2011年2月13日日曜日

決断科学ノート-57(ドイツ軍と数理-6;最終回;兵器の稼働率改善)

 戦術、戦略いずれのレベルでも直接戦闘(軍事ORの三大適用分野;捜索、射爆、交戦)に数理が使われた形跡は全く無い。それでは、連合国側でその適用が顕著だった兵站問題(補給・輸送・貯蔵)に目を向けてみたが、そこにも作戦計画段階での定量的な検討は見られるものの、実施段階では組織や道路・鉄道事情にそれ以前の問題が山積みしており、数理どころではなかった実態が明らかになってきた。それでは第三の適用分野、兵器の稼働率や信頼性改善活動への数理応用はどうだっただろうか?
 英国のOR起源がレーダー運用と深く関係していることはよく知られている。当時のレーダーは実験室レベルの技術をいきなり大規模実用化し、実戦を通じて改善・改良して行った。したがって慣れぬオペレーター(軍人)がこれを上手く使いこなすことは至難の業だった。ノイズとシグナルの判別、高度・距離・方角の特定など、実験・実戦を通じてデーターを科学者の指導を受けながら分析し、完成度を上げていっている。また、Uボート捜索では、初期の段階で爆撃機軍団と沿岸防衛軍団の間で4発機の奪い合いが起こる。限られた哨戒機で実効を上げるためには、その稼働率を高めることがカギになる。そのためには稼働率の決定因子を突きとめ、その隘路を取り除く必要がある。後にノーベル物理学賞をもらうような学者達が、このような裏方仕事に情熱を傾ける姿はドイツには無かったのだろうか?
 レーダー開発においてドイツは決して英国に遅れをとっていなかった。しかし防空システム構築を手がけ始めるのは1940年7月、この防空システムはデンマークからフランスに至る空域をいくつかの戦域に分割し、そこにレーダーと指揮所を設けて夜間迎撃戦闘機を誘導するもので、レーダー実用化(稼働率・信頼性向上;主にハードウェアの改善)に際してはメーカー(テレフンケン)の技術者と軍人の協力関係があったとの記録が残っている。ただ当初は対空砲も含めたシステムではないので、英国に比べ総合力で劣っていた。
 装甲軍、特に戦車・自動車の稼働率に関しては、全体的な隘路は部品補給の輸送にある。上手くいった西方作戦では、空輸による補修部品供給が効をそうし、現地での修理が短く済んで稼働率を上げている。しかし、東方作戦では自動車の場合、あまりにも車種が多く(2000種;フランスで鹵獲したトラックを多数含む)、部品の輸送問題もあって、混乱を極めている。戦車については損傷の内容・数も西方に比較して酷く、随行する整備中隊の手に負えず、母国まで後送しないと修理できないものが多かったことが、全体の稼働率を著しく低下させている。
 このような事例から分かってきたことは、ハードウェアの修理・改良という点ではドイツ軍もよく努力しているのだが、故障の大本となる原因究明や組織面での効率改善に踏み込む考え方が見えないことである。つまりソフトウェア面からの問題解決アプローチに欠けていることが浮かび上がってくる。これはどこから来ているのだろうか?
 その理由を、私は“狭量な専門家意識”、そしてそれと無縁ではない“組織の縄張り意識の強さ”にあると考えている。第一の点は“マイスター制度”や“大学の講座制”などに見られる伝統的な職業専門意識の強さ。これは英国の“アマチュアリズム尊重”と対極をなす。組織の問題をさらに複雑にしたのは、伝統的なプロシャ軍人魂、ナチスというイデオロギー集団、それと一般民間人の職業意識間の葛藤である。個人も組織もそれぞれが与えられた条件化で最適化を目指す。全体最適はどこにも存在しない。
 結局、これが稼働率・信頼性向上に留まらず、ドイツ軍で数理応用が発芽しなかった唯一・最大の理由に違いない。
(ドイツ軍と数理;完)

 次回からは東燃のグループの第2世代プロセス・コントロール・システム、TCSプロジェクトについて連載する予定です。

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