2013年6月27日木曜日

美濃・若狭・丹波グランド・ツアー1500km-12


9.越前大野
馬返しトンネルを出てしばらく下ると、前に広い平野が広がる(実は盆地だが)。これなら米がとれそうだからかつては豊かだった違いない。町の入口辺りから道路は片道2車線、分離帯まである直線道路だ。前を行く宅配便は何故かゆっくりと左車線を走っている。一気に追い抜きたくなったが、ここは慎重に行こう。スピード取締りは無かったが、右側に警察署が在った。
エッソのSSを探すが市街地に入る前にJAが一軒在っただけで、他のブランドも見かけない。その内街の中心部に達してしまい、なかなか適当な駐車場所も見つからない。幸い町は平坦で道路は碁盤の目のようになっている。二度左折を繰り返して少し街の外縁に出ようとしたら、Pマークが現われ黒くて大きな木造家屋の先に広い駐車場があった。どうやら大型バス用のスペースのようだが端のほうには小型車も停まっているので、そのクルマに並べて駐車した。傍に立て看板があり、この先に“御清水(おしょうず)”や歴史博物館があると書かれている。目指すのは武家屋敷や寺町だったが、とりあえず御清水に向かうことにする。
説明によれば、御清水はこの辺りの武家屋敷や城の用水でかつては「殿様清水」とも呼ばれた由緒ある湧水、1985年に名水百選に選ばれたとある。この後歴史博物館は少し距離がありそうだし、あまりユックリする時間も無いので、駐車場へ戻っていくと、先の方に時計櫓が見え、どうも周辺は観光施設の雰囲気である。通りすがりの人に「武家屋敷はどこでしょうか?」と問うと道路を隔て駐車場の反対側を指差しながら「内山家はあそこです」と教えてくれた。大型バスの駐車場、道路を隔てた普通車の駐車場、時計櫓、何棟かの大きくて黒い板張りの家屋、ここら辺一帯は“越前大野結いステーション”と名付けられた、大野観光の基点・中心だったのだ。
最初に訪れた内山家は大野藩家老の屋敷で、城山の下に在る。木造2階建て離れや衣装倉もある、庭のきれいな大邸宅であった。室内はどこも見学可能で、往時の暮らしぶりをつぶさに見ることができた。西側正面の門を出ると、道路を隔てて平屋で横長の大きな建物が延びている。その先の山の上に大野城が見える。一体この建物は何だろう?近づいてみると、それは城や武家屋敷との景観を配慮して造られた小学校だった。
それでは結いステーションの周辺にある黒っぽい建物は何だろう?中心にあるのは土産物屋などが入る観光センターだが、他は商工会議所や体育館などで、街づくり全体が統一されたデザイン・コンセプトで進められたことが分かってきた。こう言う町は嬉しい。
次に向かったのは寺町。地図を見ると少し距離がありそうだ。クルマで移動することも考えたが、丁度学校の下校時間(今日は昼まで?)で、交通安全のおじさんがいたので道を聞いてみた。徒歩10分程度で行けることが分かったので、暑さの中を歩いてそこに辿りついた。一つの通り(寺町通り)の両側にお寺がつながっている。一つ一つの寺はそれほど大きくは無いのだが、これだけ数が集まると壮観である。気になったのは「こんな沢山の寺があって、皆経営が成り立つのだろうか?」と言う至って生臭い疑問だった。
(写真はクリックすると拡大します)


(次回:越前大野から永平寺へ)

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