2016年8月11日木曜日

呪われた旅-3

5.      Addis Ababa (Ethiopia)

雨の中Hotelへ。期せずして、世界でも最貧国の一つであるエチオピアの実情に触れる機会を得た。Hotelの送迎ドライバーが俺の稼ぎは月に$120で子供もいると哀れなことを言う。町では労働者が今時つるはしを使って工事をしている。恐らく若者にはつるはしと言ってもイメージがわくまい。ついつい手持ちのSAR 501500円)札をチ ップに渡す。フェンスのトタンに色を塗り少しでも気分を盛り上げようとする態度が人間の営みを感じさせる。町には何かの切符を売る少年。そういえば、昔は電車の切符をおばちゃんから買っていたよな。回数券のおまけ分がおばちゃんの稼ぎであった。どこでも人間は生きるためにたくましい。
2.      Double Bookingその後
例によって、追加の航空切符はOrbitzから買わざるを得なかった(その他は売り切れていた)ので今更Cancelは出来ない。処が、良く見るとこの切符はBusinessになっている。まあUS170なので棄ててもいいかと思って買ったのだが、Air NamibiaBusinessの搭乗券をもらおうとしたらなんとCancelされている。きっとBusinessと間違えて予約されたのでOrbitzが勝手にCancelしたに違いない。しかし、こちらはEthiopianの別の切符があったのでそちらを使って無事に搭乗券をGet! 後日確認したところ確かにCancelされていた。別の切符が偶々あったからよかったが、Orbitzは本当にひどい会社である。二度と使うかL 従って、結果として$170の余分な金を使わずに済んだことは、この旅行中でのLuckyポイントJ

3.      憧れのナミビア
ナミビアへの入国に先立って入国票を書かされるのは何処の国も同じなのだが、変わっているのはエボラ発生国での滞在経験が質問されていることだ。流石アフリカ。7時半頃Windhoek近郊のHosea国際空港に着陸。飛行機をタラップから降りる。ここまでは何処にでもある風景。しかし、普通はそこで待っているバスがいて、それで空港ターミナルに向かうのだが、バスがいない。皆歩いてターミナルに向かっている。首都の国際空港か?どう見ても地方の田舎空港。駐機している飛行機も3機くらい。(-)
空港では電話で連絡しておいたレンタカー会社が迎えに来てくれていた。とても親切な会社でナミビア旅行の際にはお勧めできる(Namvic Tours and Safaris)。話が飛ぶが、実は私が所有する携帯は海外不可。偶々Skype電話チケットを買っていたので、iPadを使ってSkypeからレンタカー会社とかホテルとかに事前に連絡できた。これもLuckyポイントJ。今回はパソコンを持っていかなかったのだが、iPadが大活躍だった。
WindhoekではHilltop Guest Houseという中級のHotelだったのだが、違約金なしに1日の宿泊を2日の宿泊に変更してくれた。LuckyポイントJ
翌日おいしい朝食をテラスでいただき、レンタカー会社へ。今は冬なので朝晩は少し冷えるが、太陽が昇ると30度前後にもなる。空気が乾燥しているのでそれほど暑くは感じない。7月に入ると、ナミビアはHigh Seasonになるので、旅行費用も値上がりするが、このHotelは朝食付きでNAD 8956300円)と結構お得だ。
高いHotelでも朝食付きで1万円前後で、街で帰りにBlue Mountain500gのコーヒー粉を買ったが、600円くらいという事で、物価は日本の7割から半分くらいというところだろうか。
借りた車は日産の2015年モデル、3L Dieselの四駆トラック。Full Time 4Dではないマニュアル車なのだが、右ハンドルなので違和感なく運転できた。この車はCamp仕様で、屋根にはテントが、荷台には冷蔵庫、炊飯用品といった基材が積んであったのだが、要らないのでテントとか炊事道具は外してもらった。余談となるが、この国ではCamp場が良く整備されていて、テントで移動するTourもあるくらいです。
レンタカー会社からスペアタイヤだのコンプレッサーだのの使い方の事前説明、見えるところに荷物を置かない事とかの注意事項の指導を受ける。その中に衛星電話は非常時以外に使わないという注意があり、携帯のSIMカードをくれて通常はこれで連絡するよう言われる。近くのスーパーに寄ってSIMカードを手持ちのiPhone 6につけてもらおうとしたのだが、サイズが合わない。iPhone 6SIMカードは小さいので、通常のSIMカードをSIMカッターと呼ばれるカッターでサイズ変更しなければならないのだが、これを持っていないという、時間もなかったので取敢えず飲み物を買いこんで車の冷蔵庫に積み込み、いよいよ出発。遂に最後まで電話は使えなかった。
道路は日本と同じ左通行。この国はドイツの植民地であったので今でも多くのドイツ人が観光に来ているが、経済的には隣の南アと密接につながっており、南アとの往来も頻繁なので、その影響で左通行になったようだ。
先ずは国道1号線(B1)を一路南下。Sesriemという砂漠を目指す。ここはDune(砂丘)で有名なところ。B国道は舗装されているのですが、片道1車線。最高時速は120㎞なので、ぶつかれば即死。しかし、B1でも走っている車は稀。側道には猿も見える。田舎の県道を走っているイメージ。後から知ったのだが、この国は人口が2百万、国土は日本の2倍以上。という事で、人口密度はモンゴルに次いで2番目に低いという事でした。時々すれ違う車に注意していればそれ程危険は感じないが、夜間にトラックとすれ違う時には流石に緊張する。
100㎞くらい走った後C24へ。C2級国道で、その下はDC以降はDart道路になる。

おことわり;写真コピーばかりでなく章立ての数字の変更もできません(5.だけは正しい)。悪しからず。

(つづく)


2016年8月7日日曜日

呪われた旅-2

4.  最悪の飛行機会社
ラマダン中にJeddahから出る便がネックなのか、往復同じ会社でチケットを取ることが出来ず、行きはEthiopian AirlinesJeddahAddis Ababa (Ethiopia)Harare (Zimbabwe)Windhoek (Namibia)という旅程が組まれていた。Addis Ababaでは2時間半ほどの乗り継ぎ時間があり、無理なくその日の3時半にはナミビアに着ける予定であった。
真夜中12時ごろにCommunityを発ち、無事Namibian 0403便に乗機出来うとうととする。どれくらい眠ったのであろう、周りが騒がしいので目を覚ますとまだ留まっている。きっと30分ぐらいたったのであろう。どうも変だ。機の扉は開いたままだし、一向に出発の準備をする気配が無い。暫く待っていたが事態は全く変化が無い。30分、1時間、2時間、流石に乗り継ぎの時間が気になる。次も同じ会社なので、30分あればOKか。それにこんなこともあろうかと荷物は全て機内に持ち込んでいる。
とうとう3時間を超え、乗り継ぎは絶望的となる。なんでこんなに遅れるの?事情を聴くと乗客を待っているという。ここにいる乗客はどうしてくれるのL!やがて突然どかどかと10人以上もの乗客が乗機してきた。聞くところではImmigrationで調べられていたとのこと。いかにもサウジの当局のやりそうな事、あいつらは状況を全く考慮しない。4割もの国民が公務員の国ではの出来事である。結局3時間半も遅れて出発。
Addis Ababaに着いたが、当然乗り継ぎの飛行機はいない。先ず代替便の確保を急ぐ。取敢えず、その日の午後8時にHarareに向けて発つ便を確保する。しかし、俺が行きたいのはHarareではなくWindhoekだ!どうしてくれる。Ethiopian Airline: Harareから先はEthiopianではない(Air Namibia)なのでその先は自分で買ってくれ。ふざけるな!だれのお蔭でこんな目にあっているのか。どうしてくれる!!!話を聞いてくれる人を捜してAddis Ababa空港をあっちへこっちへとたらいまわしにされる。Ethiopianのラウンジで話を聞いてくれるStaffを見つけて、後でCompensateできる から先ず先の切符を買ってJohannesburg経由で行ってはという助言を受け、ラウンジのパソコンを使ってJohannesburgWindhoekの切符を$170くらいで購入し、Johannesburg経由の便を確保。ラウンジで昼食をとる。Johannesburg便は翌日なのでこの日はAddis Ababaで飛行機会社用意のHotelに泊ま

 
ることに。Harareに行っていたら空港で夜を明かさなければいけないところであった。最後にEthiopianが謝ったが、冷静に考えてみれば、私の買ったTicketEthiopianからJeddahWindhoekの通しの切符であり、Ethiopianは通しで用意する義務があり、途中の切符を個人的に準備する必要は全くなかった。結局、最後の便は個人的に買った切符と会社が用意した切符の2つの席が確保されることになった。この話の落ちは後ほど。どうもこの会社の評判は良くない様子。この繁忙期に切符を確保できたのだから当然か。教訓:航空券を含めて旅行の計画は早めにたてておくこと。特に安く旅行したいなら。

お詫び;著者から送られてきたメールには写真が添えられてるのですが、対象領域全体をコピーして、ブログ記事作成画面に張り付けるとそれが欠落してしまいます。写真だけをコピーしても貼り付けようとしても同様です。対策がわかるまでしばらく文章だけになりますが、お許しください。



(つづく)

2016年8月5日金曜日

呪われた旅(ナミビア:2016年7月1日~7月8日)-1

“呪われた旅”転載に際して

NGIさんは私の東燃時代の後輩である。修士課程を終えての入社年度は1971年だから多分7歳若いことになるだろう。本来は化学工学を専攻したから、本流のプロセスエンジニアだが、和歌山工場でプロセス制御を担当することになった。その当時私は川崎工場勤務だったから、なぜプロセス・システムズ・エンジニア(PSE)になったのかその経緯は知らない。しかし、数年後年一回事業所持ち回りで開かれるSE会議で彼の発表を聞いて、印象付けられるものがあった。問題解決法が極めて現実的でスマートだったのだ。それからさらに数年後、私が川崎工場のSE課長をしている時、東燃石油化学(TSK)の同僚から「カナダのインペリアルオイル(これも東燃同様カナダ資本とExxonの合弁会社)の石油化学部門でPSEを求めている。TSKには適当な人材がいないので東燃から誰か出せないか?」との問い合わせがあった。この時候補として浮かんだのがNGIさんである。本社を経由して派遣の可能性を質したところOKが出た。トロントに近いそのプラントでの活躍は見事で、先方からも高い評価を得ることができた。単に専門分野の問題解決能力が高いばかりでなく、環境対応能力に優れ、次々と重要で新しい仕事を任されるようになった。加えて現地からの報告“NGIレポート”は単純な技術業務報告書ではなく、彼の地の労働環境やシステムベンダーとの関係なども含む中身の濃いもので、派遣元(TSK)の工場トップから同僚まで次報を心待ちにするほど、面白いものだった。
爾来幾秋霜、NGIさんは中央研究所所長を最後に東燃を定年退職、私の後の横河電機海外営業顧問を見事にこなし、次いで住友化学が社運を賭して取り組んでいるラービグプロジェクトに石油精製とITの経験を買われて、数年前からサウジに単身赴任している。その彼がこの7月のラマダン期の休みを利用して、アフリカ南西端のナミビアに出かけた。これから数回にわたり転載予定の“呪われた旅”はその顛末記である。40年近く前の“カナダからの手紙”を彷彿させる筆致。「70歳前後の歳でこれだけの旅をできる日本人がどれだけいるだろうか?これを公開せずにおくことはもったいない」そんな思いから、ここに本人の許可を得て皆さんに凄まじい旅をお伝えする次第である。

               “呪われた旅”


1.      始まり
それは唐突に始まった。ふと目にした星空の綺麗な国ナミビアの記事。日本なら「そうか」で終わってしまうところだが、今はサウジに居る、それに7月初めにラマダン明けの連休がある。ラマダン明けという事は新月であり、星空はきっと綺麗だろう。今年はサウジ2年目であり、数次ビザが貰えて、8月末までに一度はサウジを離れることを人事からは勧められている。そういった背景から、何となく未知の国、まだ足を踏み入れたことのないアフリカ大陸に行ってみたいという憧れが芽生えた。ヨーロッパもいいが、全く別の世界に触れてみたいという好奇心の方が勝った。

2.      背中を押した悪徳業者
それでもこんな処に一緒に旅したいという酔狂な奴はいないし、ぐずぐずしていた5月半ばのある日、旅を準備する期間も迫ってきたので取敢えずFlightだけでも確保しようと、Trip Advisorから航空券を検索して、Orbitzという業者からナミビアまでの往復チケットを予約した。Webには1日以内なら自由にCancel出来るとあったので、取敢えずと気楽に予約したのだが、これが呪いの始まり。Cancelできない!アメリカの業者であり、連絡もままならない。そんな時に、友人の一人(I君)がナミビアに旅した事があることをFacebookで偶然知った。

3.      旅行日程の決定
71日午前410Jeddah発、78日午前10Jeddah着がConstraintとして設定されているので、この枠の中で旅程を最適化するのが課題となった。I君と連絡を取って助言を受けながら、主な観光地点、宿、移動手段を順次決めて行く。現地のTourも捜したが、適切なものは見つからずレンタカーを借りて移動することにする。国際免許は持っていなかったが、免許証に英語での記述があれば問題ないという事が分かり、サウジの免許でいけることが分かった。今まで、国際免許という特別な取り決めがあるものと思っていたが、どうやらそれは単に日本の免許証に英語の記載がないために英語表記が必要なだけだと分かった。サウジでも前はアラビア語だけの表示であったが、最近英語表記が併記されたために、国際免許が必要なくなったという話を聞いた。日本の閉鎖性はケシカラン。英訳のためだけにあんなに高い金を払わされていたなんて。勿論この話はナミビアだけではなく他の国でも同じである。
いくつかの勘違いもあり、希望の宿を取れない、レンタカーが中々見つからないといった問題もあったが、I君の適切な助言もあり、以下の日程が固まった。
 71日:JeddahWindhoek                                             Windhoek
72日:WindhoekSesriem (350 km)                             Sesriem
 73日:Sesriem観光(Dune                                        Sesriem
 74日:SesriemFish River (400 km)                            Fish River
 75日:Fish River観光                                                    Fish River
 76日:FRQuiver TreeWindhoek (500 km)              Windhoek
77日:WindhoekJohannesburg

 78日:JohannesburgDubaiJeddah

(つづく)