2013年8月3日土曜日

美濃・若狭・丹波グランド・ツアー1500km-20


16.城崎温泉
計画立案のところでも述べたように、最終宿泊地はなかなか決まらなかった。この辺り一帯は温泉が多く、関東からは滅多に出かけられないところだけに、惹かれる観光地も多々ある。鳥取砂丘(鳥取温泉)、余部鉄橋(香住温泉)、夢千代日記の湯村温泉などがそれらである。ただ帰路(一日の行程)も考えると鳥取・余部は遠すぎる。湯村は“夢千代”以外は何も無さそうだ。歴史もあり知名度も高い、無難な城崎に泊まることにした。いくつかの候補を調べていて気がついたことに、どの旅館も比較的規模が小さい(概ね20室以下)ことで、これなら静かだろうとの読みもあった。
城崎温泉は丹波山地を発する円山川が日本海に注ぐ河口近くにある。少し南には兵庫県の北の中心地豊岡が在り、地番は豊岡市になる。山陰本線が、南から北に向かって流れる円山川に沿って走り、城崎温泉駅を過ぎると向きを西に変え直ぐにトンネルに入っていく。古くからの温泉街も、このトンネルに消えた鉄道と並行する湯の里通りと呼ばれる県道9号に沿う形で出来ている。山間ゆえに平地はわずかで、環境保全の規制でもあるのか傾斜地に聳え立つホテルもなく、緑に囲まれた閑静な場所である。
久美浜湾を過ぎた後県道9号を走って円山川を渡り、線路沿いに道なりに進めばやがて湯の里通りとなり旅館の前に辿り着いたはずであるが、どうも小さな町では最後のところでナビと相性が悪くなる(こちらが指示を間違え易い地形でもあるのだが)。細い道をショートカットする形で、外湯の代表“御所の湯”の前に出る。お蔭で温泉街の裏(大谿川(おたにがわ)と言う小渓流に小料理屋などが並ぶ)を明るい内に垣間見るチャンスがあった。
西村屋については次回詳しく報告するが、湯の里通りが西向きから北へ曲がる少し手前に在り、冠木門(屋根付き門)がある純日本風な造りで、後ろは山である。駅からは徒歩20分、チョッと遠く、鉄道利用だとタクシーになるのだろう。その分繁華街からは離れ、期待通り静かな雰囲気だった。
城崎温泉の歴史は古く、嘗ての温泉地がいずれも湯治場だったように、ここも平安時代から明治中期までは外湯が中心の湯治場であった。他の有名温泉地と違うのは、今でもここの名物は七ヶ所の外湯巡りにある。旅館に宿泊すればタダで利用できるが、一回600円、一日1000円である。夕食後通りを散策するついでに、適当な所へ寄ってみることにしたが、一番大きくて立派な“御所の湯”は木曜日が定休日とのこと。8世紀、近くの温泉寺開祖が祈願して湯が湧き出たが16世紀頃熱湯に変じる。それを鎮めるため曼荼羅供養を行ったところから名付けられた“まんだら湯”をトライしてみた。基本的には銭湯と同じ形式だが、寺院造りが特徴だ。それぞれ異なった願掛け・効用があるらしい。まんだら湯は、商売繁盛・五穀豊穣・一生一願の湯だそうである。
内湯が普及してくるのは「城崎にて」を書いた志賀直哉が滞在した頃(大正時代;1910年代)からで、彼が宿泊した三木屋もこの通りに在った。山に囲まれた静けさ・木造の街・日本海の魚・人情を愛でての逗留だったらしい。そんな平和で静かな所も、戦争中は町全体が軍人病院に転じていたそうである。
8時過ぎ湯の里通りを駅の方向へ歩いてみた。土産物屋が数軒開いていたほか、スナック、すし屋などが営業していたが、通りにほとんど人影も車の往来もなかった。歓楽色のまるでない、それでいて鄙びているわけでも無い、何か品のあるこの地を最後の宿泊地に選んだことは大成功だった。
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(次回:西村屋)

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