2012年1月17日火曜日

遠い国・近い人-14(ハンディキャップを超えて-2;韓国)



蔚山コンプレックスへのACSIBMの高度制御システム)導入は88年の1月にキックオフし同年の8月には順調に稼動した。それまで担当者は無論彼らの上司や営業も現地を訪れていたが、私は一度も出かけていなかった。4月に役員となりこのビジネスの責任者となっていた私は、どこか区切りで挨拶をと思っていたので、8月末から9月初旬にかけて数日、初めて韓国訪問をすることになった。ソウルオリンピック開催を間近に控えた、何かと慌しい時期である。こちらのスケジュールも前後の予定もありタイトで、実質35日のワーキングデー、この間にソウル・蔚山間の移動やIBM主催のセミナーも入ると言うものだった。
それまでに何度か研修などで東京を訪れていたJHとは、この時点で最も親しい油公(ユゴン)関係者になっており(と言うより唯一の韓国人)、この訪韓の計画は万事彼に調整を頼むことになる。例外は土日(土曜日に出発)だけ。ここは当時モービル韓国の副社長していた大学時代の友人に面倒を見てもらうことした。JHから市街地から離れた(そして油公の本社からも遠い)ホテル(ハイアット;南山地区;当時はここが欧米人を中心とする外国人居住区だった。友人もここにあるマンションに住んでいた)に何故泊まるのかとの質問がきたが、事情を知らせ納得してもらった。それでも空港(金浦)到着時からホテルまでの注意事項は確りJHがファックスで知らせてくれた。オリンピックのために英語を話すタクシーがあり(88;パルパル・タクシー)、それは乗り場も外観も(内装も)料金も違うこと、市内までの大よその料金はいくらぐらいであること、もしトラブルが生じた場合の連絡先など、彼らしい細やかな気遣いに満ちたものだった。その助言もあり特に問題も無くホテルにチェックインすることが出来た(オヤッと思ったのは、途中交差点で車が止まったとき、中年のおばさんが助手席に乗り込んできたことである。初めは運転手の知り合いかと思ったが、どうやら便乗客だったようで、市街地で降りるときお金を渡していた)。
翌日曜日友人の案内で梨泰院(イテウォン)、明洞(ミョンドン)、南大門(市場)などソウルの観光スポットを案内してもらい、ホテルでの会食も済ませ部屋で明日からの準備をしていると9時過ぎ電話が鳴った。JHからだった。「今からホテルに行って明日以降の予定について確認したい」とのこと。思わず「どこから電話しているのか?」と聞いてしまった。彼は当時蔚山勤務だったからである。聞けば実家がソウルにあり、私を迎えるためにその日の夕方蔚山を発ちこちらにやってきたのだという。到着後何度かホテルに電話したようだが、こちらが観光や会食で部屋に居らず連絡が着かなかったのだ。
10時頃、不自由な身体に関わらずホテルにやってきた彼はいつものくりくりした笑顔で歓迎の挨拶を交わすと翌日からの行動計画をエネルギッシュに説明してくれる。例によって細かい気配りも忘れない。「明日の朝はどうする?迎えに来ようか?ソウルでは実家の車を利用しているんだ」オリンピックに向け一部地下鉄の開通があったとはいえ、当時のソウルの主要交通手段はバスとタクシー、外国人が一人で動ける環境ではなかったし、まして市街と離れた南山ではそのタクシーも立ち寄る数が少ないようだった。しかし、幸い友人が社有車を回してくれることになっていたので、JHを煩わすことは無かった。
JHの作ってくれたスケジュールは完璧、特に経営者や上級管理職とのミーティングや会食はこちらが望む以上のものだった。こうして初の韓国訪問がスタートした。
(つづく)

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