2017年9月30日土曜日

今月の本棚-109(2017年9月分)


<今月読んだ本>
1) シニア一人旅-アジア編-(下川裕治):平凡社(文庫)
2)国家安全保障の諸問題(飯田耕司):三恵社
3)晩夏の墜落(上、下)(ノア・ホーリー):早川書房(文庫)
4Mr.トルネード(藤田哲也):文藝春秋社
5)そろそろ、人工知能の真実を話そう(ジャン=ガブリエル・ガナシア):早川書房
6EasternisationGideon Rachman):Random House

<愚評昧説>
1)シニア一人旅-アジア編-
60歳を超すベテランバックパッカーが書いた、シニア向け東南アジアガイド-

現役時代二度(1982年と91年)ばかり業界・学会の海外研修団に参加したことがある。いわゆるアゴ・アシ付きである。いつも海外出張は一人か二人で出かけることが多かったので「こんな楽な海外旅行もあるのだ!引退したらこれで行こう!」と魅せられた。なかなかそのチャンスはなかったが、2013年フランス、2015年スペインと添乗員付きツアーに参加した。確かに年寄りには楽であったし、言葉の不自由を感じることもほとんどはなく、見所巡りの効率は極めてよく、費用も個人で出かけるよりはるかに安かった。しかし何か物足りなさが残る旅だった。
このところ出かけたいヨーロッパ諸国は物騒なこともあって、昨年は近場の台湾を選び、鉄道一周旅行を行った。切符と宿泊先の手配だけは国内で行い、あとは完全に個人旅行だった。費用はツアーの2倍近くかかり、後半天候不順などで何度か観光に難儀したが、満足度はツアーとは比べものにならなかった。私の海外旅行の大きな楽しみの一つが、計画すること自身とそれが計画通りいかないことの“意外性”にあることを、改めて確認する結果になった。“物足りなさ”の原因はここに在ったのだ。家内にとっては迷惑なことかもしれないが・・・。
この台湾旅行で最も頼りにしたのが本書著者による「週末台湾でちょっと一息」である。なかなか書かれた通りにはいかなかったが、滲み出る雰囲気はかなり味わえた感じがしている。本欄でも何度か取り上げたように、いつも目線をその土地の人々に合わせて、衒いも誇張もなく、あるがままに感じるままに率直に記すその筆致は、同じ旅を出来るかどうかはともかく、極上の旅行案内書と常日頃思っている。その著者が“シニア一人旅”を出したからには読まずにいられない。学生時代からのバックパッカーも60歳代半ばに達し、若い頃とは違う、それ相応の旅をしている姿を窺い、参考にしたかったからである。
取り上げられている国は;中国・香港・台湾・韓国・タイ・ベトナム・カンボジャ・ラオス・ミャンマーの9ヵ国。材料は旅行記に必須の、入出国・交通・宿泊・食事(酒)・治安、それに少々の観光、いずれも社会と人を中心に、下川節で語られる。中心話題は各国まちまちで、書き方も統一されているわけではないし、取材時期も異なっている(既刊の内容を流用しているところもある)。その意味で9話は独立しているのだが、私にとって出かけることのないと思われる国での話でも、どこかで役に立ちそうで、全話通して読むことによって、外国旅行のノウハウを学び取るヒントが多々内在している。例えば、日本人にとって未知の陸路で国境を超えるときの手続き・交通などは、出たとこ勝負ではいかない恐れもあるが、本書をしっかり読んで、準備していけば何とかなりそうな気がしてくる。また、高齢者バックパッカーの倹約旅には、経済的なことばかり優先せず、怪我や病気への配慮や一人の時間を有意義に過ごせる環境の確保などシニアなりの要件がある。この辺りは著者の加齢経験を生かした、自身の変化も紹介され、他の旅行記・ガイドには無い、貴重な情報源と言える(例えば、最近はやりのLCC(格安航空)は制約が多く、状況によって在来航空会社のバーゲンの方が安いこともあり、これに切り替えていること)。
今回取り上げたれた国で、私がまだ出かけたことのない所は、ベトナム、ラオス、ミャンマーの3ヵ国。本書を読んでベトナム旅行がしたくなった。できれば鉄道かバスで。長距離バス移動中の、乗客が一つのテーブルを囲んで摂る食事シーンがいかにも楽しそうだし、フランスの影響を受けた現地ベトナム料理(フォーを含め)はなかなかのもののようだ。
実際に実行できるかどうかはともかく、この本を読んでいる時は至福の時間であった。

2)国家安全保障の諸問題
-退役海上自衛官が明かす我が国国家安全保障の現状 「このままでは危ない!」-

隣国北朝鮮のミサイル・水爆が目下世界を揺るがす大問題になってきている。他国と違い拉致問題も抱える我が国は、もっと早くからこの国に対して、ただ「圧力を高めよ」と遠吠えするばかりでなく、何ら有効な手が打てなかったのかともどかしさを痛感する。無論短絡的に核兵器を持つべきだと言うことではない。急速な経済成長を基に膨張政策に余念のない中国、北方四島問題に誠実に対応しようとしないロシア、反日を政権存立の拠りどころとする韓国、国際テロの波及など、国を取り巻く国家安全保障環境は日ましに厳しさを増してきているのに、いまだに独自の政策を持てない現状に対してである。
本書は私の友人(若干年長)で元海上自衛官が、現役時代(海自OR分析幕僚、防衛大学校OR教官;工博・教授)も含めて長年にわたって書き綴ってきた、論文・教材・寄稿・主張を題記の趣旨に沿う形で再編集・体系化した著書である。構成は大きく前編、後編の2部に分かれ、前編の第一編で全体を俯瞰してまとめ、前編24編で現憲法成立に至る占領軍政策(民主党リベラルを背景とする超理想主義)とそれに大きく影響された「戦後レジーム」による内なる脅威、および周辺国(特に中国)の軍事力や戦略、それに基づく行動について詳述し、我が国国家安全保障に関する問題点を、主として社会面・政治面から明らかにする。ここでは何といっても、専門家としての周辺国軍事情勢の分析、それに憲法の成立過程と占領軍の意図が見事に刷り込まれて行く“平和ボケ”への過程、異形な軍事アレルギーが読みどころとなる(例えば、専門家として当然の行為である有事研究が政治問題化し幕僚会議議長が退任させられるような事態)。後編59編は、前編の社会・政治環境を踏まえ、直接的な脅威である軍事面から今後の我が国戦略や危機管理の在り方に論考を掘り下げ、それに資する具体的な軍事OR適用経緯、現状の問題点(軍事作戦の細部よりは内局の予算編成などに偏重、OR専攻学生数の低下など)に触れて、合理的発想を持つ国防軍建設への私案を披歴する。この軍事ORの詳細は、捜索理論・射撃理論・交戦理論など具体的事例を交えて解説され、一般OR学術論文には決して現れない(これもある意味“戦後レジーム”の影響)、興味深い内容のものである。この部分や自衛隊におけるOR組織に関する記述はOBだからこそ許されるものではなかろうか。その意味で、軍事ORと経営における数理利用促進を関連付けてその積極展開促進に役立てたいと考える私にとって、得難い情報満載であった。
先にも述べたように本書は数多く著者が書いてきたものの集大成である。それ故に重複するとことも多いのだが、論旨は、日本の国家像は?→そのための国体の在り方は?→憲法は?→広義の国家戦略は?→国家安全保障策は?→国防力の具体像は?→軍事組織の運用は?→そこでのORは?と展開していく。私自身憲法改定(安全保障のみならず、天皇制;象徴ではなく国家元首、改正手続き;状況に応じて改編しやすくする、などを含む)は必要と考えているし、自衛隊の国防軍への改編にも賛成である。しかし、この本を読むまで、国の在り方について熟考したことは無かった。その意味で、前編第2編“日本を取り戻す道「日本国憲法」の改正に関する私見(「水戸史学」誌寄稿論文)”、は天皇制から説き起こすもので、内容への賛否はともかく、国会はもとより有意の国民が侃々諤々議論すべきテーマ、と覚醒された次第である。憲法9条に少々手を加えて済まそうなどは姑息な手段との感が読後に沸々とわいてきた。
本書は一般書店の店頭には置いていないがAmazonで容易に入手できる。

3)晩夏の墜落
-プライヴェートジェット機事故で九死に一生得た画家に降りかかる数々の災難-

製造業は大別すると組立加工業と装置工業に分けられる。私が働いてきたのは石油精製・石油化学業で典型的な装置工業の一つである。ここではしばしば生産活動を“運転”と呼ぶ。プラント運転には交通機関に近い感覚があるのだ。飛行機好きだった私にとって、自分を取り巻く仕事を飛行機と関連付けることは、ごく自然な流れだった。フィクション、ノンフィクションに関わらず、航空サスペンスや航空事故に関する本を目にすると直ぐに手に取ってしまう。それがいかに実務に役立ったことか。今は遠い世界だが“スズメ百まで踊り忘れず”。本書も“墜落”に惹かれて読むことになった。
題名から航空サスペンス小説と受け取った。ストーリーの核心に墜落事故原因究明が置かれているから一応看板に偽りはない。しかし、技術的なことは全くと言っていいほど出てこない。これは大いなる誤算であった。実態はむしろ社会サスペンス小説、米国の金融業界やメディアが抱える社会問題を、航空事故を材料に展開していく内容である。
マサチューセッツ州ケープコッドの南に在るマーサーズ・ヴィンヤード島を夕刻離陸したプライヴェートチャータージェット機がロングアイランドのモントーク沖で墜落する。乗客はこの機の雇い主デイヴィッドと家族(妻、11歳の女の子、4歳の男児)、ボディーガード、デイヴィッドの友人夫妻、それに妻が最近知り合った中年の画家スコットの8名。乗員は機長、副操縦士、客室乗務員の3人。画家と4歳の男児だけが生き残る。暗黒の海を子供を連れて何時間も泳いで、何とかモントークビーチにたどり着く。病院に収容され回復した画家は一躍英雄扱いだ。しかし、大人で唯一生き残った彼に対して、必ずしも原因解明を進める者たちは、好意的ではない。最も冷静に対応してくれるのは黒人の国家運輸安全委員会の事故調査官、彼は専ら技術的な視点から事故をとらえる立場だからだ。しかし、テロや犯罪を疑うFBI捜査官、それに財務省の調査官まで捜査に加わっている。デイヴィッドの友人は金融業で成功しているが、マネーロンダリングの嫌疑がかかっていたからだ。二人はスコットが何かを知っていると、犯罪者に接するような態度を見せる。しかし、それ以上にスコットを英雄の座から引き下ろしたいと画策する男が居る。反エリート主義で悪口雑言を売り物にする保守系ニュース局ALCのアンカーマン(メインキャスター)ビルである。そして墜死したデイヴィッドはALCの創業者、最近のビルの違法な情報収集や世論を煽るやり方を苦々しく思っており、処分の可能性をにおわせていた。機体発見に手間取る間にこれら登場人物たちが繰り広げる、主導権争いと野心、莫大な財産の相続人となった幼児を巡る疑心暗鬼、ニュースバリューアップを目論む陰湿な印象操作、長く売れなかったスコットが注目されきっかけになる(各種の事故をテーマにした)最近の作品に対する疑惑などが、スコットの英雄像を崩し、貶める深みに追い込んでいく。やっと発見された機体の一部、コックピットと客室を隔てるドアーには弾痕が残されていた。誰が何のために・・・。
映画はともかく、米国の社会サスペンス小説を読んだ記憶はないが、メディアの悪役登場には、トランプ大統領とリベラルメディア(特にCNN)の関係を反転させたような感じさえ過ぎり、激しい競争下にあるメディアの現実を垣間見る面白味があった。
解説によれば著者はテレビドラマ業界の売れっ子(製作・脚本)とのこと。フィクションはまだ多くないようだが、本書でアメリカ探偵作家クラブ最優秀長編賞(エドガー・アラン・ポー賞)を受賞したところを見ると、作家としての才能も一流。今後の活躍が楽しみである。

4Mr.トルネード
-未知の飛行機事故原因を解明した世界的竜巻学者波乱の生涯-

今年も台風来襲が早くからあり、各地で風水害が多発、月初には台風18号がほぼ日本列島を縦断した。神戸・阪神・淡路、東日本、熊本と大地震もたびたび起こっているし、火山噴火も雲仙普賢岳や御嶽山の悲惨な記憶が忘れられない。言わば自然災害列島の上に我々は暮らしていると言っていい。さらに、この10年位前まであまり大きな被害がなかった竜巻(トルネード)がニュースになることが多くなってきたような気がする。あんなものはアメリカ(本書によれば、実際全世界の竜巻の23は米国で発生する)やロシアのような広大な平原地帯で発生するものとばかり思っていたのだが、これも地球温暖化と関係があるのだろうか?本書を目にしたときまず浮かんだのはこの“地球温暖化”であるが、それが主題ならば多分購入しなかったであろう。しかし、副題-藤田哲也 世界の空を救った男-の下に記された“飛行機事故を激減させた天才気象学者の物語”に惹きつけられ、即購入となった。関心は前著3)と同様の“飛行機事故”にある。
藤田哲也、米国名Tetsuya Theodore Fujita(通称テッド)はシカゴ大学教授で世界的な気象学者、竜巻研究の第一人者。竜巻の大きさはFujitaからとったFスケールと呼ばれる単位が使われるほどだ。本書はその人の伝記である。国際的に高い評価を受けた日本人科学者や技術者の伝記は数多く読んできたが、これほど数奇な生涯を送った人はいなかった。
1920年に福岡県(現北九州市小倉北区)に生まれ、旧制小倉中学から明治専門学校(現九州工業大学)の機械科に進み、結核の既往症があるため徴兵されず、卒業後母校の物理学助教授を務めている時終戦を迎える。つまり日系二世のような名前だが、純然たる日本人なのである。Theodoreなるミドルネームを持つのは、シカゴ大学研究者時代、より研究活動を進めやすくするため、米国籍を得る(帰化する)際に加えたのだ。気象学が国防と深く関係するからである。なお、最後は長く住んだシカゴ大学の教員住宅で息を引き取る(1998年)が、遺骨は郷里の墓地に納められる。
本書の構成を整理すると、1)日本の一地方大学物理学助教授がシカゴ大学に客員研究員として渡るまでの話、2)シカゴ大学での竜巻研究が世界的に認知されるまでのプロセス、3)この竜巻研究だけでもノーベル賞に気象学があれば間違いなしと言われるほどになりながら、航空会社(イースタン航空)に事故原因解明を依頼され、多くの学者がその仮説に疑問を呈する(築き上げた権威を失いかねない)“ダウンバースト(極めて局地的、かつ短時間発生する強烈な下降突風)”の存在を予見し、そのメカニズムを理論的に解明、それを反映した航空事故回避策が普及するまでの苦闘、の3部からなる。
3部に共通する研究方法は徹底した現場観察主義である。自動車で、小型機で竜巻を追い求め、現場写真をふんだんに撮り、模型を手作りして、仮説を理論化して証明する。先端科学研究は米国でも理論重視の傾向が強いので、このアプローチは極めてユニーク、それが時には異端扱いされるが、後付け理論が結局正しいと証明される。特にそれが顕著だったのがダウンバースト仮説、学界・国家運輸安全委員会からは懐疑的な扱いを受けるが、パイロットをはじめとする航空関係者は、現象解析を強く支持し、やがて多くの現場情報が理論を補強して、全世界でダウンバースト理論が認められていく(因みに、気象庁のホームページで竜巻データを調べると頻繁に“ダウンバースト”が出てくる)。このくだりは、サスペンス小説を読むような不安感と緊迫感を抱きながら読んだ。
執筆材料源は、本人が残した肉声テープ・論文・手書き資料、米国・日本あるいは豪州居住の関係者(近親者、同僚、学界、航空関係者)からの聞き取り調査、関連文献調査 さらには大学に残されている実験装置見学など多岐にわたり、とにかく丹念な取材活動に驚かされる。
著者はNHK関係会社科学専門ディレクターで、ドキュメンタリー番組で数々の賞を得ており、本書の内容も昨年5NHK総合TV特別番組同じ題名で放映され、科学ジャーナリスト賞を贈られている。読後の高揚感は藤田自身の研究活動に加えて、著者の筆力に負うところが大きいに違いない。

5)そろそろ、人工知能の真実を話そう
-シンギュラリティなど信仰に過ぎない!仏哲学者によるAIブームへの警告-

1960年大学3年生の時自動制御(オートメーション)を研究するゼミに参加した。爾来私の専門分野は計測・制御・情報工学を基盤とする世界である。ゼミ・卒論を通じて最も印象に残った研究者はノーバート・ウィナーMIT教授、通信工学と制御理論をベースに、生理学・機械工学・システム工学を結び付け、サイバネティックス理論(人工頭脳学)を構築したその道の先駆者である。(広義の)機械が人間に置き換わる可能性を示唆したこの考え方に惹かれ、関連情報に注意を払ってきた。1978年度のノーベル経済学賞受賞者になるハーバート・サイモンは1965年「20年以内に人間ができることはなんでも機械でできるようになるだろう」と予言し、同じ時代この道の研究第一人者であったマービン・ミンスキーも1970年「3年から8年の間に、平均的な人間の一般知能を備えた機械が登場するだろう」とライフ誌に語っている。しかし、現実は厳しく、ごく最近まで特定分野のエキスパートシステムが実用化されたほかは、予言は的中せず、彼らの見通しがあまりにも楽観的であったことが明らかになる。それから約30年、幾度か冬の時代を迎えたAIブームが今よみがえってきた。“シンギュラリティ(Singularity;本来は天文学・数学における“特異点”を意味する)”と言う言葉とともに。
囲碁や将棋の世界でのAIの活躍、難解なクイズ番組での勝者、オックスフォード大学AI研究者による“あと10年でAIに置き換わる仕事”リスト、一方で東大合格を目指した“東ロボくん”の挫折(読解力がカベらしい)、などひたひたと人間社会に入り込むAIの脅威がメディアを通じて喧伝されている。この極限にあるのが、機械が自分自身を磨き上げて、人間を上回る能力を持つ世界である。人間と協力し合うかあるいは競合するかは一先ず置いて、この力関係の変曲点を“シンギュラリティ(この場合は技術的特異点と訳す)”と呼ぶのだ。そしてこの言葉の提唱者(本来の発案者かどうかは不明)で、元々はITの研究者・起業家であり、現在はグーグルのAI開発トップを務めるレイモンド・カーツワイルの思想と発言が注目を集めるようになってきている。本書はこのカーツワイルに代表される(ある種の)AI楽観主義者とシンギュラリティに対する、反論・警告の書である。
その反論は、提唱者たちが専ら依って立つ物質すなわち科学の面から始まり、次いで精神世界に展開していく。科学的な観点では、IT発展を予見する有名な“ムーアの法則(インテルの創業者の一人であるゴードン・ムーアが1965年に発表;コンピュータの演算速度は2年ごとに倍増する)”がシンギュラリティ出現の拠りどころになっていることを徹底的に掘り下げ、それが経験則にすぎないこと、近年そのスピードは確実に低下してきていること、単なる演算・記憶素子の技術的発展を“進化”の問題まで拡張することの妥当性、を批判して、自立は出来ても自律に限界があると主張する。精神世界では、グノーシス思想;中東の古典世界(二元性を唱える)と一神教であるキリスト教・ユダヤ教を対比させ、これをシンギュラリティと科学理論に移し変える論法を用いて、シンギュラリティを“仮像”と見做す。つまり、シンギュラリティはキリスト教における“黙示録(世界終末の到来とキリストの復活)”と同じと断ずるのだ。そして宗教史上この黙示録の実現時期が何度も延長されてきたことになぞらえ、シンギュラリティの到来そのものを否定する。ただの“信仰”にすぎないと。
科学・技術や宗教・哲学の視点で論じてきた本書の最終部で「なぜ今AIブームが再来し、特にシンギュラリティが注目されるようになったか」に対する私見が披歴される。「学界も企業も、社会・政治を揺さぶり、そこにカネが集まることを期待しているのだ」と生臭い現実を語る。少なくとも我が国のAIブームに、この臭いがふんぷんとしていることは間違いない。
ただ著者は全面的にAI発展を疑問視しているわけではない。ルールの定まっている分野(典型的なのはゲーム)や既存知識の細部を探るところ(例えばクイズ番組)では、人間と補完し合う“弱い”人工知能が普及していくことに肯定的である。私もそう信じたい。
著者はフランスの哲学者、パリ第6大学コンピュータサイエンス教授。同大学の認知科学、機械学習、人工知能研究を20年以上率いてきた人。我が国AI研究で紹介されるのは専ら米国発が多い中で、その世界を熟知した欧州哲学者の見方は、いささか難解(特に宗教や哲学を用いた“知識と知能の違い”)なところもあるが、予期せぬ角度からAI研究の現状を見せてくれた。能天気な米国人とそれに追従する我が国関係者が煽るブームに踊らされぬために、価値ある一冊と言える。複数の翻訳者による和訳だが、訳調が整えられ、読み易い翻訳になっていることも評価できる。

6Easternisation
-アジア勃興の世紀、1世紀早く近代化した日本のこれから-

GDPを購買力平価(Purchasing Power ParityPPP;為替レートに基づく)で補正し、全世界の経済力重心位置を計算すると、1980年には大西洋の中心部にあったそれが2008年にはヘルシンキとブカレストを結ぶ線の東に移動しており、現在の経済成長から予想すると2050年にはインドと中国の中間点になっているという。少なくとも経済力で見る限り、米国・西欧の力は低下し、確実に東に移ってくることは世界が認めるところである。経済力は軍事力につながる。中国は南シナ海に進出し、東シナ海でも日本との間に領海・領土を巡る係争問題を生じているし、インド洋や中央アジアを窺う、一帯一路戦略を進めている。また、今やインドは世界最大の武器輸入国、戦力強化に余念がない。それではアジアに欧米のような世界が出現するのであろうか?力の低下した欧米はどのようになっていくのであろうか?中でも依然として経済力・軍事力で抜きん出た力を持つ米国はこれにどう対応していくのであろうか?本書はこのような問題点に、英エコノミスト誌のベテラン国際記者が取り組んだ、渾身の一作と評価できるものである。“渾身の一作”とするのは、15世紀大航海時代からの東西関係から説き起こす歴史的な展開、安倍首相を始め多くの世界各国の政治リーダー、著名な専門家への聞き取りと現地調査、全大陸・主要国を網羅する広がり、特定の思想や思い入れを感じさせないニュートラルな視点、から書かれていると読みながら感じたことによる。
本書は2部構成、第1部アジアの勃興、第2部アジアと域外、から成り、これに先立つ導入部で、著者の問題意識、前史、本文全容のダイジェスト、が紹介される。全編にわたって種々の観点から取り上げられるのは、挑戦者中国とチャンピョン米国の関係で、覇権を争う両者の平和的共存かはたまた軍事衝突の可能性はあるのか、が主題となる。ここで援用されるのが、造語者ハーバード大政治学教授グレアム・アリソンによる“トゥキディデスの罠”論(覇権国と新興国の避けられない状態まで高まる緊張現象;西暦1500年以降このような対決ケースが16回ありその内12回戦争になった)。2015年米国で行われたオバマ・習会談でオバマが引用し、中国の行動を牽制する際使われた言葉である。
日本にも頻繁に触れるが、現在世界第3位である経済力(GDP)がアジア全体の勃興の先駆者として貢献してきたことに言及するものの(東高西低への先駆け、日露戦争・太平洋戦争の影響)、少子高齢化、過大な財政赤字で、相対的に域内影響力の低下は否めないとの見解をそこここで示す。また軍事力では、米国の安全保障策に組み込まれていることの特異性を踏まえ、米軍事力の強力なパートナー(特に海軍力)と位置付ける。
こう書いてくると、経済力や軍事力の数量的な対比が核心のようにとられるかもしれないが、中身はもっと深いところにある。つまり、両国、特に米国が国際戦略上中国をどう見ているかである。オバマ大統領の第一期目、アジア重視策をはっきりと打ち出したものの、実態が伴わず弱腰外交で中国に付け込まれ、第2期で改善されたものの“アラブの春”以降シリアを始めとする中東問題への取り組みが中途半端で、結果としてアジアへの注力が足りないことを指摘する。一方中国について経済・軍事の発展強化に目を見張るものがあるものの、権力者の腐敗や共産党一党独裁の危うさを取り上げ、挑戦者としての内実に疑問を投げかける。両国の直接衝突よりも、地域紛争がきっかけとなり、それが波及する可能性を、周辺国の動きを含め探り分析する。台湾問題、南シナ海、東シナ海、インド対中国、インド対パキスタン、北朝鮮の核と朝鮮半島、がそれらである。
それでは紛争が生じた際米国はどう出るか?政治家、学者・シンクタンク研究者、閣僚経験者、外交官、軍人などにヒアリングし、直接全面介入から後方支援(例えば、第二次世界大戦参戦前の“民主主義の兵器庫”役)、はたまた当事国を取引材料とする米中対話による沈静化まで、様々な考えがあることを具体的に解説する。このように多様な意見が米国内に在ることを知ると、政府間の決まりきった公式声明“強固な同盟関係”に安住せず、環境変化(東方化)を考慮した安全保障策検討が急務と痛感する。
域外に関する分析は、アフリカ、中南米、中東、中央アジア、ロシア、そして欧州にもおよぶ。ここでも話題は中国との関係。冷戦時代のソ連と違い、イデオロギー抜きの、資源獲得を主目的とするひも付き援助が、それぞれの地域に与える政治・経済・社会へ与える現状を詳らかにする。いずれも明るい面ばかりではなく、独裁・汚職・経済混乱・失業などを伴い、問題が顕在化してきている(特にアフリカ)。
ウクライナ問題を契機にロシアの関心が欧州から自国の東方域(シベリア)開発や中央アジアの旧ソ連邦構成国との関係改善、さらには中国との経済関係強化に動きつつあるものの、それら地域の中国に対する極端な人口アンバランスがロシアの不安材料でもある(特に東シベリア)と見做す。
東南アジアから西アジア、中東、アフリカへの政治・経済への影響力と言う点ではインドの存在も大きい。特にアフリカの旧英領植民地経済は歴史的にもインド人に握られてきていたし、司法・行政分野をも長く実務を取り仕切ってきた(一時ガンジーも南アで弁護士を務める)。そして中印間には国境紛争問題があり対抗意識が高く、インド洋への中国進出に警戒感を高め、米海軍・海上自衛隊との連携を強め、“一路”の要衝を抑える動きさえ見せている(中国はこれに対抗してスリランカ、パキスタンとの関係強化)。著者はこれを中国牽制策としてかなり大きなものと見ている。
では西の要欧州と中国はどのような関係になってきているか?安全保障では直接関わる問題はないので欧州の関心は専ら成長する経済、少々メンツを失うことがあってもカネには代えられぬ(キャメロン首相が習首席訪英を、赤じゅうたんで迎えたことは超異例なこと。米国から嘲笑される)と、せっせと友好ムードを築き上げようとしている。しかし、国によって期待するものに違いがある。独・仏は機械・自動車・航空機・兵器などの輸出に力点を置くのに対して、英は金融センターとして人民元を扱うこと(AIIBに真っ先に参加)や、中国からの投資を呼び込むことで英経済を活性化する目論見。もみ手する商売人と言ったところである。
では西側に残された力はないのか?終章はこれに対する著者の見解が語られる:世界の政治、経済あるいは文化(スポーツを含む)に関わる、法律・ルール・しきたり、運営組織(国連、IMFを含む)の多くは欧州・米国の方式を基準にし、本部も多くはそこに在る。中国を始め新興国が権利拡大を求めているものの、しばらくは主導権を握れる。これらを利して衰退を遅らせる。その内起こるかも知れない大きな変化に期待する(中国一党独裁の終焉するような事態を暗示)。チャンピョン米国が挑戦者中国を見る目も同様である。
本書(Vintage版;ペーパーバック?)の出版は今9月だが著作権登録は2016年となっている。つまりBREXITとトランプ大統領が決していない時期に書き上げたと推察できる。しかし、本書の導入部(Introduction)の前に、Preface(序文):Trump and the Decline of the Westがあり、大統領候補となったトランプの内向きなナショナリズムに対する危機感を、貿易問題と北朝鮮の核・ミサイル、東シナ海、南シナ海問題を敷衍しつつ浮き立たせている。また米ソ関係、米独(欧州の中心としての)関係などにも言及。これらの予見は現在ほぼ似たような状況にあり、著者の知見に基づく読みの深さがうかがえる。グローバルな視点で日本の置かれた現状を外から客観的に見つめることが出来る書でもあり、早い邦訳の出版が望まれる。


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2017年9月29日金曜日

決断科学ノート;情報サービス会社(SPIN)経営(第3部;社長としての9年)-34


16.情報サービス会社再編成-2
再編成の対象になるのは、情報ソリューション事業部の下に在った情報サービス会社4社、横河ディジタルコンピュータ(YDC)、横河情報技術(YIT)、横河テクノシステム(YTS)それにSPINである。これら各社の歴史や設立の背景、あるいは経営状況を見ておくことは、再編成の方向性・過程を理解する上で欠かせないことである。
最も長い歴史を持つのはYDC、実は設立当初(正確には不明だが、1980年代初期;社名はディジタルコンピュータ;DC)は横河とは関係なく、マイコンをベースとする宅内通信システム(LAN)製品を提供するベンチャー企業であった。情報産業業界では(ハードも扱う)“システムハウス”の範疇に属し、ソフトウェア開発はあくまでも自社製品のためだった。この会社が経営に行き詰まり、両社のメインバンクである富士銀行が横河に救済を求め、傘下に入った会社である。従ってダントツの筆頭株主で、社長以下役員陣も横河から出ていたものの、他社・他人資本も一部残っていた。オフィスもDC時代の中野に在って(のちに府中へ移動)、本社(三鷹)との縁は薄かった。SPINとの関係で見ると、1985年の創設前から既に横河グループ入りしており、特に経営を取り仕切っていた専務(のちに社長)のOYMさんは、東燃川崎工場建設時代(1970年~)、一緒に仕事をした同年代の戦友とも言ってもいい人だった。他社向けソフト開発や電子取引パッケージソフトを扱い軸足をソフト開発に移したのもOYMさんの時代になってからである。それもあってSPIN設立に際して、先輩企業として、いろいろ教えてもらうことの多かった会社である。OYMさんの後の社長は、これも東燃時代付き合いのあったKONさん、この二人は自らプログラム開発やシステム化プロジェクトを担当したことのある根っからのSE、業態をパッケージ販売・受託ソフト開発に傾斜していった。
再編成検討が始まる時期の社長はMYSさん。この人は海外営業部門が長く、SPINがグループ入りした当時は中国に滞在、それ以前は横河ブラジルに長く勤務していたと聞いており、IT業界にはそれまで無縁のバックグラウンドだった。それもあって、YDCの経営を、普及しだした業務統合パッケージ、ERP関連ビジネス(コンサルティングからプロジェクト推進、付加特注ソフト開発など)を主力にすべく、業容を変えていく考えを強く志向していた。それに向け手始めに取り組んでいたのが、オラクルとの関係強化で、オラクルDBの販売代理店として着々と実績をあげつつあった。つまり、横河の本業から離れる方向に舵を切っているように見えた。また、MYSさん個人として、既に本社の役員が社長のUCDさんを除けはほとんど後輩になってきていたこともあり、YDCを「いずれは独立して株式公開へ」との思いがあったように感じたものである。2001年末の情報ソリューション事業部下の社長会で初顔合わせをして以来、個人的には良い関係を続けたしが、再編成には最後まで距離を置く姿勢を崩さなかった。
YITYDCとは真逆、本社情報システム部が分社化した会社である。独立はSPINより遅く、発足準備に当たって当時の部長であったYMKさんが訪ねてこられ、SPIN分社化前後の知見をお話ししたこともある。横河には東燃に比べ関係会社が多く、これらへのサービスを含めグループ内業務が圧倒的にシェアーを占め、会社も三鷹の本社敷地内に在ったから、経営は極めて安定していたものの、今一つ分社化の効果が出ているようには見えなかった。再編成時の社長WNBさんは管理部門の経験はあるようだが、事務系情報システム開発・運用を長く担当してきた、情報システム部門プロパーと聞いていた。それもあってかYIT社内は完全に彼にコントロールされており、MYSさん同様本社役員よりも先輩だったことと合わせて、アンタッチャブルの雰囲気さえあった。だから、この再編成によってそれを正そうと期待する声がそこかしこから聞こえてきた。
YTSSPINはこの再編成検討が始まるまで、個人ベースを含めて全く縁がなかった。本社が広島、出先が北九州に在る、完全にローカルな会社だったからである。日本の装置工業、特に化学関係は西に重心がある。特に瀬戸内から北九州にかけてそれが顕著だ。三鷹から遥かに離れた地ゆえに代理店に日常活動を委ねるわけだが、西中国地方から九州北部にかけては広島に本社を置く新川電機の商圏、ハードだけの時代であれば技術的な問題であってもほぼ代理店と三鷹で対応できたが、ソフトが絡むとそれだけでは足りず、顧客近くに即応体制が必要になってきた。YTSはそのような背景(特に代理店からの要請)でスタートした会社である。横河製品(デジタル制御システム)の周辺から少しずつビジネスを広げ、地域限定で受託開発にも行い、プロパー社員を採用していた。社長は横河OBでここを地元とする人(名前は失念)、60歳を過ぎており、いつでも退いてもいい歳だし、本人もその心づもりに見えた。
それぞれの会社規模(従業員数、売上高)は、YDCSPINとほぼ同様(300人前後、4050億円)、YIT100人弱、十数億円位、YTS100人強、20億円位と記憶する。再編成に対してはYDCを除けば、他の三社は前向きであった。


(次回;情報サービス会社再編成;つづく)

2017年9月25日月曜日

決断科学ノート;情報サービス会社(SPIN)経営(第3部;社長としての9年)-33


16.情報サービス会社再編成
9年の社長在任中、私自身が中心になり手掛けた大仕事は、東燃から横河電機への株式譲渡とこれから述べる横河グル-プにおける情報サービス会社再編成の二つと言っていい。第一の株式譲渡については、東燃の大株主であるExxonMobilEM)の本業回帰による子会社リストラと横河電機のソリューションビジネス戦略(ETSEngineering Technology Solution)にあったことは既に述べた。ユーザーノウハウを取り込むことはソリューション提供に不可欠であったからである。しかし、横河グル-プ入りして分かってきたことは、トップの掛け声に比べ、ETSの実態があまりにもお粗末だったことである。一言で例示すれは「計測制御システムで何かお困りのことやお手伝いできることはないでしょうか?」と問い、出来ることをやるに過ぎなかった。これも問題解決(ソリューション提供)に違いないが、あまりにも受け身なのだ。加えて、ソリューション提供のカギを握る情報サービス会社の効率的運営に関しても、甘さが目立った。要はほとんどの会社(YDCだけは異なったが)が横河製品周辺のソフトウェア技術を提供して、経営を成り立たせていただけだったからである。これでは単なる直系の下請け・受け皿会社である。
全社戦略であるETSの問題点と改善案については、何度か今まで本欄で指摘しきたし、子会社だけで解決するには問題も大きいので、ここでは情報サービス業効率化の視点から再編成を語ることにする。
情報サービス業の根幹は人である。IT基本技術の専門家、適用業務用パッケージに精通したSE、業種・業務に合った業務分析・設計を行うSE、それを動かすプログラム開発を担当するプログラマー、全体プロジェクトをまとめるプロジェクトエンジニア、それを支えるセキュリティや原価計算・収益管理を行う専門家、実用化されたシステムの運用・保守サービスを担う者など様々な職種が必要である。そして情報サービス業は受注産業である。つまり、これら専門家の需給バランスは変動するのが当たり前。だからこそ早くから、複数の業務提携会社を持ち、派遣会社との関係を密にして、その変動に応じてきた。同じような会社がグループ内にいくつもあれば、先ずその合理化から始めるのが経営効率改善への第一歩である。こんなことを、1999年グループ内社長研修の場で発言したことは直後にトップに伝わっており、特に旧知でこの当時総務・人事を担当していたMZG専務から「MDNさんの話聞きましたよ。本気で検討してくださいよ」と告げられていた。ただこれはパーティのような場であったから、話はそこで止まっていた。
1999年美川英二社長が現役で急逝、後継のUCD社長は2000年いっぱいをかけて、自らの経営を進めていった。美川さんの拡大策の全面的見直しとそれに伴う組織改訂やそれに関する役員・上級管理職人事である。そこで誕生したのがシステム事業本部を解体してできた情報システム事業部である。横河の旗艦製品は分散型ディジタル制御システムCENTUM。この販売・構築・運用には当然ソフト技術提供が必要だ。この機能は制御システムを扱う事業部の専管業務となり(本体の事業部とYSE;横河システムエンジニアリング)、それ以外(生産管理、保全管理、品質管理、技術管理などに関連するシステム)を情報ソリューション事業部(以後情ソと略す)が担当することになる。事業部長はISIさん。彼の傘下に入った情報サービス子会社は、横河電機本体の情報システム部が独立したYIT(横河情報技術)、広島に本社を置き中国・九州を営業域として活動するYTS(横河技術サービス;前回YESと略したが誤り)、それに1980年代に買収し、一部他の資本も入るTDC(横河ディジタルコンピュータ)とSPIN4社である。ISIさんはしばらくそれぞれの会社を従来通りの経営に任せたが、2001年が押し迫ると、事業部本体も含めて見直すことを始める。狙いが全体のリストラクチャリング(首切りではなく、真の意味での再構築)である。


(次回;情報サービス会社再編成;つづく)

2017年9月22日金曜日

富士通マーケティングコラム

富士通マーケティングのコラム”ICTのmikata”海外ビジネス編に下記寄稿(グローバル化への一里塚)が掲載されました。アクセスいただければ幸甚です。
https://www.fujitsu.com/jp/group/fjm/mikata/column/madono2/004.html

2017年9月20日水曜日

決断科学ノート;情報サービス会社(SPIN)経営(第3部;社長としての9年)-32


15.新役員と後継者問題-2
社長の役割は様々あるが、後継者を育てることは最も重要な責務と言われる。早くから候補者を絞り込み内外に分かる形で指導していく、数人を選んで競わせる、など代表的なやり方だろう。ただ、100%子会社となるとこのような手法がそのまま適用できるわけでないことは、前任の二人の社長、それに私自身をみても明らかである。つまり、最終決定権は株主にあるのだ。まして、東燃から横河に移り、新株主の意向がいかなるものかよく見極める必要がある。社長内示を受けた時TKWさんを第一候補と考えたのは、東燃グループ内で彼の力量が既に周知されていたことが大きい。
1998年横河グループに移り、経営も順調に推移していた2000年、主管の執行役員の上司に当たる常務で、若い頃からの知り合いであるOTBさんから「MDNさんはいつまで社長をやれと美川さんから言われているのですか?」と問われたことがある。SPIN買収に際して「しばらく現経営陣に任せること」と美川英二社長が当時の役員に明示していたが、前年現役で亡くなったことを受けての発言である。私自身美川さんからは「いつまで」と言われたことは一度もなかったから、その旨応えた。しかし、いずれ横河本社の意向を反映した役員人事が行われることは十分予想されたから、これについて真剣に考えなければと意識するようになった。
ただこの段階でいきなりSPIN次期社長候補を絞るには大きな問題があった。横河グループには似たような子会社がいくつもあり、本社経営陣にとって、ETS(ソリューション提供)戦略を進めるにあたりその再編成が懸案になっていたからである。本社情報システム部が独立したYIT、横河の旗艦製品デジタルコントロールシステムCENTUMのソフトを扱うYSE、中国・九州地方を地盤とするYES、銀行から乞われて筆頭株主になったYDCなどがそれらで、いずれの社長も皆横河電機出身である。正式な経営課題として再編成が身近に迫っていたわけではないが、SPINが単独で時期社長を社内で育てていくことは逡巡される環境だったのである。
その当時の役員は、会長のNKMさん、社長の私、常務のMYIさん、取締役のYNGMさんの4名で、年齢差は2歳、この中から次期社長を出すことは考えられない。次代を担う新役員を選ぶことが先決である。候補者は3人居た。技術系情報システム畑が長く工場のSE課長も務めた経験を持つFRHさん、この時は開発部門の部長職にあった。総務・人事畑を歩みこれも工場の事務課長を経てSPINに移り、事務部長から営業部長に転じていたYMTGさん、制御システムが専門でTCSプロジェクト推進中核として活躍、この当時はルネサンス事業を率いていたYNG-Kさんである。
横河の子会社管理は東燃からみるとやや自由度が大きく、給与体系(特に役員)などは各社各様、採用・役職登用もそれほど厳しく口を挟まれることはなかった。しかし、美川さんの後任であるUCD社長はこの体系を改め、一元管理する方向で全人事体系の整備が進められ、現職の役員も、過渡的な経過処置はあったもの、基本的に“社員”の身分となり、その格付けが行われ始めた。こうなると定年は60歳。2000年これが動き出した時点で、3人の役員候補者の内一番年長のFRHさんは50代後半、YMTGさんは前半、一番若いYNG-Kさんが51歳位であった。力が奮える時期を考えると、とにかくこの3人をできるだけ早く役員にしたい。東燃の慣行から見るとあと1年その地位に留まれるMYIさんには常任監査役に退いてもらい、私とYNGMさんも再編成を仕上げたところで退任する条件で、3人の取締役就任を認めてもらった。


(次回;情報サービス会社再編成)