2014年6月16日月曜日

決断科学ノート;情報サービス会社(SPIN)経営(第Ⅰ部)

1;新会社創設-9

1984年の秋に入ると新会社設立検討も社内では公知になっていく。とは言っても直ぐに経営会議に上げる段階ではない。情報システム部内で、どう分社化するのかがいろいろな角度で論じられることがしばらく続いた。70年代に焦点が当たったのは数理技術(応用数学)を応用にした分野だった。次いで具体的にTTECに拠って取り組んだのはプロセス制御関連の技術販売である。いずれも専門性が高いことが特徴で、サービス価格体系も単純な人材派遣とは異なっている。しかし、これらのマーケットは情報サービス産業の中ではそれほど大きな割合を占めてはいないし、情報システム部の人材も多くない。市場的にも人材的にもこの業界のビジネス・トレンドは適用業務(経理・人事・販売・在庫・生産・購買など)に関わるソフトウェア開発が主流であり、今後の伸びも最も期待されることが、政府や業界の常識でもあった。ところが人手不足が常態化していたにもかかわらず、このようなアプリケーションプログラム開発業務は米国でも“Sweat Shop(汗かき仕事)”と言われていたように、決して格好良い仕事ではないし、対価も高くなかった。
当時の東燃は関係会社も含めると従業員数は約3千人、年間売上高は1兆円、営業利益は1千億円を超えていた。単純に計算すれは年間一人当たり売上3億円、利益3千万円である。これに対してソフトウェア開発の相場は、一人年間売上1千万円は厳しいのが実態であった。このからくりは装置に対する投資が桁違いなことに依るのだが、企業文化とは恐ろしいもので、従業員の中には億の単位を自ら稼ぎ出していると勘違いしている者が少なくなかった(リストラされて初めてそれを知ることになるのだが・・・)。「稼ぎが30分の1のビジネスをやるのか!?」こんな声も部内外で聞かれる中での分社化検討は必ずしも、希望に満ちた楽観的なものではなかった。
単純な売上高比較はともかく、東燃並の給料を払えることは分社化の必須要件。これを実現するためには、計算機が稼いでくれる業務はすべて新会社に移す、プログラミングより単価の高いシステム設計、さらにはプロジェクトマネージメントから一括受注できる体制を作る、(数理技術やプロセス制御のように)システムの導入効果に対する対価を求められビジネス体系を整える、グループ向けに開発したアプリケーションをパッケージ化して外販する、(流体・化学プロセスを扱う)東燃グループを通じて体得したノウハウで差別化できる分野に重点を置く、エクソンから学び標準化したプログラム開発手法を積極的に利用し生産性を高める、固定費軽減のためにプロジェクト規模に応じて人材調達の調整可能なパートナーを作るなど、高付加価値(高い売り上げ単価)サービス提供者としての可能性を徹底的に検討していった。
ここから見えてきたことは、プロジェクトマネージメントやプログラム設計(これらを上流と呼ぶ)から受注するには会社の信用力(実績)がモノを言い、いきなり独力では難しいこと、自社(パートナーを含めて)でかなり量的に大きな開発力を持っていることが必要条件であり、もともと人数の少ない東燃情報システム部の規模(60人程度)では限界があることである。私の親しい友人が部長を務めていたN生命の情報システム部門に調査に出かけたとき、担当者から「何人くらいの規模ですか?」と聞かれたので正直に答えたところ、「金融業界では桁(それも百や二百でなく)が常識ですよ。二桁では下請け・孫請けの規模ですね」と言われ、成長産業の中でも特に伸びる分野への進出のハードルの高さを思い知らされた。だからと言って下請けの単価ではとても東燃並は実現できない。
規模や伸びはそれほど大きくないが、持てる力を発揮でき、TTECで実績も出てきた、業種特化の考え方がこれで固まってきた。生産は無論、経理も購買も物流もプロセス産業を主戦場に絵を描いてみよう。


(次回;“新会社創設”つづく)

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