2012年2月12日日曜日

遠い国・近い人-18(ハンディキャップを超えて-6;韓国)



仕事で韓国を訪れた最後は19973月。既にJHは石油ビジネスを離れ専らSK C&Cで通信関係を担当していた。それでも油公本社・蔚山コンプレックスとは密接な関係にあり、そこを訪問する私のためのスケジュール調整とソウルでの安さんとの面談などに尽力してくれた。実はこの時期、外貨借金経営のバブルで膨れきった韓国の経済危機が眼前に迫っていたことを私は全く気がついていなかった。やがて起亜自動車の倒産、財閥グループの整理、IMFの財政介入などが続き、それは油公にもおよんで、間もなく大リストラが始まったのだ。
1999JHが久し振りに来日した際、恵比寿のSPIN新オフィスを訪ねてくれた。聞けば蔚山の同僚たちの多くが油公を去ったとのこと。日本での訪問先はNTT傘下企業、NE C子会社など専ら通信システム関連企業で、石油より遥かに環境変化が急で刺激的な分野だと興奮気味に話してくれた。しかし率直に言って、プロセス工業にこだわりを持つ私にはチョッと寂しいことであった。
その後時々メールのやり取りやクリスマスカード・年賀状の交換などあったものの、SPINが発展的に解消し横河情報システム(YIC)が発足する(そして私がSPIN社長を退任する)2003年には音信が途絶えてしまった。後でわかるのだがこの時期彼は独立して自分の会社を立ち上げるべく奔走していたのだ。
2004年初め、次女の韓国留学(高麗大学)が具体化してきた。韓流ブームよりかなり早くから韓国文化(と言ってもポップカルチャーだが)に関心が高かった彼女は、社会人生活2年間でその準備をし、この年大学から入学許可が出て、長期滞在のための身元保証人が必要になった(お金で解決できるのだが)。そこで何とかJHと連絡を取ることを算段したが上手くいかなかった。時間も迫っていたので、その役割は別の友人(Mr. Huh(許);油公とは全く関係の無い;いずれ本欄で紹介予定)に頼むことで解決した。
JHの消息を探していることはしばらくして彼に伝わったようだ。久し振りのメールが届いた。SK C&Cを退職し数年前から自分の会社を経営していると言う。メールアドレスはWorlditechとなっている。これが彼の会社名なのだ。ホームページ(英語版も確りある)を辿ると、事業はIT関係(通信を含む)のコンサルティングであることが分かった。オフィスが中国とマレーシアにある立派なグローバル企業なのだ。
6月、娘の生活環境チェックを兼ねて家内と訪韓することにした。この際許さんには身元保証人を快く引き受けてくれたことのお礼、JHとは久しぶりの再会を楽しむことにする。限られたスケジュール(とは言ってもこちらはソウル観光程度だったが)の中で効率よく会うのは三家族が一堂に会することが適当と考え、泊まっていた新羅ホテルの日本レストランに夫人同伴で招待することにした。
JHは不自由な身体ながら以前通りエネルギッシュな立ち振る舞い、くりくりした愛嬌のある目で私の前に現れた。連絡の途絶えたことを詫びるが、見るところどうやら仕事は順調なようだ。こちらもホッとする。
JHと許さんは初対面、許さんも化学工学出身でエンジニアリング会社に勤務した後独立してプロセス工業向けソフトウェアサービス会社を経営しているので、仕事上JHとの共通点は多い。直ぐに打ち解けた雰囲気になっていった。男同士は英語で、韓国人と娘は韓国語で、我々親子は日本語でと言うやや複雑なコミュニケーション環境だが、食事・家族(特に子供;男の子の軍務)・学校生活など楽しい会話が弾んだ。仕事を離れても良い友人関係が持続できたことに感謝いっぱいの気持ちであった。
(つづく)

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