2012年1月31日火曜日

遠い国・近い人-16(ハンディキャップを超えて-4;韓国)



日韓の間には所謂“歴史問題”がある。韓国とのビジネスが立ち上がったときも先ず気になったのはこのことである。小学校から高校まで僅かだが在日朝鮮人(北を含む)と噂される同学年生が居た(高校の同期以外は日本姓だったので、越境入学していた私には当初分からなかったが)。特に日常の学校生活の中で差別は無かったものの、陰でふとそれが話題になることがあった。根底に民族蔑視があったことは確かである。この負い目とメディアで伝えられる反日感情に対する不快感が、そのときまでの個人的な対韓感情と言ってよかった。
JHとその上司である崔さんとの初対面で最も気を遣ったのはこの点である。「決して失礼の無いように。しかし過度に自らを卑下もしないように」と。幸い、崔さんは日本語に堪能、JHは流暢に英語をこなすので、誤解を生ずるようなことは何も無く関係をスタートすることが出来た。その後のソウル(本社)や蔚山(工場)訪問でも、この点で不愉快な思いやビジネス上のトラブルが生ずることは皆無だった。しばらくすると、個人としての相互理解も深まり、このデリケートな点に関する特定な問題(主に政治的な)を食事の際の話題に出来るようになっていった。結論は「政治家が浅慮だから」「メディアは直ぐに騒ぎ立てるから」と言うようなところに落ち着くのである。チョッと激しく言い合うのはスポーツ(特にサッカー)の優劣を論ずる時くらいだが、これは巨人とアンチ巨人ファンの戦いと何ら変わらない。
だからと言って韓国人の心の奥底にある複雑な対日感情が大きく変化したわけではない。それは身の周りに、個人としてあの時代の厳しい扱いを体験した人が現存しているからだ。JHと遠慮なく話が出来るようになったある時、実家における日韓問題を聞かせてくれたことがある。
彼の家庭(実家)は父(確か教育者だったと思う)母のほか兄・姉・自分・妹の六人家族。子供たちは皆大学まで進んでいる。目覚しい工業化が進む以前の韓国で、女性も含めて高等教育を受けているのはかなり恵まれた中産階級と言っていい。その中で兄は際立った秀才、大学では機械工学を専攻し卒業後韓国ロッテに就職する(この時期ヒュンダイやサムソンなども今のような大企業になっておらず、韓国ロッテはエリート大学生憧れの企業だった)。ここでも優秀な兄は幹部候補生として選ばれ日本のロッテへ長期派遣されることになる。一族の誇りと期待は一段と増した。しかし兄はそこで日本女性と愛し合う仲となり結婚を決意する。父親は頑としてそれを許さない。「日本人と結婚などとんでもない!」と。少年だったJHにとって、学校教育で受ける日本批判とはまるで異なる次元での反日は相当ショッキングな出来事だったようだ。兄はその後韓国女性と結婚、独立して即席麺の会社を立ち上げその製品は海外にも輸出されほどになっている。家族の期待は念願通り適えられて一族の尊敬を集めているという。
それぞれの家庭にこのような個別の歴史が身近に存在する韓国とメディアから知識を得るだけの日本。この違いこそ“歴史問題”を複雑にしていると学ばされた一話である。

(つづく)

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