2012年1月6日金曜日

今月の本棚-40(2011年12月分)


<今月読んだ本>                              
1)リーダーシップ(山内昌之);新潮社(新書)
2)危機の指導者 チャーチル(冨田浩司);新潮社(選書)
3)日本経済の底力(戸堂康之);中央公論新社(新書)
4)ヒトラーの最期(エレーナ・ルジェフスカヤ);白水社
5)イタリア旅行(河村英和);中央公論新社(新書)
6)サザンクロスの翼(高嶋哲夫);文藝春秋社(文庫)

<愚評昧説>
1)リーダーシップ
著者は中東地域研究の専門家としてしばしば新聞紙上でみかけるが、ここ数年は国内政治に関するコメンテータとしても登場する機会が多い。これらに関する分野での著書も多くその内容も高く評価されている(紫綬褒章のほか司馬遼太郎賞など受賞)ようだが私は読んだことが無かった。たまたま水泳仲間の一人から、この人がTV番組で最近の首相のリーダーシップについて論じているのを又聞きし本書を読むことになった。
この本は、リーダーシップに関する研究活動内容を書き下ろしでまとめたものではなく、今までに、歴史上の優れた指導者(政治家、軍人など)の言動を主題にして、雑誌や新聞に発表したエッセイや小論を集めて編集し、これを材料に最近の著しくリーダーシップを欠くわが国首相(特に鳩山・菅、それに首相ではないが小沢)を俎上にあげて批判したものである。つまり読みやすい時事評論調の本といえる。
登場する偉人たちは、義経や信長、吉田松陰、西郷隆盛など日本史にその名を残す大物為政者ばかりではなく、明暦大火や安政大地震の危機管理者、はたまた日露戦争の秋山兄弟、ミッドウェーの山口多聞少将などの軍人、さらにはナポレオンやビスマルク、毛沢東など外国人にもおよぶ。能天気な鳩山や責任回避の名人、菅とは桁違いの人物でとても比較対象にはならない。その意味でこの本は現代のわが国為政者の在り方を論ずるには、手本が立派過ぎて無理がある。
従って読み方としては「偉人たちからリーダーシップの根源を学ぶ(ここは大変面白い)」部分と「愚かな政治リーダー達のたな卸しに憂さ晴らしをする(これはこれでかなり痛烈である)」部分に分けて読むことが適当であろう。
結びとして、「リーダーシップを発揮する際に、知識や教養だけでなく、危機にあってもたじろがない胆力や度胸を持つ必要性を本書で強調した。外国人の政治家と対面したとき、心のおびえや不安がすぐ顔にでる菅直人氏のような首相では困るのだ。(中略)そうした願いを込めて、(中略)本書を執筆したつもりである」としている。菅に対する評価は全く同感である。

2)危機の指導者 チャーチル
チャーチルについては既に多くの著作がわが国の作家・歴史研究家等によって出版されているし、海外の著作の翻訳も多数出ている。OR歴史研究には欠かせぬ人物だけに、本人の自伝や著作も含め私も随分読んできた。それでもチャーチル信奉者としてはつい手が出てしまう。そしてそれは期待に違わなかった。最近これほど付箋を挟み込んだ本は無い。つまり新しい情報が数多見られ、「そう言うことだったのか!」と認識を新たにする局面に遭遇することが多かった。例えば、チャーチル家の経済がかなり彼の著作活動に依存していたことである。ジャーナリストと見紛うほどの膨大な書き物は生活のためだったので、日々の公務のチョッとした出来事もメモを残すようにし、これを基に書きまくっていたようである(著作権や税金でかなり危ないことをしている)。また自著の「半生記」では勉強嫌いを強調し、サンドハースト(陸軍士官学校)受験に何度も失敗しやっと受かっても問題児であったように書かれているが(そして他の著書もこれをしばしば援用)、実は卒業時の成績は150人中8番の優秀者であった。これらは瑣末な事例だが、びっくりしたのは戦後ノーベル文学賞を受賞した「第二次世界大戦回顧録」の中に虚偽の記述があり、それが後世の研究者に発見され、これをチャーチル自身承知の上で真実を書かなかったことをその研究者が突き止めている。これなど“歴史から学ぶ”恐さを知らされた。
このような新しい情報の出現は無論著者の努力によるところも大きいが、公文書の公開期限がきて新たな資料が出てきていることとチャーチルを知らない世代の研究者が従来の“チャーチル浪漫伝説”に捉われない客観的な研究を深めてきていることによる。
著者は現役の外交官、仕事の合間にチャーチル研究を続けており、その成果を昨今のわが国政治環境(明らかに危機的状況にある)に喝を入れるべく書かれたものである。その点では先の“リーダーシップ”と趣を一にする。誰もが阿呆な政治リーダーを何とかしなくてはならぬという思いにかられているわけである。「国家の指導者かくあるべき」と。
しかし“リーダーシップ”同様比較対象が立派過ぎる。親の七光りは鳩山も同じだが(チャーチルの父は蔵相)若いときから心がけが違っている。若いときから政治家願望が強いのは菅同様だが、問題意識は初めから“大英帝国維持”にあり、武蔵野市や東京都のちまちました市民運動などから積み上げるような発想とは比べようも無い。もっとも選挙に勝つために豹変(所属政党を変える)するところは似ているが・・・。
著者のチャーチル評価は、平時であれば「上の下か、中の上」としながら、危機に臨んでは歴史的にも超一級の指導者としている。そしてその資質として“勇気”、“先見性(政治的嗅覚)”、“目標に向かって進む猛烈なエネルギー”を挙げている。その資質がどこから来ているか、どんな局面で発揮されたかを、比較的独立した章立てで解説していくので、長時間読書に時間を避けない人にも薦められる。
それにしても今の国会議員にこれらの資質を感じさせる人材はいない。せめて彼が第二次世界大戦中に唱え実行した「Action This Day!」だけでも学んで欲しい。

3)日本経済の底力
バブル経済崩壊後の景気低迷、次々と起こる金融危機、それに大震災、加えての円高、これらに無策な政治情勢。日本衰亡論が世に溢れる中でこのタイトル、“底力”は何とも魅力的であった。しかし読後感は期待するものからずれていた。つまり「こうすれば良くなる可能性がある」と言うことを、マクロ経済データを使って展開しているので、“在るべき姿”としてはそれなりに説得力があるのだが、“底力”が今ひとつ具体的に見えてこない。そしてこの「こうすれば」の中身はTPPFTAに代表されるグローバル化と東北地方への産業集積である。これらはあまりに頼りない“政治”に依存するもので、絵に描いた餅と言う感を免れない。
その理由は、本書が経済産業研究所(経済産業省所管)における「日本経済の創生と貿易・直接投資の研究」プロジェクトの成果を基に書かれたことによる。当に経産省として「こうありたい」と言う思いが込められた政策提言大衆版だったわけである(そう言う本であることを知らずにAmazonに発注した)。
著者は大学人の統計学・計量経済学の専門家。従って農業セクター主張(自由化反対)の数字のまやかしなどの指摘は“ビシッ”と決まっており、数理と意思決定の関係に関心を持つ私にとっては、政策の裏にある数字の扱いを知る上で参考になることが多々あった。

4)ヒトラーの最期
チャーチル同様ヒトラーも膨大な量と種類の書物が出版されている。“最期”をテーマにした本だけでもおそらく二桁はあるだろう。著者も作家、歴史家、ジャーナリスト、軍人、秘書など多様である。しかしロシア人(ユダヤ系)・女性・軍事通訳(ドイツ語)、しかもソ連崩壊後まで生き延びたとなると“今までに無い何か”が期待できそうな気がした。結果は当たりであり外れでもあった。ただし外れの部分はヒトラーの最期に関係しないという点であって、“今までに無い何か”と言う点では幾多の新鮮な情報に触れることが出来たので、読んだことには満足している。
これはチョッと妙な構成の本である。私なりに大別すると四つの部分に分かれている。第1部は独ソ戦開始からベルリン到達までの著者の参戦記録、第2部はベルリンにおけるヒトラー死亡の確認と事後処理、第3部は本件に関するジューコフ元帥との対話、第4部はこれら全部に関する孫娘との会話、がそれである。一応時間的には流れに乗っているのだが、ストーリーとしては独立しているので「一冊の本を読んだ」という感じが希薄になる。このような構成になった理由は、ソ連時代の表現の自由に関する数多の制約(発表の方式、内容検閲、時期、資料閲覧など)、ユダヤ人に対する差別(大学入学時所属民族名を求められそれが戸籍のように残る。このためまともな仕事に就けない)、それ故に作家として細々と暮らさなければならなかった(従軍時はモスクワ大学歴史学部の学生)ことによる。つまりこの本は元々一冊の本として書かれたものではなく、別々に発表されたものをソ連崩壊後補足調査などで加筆修正し“回想録”としてまとめ直したものなのである。
著者のペンネーム、ルジェフスカヤは軍事通訳速成学校を出たあとの最初の駐屯地ルジェフ(モスクワ東南;モスクワ攻防戦時はドイツ軍が占領)からきている。それだけ最初の戦場が強烈な印象を残したということであろう。そこからベラルーシ、ポーランド、ドイツ国境そしてベルリンまでの3年間が第1部。戦闘の中での捕虜尋問通訳や押収文書翻訳などをこなしながらの行軍生活が語られる。しかしその目は戦闘よりも、戦争に巻き込まれた民間人や下級兵士の日常に向かい、文体も情緒的な傾向があり、後の彼女の文学作品の材料になっているようだ。
ベルリンでは何と言ってもナチス高官特にヒトラーとその取り巻きの捕縛を目指すが、ドイツ側は大混乱で所在や生死がなかなかつかめない。いくつかの偶然が重なりやっとヒトラーの焼死体と思われるものが見つかりその検証のために生前治療に当たった医師や歯科医を探すことになる。検証も済んだヒトラーの遺体の一部(歯を含む顎部の骨)がスターリンに送り届けられるがスターリンはこれを決して公表しない。生死不明がソ連にとって都合がいい(ヒトラー伝説が徘徊し西側世界に不安が募るので)と考えたかららしい。真実は大戦の英雄ジューコフにさえ伝えられない。何故か?赤の広場の戦勝パレードの閲兵は本来最高司令官であるスターリンが行うものだが、スターリンはこれをジューコフに行わせる。しかし1年後ジューコフは失脚し、長く公職から遠ざけられる。スターリンの特異な性格(嫉妬深さ、猜疑心)がこのような不可解な行動につながっていたようだ。
ルジェフスカヤはスターリンの死後ヒトラー死亡確認の経緯を雑誌に連載することを許可される。それは西側にも伝わることになるのだが、死亡を裏付ける資料(当時のドイツ人医師の証言など)はどこかに秘匿され、閲覧を許可されることは無かった。これではただの噂話に過ぎないことになる。それが可能になるのはフルシチョフの時代、死体発見から10数年を経てのことである。
ジューコフがルジェフスカヤに会うのは1965年。末端の一兵士に過ぎなかった彼女にジューコフが会いたいと言ってくる。新たな資料を基にした改訂版をジューコフが読み、それがどこで得られたかを問い質するためである(ルジェフスカヤは資料保存機関の正式名称を知らされない。会話を通じてジューコフはそれがソ連閣僚会議公文書館であると推定する)。ジューコフはこの時回顧録を書いており自分も当時の資料を閲覧したいと思ったのだ。その会話の中で「何故私(ジューコフ)がヒトラーの死の検証を知らされなかったか」が話題になる。「ベリヤ(秘密警察長官)は知っていたのだろうか?スターリンの代理であった私が知らないのだから彼が知るはずは無い」ジューコフはこう自問自答する。著者は資料の中にベリヤがヒトラーの死に関し報告を受けていたことを発見しているがこれには何も言及しない。プライド高い英雄を落胆させたくない思いからである。「何故か?」の答えは結局突き詰められずに終わる。
ロシア人の秘密主義にロシア人が猜疑心を募らせるところにロシア的世界を垣間見る面白さがある。

コラム;
著者がモスクワ攻防戦時送り込まれる軍事通訳速成学校の周辺の地名や情景が出てくる。場所はヴォルガ川の東岸、ボルゴグラード(旧スターリングラード)から約600km上流、にクイビシェフ(現サマーラ)と言うかなり大きな都市がありその北東部の過疎の地に訓練施設が存在していた。クイビシェフは当時政府機関や大使館などが疎開したところで、戦後はソ連の宇宙航空産業の中心地、ソ連崩壊後も直ぐには外国人は入れなかった場所である。またこの周辺には油田地帯(現在は枯渇)があり多くの製油所が存在し、今でもその一部は操業している。200310月と12月にこの地域の何ヶ所かの製油所を訪問したことがあり、鉄道やマイクロバスの移動が多かったので、情景描写(特にヴォルガ川沿い)が懐かしく身近に感じられた。

5)イタリア旅行
現代のイタリア旅行のためのガイドブックではない。17世紀から20世紀初頭(特に19世紀)までのイタリア旅行の姿を描いたものである。今でも観光旅行先としてイタリアの人気は抜群だが、この時代のイタリアは世界唯一、広い意味での観光客が訪れる地であった。特に英国貴族の子弟研修のメッカと言っていい。そこには美しい景色と温暖な気候以上に、ローマからルネサンスに至る芸術・文藝を学び楽しむ数多の有名無名の人々が訪れていた。そしてそれらの研修成果が母国に持ち帰られ、それぞれの文化や芸術が独自の発展を遂げ、近代ヨーロッパを作り上げていくのである。
どんな時代に、どんな人物が、どんな動機で(英国人結核患者の転地療養はかなり多かった)、どんなルートを辿り、どこを訪れ、どんなものを残していったか、あるいは持ち帰ったか。旅行計画は如何に作られ、どんな資料(地図やガイドブックなど)があったか。文学では、絵画では、音楽では、建築では。ファッションでは。
登場する人物は文学関係だけでも、「イタリア紀行」を書いたゲーテや優れたガイドブックを作ったスタンダール、デュマ、ジョイス、バイロン、アンデルセン、ドストエフスキー(白痴はイタリアで書かれた)など多士済々。作曲家もショパン、ワグナー、サン・サーンス、グノー、ラヴェルなどが彼の地で大いに曲のインスピレーションを得ている。
筆者は建築家でイタリアの大学で研究活動をしている人。従って建築分野は特に力が入っている。宿泊施設に関する考察などは現代のイタリア旅行にも役立つ(グランド・ツアー時代の名残としてイタリアのホテルには貴族の宮殿などをリノベーションしたものが今でも多いことなど)。
この本を通じてあらためて(ローマ史以外の)イタリアの偉大さを認識させられた。これから旅行計画のある方に一読をお薦めする。

6)サザンクロスの翼
大東亜戦争末期の南方(ボルネオ、ジャワ方面)を舞台にした航空小説。表紙に描かれたDC-3にフロートをつけた異形の水上機に惹かれて購入した。凄腕の零戦パイロットが操縦してインドネシア独立に寄与する話である。
筆者は原子力関係の技術者(現役?)。過去の作品(サイエンスが主題)で新人賞やサントリーミステリー賞などを受賞している。この作品は書き下ろしで最新作。技術の細部はさすがに考証が行き届いているがストーリーは今ひとつ盛り上がりを欠く。他の作品を読んでみたい気にはならなかった。

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