2023年5月31日水曜日

今月の本棚-178(2023年5月分)

 

<今月読んだ本>

1)エッフェル塔(ニコラ・デスッティエンヌ・ドルヴ);早川書房(文庫)

2)半導体戦争(クリス・ミラー);ダイヤモンド社

3)潜艦U-511の運命(野村直邦);中央公論新社(文庫)

4)敗者としての東京(吉見俊哉);筑摩書房(選書)

5)誰が国家を殺すのか(塩野七生);文藝春秋社(新書)

6)画家とモデル(中野京子);新潮社(文庫)

 

<愚評昧説>

1)エッフェル塔

-フランス革命100周年記念建造物エッフェル塔、“鉄の詩人”が傾ける執念と情熱-

 


本年は我が国TV放送が始まって70周年になる。あの時は台東区役所の上階にある講堂に近隣の中学生が集められTV放送の説明を受け、演台の上に在る受像機に映る動く画面を視て感動した。

大学に入学した1958年(昭和33年)暮東京タワーが竣工した。NHKのみならず民放各社がそれぞれ放送塔を建設、景観をそこねていたこともこのタワーの建設動機だった。「もはや戦後ではない」を実感させる画期的出来事であったが、一方に「エッフェル塔の模倣」との批判もあった。私自身の第一印象も全く同じ、目立つだけに何か気恥ずかしさすら感じたものである。それも影響して、本家のエッフェル塔には二度上っているが東京タワーは皆無である。

本書はそのエッフェル塔建設をテーマにした恋愛小説、それも映画の脚本が先に出来ており、それに基づいて書かれたものである。ただ、この恋愛物語は完全に創作だが、訳者あとがきに依れば、塔建設にまつわる話はほぼ事実とのこと。私の講読動機はそこにあった。

小説は、若きエッフェルがボルドーの鉄道橋建設中資産家の娘と恋におちるが階級の違いで成就できず27年の歳月が過ぎ、再会するのは万博記念建造物審査の場、これに高等専門学校(グランゼコール;一般大学は高校卒業資格のみで入学可だが、ここは入試があり職業人としての評価は上)時代の友人が絡み、全411860年代と1880年代を交互に切替えてのストーリー展開となる。5人の子供を残し夫人が死去しているのは事実だが、登場人物は完全なフィクションなので読んでのお楽しみ。ここでは本書から読み取れる、エッフェルと塔建設を中心に内容紹介をしたい。

エッフェル本来の家名はベニックハウゼン、明らかにドイツ系だ。何代か前にアルザス地方からフランス中東部(ブルゴーニュ地方)ディジョンに移住、父親の代にフランス風とするため祖先の出身地アイフェルから“エッフェル”に改めている。家業は石炭卸商、まずまずの暮らし(とは言ってもブルジョア階級ではない)、中学を卒業後パリのグランゼコール準備校に進学するが第一志望のエコール・ポリテクニック(現在でもフランスNo.1の高等専門学校)に失敗、エコール・サントラル(中央工芸専門学校、ここも難関校)に入学、“技師”の資格を得て卒業。土木建築企業で主に橋梁建設に従事、やがて独立しエッフェル社を起こす。「鉄の魔術師」あるいは「鉄の詩人」と呼ばれるほど鉄鋼構造物、特に橋梁設計建設で知名度を上げる。ニューヨーク自由の女神も構造設計は彼に依る。

エッフェル塔建設の動機は1889年のパリ万博。フランス革命100周年を記念したこの行事に歴史的モニュメントを残すべく政府が公募を行う。45件が模型を含めた最終審査に残りエッフェル塔案が採用される。ただ、政府指定の建設場所はパリ郊外ピュート、エッフェルが中心部建設を主張し、主管の商工大臣がこれをサポートする。この中心部案に反対し抗議文を寄せた著名人にはデュマ、モーパッサン、グノーなどが名を連ね、本書の最後にその抗議文(日本語訳)が添付されている。反対理由は、景観破壊・日当たり減少・倒壊危機からローマ法王の「ノートルダム大聖堂に対する冒涜」までさまざまだが、首相交代で独仏間の緊張が高まり、反対運動は沈静化、何とか着工にこぎつける。その後も工期(2年)、予算、作業者のストなど困難に直面するが、万博開幕前に竣工する。当初の非難はのちに「鉄の貴婦人」と讃えられるほど激変、いまやパリのみならずフランス一のランドマークとなっている。

錬鉄(パドル製法(一種の製鋼法)で脱炭素)によるプレファブ工法、軟弱地盤への潜函工法適用、避雷針実験、高層建造物に対する風雨実験など、工学的先進技術への挑戦も小説の中で紹介される。なかなか魅力的な人物(特に技術者として)、本格的なエッフェル伝記を読んでみたい、そんな気にさせる内容であった。

 

蛇足;エッフェル塔:東京タワー、高さ;330m333m、工期;22カ月:1年半、鉄鋼材;7300t4000t、リヴェット・ボルト;250万本:20万本、事故死者;両者とも1名、錬鉄ゆえ曲線鋼材可;直線鋼材のみ、美しさの違いはここにある。

 

2)半導体戦争

-トランジスタに発する70年わたる熾烈な半導体ビジネスを余すところなく伝える壮大な叙事詩-

 


何十個ものトランジスタを小片に詰めた半導体集積回路(ICチップ)を初めて見たのは1967年(昭和42年)の春だった。横河電機が開発した集中型DDCDirect Digital Control;コンピュータによるプラント直接制御装置)YODIC-500の試作実験機(32入力・16出力)を和歌山工場の実プラントに装着して実用評価を行っていた時のことである。集中型とは1台のコンピュータで多数の入出力(温度、圧力、流量)を処理・制御するもので故障は致命的だ。メモリーチップは出現しておらず、極小鉄製リングの中に導線を通したコアメモリー(わずか16k!)が記憶装置、中枢部は軍事システム同様二重化され、ここは高価な米国製ICチップで構成されていた。ある時この二重化装置の片側に異常が生じた。他方は生きていたのでプラント運転に支障は無かったが、横河から開発部隊がやってきて、その原因が一つのチップにあることを突き止めた。彼等はこの故障ICを分解、さらに原因究明を続け、内部の極細配線(金線)断線がその根源であることを突き止め、そのチップを残していった。部長・課長・関係者にこれを見せて説明、トラブルを奇禍として二重化を売込み、商用機3システム同時採用への道を開いた。この世界にもまれなDDC専用機は更に性能を向上させて600型に発展、1970年川崎工場の新設複合プラントに採用、二度の石油危機では省エネルギー・収率向上に威力を発揮、1990年代初期まで順調に稼働を続けた。しかし、この間のIC性能向上と価格低下は著しく、1970年代後半に入ると分散型DDC(メモリーもIC化され制御点1点ごとのデジタル制御が可能、危険分散が複雑な構成をせずとも実現、かつ相互に通信して高度制御を行える。米国ハネウェル社が先行)が出現。プラントデジタル制御の主流となってゆく。このデジタル制御環境激変は後述の“ムーアの法則”によってもたらされたものである。

本書はトランジスタから発するIC70年におよぶ軌跡を、IC本体のみならず、役割と規模の変化、製造装置開発、需給動向、製造販売に関わる人と企業、国家におけるIC施策など、ICのすべてをA5550頁で詳述する、壮大な叙事詩と言える内容だ。

本年394歳で逝ったICビジネス始祖の一人ゴードン・ムーアは1965年「IC上の素子数は年々2倍で増加する」と予想した。これが「ムーアの法則」である。1975年「年ごとを2年ごと」に修正するものの半導体業界はこの予測通りに成長、短いライフサイクルは設計製造技術から用途開拓、販売政策、果ては国策まであらゆる活動に影響を与え、人・企業・国を巻き込んだ多種多様な戦いが展開されてきたのだ。

IC発明者・特許争いがテキサスインスツルメント社(TI)のジャック・キルビー(2000年ノーベル物理学賞)とフェアチャイルド社(FC)のロバート・ノイス(1990年急逝したがもし生存していたらキルビーと共同受賞したと言われる)の間で起こる。官需(軍、宇宙)優先だったTI社と民需市場開拓に先鞭をつけたFCのその後(1968年官・民が並びあとは民需が圧倒)。FCを飛び出したムーア、ノイス、アンディ・グローブが設立したインテル社の戦略転換(日本に敗れたメモリーチップからCPUチップへ。これには日本の電卓メーカー、ビジコンが寄与)。米国企業は短い製品ライフサイクルとそれに応ずる設備投資や人件費で経営に行き詰まり、工場を海外(香港、マレーシア、シンガポール、台湾、韓国))に移し、生産技術が空洞化していく。

