2017年1月18日水曜日

ひと時の少年時代

 
 
今日の昼中学・高校を共にした友と半世紀ぶりに会った。きっかけは私のブログ記事<今月の本棚-99(2016年11月)>に取り上げた“生きているジャズ史”である。彼の家には中学時代からアメリカ音楽を聴くためによく訪れた。ブログを読んだ彼から便りがあり、久々の再会となったわけである。
 
 慶応医学部を出た後長く北里大学で教授と医師を務め、今は月数日クリニックのパート勤務。40数年来のお互いのその後を愉快に話し合った。
 彼から自分で編集したビング・クロスビーとエラ・フィッツジェラルドのCDをもらい、こちらからは高校時代一緒に観た映画「ベニーグッドマン物語」(1956年日本上映)のパンフレットとニューオーリンズのプレザヴェーションホールで入手したディキシーのCDを贈った。少年時代に戻った楽しいひと時だった。

2017年1月17日火曜日

台湾一周鉄道旅行-10


8.阿里山森林鉄道-3
奮起湖駅到着1120分、下りの出発時間は14時だから、それまで2時間半ほどはこの駅周辺で過ごすしかない。計画立案時はてっきりここに湖があると思っており、湖畔の散策と昼食で時間をつぶせば丁度良いと考えていたのだが、この鉄道を詳しく調べるうちに、そうではないことが分かった。奮起はもともと畚箕と書き“ちり取り”を意味し、湖は“みずうみ”以外に“窪地”も表すことから、東西と北を山で囲まれ、雲や霧が漂う盆地がみずうみのように見えることからきているのだ。つまり“ちり取り型窪地”なのである。それでも阿里山への代表的な中継地「何かあるだろう」と期待していたのだが、見事に外れであった。
確かに南台湾を代表すると言われる老街(古い街並み)が駅の周辺に在るのだが、土産物屋や食べ物屋の続くその通りは10分も歩くと終わってしまう。その先にはちり取りの中身を見渡せる展望台とホテルや野外レストランがあるくらい。そこから先は人家もまばらな下り坂で戻りの上りを考えると歩き廻る気は起きない。
チョッと時間は早いのだが、朝が早かったこともありひとまず昼食を摂ることにする。何軒か駅周辺の食堂をのぞいてみて一番客が入っている“奮起湖大飯店”で当地名物の“便当(弁当)”を食することにする。丸いアルミ弁当容器の中に鳥のもも肉と豚肉、卵、タケノコなどをウーロン茶で甘辛く(甘味が強い)煮込んだものが、ご飯の上にのっている。汁物は好きなだけ別の器にとる。一人120元。味も値段も量も申し分なし。最近は町中のコンビニでもこの弁当が売られているとのこと、その人気が分かる。そうは言ってもここまでくるには、実は苦難の時期があったようだ。
阿里山森林鉄道は森林鉄道とはいえ、1982年までは嘉義・阿里山を結ぶ唯一の交通手段、それまでは列車の本数も多く、この弁当が一日千食も出ていた時期もあったらしい。しかしこの年阿里山公路(道路)が開通し、観光客は一気に時間のかかる鉄路からクルマに移ってしまい、弁当の売れ行きが減じてしまう。そこで商売のやり方を変え“観光弁当”に転じて今日の隆盛に至ったとのことである。まるで長野新幹線開通で様相が一変した、碓氷峠下横川の釜めしと同じ話だ(横川は信越道も通ったので、旧道はバイパスされているはず。今はどうなっているのだろう?)。
昼食を終えると旧機関庫がチョッとした鉄道博物館になっているので、そこを一覧する。昔の小型蒸気機関車やループ路の模型が置かれていたり、黒部峡谷鉄道や大井川鉄道との姉妹関係を説明する資料・写真やヘッドマークなども展示されており、鉄道ファンにはそれなりに面白い。しかし、食事とここだけでは14時までまだまだ時間が余ってしまう。仕方なく最初に訪ねた展望台に戻り、ベンチに座ってぼんやり出発時刻を待つことにする。大方の乗客も大体そんな風な行動パターンである。
14時丁度、正確に下り列車は出発。今度の席は3号車の913番、上りと同じ側なのが残念。来るときには全くいなかった立客が各車両数人いる。検札が来たが特に問題もないようだ。しかし45分頃ループの途中に在る梨園寮駅でそれらの客は全員下車した。ループ観光の特別団体客扱いがあるらしい。
下りは機関車が先頭、エンジン排気が車内に漏れ込み臭いが気になる。うつらうつらしているうちに1620分列車は定刻通り嘉義駅に到着した。雨がポツリポツリと落ちてきた。

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(次回:嘉義の夜)

2017年1月15日日曜日

存在感ある会社を目指して(第2回)

 下記富士通マーケティングHPの“ICTのmikata”コラムに「存在感ある会社をめざして」第2回寄稿が掲載されました。
https://www.fujitsu.com/jp/group/fjm/mikata/column/madono/002.html

2017年1月11日水曜日

台湾一周鉄道旅行-9


8.阿里山森林鉄道-2
前々回の“新幹線で嘉義へ”で紹介したように、この一帯は広々とした畑地が広がる。おそらく、台湾で最も広大な平野ではなかろうか。1931年(昭和6年)ここに在る嘉義農林学校(旧制中学校相当)が甲子園に初出場ながら、準優勝したことは球史に残る出来事だし、台湾の人々はそれを誇りに思っており、近年“KANO”と言う映画が当地で大ヒットした。数少なかったこの農業専門実業学校は現在は国立大学にまで昇格している。
そんな大農業地帯を起点とする“森林鉄道”ゆえ、しばらくは平地の街中を、町工場やコンビニなどが在る道路に沿って北東に進路を向けて走る。踏切がやたら多い(必ず警笛を鳴らす)。チョッと昔の玉電や池上線に乗っているような感じで、まるで旅という風情はない。それでもやがて家並が途切れ、農地にバナナや高いヤシの木のようなものが現れる(いずれも実はなっていいない)。保線状態か車両そのものかとにかく揺れやがたつきが気になる。40分位走ったところで竹崎駅に着く(事前アナウンスに日本語あり;英語はなし)。まだここまではほとんど高低差が無い。構内に側線が多く、朽ち果てたような列車や貨物車両、タンク車(アスファルト用?)も並んでいる。
しかし駅を出るとやや上り勾配になり、カーブも多く周辺も雑木林のように変じ。そんな中に青い覆いをかぶせたバナナがちらほら見える。収穫はこれからなのだろう。近く遠くに相変わらず長い幹を一直線に伸ばし天辺だけにヤシの葉のようなものが生えた木が見えるので、気になって仕方がない。車窓近くのものを観察するとまるで竹の節のようなつくりの幹だ。あとで調べて分かったのだがビンロウ樹であった。勾配はさらに急になり谷が深くなっていく。トンネルを何カ所かでくぐり1010分頃樟脳寮駅に到着。
いよいよここから3重スパイラルループが始まる。しかし、残念なことに両側とも藪が間近に迫り、見通しの効くところは限られていて、とても写真を撮ることは出来ない(私のデジカメはシャッターがおりるのが遅い!)。実感するのは「アレ?さっきと同じ山並みがまた現れた!」と言う程度である。
ループの中ほどにある獨立山駅周辺には珍しくカメラを持った観光客が数名居り、我々の列車を写真に収めている。クルマでここまでやってきたようだ。ループを抜けると一面竹林(孟宗竹のようだ)、高度によって植生が変わってくるのがよく分かる。植物に興味がある人は、これが面白くてこの鉄道に乗るらしいのだが、こちらは専ら“3重スパイラルループ”(初めての経験は中学2年生のとき通った清水トンネルのループ。あの時も列車からループをはっきり見ることは出来なかった)。その期待は完全に裏切られてしまった。「クルマで来て外から観察する方が面白いのかも?」と思ってしまった。
11時過ぎ水社寮駅。駅周辺に小集落があり、線路に沿う保線路に保線員が現れる。山側ががけ崩れを起こしており、それの復旧工事をしているようだ。土砂防止のトンネルも何カ所か見かける。一時暗かった空が明るくなり雲が下になってまるで墨絵を見るようだ。
1120分列車は定刻通り終着駅奮起湖(海抜1403m)に着いた。プラットフォームには大勢の観光客がカメラを持って待ち構えている。ここまでの鉄道便は今乗ってきた1本のみ。彼らは一体どうやってここに来たのだろう?前日?クルマかバス?

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(次回:阿里山森林鉄道;つづく)

2017年1月8日日曜日

台湾一周鉄道旅行-8


8.阿里山森林鉄道
今度の旅の目的は、先ず台湾鉄道一周にあるのだが、もう一つ周回とは別に、世界の鉄道ファンに人気の阿里山森林鉄道に乗ることがある。人気のもとは三重スパイラルループと何カ所のスウィッチバックで、海抜30mの嘉義駅から終点の沼平駅(2274m72.7km)まで登るその行程だ。しかし現在スウィッチバック部は度重なる倒木事故や台風災害で改修工事中のため、残念ながら終点まで通じておらず、途中の奮起湖(46km)で小型バスに乗り換えて、阿里山(15の山から成り、最高峰は大塔山2663m)に至るしかない。それでも人々は珍しい「三重スパイラルループに乗りたい!」と年間2百万人近くの人がここに集まってくる。加えて、土日(2往復)を除く平日は一日一往復しか運航しないため、乗車券の確保がなかなか難しいことも“希少価値”としての人気につながっているようだ。従って、この座席がとれるかどうかが今回の旅の最もクリティカルな要件。JTBもこれが確定するまで、現地とのやり取りに時間を要し、結局旅程最終確認の連絡があったのは、出発3日前だった。「並び席は取れませんでしたがいいでしょうか?」と。
この鉄道の歴史は古い。日本の統治下1906年(明治39年)着工、11年に阿里山まで開通している。目的は台湾べに檜を中心とする森林資源開発にあった。国内ではなかなか得られなくなってきていた巨木が特に価値があったようだ(神社の鳥居などに利用)。このような目的(限られた種類の貨物運搬、工期短縮、山岳地)のため、軌道ゲージは762mmのナローゲージ(JRの狭軌は1067mm、標準軌は1435mm)が採用されている。これは黒部峡谷を走るトロッコ列車と同じである(あとで述べるが両鉄道は姉妹関係にある)。当然だが、速度は遅く、山岳地と言うこともあるが、平均時速は20km程度である。
新幹線嘉義駅からタクシーでホテルに着いたのは815分頃。チェックインは14時以降だから荷物だけ預けて、直ぐに駅に徒歩で向かおうとすると「20分はかかりますよ」と明瞭な日本語の注意。列車の出発時刻は9時だから、道に迷ったりしたら乗り遅れる恐れがあるのでタクシーで駅に向かう。
駅に着くと「阿里山に行くんですか?」とおじさんが寄ってきた。宮脇俊三の「台湾鉄路千公里」に出てくるダフ屋(フリで出かけた宮脇は切符売場が満席売切れで閉まっていたため、ダフ屋から一泊付の往復乗車券を求める。宿泊先はまるで山小屋;宿主は良い人だったが)と思ったので「切符は持ってるよ」と言うと、直ぐに離れていったが、どうも鉄道ではなくマイクロバスの客引きだったようだ。阿里山は現地で一泊する“ご来光拝み”でも有名なので、鉄道ファン以外の観光客も結構おり、鉄道の席に限りがあることから、こんな商売が成り立っているのだ。
ゲージの異なる森林鉄道と言うからJRに相当する台鉄とは別の経営かと思っていたが、駅構内の案内所で聞くと「改札を通って右の方へ行くと乗り場があります」とこれも日本語。台鉄のホームの一角に専用の待合場所が在り、すでに20~30人が集まっている。やはり西欧人を含む観光客と思しき人がほとんどだ。日本人の小グループも居る。待合場所の先はコ字型になっていて、線路はそこで行き止まり。本線用より一回り小さいディーゼル機関車に牽かれた5両編成の列車が入ってくると、再度ホーム上で乗車券のチェックがあり、指定車両を教えてくれる。我々の席は機関車から見て最後尾(進行方向最前部)の5号車の1番と4番。通路を挟んで一人席と二人席に分かれているので、前後という関係になる。山岳列車によくあるように機関車は下り側に在るので前には運転席があるだけなので前方が見通せる(ただ運転席と客席を隔てる窓の位置が高いこと、狭い運転席に車掌?も乗っていることで、それほど見晴らしがいいわけではないが)。9時定刻列車は奮起湖を目指して動き出した。


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(次回:阿里山森林鉄道;つづく)

