2010年4月2日金曜日

今月の本棚-19(2010年3月)

<今月読んだ本(3月)>1)見えざる隣人(吉田忠則);日本経済新聞出版社
2)フリーエージェント社会の到来(ダニエル・ピンク);ダイヤモンド社
3)北米1万マイルの車の旅(笹目二朗);枻(えい)出版社(文庫)
4)緑の英国・アイルランドの車の旅(笹目二朗);枻出版社(文庫)
5)バルト三国をボルボで走る(笹目二朗);枻出版社(文庫)
6)チンクエチェントで駆け巡るイタリア5000km(笹目二朗);枻出版社(文庫)
7)U-307を雷撃せよ(上、下)(ジェフ・エドワーズ);文芸春秋社(文庫)
8)岩崎弥太郎と三菱四代(河合敦);幻冬舎(新書)

<愚評昧説>
1)見えざる隣人
 2008年、日本経済新聞夕刊に連載された「台頭する新華僑-揺れる日中のはざまで-」を大幅に加筆・修正して単行本にしたものである。いまや韓国・朝鮮人を抜いて最大の在日外国人となった中国人(2008年末で約65万人)、急速にその勢いを増す本国との間において、彼等の生き方・考え方は如何なるものなのかを、芥川賞作家から犯罪者まで、改革開放政策以前のエリート留学生から直近の出稼ぎ人まで、幅広いインタビューに基づいて掘り下げていく。
 世界に名高いニューヨークやサンフランシスコのチャイナタウン、ホンクーバー(香港からの移住者が多い)と称せられるバンクーバーの中国人社会、東南アジアの地場経済をがっちり握っている華僑、研究活動で滞在した英国の田舎町、ランカスター大学における中国人留学生の多さ、諸外国で垣間見た小中国は良くも悪くも、そこに欠かせぬ存在だった。これらに比べると、本邦最大の横浜のチャイナタウンですら、希薄なものに見えてくる。近い国だが最も遠い国と言えるかもしれない。
 維新後の近代化プロセスで醸成された中国蔑視観、一方で満洲事変・支那事変(日中戦争)に対する(わが国左翼知識人・メディアによって刷り込まれた)歪んだ原罪意識。日本人の中国(人)に対する思いは、その歴史を体験した世代が去っても複雑なものがある。そしてその特異な感情が現代の中国(人)に反射する。とりわけここに住む人たちに。そしてそれは意外と我々に伝わっていない。そこを埋めようと試みたのが本書の意図と言える。
 紹介される、池袋駅北口で起こったチャイナタウン騒動、川口芝園団地における中国人世帯の急増などによるトラブルとその収拾、独立行政法人、物質・材料研究機構における中国人研究者の活躍や企業家の出現などを見ていると、前述の諸外国とは形が異なるものの、わが国にも中国人との共棲を避けて通れない時代が来ていることを知らされる。そして彼等の存在が、新しい時代の日中関係構築の重要な礎と期待できるように思えてくる。
 それは、彼等が個人として日本と母国を見つめる複眼を持っていることである。例えば子供の教育である。中国での教育は日本とは比べものにならぬくらい厳しい。もし、初等・中等教育を日本で受けると、中国の競争社会を生き抜けないとさえ感じている。そこで子供だけは帰国させ母国で教育する。しかし、自分の日常生活を振り返ると、日本社会の落着いた環境に心の安らぎを感じると言う。本当はどちらが良いんだろう?と自身に問いかける。このような体験こそ国際社会を自ら理解する原点と言えるだろう。こういう人たちがある程度まとまって居住することは、必ずやわが国が国際社会において正しく理解されることに貢献するに違いない。
 本書を通じて、“見えざる隣人”の存在価値が少し見えてきた。