高品質を売り物に一時期勝者(主としてメモリーチップ)となった日本が、瞬く間に転落していく姿も8部構成の1部(日本の台頭)として詳しく語られる。通産・電電が主導した超LSI技術研究組合、補助金や金融政策(日米金利差)、日立・三菱電機が摘発されたIBMスパイ事件、さらに盛田・石原に依る「「NO」といえる日本」までがIC基軸国家を自認する米国を苛立たせ、日米半導体戦争を惹起、「敵の敵は味方」の発想で米韓連合が形成されていく。最大の敗因はPCの爆発的普及を読めなかったことと著者は見る。それでも17%のチップ(ソニーのイメージ・センサーのような特化チップに強み)は我が国で生産され、先進製造装置(必ずしも同じ商品ではない)5社の内1社は東京エレクトロン、他は米3社、オランダ1社(注)。また、ソフトバンクが株式保有する英IC設計開発会社アーム社を日本と関連付けて語っている。

現在の生産主力は、韓国サムソン社とSKハイニックス社(メモリー中心に両社で44%)、それに台湾のTSMC社の3社。特にTSMCiPhone用を含むCPU生産も手掛けており、世界の計算能力(測定法不明)の37%を担っている。これはTSMCが自ら独自製品の設計生産を行わないと明言・実行してきたことで、多くのファブレス(工場無し)米企業を惹きつけた結果である。因みに、創業者モリス・チャンはTI社経営陣の一角を占めた中国本土系米人である(とは言っても1931年生れ、1948年に渡米帰化)。

世界貿易額でも原油取引を超える規模にまで達しているIC、本書の中で冷戦時代のソ連によるスパイ・コピーが「ムーアの法則」で追いつくことができず、ついにソ連版シリコンバレーが消滅する話も取り上げられている。米中覇権争い最大の課題がIC、その帰趨を決しかねない台湾、半導体戦争が熱い戦争に転じる可能性なきにしも非ずだ。

著者は1987年生れ、ハーバード大(学士)、イェール大(博士)で学んだ歴史学専攻の学者。外交関連のシンクタンク勤務などを経て現在タフツ大学准教授。

2007年まで関わったICTビジネス、読みながら半導体史の中の身近な体験を回想することになった。参考・引用文献リスト、索引が充実しており半導体事典的な価値も認められる一冊だ。

 

(注);オランダの1社はASLM社、フィリップス社からスピンオフした企業。「ムーアの法則」のカギを握るのはリソグラフィ装置。これはシリコンウェハー上の微細加工を行うもので、その微細度を上げることでより高密度のチップが生産できる。基本的には光学の世界で最新は極端紫外線(EUV)を利用し13.5ナノメータまで達している。この装置の原理は米国ローレンス・リバモア国立研究所が生み出したものだが、商用機開発を担ったのがASLM社。この商用化には20年の歳月と数百億ドルの費用(すべてがASLM負担ではなく、ICメーカーも出資)を要している。193ナノメータ―まではニコン、キャノンがASLMと覇を競っていたが、日本の二社はこれに踏み込むことはしなかった。価格は1億ドル以上、史上最高価格の工作機械と言われる。EUVシェアーは100%、半導体製造装置出荷額トップの座にある。因みに、光学技術は独カール・ツァイス社、レーザー装置も独工作機械メーカーが提供、生産は買収した米国企業の工場(シリコンバレー)で行われている。サムソン、TSMC、インテルには導入されているが、当然中国へは禁輸。

 

3)潜艦U-511の運命

-三国同盟の知られざる実務組織軍事委員会、ベルリン駐在の我が国首席委員が明かす独最高部の戦争観-

 


太平洋戦争(大東亜戦争)開戦に至る過程には節目となる事件や外交上の政策決定がある。代表的なものとして、満州事変(19319月)、上海事変(第一次;19321月、第二次;19378月)、仏印進駐(北部;19409月、南部;19417月)、それに日独伊三国同盟締結(19409月)があげられ、この流れの先にハル・ノート(194111月)、そして1941128日の開戦となる。この内、三国同盟とハル・ノート以外はすべて軍事行動だし、ハル・ノートは事実上の最後通牒(解釈は種々あるが)、節目として分かりやすい。分かりにくいのは三国同盟、“(対ソ)防共”という共通因子があったとはいえ、西欧と極東の距離は経済・軍事における実効を希薄なものとする。事実当時の国内世論や政治もこの同盟に疑問を投げかけ、強硬な反対論もあった。三国の力を強めるよりも、日独伊と対峙しアジアに植民地を持つ国々の反枢軸紐帯を強化した、とする見方が客観的同盟評価といえる。しかし、この史観を変えるわけではないが、同盟には単なるプロパガンダに留まらない、具体的機能が在ったのだ。それは“軍事委員会”の存在、著者はその日本側首席委員を務めた人物。タイトルのU-511 に惹かれUボート戦闘航海記と思い求めたところまるで見当違い、日独軍事協力が主題であった。

本書の構成は「潜艦U-511の運命」(1956年読売新聞社刊)、「東條内閣崩壊の真相」(1950年サンデー毎日掲載)、「自叙 八十八年の回顧」(1974年私家版)の三部から成り、既刊のものを文庫本としてまとめ、復刻したものである。タイトルからも分かるように、後2著は補足程度の内容である。

とにかく著者の経歴を見て驚天動地。1885年(明治18年)鹿児島県生れ、海軍兵学校35期(因みに山本五十六は32期)、海軍大学校次席卒業、ドイツ駐在海軍武官(大佐)、航空母艦加賀艦長、潜水学校長、連合艦隊参謀長(少将)、軍令部第3部長、を経た後1940年三国同盟軍事委員首席(中将)、帰国後呉鎮守府長官(大将)、東條内閣海軍大臣、横須賀鎮守府長官、終戦後公職追放のみで戦犯になっていない。197788歳で没。野村海軍大将と言えば開戦時の駐米大使野村吉三郎(26期)しか思い浮かばないから、著者名を見た時には潜水艦乗りかノンフィクション作家と勘違いした。東條内閣海相を務めながら戦犯にならなかったのは内閣解散直前嶋田繁太郎海相が辞任、3日間の海相に過ぎず、開戦と関係していなかったからだ。

こんな大物ながら名も知らなかっただけに、出版後年月を経ているにもかかわらず、情報鮮度は極めて高かった。特に、1940年渡独から43年帰国までの戦中におけるドイツ政治・軍事事情のそれが顕著だ。

既に西方戦線は独制圧で終わっている194012月中旬東京出立、シベリア鉄道経由で19411月初旬入独、この旅で独ソ関係の緊張を感じ取る。6月独ソ戦開戦、12月大東亜戦争開戦。真の世界大戦の幕開けが赴任の年に起こる。帰国は1943724日東京着となるが、そのルートは510日ロリアン(仏)のUボート基地から独潜水艦U-511で発ち大西洋を南下、喜望峰を廻りインド洋を横断、716日マレー半島のペナン海軍基地(潜水艦)に到着、そこから空路となる。本書のタイトルはこの2カ月半におよぶ58歳の老将が軍医一人同行で決行した航海からきており、その航海記も読みごたえのある内容だが、紙数の過半は欧州戦線に割かれている。

独側首席はグロス海軍大将、しかしフリッケ作戦部長(中将)との情報交換の機会も多い、またエリッヒ・レーダー海軍長官(元帥)とも親しく付き合っている(原書の序は戦後生き残った彼から寄せられている)。また、日本側軍事委員には陸軍の坂西中将も居るし、ヒトラーの覚え目出度い大島浩大使は陸軍出身、ヒトラーの参謀長カイテル元帥やヨードル大本営作戦部長(大将)とも会談、陸戦に関する高レベルの意見交換も行っている。軍事委員としてのいくつかの活動を紹介すると;

・仏を休戦に追い込んだ後英国上陸作戦を企図する独海軍から、用意された大量の上陸用舟艇(と言っても本格的な専用舟艇ではなく河川用バージ、艀の類)視察を求められ、その可否を問われる。「英仏海峡の横断・敵前上陸は無理」と助言。これは結果としてその通りになる。

・独ソ戦開戦前、日中戦争泥沼化を例に、「独ソ戦に踏み切るべきでない」と警告を発するが、「もう避けられない」「短期に片付く」と聴く耳を持たない。著者の帰国時既にスターリングラード攻防戦に敗れ、独ソ戦は守勢にまわる。

・日米開戦直後三国協同作戦に関する軍事協定を締結せよとの訓令が東京から届く。それによると「日本は東経70度線(カラチ・ボンベイの中間点)以東の海域、独伊は以西の海域の敵側軍事根拠地、艦船航空機等を撃滅すること(境界点は臨機応変に変更可)」とある。これに対し「事実上独伊海軍に依る印度洋進出不可」と伝えるもこの線で協定成立。独海軍はアフリカ東岸での連合国兵站線(対中東・北アフリカ、対ソ連)遮断を日本海軍に強く求めてくる。これに対する回答の曖昧さや実行動(対ビルマ援蒋ルート重視で小規模)が独の不満を募らせ、協同作戦は事実上行われない。

・気になったことにベルリン・東京間の通信方法がある。大島大使の独情報が解読されており(暗号名;パープルあるいはマジック)、最も利用価値のあるものと、チャーチルも含め多くの戦史家が戦後述べている。著者も盛んに本国と電報を交わしているが、機密保持はどうだったのか? 危険を冒して国際電話を利用したことも書かれている(別途調査によれば薩摩弁だった由)。

帰国に際してヒトラーは著者をベルヒスガーデンの山荘(大本営の一つ)に招き、茶会を催しムッソリーニと同格の勲章を与えている。その席にはカイテル元帥、リッペントロップ外相も同席、当に最高級のVIP待遇である。戦時中在独日本人依る欧州状況報告で既読のものは航空技術者佐貫亦男(民間企業社員、戦後東大航空学科教授)のエッセイばかりだったので、軍・政中枢部と直接コンタクトしていた著者の回顧録はそれとはまるで異なる内容、昭和史理解に新たな知識をもたらしてくれた。

 

蛇足;U-511U-512とともにヒトラーから日本への寄贈品。511号は独乗組員で回航、512号は日本海軍がそれを行うことになっていた。あとから出発した512号はビスケー湾で消息を絶っている。511号はペナンのあと呉まで無事に達し、同地で研究に供せられるが空爆で沈没。艦長以下はそれ以前ペナンに戻り、ここを基地に印度洋作戦中不明となっている。

 

4)敗者としての東京

-徳川幕府開府、明治維新そして終戦、江戸・東京が被った三度の敗戦、敗者は如何に生き残り、創造者に転じたか-

 


所帯を持った1970年来現在まで横浜中心の神奈川県民を半世紀以上続けている。それに比べ都民生活は39カ月に過ぎない。しかし、小学校6年生から大学卒業まで学校生活は12年間におよんだし、職場も1981年から引退する2007年まで都内、従って土地勘もあり知人・友人も多く、心情的には東京がふるさとだ。その愛着ある東京が“敗者”とは如何なることか?“敗者”に釣られて本書を紐解いた。

帯に「家康、薩長、そして米軍に「占領」されてきた江戸=東京」とある。「なるほど、そういう視点か」と中身を推察、勝者・敗者のあれこれが面白おかしく語られるのを期待したが、そんな単純なストーリー展開ではなかった。続く「その歴史的地層に堆積する「敗者たち」の記憶を掘り起こし」に一層深い意味があるのだ。つまり、都市としての江戸・東京以上にそこに住む人々、特に各時代における下層社会に焦点を当て、一見敗者と見える彼らが如何に時代の変化に応じ、しぶとく生き抜いてきたかを論ずるのが本書の骨子なのだ。

著者は1957年生れ、東大情報学環大学院教授、専門は社会学・都市論。従って、内容は本格的な社会学研究の一端を一般向けに書き下ろしたもの、決して軽い読み物ではない。

