2013年4月29日月曜日

今月の本棚-56(2013年4月分)



<今月読んだ本>
1)完全なるチェス(フランク・ブレイディー);文藝春秋社
2)終着駅へ行ってきます(宮脇俊三);河出書房新社(文庫)
3)モサド・ファイル(マイケル・ゾウハー);早川書房
4)無地のネクタイ(丸谷才一);岩波書店
5)インターネットを探して(アンドリュー・ブルーム);早川書房

<愚評昧説>
1)完全なるチェス-天才ボビー・フィッシャーの生涯-
私はゲーム(囲碁、将棋、トランプ、麻雀)や賭け事(競輪、競馬)を全くやらない。かろうじてルールを知っているのは将棋と麻雀だけ。従ってそれをテーマにした書き物などはほとんど持っていない。それが何故本書を読むことになったか?
現在本を買う切っ掛けは現役時代の書店巡りから新聞広告・書評に転じてきている。その広告に“日本にも潜伏したチェス・プレーヤー”とあるのがフッと目を捉えた。「日本では人気のないゲームのプレーヤーが何故“潜伏”などしていたのか?」 広告には“冷戦”の文字もあった。好みのスパイ小説に通じるようなキャッチ・コピーが購入を決断させた。
戦後のチェスは専らソ連の独壇場だった。ソ連はチェスを知的オリンピックのような位置付けにして、子供の時から優れた人材の発見と育成に努め、この世界で強さを示すことで共産主義の優位性を喧伝する国策を採っていた。従って優れたプレーヤーは国が面倒をみたし、英雄視される社会環境だった。対する米国・西欧はあくまでも趣味の世界、プロ(職業)としてここで生きることはほとんど不可能な状況にある(この点ではまだわが国の棋士は恵まれている)。チェス・オリンピアードで対決しても鎧袖一触、金メダルはいつもソ連のものだったし、賞金をかけて行われる個人戦も勝者はロシア人が圧倒的に多かった。そんな中で登場してくるのが、本書の主人公、米国の天才、ボビー・フィッシャーである。
IQ180もあるが学校嫌い。シングルマザー(極貧の中で奮闘するこの母親はなかなかの人物)の子として生まれ、友達作りが不得意な子供は姉(姉には、母と離婚はしたがはっきりした父がいる。しかしボビーの誕生には、母の離婚後もう一人の男がかかわっている可能性がある)が6歳の時買ってくれた1ドルのチェス・セットで遊ぶのが唯一の楽しみだった。最初の師、ニグロ(黒人ではない)の導きで先ずブルックリン・チェス・クラブに特別入会(この時7歳。それまで子供の会員は居ない)、さらにこの師によって名門マンハッタン・チェス・クラブの史上最年少会員(12歳)となり、一流のチェス・プレーヤーとの交流が始まる。第2の師、コリンズの下でのボビーの進歩は著しく、1956年の全米ジュニア選手権で優勝。史上最も若いチェス・マスター(有段者の最下位)になる(134ヶ月)。14歳の時マンハッタン・クラブより格式が高いマーシャル・チェス・クラブの招待トーナメントで、インターナショナル・マスターかつ全米オープン選手権前チャンピオンを相手に打った“クウィーン・サクリファイス(相手にクウィーンを取らせて、キングを取る)”は全世界に知られ、「只者ではない!」と注目される。その後の高段位者との戦いも好成績をおさめ、15歳でチェスの最高位、インターナショナル・グランド・マスターの資格を得る。
ここら辺まで読んできて気になりだすのは、世界連盟はあるものの、世界規模で定期的に行われる、統一された戦いの場が無いことである。4年毎に開かれる“チェス・オリンピアード”は団体戦のみ。あとはスポンサーがついたとき開かれる国や地域のトーナメントやリーグ戦あるいは特別企画の一騎打ちなどである。ボビーがチャンピョンたちと対決したいと思っても容易にチャンスは巡ってこない。世界チャンピョンとタイトルをかけて戦う挑戦者になるのは1971年、28歳まで待つことになる。この挑戦者資格取得は、過去30年以上で初めての非ソ連圏・非ロシア人のプレーヤーだった。
ロシア人の世界チャンピョン、スパスキーとの世紀の対決はアイスランドの首都レイキャヴィクで最長24局戦、勝者の賞金は78,125ドル(敗者は4,6875ドル)で行われることになる(この外にTV・映画放映料や入場料などの一部も取り分)。しかし、この頃から表面的にはカネの問題のように見えるが、彼の奇人変人ぶりが顕著になりだし、主催者・ファン・メディア、それに対決者を悩ませることになる。第一局は会場に現れず不戦敗。キッシンジャー大統領首席補佐官からの「アメリカ合衆国政府はきみの活躍を願っている」の声に押されてレイキャヴィクに向かう。数々の奇行とトラブルを重ねながら21局目でボビーの勝利が決まり、晴れて世界チャンピョンになる。
英語の副題に“Rise and Fall(興隆と転落)”とあるように、これ以降は転落の物語である。あれこれと条件をつけては結局防衛戦を行わない。この間キリスト教の新宗派に傾倒したり反ユダヤ発言を繰り返したりしているうちに貯えは減り、タイトルは剥奪され、ホームレス同様になりながら、1992年まで表舞台に登場することは無かった。「一体全体この男はどう言うことになるんだろう?」サスペンス・シーンの第一幕である。
やっと動き出すのは500万ドル(優勝者335万ドル)がかかったチャンピョン・リーグ。会場はセルビア。ユーゴースラビア崩壊で世界から孤立させられたセルビアが、国際社会の認知を得るために企画した催しである。大会直前ボビーは財務省から一通の手紙を受け取る。紛争当事国での商業活動を禁ずる警告書である。ボビーはこれを無視してセルビアに向かい、2ヶ月以上かけた30局の戦いに勝利し大金を手にする。
ここから始まるのが、国務省・財務省・FBIからの逃避行である。ハンガリー、オーストリア、ドイツ、スイス、イタリア、フィリッピン、中国と流浪の旅は続く。“日本に潜伏”はこの途上で、日本チェス協会の副会長(女性)が身元引受人になっている(後に結婚;法的にはともかく、本当に夫婦だったかどうかは疑問があるようだ;遺産相続問題が生じている)。この逃避行がサスペンス・シーンの第二幕。
そんな生活もやがて終わりが来る。2005年ころから機能障害が出ていた腎臓と肝臓の病で、20081月想い出の地アイスランドで64年の生涯を終える。奇しくもこの64はチェスのマス目の数と同じである。
著者はチェス雑誌の編集者、ボビー・フィッシャーとは若いときから知り合いだった人物。“月とスッポン”とは言いながらチェスの戦いを交わしたこともある。それだけにボビーのことは私生活(例えば母親)まで熟知している。従って、この読後感では紹介できなかったが、特に精神・心理面での描写は優れており、読んでいてその異常な集中力や繊細・過敏な神経の動きが伝わってくる。天才的な勝負師を描くには、この領域に踏み込むことは必須。これを読んで、私がゲームにのめり込めなかったのは、このような能力を著しく欠いていたからだと気付かされた。

蛇足;ボビーがチャンピョン獲得後試合を行わない理由の一つに、“フィッシャー方式”で戦いたいとの願望がある。“フィッシャー方式”とはポーン(歩兵)はルール通りの配置にするが他の駒(キングを含む)は最後列に置くものの、配置は自由と言うものである。チェス(将棋)は戦争をゲーム化したものだからこの発想はなかなか面白い(指揮官の配置も戦略・戦術の内)。将棋愛好家諸兄のコメントをいただければ幸いである。

2)終着駅へ行ってきます
宮脇俊三の鉄道紀行は読み尽くしたと思っていたが、Amazonに蓄積された私の情報は抜け落ちをしっかりフォローしている。ときどき「こんな本は如何でしょう?」と御用聞きメールが送られてくる。そんな本のひとつが本書である。
“終着駅”で先ず思い浮かべるのは、古いハリウッド映画、ジェニファー・ジョーンズとモンゴメリー・クリフト演じるローマ・テルミニ駅を舞台にしたメロドラマである(日本語に“終着駅”と言う言葉が出来たのはこの映画からとの説がある)。鉄道の終点と言う意味ではそのテルミニ駅も東京駅も上野駅も終着駅だが、ここで取り上げられる終着駅は無論そんな華やかで喧騒な駅ではない。ほとんどがローカル線の終点、本書のオリジナル単行本が出版(1984年)されて間もなく消えていった所も少なくない。
紹介される駅は25。当然僻地の赤字路線が多いのだが、中には鶴見線の海芝浦や大阪片町線の片町など、都会の一隅に在る目立たぬ駅、私鉄の大井川鉄道や名鉄谷汲線の駅あるいは小さな駅ばかりではなく、かつては九州の玄関口でもあった門司港駅の往時を偲ぶ日々にも及んで、バランスよく過去と現在という時間軸と北海道から九州まで全国を巡る空間軸で終着駅を辿る。この辺りの選択は“さすが宮脇俊三!”と一声かけたくなる。
終着駅に至るまでの車窓の情景、乗客像(これがなかなか観察が細やかで良い)、少ない(無人駅もある)駅員との会話、駅周辺の佇まい、駅や路線の歴史、宿泊先の料理(終着駅は漁港に近い所が多いので、専ら魚料理)などを、鉄道に対する愛情を込め独特のユーモアと哀歓で描いていく。その筆さばきに魅せられながら、楽しみを少しでも長く味わうために、一気に読まず一日数話で我慢しつつ、しばし昭和の香りのする紙上旅行に浸ることができた。

3)モサド・ファイル
モサド;イスラエルの諜報機関である。スパイの世界は好みの読書分野である。第二次世界大戦における英国諜報機関MI-5MI-6、日本の中野学校、冷戦時のCIAKGB、小説もノンフィクションも随分読んできたし本欄でも取り上げている。しかし、モサドは比較的出版物も多いわりに読んでいない。どうもイスラエルとアラブを巡る争いは非対称的なイメージ(特にアラブによるテロ活動)と後ろにある大国(古くは英仏、近くは米ソ)の思惑なども絡んで、独自の諜報活動のスケールが小さいと言う先入観があったことがその理由である。そんな背景がありながら本書を読むことになったのは、著者が軍事サスペンスの大家バー・ゾウハーだったからである。ブルガリア生まれのユダヤ人、建国間もなくイスラエルに移住、いくたびかの中東戦争にも従軍し、国会議員も務めている。本欄で紹介したものに「エニグマ奇襲指令」「ベルリン・コンスピラシー」がある。
原題はMOSSADであるが日本訳の題名はモサド・ファイル。実体をより正確に伝えているのは後者で、“ファイル”が生きている。つまり“モサドが扱った数々の重要事件”が本書の内容である。その点でモサドそのものを全体として把握するには適していない(これは私の期待としては大きかったのだが)。
事件簿は終章を含めて22、かなりの部分は中東諸国(イランを含む)における諜報・工作活動、それも反イスラエル組織(国、政党、テロ集団)のキーパーソン殺害(銃、爆弾、毒物などによる)だが、ナチスによるユダヤ人大量虐殺の首謀者の一人、アイヒマン逮捕(アルゼンチン)、ミュンヘン・オリンピックにおけるテロ制圧(これは当時の西ドイツ政府がイスラエルの介入を拒否するためモサドは手が出せない。西ドイツ特殊部隊の稚拙な行動を強く批判している)、ハイジャックされた飛行機の人質解放のためのエンテベ空港強襲作戦(ウガンダ)、エチオピアに何世代も前から差別されながら居住するユダヤ人の全体移住(モーゼの脱エジプトの現代版)など、微妙な国家主権・外交問題に関わる活動も取り上げられ、モサドが国家を支える重要な機関のひとつであることを“事件”を通じて教えてくれる。