2)フリーエージェント社会の到来
 就職難である。経験の無い新卒が特に酷い。フリーターの発生はリーマンショック以降の現象ではなく随分前から起こっている。派遣社員が増えだしたのもバブルの最中90年代からだ。グローバリゼーションの掛け声の中、一層の企業経営の効率化が求められ、その後右肩上がりの経済成長が止まると、“欠員補充”的な採用が目立つようになってきた。この傾向は、成熟社会到来の早かった欧米社会(アメリカの場、経済成長は続いていたもののウェートがサービス業にシフト)ではもっと早くから始まっている。
 この本は、2001年に原著が出版されたもので、取材時期はそれ以前、1990年代後半と言うことになる。筆者はゴア副大統領のスピーチライタも務めたことのあるジャーナリストである。蒸し暑い夏のある日、冷房が故障した、ホワイトハウスの会議室でスピーチの準備会議中倒れてしまう。原因は、緊張を強いられ、不規則な労働環境に置かれることから来る過労である。その直後から、自ら時間と仕事をコントロールできる、フリーランスのジャーナリストに転じる。そしてわが身を置くことになった“フリーエージェント”の世界を探り始めのだが、以前労働長官のスタッフでもあった彼がそのコネを利用してもなかなか整理された情報が集められない。雇用統計では“非農業従事者”の中に消えてしまっているのだ。就業者なのか失業者なのかさえ定かではない。しかし身近にはこんな人が確実に増えている。そこで家族(妻と幼い娘)とともに全米を調査して歩く(出版社がスポンサー)。これはそのインタビュー結果のまとめである。
 本書の肝は、副題が『「雇われない生き方」は何を変えるか』とあるように、筆者自身獲得した、自由な「雇われない生き方」をポジティヴに捉え、成熟社会では必然であると説くところにある。
 嘗てのような組織(に縛られた)雇用に基づくピラミッド型(縦型)社会は歴史的にはそれほど長いものではなく、“退職”が可能になったのはごく最近のことで、それ以前は自営で、時には場所や顧客を変えながら一生働くのが当たり前だった。ある意味そこへの回帰が始まっている。そこではハリウッド型あるいはプロジェクト型のチームが出来上がり、必要な人材が必要な時に集められ、一仕事終われば散っていく。これは組織に依存する縦型社会とは異なる横型社会の到来であり、個人も社会もこれに適合する生き方が求められるとする(例えば、プロジェクトと人材の組合せを図る仲介企業の存在)。
 私も、現役時代「社内の仲間との比較よりも、①同業他社同職種で働けるか?→②異業種同職種で働けるか?→③異国(言葉のことははひとまずおいて)同職種で働けるか?」を“同職種”をキーに、自問するよう自らにもスタッフにも言い続けてきた。その点では筆者の主張に考え方は近い。
 しかし、現在の人材派遣会社やパートタイマーの暗部をえぐってはいるものの、働く者が自分の意志で仕事を決めることの価値を尊ぶ姿勢で貫かれた論調は、厳しい状況にある現在の労働市場をちょっと楽観的に見ているきらいがある。
 最大の問題点は、未経験者をプロの領域に高めるための仕組みである。この点も筆者は各種の教育・訓練方法などに言及しているのだが、実務を通じた知識・技能獲得にはとても及ばない気がする。
 フリーエージェント社会がフリーター社会に堕さないことを願って止まない。

3)~6)笹目二朗のドライブ紀行  筆者は日産自動車の技術者から、早い時期に自動車ジャーナリストに転じた人である。年齢は、著書から推定すると既に60代半ばと思われ、有名な徳大寺有恒(「間違いだらけのクルマ選び」で一気に売り出した)同様、この分野の“良き時代”を送った世代と言える。
 今は自動車ジャーナリズム冬の時代。若者の自動車離れが言われて久しい。理由の一端は自動車ジャーナリズムそのものにあると言える。あまりにハードウェア製品、技術(運転技術を含む)偏重なのである。クルマに乗ることの“楽しさ”を伝える記事がほとんど無い!1950年代朝日新聞が敢行した、今から思えば貧弱な国産車、トヨペット・クラウンによる“ロンドン→東京5万キロ”のような、若き血を滾らせる書き物にとんとお目にかからない。
 そんな悶々とした気分で月刊誌「ENGINE」を眺めている時、筆者がここ何年かにわたって、海外長距離ドライブを行い、それが出版物になっていることを知った。書店には置いていないし、出版社も聞いたことが無いのでインターネットで調べ、まとめて4冊購入した。
 4冊は場所(北米、英国とアイルランド、バルト三国・スカンジナビア、イタリア)とクルマ(全てメーカーの手配のレンタカー;クライスラーPTクルーザー、プジョー207、ボルボC30、フィアット・チンクエチェント)の違いだけで、内容はほとんど同じ。専ら走行距離、燃費、燃料価格、道路状況、あとは何を食って(これがかなり貧相;スーパーで買って車中食など多い)何処へ泊まったか。おまけにSEVというマイナスイオン効果で燃費や乗り心地まで改善してしまう道具に凝っていて、それがやたら出てくる(技術者であったのにその理屈が全く不明と言う)。文学的な味わいはまるで無く、ドライブ紀行というよりドライブ日誌と言っていい。足取りを辿る地図もほとんど掲載されておらず、写真がかなりあるのだが文庫本ではそれも楽しめない。人に進められるような本ではない。
 しかし、ドライブ好きの私にとってはそれなりに楽しく、好奇心を満たしてくれる小冊子。実現はしないだろうが、“欧州を走ってみたい”気にさせてくれた。