家康の東国支配は1590年秀吉による本拠地三河・遠江・駿河・甲斐から関⒏州への移封から始まるのだが、古代この地方は現在の埼玉・茨城辺りまで海が複雑に入込み多島海を形成していた。先住民はその頃から居り、半島からの渡来民と混血が進み、下って平将門や源頼朝など本来京に在った為政者に征服される。辺境である東国が彼らを惹きつけたのは、広大な平地を利用できる農地や放牧地、多数の河川と複雑な海岸線・島による水利・水運の便、豊富な鉱物資源による。ここから伝統的な農民社会とは異なる種々の職業が生まれ発展していく。徳川時代敗者として取り上げられるのは、武士は無論、農民、町衆(主に商人)でもない制外民(戸籍が無い)と呼ばれる人々。職人系・芸能系・運送業などがそれらだ。彼らは下層民(つまり敗者)と蔑まれながら、江戸を大都会にするために欠かせぬ存在であったことを説く。例えば、上下水道の整備や塩田開発(水と塩)あるいは運河開削(大量輸送)は彼らによって達せられたのだ。

第二の敗戦は明治維新。勝者は薩長、敗者は幕臣・佐幕派。“官軍”や“錦の御旗”が如何にまがい物であったかを詳らかにし、“官軍”の暴虐ぶり(上野戦争、会津戦争)を生々しく描いて、敗者のその後を追う。ここでは、大混乱に依る無宿人の急増、これと同期する博徒の増殖、東京の貧民窟の所在やそこに住む人々の背景(前職)や職業(現職)・生活を概観するとともに、工業振興に依る影響を見てゆく。例えば、女工哀史の実態、被害者イメージばかりが語られるが、そこから我が国の本格的労働運動が発したことも見逃せない。敗者ゆえの新たな生き方が生まれるのだ。

第三は1945年の敗戦。勝者は米軍、敗者は日本全体だが東京の変化は際立っている。闇市とヤクザは混乱する大都会の象徴、平時であれば敗者である彼等の世界を深耕、そのタフな生き方から復興の力を見つけ出そうとする。この際著者が取るのは近景。それまで高所から俯瞰してきた視座を身近なところに据える。つまり親族の終戦直後を語るのだ。渋谷を中心にしたヤクザ安藤昇は祖母の妹の子(著者の母の従弟)。その祖母は1920年代夫婦で米国に移民、母はニューヨークで生まれている。排日移民法、大恐慌、祖母夫妻は母と兄を連れて日本に戻りその後離婚。戦前祖父と伴にソウルにわたった兄妹(著者の叔父と母)は終戦後引揚、祖母と伴に東大久保に住むことになる。それに安藤の話が絡む。ここにも敗者であるにもかかわらず厳しい生活環境下でしたたかに生きる人々が居たのだ(若く後発のヤクザゆえ、盛り場としては新開地の渋谷に目を付け、のし上がっていく)。

三度にわたる江戸・東京の敗戦、その下での敗者。しかし、そこに著者は「敗者を生き抜く創造性」を共通因子として見出し、「“敗者”をネガティヴなもの、否定的で失われていくだけのものとは考えていません。その逆で<敗者から眺める>ことこそが、東京の<未来>につながると考えています」と結ぶ。

先にも書いたように、主題は一見身近だが社会学研究報告に近い内容。勢いを失っている今の日本が活力を取り戻すには<敗者から眺める>という姿勢が何かヒントを与えてくれるような気もする。古今東西の“敗者論”が随所で引用され点も歯ごたえがあった。

 

5)誰が国家を殺すのか

-地中海歴史小説第一人者による衆愚政に毒されつつある民主政への警告エッセイ、健筆老いてますます盛ん-

 


同年代知名人の活躍は何かと気になるものだ。特に±2歳、つまり中学・高校なら同時期在校の可能性のある人物には近しさを感じる。若い時はスポーツ・芸能関係、次いで囲碁・将棋の世界、やがて作家や学者、中年以降になると経済人や政治家などにその対象が広がって行く。私の場合、高校以来ファンなのが王貞治(2学年下)、ガチガチのアンティ巨人だが王だけは別、いまだソフトバンク球団の取締役会長として活躍しているのはご同慶の至りだ。40代で知った著者は1学年上、1983年刊行された「コンスタンティノープル陥落」から始まり「ロードス島攻防記」「レパントの海戦」に至る戦記?歴史小説3部作ですっかり惹きこまれ、「ローマ人の物語」は文庫本全43巻を読破した。1歳上であるにもかかわらず依然現役で健筆をふるっている。本書は月刊文芸春秋の巻頭エッセイをまとめた“日本人へ”の最新版、第5巻目(20171月号~20221月号48話+2話)である。

個々の話の題目はともかく、エッセイ集としてのタイトル“日本人へ”は自身の発案ではなく編集者が決めたと前書きある。多分“国を殺すのはだれか”も同様だろう。そんなタイトルの話はどこにもない。ただ、このエッセイが本来親しい友人への私信(手紙)であり、そこにイタリアの政治情勢がしばしば取り上げられ、各政党のいい加減な主張・言動を歯に衣着せずズバッと批判し、これがイタリアに限らず我が国や他国にも重なる点が多々あるところから、編集者がこんなタイトルを思いついたと推察できる。

少し古い話だが、20183月に投票が行われたイタリア総選挙。得票率1位は「五つ星」(33%)、2位は「北部同盟」(17%)。「五つ星」は失業者一人に月日本円で約10万円支給を公約にする。これが失業率の高い南イタリアの票をがっさりさらう。一方「北部同盟」は、40%の税を一律15%に減ずることを公約に掲げる。「貧しい南部のために割高になっている税金を減ずる」との主張は豊かな企業主が多い北部の票を集めた。両者とも財源は全く考慮せずこんな選挙対策で戦った結果である。そしてこともあろうかこの両党が連立を組んでしまうのだ!ポピュリズム(人気集め)では我慢できない!当に「衆愚政」以外の何物でもない!国を殺すのはこの衆愚なのである。

この話は別のテーマで日本にも及ぶ。2017年の都議会選挙で躍進した小池知事主導の「都民ファースト」。この勢いを「希望の党」に託し小池知事は国政への関与を匂わせる。「五つ星」は既成勢力壊滅を唱える抗議運動、リーダーは人気コメディアン、彼の人気が公約以外のもう一つの集票要因。しかし、彼自身は立候補せず外から政権を動かそうとする。院政だ。小池知事の言動はこれと同類の行為と難じ、大衆人気に頼る最近の民主政に警鐘を鳴らす。

話題は政治ばかりではない。コロナ対策の日伊比較から、国民性、外交・安全保障、難民移民問題、宗教、人物評、出版業の楽屋話まで、その時々の社会時評を歯切れよく展開、老いてますます盛んな内容満載である。

楽屋話は「こんな人気作家でも!」と出版界が厳しいことを教えられた。例えば、かつては初刷り千部が今は4百部になり(本当にこんなに少ないんだろうか?)、2刷も及び腰。文庫本の値段を千円以下に抑えたいがそれが難しくなっていること、時代を感じ取ってもらうためにはカラー写真や地図が欠かせないが、これも経費削減で制約の多いこと、などがそれらだ。また、スマフォもPCも扱えないため日伊間のリモートワークには息子の手を借りていること、著者作品の読者は今や日本より中国の方が多いということ、に驚かされた。

エッセイと異なる2編は、「ローマでの“大患”」と「後書きに代えて-二人の有名人の死を見ての感想」。前者は、足の骨折でヴァチカンの病院に入院、漱石の“修善寺大患”をなぞりながらの闘病記だが教皇御用達の超高級病院(健保も効くが著者は500万円近い入院費を前払いで個室に入る)の様子をうかがえる。後者は安倍元首相とエリザベス女王の死に関する短い追悼文である。

雑誌掲載の巻頭エッセイ故いずれの話も新書5頁程度の長さだが、期待通り寸鉄人を刺す小気味いい読後感を味わえた。

 

6)画家とモデル

-名画の裏にある画家とモデルの深淵な関わり、人物画鑑賞に新たな視点を与えてくれる-

 


1990年代異業種交流の場で知り合い、元は損保会社の広報マンだが、今では美術界振興(特に若手育成)に専心している友人が居る。彼がこの世界に入った動機は自宅購入にあり、マンションの白壁に彩を添えることにあった。爾来集めた絵画は、ホームページやフェースブック(FB)から推定するとおそらく千点は超え、コレクターとしても著名人になっている。収集対象は購入時無名の作家がほとんどだが、今では手が出ないほどの高価な作品もあるようだ。引退後は銀座の由緒あるビルに隠れ家を設え、毎日ここに出勤?画廊巡りと作品紹介に励んでいる。その活動をFBで見ていると写真もどきの細密画からデフォルメされたものまで、圧倒的に人物画が多い。私の好みは専ら風景画、次いで静物、最後に人物となる。人物画は他に比べ幅も奥行きもある。それは分かるのだが、画家の思いやモデルの資質が強く表れやすい。これで好き嫌いが分かれるし、見ていて心和むものとは限らない。そんなわけで人物画を敬遠してきた。ただ、世界の有名美術館の代表展示作品は、ルーヴルのモナリザを始め、人物画が中心だ。少し人物画に関心を向けてみよう。これが購読の動機である。

著者は生年不詳だが、紹介にはドイツ文学者とある。既刊書をみると絵画関係(例えば「怖い絵」)を除けば西洋史に関するものが多い。いわゆる美術評論家ではないことに本書の特色が表われている。つまり、“感性”“技法”中心の解説に留まっていないのだ。描かれた社会・生活環境(階級制度、ユダヤ人迫害、ロシア革命など)、そこにおける画家・モデルの立ち位置・振舞い、両者の関係(これは他の解説でもよく語られるところだが、同一モデル同一画家の時を経た異なる絵の論評、スポンサーのモデルに対する想いの変化、には著者独自の見解が示される)、描かれた当時と現代の評価比較(例えば、LGBT問題)など、歴史的・社会的視点からの考察にひときわ力点が置かれている。

取り上げられる画家は18人。時代は15世紀(ピエロ・デラ・フランチェスカ)から21世紀(アンドリュー・ワイエス)まで幅広く、よく知られたところでは、ゴヤ、ベラスケス、ロートレック、シャガール、モリディアーニ、クラーナハ、レンブラント、ワイエスなど。女性画家も3人いる。モデルは一人もあれば複数人の時もある。描かれるのは本人像が多いものの聖人や君主に擬せられることもある。クラーナハのモデルはマルチン・ルター、免罪符拒否に立ち上がる壮年期から死の床まで、一人を何度も取り上げ、年齢に依る変化を見せる。また、変わったところでは小人や多毛症(こんな病気があることを初めて知った。狼男伝説はこれに基づく、極めて珍しいことから君主や貴族のペットに近い扱いを受ける)の少女など肉体的・社会的ハンディキャップ持つ者もいる。過半の作品はルーヴル、メトロポリタン、ボストン、プラド、NY近代美術館等で観られるが、個人蔵のものも少なくいない。解説の中心は画家の生い立ちやその後の人生だが、その語り口に西洋史研究者の蘊蓄が傾けられ、そこが読みどころとなっている。予想通りだが男性画家と女性モデル(母、姉妹、愛人、スポンサーの親族;夫人から下女まで)の関係は多彩だ。モデルの数が愛人の数と言われるモディリアーニが悪辣な画商に騙され死後その価値が急騰する話は映画「モンパルナスの灯」で知っていたが、レンブラントの隆盛(引きも切らない肖像画注文、莫大な資産形成)とそこからの転落(浪費の末の貧民街での末路、家政婦でモデルでもあったヘンドリッキエに私生児を生ませ、彼女とその息子がこの極貧時代を支える)は初めて聞いた話である。そんなに落ちぶれても画質は落ちなかったとのこと。いま、世界を代表する美術館が保有・展示するのも、うべなるかなである。

文庫本だがカラー印刷は良質で、著者の解説意図が視覚的にもよく理解できる仕上がりになっている。本書を読み、有名画家の人物画作品の楽しみ方は学んだものの、無名作家に依る背景不明モデルの人物画を如何に鑑賞すべきか、これは依然として残された課題である。「見た瞬間に何か心惹かれる」こんなところなのだろうか?

 

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