2013年10月12日土曜日

フランス紀行ー 南仏・プロヴァンス・パリを巡るー(1)


1.なぜフランス?
926日から105日にかけて、フランス地中海岸(コート・ダジュール)・プロヴァンス地方・パリを駆け巡った。私にとっては43年ぶりの、家内には初のフランスである。ここのところブログ「今月の本棚」でドイツ旅行関係の本を何冊か紹介してきたので、帰国後本紀行の予告を出したところ「何故ドイツでなくフランス?」との問いがあった。確かに「いずれの時かドイツ鉄道旅行をするため」と書いてきたので、もっともなお尋ねである。しかし、私にとっては「フランスが済んだら、いずれ」の意だったのである。
2007年ビジネスマン生活を終わった時、その後の過ごし方として年一回海外旅行することを目論んだ。2007年は英国長期滞在、2008年はタイとイタリアに出かけた。2009年はフランス訪問を計画し、今回とほぼ同じコースを同時期11泊かけて廻るプランを作り、旅行社とも最終的な詰を終わり、予約発注寸前まで準備が進んでいた。そこでストップがかかったのは高齢(99歳)の義父が体調をこわしたことによる。結局超高齢者に気遣いしなくて済むようになるのは昨年になってから。それでも昨年は義母の喪中と言うこともあり、直ぐに海外へ飛び出すわけにはいかなかった。フランスへ出かけた一つの理由は2009年計画を実現するためであった。
43年前のフランス行きは、初の海外出張の時だった。出発前の計画では米国のエクソン・エンジニアリング・センターやアンチル諸島(ヴェネズエラに近いオランダ領の島)の製油所を廻った後、セーヌ河口、ポルト・ジェロームの石油精製・化学工場を訪れることになっていた。しかし、米国で事情が変わり、アンチル諸島行きが中止になった。その分は米国の工場訪問追加などで補うことになったが、スケジュールが全面的に見直され、結局米国からフランスに渡り、再度米国に戻るかたちになった。最後の訪問地がフランスならば、当時のことゆえ(海外出張など滅多に機会が無かった)もう少し長くフランスに留まることも出来たかもしれないのだが(そのために、東京外語仏語科を出た父は在パリの友人宛紹介状を持たせてくれた)、工場訪問を含めて僅か4泊(最初の1泊は深夜にパリに着き、翌朝の列車に乗るための駅前ホテル。もう1泊は工場のゲストハウス)で米国へとんぼ返りした。パリ観光だけは何とか1日とれ、凱旋門、ノートルダム寺院、エッフェル塔、モンマルトルの丘を急ぎ足で回り、夜はリドのショウを楽しんだ程度。ルーブルは時間切れだった。行ったことはあるが、ほとんど何も語れぬ国、それがフランスだった。いつの日かそのギャップを埋めたい。これがイタリアに続いてフランスが選ばれた理由である。
ドイツ人には全く知人・友人がいないし、関係した会社も皆無だ。不思議とエクソンの技術会議などでも一緒になったことがない。これに対してフランスはいくらか縁がある。一人はエルフ・アキテーヌ(現トタール)石油の日本駐在員で東工大の研究生になっていた男。東工大の先生から依頼され工場見学の機会などを作り、親しくなった。しかし、帰国後は音信不沙汰となってしまった。もう一人、これは英国人である。エクソン・ヨーロッパ・エンジニアリング・センター(EEE)のスタッフだったが、1980年代自分の会社を起し、苦節20年ロンドンで株式上場を果たし、大金持ちになった。そのカネで2001年フランス南西部のラングドック(Languedoc)地方コンプレッツェン(Camplazens)のワイナリーを買取り、オーナーになっている(銘柄はSyrah;日本で入手可)。彼とはメールを通じてつながっているが、残念ながら観光地からはかなり離れている(最寄りの大都市はトゥールーズ)ので訪れるとなると個人旅行しかない。

たかが観光旅行、行きたいところへ、行きたい時に行けばいいのだが、こんな背景で今年の旅先をフランスとした。
写真はクリックすると拡大します

0 件のコメント: