2013年10月27日日曜日

フランス紀行 南仏・プロヴァンス・パリを巡るー(7)


7.モナコ観光
海岸道路を12時半過ぎに発って、50km弱先の観光地モナコに向かう。午後からはよく晴れて、海はやっとコート・ダジュール(紺碧海岸)に変じてくる。出発点は海抜が数メートルだが東に進むに従って、高さを増していく。道は断崖を削って走っており、曲がりくねり眼下に美しい入り江が何度も現れ、地中海クルーズを行う大型の豪華客船が停泊している。乗船客は上陸して近くの観光スポットを巡っているのかもしれない。
この道はおそらくローマ時代からイベリア半島と結ぶために使われていたものが、時代に合わせて整備されてきたのだろう。現代の土木機械で一気に開削されたものと違い、場所によっては岩がバスの屋根に接するくらい張り出しているところもある。1969年日産車の活躍(モンテカルロ・ラリーでクラス優勝する)をモデルにして作られた石原裕次郎主演映画「栄光の5000キロ」では海岸線に沿う道で激しい練習を繰り返すシーンがあった。今通っている所は幹線道路なのでもっと山側の交通量の少ない道なのかも知れないが、雰囲気に大きな違いは無い。
40分位するとフランスからモナコに入ったことを知らせる道路標識があらわれる。イタリア側は何かチェックポイントがあるようだが、外交・軍事をフランスに委ねていることもあり、こちら側からは何も無い。広さは皇居の2倍程度、人口は35千人。それでも国連に加盟している立派な独立国だ。
この標識から道はややアップ・ダウンして、バスは小さな岬を廻って市役所や海洋博物館下の地下駐車場に止まる。ここからエレベータで地上に出、モナコ大聖堂から王宮前広場へと徒歩で観光するのだ。大聖堂の見ものは何と言っても王妃グレース・ケリーの墓である(結婚式もここであげた)。彼女はフランスからの帰路(我々の走ってきた海沿いの道ではなく、山越えのルートだった)、自らハンドルを握るクルマ(レンジ・ローバーだったと記憶する)の運転を誤り、崖から転落死したと言われているが、どうやらその前に脳梗塞を起していたらしい。
王宮前では衛兵の交代を見た。アーリントンやクレムリンの無名戦士の墓とは違い、ごく簡素なものだった。この広場で交代式を待っていると、大きなしゃもじに番号を書いたものを掲げて幾組みも団体がやってきた。大型客船でこの付近を巡っている人達とのこと。1グループ2030人、番号は30を超していたから大変な数だと思ったが、添乗員は「多い船は3千人くらい乗っている」とのこと。一体どう管理するのだろう。9人のグループは混乱を恐れ早々に広場を退散、バスへ戻ることにする。途上の展望台からは眼下にモナコ港が広がり、大小さまざまのクルーザーやヨットがきびすを接して停泊している。おそらく世界のマリーナでも、船の数はともかく(米国にはもっと規模の大きいものがあるだろう)、合計金額では断トツの高さではなかろうか。
バスは坂を下り先ほど上から見たモナコ港に沿う道に出る。ガイドが「ここがF1レースのスタートとゴールです」と言う。見ると路上進行方向にコの字が2列、互い違いに描かれている。スタート・ポジションだ。さらに進むと例のトンネル内コースへとつながっていく。一旦外に出てからバスは別の地下駐車場に入っていった。
ここから階段を昇って、本日のモナコ観光のハイライト、グラン・カジノ見物に出かける。写真撮影禁止だし(預けなければならない)、バッテリーの調子が悪いこともあり、カメラは携帯せず。カジノはラスヴェガス、リノ(いずれも米国)、アデレード(豪州)などで見ているが、遊ぶゲームはそれらと差はない。見所は建物そのもので、さすがにヨーロッパの歴史を感じさせるクラッシクな雰囲気だ。本来紳士淑女がそこで丁々発止とやっていれば絵になるが、どうやらそういう方々はプライベートな部屋が用意されているらしく、パブリックの方は皆おのぼりさんの観光客。
カジノ前の駐車場にはフェラーリが78台、ベントレーが2台(1台はクラシックカー)、ランボルギーニ、ロールス・ロイス、ジャガー、ポルシェ各1台。5人に一人は億万長者に納得。賭ける金額もおのぼりさんとは桁違いだろう。
最後にガイドに案内してもらったのは、モナコ・グランプリ最大の見せ場、ローズコーナーと呼ばれるヘアピンカーブ、何と下り坂である。ドライバーの心境や如何?来年からのTV観戦は明らかに身近なものになるだろう。大満足のモナコ観光であった。
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(次回;エズ観光)

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