2011年10月30日日曜日

決断科学ノート-96(大転換TCSプロジェクト-33;TCSをビジネスに-1)

 ACS(高度プロセス制御システム)はIBMの製品である。しかし、エクソンとの共同開発という経緯もあり、商品としての積極販売は始まったばかりであった。日本での営業体制も専ら東燃向けビジネスに主眼を置いて、あたかもプロジェクトチームのように運営されていた。しかし、順調に第一号システムがスタートしたらそれで終わりと言うわけにはいかない。技術部隊がBTX稼動に向けて奮闘している1982年秋、営業戦略の検討が進められ、東燃に対して販売活動への協力打診が行われる。最初のアプローチはTCSプロジェクトリーダーのMTKさんや中央開発チームのTKWさん辺りへの個人的な問いかけだった。
 BTXスタートアップに追われながら、時たま連絡・報告に本社に戻ってきたTKWさんは「次の和歌山プロジェクトは1年後なので、是非外販をやってみたい」と言う。MTKさんは「東燃テクノロジー(エンジニアリング子会社;TTEC)がシステムビジネスに興味を持っている」と告げてくる。MTKさんは上司、TKWさんは部下という関係になるが、TCSの推進に中核的な役割を果たしてきた二人とは明らかに背景が異なる。この問題に対して、今ひとつ積極的になれないのが本音であった。ただ、当時の東燃は著しく新事業開発に注力しており、少しでも人的余裕が出るとそちらへスカウトされるケースが多発していた。特にSEはつぶしが利くとみられ、既に数理や電子専攻者が、私が赴任する前からそちらの方へ異動していた。TTECは新規事業ではなかったが、外に向かうビジネスパワーとして期待されていたので、ここで何かを始めれば当面人材引き抜きの危機を回避できる。こんな事情から私も次第にTCS外販ビジネスに興味を持っていった。
 日本IBMのACSビジネス協業プランも初めはそれほど明確なものではなく、営業活動への協力(客先での事例紹介のような)が主体で、システム導入が決まればその後の顧客導入サポート業務やアプリケーション開発を東燃に任せたい、と言う程度のもだった。このような話をベースに、こちらのビジネスプラン(主に取り組み体制)を検討しているところへ舞い込んできたのが住友化学千葉工場へのACSの売込みである。
 この話はIBMのACS営業担当MTIさんが工場の製造課長と旧知だったことから起こり、商談は東燃抜きでかなりのところまで進んでいたが、全体予算がどうしてもオーバーしてしまい、それを下げる策を考える中から生じてきた。ACSを走らせる汎用中型機、IBM-4300の販売にエクソン・ディスカウントを使わせてもらえないか?と言う問いかけである。IBMとエクソンの間にはグローバルに4300販売に関して数量ディスカウント契約があり、当然東燃はこの対象だった。IBMはその値段なら住友の予算に合うので東燃経由で納める奇策を考えたわけである。TTECを通してこの可否をエクソンに問い合わせると「IBMとの契約量をこなす助けになるからOK」との返事が返ってきた。こちらの目論見とはまるで異なる妙な商売ではあったが、こうしてTCS関連ビジネスがスタートした。
 1983年1月TTECにシステム部を発足させ、部長は情報システム室次長のMTKさん兼務、私を含めメンバーも全て数理システム課兼務で外販ビジネスを本格化することになった。
(次回予定;“TCSをビジネスに”つづく)

0 件のコメント: