2011年10月2日日曜日

今月の本棚-37(2011年9月分)

<今月読んだ本>
1)レーニンの墓(上、下)(ディヴィッド・レムニック);白水社
2)電車の運転(宇田賢吉);中央公論新社(新書)
3)決断できない日本(ケビン・メア);文藝春秋社(新書)
4)ローマ人の物語(41、42、43、ガイドブック)(塩野七生);新潮社(文庫)
5)祖国なき男(ジェフリー・ハウスホールド);創元社(文庫)

<愚評昧説>
1)レーニンの墓
 1966年以来続いたブレジネフ政権は1982年彼の死によって終わる。その後の3年間、二人の老人、アンドロポフとチェルネンコがトップの座に着くが相次いで死亡、1985年3月若いゴルバチョフがソ連共産党書記長に就任する。エネルギッシュな風貌に、その後のロシアを予想するものは無かった。しかし、ブレジネフ末期から始まっていた計画経済の行き詰まりや東欧の民主化を求める行動が、ソ連社会に変革を求める力として蠢きはじめていたのだ。聡明なゴルバチョフがそれに気付かぬ筈はなかった。当初はそのガス抜きと言ってもいいペレストロイカ(民主化)が当事者も予想できぬようなスピードで展開し、ついに1991年12月のゴルバチョフの退任でソヴィエト連邦は崩壊する。
 著者はワシントンポストの記者。1988年1月モスクワ支局勤務となる。夫人もニューヨークタイムズで働いていたが同時に転勤。ペレストロイカに合わせて進められていたグラスノスチ(情報公開)にも助けられてソ連社会の変容を追い求めていく。
 その手法は文書を追うよりはインタビューに重点が置かれ、種々の制約(特にKGBの監視・干渉)の中であらゆる階層の人々と会い、現実に何が起こっているのかを、個人の体験や歴史を含めて探っていく。上はゴルバチョフやその右腕ヤコブレフ、エリツィン、守旧派のリガチョフ、反体制派闘士であったサハロフの夫人などから、下は差別を受け続けてきた辺境の少数民族やストライキを行っている炭鉱夫、集団農場に背を向け村八分になりながら個人農場を立ち上げる農夫、はたまた頑迷なスターリン主義者にも及ぶ。地理的にもそれまで外国人の立ち入りが不可能だった、収容所列島中の禁断地帯、マガダン地区(沿海州北部)や樺太まで出かけている。これらを通じながら、鉄の統制が次第に崩れていく現場と背景を明らかにしていくのである。
 上下巻それぞれ400頁を超す大冊で、上巻はソ連以前を含めたロシア統治の根源的要素(猜疑心、上からの抑圧体質、人種差別、官僚腐敗など)から、フルシチョフのスターリン批判、それに対するブレジネフの巻き返し、ペレストロイカの実態まで広い範囲をカバーし、下巻は専ら1991年8月に起こった守旧派によるクーデターに至る背景からそれが失敗に終わるまでの経緯に割かれている。したがって上下巻が継続しつつ、独立の読み物としても読める。こうなった背景は、著者のモスクワ勤務が1991年8月までで、帰国したNYの空港でクーデター勃発を知らされ、モスクワにとんぼ返りして取材に当たったことによるものと思われる。
 上下巻を通して、著者が掘り下げているのは、共産主義とは関係なく、ロシアの統治システム(するシステム、されるシステム)の歴史的特徴である。そこから見えてくるのは自由・民主を求める一方に、“強いリーダー”に指導されることを好む国民性・民族性である。これが三権分立型の民主主義が育たず、行政(官僚)主導で立法や司法がそれに従う統治システムを作り上げているのではないかと言うことである。本書出版の後で出現するプーチン政権とそれへの人気は、当にこの予見の正しさを証明したとも言える。
 著者とその夫人の祖先は共にユダヤ系ロシア人で、ロシア革命前後に米国に移住している。一族の中にスターリンの粛清やそれ以前のポグロム(ユダヤ人集団迫害)の被害者もいるようだ。単なる一党独裁政権崩壊に留まらない、ロシア社会の変容を綿密に調査分析出来ているのは、そのような出自が深く影響しているに違いない。
 1994年のピュリッツァー賞受賞作品。日本語版出版が何故こんなに遅れたのであろうか?チョッと残念な気がする(上巻と重複する内容の単行本が既に出版されていたからであろうか?)。

2)電車の運転
 本欄-32(4月分)で紹介した「定刻発車」の“運転士版”とも言えるものである。前者が巨大システム(経営、駅設備など)を対象にしたものであるのに対して、本書は専ら広い意味(車両設計や保線などを含む)での“運転”に特化したところに違いがある。著者は旧国鉄時代から主に中国地方の電車・電気機関車を運転してきたOBである(蒸気機関車の免許も持つ)。鉄ちゃんや技術者、科学ジャーナリストによる鉄道物は数多く出版されているが、運転士の書いたものはきわめて珍しい。ロングセラーたる所以だろう。
 漫然と電車の運転を眺めていると自動車より簡単な気がする。前後左右に併走する車両もないしハンドル操作も不要だ。しかし読んでいくうちにこれが大変難しいことが分かってくる。電車の型式と編成、天候、混み具合、電力事情(ラッシュ時と非ラッシュ時)、駅間距離、停車時間さらにはエネルギーの経済性など全てを配慮しないと効率的で安全な定刻運転が出来ない。そこには高度な職人技が必要なのだ。中でも難しいのがブレーキング、停車指定位置にピタッと止められるようになるには相当な経験と技量を求められる。
 上記以外にも運転士が知っておかなければならないことは沢山ある。走行するレールの種類、路床状態(枕木を含む)、変電所配置、多種の信号の意味、キロポスト(距離表示)、勾配、曲率と線路の傾きなどなど。
 以上のようなことを、前駅を発車し次駅で停止するまでを例に、関連技術情報や運転士の心理状況の解説を交えながら語ってゆく。
 福知山線事故後に出版された本だが、そのことには全く触れていない。まだ、裁判の最終結果が出ていなっからであろうか?しかしこの本を読むと、チョッとした不注意が大事故につながることもよく理解できる。
 電車の運転が高度技術であることをあらためて認識させられた。説明用写真が多用されているが、新書ゆえに小さくて判然としないのが惜しい。

3)決断できない日本
 沖縄の米軍基地問題は、今や日米間最大の政治的宿痾となっている。そんな中で「沖縄はゆすりの名人」と発言したと報じられ、更迭された、米国務省元日本部長(沖縄総領事も務めたことがある)が書いた弁明の書である。とは言ってもあのことだけを取り上げているわけではない。日本人を妻とし日本語を良くして、最近の国務省では珍しい存在になりつつある日本スペシャリストとしての、日米外交最前線の現状報告と日本人への助言・警告の書と言える。「日本の安全保障、日米同盟にとって沖縄の米軍基地が不可決であることを、日本の政治家・政府はきちんと国民・沖縄県民に説明せよ!(逃げるな!誤魔化すな!)」これが本書の要旨である。もっともだと思う。
 “ゆすりの名人”が記事になるいきさつは、アメリカン大学(ワシントンDC)の学生が沖縄訪問に先立って国務省にレクチャーを求めてきたことに発する。実はこれらの学生は反軍事基地を唱える教授に指導されており、さらにその裏には沖縄の米軍基地反対活動を行っている在米日本人女性弁護士がコーチ役についている。さらにこの弁護士が共同通信の記者に通じていることによって、あの記事として発信されたのだ(学生たちは沖縄訪問時“No Base”と書かれた横断幕をキャンプ・シュワブの金網フェンス張り付ける)。国務省も本人もこの仕掛けに全く気がついていない。その点では脇が甘いとの謗りは免れないが「完全に嵌められた」と言っていい。
 国務省内での外部の人間との接触にはPC、録音機の類は持込を許されていない。従ってもとネタは学生がブリーフィングを受けた後記憶を基に起したものらしい。著者が話したのは“master of manipulation”(操作の名人)である。これを“ゆすり”と訳しては受験では減点であろう。明らかに意図的な“超訳”である。最近のわが国メディアの憂うべき状態は多くの人が語るところであるが、ここまで堕落しては何をかいわんやである。新聞が売れなくなり、TVを見る人が減ずる傾向は一般人の健全な良識の証かもしれない。
 この“操作”発言の基となる日本政府や地方自治体(警察など)の情けない言動(反体制派やメディアにおもねる)の数々が、基地問題を中心に語られるが、日本人として恥ずかしくなるばかりである。この本が超ベストセラーになることで日米関係が改善することを切に願う。

4)ローマ人の物語-ローマ世界の終焉-(41、42、43、ガイドブック)
 単行本で15巻、文庫本では43冊。今回の3冊でいよいよ最終回である。紀元前753年(伝説)に発した(西)ローマ帝国は紀元476年終焉を迎える。東ローマ帝国はその後1453年まで続くが、その首都はコンスタンチノープル、そこは“ローマ”ではない。
 それまでも西ゴート、東ゴート(両者ともゲルマン系)の侵入は相次いでいたが、ローマの領土を侵しては略奪を繰り返すのが蛮族の行動パターンだった(隣接する土地を奪い領地とすることもあったが)。しかし、帝政末期の蛮族侵入は自らの意思ではなく、アジア系のフン族に追われての帝国侵入で、彼らも帰るところがなかった。これにより帝国内の各地に蛮族が居座ることになる。これが歴史に言う“ゲルマン民族大移動”の実態なのだ。
 ローマ軍兵士の特権(市民権取得や退職後の土地付与など)が意味を持たなくなると、尚武の気風も失せ、帝国を守るのは蛮族出身の将軍・兵士に代わっていく。そして彼らの独立王国の下地が作られていくのである。フランク族はガリア(今のフランス)を、ヴァンダル族は北アフリカを、スヴェビ族はイベリア半島を、アングロ・サクソン族はブリテン島(今のイギリス)を支配域としていく。最後に残るイタリア半島は蛮族出身の皇帝に委ねられるが、彼も土地争いの中で殺される。激しい権力闘争の結果ではなく、歳を重ねた生き物が知力・精神力・体力を失いやがて死を迎えるような帝国の終わり方であった。
 帝国晩年(最後の20年)の皇帝は9人も代わっている。それでもわが国の首相より在位期間は長い。願わくはローマの歴史に倣わぬことを!

 ガイドブックはふんだんに写真を使った著書の超ダイジェスト版、イタリア(旧ローマ帝国)旅行の時にあれば大いに役に立つ。最後にこの長編をまとめるに当たっての著者の考え方や旅、資料、時間の使い方などが対談で語られ、労作完成までの背景を垣間見ることが出来る。これも価値ある情報だ。

5)祖国なき男
 第二次世界大戦時に舞台を設定した戦争サスペンスだが、組織的戦闘シーンは出てこない。スパイ物に近いがスパイ小説でもない。一人の男が巨悪(ナチス)と戦う冒険小説の一種である。
 この作品には前作「追われる男」があり(私は読んでいない)、これはその続編ともいえるのだが、前作が英国で発表されたのは1939年、本書(原書)発行は1982年と40年以上の間隔があり、独立した作品として読んでも違和感はない。それにしても長い休憩期間である。
 主人公は英国名家出身の男、母がオーストリア人だったことからオーストリア人の恋人(併合反対組織につながる)を持つ。しかし、この女性がナチスの拷問で惨殺されたことから反ナチス活動を一人で始め、ナチス国家保安部(SD)に追われ身となるが辛くも本国に帰還する(ここまでは前作を踏まえたプロローグ)。
 復讐のため、ニカラグア人に化けて再度ドイツに潜入。やがて第二次世界大戦が勃発し、主人公は兵役につくため中立国スウェーデン経由で帰国を目論む。しかし、この地の英領事館はスパイ嫌疑で帰国を拒否。スウェーデンは入国前地、ドイツ占領下のデンマークに送り帰す。ここから「祖国なき男」となった主人公の逃避行が始まる。ポーランド、スロバキア、親独政権のハンガリー・ルーマニア、中立国トルコ、ドイツ占領軍が犇めくギリシャ、反独パルチザンが活発なユーゴスラビアへ。ついにアルバニアでイタリア軍に捕まりアドリア海を渡ってイタリア送りとなる。しかし、その船が機雷に触れ沈没、英駆逐艦に救助されパレスチナへ、英陸軍の取調べは厳しくスパイ容疑のままエジプトへ送られる。本国送還の船がケニアの港に入るとまた逃げる。
 それぞれの国での国際関係、政治・軍事情勢、支援組織、地理・気候などがこの逃避行によく配慮され、あたかもその時代そこに居るような気分で読み進んでいった。この手の小説はやはり英国が一番だ!
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