2009年12月19日土曜日

センチメンタル・ロング・ドライブ-48年と1400kmの旅-(34)

34.中紀へ-2(湯浅・有田) 道成寺の在る御坊市は他にも何度か訪れた観光スポットがある。半島の最西端となる日の御碕とそのつけ根にあるアメリカ村。そこから南へ延びる小石の浜辺、煙樹(えんじゅ)が浜などがそれ等だ。アメリカ村はこの地からアメリカへ移民した人たちが里帰りして作った如何にもバタ臭い感じの集落で、「こんな僻地に!こんなモダンな!」とびっくりさせられた。煙樹が浜も非常にユニークな浜辺で、小さな砂利が長い浜を埋め尽くし、波が打ち寄せるたびにその移動音がジャラジャラと響きわたる。立寄ってみたい気はあったが、後のスケジュールを考えると3時までには和歌山市に着きたい。後ろ髪を引かれつつパスすることにした。
 御坊市内を過ぎると道は嘗ての難所、由良峠にかかる。40年前この地を去る時にはトンネルで抜ける新道が既に出来上がっていたが、それ以前は白浜までの間で最も難渋する、曲折する未舗装道路だった。入社翌年の夏、計器係の同僚が体調を崩し、見舞いのため係長のブルーバードでこの峠越えで御坊まで往復した時は汗と悪路の埃で大変な思いをした。
 トンネルへ至る上り坂、そこを抜けると眼下に由良港が見える。景色は往時と何も変わっていない。やがて車はこの地方の古くからの産業と行政の中心地だった湯浅町に至る。ここも40年前にバイパスが出来ており、通常はそこを通るので街中に入ることは無かった。和歌山工場勤務中ここに用があったのはたった一回、簡易裁判所で生まれて初めての交通違反略式裁判を受けた。和歌山市駅(南海)の広っ原とも歩道とも判然としない場所に車を駐車しておいたところ「違法(歩道)駐車」と断じられたのである。木造の村役場の一角にその裁判所が在った。しかし、街なかの印象は全く記憶に残っていない。
 今回はここで訪ねる所がある。醤油発祥の地(全国ブランド、ヤマサもキッコーマンも元はここにある)湯浅に唯一残る、創業170年を誇る醤油製造元の「角長(かどちょう)」である。これも前出のOG君のアドヴァイスだ。ここでは今でも冬にのみ仕込を行い、味噌の桶に溜まった汁(たまり)をたまり醤油として生産している。生産方式が伝統に則るだけにオリジナルな味わいを維持し、生産量は限りがあるのでそれが希少価値を生んでいる。
 セットしたカーナビは、古い町並みの中を信じられないような狭い道を選んでくる。対向車が来たら完全にお手上げだ。幸いそんなことも無く、如何にも由緒がある、それらしき木造の大きな倉庫のような建物へ導いてくれた。建物の近くには駐車スペースが無い。店を確かめた上で付近を徘徊すると何とか2、3台の車が停められる場所が見つかった。見ると“なにわ”ナンバーのワゴン車が停まっている。観光客に違いない。丁度店から数本の醤油ビンを提げた客がこちらに向かってくる。行き違いに確認すると、駐車場はそこで良いのだと言う。
 店は土間と僅かな商品を並べた棚、それと帳場のような部分がある。誰も居ないので声をかけると奥から若い娘さんが出てきた。横浜から半島を巡る旅の途上と話すと、商品の説明のほか、横浜で求められるところも教えてくれた。たまり醤油の小瓶(300ml;500円)を三本求めてこの地を去った。貴重なものなので専ら生で用いる時しか消費しない。
 町を出て42号線に戻ると道は直ぐに有田(ありだ)川南岸の土手を走る。この辺までは車を持つ前から自転車でよく出かけてきたところだ、川の両岸は僅かな平地に畑(昔は田圃)や集落がありその先は小高い丘で、斜面には蜜柑畑が続く。この沿線はドライブインの多いところだったが、今では駐車場のあるショッピングセンターなどが目立つ。こちら側にこのような店が在るということは、北側の箕島駅から線路と併行する旧商店街はどうなっているのだろうか?そんなことが気になりながら、少し遅い昼食を車の停めやすいドライブインの一つでとった。
 紀勢線は川の反対側をそれに並行している。昔の42号線はこの食堂のある通りを更に西に進み、有田川河口最後の橋、安蹄(あぜ)橋を右折して渡り箕島駅方向に向かい、駅へは直行せず、対岸の土手うえの道路を直ぐ左折して西に向かうルートだった。今ではその橋を渡らず、更に南岸を西進して河口に新しく出来た橋を通るようになっている。新しい橋は紀勢線を跨ぐため旧道よりはるかに高い位置に高架で作られている。この道は転勤後まだ現役時代にできたので、その存在は知っていたが走るのは初めてである。寮への分岐路に近い有田警察署のところで旧道につながっている。

 初島小学校の前で左折して初島駅に向かう。7年暮らした初島の町は昔より寂れている。駅前のパチンコ屋も潰れていた。10年位前までは僅かに残っていた零細な商店も営業しているところは無い。人の気配が全く無い道を工場の正門前に至り、ここでUターンして42号線方向へ戻る。42号線沿いにある和歌山クラブ(宿泊所、体育館、グランド)や幹部社宅、独身寮の在った竹田地区に行ってみる。会社のスポーツ大会でもあったのか、グランド周辺に結構人が集まっていた。知った顔でもと思い車を降りてみたが、知らない人ばかりだった。むしろ横浜ナンバーの妙な車を訝しげに見る目に居心地が悪い。ここはもうふるさとではなかった。
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