

本書はまだ中国から学ぶことの多かった明代、来日中国人鄭舜功が著した日本考察記「日本一鑑」を中国社会史専攻の研究者が“戦国時代の日本を描き直す(特に日中間の海上貿易;終章は“海に終わる戦国時代”)”目的で解説するものである。著者は1957年生れ、立教大学文学部教授。本欄で「人口の中国史-先史時代から一九世紀まで」を取り上げている。

冒頭17世紀初めに中国で編纂された民間百科事典に描かれた、高麗國・日本國・大琉球國と題する3葉の絵が提示される。高麗國人は衣服を整え、靴を履き、大琉球國人も着物を羽織っているが足下は裸足、日本國人は諸肌脱ぎで裸足、刀を担いでいる。説明書きには「もっぱら沿岸を強盗して生計を立てている。中国人は『倭寇』と呼ぶ」とある。これが当時の一般中国人の日本人イメージだったのだ。この時代、寧波(にんぽー)の乱(寧波で起こった大内氏・細川氏家臣の間の殺傷事件、1523年)、倭寇(1550年代)、壬辰の乱(文禄・慶長の役;大明国征服が最終目的、16世紀末)など、明朝を揺るがす外患がこのような日本人像を作り出したようである。

倭寇・海賊の猖獗は明の統治力さえ揺るがすもので、朝廷は朝貢以外を海禁とするが密貿易・海賊行為は絶えない。このような状況下「防倭平倭」に関する献策制度があり、無位無冠の鄭舜功が日本に赴き、日本国王と対策を講ずるという案が入れられ、15566月広州を発ち、7月豊後蒲江に到着する。大友氏の庇護の下ここに半年とどまり、部下を京都に遣わし皇室に近い三好長慶(武家と皇室の橋渡し役)と交渉(この交渉は日本側にも記録が残る;高台寺日記)に当たるが、別の「倭寇問題解決」を担う正使蒋洲が送り込まれ、半年後鄭舜功一行は帰国する。

帰国後航海を含む訪日記をまとめたものが「日本一鑑」。その構成は、「阝絶(合体した文字;“字源”にもなし)島新編(地理書;地図・地名・山・川・寺社など)」全4巻、「窮河話海(主要な記述;日本人、日本語、風俗習慣、気質、生活、道具など)」全9巻、「桴海図経(中国から日本に至る航路;島・目標物・航海諸事」全3巻、計16巻からなる。

倭寇や日本人資質に関する内容(主に窮河話海)を一部紹介すると;倭寇は中国沿岸部(舟山列島など)や九州島嶼部(平戸、五島列島)を基地とする者も含めその7割を中国人と見ており、彼等の挙動を詳しく調べ、それが名前を含め記されている。日本人の“凶暴性”について「中国人の感覚からすると凶暴であるが、その立ち居振る舞いには秩序がある」とし、犯罪者は家族も罰せられ、それ故に夜も閂をせずに過ごせる。日本人が凶暴な理由を、朱子学で重要な風水に基づいて分析、地形が“陰の気”をおび、人の気質が“火”となることに帰結、倭寇のイメージで日本人を論ずることに異議を唱える。

日明貿易で高い評価を得ていたものに日本刀がある。その製造法を詳細に残すとともに、「不殺の剣こそ名刀」とし刀に関する考え方が日本人の精神と深く結びついていると紹介、ここでは切腹の意義にも触れている。つまり後年武士道といわれるものに近い心情を感じとっているのだ。

本書副題に-海の物語『日本一鑑』を読む-とあるように、著者の関心・研究対象は海上貿易にあり、桴海図経を基にその航路を辿る。鄭舜功の出身地は安徽省、東へ向かえば杭州湾・寧波に出る。ここと九州の間には貢道(明使節が使う海路)があるが、当時は倭寇・海賊が跳梁、密貿易の拠点は広州にあったためそこから出発、金門島・鶏籠(台湾北端)・琉球・トカラ列島を経由、屋久島(白雲峯;2000m級の山があり、湿気を含んだ海風がここに当たり、山頂はいつも雲に覆われていた。そのため日中間航海では重要な目印だった)から薩摩の防津、ここから大隅半島を回り、瀬戸内に向かう際暴風に遭い、畿内(兵庫あるいは摂津)行きをあきらめ、佐伯に漂着する。この記述の中には航海記のみならず、船の大きさや構造、乗船者数、積み荷、飲料水の確保、気象などが含まれ、往時の海上交通がいかなるものかを知る貴重な資料となっている。しかし、これが広く利用される機会はなかった。

鄭舜功は帰国後歓迎されるどころか、密航者(上司失脚のため)として投獄され7年も獄中に留め置かれる。その間に書かれたものが「日本一鑑」、皇帝献上を願うがそれも叶わず、末期さえ不明だ。長く忘れ去られていたこの書が日の目を見るのは、軍事強国化する日本と中国が対峙するようになってからとのことである。

「日本一鑑」内容検証のため中国に残る日本を記述した史書が頻繁に援用される。また、日中貿易の内容も掘り下げられ(例えは淡輪(たんのわ)青磁;大阪府淡輪町沖合、紀淡海峡から続々と見つかっている中国産青磁の破片、貿易船の難破に依るものと推定される。戦国時代の交易品;日本からは硫黄、中国・東南アジアからは硝石と鉛、つまり弾丸・弾薬の原料)、意外と活発に交易が行われていたことが見えてくる。魏志倭人伝や遣隋使・遣唐使でしか知らなかった細く断続的な古代・中世の日中交流が、意外と密だったことを本書で学んだ。

 

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