2014年10月23日木曜日

決断科学ノート;情報サービス会社(SPIN)経営(第Ⅰ部)-25


5 1987年の経営トピックス;新卒入社と総務部新設
創設の1985年は半年間の経営、ほとんどがグループ向け業務だったから独立会社としての評価対象としては除くべきだろう。翌1986年は前回書いたように20億円の売上に対して4億円の当期利益(営業利益6億円)を上げている。対売上営業利益率は30%(外部だけに限れば10%程度)、これは法外に高い値だがからくりがある。グル―プ向けサービス料金がかなり高めに設定されていたからである。「独り立ちできるまで少し面倒を見てやろう」の親心である。前年の東燃役員刷新でNKHさんが社長になると、本社常務兼務だったMKNさんは当社専任の社長になりその報酬が負担になったことや人員強化の先行投資なども考慮しての施策である。
その人員強化が1987年最大のトピックスと言っていいだろう。全員女性であったが新卒を9名(前々回8名とあるのは誤り)採用し、さらに中途入社の経験者が数名新戦力として加わることになる。今後もこれを持続させていくためには今までにない仕事や対応策が必要になってくる。採用活動、教育訓練、オフィススペースの確保と什器備品の用意などなど。来年度は男子新卒採用もと目論んでいることもあり、課長と経理担当、庶務(派遣女性社員)の3名でスタートした事務課では賄いきれないのは明らかである。
先ず手を付けたのはこの事務部門の強化である。営業部に在ったものを分離独立させ、総務部を新設、人事課と経理・庶務担当の総務課をその下に置いた。総務部長には本社の総務課長であるIWSさんをもらうことが出来た。彼はもともと人事系の人だったから、その面でも適材であった。こんな人事がすんなり通ったのも本社のSPINに対する期待が大きかった証と言えるだろう。以後総務部門の管理者へは純然たる事務系の優秀な人材が派遣されてくるようになる。
新人は全てSE要員である。従って導入訓練を除けばSE職の先輩たちがその任に当たる。技術システム部門はどうしても専門技術や工場経験の重みが高いので、出向や途中入社で構成され、一匹狼的な性格が強い。それもあり新人教育は専らビジネスシステム部門に委ねられることになる。この部門の母体はもともと情報システム部機械計算課、比較的職種転換でSEになった人が多く、相互扶助・協力の気風が強く、情報技術バックグランドの無い新卒者にとってスタートするに相応しい職場と言えた。
この年の新人受入れ以外の総務部の大きな仕事は二つ。一つは翌年の男子新卒採用への準備。もう一つは増加する人員のためのスペース確保である。前者の採用については、先ず東燃本社に“男子プロパー社員”採用を認めてもらうこと、見えない形で存在している“指名校制度”を外し公募することを了解してもらうことである。今までの行きがかりもあり私も総務部長に同道して人事部長にこの話をしに行くと「いよいよルビコン川を渡るわけですね?」と覚悟の程を質された。「そういうわけです」と答えたものの、将来に確証があったわけではない。当に決断の時であった。
オフィスの問題も簡単なことではなかった。何とか東燃が借りているスペースで1年半やってきたものの、10数名の増員で満杯、本社の在るパレスサイドビル内には翌年新人が入ってくると収まる場所が全く無い(ビル全体として余力が無い)。再び清水工場本事務所の活用や新研究棟を建設中の総合研究所(埼玉)への分遣案が出るが、営業活動が本格化してくると、主力が都心部に居ることが経営効率上欠かせぬとの意見が実働部隊から上がってくる。結局秋になって京浜急行青物横丁に在る新設の小池第7ビルのワンフロア-を借り、そこへ技術システム部が移ることになった。技術システムの顧客は都心部以外に東京駅・羽田空港を起点とする遠隔地にも多かったことに依る。
新卒採用、新オフィスの確保、いずれも潤沢な余剰金があって決断できたことである(経営陣も私も)。

(次回;1987年のトピックス;つづく;広がる顧客)


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