2017年1月4日水曜日

台湾一周鉄道旅行-7


7.新幹線で嘉義へ
1121日(月)台湾二日目の早朝は発つ前の予報通り雨だった。今日の出立は台北駅発630分なので5時半にモーニングコールを頼んであった。前日夜食事を終えてホテルに戻ったときフロントで「朝の弁当は5時半にここに用意しておきます」と言われていたからだ。ホテルの朝弁当は昨年のスペイン旅行でも2度ほどあったが、いずれも受け渡しは前夜だったので、早く起きて部屋で済ませたが、今回は駅が目の前とはいえ、勝手がわからぬ大きな駅なので、乗車してから摂ることにする。ホテルをチェックアウトしたのは6時過ぎ。地下道でホテルと駅を隔てる大通りを抜けて広大な駅コンコースに出るが、ほとんど人が居らず、“高鉄”と称される新幹線の乗り場が直ぐには分からない。何度か人に“高鉄”“新幹線”を書いた紙片を見せながらやっと改札にたどり着く。巨大な駅舎は1階がメインだがホーム(月台)はすべてコンコースからはかなり奥深く入った地下に在るのだ。
到着したのは615分頃、直ぐに左営(高雄)行き203号列車が入ってきた。ホームのつくり、並び方、車両そのものも日本と何も変わらない。少し違ったのは、入り口近くに成田エキスプレスのようにスーツケース置き場があったことである。これは助かる。さらにこれはあとで気が付くのだが、座席配置が通路両側とも2列配置であることだ。“ゆったり感”が日本の新幹線よりあるのがいい。
列車は定時に出発、乗車率は6割くらい、大方は現地のビジネス関係者と見うけられ、荷物はそれほど大きくない。これもあとから分かることだが、我々の乗った列車は“ひかり”“こだま”時代の“こだま”号に相当、各駅停車らしく10分くらいで板橋と言う駅で停まり、間もなく地上に出る。車窓はしばらく日本の都会とさして違わぬ景観が続く。国際空港のある桃園(距離的に新横浜と言う感じ)を過ぎたころから、畑地が目立つようになり、雲が薄くなり雨が止んでくる。嘉義(Chiay)到着時刻は743分の予定だから、早速朝食にかかる。大きな厚紙のボックスに入っていたのは、大きめのサンドイッチ、ロールパン、クロワッサン、リンゴ、リンゴジュース、ヨーグルト、チョコレート菓子。普段の朝食よりかなり量が多く、加えて車内で無料のコーヒーサービスもある。結局ロールパンには手が出なかった。
乗客の多くはこれも無料配布の朝刊に見入っている。一面のトップ記事がふと目に入ってきてびっくり。巨人OBと台湾出身OBの試合が前日あったらしい。日本への親近感はこんなところにも表れていてうれしうなる。
途中の大きな町は台中、ここはかなり手前から高層のアパートなどが現れ、大都会が近いことをうかがわせる。この頃になると雨の降った後もなく、雲間から太陽が顔を出し始める。乗客の乗降がかなりあった。
嘉義到着は定刻通り。一応事前調査で分かっていたものの、この新駅は全く人里離れたところに在る。在来線の台鉄嘉義駅との間に無料連絡バスがあるが、これは利用客の多い時間帯に限られ、この時間は走っていない。あとは路線バスがあるのだが時間がかかるのと台鉄嘉義駅のバス停はホテルからはかなり遠い。森林鉄道の出発時刻は9時半だから、ホテルに荷物を預けて駅へ戻る時間を考えると、これもチョッとリスキーだ。そんなわけで、タクシーでホテルに直行することにする。今度は“兆品酒店(これも酒屋ではなくホテルなんだ!)”と書いたメモをタクシー案内のおじさんに見せると、嬉しそうな顔をして運転手(陳大松さん)を呼び寄せる。良い客なのだろう。
新駅の周辺は真っ平らな農地、どうやらサトウキビ畑のようだ(今は刈り取られている)。そこに新しくて広い直線道路が東西に走っている。自動車専用道路ではないが、いくらでも飛ばせる。20分ほどで市街地に入ると、ここは日本の地方大都市に近い感覚、さらに在来線をまたぐ跨線橋を越えると、狭い道路、スクーターの多さ、東南アジアの混沌に似た雰囲気になっていく。兆品酒店はそんな中に在った。タクシー料金はメーター通り400元(1500円程度)、初乗りが100元だから乗った距離を考えるとリーズナブル。地図の上では近くに在る(徒歩で行ける)と考えていたホテルは台鉄駅からかなりあり、直行したことは “正解”だった。

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(次回:阿里山森林鉄道)

2017年1月1日日曜日

謹賀新年(2017年)

 新年明けましておめでとうございます。旧年中は多数ブログにアクセスいただき、有難うございました。本年もよろしくお願いいたします。
 皆様にとりましても、良い年であるよう願っております。