全体を通して感じたことは、モサドの作戦が完全に政府トップの合意(首相の決断)の下で行われていること。従って、失敗した場合の責任が下位の者だけに押し付けられるようなケースが極めて少ないことである。米国ではしばしばCIA、それも工作従事者の単独行為と処せられるケースが多いのとは対照的である(イラン・コントラ事件のように、レーガン政権はノース海兵隊中佐に全責任を押し付けた)。
奇異に感じたことは、長官人事に伴う組織内部の確執の激しさである。長官人事は首相専管事項だが、前任者や上級スタッフがしばしばこれに反対し、辞職する者が出たり、公然と批判行動を起こす者がいることである。大方は時間と工作の成功が事態を収めるのだが他国の官僚組織では滅多に表沙汰にはならないことである。先の“責任所在”も含めてイスラエル社会の特質なのであろうか。
民族・国家として、日本とは対極を成す生い立ちを持つ国だけに、安全保障に関する考え方はまるで異なるので直にこれに倣うことは出来ないが、競争激化の国際社会における生き残り策として学ぶところが多いように感じた(組織、対外人脈、人材育成、情報収集・発信など)。
バー・ゾウハーの手法は、事件の内容・背景(政治的、歴史的)、時の国家上層部(首相、モサド長官;何人も登場するがかなり詳細に経歴・人柄・対人関係を説明する)、工作実施者(特にリーダー;これも長官同様人物描写が詳しい)を巧みに絡ませ、工作実行場面を山場にして緊張感を高めていくやり方で、ノンフィクションを得意のサスペンス小説調で描いていく。この点では期待通りの読み物であった。

4)無地のネクタイ
昨年10月に87歳で亡くなった文学者丸谷才一追悼エッセイ集である。本をよく読むわりに日本文学(小説などを含む)にはほとんど無縁の私だが、週刊誌などを眺める機会があったとき(買うことは無い)、この人の書いたものがあるとつい読んでしまう。そして何がしかの影響を受ける。英語の書物を読むとき、最近は専ら電子辞書やPC辞書を利用しているが、英和辞典は長く(1981年以来)岩波新英和辞典を愛用してきた。この辞書を選んだのは彼がどこかに書いた書評で高い評価を与えていたからである。それ以前芥川賞受賞(1972年)後英語に極めて造詣が深いことを知ったこと、時々目にした評論などで日本語の言葉遣いに厳しかったこともこの辞書の選択につながっている。そして最近は専らこの人の書評および書評論に惹かれていた。
もう一つ妙に興味を持ったのが“旧仮名遣い”を使い続けた独特の文体である。小学校(当時は国民学校)に入学(1945年)する前からひらがな・カタカナは読めたし本(絵本やマンガ)は好きだった。当然当時は旧仮名遣いである。小学生の高学年になると母が実家から持ってきた、戦前に改造社から出ていた“近代日本文学全集”を読むようになるのだが、これも無論旧仮名遣いで書かれている。発音と表記の違いに違和感を覚えつつもいつのまにか馴染んでしまった。丸谷の書いたものを読むとき、遊び道具など何も無い時代、意味もよく理解できぬまま、それでも大人の世界をこっそりのぞき見たような記憶が蘇るのである。
この本は読書家向けの小冊子「図書」(岩波書店)に連載してきたエッセイ(20037月号~044月号および20102月号~20115月号)をまとめたもので、最後に池澤夏樹が短い追悼のことばを寄せている。これによると丸谷のエッセイは「オール読物」系(文春)とこの「図書」系の二つがあり、「オール読物」の方は「ユーモアがあって、ある程度まで時事的で、ちょっと色っぽい」 対して「図書」のものは「理論武装がしっかりしていて、世間ないし社会に対してもの言う口調が武張っている」となる。読み終えたとき「辛口の評論が主体。納得感がある」との読後感を持ったが。“辛口”が“武張った”、“納得感”が“理論武装”に相当するのだろう。