7)U-307を雷撃せよ  久し振りに優れた軍事サスペンスものに行き当たった。それも現代の最新技術とつながる、近未来SFである。荒唐無稽でないところがいい。筆者は米海軍で長年(23年間)駆逐艦に乗り込み対潜作戦に従事してきた技術エキスパート(士官か兵かは不明)である。だからその戦闘シーンには、最新の対潜駆逐艦の心臓部はかくやと思わせる臨場感に満ちている。
 20XY年、ドイツでは環境問題がエスカレートし、発電用原子炉の停止が迫ってくる。エネルギー不足はドイツ経済を大混乱に陥れること必定。ドイツ政府は密かにその最新鋭ディーゼル(燃料電池システムで推進するので静粛性が高い)潜水艦を中東のテロ国家に輸出し、石油の大量長期輸入を目論む。第二次世界大戦でのドイツ降伏記念日、5月8日キールを発った潜水艦4隻は先ずジブラルタルに向かう。英米共同作戦が発動され、それを阻止しようと海峡で待ち構えるが、逆に英艦が返り討ちに合う。東地中海から急行する米機動部隊も巧みに交わされてしまう。エジプトは親米国家ではなく、スエズ運河を封鎖しない。残されたのはイラン沖、ペルシャ湾を哨戒する米海軍の旧式巡洋艦一隻と駆逐艦・フリゲート艦三隻計4隻。4対4の戦がホルムズ海峡を挟んで戦われる。一隻でもテロ国家の手に渡れば、米国の威信は著しく傷がつく。「何としても阻止せよ」大統領(最高司令官)直々の命令が発せられる。
 最後に残った先任艦長の乗る潜水艦と最新鋭駆逐艦との一騎打ちシーンは、最新兵器による丁々発止にもまして、両艦長の心理描写に優れ、嘗ての名画「眼下の敵」を髣髴させる。
 チョッと物足りなかったのは、駆逐艦側の戦闘が克明に描かれるのに比べ、潜水艦側のそれがやや単純なことである。筆者のバックグラウンドから推し量ればやむをえないが、もう少しバランスよく書かれていれば、最後の場面の盛り上がりが違ったであろう。惜しい点である。
 しばし、この筆者の作品を追ってみようと思う。

8)岩崎弥太郎と三菱四代  三井・住友は長く続く商家、三菱(岩崎)は下級武士が維新に乗じて作り上げた海運業・重工業。こんなステレオタイプの認識しかなかった若い頃、理系を目指す人間としては三菱を一段と優れたグループと見る反面、何か堅苦しいイメージで近づき難いものと見てきた。それは社会人になってからも大きくは変わっていない。もう一つ子供の頃から何気なく不思議に思っていたことに、何故岩崎ではなく三菱なんだろうという疑問がある。
 書店でこの本を目にした時、この岩崎と三菱がひとつのタイトルに込められているところに惹かれ読んでみる気になった。
 これを読んで疑問は氷解した。グループの出発点、三菱商会はそれ以前藩の財政を豊かにするため創立された、藩立商社;三つ川商会(川の字がつく三人の役人が差配役)をやがて弥太郎が取り仕切るようになり、そのマークに岩崎家家紋;三階菱と藩主山内家の家紋;三つ柏を融合しものを考案、それに基づいて社名を改めたところから発している。三井・住友とは異なり、家業が発展したのではない。
 それにしても、弥太郎の人生は幕末・維新の時代とはいえ波乱万丈である。赤貧の地下(ぢげ)侍の子として生まれ、やがて長崎で藩の商売を行う出先機関で坂本竜馬と交友を深め、藩立の商社を自らのものとして海運業で成功するも、外国海運会社との激しい戦いが待っている。それに勝利すると、今度は大隈重信に入れ込んでいるととられ、薩長政府に徹底的に締め上げられる。この戦いの最中弥太郎は52才の若さで胃癌による壮絶な最期を遂げる。憤死、悶死と言っていい。
 しかし、この難時を温厚な弟の弥之介が救い、やがて弥太郎の長男、久弥にバトンタッチし重工業への進出に成功、さらに弥之介の長男小弥太へと引き継がれ終戦の財閥解体に至る。岩崎家は必要な時に必要な人材が事に当たる、幸運に恵まれた一族であることを、この本で知った。
 三菱グループの発祥の母体と思われている日本郵船が何故三菱を名乗らないか?薩長政府は、それに対抗する立憲改進党(党首大隈重信)とそれを人材で支える福沢諭吉(慶応義塾から自由民権を唱える人材を輩出していた。未だ早稲田は存在しない)、財力で支援する岩崎弥太郎を潰しにかかる。先ず標的にされたのが三菱商会、政府は渋沢栄一らを担いで共同海運を設立、これを強力にバックアップする。凄惨な戦いの中で弥太郎が死に、共同海運も共倒れの危機に瀕する。ここで弥之介の下両社の合併が行われ日本郵船が発足する。当初は共同海運側がイニシアチヴを握るが、やがてその道の専門家が多い三菱の人材が主導権を握り、完全な三菱合資下の会社になる。その意味で今にその名を留める日本郵船は日本近代政治史の生き証人とも言える。
 在野の史家(高校の歴史の先生か?)が書いたものだが、幕末・維新を独特の角度から描いた秀作である。

以上

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