2014年2月11日火曜日

フランス紀行 南仏・プロヴァンス・パリを巡る-(30)



20.パリ-6;エッフェル塔から廃兵院へ
この日の午後讃岐うどんを食した後は一応エッフェル塔に上る予定にしていた。先ずオペラ駅へ戻り、ここから南東に向かう地下鉄8号線に乗り、セーヌの対岸ラ・モット・ピケ・グルネル(アメリカ独立戦争に参加した海軍提督名)で6号線に乗り換える。この間の駅名には、アンヴァリッド(廃兵院)、エコール・ミリテール(陸軍士官学校)など軍にゆかりの駅名が多い。6号線の終点は凱旋門駅(エトワール)、エッフェル塔の最寄り駅はビル・アケムなのだがぼやっとしていて一駅乗り過ごしてしまう。しかし、幸いここら辺は地下鉄が地上を走っており、次の駅(パッシー;この一帯はパリ市内有数の高級住宅街)に向かう間、セーヌを渡る際、パリのランドマークは目の前に確り見えていたので、チョッと距離はあるがパッシーで降りてそこから歩くことにした。丁度地下鉄の鉄橋と並行して橋(ピル・アケム橋)があり橋の上は写真撮影におあつらえ向き、ケガの功名であった。
一旦ビル・アケム駅に出てそこから三々五々塔に向かう観光客らしき人々に前後しながら付き従う。駅近くの商店街を過ぎると、左側(西側)はセーヌに沿う公園、右側もエッフェルまで続く大木の並木道になる。しばらく進むと塔直下の大広場に出る。そこで見たのは、広場を埋める大勢の観光客と塔に上るための長蛇の列である。43年前この塔に上ったのは休日(多分土曜日)の昼前だったが直ぐにエレヴェータに乗れたのですっかり油断していた。待ち行列の動きを観察していると遅々として進まない。この日は夕刻(7時半マイバス集合)からムーランルージュ観光がある。それにここまで来たらナポレオンの棺を納めた廃兵院(アンヴァリッド)も観ておきたい。急遽予定を変更、塔に上るのは最終日の朝一番とし、先ず徒歩で廃兵院に向かうことにする。
そこへ行くには、エッフェル塔の南東に開けるシャン・ド・マルス公園を抜け陸軍士官学校前を左に折れて直進すればよいことが地図では分かっていたし、以前来た時も同じルートで移動している。しかし、これが簡単ではなかった。例の放射状道路に何度か方向感覚を狂わされ、日差しの強くなった道で何度かフランス人に地図を見せながら、現在位置と向かうべき方角を確認する羽目になってしまった。途中のコンビニで冷たいミネラルウォータを求め、小公園の木陰で一休みして何とか目的場所に辿りつくことが出来た。
あのヴィクトル・ユーゴの小説「ああ無情」にも登場する“廃兵院”と言う言葉を子供向け世界名作全集で見たとき「これは何だ?」との疑問が先ず起こった。傷痍軍人が電車内で物乞いをしている時代だったから、そういう人達の収容施設と言うイメージで理解して物語を読み進んだ記憶がある。“アンヴァリッド”は英語のinvalid(病人)と同じだから意味としてはほぼ間違いないのだが“廃兵”がもっと暗い感じを与える。
現在のアンヴァリッドは、軍事博物館・ナポレオンの墓(棺安置所)それに“廃兵院”から続く病院で構成されている。だから軍事博物館の回廊には“静かに!”の注意書きがところどころに置かれている。
ナポレオンの墓所は敷地南面の中央に別棟のドーム教会があり、そこの半地下に安置されている。飴色の巨大な大理石で出来た棺を一階回廊から見下ろすようになっている。姿かたちが見えるわけではないが、あの英雄がここに納められていると思うとある種の感動が沸いてくる。
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(次回;パリ;つづく)

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