内容は冊子の性格から書籍・文章・言葉などに関するものが多いが、景観・文化(美術・音楽)・世相など多岐にわたり、普段自分では気のつかなかった題材も多く、触発されるところ大であった。例えば「六本木ヒルズの感想」は完成直後のヒルズの景観を愛でつつ、周辺の電信柱と電線がいかにそれを殺いでいるかを専門家のデータ(パリ、ロンドンなどの電線埋設率)を援用しながら、厳しく批判している。当に“武張った”“理論武装”の典型、「なるほど」と腑に落ちた。
この本を読んで早速影響を受けてしまった。「ほしい辞書」と題する一項に「『日本語シソーラス』(大修館)が出て、愛用してゐる。正確に言ふと『角川類語新辞典』と併用してゐる」とあった。日頃文章表現に細やかな気遣いを見せるのはこう言う辞典の助けを借りているのだと知って、この本を購入することを思い立った。同じ用語の繰り返しを避け、前後の表現との関係で適切な言葉をさがすためである。しかしAmazonで調べると、価格15,750円、厚さ7.5cm、重さ2kg、索引ページが全体の40%とある。物書きを生業とする人ならばともかく、図書館に置くような本であることがわかた。代わりに角川の『類語国語辞典』(著者;大野晋/浜西正人;題名が少し変わっているが、中身はオリジナルの増補版;3200円)を取り寄せた。
池澤の追悼文に「ある時、丸谷さんがこう言われた- 『ぼくたちジャーナリストはいつだって一夜漬けで勉強するんだよ。』 そう聞いてどれほど安心したことか。」との一文がある。(電線埋設率のような)知識は一晩で得られても、楽しく読める文章にするためにどれだけ推敲を重ねてきたか、この本を読んで深く考えさせられたことである。  合掌

5)インターネットを探して
現役時代の仕事柄、この種の本をかなり読んできた。技術も製品も利用環境も、その社会への影響の仕方もどんどん変わっていくので、次々と出版され玉石混交、随分“外れ”も買っている。しかし、この本は個人的には“当り”であった。だからと言って万人向けではない。
インターネット関連の出版物を大別すると、利用者向けのプラットフォーム(例えば、インターネット・ブラウザー(入口)、各種メール、グーグル、フェースブック、You Tubeなど)の機能紹介、これらの社会的な影響・問題点(セキュリティなど)、企業・システム・起業者/発案者に関する沿革・歴史、経営や研究活動への利用事例など、圧倒的に広義のソフトウェア関連のものが多い。それに対し、ハードウェアものはインターネットではなく“通信”ネットワークの話になり、技術解説書に近い性格を帯びてくる。「そこは専門技術者の世界。しっかりトラブル無く動くようにしておいてね!」と、実際読者も限られるので仕方が無いのだが、片隅に追いやられている。
「でも現実にインターネットを動かしているのは決して“クラウド(雲)”のようなぼんやりしたものではなく、PC/携帯端末、ケーブル、ルーター(信号分岐器)そして巨大なデーターセンターに収められた膨大なサーバー(コンピュータ)、全てハードウェアなんだ。少しはそこのところも分ってくれよ!」 こんなネットワーク社会を縁の下で支える基盤IT技術者の声を代弁して書かれたのが本書である。ポイントは技術的なことがほとんど分らなくても、興味を持続させ理解できるように書かれているところにある。
自宅のPC上のインターネット・アプリケーションの動きがおかしい。つながったり切れたりするうちに遂に止まってしまう。加入しているネットワーク・ケーブル会社の作業員がやってきて調べると確かに一本のケーブルがどこかで切れている。中継器のある電柱を見ているときにその中にリスが駆け込む。そこで線が噛み切られていたのだ。ここから著者は2年をかけるインターネットの物理インフラを探る旅に出る。ケーブルはどこに通じているんだ?そこはどんな場所なんだ?どんな人たちと出会えるんだ?その人たちはなんでそこにいるんだ?
先ず手がけたことは、電気通信業界に流通する毎年更新される、大陸・島嶼間の通信流通量(推測値)を示す『グローバル・インターネット・ジオグラフィー』、通称GIGと呼ばれる特殊な世界地図の入手だ(5495ドル)。無論ローカルな細かいケーブルが記載されているわけではないが、世界規模で行き交う通信量が俯瞰できる。
次いで小規模なネットワークの集積点(ハブ)を訪れ、更に多数のルーターが集まるインターネット・エキスチェンジ・センター(IX)へと現地調査を進めていく。その過程でIXの特別な状況に気がつく。類は友(競争相手を含めて)呼ぶのだ。つまり巨大ネットワーク同志が同じ場所にいれば接続の時間と費用が節約できるのでどんどん集中化する。シリコーンヴァレーで、ワシントンDCに近いヴァージニアの片田舎でこれらの内部を探っていく。さらにGIG世界地図から明らかになったヨーロッパの巨大IXセンター(フランクフルト、アムステルダム、ロンドン)の存在を知りそこを訪れ、米国を含む巨大IXセンターの特質を分析調査する。
大陸間を結ぶ通信は事実上海底電線に依存している(非常時や特殊なケースでは衛星通信もあるが)ので、ニュージャージ、マイアミ、英国の南西端ランズエンドやポルトガルのケーブル陸揚げ地点で海底ケーブル・フィールド・エンジニアと話し合い、時には陸揚げ作業を見学する。
そして仕上げはアプリケーション・ソフトやデータ処理ザーバーが設置されている、グーグルやマイクロソフト、フェースブック(FB)など各社のデーターセンター。立地条件の決め手は冷却環境(気温、電力)とセキュリティ(自然災害、人的破壊)である。バックアップも考え、一ヶ所だけと言うことは無いが、いまそれらが集まってきているの、オレゴン州の東部である(西部は火山、地震などの恐れもあるが、東部のコロンビア川沿いは条件がいい)。グーグルのガードは固く、広報が案内してくれたのはそのごく一部。グーグルマップ上でもこの部分は意図的に消されていると言う。一方FBは「何でも見てください」スタイルで著者を喜ばせる。
この他にもインターネットの歴史(1970年代初期の軍のリスク分散プロジェクト;ARPAnetに発する)、ビジネスセンターが集中するマンハッタンでのケーブル敷設工事(1世紀前の地下ケーブル路)、IXセンターの場所貸しビジネスの実態(米国内、ヨーロッパ3拠点の主導権争い)、ネットワーク企業間の接続交渉、海底電線事業・システムの現状(東日本大震災時の状況を含む)、地方の企業誘致・再開発(ロンドン港湾地区再開発に真っ先に手を上げたのはKDDI)など、インターネットの世界を形作る物理的存在に関する話題が分かり易く解説される。
著者がITオタクや技術者ではなく、高校生の時からジャーナリストをこころざし大学では文学、大学院では人文地理学を学び、ジャーナリストになってからもIT以外に建築、デザイン、芸術、都市生活、旅行など広い分野で著作活動をしてきたので、自らも学びながら書いているところがある。そのアマチュア的なところが、本書を読みやすくしている気がする。
もう一つの良さはその翻訳に在る。テーマが新しいだけでなく著者も若い(高校生の時父親と自宅に初期のインターネット導入を行う場面があるから30代半ばと推察する)。その若さが翻訳によく現れている。訳者が50代半ば(1958年生れ)であることを考える時、その力量・努力に高い評価を与えたい。
一つだけ残念なのは、写真は数葉あるものの、図表が全く無いことである。インターネットが深さのあるネットワークのネットワークなだけに黙示的にその理解を助ける工夫が欲しかった。

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以上

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