2014年10月6日月曜日

決断科学ノート;情報サービス会社(SPIN)経営(第Ⅰ部)-21


3.初年度1985年の経営-4;見えてきた顧客
顧客発掘に関して、IBMは当時ターンキー受注(アプリケーション開発)をしていなかったので“紹介”に留まりTCSを除けばなかなか最終ユーザーとコンタクトする機会はなく、最初の仕事はIBMの社内(工場を含む)システム開発に関わるものに限られた。それに対して富士通は専ら一括請負サービス提供ができる点をIBMとの差別化の武器にしていたことから、広義のプロセス工業向けシステム開発の仕事を多く抱え、そのためのパートナーを広く求めており、その流れの中でこちらの企業規模(ソフト開発会社としては小規模)に合ったプロジェクトに加えてくれた。その第1号は川鉄鋼板の販売会計システムであった。
川鉄グループの仕事はTTECシステム部時代、IBMACSAdvanced Control System)を高炉に導入する際、その設置導入サービスやデータ収集・分析のアプリケーション開発を経験しているが、事務部門の仕事は初めてであった。それも長く利用してきたシステムを、川鉄本体や鋼板の関係会社との取引を含め、一気に新しいIT環境に合わせるもので、規模も大きく遣り甲斐のあるプロジェクトであった。富士通にとって川鉄グループは鉄鋼会社の中では最大のユーザーだったから、協力会社をどこにするか社内でも議論があったようである。いきなりパートナーと決めず、事前に富士通および川鉄鋼板の面接を受ける必要があった。役員と営業部長、プロジェクトを担当するビジネスシステム部長と予定するプロジェクトリーダが個別にあるいは一緒に、何度か面談を繰り返しやっと決まった。決め手はやはり“プロセス工業における会計システムに関する知見”であった。鉄鋼業と石油業では実際の業態はかなり異なるものの、独立系あるいは金融系などのソフトウェア・ハウスに比較し、プロセス工業の現場知識に優れていると評価してもらえたわけである。ここで得た自信は後の事務系ビジネスの展開を見ると、記念すべき受注であった。
この年の事務系外部向け開発マンパワーはIBM藤沢工場の購買システムと川鉄鋼板のプロジェクトで手いっぱい、さらに大きな仕事に取り組む余力は無かったが、来年度以降に向けて会社そのものを業界に売り込む必要があることは自明である。SPINトップの人脈、TTECの顧客、東燃ルートの話などあらゆるチャネルで、ビジネスの可能性を当たったのもこの年である。しかし、このような市場開拓は種々の障害があり、なかなかモノにするのは難しかった。
例えば、前情報システム部長OTBさんの、副会長も務めたことのあるOR学会関係を通じた防衛庁関連の仕事である。自衛隊のORアプリケーションは、量・質ともトップクラス、OTBさん同道で陸自OR室長(一佐)にお会いして話を聞いたことがある。しかし良い仕事は既に大会社に確り抑えられており、新参者は公募入札(小規模で安い単価)からスタートし長い時間をかけて、実績を積み重ねるしかなかった。
またエンジニアリング会社経由でNTTインターナショナルを紹介され、そこが応札しようとしていた中東の石油会社のプロジェクトにしばらく関わったものの、話が漠然としており、規模が桁違いに大きく、とてもパートナーとして組めるビジネスではないと、早々に下りることにした。この他先行分社化していた同業者を訪ね業務提携(仕事の融通やマンパワーのやり繰り)の可能性を探ったが、建て前はともかく、実際には同床異夢の感が強く、なかなか実現しなかった。
結局、顧客開拓は、技術システム関連ビジネスは工場中心にIBM ACS販売と独自商品・サービスで、事務系システムは富士通やIBMの協力の下でプロセス製造業の事務アプリケーションを中心に、を専らにするようになっていった。その点からも川鉄鋼板プロジェクトが実現した意味は大きい(技術系はTTEC時代の助走があった)。

(次回;初年度1986年の経営;プロパー社員採用)


0 件のコメント: