2011年8月27日土曜日

決断科学ノート-86(大転換TCSプロジェクト-23;派米チームの苦闘-1)

 1980年秋、次世代システムはIBMのACS(Advanced Control System)と横河電機のCENTUM-Ⅳに決まった。一年先、‘81年秋には和歌山工場のBTX(ガソリンに近い石油化学原料)プラントの更新を完了しなければならない。単独システムとしては両システムとも既に稼動していたが、一体システムとしては結合テストすらしたことがない。異なる会社の異なる製品だから当然である。この作業は東燃が主導し、IBMと横河が協力するジョイント・プロジェクトになる。
 ヴェンダーセレクションが大詰めを迎えた頃、中央チームを率いていたMTKさん(本社情報システム室次長)が川崎工場の私のところにやってきた。用件はACSとCENTUMを結ぶ仕事と最初のBTX導入作業のため、プロジェクトチームを構成する件だった。チームは二つ設けること、一つは和歌山の導入チーム、もう一つはその後の置換えプロジェクトを含めて、個々のプロジェクトを支援する中央サポートチームである。そしてこの中央サポートチームには、結合システム(実際は単なる両システムの通信システムに留まらず、実働する一体化システム)開発をERE(ニュージャージ;NJ)でやらせたい。そのために川崎工場から要員を出してくれ(和歌山はBTXプロジェクト準備で余裕が無いため)と言うのだ。具体的な希望は、川崎工場オンサイトSEのリーダーを務めていたYNGさんとIBMシステムのスペシャリストITSさんである。二人ともSE課のキーパーソンだが、統一共通システムの開発とそれによる技術者の生産性改善は、こちらも提言者の一人だったから「No」と言うわけには行かない。石油化学(TSK)も含めてSE部門を主管する副部長のDYMさんは難色を示したが二人を出すことにした。
 この他にも本社情報システム室のKMTさん、TSKからはTJHさんが出て、TKWさんをリーダーに、中央サポートチーム兼一体化システム開発チームが構成された。また、これに合わせて日本IBMでもOSKさんがACS専任SEに、横河電機でも何人かの技術者がこのプロジェクトにアサインされた。
 この時期エクソングループでは、いくつかのACSプロジェクトが立ち上がりつつあったので(カナダのインペリアルオイル・サーニア製油所、ラーゴオイル(エクソンとヴェネズエラ資本の合弁)・ラゴヴェン製油所)、EREに開発専用マシーンを置き、そこで集中的に開発作業が出来る環境を作ることになり、東燃もその計画に加わることになった。こうすることでIBM本社のACS専門家とコミュニケーションが良くなり(IBM内でも、ACSは非常に特異なシステムであったため専門家は限られており、この方法が唯一対応可能な体制であった)、単独開発よりも費用を抑えることが出来るメリットがあった。しかし、日本側(東燃メンバーに限らず)の担当者にとっては長期単身出張・英語と言う不自由は免れなかった。加えてERE本館に充分なコンピューター設置・作業スペースが無いため、敷地内に数個のトレーラーハウスを繋いでこれに対応せざるを得ないような状況だった。
 ヴェンダーセレクションが済むと中央サポートチームメンバーとMTKさん、SGWさん(国内外の調整役)が渡米。MTKさん、SGWさんはEREやIBMとの体制作りや費用負担の方法に目途をつけ帰国、他のメンバーは翌年(’81年)の5月まで米国で開発作業に従事することになった。

P.S.;派米チームの活動については直接関係する立場にはなかった。従ってこれ以降数回連続する同チームに関わる話題は、派米メンバーが送ってくれた公私信(手紙)や中間で訪米し現地での課題整理・慰労に当たったMTKさんらの話しに基づいています。年月も経ち、記憶が定かでないこともあって、不正確な点(特に、時期・人名・所属・役職)が多々生ずる恐れがあります。本ブログの読者でこれに気付いた方は下記メールアドレスに修正情報をいただければ幸いです。逐次記事の中でそれを正して行きたいと考えていますので、よろしくご協力をお願いいたします。

メール送付先;hmadono@nifty.com

(次回予定;“派米チームの苦闘”つづく)

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