2022年5月31日火曜日

今月の本棚-166(2022年5月分)

 

<今月読んだ本>

1)読書とは何か(三中信宏);河出書房(新書)

2)鉄道無常~内田百閒と宮脇俊三を読む~(酒井順子); 角川書店

380歳の壁(和田秀樹);幻冬舎(新書)

4)物語 ウクライナの歴史(黒川祐次);中央公論新社(新書)

5)プロ野球 元審判は知っている(佐々木昌信);ワニブックス(新書)

6)幕府軍艦「回天」始末(吉村昭);文藝春秋社(文庫)

 

<愚評昧説>

1)読書とは何か

読書は未知・未開地での狩りである。ただし暇つぶしの読書は対象外-

 


私の読書は確たる目的があって行っているわけではない。強いて言えば「いささかの好奇心と時間潰し」と言ったところである。子供の頃母から「活字中毒者」と言われた病が今に持続、その中毒症状がますますひどくなってきているに過ぎない。だからあらためて「読書とは何か」など考えたことも無かった。それでも書物に関わるテーマは好みのジャンルだから小林秀雄や丸谷才一あるいは編集者や作家などの読書論や書評エッセイは随分読んできて、それらに学びつつ、自分なりの読書スタイルは出来上がってきていると思っている。しかし、本書のように大上段から「読書とは何か」と問われると、(全く知らない著者名だが)「ご意見、聞かせていただこうではないか」となった次第である。

著者名を知らなかったのは全く私の浅学菲才ゆえであった。1958年生れ、食品産業技術研究機構に属する進化生物学・生物統計学の専門家(農博)だが、長年読売新聞の書評委員を務め、本書の先駆けとなる「読む・打つ・書く~読書・書評・執筆をめぐる理系研究者の日々」なる本を出しているほどの読書人かつ蒐集家であることを読み進めることで知った。

先ず読書の目的は「もっぱら仕事のため」と明言、しかもハウツー物や入門書の類は流動食と同じで読みこなす効率は良いが考え抜くための知力を鍛えることには無力と切り捨てる。従って小説・エッセイは皆無、新書などもごく一部(宮脇俊三の鉄道物)しか事例として取り上げられない。つまり私のような暇つぶしや活字中毒解毒は対象外なのだ。とは言えこの読書論はユニークで面白く、示唆に富む。

帯にもあるように著者は読書を“狩り”ととらえる。地図も道も無い、そんなジャングルに踏み入り獲物を獲得する行為と見るのだ。一歩一歩歩みを進めながら先に在るものさらには全体像を推理・推論(abduction;仮説形成)、そして獲物を仕留める(作者の意図を理解する)。この最後のとどめは読了で終わるわけではない。来た道を戻り獲物が本物かどうかを再度確認する。往路を如何に進むか(ノード;節を見つける)、復路では何をするか(ネットワ-ク;節をつなぐ経路網を確認する)、これを種々の書物(ほとんどが広義(著者の専門域外を含む)の専門書)と多様な読書法;完読(読み急がず一定速度で、メモを取る、時々休む)・速読(速読術ではない。B5850頁を2週間で読破した事例;ツイッターを頻繁に利用し、ごく短い要旨や感想を打ち込む)・拾読(読み尽さないで文意をつかむ)・熟読(深読みし過ぎることの危険)・精読(読書ノートを作り込む。これで学位論文を完成させた)・解読(特に外国語;逐次訳でなくかたまりとして読む。一定速度で(不明な単語があっても)“見る”ように読み進む)・図読(図・絵・写真などを読み取るヴィジュアルリテラシーの重要性)・休読(途中で撤退する勇気)・積読(いつか読もうと言う“希望”が大切)などを例に紹介するのが本書の概要である。

おそらく読書動機の中で好奇心を満たすことは誰にとっても最大の因子だろう。そしてその対象が少しずつ見えてくるのは“狩り”の感覚だと言うのは納得感がある。ただし私の場合未知探求の対象選択と解明目的が明確でないから獲物は価値あるものとは限らない。ほとんど役に立たない雑学知識ばかりが実態だ。でもそこには未知が既知になる満足感がいつも在る。また、読書中赤線引きや余白への書き込み付箋付けを行い“往路”に目印を残してきたし、それを基にここ10数年本欄の雑文(復路)を書き続けてきた。深みは著者と比較にならないものの、自己流の読書法がまんざらではなかったといささか自信を得た。著者が扉に記した“Lego, ergo sum(我読む、故に我有り)”は当に今日この頃の私である。

 

2)鉄道無常~内田百閒と宮脇俊三を読む~

-時空を超え鉄道作家巨匠二人の鉄道観・旅行観を比較検証、その真意を解明する-

 


5波のコロナまん延が治まりを見せた202111月下旬、2年前の蓼科ドライブ以来久しぶりの旅に出た。東海道在来線を利用した修善寺温泉行きがそれである。横浜発1224分発の踊り子115号、昼食には高島屋地下でおこわ弁当と500mℓの缶ビールを用意、動き出すと車窓を眺めながら飲食を開始する。何故か「動いてから」と言うのが習い性になっている。クルマ旅では絶対に味わえない鉄道旅の大きな楽しみの一つがこれだ。だから景観と飲み食いをうまく合わせることが計画の骨子となる。踊り子号のメインは熱海から伊東線に入りそこから伊豆急で下田を目指すもので、修善寺行きは熱海で切り離されるのだが、その本数は限られており、昼食時をまたぐのはこれ一本しかない。当にそのために走っているような列車だった。乗り鉄とはとても言えないものの、運転免許証返納後「これからは鉄道旅」と目論む者にとって、幸運なスタートだった。本書は乗り鉄作家の二大巨匠、内田百閒と宮脇俊三の作品を鉄道と言う同じまな板に乗せあれこれ調理する、ある種の比較作家論(エッセイ)である。当然食事と酒は欠かせない。

内田百閒(榮造)は1889年岡山生れ、旧制第六高等学校から東大文学部ドイツ文学科に進み、卒業後は陸軍士官学校・海軍機関学校・法政大学で独語を講じるとともに作家活動を行っている。旧制中学時代から漱石に心酔、やがて門下となる。「冥途」や「百鬼園随筆」などの作品は高い評価を受け、戦前から名文家として知られていた。鉄道作家として認められるのは1950年(昭和25年)~1955年(昭和30年)小説新潮に連載された“阿房(あほう)列車シリーズ”に依る。

宮脇俊三は1926年生れ、国会において国家総動員法に関する佐藤賢了中佐の説明をヤジり倒し「黙れ!」事件を起こした宮脇長吉代議士(元陸軍大佐)の三男。旧制成蹊高校から東大理学部地質学科に進むが途中で再試験を受け、文学部西洋史学科に移っている。1951年(昭和26年)卒業後中央公論社に就職、中公新書の発刊、中央公論編集長、常務取締役編集局長を務めた後1978年退職、この年出版された「時刻表2万キロ」は国鉄(現JR)全線完乗を表したもので、第5回日本ノンフィクション賞を受賞、一気に鉄道作家の頂点に立った。

親子ほど歳の離れた二人だが、根っからの鉄チャンだった宮脇は少年時代の想い出も多々書き残している。一方百閒の阿房列車は戦後のことだから、乗り鉄としての時代背景は重なるところが多い。また宮脇は「阿房列車」の愛読者だった。著者は両者の作品を時間軸に沿って解説、そこから見えてくる二人の世相観・鉄道観を対比し、共通する本質に迫っていく。かつて見た原風景をなつかしみ、それがいつまでもそこにあって欲しいとの思い。一方、新線が出来、最新列車が走るとそれに“発情”してしまうのも鉄道ファンの性。二人の作品から著者が読み取ったものは、古きものにノスタルジーを感じつつ常で無いもの(無常)を追い求めている、アンビバレントな乗り鉄の姿だ。そして時代の変化にそぐわず消えていく廃線、変わりゆく景観に物事に終わりのあることを読者に告げていると読む。

二人は何故鉄道紀行作家となったか、どんな作家だったか。話はそれぞれのデヴュー作の冒頭から始まる。百閒の特別阿房列車;「なんにも用事はないけれど、汽車に乗って大阪に行ってこようと思う」、宮脇の時刻表2万キロ;「鉄道の「時刻表」にも愛読者がいる」。ここに鉄道を他の目的(例えば観光)のための単なる移動手段と見ていない、根っからの乗り鉄の神髄が結実されている。百閒はこの後方面・本線別に何本も阿房列車(例えば鹿児島阿房列車)に乗車するが、訪問地の情景や名物が描かれるシーンはほとんどなく話題は専ら車内・車窓と列車の動きだけで、名紀行文を残している。他方宮脇の切り口は多様で、一駅もダブらず一筆書きで最長切符を考え出し購入、有効期間内にそれを乗り切る「最長片道切符の旅」、「増補版時刻表昭和史」では少年時代からの鉄道利用体験を当時の時刻表とともに語る。後者は期間が昭和8年から23年までと言うこともあるが、ここにも観光は全く無い。

重なる話題は、少年時代の鉄道に対する思い、戦中・戦後の鉄道事情、乗車前の行動(先頭から最後尾まで一覧)、鉄道唱歌、そして酒。特に百閒の酒豪ぶりは凄い!のべつ幕なく飲んでいる印象だ。相手はいつも同行する国鉄広報担当の平山三郎(百閒の呼称は“ヒマラヤ山系”)。専ら(自腹で)特急・急行一等車を利用する百閒の食事は食堂車、駅弁は一度も現れない(酒は途中停車の際ヒマラヤ山系に調達させることもしばしば)。一方宮脇は三等車・普通車での日本酒一人酒と駅弁が定番だ。

引用されている両者の著作はほとんども所有し読んでいるが、二人を並べ比較すると、本格的乗り鉄始祖の共通点・相違点が明らかになり、一段と作者・作品への関心が高まった。ぼつぼつ再読してみるか、と。

著者は1966年生れ、高校時代から雑誌のコラムなどに投稿してきた作家・エッセイスト、宮脇には取材経験もある。女子鉄のはしりでもあるようだ。

 

380歳の壁

-存在の耐えられない軽さ。書き物版“気休めの仁丹”-

 


来年で干支は7廻り、84歳になる。これまで2019年秋の硬膜下血腫発症を唯一の例外として、入院したり手術を受けたりすることなく現在に至っている。就学来学校や職場を病(主として風邪)で休んだことは計2週間に満たない(中学・高校精勤賞)。とは言え、人並みに加齢とともにあれこれ体調異常は表れている。慢性胃炎は四半世紀前から、やがて高血圧、昨年からは変形性腰椎症(いわゆる坐骨神経痛)。その都度服用する薬が増え、単位も上がってきている。先月も年2回の血液採取結果から、食生活や運動量では改善が期待できない数値劣化に新たな薬投与を警告された。自覚症状は全く感じず日常生活に不自由も無いのに新たな薬を服用すべきか否か迷った末に、次回(半年後)の検診まで執行猶予にしてもらった。平均余命8年を考慮すれば、痛みなどの苦痛が無い限り、過度な(?)医療処置を受けない方が良いと考えるからだ。医療の専門家はこれをどう見るのか、それを知りたく本書を求めた。

新聞広告に高齢者の気を惹くような文言が連ねてあった。食べたいものは食べていい、お酒も飲んでいい、健康診断は受けない方がいい、ガンは切らない方がいい、血圧・血糖値・コレステロール値は下げなくていい、薬は不調がある時だけ飲めばいい、運転免許は返納しなくていい、運動はほどほどに、散歩が一番、「脳トレ」よりも自分の好きなことをする、嫌いな医師とはつきあわない、等々。本書全編、このような短い警句とこれも短い解説が続く。最後の章はこれが50音カルタになる。一応その論拠のようなこと(経験談)を簡単に示すが、何とも軽い本だった。要は「高齢者は無理して延命策など考えず、気楽に生きればいい」と題材を変えながら延々と述べているに過ぎない。ある意味、気休めにはなったが、あまりの軽さに、何か詐欺にかかったような読後感が残るばかりである。

著者は1960年生まれ、東大医学部卒の精神科医、本書には記されていないがアルツハイマーに関する研究で博士号を取得しており、現在は精神科クリニックを経営。本書の中で一時期浴風会(社会福祉法人)と言う老人対象の医療機関に勤務、個々の警句の裏付けはここでの知見が援用されている。この医療機関は関東大震災後行き場のなくなった老人を救済するために下賜金を基に国と東京府によって設立・運営されてきた、当時としては先端老人介護施設だったので、老人病に関しては特異な存在のようである(主にWikipediaから)。問題は著者がここでどの程度存在感のある医師だったかである。と言うのも、大学在学中の1980年から受験指南書を出版、その後もこの種の出版物を中心に、表層的な心理学書、医療業界や老人問題に関する種々雑多で膨大は著作を発表、とても丁寧に一冊ずつ執筆することは常人には不可能と思える(本書を含め多分口述筆記であろう)。また予備校講師、映画監督などを兼ね、多才なことは確かなようだが、腰の据わった研究者とはとても思えないのだ。

興味のある方は書店で立ち読みする程度で充分!

 

4)物語 ウクライナの歴史

-混迷するウクライナ情勢、歴史からその因が見えてくる-

 


ウクライナと言う地名を知ったのはいつだったか記憶にないが、中学の12年生の頃社会科の授業で国際連合原加盟国(対日・独・伊宣戦布告国)の中にウクライナと言う“国”があることを知った。それまでソ連邦の一部と思っていたから大いに違和感をもちその国名が記憶に残った。実はそれは社会人になるまで続いたが、格別調べよとも思わなかった。やがて近代史(特に第二次世界大戦史)に惹かれるようになり、その過程でスターリンの要求をチャーチルが認める格好でウクライナ、ベラルーシが国連において独立国として認められたことが分かった。つまり当時の英連邦はカナダ、オーストラリア、ニュージーランドなど複数の国家で構成され、それぞれが加盟することになっており、ソ連もロシアの他に連邦を構成するいくつかの国をそれと等価な資格を持たせることにしたのだ。しかし、そうなっても地続きの両国はどうしてもソ連の一部との感覚は拭いされなかったし、既に真の独立を果たしていた20038月のオデッサ精油所訪問でも変わることはなかった。今度のロシアに依るウクライナ侵攻で、今までのウクライナ観を改めなければと痛感し本書を読んでみることにした。

著者は1944年生まれの外交官、1996年~99年(エリツィン時代)の駐ウクライナ大使。本書初版の発行は2002年(13版を重ねるが内容は改訂されていない)、既に20年を経て、ウクライナ国内政治・対外関係は変転しているにもかかわらず、今読んでも時代の隔たりを感じさせない。つまり、著者の視点はウクライナ、ロシア双方に向いているが論旨は「ウクライナとロシアとは違う!」にあり、その独立志向は共産革命以降のソ連史だけで語るにはあまりにも複雑で歴史の長いものであることを教えてくれる。ウクライナ史に関する他の本は読んでいないが、おそらく最も適切なものの一つでなないか。

歴史は紀元前83世紀の出土品にさかのぼり、イラン系スキタイ人の存在から始まるものの、現在のウクライナ、ロシア共に民族としてはスキタイと異質である。ウクライナと言う言葉が歴史に現れるのは123世紀、その意味は「辺境」「土地」「国」などを意味する一般名詞、現ウクライナを特定する地名になるのは16世紀のことである。この間ギリシャ人の植民、ゴート族やフン族の流入、東ローマ帝国領、コサック、スラヴ人と目まぐるしくこの地の主は変わっている。10世紀ごろキエフ・ルーシ公国が起こったところから、現代につながるロシアとの関係が始まる。つまり、ウクライナ、ロシア双方がこの公国の後継者であることの正統性・相違性根拠を求めるのだ。ロシアの主張はキエフ公国消滅後この地はリトアニア・ポーランド領地となり後継者は無かったとするもの。ウクライナの言い分は、ウクライナ西部に栄えたハリーチ・ヴォルイニ公国こそその後継者であるとする。両者の論をさらに複雑にするのはスラヴ民族発祥の曖昧さである。欧州の主要民族;ラテン、ゲルマンに比しその出現は遅く、それによる国家建国も無いまま中東欧に居住域が広まっていったため国と民族の関係付けがむつかしい。とにかくこの地が諸民族(ヴァイキングからコサック、モンゴルまで)と宗教(ユダヤ教、イスラム教、ギリシャ正教、カトリック)の混沌とした場所であり続けたのだ。

ウクライナが一応国(ヘトマン国家;コサックの首領)として現れるのは16世紀、ポーランドに反抗したボフダン・フメルニッキーなる小領主が自治を獲得したことで始まる。ただこの時フメルニッキーはモスクワ公国と保護条約(ペレヤスラフ協定)を結んだため、これが後にロシアが自国領とする言い分につながっていく。しかし、この文書の原本は残っておらず改竄された可能性が高く、ウクライナはこれを一時的な軍事同盟と見ている。結局フメルニッキーはモスクワとポーランドによって葬り去ら、独立はその一時期に留まる。これを再興しようとしたのはイヴァン・マゼッパ、これも小領主出自、世渡り上手でピヨトール大帝の信を買うが、やがて北方大戦争でスウェーデンに加担し敗北。その後この地は第一次世界大戦後まで大部分がロシア、一部がポーランド、オーストリアの版図となる(ここが東西ウクライナの分かれ目、西側に独立志向が強い)。第一次大戦戦後の混乱はボルシェヴィキ革命もあり凄まじい。ポーランド、赤軍、白軍、仏軍(独の影響力を削ぐためロシアに加担)、ウクライナ東西に分かれた独立派パルチザンによる無秩序な内乱状態が1922年まで続くのだ。結局勝利を収めたのは赤軍、こうしてウクライナはソ連の一部となる。第二次世界大戦、冷戦、ソ連崩壊、19918月フメルニッキー統治以来350年待った独立が成る。

ただ著者は独立を評価しながらもそれを冷徹な目で見ている。つまり、この独立は“棚ぼた”であり、旧体制の中枢が素早く独立派に転向、看板だけ変わり中味はそのまま、と厳しい見方をしている。著書発刊後の大統領を見ればその危惧は当たっている。また、ウクライナによって東西のバランス・オブ・パワーが変わり、独立維持は中東欧の死活問題と断じていることは、在任・著作が20年以上前であることを考えるとき、その先見性に驚かされる。繰り返すが、参考文献もしっかりしており、現在のウクライナ問題知識取得に最適の書である。利用価値のあるものだけに、索引が無いのが惜しい。

 

蛇足;“はじめに”の謝意で同姓のいとこの名が記されていた。
彼は彼の地の輸出入銀行の再建・運営に深く関わったようだ。
以下にアクセスいただくとメディアで知るウクライナとは異なる
それを垣間見ることが出来る
(2015年独行法人石油天然ガス金属鉱物資源機構機関紙掲載)
https://oilgas-info.jogmec.go.jp/_res/projects/default_project/_project_/pdf/6/6467/201507_019a.pdf

 

 

5)プロ野球 元審判は知っている

-読み物としての面白味はないが、審判にしか見えない野球が見えてくる-

 


我々の世代でプロスポーツと言えば何と言っても野球。一リーグ制時代から親しんできた。ラヂオで実況アナウンスを聴き、球場で応援、そしてTV観戦と楽しみ方も多様だ。贔屓チームは東急フライヤーズ(現日ハム)→西鉄ライオンズ(現西武)→大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)と変わる。この変化のキーワードは三原脩監督。引揚後に転入した小学校で大将格の同級生から「お前はどこのファンだ」と問われ「(母の実家総てが応援する)巨人」と答えたところ「巨人は沢山いるからダメだ」と言われ仕方なく残りの在京球団である東急を選んだ。その時以来アンチ巨人、その巨人軍監督だった三原が追い出された先が西鉄ライオンズ、巨人を返り討ちにする彼にすっかり惹かれ、西鉄ファンに転向、さらに大洋に移るとそこを応援することとなり今日に至る。

日本シリーズ対巨人戦、3連敗4連勝、4勝無敗で連覇したこの魔術師・知将と呼ばれた超一流監督を一喝したのが二出川延明審判(パ・リーグ審判部長)。大毎(現ロッテ)対西鉄戦でアウト・セーフをめぐる判定に「ルールブックを見せろ」と迫る三原に「俺がルールブックだ!戻れ!」とやり返し、球史に残る審判となった(のち殿堂入り)。

最近はTVのダイジェスト版しか視ないので審判の判定まで注視する機会は皆無、名前など知る由もない。審判が著書を出すことは極めてまれ(二出川と同世代でセ・リーグ審判部長を務めた島秀之助の「プロ野球審判の眼」が1983年岩波新書から出ているがほとんど回顧録)、「もしかすると最近も二出川事件のようなことがあるのかもしれない」と期待し本書を発注した。

著者は1969年生れ、大学野球でプレーした後1992年よりセントラル・リーグ審判員。公式戦は1995年からで通算2414試合出場。オールスター、日本シリーズの審判も務め、2020年実家(寺院)を継ぐため引退。

本書は、選手の役割(投手、守備、打者・走者)別に有名選手(OBを含む)の中から特に着目する者を選び出し、その技術やプレー(投手ならば投球や牽制)を手短に語る章と裏話的な部分から成っている。前者は球質や打球の速さあるいは走塁方法のようなプレーのごく一部を切り取るので、現役プレーヤー(少年野球や草野球を含む)には役立つ情報があるものの、観客として野球を楽むには細部すぎる(見えない、分からない)。後者は、“監督を見る”、“乱闘・退場の原因を見る”、“舞台裏を見る”の3章だが、これも技術解説的でのぞき見するような面白い話はない。

全体で70話(投手;20、守備21、打者・走者;20、監督;4、乱闘・退場;5、舞台裏;10)から構成され、一話に割かれるのは概ね4頁。その内1頁は取り上げた選手の記録(生年月日、身長・体重、通算記録など)に使われるので、記事は3頁、行間が広いので正味の解説は簡単なものになる。この解説内容も雑談を口述筆記したような調子で軽い感じだ。ただ、“審判の眼”という視点は明確で、そこに独自性はあるし、プレーをする人には有益だろう。

取り上げられる選手・監督はOB6割以上。現役では:投手;金子千尋(オリックス)、千賀滉大(SB)、ダルビッシュ(MLB)など、守備;前田健太(MLB、牽制)、菊池涼介(広島)、福留孝介(中日)など、打者・走者;坂本勇人(巨人)柳田悠岐(SB)、岡本和真(巨人)など。

解説は、どこに優れているか、その程度はどんなものか、どんな特質を具えているか、と言うように一人一テーマ別に行われる。例えば、上原浩治(巨人、MLB)は「3種のフォークボールを投げた」、岸孝之(楽天)は「ボールの回転が抜群に綺麗」、荒木雅博(中日)は「守備範囲が2倍あった」、松井秀喜は「(バットがボールに)ミート時に焦げた匂いがした」、柳田悠岐(SB)、岡本和真(巨人)の二人は「フォークボール打ちが抜群に上手い」、と言うように、である。自身の失敗談もいくつか語られるが“二出川神話”のようなものはなかった。ある種のデータブックとしてはともかく、読み物としての面白味を欠く。

 

6)幕府軍艦「回天」始末

-新政府海軍対旧幕府海軍、誰もが描かなかった海戦顛末記-

 


日本人作家の小説はほとんど読まない。司馬遼太郎や池上正太郎の本はかなり持っているが「坂の上の雲」を除けば、すべて紀行文やエッセイ、対談などである。そんな中で吉村昭だけは例外、「深海の使者」「戦艦武蔵」のような太平洋戦争を舞台にした作品や「三陸海岸大津波」など10冊程度持っている。興味ある“戦争”分野が多く、作品内容の考証が可能で、綿密な調査活動に基づく創作化のうまさに満足していること、登場人物に対する妙な思い入れがない筆致であること(司馬の小説とは真逆)、が惹かれる理由。言い換えれば限りなく上質なノンフィクションに近いのだ。故人だし読みたい作品は読破したと思っていたが書店に平積みされた、記憶にない題名を見つけて奥付を確かめると単行本発行は1990年だが、これは新装第1刷とある。文庫化出版を見落としていたのだ。好みの作家の未読作品は新作以上の貴重品、そんな思いで購入した(同時に、書名は知っていたが興味の対象外だった「破船」が“2022年度超発掘本本屋大賞”と銘打っていたので、一緒に買ってしまった)。

幕末・維新は多くの歴史小説に取り上げられている。特に陸戦は、京都での蛤御門の変、戊辰戦争、彰義隊の上野戦争、奥羽越同盟と新政府軍との数々の戦いなど多くの作家が独自の物語を作り上げ、英雄(悲劇を含む)を生み出している。これに比べると海上の戦は箱舘戦争でわずかに描かれるばかり。それも五稜郭陥落と土方歳三の戦死くらいで、陸戦の域を出ない。しかし、両者の間で総力を挙げて戦われた一連の海戦があった。慶応4年(明治元年、1868年)8月から翌年5月にわたり旧幕府海軍と新政府海軍によって宮古湾、箱舘湾で戦われたのがそれである。本書はその海戦を詳しくかつ淡々と語るもので、本来なら榎本武揚を主人公に据えてもおかしくないのだが、主役は老朽艦「回天」、英雄不在、当に吉村調そのものの小説である。

維新の成った年18688月、新政府への幕艦引き渡しを拒み艦隊総帥榎本に率いられた幕府艦隊は江戸湾を脱し蝦夷箱舘を目指す。陣容は、榎本がオランダで造艦を監督した「開陽(2,718t)」はじめ「回天(1,280t)」「蟠龍(350t)」「千代田形(形が付くのは同型艦複数を予定したため)(138t)」の4軍艦と4隻の輸送船。北上途上の寄港地は宮古、追撃してくる政府軍もここに立ち寄ると読み綿密な偵察と密偵を残す。箱舘に入った艦隊は新政府方の松前藩を打ち破りこの地を占領、12月五稜郭に総司令部を置く。この間、悪天候で旗艦とも言える「開陽」が座礁、運用不可能になり、政府軍とのパワーバランスが崩れる。予想される政府軍の旗艦「甲鉄(1,358t)」は蒸気船で砲力に優れる。どこで如何に政府海軍と戦うべきか?戦略・戦術は如何に?宮古湾急襲論が採用される(「甲鉄」停泊中に「蟠龍」と「高雄(江戸湾脱出が遅れた)(350t)」の兵が乗り移り奪取する。切込み隊長土方歳三)。明治2年(1869年)316日密偵から宮古湾に政府艦隊見ゆの報がもたらされ「回天」「蟠龍」「高雄」「千代田形」が箱舘港を出港、宮古湾を目指す。想定する政府艦隊は「甲鉄」「春日(1,269t)、(乗組員の一人に東郷平八郎が居る)」「丁卯(ていぼう)(125t)」「陽春(530t)」の4艦。これらが湾内で補給中、つまり蒸気の上がっていないとき奇襲する作戦だ。しかし、実際には天候不順や故障などあり、「回天」が「甲鉄」に接舷(「回天」は外輪推進のため横付けできず舳先から突っ込む)、激しい銃撃戦を交わした後「回天」は撤収し宮古湾奇襲作戦は終わる。

このあと旧幕府艦隊は箱舘へ帰還。追撃する政府艦隊は青森で補給した後箱舘へ向かい、陸戦・海戦が戦われ、「高雄」「回天」「蟠龍」「千代田形」は座礁や砲撃で動けなくなる。511日政府軍陸海共同作戦実施、旧幕府艦隊全滅、土方歳三戦死、518日五稜郭開城で一連の箱舘戦争は終わる。戦い全体を俯瞰すると、真珠湾攻撃からミッドウェイ海戦と重なるような気がして来るのは軍事オタクの妄想だろうか?

軍艦や戦いの細部のみならず、寄港地の様子(町村統治組織、地元民の生活、産業など)、諸外国の立ち振る舞い(米、英、仏、露、蘭)も丹念に調べていることが、どの場面でも嫌味なく伝わってくる(如何にも“調査しました”調でない)。何度も現地を訪れ郷土史家たちから情報を得ているようだ(解説)。驚いたのは宮古の盛況、何と花街の遊女屋数160!、ここで政府軍兵士が遊びまくり、戦後それぞれの藩に帰藩、性病が全国規模でまん延したとある。

「さすが吉村昭作品!」が読後感であるとともに、幕末・維新の軍艦技術について興味が沸いてきた。

 

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